愛縁航路   作:TTP

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12-2 すばら探偵花田女史のスカウティングファイル

 東帝大学麻雀部がインカレ出場を決めたその日の内に、煌は長野行きの電車に飛び乗った。長野は、煌が中学を卒業するまで過ごした土地である。久方ぶりの帰郷になるわけだが、もちろんノスタルジーに浸るためではない。

 

 明日に、中部リーグの最終戦が控えているのだ。中部リーグは、平均レベルはさほど高くないと評価される一方で、際立った成績を残している大学が二校ある。

 

 一校は、牌に愛された少女・天江衣を擁する龍門渕大学。かつてインハイで活躍した龍門渕高校のメンバーたちもそのままに、大学でも変わらない強さを見せつけている。

 

 もう一校は、昨年のインカレ覇者・信央大学だ。信央は名門風越女子の卒業生を広く受け入れており、元々中部リーグの中でも強豪として名を馳せていた。しかしそれはあくまでリーグ内の話であり、全国区としては「それなりの中堅」止まりで燻っていたのは疑いようもない。しかしその状況は、三年前に一変した。

 

 いわゆる、宮永世代の入学である。インハイ団体戦優勝を果たした清澄高校、当時の部長であった竹井久はその象徴だ。大学一年の時点で既に頭角を現し、全国区の大会で徐々に成績を伸ばし、ついに昨年インカレで優勝を遂げた。彼女は今年四年生、実力は円熟しているだろう。今年のインカレでは、当然のように優勝候補に数えられている。

 

「しっかりと、情報を集めておかないといけませんね」

 

 特急列車の車内で、煌はひとり呟く。そう、今回の旅の主目的はライバル校の偵察である。昨今、対局中の動画データを収集するのに大した苦労はないが、生の情報はあるほど良い。他に有力な関西方面は宥が向かう予定であり、中部リーグは土地勘のある煌に任された――正確には、煌が自ら提案したのだが。

 

 部長の恭子も帯同する、と言い出したが、煌はこれを固辞した。この一年、恭子に大きな負担がかかっていたのは煌も重々承知しており、忸怩たる想いを抱いていたのだ。少しでも彼女から重荷を取り払えるのなら、何だってするつもりである。それが卓の内であろうと、外であろうと。

 

 それに、あまり恭子と竹井久を引き合わせるのは避けたいと煌は考えていた。憎しみ合っている、なんてことはないが、昨夏の様子を見ると良好な印象を抱いているとも言いがたい。余計なトラブルを抱え込みたくはなかった。

 

「……花田先輩?」

 

 不意に、頭上から声が降り注ぐ。はっとなって顔を上げると、そこにいたのは、

 

「原村さんじゃないですか!」

 

 高遠原中学での後輩、原村和であった。静かな車内で思わず高い声を上げてしまい、煌は慌てて自分の口を塞ぐ。その間に、和の背中からひょっこりと知った顔が飛び出てきた。

 

「おお、やっぱり花田先輩だじぇ!」

「片岡さんまで。すばらです」

 

 こちらも中学の後輩、片岡優希だった。小柄な体を揺らし、空いていた煌の隣席に滑り込む。

 

「この間のリーグ戦以来ですね」

 

 向かいの席に座りながら、和が微笑む。ええ、と煌は頷きながらも、苦い記憶を掘り返されてどうしても苦笑してしまう。

 

「三橋にはボッコボコにされましたね」

「勝負ですから。――でも、お互いインカレに出場できて何よりです」

 

 和と優希、二人揃ってレギュラーを務める三橋もまた、インカレに出場を決めていた。それも、関東一部リーグトップの成績を収めて。当然彼女たちもまた、優勝候補の一角である。現時点での東帝との実力差は明確だが、インカレ本戦で優勝するためには必ず乗り越えねばならない壁だ。

 

「それで、お二人はどうしてこの電車に?」

「多分、花田先輩と同じ目的です」

「中部リーグの偵察だじぇ!」

 

 予想できた答えだった。和はくすりと笑いながら、優希の言葉に付け足す。

 

「半分くらいは、ぶ……竹井先輩や染谷先輩の応援が目的ですけど」

「信央、ですか」

「強敵ですからね。去年は完敗でした」

 

 負けず嫌いな面がある和が、さらっと負けを認めたことに煌はやや違和感を覚えた。時間が経っているからか、相手が高校の先輩だったからか。あるいは、大人になった証拠だろうか。もう彼女も、二十歳になるのだ。

