愛縁航路   作:TTP

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1-2 麻雀仮面の挑戦

 胡散臭いとしか言えない麻雀仮面の名は、冗談半分で口にしたものだった。菫も笑い飛ばしてくれると思っていたら、意外にも彼女は表情を引き締めた。話を振った恭子も、思わず居住まいを正す。

 

「知ってるって、えっ、麻雀仮面、麻雀仮面やで?」

「近頃雀荘で勝負を吹っかけている女の話だろう。それならば聞いている」

「ほんまに? 菫がこんな妙な噂知っとるとは思わんかったわ」

「できれば私も知りたくなかったよ」

 

 注文した料理が届き、一度会話が途切れる。グラスの中の氷が溶けて、からんと滑り落ちた。その間に、恭子は落ち着きを取り戻す。

 

「……どういうことなん? 麻雀仮面ってほんまにおるん?」

「そのようだ。私は直接お目にかかったことはないがな」

 

 だし巻き卵に箸を伸ばしつつ、菫はゆっくり話し始めた。

 

「どうも麻雀仮面は、不規則に雀荘に現れる場合と、挑戦状を叩き付ける場合の二つのパターンがあるらしい」

「挑戦状?」

「ああ。調べたところ、麻雀仮面が初めて姿を現したのは四月に入ってからのようだ。そのときはふらりと雀荘に現れると、大学生に同卓を申し出たらしい。二部リーグの学生に声をかけたことから、おそらく初めから狙っていたんだろうな」

 

 ほう、と恭子は頷く。関東リーグはかなりレベルが高いと言われている。二部リーグの大学でも、名前の売れている選手はいくらでもいるものだ。

 

「で、その子たちを倒したんか」

「この辺りは断片的にしか聞いていないがな。圧勝だったらしい」

「凄いやん。麻雀仮面は一人なんやろ?」

「そうだ」

 

 真実であれば、相当な強者だ。思わず恭子は唾を飲み込む。普通なら笑い飛ばしていただろうが、他でもない菫の口から語られたことだ。信憑性はかなり高い。

 

「麻雀仮面はかなり派手に動いたみたいだ。一日にいくつもの雀荘で目撃証言がある。そしてどの雀荘でも勝利を収めたそうだ」

「……そこまで来たら、プロなんとちゃうん?」

「平日の夕方から雀荘に入り浸るプロがいるものか」

「それもそうか」

 

 三杯目の酒を注文し、菫は続けた。

 

「聞いた背丈からするとおそらくは高校生から大学生……現れた時期を考えれば新入生か。去年のインターミドルの上位を調べ上げたが、流石にそこまでの選手は見当たらなかった」

「そうなると大学一年のほうか……」

 

 とは言っても、一ヶ月前まで高校生だった少女の中でも、トップレベルのプレイヤー――件の大星淡など――はプロか実業団に進んでいる。彼女たちを除けば、結論は中学生と同じだ。

 

「正体を特定するにはまだ情報が足りないな。――話を戻そう。麻雀仮面は、ある程度暴れて名を売った後、戦略を切り替えた」

「それが、挑戦状?」

「そうだ。大学の麻雀部のメールフォームに叩き付けられた」

「その口振りからして、菫のところにも来たんか」

 

 菫は溜息を吐いて、頷く。

 

「ホームページの管理は二年がやってるんだがな。悪戯メールとして処理すれば良いものを、面白がって受けてしまったんだよ」

「で、叩きのめされたと」

「恥ずかしながらな。良い薬にはなったが、気が緩んでいるにも程がある。そういう経緯もあって、一応調べさせたわけだ」

 

 なるほど、と頷きながら恭子は動揺を隠せなかった。まさか、菫のところの学生も負けているとは。レギュラーではないだろうが、名門聖白女の選手だ。下手な二部リーグの選手よりも打てるはず。

 

 さらに菫は体を乗り出し、個室で誰も聞いていないのに声を細めて言った。

 

「ここだけの話だがな」

「うん?」

「多治比もやられたらしい」

「……ほんまか」

 

 多治比真佑子――恭子たちの一つ下の世代の中でも、五指に数えられる実力者だ。現在も一部リーグで、菫とも鎬を削っている。

 

