愛縁航路   作:TTP

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10-2 追走

 まず煌は、さりげなく麻雀部員の面子――連絡のつかなかった恭子を除く――に京太郎の行何やら方を探った。結果として、昨日から彼と顔を合わしている部員はいなかった。最後に彼と会ったのは怜であったが、何やらまたトラブルがあったらしく、距離をとっているようだった。このインカレ期間中、上京してきた親しい人間と旧交を温めているのもあいまって、彼が姿を消してもすぐに気付いた者はいなかったのだ。

 

 もっとも、まだ失踪したと確定したわけではない。何かしら急な用件で実家に帰らねばならなくなったとか、動転して連絡を入れ忘れたとか、いくらでも理由は想像できる。確信が持てない現状、警察への連絡も控えていたし、部員に余計な心労をかけさせたくなかった。

 

 もちろん、後輩である和の心配は取り除きたい。また、万が一という可能性もある。

 ただ一つ残された手掛かりは、彼が口走ったという「麻雀仮面」。

そして今、華やかなインカレの裏側で囁かれている名も麻雀仮面。

 

 ――須賀京太郎は、麻雀仮面絡みの事件に巻き込まれた。

 

 その結論に辿り着いたのは、すぐだった。

 

「恣意的な見方になっていないでしょうか」

 

 ぽつりと呟きながらも、煌の直感はこの説を支持していた。もちろん、裏付けは必要だが。

 他に誰もいない静かな部室で、煌は次なる策を考えていた。慣れ親しんだ部屋の空気は、思索に耽るのにぴったりだ。夏の朝、気温は充分に上昇しているが、扇風機一つあれば事足りる。クーラーの効いた部屋で作業するよりも危機感が煽られ、煌としては集中しやすい環境だった。

 

「まずは目撃情報の収集ですかねぇ。雀荘中心でしょうか」

 

 ぼやきながらパソコンのキーボードを叩く。圧倒的に情報が足りていなかった。

 加えて言えば、手も足りていない。普段であれば恭子という頼もしい味方がいるが、それも望めない。彼女は、麻雀仮面は放置するという姿勢を見せている――その真意までは分からないが、関わること自体に難色を示すかも知れない。確実に京太郎が失踪し、そしてそれに麻雀仮面が関係していると分かった時点で改めて連絡をとるべきではないか、と煌は考えていた。

 

 となると他の部員を頼りたいところだが、事件の性質上荒事になる可能性もある。もちろんそれは最大限回避するつもりだが、

 

「できることなら運動神経抜群で、機敏な人が良いですね。いざというとき逃げ出せるように」

 

 というのが、煌の本音である。その点、残念ながら東帝大学麻雀部はインドア系部活らしく、激しい運動には向いていない面々であった。内一人は元病弱。

 

「誰か頼れる人はいないでしょうか」

 

 スマートフォンの画面をタッチするが、夏期休暇の時期だ。大学関連の友人は大抵何かしら用事を抱えている。いざこざに部外者を巻き込むのは気が引ける、というのを差っ引いても、実際問題呼び出せる人員は限られていた。

 

「うーん、仕方ないですね」

 

 最悪一人で何とかするしかない、と唸っていた矢先のことだった。

 

 部室の扉をノックする音が、聞こえた。

 

 はて、と煌は首を捻る。部員ならノブに鍵を突っ込むか、さっさと扉を開いて入ってくるのが常だ。二部リーグに上がって認知度が上がり、周囲の見方も変わってきたのも事実。もしかすると時期外れの入部希望だろうか、なんて期待が煌の中で沸き起こった。

 

「はいはいはいはいっ」

 

 緊急時ではあるが、放置するわけにもいくまい。慌てて煌は扉へ駆け寄った。一瞬だけ息を吸い込み、ゆっくりと扉を開く。

 

「どちら様でしょうか」

「あっ」

 

 部室の前に立っていたのは少女だった。煌は目を瞬かせる。

 部内でも一番小柄な恭子よりも、さらに小さい。140cmにも満たないのではないだろうか。視界を下げなければならなかった。整った栗色のロングヘアが、腰にまで落ちている。蝶を模した髪留めは過度に派手なデザインではないが、センスが感じられる。着ているのは白と青のワンピースで、良いところのお嬢様と言った雰囲気だ。化粧はそれほど濃くないが、おかげで体格ほど子供らしさは感じられない。失礼ながら、ちょろい男が好きそうだな、という感想を煌は抱いた。

 

 ともあれ、見知らぬ相手、やはり入部希望者か、と煌は一瞬色めき立った。だが同時に、どこかで会ったような、既視感を覚えていた。

 

