愛縁航路   作:TTP

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9-4 明日望む者の告白

 東帝大学の大型ルーキー、園城寺怜。

 同じく東帝大学のルーキーにしてインハイ経験者、須賀京太郎。

 そして――謎の和装の麻雀仮面。その正体を窺い知ることはできないが、通常から逸脱した実力者なのは間違いない。

 

 いずれにせよ、全員が不足なき相手。油断ならぬ打ち手ばかり。

 

 彼女たちを前にしても、西阪大学のエースとして清水谷竜華は一歩たりとも譲る気はなかった。牌をツモる指先に、自然と力が入る。

 

「ツモ」

 

 だが、心構えだけでは勝利に直結しない。対面に座る怜が、早速リーチ一発ツモを決めて見せた。ちらりと彼女の顔を盗み見るが、特段表情に動きはない。いつもの怜だ。

 

 高校時代、名門千里山のエースとして選ばれたのは竜華ではなく怜だった。ポジションへの適正、戦略戦術、その他の要素を考慮した結果であり、単純に竜華が怜に劣っているというわけではない。そのことは竜華自身よく理解していたが、同時に、やはりエースは怜と確信もしていた。――彼女には、自分にない力と苦境でも折れない心があるのだ。

 

 けれども、兜を脱いだわけでもない。ただでさえ怜には二年というブランクがある。その間に全く打っていなかったわけではない、この春から実戦も積んできただろう――だがそれらは、竜華の濃密な二年間とは比べようもない。

 

 すぅ、と竜華は一つ息を吸い込んだ。

 

 視界が、変貌する。卓に座る三人の動作の癖が、呼吸の乱れが、瞳孔の開閉が、体温の昇降が、手に取るように理解できる。後輩に言わせれば、「最高の状態」。この状態なら、一巡先を視る怜にだって後れを取るつもりはない。

 

 自分から頼んで始めたこの戦い、モチベーションは充分に高い。先般のインカレよりも調子は良いくらいだ。

 その、はずなのに。

 

「ポン」

 

 仕掛けられる、速攻。

 

「もいっこ、ポン」

 

 決して油断していた訳ではない。むしろ、一番意識すべき相手。だと言うのに、竜華は対応できなかった。

 

「――ツモ。1000・2000」

 

 牌を倒したのは、この場唯一人の男子。

 上家に座る、須賀京太郎だった。

 

「はっや……」

 

 思わず竜華は、感嘆の息を漏らしてしまう。そう簡単に追いつける速度ではなかった。かつて戦ったときと比べると、一枚も二枚も上手だ。――思い返すのは、高校時代何度か練習試合で卓を囲んだ末原恭子。今の速攻は、彼女の打ち筋に似通ったものがあった。それも不思議な話ではない。今の彼は、末原恭子その人の後輩なのだから。

 ここからどう攻めるべきか、竜華が建て直しを図ろうとしたとき。

 

「失礼」

 

 ごほん、と咳払いしたのは下家に座る謎の女性――麻雀仮面だった。正体不明の彼女は、胸元に手を置き、一つ大きく息を吸い込む素振りを見せた。何する気ぃや、と竜華が眉を潜めるよりも早く、

 

「んっ」

 

 と、麻雀仮面は声を詰まらせた。それから彼女は首を横に振り、

 

「……仮面が邪魔で、上手く歌えそうにないですね」

 

 残念そうに呟いた。思わず竜華は突っ込んでしまう。

 

「歌いづらかったら仮面脱げばええやん!」

「麻雀仮面はそう簡単に仮面脱いだらあかん。そんなんも知らへんの、竜華」

「なんで怜に怒られなあかんのっ?」

「常識やで、りゅーか」

 

 どことなくぴりぴりしている怜は、ぎろりと麻雀仮面を睨み付ける。こちらはこちらで因縁があるのだろうか――竜華は疑問に思う。もっとも、当の麻雀仮面はどこ吹く風だ。溜息を吐いて、改めて竜華は訊ねた。

 

「というか、そもそもなんで歌わなあかんの?」

「それはナイショですね」

 

 仮面の下で、麻雀仮面が微笑んだ――気がした。彼女から滲み出る雰囲気は、いつかどこかで味わったもの。

 

