愛縁航路   作:TTP

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7-3 闇に訊ねて

 鳥のさえずりが耳朶を打ち、淡はゆっくりと目を開いた。カーテンの隙間から差し込む光が、頬をかすめる。

 

 朝は元々得意なほうではない。頭はぼうっとして、中々覚醒してくれない。ただ、何もしなくとも自分の部屋と漂う香りが違うのは分かった。最近は試合の都合でホテルに泊まることも多々あるが、横たわるベッドのスプリングはそれほどでもない。布団に染みついた匂いもだ。

 

 まさか、と一瞬期待を巡らせるも残念ながらその記憶はない。こめかみに指先を当て、昨夜の出来事に思いを巡らせていたら――

 

「お、なんや起きたんか」

「む」

 

 かけられた声は、あまり馴染みのないもの。

 声の主は、末原恭子という雀士だった。彼女は顎をしゃくって、

 

「顔洗い。それと、頭ぼさぼさやで」

「……ドライヤーある?」

「洗面所に置いとるから。昨日も使ったやろ」

「そだっけ」

「寝惚けとるな」

 

 額を小突かれた。眠気も合間って、あまり強く抵抗できない。もぞもぞと、布団の中から淡は這い出した。

 

「歯ブラシないのー?」

「昨日予備のやつ貸したやろ」

「あー、そだっけ……」

 

 そうだ、と淡はようやく思い出す。何だかんだと話し込んだ結果、半ば押しかける形で恭子の家に泊まることになったのだ。来ているパジャマも、恭子から借りたもの。

 

 末原恭子。

 

 元々三年前のインターハイで、見覚えはあった。団体戦で当たる可能性もあった。だが、そのときは歯牙にもかけなかった。麻雀でなら、簡単にひねり潰せる自信があった。

 

 その彼女に、お世話になる日が来るとは思わなかった。

 ――こんなにも、彼女に拘る日が来るとも思わなかった。

 

「ねーねー、キョーコー。歯磨き粉他にないの? 洗顔もー。このメーカー使ったことないから怖いんだけど」

「あんた人ん家に来といてよくそこまででかい態度とれるな……」

「だってなんだか雑誌の撮影とかの仕事も多いんだもん。髪質とかもチェックされるんだから」

「麻雀プロも大変やな」

 

 言葉の割には、声色には労りがなかった。しかし恭子は続けて言った。

 

「朝ご飯、食べてくやろ?」

「良いの?」

「食パン一枚だけやけどな。バターとマーマレード、あとイチゴジャムならあるけど、どうする?」

「ぜんぶっ」

「……はいはい。菫の気持ちがよう分かるわ」

 

 顔を洗ってリビングに戻ってみれば、空だったテーブルに皿が並べられていた。良い塩梅に焼けたパンの匂いが、食欲をそそる。

 

「いただきますっ!」

「いただきます」

 

 ホテルでもなく、誰かと向かい合って朝食を摂るのは久しぶりだった。表面はかりっと、中はもちりとした食感が淡の頬を綻ばせる。

 

「美味しいー」

「食パン一枚で喜んで貰えるとは思わんかったわ」

「この焼き加減はなかなかのもの……なかなかできない……」

「大星、料理とか苦手そうやもんな」

「むっ」

 

 淡は眉間に皺を寄せる。指摘の通り、確かに得意なほうではない。レシピを無視するような真似はしないが、料理中何かと別のことに気を取られてしまうのだ。時間がかかるならまだしも、焦がしてしまうこともしばしば。

 

 けれども、ここ最近は違う。

 

「これでもちゃんと練習してるんだから」

「ほんまに?」

「ほんとほんと。やっぱり奥さんになるなら家事ができないよりできたほうが良いもんねっ」

 

 得意気に淡は語るものの――恭子には、これ見よがしに溜息を吐かれてしまった。

 

「あんた、まだ須賀と結婚するつもりなん?」

「もちろん! 昨日の話聞いてなかったの?」

「うんざりするくらい聞かされたわ」

 

 恭子は手をひらひら振って、淡の話を遮る。

 

「正直に言ってええか?」

「なに? どうしたの?」

「話聞く限り、須賀があんたになびくのはかなりハードル高いと思うんやけど」

 

 その指摘に、パンをかじろうと口を開けたまま淡は固まる。しばらくの間、部屋の空気は固まっていた。言ったはずの恭子が、気まずそうに顔を逸らした。

 

「……分かってるよ」

 

 パンを皿の上に戻して、淡は神妙に頷いた。

 

「キョータローには、酷いこと言ってきたから。キョータローはもう気にしてないって言ってたけど――麻雀のことで格好悪いって言ったとき、たぶん凄く傷付いてたと思う。ずっと喧嘩してても、キョータローは本当に酷いことは絶対言わなかったのに」

 

 今でこそ笑って話してくれるけれども――嫌われていたって、不思議ではないのだ。簡単に許してくれるとは、淡だって思っていなかった。

 

 それに、淡も心にわだかまりを抱えていた。彼に水に流して貰ったとしても、自分を許せないという気持ちが燻っているのだ。

 

 一度放った言葉は取り返しがつかない。その事実を、淡は身を以て経験した。彼への想いが強いからこそ、折れそうにもなる。

 

「――でもね」

 

 それでも彼女は、前を向く。

 

「キョータローと一緒に幸せになれたら、きっとぜんぶ上手くいく気がするの。傷付けた分、ううん、それ以上に幸せになるの」

 

 再び、恭子の部屋に沈黙の帳が落ちる。

 結局恭子は顔を背けたまま、淡を促す。

 

「……はよ食べ」

「あ、う、うん」

 

 自分で言っておきながら、何も突っ込みがないとちょっと恥ずかしかった。もちろん、後悔することなんて一つもないのだけれど。けれどもやっぱり、こそばゆい。

 

「あんた、今日は対局ないんか」

「あったらこんなにゆっくりしていないっ! キョーコは大学じゃないの?」

「今日は昼から。部活がメインやけどな」

「部活っ」

 

 その単語に、淡は食い付いた。

 

「キョータローも来るよねっ」

「来るには来るけど……あんたまさか着いてくるつもりちゃうやろな」

「そのまさか!」

 

 元気よく答えると、額を小突かれてしまった。割と本気で痛かった。

 

「もー、なにするのー」

「また変な噂立ったらどうするんや」

「変装するから大丈夫っ」

「……本気か」

「本気や!」

 

 勢い余って関西弁で答えると、再び額を小突かれた。エセ関西弁が余計に心証を悪くしたらしく、今度はさらに力強かった。

 

「それでなくとも練習の邪魔なんやから」

「邪魔はしない! むしろ練習相手になってあげるから!」

「んん……」

 

 ナチュラルに上から目線の提案であったが、事実雀士としての格は淡が上である。プロと手合わせる機会など、相当太いコネクションでもなければ不可能だ。京太郎が所属する東帝大学麻雀部の状況は、淡も伝え聞いている。渋った態度を見せているが、恭子の心が揺れ動いているのは一目瞭然だった。

 

「良いでしょー、ねーねー、キョーコー」

「……はぁ」

 

 その溜息は、諦観を多分に含んでいて。

 淡の瞳を輝かせるのだった。

 

 

 ◇

 

 

「キョータローいないじゃん!」

「園城寺の看病で遅れるんやと」

 

 肩透かしも良いところである。部室の隅の席に、淡は荒っぽく座った。

 淡の常識では考えられないくらい狭い部室には、卓が一つしかない。椅子やテーブルも安っぽく、酷い環境だ。

 しかし悪いことばかりではなく、

 

「お茶どうぞ」

「久しぶりのこの味っ」

 

 高校時代の先輩、渋谷尭深がこの部にいて、お茶を出してくれるのはとても喜ばしいことだ。

 

「たかみ先輩のお茶がやっぱり一番!」

「うん、ありがとう、淡ちゃん」

「あ、お菓子もどうぞ」

「これはこれは」

 

 クッキーを差し出してきた厚着の彼女は、松実宥。尭深の物静かな雰囲気と、宥の柔和な空気に囲まれると心地よい。京太郎を待つには充分と言えよう。クッキーを口の中に運びつつ、にへら、とだらしない笑みを浮かべる。