 

「どうせなら、一緒に行動しませんか?」

 

 和からの提案は、ありがたいものだった。分担して偵察できるならそれに越したことはない。

 

「すばらっ。是非。インカレ出場校同士、あんまりくっついていると規約違反を疑われそうですが、そこだけ気をつければ」

「中学の先輩後輩同士なんだから気にする必要ないじぇ」

「では、長野にいる間は休戦ということで」

「よろしくお願いしますよ、原村さん、片岡さん」

 

 まるで、中学時代に戻ったみたいだった。期間限定で、当時の他の部員たちもいないけれど、それでも懐かしくて自然と口元が綻んでしまう。

 

「ところで」

 

 和がどこか探るように、一つの話題を切り出してくる。

 

「須賀くんは、元気なんでしょうか」

「ああ」

 

 煌の後輩、そして和たちの高校の同期。須賀京太郎は、およそ一年前、麻雀留学で遠い欧州の地に飛んだ。拠点はロンドンだが、公式非公式問わず試合にも出ているらしく、あちこちの国を回っているらしい。

 

「私たちにはあんまり連絡を寄越さないじぇ。薄情な奴め」

「便りが無いのは元気な証拠、とも言いますが」

 

 語調こそ冷めたところはあるが、優希も和も彼を心配しているのは明白だった。三橋と東帝はライバル校同士だ、彼女たちも干渉しすぎるのに躊躇いがあるのだろう。とりわけ隠す理由もなく、煌は正直に答えた。

 

「週に一度は、私たちにも連絡が来ますよ。向こうに行った頃はかなり苦戦してたみたいですが、最近は調子良いみたいですよ。選抜者同士のリーグ戦でも、上位に食い込んでいるとか」

「それなら良かったです。……それにしてももう一年ですよね。そろそろ日本に戻ってくるはずでは? というか、一度も戻ってきてませんよね?」

 

 和の指摘は正しかった。彼は留学してからこっち、一度も帰ってきていないのだ。

 その理由に関しては、詳細まで分からずとも煌は何となく察していたが、あくまで予想に過ぎない。

 

「須賀くんにも思うところがあるんでしょう」

 

 結局、そこだけは誤魔化すことになった。不明瞭な話はしたくなかった。

 

「インカレには来るんでしょうか?」

「応援には来ると言っていましたが、向こうでの生活もあるでしょうし、果たしてどうなることやら」

「やっぱり冷たい奴だじぇ」

「ゆーき」

 

 拗ねる優希を、和が窘める。その隙をついたわけではなかったが、今度は煌が質問を投げかけた。

 

「時に、辻垣内さんはどうしているんでしょうか」

「部長が、ですか?」

「ほら、その、彼女も須賀くんと一悶着あったじゃないですか」

「ああ」

 

 曖昧な煌の言葉にも、和は苦笑いしながら頷いてくれた。三橋の部長、辻垣内智葉は京太郎へ強い興味を抱いていた。その真意までは測りかねるが、彼女も京太郎の留学に関して思うところはあっただろう。

 しかし意外にも、

 

「特に何も言っていませんでしたね。報告しても、『そうか』と頷いただけで」

「どうせ京太郎をからかっていただけだじぇ。それよりも最近はバイクに夢中になってるじぇ」

 

 バイク、と煌は復唱する。確かに彼女には似合いそうだが、思ってもみなかった趣味である。

 

「からかいだったかはともかく、あれから話題にも上がりませんでしたよ」

 

 要約すると、現状はあまり興味がない様子らしい。言うなれば、彼女は一度フられた身だ。とっくの昔に諦めていたということか。

 

「心配事が減ったと考えるべきですかね……」

「何か言いました?」

「いいえ、なんでも」

 

 振り払うように頭を振って、煌は再びいつもの笑顔を浮かべる。

 

「ところで情報交換といきませんか。東北リーグの話をあまり聞けていなくて」

「構いませんよ。東帝は関西リーグとパイプを持っていますよね。その辺りの話を聞かせて頂ければ」

「二人して悪巧みだじぇ」

「関東勢同士の協調です」

 

 煌はそう嘯きながら、メモにペンを走らせる。少しでも勝率を上げるため、彼女も必死であった。

 

 

 ◇

 

 

 翌日のリーグ戦会場の観客席で、煌は頬を引き攣らせていた。大型スクリーンに映し出された対局室の様子は、明暗がはっきりと別たれていた。

 

