愛縁航路   作:TTP

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1-4 あなたがいたから

 恭子の渾身の突っ込みにも、麻雀仮面は動じなかった。いや、狐面のせいで表情の変化はさっぱり分からない。だが、身動ぎ一つ見せなかったのは確かだ。

 

 身長は恭子より高め。ほっそりした体格も、肩まで落ちた綺麗な直髪も、間違いなく女性のものだ。異彩を放つのは、やはりそのメイド服。ただ着慣れていないというか、本物のメイド服とは違う――ミニスカだから当然だが――というか、どうもコスプレ感が漂う。ぱちもんくさい、と恭子は思った。

 

 静かな雀荘の店員は、老人が一人のみ。ささっと受付を済ませて、恭子たちは改めてミニスカメイドと向かい合った。

 

「あんたが、麻雀仮面か」

「はい、麻雀仮面です」

 

 恭子の問いかけに、仮面の女はこっくりと頷いた。酷い会話だった。フリルだらけの派手な格好の割に、麻雀仮面は落ち着いている。

 

「東帝大学麻雀部部長、末原恭子や」

 

 しっかりと狐の細目を睨め付け、恭子は名乗った。

 

「こっちの男子は同麻雀部員須賀京太郎。もう一人は見届け人で聖白女の弘世菫や。――今日はあんたの挑戦、受けに来たったで」

「どうも」

 

 麻雀仮面から返ってくるのは、短い返答。抑揚のない、まるで機械のような声だ。恭子は僅かに眉をひそめてから、言った。

 

「早速やけど、勝負と行こか。うちとあんたのサシウマでええか。25000点持ちの半荘二回でトータルスコアの上のほうが勝ち。後の面子はこの二人。心配せんでもコンビ打ちとかせえへんから」

「私は三対一でも構わない」

 

 変わらず平坦な声で、麻雀仮面は宣った。隣の菫がぴくりと肩を震わせる。だが、堪えたようだ。あくまで勝負を受けたのは東帝大学麻雀部であり、この場での立場を弁えているのだろう。真面目な菫らしい、と思いながら恭子は麻雀仮面へ言い返す。

 

「ぼっちをいじめる趣味はあらへん。連戦連勝で調子乗っ取るみたいやけど、そう簡単にいくと思われても困るな」

「そう」

 

 挑発しても、さらりと受け流される。中々間合いに入ってこない。

 

「あんたが負けたらその仮面外してもらうで。それからなんでこんな辻斬りみたいな真似してるんか洗いざらい吐いてもらうからな」

「分かった」

「うちらが負けたら――」

「ここの場所代だけもってもらう」

「……偉い軽い条件やけど。まぁ、挑戦受ける側やしな。それでかまへんわ」

 

 恭子は一度京太郎と菫に向き直り、

 

「よろしくな、二人とも」

「はい」

「頼むぞ、恭子」

 

 恭子は強く頷いて、卓につく。

 上家と下家にそれぞれ菫と京太郎、そして対面は麻雀仮面となる。改めて麻雀仮面と向かい合うと、そのふざけた仮面が実に鬱陶しい。

 

 日本の大学麻雀の公式ルールに則ると、対局中に表情を隠す道具――つまり仮面や色つき眼鏡の着用は認められていない。野試合の経験は恭子もそれなりにあるが、そのためここまであからさまな仮面を着けた相手と戦うのは初めてだ。

 

 ――相手をよく観察し、データを積み重ね、傾向を読み打ち崩す。

 

 一雀士としての恭子の戦術を大雑把に説明すると、そうなる。この戦術の上では、相手の表情が分からないというのは大きなディスアドバンテージとなってしまう。例えば視線の動きなどは、熟練の打ち手であっても癖が残っている場合がある。口よりも多くを語るのが、表情なのだ。

 

 加えて、今回は未知の相手とのたった半荘二回の勝負だ。情報を読み取って戦うには時間が少なすぎる。恭子のプレイスタイルは今回のルールでは明らかに不利だった。

 

 しかし、恭子に焦りはなく、淡々と配牌を確認する。

 

 情報がない、データがない、と泣き言を漏らす時期はとうに終わっている。なければないなりの戦い方をすれば良いのだ。そして戦いの中で必要なものを集めれば良い。

 

 何よりも。

 後輩が見ている前で、情けない打ち方はできない。

 