 そしてどうやら、既視感のほうが正しかったらしい。

 少女は煌と目が合った瞬間、ぱあっと表情を輝かせた。

 

「良かった、お久しぶりです、花田さんっ!」

「え、ええ?」

 

 名前をぴたりと言い当てられ、既知の仲だと知らされる。しかしここに来ても、煌は目の前の彼女が誰だか思い出せなかった。

 

「あ、もしかして私が分かりません?」

「う、そ、その、申し訳ありません」

「いえいえ、大丈夫です」

 

 失礼と理解しながら、煌は頭を下げた。一方少女は快活に笑った。清楚な格好からするとややイメージから外れる。

 

「えっと、こうすれば分かりますかね」

 

 少女は栗色の髪を後頭部で両手を使い束ね、一本のポニーテールを作った。――そこで、ようやく煌はぴんと来た。

 

「も、もしかして高鴨さんっ?」

「当たりです」

 

 へへ、と少し恥ずかしげにはにかむ彼女は、世間を賑わすスーパールーキーの一人。阿知賀、吉野山が生んだ怪物。

 

 深山幽谷の化身、高鴨穏乃であった。

 

 髪を下ろして、トレードマークと言えるジャージから着替えるとまるで雰囲気が違った。もっとも中身までは変わっていないようだが、煌はすっかり騙されていた。もっとも、それも無理もない。彼女との縁と言えば、ほとんどがインハイでの試合に集約される。煌たち新道寺が本州から離れている関係もあり、練習試合の機会も限られていた。後は、元々共通の知人が一人いた程度だ。

 

「とりあえず、立ち話もなんですしどうぞ中へ」

「お邪魔します」

 

 礼儀正しくぺこりと頭を下げる姿は、間違いなく記憶にある穏乃そのものだった。

 粗末なパイプ椅子に今をときめくルーキーを座らせるのは心苦しかったが、致し方あるまい。せめての気持ちということで、尭深が寄贈してくれた高級な茶葉を使わせてもらうことにする。

 

「なんだかイメージと違う服装で驚きましたよ」

「あ、こ、これは憧や姫子さんが色々教えてくれて、やりすぎかな、とは思ったんですが」

 

なるほど指導者がいたのか、と煌は納得する。よくよく見れば、姫子のセンスが随所に見られた。お洒落な彼女たちによる、穏乃用のおめかしなのだろう。

それはともかくとして、お茶を出しながら煌は訊ねた。

 

「今日はどうしてこちらへ?」

「あ、ありがとうございます。――元々東京に来る予定だったんです。インカレで、阿知賀のみんなが集まっているのでそのついでに。プロの先輩たちはこの時期解説の仕事を振られますけど、一年目の私はお休み貰えて比較的暇なんです」

「なるほど。となると、今日は宥先輩目当てですか」

「あっ、いえ、宥さんとは別に会う約束をしてて……」

 

 そこで穏乃は少し恥ずかしそうに、顔を俯かせた。――煌は思った。この手の表情、見たことがある。そして、

 

 ――ご執心みたかなんよ。

 

 思い出されるのは、先日の姫子の言葉。

 

「……もしかして、須賀くんに会いに来たんですか?」

 

 がたり、と穏乃の座るパイプ椅子が音を立てて揺れる。伏せ気味の穏乃の頬は、今度ははっきりと朱に染まっていた。どうやら図星だったようだ。

 普段であれば別の感想を抱いていたところだが、しかし今はかなり特殊な状況である。煌はひとまず探りを入れることにした。

 

「アポは取ってたんですか?」

「あいえ! あ、会えたら良いな、と思ってただけで! 特別連絡は取ってません! ここに来たのはたまたま、と言いますか! 時間があったから、寄ってみたんです! そう言えば東帝大学に進学したんだな、と思い出して! 偶然! そう、偶然機会が重なったんです! 家は分からなかったから! というか訊けなかったから! ごめんなさい今のナシで! と、とにかくもしかしたら部室にいるかもって思ったんです!」

 

 しどろもどろになりながらの言い訳に、煌は苦笑いを浮かべた。たまたま、偶然などと言っているが、着飾っている時点でそんな言葉は通用しない。

 窺うように穏乃は部室を見回してから、恐る恐ると言った様子で訊ねてきた。

 

「あ、あの、今日彼はいないんですかね……?」

「その前にもう一つ質問良いですか?」

「は、はい」

「『麻雀仮面』という単語に、聞き覚えは?」

「なんですかそれ。かっこいい」

 

 調子外れの回答だったが、彼女は何も知らない様子だった。少なくとも、巷を賑わせる麻雀仮面とは無関係のようだ。

 煌は、しばし迷いを見せた。彼女を引き込むのは、簡単であろう。ここで全てを秘匿しておくのも不誠実にも思えた。しかし、世間体もあるプロを巻き込んで良いのかという懸念があった。大事になったとき、自分が責任を取れるのかは不透明である。