 ――なんて、とぼけてたらあかんな。

 

 この時点で、竜華は麻雀仮面の正体をおおよそ把握していた。「彼女」を知る者ならば、すぐにぴんと来る。もちろん全て演技でミスリードの可能性はあったが、深読みしても仕方ない。どうしてこんなところでこんな真似をしているのかはさっぱりだったが、気にしている余裕はなかった。竜華は巻き返しを図ろうとする。

 が、次に彼女を阻んだのはその麻雀仮面だった。

 

「ポン」

 

 鳴いたのは、自風牌。そして二巡後には、

 

「ツモです」

 

 あっさりと先手を取られてしまう。警戒は微塵も怠っていない。単純に、速度で上回られた。

 園城寺怜、須賀京太郎、麻雀仮面、三人のプレッシャーが竜華にのし掛かる。インカレの卓でも、これだけの実力者が揃うのは稀であろう。

 

 ――このままやと、あかん。

 

 まだ序盤とは言え、竜華だけが出遅れた形となった。相手が半端な相手ならば、ここからでも逆転のチャンスはいくらでもあろう。しかし彼女たちはいずれも、それを許してくれない打ち手ばかりだ。

 

 この悪い流れを断ち切るため、竜華も最速の和了を目指したい。枕神がそばにいた過去ならば、それも可能だったろう。しかし今、太股にその力は蓄えられていないし、怜自身が対戦相手だ。望むべくもない。

 

「ツモ」

 

 などと考えている内に、再び和了したのは京太郎。これで彼がトップに躍り出る。じわり、と竜華の額に汗が滲み出る。

 

 ――何をやっとるんや、うちは……!

 

 叶わぬ力に夢を見て、今を疎かにする――いや、それも正確ではなかった。

 自分はいつも、過去ばかりを思い返している。後ろを振り返ってばかりいる。それでは、前を向いている者たちに敵うはずがなかった。今もこうして京太郎に対局を申し込んだのは、過去への拘りから。前に進もうとする者との差は、開く一方だ。

 

「竜華」

 

 怜に名前を呼ばれ、はっと竜華は俯かせていた顔を上げる。そこにあったのは、親友の鋭い眼差しだった。彼女はそれ以上何も言わず、じっと竜華と視線を合わせ続けた。

 余計な言葉は要らなかった。それだけで、冷めかけていた熱が点る。拳を握りしめる力が、強くなる。

 

 彼女とはもう、同じ制服に袖を通さない。同じ通学路を歩かない。同じ釜の飯は食べない。

 

 ――ああ、そやけど。

 

 けれども、目指すものは同じだ。それは、変わっていない。変わったのは、歩いて行く道。ずっと昔に、永遠に別たれてしまった。竜華はそれを、苦々しく思ってきた。長々と、そう思ってきたのだ。

 

 ――でも、もう終わりや。

 

 ここで京太郎に勝つために。怜に勝つために。

 

 全力で、今の道を肯定する。怜とは違う道で、怜よりも強くなるために。自分のやり方を、貫き通す。

 

 自分は未来を見ない。未来など見えない。だから――徹底的に、思い出す。この「最高の状態」で見た彼女たちの情報を、全て事細かに振り返る。そうすることで、見えてくるものがある。個々人の、本人さえ気付いていない癖。特定の条件で見られる反応。彼女たちよりも、彼女たちのことを知り尽くす。

 

「リーチ」

 

 リー棒を卓に突き立てるのは怜。その牌をすかさず、

 

「ポン!」

 

 竜華は食い取った。一発ツモを阻止する。自分の目論見を崩されたはずの怜は、しかしにやりと笑った。

 

「リーチ」

「こっちもリーチ」

 

 ここで、麻雀仮面と京太郎が同時に仕掛けてくる。良い手が入っているのか、一歩も引かない姿勢だ。まだテンパイにも至っていない竜華だったが、彼女に焦りはなかった。

 

 ことごとく、竜華は直撃をかわした。当たり牌を掴まされても、回し、それでいて前に進んだ。冴え渡る感性は、圧倒的だった。

 

「――ツモ!」

 

 そして最後には、掴んだ牌を卓に叩き付けていた。会心の一打だった。

 

