最強アイドル雀士決定戦は、大学祭における麻雀部の出し物として正式に認可が下りた。あるいは下りてしまったと言うべきか。少なくとも恭子にとっては、歓迎できる事態ではなかった。
なにせ、その決定戦に自分もアイドルとして参加させられるのだから。
アイドル雀士と言われて思い出すのは、やはり歌のおねえさんである瑞原はやりだろう。笑顔を振りまき、歌って踊る――強い雀士はいくらでもいるが、彼女のような存在は希有だ。自分にはとても真似できない、と恭子は常々感じていた。高校時代はいつも仏頂面で近寄りがたいと言われていたし、愛嬌がないのも自覚していたし、とりわけ歌唱力に秀でているわけでもないし、ましてやダンスなぞもっての外である。
恭子からすれば、煌の人選ミスとしか言いようがなかった。
「やっぱり無茶振りや……どう考えても無茶振りや……」
テーブルに突っ伏して、恭子は盛大な溜息を吐く。手元で転がすのはヴォーカル用マイク。彼女が訪れていたのは、大学からほど近いカラオケ店であった。決定戦に向けて歌の練習という名目で小一時間ほどマイクを握ったが、結果は芳しくない。音程は合わないし、リズム感に欠けるのを自覚させられるばかりであった。
「恭子が弱音吐くんは珍しいな」
対面に腰掛け、ぽつりと呟くのは園城寺怜。彼女もまた最強アイドル雀士決定戦にノミネートされ、こうして恭子と共に練習に励んでいた。しかし、電子目次本を楽しげに操作する姿は、あまりに恭子と対照的である。恭子が恨めしげな視線を送るのも無理なかった。
「そう言うあんたは随分気楽そうやん」
「実際気楽やもん。負けたところで取って食われるわけでもあらへんし」
「あんたほど簡単に割り切れんわ……人前で歌うんも踊るんもうちには難題や」
ソファに背中を預け、低い天井を仰ぐ。可愛い後輩たちのため一肌脱ぐのに異存はないが、今回ばかりは判断を誤ったとしか言いようがない。
「やっぱり宥ちゃんのほうが適任やって。めっちゃ美人さんやし、大学内の人気もぴかいちやし」
「十二月の寒空の下やで? 宥さんの不審者ルックはあかんやろ。せやから煌さんも宥さんには声かけへんかったんやろ」
「せやったら尭深ちゃんは?」
「尭深さんは煌さんと一緒に運営やん。一年への指示もせなあかんし」
今度溜息を吐いたのは、怜のほうだった。
「ほんまらしくないな。いつも通りどーんと偉そうに構えてたらええやん」
「誰にでも苦手なもんくらいあるやろ。ああいうきゃぴきゃぴしたんは苦手なんやって」
「インハイのときおっきなリボン着けて試合してたやん。あれもアイドルの先駆けみたいなもんやろ」
「あれは例外や! 監督が言うとらんかったら絶対着けとらへん!」
古い話を持ち出され、恭子は喉を震わせた。対する怜は、わざとらしく肩を竦めてみせる。
「頑固者やな。恭子も可愛いのに変に意識しすぎと違う?」
「か……っ! あ、あんたこそ、ようそんな昔の話覚えとるもんや」
「私なりに研究したし、京ちゃんもよく動画見返してたもん」
出てきた名前に、恭子はむっと言葉を詰まらせる。それから顔を俯かせ、手の内でマイクを弄り、視線をさまよわせる。
「……どうしたん? お腹でも痛いん? 落ちとるもんでも食べた?」
眉を潜めて怜が訊ねても、
「な、なんでもあらへん! それよりもはよう次歌え!」
「なんや、えらい機嫌悪いな」
恭子は冷たく突っぱねるのみだった。突っぱねるほかなかった。
こみあげてくる胸の奥のむかつきが止まらない。どうしても、どうしようもなく、不安と焦燥に駆られてしまう。
しかしながら、今の恭子を苛む理由は一つではなかった。
思い浮かぶのは、獅子原爽の悠然とした佇まい。
――何を企んどるんや。
