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Ex2-0 指し示されるは、見知らぬ未来
高校時代は全国ランキング一位の白糸台で部長を務めた。大学では名門聖白女で四年間不動のエースとなり、二度の全国制覇を果たした。他にも戦績を挙げればきりがない。同世代にして同窓生の宮永照の影に隠れがちであったが、その実華々しい経歴を積み上げてきたのが弘世菫という雀士である。
大学最後の夏を終え、彼女は人生の岐路に立とうとしていた。
都内のとあるビルの一室。着慣れないスーツで身を包み、テーブルを挟んで向かい合うのは、とある麻雀プロチームの首脳陣である。全員が菫の倍以上の人生経験を有し、老獪な雰囲気を滲ませている。
しかし、菫は彼らと敵対しているわけではない。
菫は、彼らとプロ契約を結ぼうとしているのだ。
大学卒業後の進路について、彼女も悩んだ。実家の跡を継ぐなど、幸運にも様々な選択肢があった。だが、結局彼女はプロになることを決意した。憧憬さえ抱いた戦友、同卓したい先達。雀士としての本能が、険しい道を選ばせたのだ。志望届を出した日は、中々寝付けなかった。
そして、ドラフト一位で指名してくれたチームとの契約交渉に至る。自分を高く評価してくれたこのチームを、菫も気に入っていた。監督が現役選手の頃には、試合を観戦に行ったこともある。数々の修羅場をくぐり抜けてきた菫も、緊張に汗を滲ませていた。
呑まれてはいけない、と菫は自らを鼓舞する。敵対しているわけではないが、妥協が許される関係性でもない。より有利な条件を引きだそうなどというつもりはないが、一方で、この場での立ち居振る舞いを観察されているのを彼女は感じ取っていた。迂闊な態度を見せ、評価を下げる真似はしたくない。プロになるということは、ただただ麻雀を打っていれば良いというわけでもない。社会人として当然の常識も求められる。その点を、菫は正しく理解していた。
「――では、他に何か質問はありますか?」
「いえ、これで充分です。ありがとうございます」
その甲斐もあってか、契約の場は上手くまとまろうとしていた。内心でほっと一息つきながら、菫は手元の紙に示された署名欄と向き合う。ここに自らの名を記せば、契約は完了。晴れて来年からは、プロ入りだ。
一瞬ちらついたのは、高校の後輩の顔。業界の先輩風を吹かせて偉そうにしてくるんだろうな、と容易に想像がついた。もっとも今から気にしていても仕方ないが。
「ちょっといいですかっ☆」
その特徴的な声に、物思いに耽っていた菫ははっとさせられた。顔を上げ、目線が合うのはそれこそ本物の「先輩」。
プロチーム・ハートビーツ大宮のエースにして大人気雀士、そして牌のおねえさん。
瑞原はやり――通称はやりん――その人であった。
公称で三十路だというのに、その肌艶容姿に衰えは全く見えない。実力人気あいまって、もう何年も前からハートビーツ大宮の顔役だ。何の説明もなかったが、現役選手としてただ一人彼女がこの場に同席するのも菫は納得できた。
しかし、詳しい理由までは見当が付かなかった。彼女はにこにこと笑いかけてくるのみで、ここまで一切口を挟んできていない。突然話しかけられた形になった菫は、内心戸惑いつつも、平静な声で応える。
「はい――なんでしょうか」
「弘世さんはこれでハートビーツ大宮の一員になるわけだけど、その前に一つ教えて欲しいんだ。いいかなっ☆」
「もちろんです」
こくりと菫が頷くと、すっとはやりは目を細めた。およそアイドルらしからぬ、獲物を狙う猛禽のごとき瞳の輝き。一瞬だけだったが、信じられないようなプレッシャーを菫は感じ取った。――これが、トッププロ。これが、日本を代表する雀士。食い殺される幻まで見せられた気分だった。
次に瑞原はやりが口にする言葉を聞き逃すまいと、菫は集中する。何を問われるのか、何を告げられるのか。最後の最後で、菫の緊張はピークに達した。
「弘世さん」
にこり、と瑞原はやりは微笑み、言った。
「アイドルに興味はないかなっ☆」
「――は?」
我ながら間の抜けた声が出たと、弘世菫は後に振り返る。
◇
21世紀、世界の麻雀競技人口は一億人の大台を突破。
日本でも大規模な全国大会が毎年開催され、プロ・アマチュアに関わらず多くの雀士たちが覇を競っていた。
――その一方で。
雀士たちには、麻雀以外の要素が求められていた。
それは容姿、愛嬌、解説技能、トーク術、歌唱力――枚挙に暇がない。その全てを兼ね備えた存在こそが、アイドル。光り輝く雀士たち。
世は、大アイドル雀士時代。
次回:Ex2-1