大学祭、そして最強アイドル雀士決定戦は、最終日の朝まで大きなトラブルもなく進行した。恥ずかしい格好で人前で歌って踊って、さらには麻雀まで打って、恭子の疲労はピークであった。しかしあと一日、ここを乗り切れば平穏な日々が戻ってくる。そう自らを鼓舞し、恭子は大学まで辿り着く。
「おはよう、恭子! 今日も頑張ろうか!」
「……なんなん菫、めっちゃ元気やな」
「そうか? いやなに、意外とアイドルというのも悪くないと思ったまでだ」
朝一番に出会したのは、弘世菫だった。開催前日は彼女も憂鬱で沈んでいたというのに、今は溌剌としている。
「瑞原はやりの見る目は正しかったっちゅうことか?」
「そこまではまだ分からないが……か、可愛い、と言われるのは思っていたよりも嬉しかったな、まあ」
「元々、あんたは格好いい言われるタイプやもんな」
「恭子だって似たようなものだろう。お前も随分声援を送られていたそうじゃないか、嬉しくなかったのか」
「慣れへんもんは慣れへん。菫が順応してるんが不思議なくらいや」
大星淡に褒められたことがきっかけとは恭子も思いつかず、肩を竦めるばかりである。もしかするとアイドルになるコツがあるのかとも思ったが、結局はよそはよそ、うちはうちと割り切るしかないようだ。
「そう言えば」
「ん? どうしたん?」
「真屋由暉子とはもう打ったか」
あの小柄であどけない少女と、それから獅子原爽の顔を同時に思い浮かべる。何を企んでいるか、油断のできない二人。訊ね返す声は、どこか硬質的なものになった。
「まだやけど。真屋が、どうかしたん?」
「なかなかの実力だった。大学リーグ戦の牌譜を見直したが、別人と思ったほうが良いな。この決定戦に期するものでもあるのかも知れないな」
「ふぅ……ん」
「油断だけはしないほうが良い。それだけだ」
「ん、あんがとな」
恭子自身は最強アイドル雀士決定戦などに執着はないが、強い雀士と打てるというのなら滾るものがある。それに、真屋由暉子を通じて獅子原爽について何か掴めるかも知れない。
――そんな恭子の希望は通じず、事件は起きるのだった。
◇ ