愛縁航路   作:TTP

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Ex2-4 末原恭子のアイドルデビュー

 冷え込んでくる十一月末から十二月の初頭にかけて――毎年この時期、東帝大学の大学祭は開催される。都心という立地や大学の知名度から、例年大盛況となるこの学祭は、今年は特に注目を浴びていた。

 その要因となったのは、広く告知されたイベント――最強アイドル雀士決定戦であった。

 大々的に広告も打たれ、もはや学祭の一企画という枠を超えていた。大学祭実行委員からも多数の人員が動員され、半ば東帝大学麻雀部の手から離れつつある。

 

 それでも重要な箇所は、麻雀部員が締めることになっていた。

 

 大学祭初日の早朝。

 麻雀部の副部長たる渋谷尭深は、担当する東ステージを訪れていた。最強アイドル雀士決定戦では、キャンパス内に点在する各ステージで、多数のアイドル雀士たちがアピールと公開対局を行う予定である。

 

「おはようございます。渋谷です。今日から三日間、よろしくお願いします」

 

 このステージの進行管理全般を務める尭深は、アイドル雀士や各種スタッフと挨拶を交わしていく。二年前は学内で埋もれていた尭深であったが、麻雀部での活躍もあいまって、今では有名人の一人である。白糸台での活躍も再注目され、今回の決定戦でも推薦の声が上がったほどだった。もっとも本人にその気はなく、裏方向きと自称したため流れてしまったのだが。

 

 とにかく今の彼女は、慣れないながらも、自らの職務を全うせんとする一役員であった。

 ――故に。

 一抹の不安を抱えるアイドル雀士に、声をかけておかなければならなかった。このために、尭深が東ステージに配置されたと言っても良い。

 

 ひとしきり挨拶を終えてから、ようやく、であった。

 ステージ裏の片隅、フード付きのコートで全身を覆い隠した「彼女」を尭深は発見する。顔を見なくても、長い付き合いですぐに分かった。

 

「先輩」

「っ!」

 

 背後から声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせた。しかし、返事は帰って来ない。振り返りもしない。尭深は小さな溜息を吐くと、縮こまる彼女の肩を叩いた。

 

「菫先輩。おはようございます」

「……」

 

 黙りこくる彼女は、弘世菫。尭深にとって、高校時代の先輩でもあった。

 

「おはよう、ございます」

「…………おはよう」

 

 観念したように、菫は尭深と向き合った。フードの下で顔を俯かせ、その表情は青ざめている。気持ちは分かるし、同情する。彼女の場合、契約したプロチームの方針で半ば無理矢理ここに立たされているのだ。決して、自分の意思で来たわけではない。しかしながら、尭深としては仕事の手を緩めるわけにもいかないのが現実である。

 

「大丈夫ですか? 全体ミーティングまでもう少し時間がありますが、どこかで休みますか?」

「いや……問題、ないさ」

「無理だけは、しないようにお願いしますね」

「ああ……分かっている……分かっているさ……」

 

 菫はすっかりやさぐれてしまっていた。それでも逃げ出さないのが、彼女の美点と言うべきか。だが、目の前で応対するのには一苦労である。どうしようかと尭深が思案している間に、

 

「おっはよー、たかみー!」

 

 後ろから、流星の如く飛び込んできた影があった。彼女もまた、かつての白糸台の僚友。今は麻雀プロの、大星淡だった。

 

「どうしたの、淡ちゃん。まだ一般入場は始まっていないのに」

「もー、いてもたってもいられなくて! このイベント、私も出たかったのに!」

「今回は大学生が対象だから……」

「だったら尭深も出れば良かったのに。……ってあれ? んん? そこにいるの、スミレー?」

 

 抜き足差し足でその場を離脱しようとしていた菫を、淡が呼び止める。走り出す間もなく、淡は彼女へ抱きついた。

 

「スミレ、どこいくのっ? なになにー、こんな地味なコート似合わないよーっ? あ、もしかしてこの下に今日の衣装着込んでるんでしょっ!」

「ちょ、やめ、こらっ! おいっ! どこを触って――ああああああぁぁぁぁっ!」

 

 菫の口から、これほど悲痛な声を聞くのは初めてだった。淡の手によって菫のコートが引っ剥がされる様を、尭深は眺めるしかできなかった。

 

「わ」

「おおー」

「見るな、見るな……っ!」

 

 彼女を包むのは、これでもかとフリルがしつらえられたエプロンドレス。スカートの丈は短く、太股はしっかり外気に晒されている。頭に乗せられたカチューシャは、可愛らしい猫耳を模していた。全体的に、雰囲気はどこか現役の牌のおねえさんに近い。