「これは……すばら、というしか……」

 

 即ち、信央とその他である。ここに龍門渕大学が混じれば話は別だったが、その二校の直接対決はリーグ戦前半で既に終わっていた。現在信央と相対する三校も中部一部リーグの猛者に違いないが、残念ながら役者が違う。

 信央大学の現レギュラー陣は、四年前のインターハイ長野予選決勝で死闘を繰り広げた三校――清澄、風越、鶴賀の面々で構成されている。

 

「先鋒、福路美穂子」

 

 彼女は高校時代から全国区の実力者として名を馳せている。高校三年時には、あの宮永咲や原村和を抑えて長野個人一位の栄誉を手にしており、その後咲たちの躍進により間接的にも評価を上げた。プロ入りも間違いなし、と囁かれていたが彼女の選択は進学であった。それを惜しむ声もあったが、力を燻らせることもなく、高校では届かなかった団体全国制覇も成し遂げた。両目を開いたときの観察眼に並ぶ者は、大学というくくりでは他に清水谷竜華くらいのものだろう。守って良し攻めて良しで、卓上をあっという間に支配してしまう姿はまさに圧巻であった。

 

「次鋒は、東横桃子」

 

 確かな実力があり有名であるはずなのに、これっぽっちも目立たないという特性を持つ鶴賀出身の二年生。通称ステルスモモ。それを承知で挑んでも、対局中に見失ってしまうというのだから空恐ろしい。インカレでは、同じ次鋒として煌がマッチアップする可能性は高く、何かしらの対策が必要だ。相手は後輩に当たるが、素の実力でさえも勝っているとは言えない。

 

「これは辛い相手ですね……。中堅は、加治木ゆみですか」

 

 こちらも鶴賀出身、そして信央大学麻雀部の部長である。麻雀歴は他の全国区の選手と比べて短いものの、対戦相手に合わせた対応力はずば抜けている。派手な打ち回しこそないが、常に冷静沈着で、信央を一気に全国上位に押し上げた立役者の一人だ。

 

「副将が、染谷まこ」

 

 四年前、流星の如く現れた高校がインターハイ団体戦を制した。それが清澄高校――その次鋒を務めていたのが彼女だ。実家が雀荘で、おびただしいほどの対局・観戦経験が染谷まこの武器である。ここ数年で特殊な打ち手たちとの経験も積み上げており、下手をすれば彼女が信央で最も油断ならない雀士かも知れない。

 

「そして――大将、竹井久」

 

 信央大学の黒幕とも呼ばれる、中部リーグ屈指の打ち手。東帝大学としても、因縁のある女性だ。高校時代は監督業も兼任しており負担が大きかったようだが、大学ではその役からも解き放たれ、雀士として専念している。それが功を奏したのだろう、一年前のインカレでは彼女が逆転優勝を決めた。大卒後はすぐにプロ転向か、とも噂されている。ただ彼女自身は進路をはぐらかしており、捉えどころが全くない。それこそが彼女の強さ、なのだろうか。

 

 この五人の他にも、池田華菜、吉留未春、蒲原智美、津山睦月など、控え選手にさえ隙がない。これで原村和たちまで進学していたら、手が付けられなかっただろう。

 

 ――強い……!

 

 個々人の実力、選手層の厚さ、チームとしての一体感。どこをとっても、隙らしい隙は全く見えてこない。他の強豪校を抑えて、優勝候補に数えられるだけのことはある。煌は心の何処かで、信央は精々が聖白女や三橋クラスと見積もっていた。けれども、勘違いしていたと言わざるを得ない。関東リーグで聖白女たちとは直接戦ったが、こうして観戦する限り、信央が頭一つ抜けていると煌は感じていた。

 

「ここに勝たないと優勝はない、ですか」

 

 困難なミッションだ。東帝の戦力で――否、自分の実力でどこまで立ち回れるか見当もつかない。だが、煌に諦める気は毛頭なかった。食い入るように対局の行方を追い、少しでも攻略の手掛かりがないかと思索する。

 

 結局、このリーグ最終戦は信央のダントツで幕を閉じた。リーグ成績は一位信央、二位龍門渕。下馬評通りの結果だった。

 さっさと退散しようと、煌は会場を出る。この後は和たちと合流する手筈になっていた。

 

 が、煌はすぐにその足を止めることになる。

 