「まだまだここからやっ」

 

 楽しげに、竜華は宣言した。

 

 

 ◇

 

 

「ツモです」

 

 麻雀仮面が最後に和了り、対局は終了した。

 中盤まで拮抗していた勝負も、終わってみれば、その麻雀仮面が頭一つ分抜けて一位を取っていた。まざまざと地力の差を見せつけられた結果となり、特に怜は不服の様子だった。

 

「残念ながら仮面は脱げませんね」

「ふん」

 

 ばちばちと、麻雀仮面と怜の間で火花が散る。京太郎が二人の間に割って入ろうとし、直前、

 

「貴方、お名前は?」

「え?」

「お名前を、教えて下さい」

 

 麻雀仮面が、京太郎に問いかけてきた。

 

「京太郎です。須賀、京太郎」

「大学生?」

「は、はい、そうですけど」

「何年生?」

「一年です」

「なるほど、なるほど」

 

 何を納得したのだろうか、何度も頷く麻雀仮面に食って掛かるのは、当然怜だ。京太郎を庇うように立ち塞がり、ぴんと麻雀仮面を指差した。

 

「きょーちゃんに何の用や」

「教えて欲しければ、私に勝ってみて下さい」

 

 できるとは、思えませんが――言外に、麻雀仮面がそう言っているのを竜華も感じ取った。怜も同じであっただろう。ぴりり、と雀荘の空気が緊張で強張る。遠目で見守っていた店員たちさえも、唾液を飲み込んだ。

 ふっと、空気を緩めたのは怜だった。

 

「……今日は負けとるから、何も言い返せんな」

 

 それを受けて、麻雀仮面も緊張を解く。

 

「失礼しました。まぁ、こちらにも色々と事情がありまして。こうして雀荘を回っているのも、目を瞑って頂けると助かります」

「負けた以上、そう言われれば従うしかありませんけどね」

 

 京太郎は呆れ半分、悔しさ半分と言った様子で、麻雀仮面に向き合い、訊ねた。

 

「一応訊かせて下さい。あなたたちの狙いは、なんなんですか?」

「その内、必ずお話しします。約束しましょう」

 

 ひょいと、麻雀仮面は小指だけ立てた右拳を京太郎の前に差し出した。京太郎は戸惑うが、麻雀仮面は押し付けるように小指を彼に向ける。

 

「あの、なんですかこれ」

「指切りげんまんです。知らないんですか? 日本古来の文化でしょう?」

「はぁ……知ってますけど……」

 

 曖昧に頷きながら、京太郎は彼女の小指に自分の小指を絡ませた。定型の歌を楽しげに、実に楽しげに歌い上げてから、麻雀仮面は「国境を越えました……!」と満足気に頷いている。竜華には分からない世界だった。隣でむっとしている怜の腕を押さえるので、精一杯でもあった。

 

「それでは、また」

 

 別れるときは、あっさりと。

 麻雀仮面は、特に何の未練もなく、雀荘を去って行った。敗者である自分たちにそれを止める権利はなかった。

 

 一番悔しがっていたのは怜であったが、彼女も大きな溜息を吐くに留まった。彼女はそれから竜華に向き直り、

 

「で、結果はどうやったん?」

 

 と、訊ねてきた。一度竜華は目を瞬かせたが、すぐに相好を崩した。

 

「ま、今日は須賀くんに勝てたから良しとするわ」

「今日はって。今日も、ですよ。これで三連敗です」

 

 京太郎は不満そうに頬を引き攣らせる。

 

「初めて戦った日は完膚なきまでにボコボコにされましたし。特訓してリベンジを挑んでも、敵わなかったんですから」

「それは違うで、須賀くん」

「え?」

 

 全く、何て勘違いをしてくれているのか。竜華は少し不満だった。

 確かに彼の言うとおり、初めて打った日は間違いなく竜華の勝利だった。けれども、彼は諦めなかった。雨の中、全てをなげうって、再戦を求めてきた。

 

『俺は、貴女に勝ちたい』

 

 そう、言って。思わず怖れを覚えるほどの胆力で、迫ってきたのだ。

 そして竜華は――

 

「あの日勝ったんは、間違いなく須賀くんなんやから」

 