 しかし、それを許さないのは当然恭子だ。

 

「あんまりくつろがれても困るんやけどな。何のために連れてきたと思っとるん?」

「キョータローいないとやる気出ないー」

「叩き出そか。それとも菫呼ぼか?」

「横暴だ! これが詐欺師の犯行手口っ?」

「誰が詐欺師や!」

「まあまあ。恭子先輩も大星さんもその辺にして」

「っと、煌ちゃん」

 

 煌が割って入り、二人をなだめる。後輩に諭されては恭子も引き下がるしかないらしく、しずしずと矛を収めた。それでも彼女は腕組みして、冷たい声で通告してくる。

 

「ともかく、お茶代とお菓子代くらいは払ってもらうで。後宿泊代」

「分かった分かった分かりましたー」

 

 口を尖らせながら、淡は卓に着いた。

 

「気の済むまで相手してあげる」

「ええ返事や」

 

 いの一番で卓に近づいてきたのは恭子。

 それから、尭深と宥が続いた。これまで闘争心の欠片も見せていなかった二人だったが――ここにきて、ぞくり、と淡の肌を粟立たせる気配を露わにしてきた。

 

 ――たかみ先輩も相当やる気っ。

 

 かつての先輩後輩同士での交流戦、なんて雰囲気ではない。紛れもなく、矜持を賭けた本気の勝負だ。

 

 マフラーをたなびかせながら、宥が場決めの牌を掴む。その僅かな動作だけで、伝わってくる気迫があった。先ほどまでの暖かな空気は、全て彼女の内に秘められたかのよう。

 

 そして、末原恭子は言わずもがな。

 三人に囲まれると、ますます圧迫感は強くなる。

 

「あはっ」

 

 だが、淡はそれに臆する少女ではない。むしろ燃え上がるタイプだ。

 

「いーよ、やったげる」

 

 尭深は当然として、残りの二人も決して侮れないのはよく分かった。元々インハイレベルの選手なのだ、当然であろう。

 

 ――それでも、なお。

 淡は負ける気がしなかった。

 

 事実。

 彼女は最初の半荘で、圧倒的な勝利を収めて見せた。

 

「どうしたの、キョーコ。この程度?」

「……っ」

「キョーコもなかなかやるみたいだけど――私はこの三ヶ月でさらにレベルアップしてるんだからっ。今やプロ百年生くらい!」

 

 プロの世界は、やはり他のステージの比ではない。あらゆる世代が入り乱れ、あらゆる戦型の最上級の実力者と相見える。進歩を続けなければ生き残れないと、淡は最初の三日で理解させられた。結果、その実力はもはや高校時代の比ではないと自負している。

 

「ふふん、実力差は歴然だねっ。これに懲りたら――」

「もう一回や」

「なんだ、まだやる気なの?」

「当たり前やろ。まだ泊めた分の貸しも返して貰ってないんやから」

「別に良いケド」

 

 傲慢や慢心ではなく、負けはないと淡は確信している。

 

「でも、もう一回普通にやっても面白くないよね」

「何が言いたいんや?」

「何か賭けよっか」

 

 にやりと笑って、淡は密かに考えていたある案をそらんじた。

 

「例えば――私が勝ったら、私とキョータローの結婚に協力してもらう、とか」

 

 半ば冗談、半ば恭子に対する当て擦りであったが――

 部屋の熱気が、さらに高まった。

 

「あちゃー……」

 

 成り行きを見守っていた煌が、笑顔を凍らせる。

 恭子は新たな場決めの牌を拾いながら、言った。

 

「それじゃ、あんたが負けたら二度と須賀には近づかんってのはどうや」

「え、え?」

「そんくらいは覚悟の上やろ? うちらも同じこと繰り返されたら面倒やし」

「……い、良いよ! どうせ勝つのは私だから!」

 

 と、答えつつも、淡は動揺を隠せなかった。黙りこくったままの、尭深と宥が怖い。ただでさえ強くなっていたプレッシャーが、尋常ではなくなっていた。

 

 この中で自分の絶対安全圏を突破しうるのは、オーラスの尭深だけ。淡はそう認識していたし、概ねは間違っていない。

 