「今はまだ上位リーグの大学だけで噂は留まっているが、このままいけば関東全域にその名が知れるだろうな」

「……なんか嫌やわ。麻雀仮面なんて名前が流行るとか」

「それに負けたと揶揄される私たちの身にもなってみろ。下手に噂が広まらないよう必死なんだぞ」

「ご愁傷様やわ」

「他人事だな」

「残念ながら、やけど」

 

 恭子は自嘲気味に笑う。

 

「うちみたいなこの間まで五部四部で戦ってた大学に用はないやろ、麻雀仮面さんも。話を聞く限り、強い相手を求めてるみたいやし」

「そうかも知れんが、実績はなくともお前のところもタレント揃いだろう。……まぁ、もしも麻雀仮面から挑戦状を叩き付けられたら私にも連絡してくれ。舐められたままってのも、癪だ」

 

 ごくごくとカシスオレンジを一気飲みし、菫は力強くグラスを机に叩き付けた。何だかんだ言って、後輩がやられたのに憤っているようだった。

 

 この負けん気の強さを見習わなければならない――恭子はそう思う。高校時代とは違い、今は自分が部長だ。だというのに皆を引っ張っていく力と経験が、足りていない。下部リーグでは通じたかも知れないが、上位リーグでは菫のようなリーダー資質を持ち得る選手と戦わなくてはならないのだ。

 

「了解了解。麻雀仮面さんの挑戦があったら、な」

「頼むぞ。――ほら、お前ももっと飲め。明日一コマ目は講義ないんだろう?」

「そうでもなかったら平日に飲んだりしてへんよ。自主休講できるほどえらないし。菫はええん? 門限あるやろ、お嬢様」

「いつまでも子供扱いされたくないんだよ、こっちとしては」

 

 酒が入り、口も回ってお互い溜め込んだ愚痴をこぼし合う。女子会にしては色気も欠片もないが、これが二人の平常運転であった。

 

 あっという間に時間は過ぎ去り、菫のタイムアップを迎えたところで宴会はお開きとなった。実のある話は一つもなかったが、恭子としては充分な時間であった。

 

 ほろ酔い気分で浮かれていた彼女であったが。

 例の名前と対面するのは、すぐのことであった。

 

 

 ◇

 

 

 珍しく酔っ払った菫を邸宅にまで送り届けた後、恭子は住まうアパートに帰ってきた。両親の援助でそこそこ良い部屋を借りており、不自由はしていない。浴槽も広く、ゆったり湯船に浸かって一日の疲れを癒す。

 

「はぁー……」

 

 思わず、長い息が漏れる。

 最近疲れが溜まってばかりだ。入ってこない新入部員、それから入って来た新入部員のこと。三部リーグでも戦って行けるのか。部長として部員にできることはないか。ゴールデンウィークは実家に帰る余裕もない。片付けなければならないレポートはまだ少ないのが幸いか。

 

「勧誘のやり方も改めてみんなと相談せなあかんなぁ」

 

 現状、無差別に新入生に声をかけるやり方はどうも上手くいっていない。部室にまで連れて来ることすらままならない。あの古ぼけた部室棟の見た目もマイナス要素だ。

 

 入学式のその日に扉を叩いた京太郎が特別なのだ。変わり者にも程がある。

 

「む……」

 

 彼のことを思い出すとどうも調子が狂う。心がざわめくのだ。あまり深く考えすぎるとドツボに嵌まりそうで、恭子は一度頭のてっぺんまで湯の中に浸かった。

 

「……ふうっ」

 

 風呂から出て寝間着に着替える。このままベッドにダイブしても良かったが、その前に恭子はパソコンを立ち上げた。

 

 ネット麻雀のソフトアイコンへマウスポインタを動かしそうになるが、我慢。

 目的は、麻雀部のホームページだ。もっと興味を引くような作りにしたい。もしかするとホームページを見て入部を希望する子がいるかも知れないのだから。

 

 アップされた練習風景の写真を眺めながら、レイアウトを変更する。だが、どうにも見栄えはよくならない。

 

「堅苦しいのがあかへんのかなぁ」

 

 試しに他のサークルのホームページを覗いて見れば、旅行に行っただの何だの、主旨とは関係ない活動をアピールしている。こういうレクリエーションも必要なのだろうかと恭子は悩む。昨年は合宿と遠征が一度ずつあっただけだ。それもほぼ全て麻雀漬け。もし今の部員たちも不満に思っていたら、と考えると空恐ろしくなった。

 

「……ん?」

 

 念のため入部希望のメールが届いていないかメーラーを立ち上げると、一通だけ新着メッセージが届いていた。

 