 

「須賀くんのことですが――」

「は、はいっ!」

 

 結局の決め手は、彼の名前を出したときの穏乃の嬉しそうな顔だった。黙ってはいられない、煌はそう判断した。このお洒落も、精一杯のアピールなのだろう。

 

 全て説明し終えた後でも、意外にも――こう言っては失礼だろうか――穏乃は冷静だった。焦って飛び出してしまうかとも危惧したが、彼女はここぞという場面で高い集中力を発揮することを煌は思い出していた。

 

「なるほど……須賀くんが、そんなことになっていたなんて」

「まだ失踪したと決まったわけではありませんが」

「けれども、『麻雀仮面』さんが関わっている可能性がある、ですよね」

「おそらくは」

 

 煌が頷くと、穏乃は椅子を蹴って立ち上がった。

 

「協力させて下さい! 私も京太郎を探します!」

「良いんですか? 阿知賀の集まりは大丈夫なんですか?」

「あ、会いに来たんですから勿論です! 憧たちには連絡しておきます! どうせ約束は明日からでしたし!」

 

 つまり今日は須賀くんに会うためだけに時間を作ってきたんだな、という言葉を煌は飲み込んだ。多分言ったら余計な混乱を招く。

 

 手早くお茶碗を片付けて、煌は鞄を背負う。

 

「では、行きましょうか」

「え、当てはあるんですか?」

「喋ってる間に情報は大方集まってきたようです。後は足を使いましょう」

「花田さんって何者なんですか?」

「ただのしがない大学生です」

 

 穏乃の疑問は適当にあしらっておく。この手の質問は慣れていた。

 部室を後にして、駅に向かおうとする。しかし穏乃がその足を止めた。

「私、車で来てるんです。乗ってって下さい」

「良いんですか? というか、車買ってたんですね」

「どうせその内買うからなんだの先輩たちに勧められて。これが結構楽しくて、スピード出したときの爽快感が山を駆け下りてるときに似てるんです」

 

 こそばゆそうに微笑む穏乃が「あれです」と指差したのは、真っ赤なスポーツカーだった。その道に詳しくない煌でも、立派な車だということはすぐに分かった。なるほど、人の趣味とは分からない。

 

「東京は道が狭くて、しかも複雑で中々飛ばせませないのが難点ですね」

「安全運転でお願いしますよ……?」

「任せて下さい!」

 

 こんな状況でもなければそのドライビングテクニックを披露してもらいたいところだが、今回は安全運転に努めてもらう。

 煌がナビゲートし、向かったのは大学から三つ駅が隣の雀荘だった。

 

「集まった情報を時系列に並べると、ここで最後に須賀くんが目撃された線が濃厚です」

「だから花田さんって何者なんですか?」

「だからただのしがない大学生ですよ」

 

 雀荘は夏休みの大学生を中心に、そこそこ賑わっていた。

 煌は顔見知りの店員に声をかけ、聞き込みをする。卓を前に雀士としての本能が疼くのか、穏乃が心を昂ぶらせているのが見て取れたが、大義の前に我慢しているようだった。

 

「須賀くん? 聞いてる聞いてる。直接見てないけど、アレでしょ。今噂の、麻雀仮面絡みの話。居合わせた奴から聞いてるよ」

 

 幸いにも、一発目からビンゴだった。

 そして聞き出した状況は、想像していたよりも複雑だった。

 車の中に戻り、助手席で煌は書き取ったメモを捲る。

 

「聞いた話をまとめましょう」

「はい」

「昨日の朝、須賀くんは一人でやってきて、適当な面子を集めて打とうとしていた。まあ、この辺は彼にとってはライフワークみたいなものですね。問題は――」

「問題は、そこに麻雀仮面が現れた」

 

 穏乃が言葉を引き継ぎ、煌が頷く。

 

「おそらく須賀くんは打ちたかったのでしょうが、麻雀仮面は他の客を相手に打ち始めた。須賀くんは別の面子と打って、麻雀仮面の手が空くのを待っていた。一方で麻雀仮面は挑戦者たちを次々と撃破していった。無類の強さ……というのは、噂通りのようですね」

 

 そしてここから話はさらに拗れていく。煌はメモを見つめながら、眉間に皺を寄せた。

 

「ここ最近で急速に名前を売った麻雀仮面は、目をつけられていたんでしょう。あるいは既に一度負けた雀士がいたのかも知れませんね。ともかく、柄の悪い相手が居合わせていた。彼らは負けたにもかかわらず、麻雀仮面の仮面を強引に剥ごうとした」