 

「どうせ私にはこんなもの似合わないんだ……無理なんだ……」

 

 悲壮な顔でぶつぶつと呟く菫に、尭深はかける声が見つからない。確かに普段凜然とした彼女とは、随分とイメージの違う格好だ。菫が泣き言を言うのも納得できる。

 しかしそんな彼女へ、目を輝かせてにじり寄ったのは、他でもない淡だった。

 

「なんでっ? 凄く似合ってるよスミレっ!」

「え、え……?」

「うん! 可愛い! いいじゃんスミレ、いけてんじゃん!」

「そ、そうか……? ほんとうにそうか……?」

「もちろん! ね、たかみー!」

「え、あ、う、うん……」

「そうか……可愛いか……私が、可愛い……」

 

 淡の勢いに押されて尭深は頷く。淡の目は真剣で、からかっているわけでもないようだった。一転、菫は満更でもない様子で頬を染めて笑みを零す。

 菫の機嫌が良くなって、ひとまずは一安心する尭深だったが――

 

――どうなるのかな、これ。

 

 抱えた不安は消えることなく、燻り続けるのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 青い空に、大学祭開幕を告げる放送がこだまする。――いよいよ、このときがやってきた。末原恭子は吐きたくなる溜息をぐっと堪え、背もたれに背中を預ける。後一時間もすれば、最強アイドル雀士決定戦のオープニングセレモニーが始まる。それまでにはこの麻雀部の部室を出て行かなければならないのだが、どうにも腰が重い。

 

 何せ、アイドル雀士としてこのイベントに参加しなくてはならないのだから。同じ悩みを抱える菫とは散々愚痴を言い合ったが、もちろん解決策は見えてこなかった。これからもアイドル路線を走らねばならないかも知れない彼女に比べれば、このとき限りの自分は恵まれている――そうやって自らを納得させるのにも、限界がある。

 

「それでも、やらな」

 

 主催である東帝大学代表の恭子が優勝するシナリオはなく、彼女に与えられた役割は場を盛り上げるための当て馬だ。損な役回りだが、可愛い後輩のためである。上手く丸め込まれてしまった感は、あえて無視した。

 

それに、と恭子は自嘲する。

 麻雀はともかくとして、可愛さで他の女性たちに敵うべくもない。事前の打ち合わせで集められたアイドル雀士候補たちは、誰も彼もが高校時代から美しさにさらに磨きをかけていた。女子力、という単語が恭子の胸に突き刺さった。主催の事情がどうあれ、いずれにせよ自分の勝利はないと確信した。

 

 ただ――ひとつだけ。ひとつだけ、気になることがあった。

 

 議論の結果、最強アイドル雀士決定戦で優劣を決めるのは、次の三要素と定められた。

 一つ目は当然雀力。

 二つ目はステージアピールの審査員の評価。

 そして三つ目は、最終日に開票される一般入場者による人気投票。

 最後の人気投票の投票権は、東帝大学の学生全員にも与えられる。それは、主催たる麻雀部員も例外ではなかった。そう――彼も、投票権を持つのだ。

 

「……誰に入れるんやろ」

 

 呟いてから恥ずかしくなって、恭子は頬を掻く。普通に考えればもっと別の誰か、それこそ怜あたりに入れるのだろうが――胸の宿るのは、僅かな期待。

 

「あ、あほらしいわ」

 

 頭を振って、気を取り直す。部室に誰もいなかったのが救いである。しかしどことなく居たたまれなくなった恭子は、予定を繰り上げて集合場所へ向かうことにした。

 雨など降っていないが、黒のレインコートに袖を通して立ち上がる。既に学内には客が入り込んでいることだろう。用意された衣装で出歩くのは、ハードルが高かった。晴天にレインコートというのもおかしな格好だが、幾分かマシと恭子は判断した。

 いざ行かん、と部室の扉を開けたところで、

 

「や、末原さん。やっぱりここにいたか」

「獅子原……」

 

 待ち受けていたのはこの企画のプレゼンター、獅子原爽だった。恭子は疑わしげな眼差しを隠さず彼女に向ける。

 

「何の用や」

「大事な出演者に挨拶しに来ただけだよ。あんまり冷たくされると悲しいな」

 

 どこかおどけた声と表情が、鼻につく。今日まで何度も言葉を交わしたが、恭子は爽を信用するには至っていなかった。四年前のインハイの因縁を引き摺っているみたいで、どうにも極まりが悪い。

 

「今日から三日間、よろしく」

「……ん、よろしく」

 

 差し出された左手に、恭子は応じる。流石にこれを払いのけるほど礼儀知らずではない。しかし、ここで挑発的に笑ったのは、爽のほうだった。

 