 勝負の途中で、逃げ出した。

 点差で言えばリードしていた。対局前には、はっきりとした実力差もあった。けれども彼は、追い縋ってきた。足りないものを継ぎ足しながら、驚異的な集中力を発揮して、竜華を乗り越えようとしたのだ。

 

「そ、そんなことないですよ。俺は負けてました。けれど、清水谷さんが特別に認めててくれたから、怜さんにも会わせてくれたんでしょう?」

「違う違う。ああ、うん、須賀くんの頑張りを認めたんはほんまやよ。須賀くんはやっぱりええ人やって、あほな思い込みしてたなーって、気付かされた。でもな」

 

 竜華は京太郎の顔をしっかりと見据えてから、言った。

 

「君に負けたって、認めたくなかったんや。安いプライドやな。途中で勝負なしにして、有耶無耶にしたんや。須賀くんにとっては、大切な勝負やったのに。ごめんな」

 

 ぺこりと竜華が頭を下げると、京太郎は慌てた様子で首を振る。

 

「清水谷さんが謝るような話じゃないですよ。やっぱり俺じゃまだまだ清水谷さんには敵わないって、今日証明されましたし。ま、次は負けませんから」

「うちやって」

 

 ふふ、と竜華と京太郎は微笑み合う。胸に支えていたものがとれて、竜華は実に晴れやかな気分だった。今なら迷いなく、インカレでだって戦えるだろう。

 穏やかな雰囲気が二人に流れる一方で、むすっとした態度を取るのは怜だった。

 

「何か盛り上がっとるけど、今日ラス引いた私はどうなるん?」

「と、怜でもそんな日あるやろっ」

「大体なに? 私に会うんに許可? 何の話それ? 私初めて聞いたんやけど?」

「そ、それはな怜……」

「じっくり説明して貰わなあかんな。――なぁ、きょーちゃんさんも」

「ひぃっ」

 

 それから場所を喫茶店に移し、静かに怒る怜をなだめるのに長い時間と多大な労力を払うことになった。終わった頃にはぐったりしていた。

 けれども竜華は、心地よい疲労感に包まれていた。明日に向かう、力を得た。

 

 

 ◇

 

 

 食事を終えて、竜華は怜の部屋を訪れていた。今は京太郎も自室に戻っており、二人きりの状況。当然のように、怜は竜華に膝枕を求めていた。

 

「あー、やっぱり膝枕は竜華に限るわ。ほんま落ち着く」

「全く、調子ええんやから。さっきまであんなに怒ってたのに」

「ちょっと竜華たちからかっただけやん。竜華も嬉しいやろ、膝枕できて」

「もう」

 

 否定できないのが辛いところだ。

 いつか、この時間も過去のものになる。もしかすると、今よりもずっと貴重な時間になるかも知れない。そうなったとしても、怜はきっと、迷わず自分の道を選んでいけるだろう。一方自分は、何度でも迷いそうだ。そのときもまた、歩みを止めていることだろう。

 けれども、自分なりの結論は出た。もう一度歩き出すために、自分にとって大切なものは何か、それを確認できた。

 彼女との距離は、依然離れたまま。けれども、これで良い。違う場所から、違うやり方で、同じ場所を目指すのだ。

 

「せやから、今はこうして……な」

「何か言うた?」

「何でもない」

 

 鼻歌交じりに、膝の上の怜を撫でる。くすぐったそうに、怜は頬を緩めた。

 もうしばらくは、ゆっくりとしていられる。

 そう思っていたところに――怜は、のっぺりとした声をかけてきた。

 

「竜華、りゅーか」

「ん? なあに?」

「きょーちゃんとの麻雀の勝敗云々で悩んでたって言ってたけど――それだけやと、違うよな」

「へ?」

 

 怜の言わんとすることが、さっぱり読めなかった。ただただ、予感が竜華の胸を震わせた。

 そしてその予感の通り、怜は、

 

「竜華」

「と、怜……?」

「きょーちゃんのこと、好きなんやろ?」

 

 爆弾を、投げつけてきた。

 怜が寝返りを打つ。見下ろす竜華と見上げる怜。二人の視線が、ぶつかった。

 

