愛縁航路   作:TTP

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Ep.4 たかみープロデュースミッドナイトティーパーティー
4-1 春季合宿のしおり


 ゴールデンウィークを目前にした水曜日。渋谷尭深はその夜、高校時代の友人と先輩に誘われて、場末の雀荘を訪れていた。

 

 一度目の半荘はラスを引かされた。

 二度目の半荘も、既にオーラス。今回も一位に点差をつけられ、尭深は追いかける立場となっていた。

 

 だが、渋谷尭深は強力な一撃を秘めている。オーラスまでの局の第一打が、そのままオーラスの配牌となる「収穫の時」。三年前、猛威を振るった白糸台の高火力チーム・虎姫に彼女が選出された理由でもある。25000点持ちのゲームなら、下手をすれば一撃で勝負を決めかねない力だ。

 

 今回の配牌も、これまでの局は早上がりで流されながらも、大三元を狙えるまで葡萄は実った。後は食すだけ――ではあるものの。

 

「チー!」

 

 対面に座る亦野誠子が、それは許さないとばかりに速攻をしかけてくる。高校時代の同期であり、付き合いの長い友人だ。故にお互いの手は知り尽くしている。

 

「ポン!」

 

 河から自在に牌を釣り上げるフィッシャー。今日は普段よりも切れの良さを感じる。同卓している先輩、弘世菫も対応しきれていない。

 

 あっという間に誠子は二副露まで辿り着く。自然と、尭深の牌を掴む手に力が籠もった。しかし、有効配を引き込めない。二向聴から進まない。

 

 誠子以外のプレイヤーもまだ手の進みは遅い。気を付けるべきは、誠子一人。その彼女も、危険水域の三副露にはまだ辿り着いていない。

 

 逆転は、十分に可能。

 尭深がそう考えた瞬間、

 

「ツモ!」

 

 無慈悲な宣告が、下される。顔を上げると、にやりと笑う誠子がそこにいた。尭深は小さな息を吐き、手配を伏せた。

 

 

 ――場所を移して、雀荘近所のファミレス。

 

 同じ卓を囲んでいた一人離脱し、尭深は菫と誠子の二人と遅めの夕食と洒落込んでいた。混雑のピーク時はとうに過ぎ、客もまばらで店内は比較的静かだ。油断すると、三人の話し声が無駄に響いてしまいそうだった。

 

「亦野、今日は随分調子良かったじゃないか」

「そうですね。まぁ、気安い相手ばかりでしたから。伸び伸び打てました」

「その調子で来月のリーグ戦も頼むぞ」

「あんまりプレッシャーかかること言わないで下さいよ」

 

 対面で、菫と誠子が笑顔を零しながら言い合う。二人は高校から引き続き、同じ大学に籍を置く先輩後輩の仲だ。やはり麻雀部で、両者とも一部リーグのトップを走る聖白女にあってレギュラーを張っている。

 

「そうだ、尭深」

 

 パスタをフォークに巻き付けながら、菫が突然訊ねてきた。

 

「麻雀仮面のほうは、何か進展があったか恭子から聞いていないか」

「……いえ、特には」

 

 内心菫に謝りながら、尭深はしらを切った。

 四月頭に現れた麻雀仮面というおかしな通り名を持つ女は、この近隣の大学生雀士に勝負をふっかけては次々と負かしていったという。聖白女の部員もその毒牙にかかったと、菫から愚痴られた。それ以降、彼女は麻雀仮面の正体を探っているのだ。

 

 それだけなら、尭深も素直に応援しただろう。

 

 問題は、麻雀仮面の正体が尭深の通う東帝大学の学生、引いては麻雀部の新入部員ということにある。

 

 麻雀仮面が残した爪痕は大きい。この界隈に限っての話だが、どういう形であれ彼女に拘る雀士は多いはずだ。東帝大学の部員だと露見しようものなら、間違いなく周囲の大学と軋轢を生む。

 

 リーグ戦での居心地の悪さや練習試合が組みづらくなることは、想像に難くない。他にもどのような不利益を被るか分かったものではない。

 

「そうか。残念だな。今週は全く現れていないみたいだし、あの負けで大人しくなったか」

「かも知れませんね」

 

 菫や誠子のことは信頼している。黙っていてくれ、と言えば黙ってくれるだろう。が、尭深の今の所属は東帝大学麻雀部だ。長である恭子の指示に従わなければならない。

 

 尭深の芳しくない反応に、菫は話題を移した。

 