 

 情報によれば、今回出現した麻雀仮面も女性らしい。引っかき回す麻雀仮面も麻雀仮面だが、大の男が女性相手に情けない真似をする、と煌は憤慨を覚えた。

 そしてどうやら、京太郎も同じ気持ちだったらしい。

 

「須賀くんは、麻雀仮面の手を取って雀荘から逃げ出した――」

「他の雀士が追いかけ回して、けれども掴まらず、それ以降行方知らず」

 

 煌は盛大な溜息を吐いた。

 今回の京太郎の失踪に、麻雀仮面が絡んでいるのは確定である。どうして帰ってこないのか疑問は残るが、いずれにせよ現在も麻雀仮面と行動を共にしている公算が非常に高い。

 

「やはり麻雀仮面を追うのが一番ですかね。情報はなく効率は悪いですが、しらみつぶしに雀荘を回っていけば会える可能性はあるでしょう」

「それなんですけど」

 

 運転席で、穏乃が小さく挙手した。

 

「私に考えがあるんです!」

 

 自信満々に、彼女はそう言った。

 

 

 ◇

 

 

 適当に入った雀荘の隅で、煌はただただ感心していた。やはり期待されるスーパールーキー――度胸が違う、と。

 

「私こそが真・麻雀仮面!」

 

 挑んでくる雀士たちをなぎ倒し、人集りの中心で声を上げるのは小柄な少女。顔を覆うのは、狛犬を模した面。この場で煌だけが彼女の正体を知っている。

 

 高鴨穏乃、その人である。

 

 普段とは全く方向性の違う服装に、髪を下ろしてさらに仮面まで加われば、彼女だと気付く人間はいないだろう――よっぽど親しい間柄でもない限り。煌も分からなかった自信がある。仮面をつけてなくてもすぐには思い出せなかったのだから。

 

「他の麻雀仮面は全員偽者! 私だけが麻雀仮面!」

 

 彼女は敢えて、周囲に喧伝する。対局に勝利しては、繰り返し告げる。

 そう、これは挑発だ。東京に暗躍する麻雀仮面を誘い出す、罠なのだ。あからさまではあるが、麻雀仮面の目的が何であれ、自分の名前を騙る人間を放っておくのは得策ではないだろう――穏乃のこの提案に、煌は乗ったのだ。

 

 これで煌たちが回る雀荘は五軒目。既に最初の雀荘からは、新たに現れたこの麻雀仮面の情報が流されていることだろう。次に向かう雀荘を逐一予告しているのだ。痺れを切らした麻雀仮面なら、自分たちを追ってくる。そう踏んでいた。

 

 それにしても、と煌は穏乃の対局を観察して戦慄する。

 

 ――強い……!

 

 プロになって数ヶ月、穏乃は高校時代からさらに成長していた。大星淡もそうだった。プロの荒波とは、ここまで雀士を成長させるのか。

 

 じわり、と煌は暑さとは関係ない汗を浮かべた。

 今の東帝大学麻雀部で、地力が劣っているのを煌は自覚している。しかし、だからと言って開き直るつもりはなかった。足りないならば、努力してより高みを目指すだけ。そう信じて、努力しているし、これからも続けるつもりだ。絶望的な実力差など、何年も前に味わっていた。

 

 けれども、果たして本当に充分な努力をしていたと言えるのだろうか。より厳しい環境に身を置こうとしたのか。今の穏乃を見ていると、そんな疑問が鎌首をもたげてくる。

 

 思えば、数ヶ月前。あの、辻垣内智葉に勝負を挑まれたとき。

 確かに自分は勝負を受けた。あの瞬間、迷いはなかった。それは言い切れる。

 けれども、恭子に助けられ――ほっとしなかったか。部長の頼もしさに、安心していた。

 

 それではきっと、いけない。煌は思った。この先も、恭子におんぶにだっこでいてはいけない。いつか、彼女を支えねばならないときが来る――そんな気がしたのだ。

 

 そんな思索に煌が耽っているときだった。

 からん、と雀荘の扉が開く。

 同時に、穏乃がそちらに振り返った。

 

「っとと。ほんまにおるやん」

 

 現れたのは――シャツに短パン、スニーカーという極めてラフな格好の女性だった。ただ一点、特異な点があるとすれば――

 

 鬼面を被っている、ということ。

 

「お前が真・麻雀仮面とか言う奴か?」

 

 挑発染みた声色に、雀荘の空気が強張る。

 

 ――すばら! 大当たり、ですね……!

 

 誰にも見えない場所で、煌は握り拳を作る。

 本当の、麻雀仮面のお出ましだった。

 

 

 




次回:10-3 真相

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