 件名は、「挑戦状」。

 

 恭子はどきりとした。

 まさか、と思いながら震える指でクリックする。

 

 中身は、まさしく東帝大学麻雀部への挑戦状であった。――今週日曜日の十八時に、指定の雀荘で勝負されたし。

 文末に記された署名は、

 

 

「麻雀仮面ッ? 嘘ッ!」

 

 

 椅子を押し退け、恭子は立ち上がる。

 

 メールの送信日時は昨日だ。菫の言っていた挑戦状は、既に恭子の元にも送られてきていた。菫から何も聞いていなければ、悪戯メールと判断してすぐにゴミ箱行きであっただろう。

 

 だが、今はそうしない、そうできない。麻雀仮面は――謎の実力者は、この東京にいる。

 

「……ええ度胸や」

 

 何のつもりで自分たちのような小規模麻雀部に挑戦状を叩き付けてきたかは知らないが、喧嘩を売られて引き下がるわけにはいかない。

 

「後悔させたるわ」

 

 恭子はにやりと笑った。

 こちらもハイレベルと言われたインハイで戦った身だ。心強い仲間だっている。返り討ちにしてやる、とキーボードを叩く。酒に酔った勢いも手伝って、すぐに恭子は挑戦を受ける旨を返信した。

 

「ようし」

 

 今度はSNSのアプリを立ち上げる。東帝大学麻雀部のグループチャットを開き、麻雀仮面のあらましと挑戦状を受け取ったことを書き込んだ。幸い今週の日曜日は部活も休みだ。みんな都合もつくだろう。

 

 ――という恭子の見通しは、あっさりご破算となる。

 

『ごめんなさい、その日はアルバイトが入っているの』

『友人とレポートを仕上げる先約がありますので……』

『その日は箱根に遊びに行くので行けないですねっ。残念!』

 

 女子部員三人に、立て続けに振られる。

 慌てて恭子はさらにチャットに書き込みを加える。

 

『麻雀仮面やでっ? みんな興味ないんっ?』

『ええっと……』

『その……』

『はっきり言って胡散臭いですね!』

 

 容赦なくたたき切られ、恭子はくらりとする。酔いが一気に冷めてきた。そうだ。どう考えても、胡散臭い。数少ない同期と後輩の白い目が、画面越しに伝わってくる。羞恥で体が熱くなった。

 

 しかし既に麻雀仮面には了承してしまっており、後には引けない状況だ。一人でも対峙しなくてはならない――と思っていたら、

 

『あ、日曜なら俺空いてますよ』

 

 突然京太郎がチャットに参加してきた。彼のカピバラのアイコンを目にした瞬間、恭子の体がびくりと震える。

 

 そんな恭子をよそに、話は勝手に進んでいく。

 

『それじゃあ京太郎くん、恭子ちゃんと一緒にお願いできるかな?』

『よろしくね』

『すばら! 頼みましたよ!』

「えっ、えっ」

 

 ――女子三人が来られなくて。

 ――男子一人が、自分と共に。

 

 恭子がキーボードに触れる暇もない。

 

『そういえば京太郎くん、東京の地理がまだ良く分かっていないって言ってたよね』

『はい、よく使う駅は覚えましたけど』

『いつかみんなで色々案内してあげようって思ってたんだけど』

『それなら日曜日に末原先輩が案内してあげれば……ということですか』

『すばら! 名案です!』

「ちょ、え、ちょっ」

 

 さらに話は、明後日の方向に。おそらく麻雀仮面のことなど既に思慮の外であろう、女子三人はそこが良いどこか良いと、好き勝手を言い出す。断れない空気があっという間に醸成されていく。

 

『え、でも良いんですか? 末原先輩もお忙しいでしょう?』

 

 そこで、京太郎が諫める方向に話を持っていこうとした。その調子やええぞ須賀、と内心恭子は応援するものの、

 

『恭子先輩は後輩想いのすばらな先輩ですから!』

 

 と、一人が力強く断言した。断言されてしまった。彼女たちに悪意はない。面倒事を押し付けようとする意思もないだろう。都合がつくのならついでに、くらいの気持ちなのだ。

 

 しかし結果的に梯子を外され、恭子はモニターの名前で頭を抱える羽目になった。――どうしてこうなった。

 

『恭子ちゃん?』

『末原先輩?』

『恭子先輩?』

 