 常に負ける可能性を考慮して戦うのが持ち味だ、と高校時代の主将は褒めてくれた。しかし今は――

 

「リーチ」

 

 こんな訳の分からない相手に挫かれるつもりは毛頭ない。恭子はリー棒を卓に投げ込む。

 

「ツモや」

 

 そして三巡でツモ上がり。早速麻雀仮面の親を蹴っ飛ばした。調子の良さを感じる。

 さらに東二局、

 

「リーチや」

 

 恭子は麻雀仮面に先んずる。場の流れは、確実に彼女の元に来ていた。これが通常の四人打ちなら話はまた別だったろうが、少なくとも現状その流れが途切れる気配はない。

 

「ツモ! 3000・6000!」

 

 一気に麻雀仮面を突き放す。この序盤で勝負を決めてしまう勢いだった。

 親となり、サイコロを回しながら恭子は麻雀仮面を盗み見した。顔は見えないが、動揺している気配はない。どっしり構えた姿は、場慣れしている感があった。この程度の点差、ピンチでもなんでもないと言うように。

 

 だが、今回の配牌も早上がり、高得点を狙える手であった。これがリーグ戦でいつも来てくれたらな、などと考えながら打牌する。

 

「リーチ」

 

 恭子の内に灯る熱が、一気に冷える。

 

 今度は麻雀仮面のリーチ宣言だった。――この感覚。恭子の背筋に冷たいものが走る。全国区の魔物クラスと相対したときと、同じだ。

 

 ――ああ。

 

「ツモ」

 

 ――ここからってわけやな……!

 

 四巡目即ツモ、満貫親被り。

 

 牌を卓内に送り込みつつ、恭子は考える。突然出てきた超新星でもない限り、この麻雀仮面は確実にどこかの大会で名前を売っているはずだ。そしておそらくは同年代。大学リーグに入ってくる可能性も考慮し、三つ学年下までの名だたる打ち手の牌譜は常日頃からチェックしている。

 

 ――思い出せ。

 

 打ちながら、記憶を照合させるのだ。特に重要なのは、昨年のインハイの牌譜だ。麻雀仮面が大学一年生という仮定が確かなら、そこで行き当たる可能性が高い。当然、他の学年の可能性も考慮しなくてはならないが。

 

 勝つために、そして正体を暴くために。

 

 麻雀仮面のデータはまだたったの三局だけ。だが打牌の動作や対局のリズムといった視覚情報もある。動画で見た選手の記憶を引っ張り出せば、さらに特定へと近づく。

 

 恭子は現在行っている対局のクオリティを一切落とさず、並列して脳内の記録を洗う。

 

 思考することこそ、彼女の強みだ。一見してデータが役に立たない状況でも、その可能性を見出す対応力。役立つものを内に取り込むのではなく、取り込んだものを役立たせる姿勢。いずれも思考を続けるからこそ為せる技術だ。

 

 南場に突入するが、点差で言えばまだ恭子が優勢である。緩みを見せなければこの半荘は凌げる。

 

 南二局、八巡目で恭子は七対子をテンパイする。データの海に潜ってはいるが、麻雀仮面は未だ得体が知れない。リーチで攻めるよりも、点差を活かしてダマで恭子は振込を待つこととした。

 

 しかし、同巡。

 

 麻雀仮面はこれまで淀みなく動いていた手を一瞬止め――それから手配に指をさまよわせ、切ったのは二索。恭子の捨て牌からすれば、決して安全とは言えない一手だった。

 

 だが恭子は確信する。かわされた、と。テンパイ気配を察せられ、この北待ちを読み切られたと。まるで高校時代の主将を相手にしているかのような鉄壁を感じたのだ。最終的に、この局は流局。

 

 そのまま最初の半荘は終了。恭子が麻雀仮面にプラス8800でリードする。

 

「――どうだ、恭子」

 

 インターバル、麻雀仮面と少し離れて三人は集まる。急くように質問を飛ばしてきたのは菫だった。

 

「まだ特定できへんな。菫はどう思った?」

「照や淡のような分かりやすさがあれば良かったが……読みがかなり上手い打ち手という印象しかないな、今のところは。確かに強いが、このレベルなら複数人候補が上がる」

「うちも似たようなもんや。須賀は?」

「俺も、守りが一級品としか。南場はもっと攻めてくるかと思ったんですが」

「確かに、そこは引っかかったわ」

 

 ビハインドを背負っているにも関わらず、追いかけようとする気配が感じられなかった。後半戦に勝負をかけようとする意図なのだろうか。

 

「……いずれにせよ、このリード守り切るで」

「頼んだぞ」

「頑張って下さい、末原先輩」

 

 再び恭子は麻雀仮面の対面に。今度は上家が京太郎、下家に菫。

 麻雀仮面の立ち上がりは、再び静かなものだった。しかし、恭子の調子の良さも失われていた。テンパイまでかなり遠い。上手くテンパイしてダマで待っても、麻雀仮面は振り込まない。

 

 流局と安手のみで、あっという間に南三局まで辿り着く。

 

 依然恭子がリードを保ったままである。このままだと順当に勝ち上がるが――恭子は再び嫌な予感がしていた。

 

 序盤感じたようなプレッシャーが、彼女の身を包んでいたのだ。

 恭子の手は早々に一向聴まで辿り着く。

 

 だが、

 

「ポン」

 

 それよりも早く。

 

「チー」

 

 麻雀仮面が、

 

「ツモ」

 

 早上がりを見せた。

 しかし、

 

 ――えらい勿体ない上がりや。

 

 役牌のみの上がり。だが手牌と捨て牌を見れば、充分染め手に育てることも、面前で進めることもできただろう。これでもう後はオーラスのみだ。残り少ないチャンスを自ら棒に振ったように思える。直前に感じたプレッシャーはなんだったのか。

 

 けれども恭子は、油断しない。

 

 ――うちの手が、潰されたと見るべきか。

 

 ここで自分が上がっていれば、オーラスのチャンスもほぼ潰えていただろう。自棄になったのではなく、麻雀仮面は冷静に首の皮一枚繋いだと考えるべきだ。

 

 はっきり言って、今この場で麻雀仮面に味方するものはない。コンビ打ちをしないと言っても、恭子は京太郎と菫の打ち方をよく知っている。序盤から運に恵まれ続けているのは恭子のほうであり、麻雀仮面に良い手が入っている気配は薄い。

 

 問題は、それでも腐らず虎視眈々と勝利を狙ってきているということ。経験的に、こういう相手が一番厄介だと恭子は知っていた。

 

「オーラス――うちの親や」

 

 速攻で流す。恭子はその決意と共に、サイコロのボタンを押した。

 

 牌をツモり、牌を捨てる。

 無言のまま、四人はその動作を繰り返す。場の緊張はピークに達していた。麻雀仮面は満貫ツモで逆転だ。口で言うのは簡単だが、早々都合の良いタイミングで作れるとは限らない。対して恭子は何でも良いから上がれば勝ち。心理的な重圧も比ではない。

 

 振込だけには気を付けて、恭子は打牌するが二向聴から手が進まない。これは面倒なことになりそうだ、と思った矢先、

 

「――リーチ」

 

 麻雀仮面が、1000点棒を卓に乗せる。これまでにない怖気が、恭子の体を駆け巡った。同時に、脳裏に過ぎるのはここまでの牌譜、そしてあの夏の記録。

 

 次の京太郎の捨て牌を、

 

「ポン!」

 

 食い取る。

 手の進まない鳴きを、恭子は実行した。――ツモをズラさなくてはならない。最後に従ったのは、その直感だった。

 

 麻雀仮面に、動揺はない。

 恭子は振り込まないことだけを心がけ、牌を切る。下家の京太郎の捨て牌も、麻雀仮面はスルー。

 

 そして。

 

「ツモ」

「――ッ!」

 

 ズラしても、麻雀仮面は牌を倒した。だが、現状満貫には足りない。5200の手だ。

 問題は――裏ドラ。乗れば逆転負け。こればっかりは、祈るしかない。果たして結果は、

 

「……私の負け」

 

 乗らず。

 小さな声ながら、はっきりと麻雀仮面は敗北を宣言した。

 

 状況は恭子に有利だった。故に、独力で勝った気はしない。そもそも半荘二回で全てを図れるほど麻雀は単純ではない。

 

 それでも、勝利は勝利。そこに、疑う余地はない。

 

「さぁ――麻雀仮面。その仮面、脱いでもらおか」

 