「でも、そうじゃないことにしてた。私に気、使って」

「そ、そんなんと――」

「私に嘘つく必要、ないやん。本当の、根っこのところで引っかかっていたん、それなんやろ」

 

 ぴたり、と竜華は動きを止める。

 勘違いしている、だとか。

 間違っている、だとか。

 そんな言い訳が浮かんでは消え、浮かんでは消え、最後に残ったのは、

 

「……うん」

 

 ただ、純粋な肯定だった。申し訳ないとずっと思ってきたし、今も強く思っている。親友の大好きな人。その人に、恋をしてしまったなんて有り得ない。だから、強く否定した。外にも、内なる自分にも。

 しかし今、当の親友によって全ての偽りは打ち砕かれた。抑え付け、無視してきた分湧き上がるのは、身を焦がす情熱的な想い。

 

「う、うち……」

「ええんや、竜華」

「えっ」

「好きになるな、なんて私は言えんから。そんなん我が儘すぎるし、いくら治した言うても、他の人より私体弱いやん。きょーちゃんのそばで、きょーちゃんに迷惑かけへんで済むのは、私やなくてどう考えても竜華や。間違いない」

 

 自らを卑下する言葉には、しかしどこにもへりくだる気持ちなどなかった。むしろ怜は、決して折れない強い意志を持って、その言葉を口にした。

 

「でも、負けへんから」

「――と、き」

「絶対に負けへん。せやから……竜華も、遠慮なんていらへん。麻雀も、きょーちゃんも。本気で、戦おう」

 

 お人好しにも、ほどがある。普段は竜華の発言に厳しい突っ込みを入れて、どこか冷めたふりをしておきながら。その心の内は、どこまでも熱いのだ。

 

「うん」

 

 竜華は、頷いた。頷いていた。それで、怜も満足そうに頷き返した。

 高校を卒業してから、本当の意味で理解し合えた瞬間だったのかも知れない。珍しく怜が恥ずかしそうにもじもじさせて、

 

「それじゃ、今日はこの辺で――」

「うち、行ってくるな!」

 

 この場を切り上げようとしたその言葉を、竜華は勢いよく遮った。

 

「へっ? へっ?」

 

 膝から怜の頭をどかすと、竜華はすっくと立ち上がった。全身に活力がみなぎっていた。「へっ? へっ?」と、なおも竜華の変化についていけない怜が戸惑っていた。彼女を尻目に、竜華は部屋を出て、向かうのは隣室。

 京太郎の、部屋だった。

 

「須賀くん須賀くん!」

 

 名前を呼びながらの呼び鈴を連打。はいはい、と扉の向こうで彼が呼びかけに応じる気配が伝わってきた。さっと扉から身を引いて、竜華は髪型を軽く整える。丁度そのタイミングで、未だ戸惑いを隠せない怜が部屋から出てきた。

 

「どうかしましたか? 清水谷さん」

 

 しかし怜の制止は間に合わず、扉から出てきた京太郎が問いかけてくる。もう、竜華に迷いはなかった。

 

「どうしても君に、言っておきたいことがあるんや」

「俺に、ですか?」

「そう、君に」

 

 熱っぽい竜華の視線に、しかし京太郎は動じなかった。先ほども、同じようなやり取りを繰り返した。また麻雀勝負を挑まれるのかな、なんて軽い気持ちを彼は抱いていた。

「なんですか?」

「うちは、うちは――」

「はいはい」

 

 それ故の、油断。京太郎は、なんの警戒もしていなかった。だから、竜華の行為を容易く許してしまった。

 竜華が飛びかかり、その唇を自身の唇に押し付ける。しばらく京太郎は状況を理解できなかった。ぷは、と竜華が唇を離してからようやく、思い切り顔を赤らめた。

 

「な――なななな、ななななにをっ!」

「うちは、須賀くんが好きや!」

 

 完全無欠、とびっきりの笑顔と共に竜華は告白する。そこに、勘違いを挟み込む余地などなく。

 背後で、親友の叫び声が聞こえた。

 

 

 

                   Ep.9 明日望む者とのディスタンス おわり




次回:Ep.10 すばら探偵花田女史のシークレットファイル
    10-1 失踪

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