 だが、

 

「チー!」

「うっ」

「ポン!」

 

 ここで、潮目が変わる。恭子が速攻で攻め立ててくる。

 

「ツモ」

「むっ」

 

 出親を流され、淡は嫌な予感がした。

 ダブルリーチを仕掛けるべきか悩んでいる内に、

 

「ロン」

 

 宥から狙い撃ちを喰らう。さながら菫を相手しているときのようだった。こんな打ち手だったとは、淡は全く覚えがなかった。

 

「ツモです」

 

 さらには尭深が親で連荘。スロット数が確実に増えていく。

 決して、三人は協力していない。そのような素振りや動きは全く見られない。あくまで全員がトップを獲らんと戦っている。それでいてなお、淡を出し抜いてくる。前回の半荘とはまるで違う。

 

 攻め時を見失った淡は、しかし、落ち着きをすぐに取り戻す。

 

 ――おっもしろい……!

 

 手慰み程度にしか考えていなかった対局に、望外の喜びがあった。賭けたものは大きく、だからこその重圧が淡のやる気をみなぎらせる。

 

「リーチ!」

 

 淡は嗜虐的な笑みを浮かべ、第一打を卓に滑らせる。正真正銘の、本気であった。卓内に緊張が走るが、誰一人として臆する様子はない。プロの試合でも滅多に味わえない感覚に、淡は卓の下で握り拳を作った。

 

「カン!」

 

 そして、

 

「ツモォ!」

 

 裏ドラを乗せ一発で逆転、トップに立つ。

 これで安心できる面子ではないというのが、また淡を楽しませる。彼女たちはダブルリーチすらも打ち破り、淡を攻め立ててくる。

 

 対局は熾烈を極め、一進一退の攻防が繰り広げられる。

 尭深だけがやや沈み気味で、迎えたのは南三局。本来であれば尭深への警戒はまだ先であるのだが、

 

 ――なんだか嫌な感じ……!

 

 絶対安全圏を突破されている予感。しかも、相当に高い手で。気のせいだと切って捨てるには余りに怪しい。

 

 いよいよもって、勝負の行方が分からなくなってきた。決して負けられないこの戦い、淡は全力で制そうと第一打を指にかけ、そして、

 

「すみません、遅れまし――」

「キョータロー!」

「うおおおっ、な、なんで淡がここにいるんだよ!」

 

 部室に入ってきた京太郎に飛びついた。狼狽える彼に構わず、ぎゅっと彼の腕を引き寄せる。

 

「もー、遅いよー。すっごく待ったんだからねっ」

「待っててくれなんて俺は言ってないっ!」

「細かいことは気にしない!」

「細かくない!」

 

 離れようとする京太郎に淡は追い縋る。

 呆気にとられていた尭深たちが、ワンテンポ遅れて席を立った。

 

「あ、淡ちゃん」

「まだ対局中だよ……?」

「キョータローが来たからノーゲーム!」

「自由すぎるやろ!」

 

 渾身の恭子の突っ込みもどこ吹く風で、淡は京太郎の傍を離れようとしない。彼が無理矢理押し返そうとしても、すぐにひっついてしまう。

 

「頼むからここでこういう真似は止めてくれ……!」

「違う場所なら良いの?」

「それも駄目!」

 

 結局、恭子に首根っこを掴まれて淡は引き剥がされた。その頃には既に勝負という空気も霧散して、再開できる状態ではなかった。

 

「全く、ほんま自分勝手やな」

「でも、あのまま続けてたらやっぱり私が勝ってたと思うよ?」

「む」

 

 淡の指摘に、恭子は声を詰まらせる。隔たる実力差は、部室にいた全員がしっかり感じ取っていただろう。

 

「ま、思ったよりも楽しかったけどね」

 

 部員を見渡して、淡は一つだけ本音を残しておく。それを聞いた尭深たちは、うっすらと微笑んだ。

 ただ一人、恭子だけの突っ込みだけは免れず。

 

「何言ってんの、まだ打って貰うで――ほら須賀、次入り」

「あ、分かりました。ほら淡、麻雀ならいくらでも付き合ってやるから」

 