「新入部員はどうなった? 宥にも相談を受けたんだが。中々集まっていないんだろう?」

 

 しかし、こちらも答えづらい質問だった。件の麻雀仮面と直接関わっている。

 

 その点を伏せて話せれば良いのだが――その正体のネームバリューは、菫や尭深の世代にとって大きい。警戒して然るべき相手だ。

 

 できるなら、三部リーグ開幕まで伏せておきたい。実に複雑そうな表情で恭子が語ったのを、尭深はよく覚えている。

 

「……その点は、解決しました」

「ほう。ついに掴まえたのか」

「良かったじゃないか。どんな奴なんだ?」

 

 誠子に問われ、尭深は一拍の間を置き、

 

「秘密」

 

 と答えた。

 

「秘密兵器ということか?」

「さぁ、どうでしょうね」

 

 にべもない尭深の返答に、菫は苦笑し誠子はちぇ、と軽く舌打ちする。尭深は気にせず、ちまちまと熱いお茶をすする。

 

「それにしても」

 

 少しだけ、菫の視線が鋭くなるのを尭深は察知した。

 

「最近緩んでいるんじゃないのか、尭深」

「……そうでしょうか」

「この間から、私たちと卓を囲んだときの成績は明らかに悪いぞ。数字上の問題じゃない、内容もあまり良くない。今日も亦野に良いようにやられたしな」

 

 尭深は黙って、彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「東帝だって一部リーグを目指しているんだろう。今のままでは足を引っ張りかねないぞ」

「……はい」

 

 こっくりと頷く尭深の表情に陰を見たのか、菫は慌てて付け足す。

 

「いや、小言を言って済まない。もう先輩面する立場でもないのにな」

「いいえ、菫先輩はずっと私の先輩ですから。ありがとうございます」

 

 そう答えながらも――尭深は心の隅に、引っかかりを覚える。菫への反発心ではない。消化しきれない感情に、しかし彼女は蓋をして微笑んだ。

 

 

 ◇

 

 

 翌日のお昼休み、普段通り尭深は部室棟に向かっていた。月、木、金の昼食は部室で他の部員と弁当を突き合う。それが最近のトレンドだ。

 

 去年までは先輩の松実宥と二人きりだったが、今年の四月からは変化が起きた。一人目の新入部員、須賀京太郎が加わったのである。

 

 この麻雀不毛の地である東帝大学にあって、能動的に麻雀部に入って来た奇特な男子である。元々尭深も何度か会話した相手であり、彼の進学の際も多少ながら相談を受けた。正直なところ本当に入ってくるとは思っておらず、びっくりしたものだ。

 

「こんにちは、尭深ちゃん」

「あ……こんにちは、松実先輩」

 

 背後から声をかけてきたのは、宥。相も変わらずマフラーと厚着という、とても暑そうな格好だ。喧嘩をした妹と一昨日和解したためか、普段に輪をかけてにこやかだ。

 

「今日も寒いね」

「そろそろ暖かくなってきたかと……」

「え、そ、そう?」

 

 動揺する宥に代わり、ノブをひねる。扉は当然のように開いていた。今日もまた、京太郎が先に来ているのだろう。

 

 と思ったら、開かれた部室の光景はいつもと少し違っていた。

 京太郎がいるのは変わりない。「こんにちはー」、と彼はすぐさま挨拶してきた。ここまではいつもの通り。

 

 今日はもう一人、追加メンバーがいた。

 

「お、来た来た。どうも、先輩方」

「あ、怜ちゃん。こんにちは」

「……こんにちは」

 

 椅子にだらりと座って尭深たちを待っていたのは、もう一人の新入部員、園城寺怜だった。

 

 年齢の上では尭深の一つ上。ただし彼女は二浪しているため、学年の上では尭深の一つ下となる。このような立場の違いは昨年度までは経験しておらず、尭深はやや戸惑いを覚えていた。

 

「今日から私も食事会に混ぜてもらおう思て。かまへん?」

「もちろん!」

「はい」

 

 断る理由もない。

 いつものように、京太郎の前に宥、宥の左隣に尭深。そして京太郎の右隣、つまり尭深の前に怜が座る。

 

 どことなくマイペースな空気を持つ園城寺怜とは、これまでほとんど接点がなかった。ただ一度、三年前のインターハイの準決勝で対戦した間柄だ。それも先鋒と中堅で、直接顔も合わせていない。あの夏のことを考えれば、まさか彼女と同じチームメイトになろうとは思いも寄らなかった。