「あら、花田さんじゃない」

「っ」

 

 会場出口ででくわしたのは、先ほどまでスクリーンの中で牌を握っていた女性。竹井久であった。

 

「久しぶりね」

「竹井さん……お久しぶりです」

「去年の夏以来かしら」

 

 余裕たっぷりに笑う彼女の視線からは、「全て見抜いているぞ」という意図がありありと伝わってくる。そもそも煌がこの時期長野に来る理由など、限られてくる。怯えが声に出ないように気を払いながら、煌は言った。

 

「インカレ出場、おめでとうございます。見てましたよ、すばらな戦いでした」

「ありがとう。東帝も昨日、インカレ出場を決めたんでしょう? 八月が今から楽しみね」

「はい。胸を借りるつもりでチャンピオンに挑ませて貰いますね」

「そんなに偉くなったつもりはないわよ」

 

 くすくすくす、と久はおかしそうに笑う。それだけで、金縛りに遭った気分になる。

 

「それにしても、本当にインカレに出てくるとはね。流石は東帝、流石は末原さん、と言ったところかしら」

「……ええ。うちもそう腐ったものじゃありませんよ」

「そうでなくちゃ、張り合いがないわ」

 

 などと言いながらも、久には自信が満ち溢れている。どんな相手でも負けるつもりはない、と。リーグ戦で龍門渕と当たった際、彼女は天江衣さえ破っているのだ。決して自惚れなどではない。仮に今、煌が打っても勝ちの目はないだろう。

 

「良い試合を期待しているわ」

「ええ、よろしく――」

 

 煌の言葉が、そこで途切れる。

 

 ――東帝は――

 

 頭の中でリフレインしたのは、彼の声。

 現状で実力差があるのは仕方ない。しかしそれは、諦める理由にも、ましてやへりくだる理由にもならないのだ。そう、ここで格付けを認めてしまってはいけない。そんな気概で戦おうものなら、結果は透けて見えよう。無名の清澄がインハイを駆け上がったとき、彼女たちは校名やランキングなど気にしていなかったはずだ。

 

 ああ――危ないところだった。

 

 彼に救われたことを自覚しつつ、煌は久に笑みを返す。

 

「去年、須賀くんが言ったことを覚えていますか」

「ん? なんだっけ?」

「東帝は必ずインカレに出場して――信央を、倒すと」

 

 久は、うっすらと目を細める。煌は続けて言った。

 

「さっきの『胸を借りて挑む』は撤回させて貰います」

「……ふーん」

「倒します。貴女たちを」

 

 その無遠慮で身の程知らずな宣言に、しかし久は、実に嬉しそうに笑った。

 

「待ってたわ」

 

 

 ◇

 

 

「――という感じでした」

「ん。ありがとな、煌ちゃん」

 

 東京に戻ってきた煌は、いの一番に恭子へ偵察結果を報告した。

 

「とにかく、信央は手強いです。龍門渕もそうですが、やっぱり長野は恐ろしい土地ですよ」

「宮永姉妹の出身地やもんなぁ。パワースポットでもあるんかな」

 

 冗談を言う恭子に、煌は敢えて厳しいトーンで言った。

 

「強いですよ、竹井さんは」

「……ん。そうみたいやな」

「おそらく大将戦で、恭子先輩と当たります」

「…………うん」

 

 恭子の強さを疑うわけではない。しかし、ここのところ彼女が不調であったのもまた事実。不安要素は拭えない。恭子自身もそれを理解しているのだろう、表情に影が差していた。

 

 信じている、なんて言葉を簡単に口にしたくはなかった。

 だから、代わりに煌は言った。

 

「信じて下さい」

「えっ?」

「恭子先輩が勧誘した部員を、信じて下さい。リーグ戦の雪辱を果たしてみせますから」

 

 やや面食らったように恭子は目を見開いたが、すぐに目尻を下げた。

 

「……うん。信じとるで、煌ちゃん」

「すばらですっ」

 

 敬愛すべき先輩のため、煌は戦う。どれだけ強い相手でも、戦い抜く。

 だが、自分ではできないこともあると、彼女は悟っていた。末原恭子の真価を発揮させるための、最後のピースが足りていないのだ。

 

 ――早く帰ってきて下さいよ。

 

 遠い空に、煌は願う。

 

 ――須賀くん。




次回:12-3 たかみープロデュースキックオフティーパーティー

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