 がたりと恭子が席を立ち、麻雀仮面を見下ろす。菫もそれに続いた。

 

 見下ろされた麻雀仮面は――椅子を引く。

 静寂に包まれる雀荘。

 

 その中に響くのは、麻雀仮面の足音だけ。すたすたすた、と彼女は受付まで歩き、財布を取り出し料金を支払い、そのまま出口から出ていった。

 

 流れるような動き。

 余りに堂々とした振る舞い。

 

「……は?」

「……え?」

 

 恭子も菫も、声をかけられずにぽかんと彼女を見送っていた。見送ってしまった。

 

 しばしの沈黙。

 恭子の口が動き出したのは、たっぷり十秒ほど経ってから。

 

「須賀」

「な、なんですか?」

「追いかけぇ」

「えっ」

「ぼーっとしとらんで、早うあの狐メイド追いかけぇ!」

「は、はいーっ!」

 

 京太郎の巨体が駆けていく。流石元スポーツマン、素早い。あっという間に見えなくなる。

 

「私たちも行くぞ」

「せやな」

 

 菫と共に恭子も麻雀仮面を追いかける。

 雀荘を飛び出して、階段を一気に下る。路地を抜けた先は、人の海で溢れていた。見つかったのは、立ち尽くす京太郎の姿のみ。

 

「すみません、見失いました」

「……そうか」

「いや、須賀君は悪くない」

 

 謝る京太郎を、菫が慰める。

 

「とんだ狐やったな」

「全くだ。……しかし、これでまた振り出しだな」

「いや、ひとまず麻雀仮面には土をつかせたんや。その噂をばらまけば、あの狐メイドもでかい顔できへんやろ。正体を暴けんかったのは、心残りやけど」

「……それもそうだな。まぁ、これで諦めるとも限らんが。私の知る限りの麻雀部とは連絡をとっておこう」

「頼むわ」

 

 恭子が手をひらひらさせ言うと、菫は訝しげに眉をひそめた。

 

「なんだ、やけにあっさりだな。折角勝ったというのに」

「ちょっと疲れたわ。今日は帰ろか」

「お前がそう言うのなら、そうするが……」

 

 若干菫は心残りを見せていたが、結局駅で解散となった。

 

「それじゃ、また。次に会えるんは大分後になるかな」

「ああ、これからお互い忙しいだろうからな。リーグ戦勝てよ、恭子」

「そっちもな」

「須賀君も、くどいようだが淡を……」

「ああ、はい、分かりました」

 

 激励と心配を残し、菫は去って行った。苦労人やなぁ、と恭子はしみじみ思った。

京太郎と二人で、恭子は電車に乗り込む。それなりに車内は混み合っており、二人は並んでつり革を掴む。

 

「いやぁ、今日は凄かったですね末原先輩。あの麻雀仮面、ただ者じゃなかったのによく勝てましたね」

「ま、不意打ちされたわけでもないしな。このくらいはやらへんと」

 

 恭子はにやりと笑う。

 

「須賀もあんくらいはできるようにならんとあかんで」

「頑張らないといけませんね」

「晩ご飯どうする? 何か食べたいもんある?」

「んー、そうですね。魚食べたい気分です」

「へぇ、男の子はお肉好きやと思ってたけど。違った?」

「昨日友達と焼肉だったんですよね、もちろん肉も好きですよ」

「メイド服は須賀の趣味なん?」

「あれは高校時代の先輩の実家で使ってるもので、貰った――…………」

 

 京太郎の言葉が、途切れる。二人の間に、沈黙が落ちた。

 ちらりと盗み見すれば、後輩はだらだらと汗を流していた。

 

「やっぱりか」

 

 はぁ、と恭子は溜息を吐く。

 

「……いつから気付いてたんです?」

 

 観念したように、京太郎は苦笑いを浮かべる。恭子は大袈裟に肩を竦めて言った。

 

「上位リーグの大学で止められていた噂をあんたが知ってる時点で、おかしいんとちゃうかと思ってたわ。あんたが麻雀仮面の噂を話したその日に、当の麻雀仮面からメール来てたりな。昼間も麻雀仮面を擁護するようなこと言ってたし」