 

 自分のお弁当箱を取り出しながら、尭深ははたと気付いた。

 

「須賀くん、それ……」

「はい?」

 

 京太郎のお弁当箱はいつも通り。おかずの中身は豚肉の生姜焼きがメインだ。中々に美味しそうで、尭深の密かな対抗心が煽られる。男子の割には、という枕詞は時代錯誤であろうが、世間一般の男子大学生と比較して彼の調理技術は群を抜いていた。

 

 ここ一ヶ月弱の経験で、見た目から彼が作ったかどうかはすぐに分かる。今日の内容も、間違いなく彼のお手製だ。

 

 問題は、怜のほうである。

 京太郎のお弁当箱から一回り小さいそれに詰められた料理は、そっくりそのまま彼のメニューと同じであった。

 

「園城寺先輩」

「ん? どうしたん、渋谷さん。私先輩とちゃうで。後輩として扱ってええから」

 

 さらっと言う怜に、突っ込みを入れたのは京太郎だった。

 

「怜さん、その割に渋谷先輩たちに敬語じゃないんですね」

「あんまり固すぎると渋谷さんたちが困るやろ、きょーちゃん。大体それ言い出したらきょーちゃんもいつまで私に敬語使ってるん? 同学年やん。他の浪人生とは普通に喋っとるのに」

「今更変えられませんよ」

「いけずやなぁ。怜って呼んでくれてもええやん」

 

 園城寺怜はどちらかと言えば落ち着いていて冷めたタイプ、というのが尭深の印象であった。しかし京太郎が隣にいると、途端に柔らかい表情を浮かべるようになる。少々意外な姿だった。

 

「ま、少なくとも先輩は要らへんから」

「……分かりました、園城寺さん」

「で、何かあったん?」

 

 改めて訊ねられると、言葉に詰まる。ここまできて確認する必要もないだろうが、ひとまず尭深は訊いてみた。

 

「そのお弁当、須賀くんが作ったものですか?」

「ん、そやで。いつもきょーちゃんが作ってくれるんよ」

 

 どこか自慢気に、怜は胸を張った。尭深の隣で、ぴくりと宥が肩を揺らした――気がした。

 

「一人分作るより助かるんですよね。食材もまとめ買いできるし」

「せやろ、きょーちゃん。私の存在に感謝して欲しいわ」

「感謝して欲しいならたまには怜さんが作って下さいよ」

「私病弱やから……」

「もう病弱アピール通じませんよ」

「ほんまいけずやわ、きょーちゃん」

 

 文句を言いながらも、怜はとても楽しそうだ。ぴくぴくっと、宥の肩が二度揺れた――気がした。

 

 食事会に一人加わっただけで、部室の空気がかなり変容した。先日まではもう少し穏やかではなかっただろうか。いや、今も穏やかではある。目の前の光景は、とても微笑ましい。微笑ましくはあるが、どことなく漂うのは甘さである。

 

「こないだきょーちゃんの部屋掃除したの、私やん」

「うっ、や、あれはその、怜さんがどうしてもやるって言うから」

「二人は近くに住んでるの?」

 

 素朴な疑問を尭深が口にすると、怜は平然と答えた。

 

「あ、部屋隣同士やねん」

「いざってときのために、怜さんの親御さんに頼まれて」

 

 慌てて京太郎がフォローしてくる。しかし尭深は思ったことをそのまま言った。

 

「……半同棲?」

「せやで」

「違います! ちょっと怜さん勝手なこと言うの止めてもらえますっ?」

 

 大声で顔を赤くした京太郎が否定する。怜は楽しそうににやにや笑っていた。尭深の隣で、宥の肩がぴくぴくぴくっと、三度揺れた――気がした。

 

 いつものように、お弁当の内容を交換する流れに中々ならない。

 

「きょ、京太郎くん」

 

 と思っていたら、宥が動いた。

 彼女は自分で食べていたチキンライスを一掬いし、スプーンの影に左手を添えて、彼の口元に持っていく。

 

「今日は結構自信作なの」

「えっ、はいっ」

「食べてみて」

「わ、分かりました」

 

 動揺しながらも、京太郎は差し出されたスプーンに食らいつく。ごくりと彼の喉が揺れ、チキンライスが彼の食道に落ちていった。

 ぱっと、彼の顔が輝く。

 

「ほんとだ。美味しいです」

「良かったぁ」

 