過去の一戦で味わった得体の知れない「何か」。それが原因か、いまいち彼女を信用していいものか、恭子には判断できなかった。
◇ ◇ ◇
しかし、恭子の心配をよそに、決定戦の準備はどんどん進んで行った。陣頭指揮を執るのは、当然煌である。彼女は的確な指示を飛ばし、当初かなりタイトと思われたスケジュールには余裕が生まれるほどであった。
東帝大学全体も、例年以上に大学祭への熱意に溢れていた。麻雀人気に翳りはなく、今をときめく学生雀士が一堂に会するというのだから当然と言えよう。
「わあ……今年はこっちにもステージ作るんだね」
広場を横切りながら、これでもかと厚着した宥が呟く。既に十一月も半ば、彼女にとっては厳しい季節である。
「あれ、普段は作らないんですか?」
問いかけたのは、隣を歩く京太郎。
「そっか。須賀くんは今年が初めての学祭になるんだね」
疑問に答えたのは宥ではなく、尭深であった。
「いつもはこのキャンパスで二ステージだけだよ。今年は決定戦があるから、増設するみたい」
「大学側もやる気満々ですねー。これまた忙しさに拍車がかかりそうだ……」
「でも、最近また新入部員が入って来て人手は増えたって聞いたよ」
宥の指摘は正しかった。コクマにおける京太郎や怜の活躍した上、メディアに取り上げられ認知度は増した。さらにここに来て最強アイドル雀士決定戦が追い風を吹かせている。煌の狙い通りと言えよう。
「そうなんですけど、その分色々教える必要があって仕事量は中々減らないんですよね。リーグ戦に向けての練習もありますし」
「部室も手狭になってきたので、他の空いている部屋を借りられないか検討しているんです。宥先輩のときと比べれば、贅沢な悩みかも知れませんが」
尭深の言葉に、宥は首を横に振る。
「ううん、そんなことないよ。大変だよね。私にできることがあるなら何でも言ってね」
「煌ちゃんはできるなら宥先輩にも決定戦に出て欲しい、って言ってましたけど――」
「それはできないことかな」
笑顔のまま、宥はさらりと断言した。取り付く島もなかった。
「それじゃ、バイトだから今日はここで」
「お疲れ様です」
「またよろしくお願いします」
道中、宥と別れる。引退後は過干渉を避けている様子だったが、今日は最強アイドル雀士決定戦の話題から逃げたように見受けられた。京太郎は尭深と顔を見合わせ、くすりと笑った。
「それにしても、とんでもないイベント考えたものですよね。一体誰が勝つんですかね」
「こればっかりは単純な雀力で決まらないからね」
「雑誌によっても人気って変わってしまいますしね。本当に読めないです」
「怜さんや恭子先輩には頑張って貰いたいね」
「でも、主催が勝っても顰蹙買いそうなのが辛いですよね」
「確かに。難しい立場だね」
尭深と二人であれやこれやと言い合いながら、向かう先は部室棟。だが、入るのは麻雀部の部室ではない。
部室棟には、倉庫代わりになっている部室がいくつもある。積み重ねられた荷物も持ち主不明のものが多く、片付けられないまま今日に至るケースが多く見られるのだ。今回の決定戦では、招く人数を考えると控え室はいくらあっても足りないくらいだ。これを機会に部室棟を片付け、学祭用に改装しようと言うのが麻雀部の目論見である。
部室の片付けに励む一年生に向けて、京太郎が声をかける。
「おーい、そこらで一回休憩ー。飲み物買ってきたぞー」
「あ、須賀せんぱーい! 渋谷先輩も!」
きゃっきゃと一年生たちが駆け寄ってくる。麻雀歴の浅い者たちばかりであったが、いずれも熱意があって指示をよく聞く。大部分が女子で、京太郎が夏に帰ってきたときにはうまくやっていけるかと心配したものだが、今ではしっかり懐かれている。清澄時代に磨いた料理の技術がここでも生きた。