「う……」

「なによりさっきの何なん? いくらあの人混みでもあんたが本気出したら追いつけんわけないやろ。ミニスカ言うても逆に走りづらいで、あれ」

「……はい」

「人騙そ思ったら、もっと細部まで詰めな。麻雀でも同じことや。逆に足元すくわれるで」

「肝に銘じます」

 

 全てを見抜いて説教して、勝ち誇っているわけではない。逆に高揚感など欠片もなく、恭子の気持ちは冷えていた。

 

「あんたの地元の友達……とはちゃうか」

「え、ええ。そこまで分かるんですか」

「できる限り喋らんようにして、イントーネーション隠そうとしてたからな。どっちかっていうと西側の人間やろ、アレ」

「流石です、末原先輩」

 

 いつもならこんな白々しい褒め言葉でも、動揺していただろう。だが、今の恭子の心は動かない。

 

 どういう理由があったのかは知らないが――結局京太郎は最初から最後まで、あの妙な狐メイドのために動いていた、ということだ。京太郎に悪意がないのは分かっている。恭子をやりこめようとか、そんなことを企てる人間ではない。だからこそ、あの麻雀仮面のためというのが分かってしまうのだ。

 

 それが、たまらなく嫌だった。

 

 彼の目が、自分に向いていなかった。そう思うと、今日のために色々思案し宥に相談し、準備を進めたのが途端に馬鹿らしくなった。一人だけ舞い上がっていた自分が惨めではないか。恭子は歯噛みする。

 

 ――こんな黒い気持ちを後輩にぶつけるわけにはいかない。そもそもデートだの何だの考えて、自分が勝手に舞い上がっただけなのだ。それなのに京太郎を責めることなど、どうしてできようか。

 

 ただただ、今はもう何もかもを放り出したかった。麻雀仮面に勝てた喜びなど、とうの昔に霧散している。

 

「あの麻雀仮面、東帝の一年か」

「えっ、はい、そうです」

「何がしたかったんか分からんけどな。麻雀、本気でやりたいならゴールデンウィークまでに部室顔出せって伝えとき」

「……分かりました、ありがとうございます! きっと来ます、これで女子部員五人揃いますね!」

 

 顔を輝かせる京太郎。――ああ、なるほど。細かい話はなおも分からないが、麻雀部のために動いていたのは確かのようだ。だからといって、凍った恭子の心は解けたりしないが。

 

「すまん須賀、うち用事思い出したわ。次の駅で降りるわ。晩ご飯は一人でな」

「あ、はい。お疲れ様でした」

「はい、お疲れさん」

 

 口から出任せであったが、京太郎は納得したようだ。

 

 電車が止まり、扉が開く。

 恭子は電車を降りて、一瞬躊躇ってから、京太郎に振り返った。――今なら訊けそうだ、と投げ槍に彼女は考えていた。

 

「須賀」

「どうしました?」

「なんでうちの大学に――麻雀部に入ったん?」

「え? 末原先輩がいたからですよ」

 

 彼がさらっと答えた瞬間、電車の扉は排気音を立てて閉じた。がたん、と車体が揺れて動き始める。

 視界の端で、京太郎が手を振っているのが分かる。が、恭子は応えられなかった。そのまま彼は、フェードアウトしていった。

 

 ――顔が、熱い。

 

 人生でこんな経験したことないくらいに熱くなる。さっきまで冷えていたはずの心が、一気に沸騰して湯気を出しているかのよう。どんな気持ちであったかなんて、もう思い出せない。心臓がうるさいくらいに鼓動する。

 

 周囲の乗客から「気分でも悪いんですか」と声をかけられるくらいに、恭子の顔は真っ赤になっていた。そしてその場で固まってしまった。駅員がやってきて、危険だからと無理矢理肩を掴むまで彼女はそこに、延々と突っ立っていた。

 

 どうやって帰路に就いたかも分からず。

 気付けば恭子は、自宅の玄関にいた。

 ぱちりと電気をつけ、自分の部屋に入った瞬間、

 

「ああああもおおおおおなんやそれええええええ」

 

 恭子はベッドに飛び込んだ。枕に顔を埋め、ばたばたと足を振る。ベッドはぎしぎし悲鳴を上げた。ずっと、悲鳴を上げ続けた。

 

 

 

                     Ep.1 末原恭子のモラトリアム おわり

 




次回:Ep.2 松実家シスターズウォー
    2-1 襲来、ドラゴンロード

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