 彼が食べ終えるまで表情を強張らせていた宥であったが、彼の賞賛を聞いた瞬間に相好を崩した。

 

 それから彼女はチキンライスをもう一度掬い、今度は自分で食べようとし、途端に動きを止めた。宥の視線に注がれる先にあるのは、自らのスプーン。やらかした、という彼女の表情は真っ赤に染まり、それを隠すように宥はマフラーを被り直した。

 

 一方の京太郎も、恥ずかしそうに顔を背けている。男子としては喜びそうなものだが、意外にシャイだ。

 

 反射的に、尭深は怜の様子を窺った。

 予想外にも、彼女は特段気にした様子はない。それどころか実に楽しげに笑みを噛み殺している。彼女の真意が、尭深には分からない。

 

 何だこの展開は、と眉一つ動かさず尭深は思った。

 いつの間にか部内の人間関係が色々動いている。園城寺怜の加入はもちろん、宥も何やら様子がいつもと違う。

 

 しかし、それらは現象の枝葉。

 

 大元の原因を辿れば京太郎にあるのだろう。確証はないが、尭深は理解した。高校時代から予兆はあった。尭深の後輩も、どういうわけか彼を慕っている。この妙な空気は、そこに通じるものがあった。

 

 ――自分はそうはならないようにしよう。

 

 密かに尭深は決意する。様々な意味で、面倒事に発展してしまう。それだけは避けねばならない。幸いというべきか、今のところそんな気配は芽生えていない。ならば大丈夫だろう、と彼女は安心する。

 

 宥のチキンライス以降、おかず交換は行われない。怜が「あーん」と京太郎に食べさせようとするが、彼は必死に拒絶した。その様を見て、怜はまた喜んでいた。

 

 そのまま昼休みが終わるかと思われた、そのとき。

 

「お、揃っとるな」

「すばらです!」

 

 部室の扉が開かれた。

 入って来たのは二人。部長である末原恭子と、尭深の同級生、花田煌だった。

 

「二人ともお昼休みに来るなんて珍しいですね」

「軽くミーティングしたかっただけや」

 

 京太郎が声をかけると、恭子はそっけなく返答する。今週に入ってから、この二人も様子がおかしい。いや、京太郎はいつも通り。変わったのは、恭子だ。警戒しているというか、若干距離をとろうとしているというか、怖がっているというか。あまり彼を近くまで近づけようとしない。近くにいると、慌てて距離をとろうとするのだ。少し京太郎が凹んでいるのが見て取れる。

 

「ご飯食べながらでええから、みんな聞いて」

「はーい、末原先輩」

「……園城寺は静かにしとき」

「はーい」

 

 恭子は怜を冷たくあしらい、怜はにこにこ恭子に笑いかける。この大阪人の関係も、尭深はいまいち掴み切れていない。

 

 こほん、と恭子は一つ咳払いする。

 

「園城寺が入ったけど、ゴールデンウィークはリーグ戦に向けて予定通り合宿をします。ただ、状況が一つ変わりました」

「私、だね」

 

 宥が苦笑し、恭子は頷く。

 

「宥ちゃんが妹さんとの約束通り、奈良に帰らなくてはなりません。大学の合宿所借りるつもりやったけど、そのままやったら宥ちゃんが合宿に参加できません。宥ちゃんがいない合宿は流石にNGです」

 

 そこで、と恭子は一度言葉を切る。目配せしたのは、宥と後ろに控える煌だった。

 

「昨日宥ちゃんと相談して、合宿場所を変更することとしました。煌ちゃん、お願い」

「はいっ」

 

 煌が全員に配ったのは、B5サイズのお手製の冊子だった。表紙には、「東帝大学麻雀部春季合宿のしおり! すばら!」と書かれている。

 

 ぺらり、と尭深が一ページ目をめくると、でかでかと旅館の写真が貼り付けられていた。ネットで拾ってきたのだろうか――その割には解像度が良い気がする。とにもかくにも、尭深の知らない旅館であった。

 

「ここ、どこなんですか?」

 

 同じ感想を抱いたのだろう、京太郎が訊ねる。苦笑いを浮かべたまま答えたのは、宥だった。

 

「私の家なの」

「えっ?」

 

 尭深、京太郎、怜の疑問の声が重なる。

 拳を振り上げ、恭子が高らかに宣言した。

 

 

「合宿は――奈良阿知賀、松実館で行います!」

 

 

 




次回:4-2 肩に預くは

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