 何も発言できずにいると、さらに追い詰めてくるように自分の名前がチャットに並ぶ。恭子は頬を引き攣らせ、半ばやけくそ気味にキーボードを叩いた。

 

『もちろんや! 大阪もんが東京案内したるわ!』

『ありがとうございます、末原先輩!』

『わぁ』

『お願いします』

『すばら!』

 

 既に深夜ということもあり、グループチャットはそこで一旦中断される。恭子は背もたれに体を預け、一度大きく溜息を吐いた。

 

 ――年頃の男女が二人きりで一緒に遊ぶことを、何と呼ぶのか。

 

 経験がないとはいえ、知らないわけがない。名目上は東京案内でも、誰も額面通りに受け取らないだろうし、恭子自身そう思えない。

 

 パソコンの電源を落とし、暗くなった画面に映った自分の表情に、恭子は愕然となる。

 

 ゆらり、と彼女は立ち上がり。

 

「ああああもおおおおお」

 

 何もかも放り出して、そのまま彼女はベッドに飛び込んだ。枕に顔を埋め、ばたばたと足を振る。ベッドはぎしぎし悲鳴を上げた。

 

 

 ◇

 

 

 東帝大学には、ここ二年、夏にだけ顔を現す正体不明の美人の噂があった。曰く、「マフラーの姫」、「水着を着れたらミス東帝」、「サウナクイーン」、「一人暑さ我慢選手権」――数々の二つ名をほしいままにする彼女は、しかし夏以外の季節でも嫌でも目に付く。

 

 その厚着の量が、尋常ではないのだ。

 

 確かに未だ肌寒い時期が続いている。それでも春の兆しは見えてきているし、少なくともコートは脱いでも全く問題ない。

 

 だというのに彼女の重ね着が減る気配は全くない。むしろ一時より酷くなっているレベルである。顔の半分を隠すマスクと、野暮ったいまでの眼鏡。首元はぐるぐるとマフラーが巻かれ、桜色の手袋を常時装備。

 

 いくら学生の海に飲まれるキャンパス内とは言うものの、これで目立つな、というほうが無理な注文だ。

 

 経済学部棟の近くで張ること五分。

 講義を終え出てきた彼女の肩を、恭子はがっしりと掴み取った。

 

「宥ちゃーん?」

「きょ、恭子ちゃんっ? どうしたのっ?」

 

 友人のかつてない剣幕に、マフラーの姫――松実宥は、激しく狼狽えた。眼鏡を外して、恭子の前に立つ。

 

「どうしたもこうしたもないで……? うち、昨日ほとんど寝られんかったんやから」

「ま、麻雀仮面さんのこと? ごめんなさい、一緒に行けなくて」

「そっちじゃなくてっ! ああ、今の今まで麻雀仮面のこと忘れてたわ……どうでもええわ麻雀仮面なんか。それよりも、須賀のほう」

「京太郎くんが、どうしたの?」

「宥ちゃんが言い出したんやんか、須賀に東京案内したれって!」

「ああ……」

 

 ようやく合点がいった、と言った様子で宥は頷く。しかしすぐに、

 

「もしかして、駄目だったの?」

 

 彼女は小首を傾げた。可愛い、と恭子は勢いを失いそうになる。

 

 末原恭子と松実宥の付き合いは、二人が大学に入ってからだ。もっとも、恭子は宥のことを認識していた。宥がインハイに出場した回数はたった一回、されどその一回の成績は非常に優秀であった。特異な体質とそれをよく理解した打ち筋、状況への対応力と戦術を実行する手腕、いずれもなぜ遅咲きであったのか分からないレベルだった。

 

 そんな彼女とこの大学で出会えたのは、恭子にとって様々な意味で僥倖であった。学外の親友を菫と言うならば、学内の親友は間違いなく宥である。共に廃部同然であった麻雀部を建て直した戦友なのだ。

 

 ――なればこそ。

 今更、恭子は宥に遠慮しない。

 

「日曜、バイトで来れんのは分かった」

「う、うん」

「せやけど、責任はとってもらうで」

「ええっ」

「嫌とは言わせんからな」

「ええーっ」

 

 季節外れのマフラーをがっしり掴んで、恭子はこめかみに青筋を立てながら笑う。あったかくない、という宥の呟きは春風に飲まれて消えた。

 

 

 




次回:1-3 ギャラリーデートとミニスカメイド

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