「末原さんのところの、彼」

「彼……?」

「須賀京太郎くん」

 

 その名前が出た瞬間、恭子は眉を潜める。たたみ掛けるように、爽は言った。

 

「この間少し話す機会があったんだけどさ、良い子だね」

「話したって、何を――」

「残念だけど、それは秘密」

 

 ひょいと手を離すと、爽は悪戯っぽくウィンクする。言うだけ言って、何も答える気はないらしい。彼の名前が出るとなると、恭子としては黙っていられない話だ。だがしかし、ここで無理に食い付けば弱みを見せることになる。ぐっと堪えるしかない。

 

「獅子原」

 

 代わりに、声を絞り出すようにして、訊ねかける。

 

「なに?」

「あんたの目的は、なんや」

 

 爽はすぅっと目を細めると、やはりどこまで本気か分からない笑顔を浮かべる。

 

「私はプロデューサーだからね。もちろん、担当アイドルの成功が目的だよ」

「――……」

 

 その言葉の真意を恭子が問いただすよりも早く、

 

「先輩」

 

 爽の背後から、ひょっこり小さな影が現れる。

 

「ユキ、どうしたの。控え室で待ってろって言ったのに」

「先輩が中々戻ってこないので」

 

 最強アイドル雀士決定戦にも参加する、爽の後輩――真屋由暉子だった。彼女とも、恭子は今日までの打ち合わせで何度か顔を合わせていた。やや無愛想のきらいがあるが、素直で良い子といった印象だった。もっとも、爽の後輩というだけでどうしても警戒してしまうのだが。

 

 一瞬、恭子は由暉子を盗み見る。身長は小柄な恭子よりもさらに小さい彼女だが、髪はさらさら、肌はきめ細かく、実に愛らしい顔をしている。アイドル雀士という称号にぴったりだろう。――少なくとも、自分よりは。京太郎も投票するなら彼女のような娘だろうか。胃がむかむかする考えが、脳裏を過ぎる。

 

「それじゃ、末原さん。また後で」

「あっ」

 

 呼び止める間もなく、爽は由暉子を連れて去って行った。

 

「なんなんやったんや、あいつら」

 

 いまいち納得できないまま、しかし突っ立っているわけにもいかず、恭子は今度こそ部室を出た。

 

 いつもの静かな休日と違い、大学内は浮ついた空気に支配されている――のは勘違いではないだろう。あちこちから良い匂いも漂ってくる。客を呼び込む威勢の良い声も聞こえる。

 思えば、過去三年間は大学祭にとんと興味を抱かなかった。ずっと、インカレに注力してきたのだ。最後の最後で、こんな形で参加することになるとは夢にも思わなかった。

 

 ――どうせなら。

 

 行き交う人々の中に見つけるのは、幾組かのカップルだ。笑顔を交わしながら、あるいは手を繋ぎながら、学祭を楽しんでいる様子だ。

 

 ――あんな風に、歩けたら。

 

 夢想する隣の人物は――彼だった。少し昔なら、ばかばかしいとすぐに我に返っていただろう。しかし最近は、特に彼が日本に帰ってきてからは、気を抜けば妙な妄想を続けてしまう。

 

「あ、いたいた。先輩っ」

「んー……?」

「おはようございます、恭子先輩。……恭子先輩? どうしたんですか、ぼうっとして」

「っ? きょ、きょうたろうっ? いつからそこにっ?」

「いや、今さっきからですけど」

 

 おかげで、当の彼――京太郎が声をかけてきたというのに、気付くのがワンテンポ遅れてしまった。

 その身長差から、恭子はどうしても京太郎から見下ろされる形になる。この構図は慣れているはずが、恭子は彼の視線から逃れるように身を捩る。

 

「大体どうしたんですか、雨合羽なんか着て。今日は降水確率0%ですよ」

「ぶ、舞台衣装で出歩くんは嫌やし」

「ああ、恭子先輩の衣装、俺まだ見てないんですよね」

「見やんでええからっ。あんたこそこんなところでうろついててええんっ? 仕事あるんやろっ?」

「花田先輩から、恭子先輩を捕まえてこいって指示が出たんですよ。そろそろ来てもらないと困るんです」

「そ、そんならさっさと行くでっ」

 

京太郎を放って、恭子はずんずん歩き出す。真っ赤になっていると自覚する顔を、見られたくなかった。

自分でも子供染みた態度だと思うのに、京太郎は文句一つ言わず一歩後ろを着いてきてくれていた。背中がどうにも、むずがゆい。

 

 中央ステージが見えてきたところで、恭子ははたと思い出す。先ほどの、獅子原爽の言葉。

 

「なあ、京太郎」

「どうしました?」

「あんた、この間獅子原と何か話したん?」

 

 返事は、すぐに来なかった。

 不審に思って恭子が振り返ると、京太郎は頬を朱に染めて、顔を背けていた。煮えきれない態度と言うべきか、何かを誤魔化している様子と言うべきか。

 

 ――え、なにそれ、え、なにその反応、え、え、なに、どういうこと?