「よーし、今日中に部室は全部片付けようぜ」
「頑張ろうね」
「はいっ」
京太郎と尭深の檄に応えるように、一年生たちは働き出す。宥はどこか羨ましげな眼差しで、二人の背中を見つめていた。
「さて、俺も働くか。重い物は俺に任せて――ん?」
京太郎も片付けに参加しようと一歩前に出るが、ふと視界に入って来た人の姿に足を止めた。部室の周りでうろちょろとしている女性が三人。この辺りでは見たことのない顔だった。少なくとも、普段この部室棟を利用している人間ではない。新入部員の誰かだっただろうか、と京太郎は自問する。何しろ最近は入部希望者が多く、油断すれば把握できないのが実情である。
部外者なら放っておけば良いところだが――何となく、京太郎はそのまま放置できなかった。彼女たちに声をかけようとする京太郎だったが、
「こんにちは、須賀京太郎くん」
「わっ」
背後から声をかけられて、阻まれてしまう。驚きながら振り返ると、そこにいたのは、
「獅子原さんじゃないですか。こ、こんにちは」
「ん、相変わらずおっきいねー」
今回の企画を立ち上げた主犯の一人、獅子原爽であった。小柄ながらも自信ありげな態度に、堂々とした立ち振る舞い。それでいてどこか憎めない言動で、いつの間にか懐の内に入り込んでくる彼女を、京太郎は持て余し気味であった。
決定戦の企画者として、彼女は東帝大学にたびたび出入りしている。当然ながら、中でも麻雀部とは過ごす時間も長く、すっかり溶け込んでいた。
「どうしたんですか? ミーティングは明日の予定ですよね」
「そうなんだけどね。今日はちょっと別の用事があってね」
その不思議な色の瞳に下から覗かれ、京太郎は後退ろうとする――が、動けない。まるで蛇に睨まれた蛙の気分だった。
「別の用事……ですか?」
搾り出すように声を出し訊ねる京太郎は、視線を泳がせる。無意識の内に、尭深の姿を探していた。だが、見つからない。どこにも見当たらない。それどころか、一年生の誰の姿も見えなくなっていた。
――なんだ、これ……っ?
戸惑い慌てふためく京太郎だったが、すぐに唾を飲み込んだ。動揺を重ねていても、事態は好転しない。そのことを、彼は卓上で何度となく教わっていた。
「……へぇ。思ったよりも肝が据わってるんだね」
「一体、これは……?」
しかし、彼女の囁きから逃れる術までは持ち合わせていない。自然と、京太郎は爽と見詰め合う形になる。
「別に危害を加えるつもりはないよ。君にお願いがあるんだ、須賀京太郎くん」
「お願い、ですって?」
そう、と爽はしっかりと頷く。
その魔性に、京太郎は飲み込まれつつあった。
◇ ◇ ◇
そして、東帝大学大学祭――引いては、最強アイドル雀士決定戦の幕が上がる。
活動報告でも書きましたが冬コミ受かってました(https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=130528&uid=96582)。
配置は
12/30(金) 東地区“a”ブロック-42a
です。サークル名:愛縁文庫
頒布予定はSummer/Shrine/Sweetsの文庫本(フルカラーカバー+挿絵付)、
文庫本には短編(Summer/Shrine/Sweets関連)のペーパーを付ける予定です。
後できたら別途ペーパー書こうかな、と(内容は未定)。
頒布物情報などは
○Twitter@ttp1515
○活動報告
○サークルブログhttp://blog.livedoor.jp/aienbunko/
などで告知予定です。
委託なども検討中ですが、現状未定です。
よろしくお願い致します。