 京太郎が卓につく。

 

「しょーがないなー!」

 

 目を輝かせながら、淡はすぐさま彼の後を追った。

 

 

 

 その日はぎりぎりまで麻雀を打ち続け、淡は二日続けて恭子の家に厄介になることになった。淡としては京太郎の家に泊まりたかったのだが、それは全力で阻まれてしまった。ただ、みんなで食べる晩ご飯は高校時代に戻ったみたいで、とても楽しかった。

 

「明日は試合なんやろ?」

「うん、早起きしなくちゃ」

「じゃ、そろそろ寝よか」

 

 常夜灯だけを残して、電気が切られる。譲って貰ったベッドに潜り込むと、真っ暗闇だった。枕が変わると寝付きが悪い、なんてことはないが、今日はすぐに眠れなかった。京太郎とあれこれ話して気分が高揚していたのもある。しかしそれだけではなくて、とても楽しい麻雀だったのが大きい。

 

「――大星、まだ起きとるか」

「ん? 起きてるけど……」

 

 急に恭子から話しかけられ、淡は若干戸惑った。

 

「どうしたの、急に」

「いや……今朝は意地悪いこと言ったと思て。ごめん」

「――……」

 

 意外な謝罪に、淡は僅かな間黙り込んでから、

 

「キョーコの言うとおりだから、気にしてない」

 

 と、優しく答えた。それから、

 

「でも、代わりに一つ教えて」

「なに?」

「キョーコも、キョータローのこと好きなの?」

 

 すぐに返事はなかった。だが、淡は焦らなかった。浅い付き合いながら、なんとなく彼女のひととなりは理解できた。

 やがて恭子は、

 

「うん。好きや」

 

 淡の期待を裏切らず、はっきりと答えてくれた。

 

「そっか」

「そうや」

「うん。教えてくれて、ありがとう」

 

 胸の内に抱えていたわだかまりが解消されて、淡はすっきりした。ライバルだとか敵だとか、そんな小さな区分けを彼女はしない。していい相手では、ない。そう淡は、思っていた。

 

「ね」

「今度はなんや」

「また、打ちに行って良い?」

「いつも須賀がおるとは限らへんで」

「キョータローがいたらとっても嬉しいけど。――それでなくても、今日は楽しかったから」

「……来るときは、連絡入れること。ええな」

「うん。ありがと、キョーコ」

 

 夜が、更けてゆく。

 目下最強の恋敵を隣に、淡はぐっすり眠ることができた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 玄関の向こうから聞こえてくる物音に、園城寺怜は眉を潜めた。

朝からずっと、この調子だ。本来の引っ越しシーズンからはかけ離れている時期だけに、首を捻らざるを得ない。だが、聞こえてくる複数の足音や声から察するに、新たな住人のお出ましのようだ。しかも、同じフロアだ。

 

 野次馬根性は薄いが、ご近所さんならば挨拶の一つでもしておくのが筋かと思い、怜は立ち上がる。体が軽い。一度崩していた体調も京太郎のおかげですっかり元に戻り、明日からは大学にも復帰できそうだ。

 

 ともかくとして、怜は玄関をくぐる。

 そこに広がっていた光景は、やはり引っ越しそのもの。業者たちが大荷物を右から左へと運んでいた。

 

 届ける先は、怜の部屋の隣の隣。

 つまり、京太郎の部屋のお隣だ。やはりご近所さんである。あの部屋は確かに空室であったが、果たして誰が越してきたのか――と、怜が思案していたら、

 

「こんにちはっ」

「え、ええっ?」

 

 ひょっこり現れたのは、怜も知っている少女――

 大星淡であった。

 

「な、なんであんたがここに――って、まさかっ」

「そのまさか!」

 

 じゃーん、と淡が取り出したのはお蕎麦で。

 

「三○八に引っ越してきた大星淡です、よろしくお願いしまーす!」

 

 怜は、半ば押し付けられる形でそれを受け取るのだった。受け取るしか、できなかった。

 

 

 

                     Ep.7 超新星はコメットガール おわり

 




次回:Ep.8 第二次松実家シスターズウォー
    8-1 再び聞く名は、

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