 

 その意味が分からず、恭子は戸惑うばかり。一方の京太郎は、

 

「ほ、ほら、時間もありませんし行きますよ!」

 

 恭子の追求よりも早く、さっさと歩き出してしまった。最早何かを隠しているのは疑う余地もないが、ショックの余り呼び止められない。

 

 ――なになになにっ、なにがあったん、なんやそれええええええっ!

 

 心の悲鳴は誰にも届かない。届くはずがなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「大丈夫ですか?」

「ん、ん。問題あらへん」

 

 ステージの袖で青ざめる恭子に、煌は声をかける。責任感の強い恭子である、逃げ出すことはないと煌は信じていたが、ここまでプレッシャーを感じているとは思わなかった。こうなると煌も罪悪感を覚えてしまう。

 

「私からお願いしておいてなんですが、あまり無理はしないで下さいね」

「い、いや、違うねん。覚悟はできとるから。うん、心配あらへんから」

「はぁ」

 

 恭子の言葉を信じるなら――後の可能性は、彼絡みか。あっさりと煌は当たりをつけると、それ以上は何も言わなかった。――自分にはもうどうしようもない、須賀くん、ちゃんと責任を取って下さいね。そう祈る他ない。

 

「そろそろ恭子先輩の出番ですよ」

「ん……」

 

 ようやくレインコートを脱ぎ去って、恭子はステージに視線を向ける。その顔に、自信の二字はどこにもない。麻雀をしているときとは、まるで別人だ。

 全くこの人も、と煌は苦笑した。

 

「行って、くる」

「はい」

 

 既に幾人かのアイドル雀士が登場した壇上へと、恭子は登っていく。

 彼女の姿が衆目に晒された瞬間、わっと歓声が上がった。一番びっくりしたのは、恭子自身だったようだ。

 

 今日の彼女の衣装は、巫女装束がモチーフである。

 留袖の白衣の肩はぱっかり空けられ、白い肌が丸見えだ。袖露の色は桃で、可愛らしい。緋袴は――かつて永水女子の薄墨初美がそうしていたように――まるでミニスカートのように改造されており、裾には白のフリルが加えられている。少し動けば、ひらひらと舞いそうだ。足袋の丈はサイハイソックスのように長いが、ミニスカートのため太股ははっきり見えていた。当然と言うべきか、髪は赤いリボンでハーフアップにまとめている。

如何にして末原恭子を可愛く見せるか、煌が研究に研究を尽くした結果の一つであった。

 

「末原せんぱーい!」「可愛いーっ」「こっち向いてーっ」「きゃーっ!」

 

 観客席から黄色い声が飛び、なおも恭子は目を白黒させている。事態についていけていないようだった。

 

 そもそも、と煌は苦笑する。

 恭子の学内での知名度は、決して低くない。むしろ高いくらいだ。インカレ出場へと邁進していた姿勢、生みだした結果、不屈の意志、そしてふとしたときに見せる愛らしい表情。どれを取っても、「すばら」であろう。知らぬは本人ばかりで、下級生を中心に支持層は形成されているのだ。

 

「恭子先輩を出さない手なんて、初めからなかったんですよねぇ」

 

 しみじみと煌は呟いて、舞台であたふたと挨拶をする恭子を見守る。それから、自分の仕事も忘れて恭子に視線を奪われている京太郎も。

 

 実に、順調な滑り出しであった。

 このままいけば、企画は大成功で終わるだろう――煌のそんな目算とは裏腹に。

 まだ誰も気付かないまま、祭りの裏で悪意は蠢いていた。




あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。


昨年末は冬コミC91へサークル参加させて頂きました。
用意しました新刊は会場で完売となりました。本当にありがとうございました。通販分を、とも考えていましたができなくなりました……申し訳ありません。

代わりと言っては何ですが、今年の夏コミにも新刊を出したいと思っています。今度は最初から通販分も刷ります。受かればの話ですが)。
その他色々企画に参加したりと色々画策しているので、よろしければまたお願い致します。


愛縁航路の特別編ももう少しで終わりです。最後までお付き合い下されば幸いです。


巫女服はいいぞ。

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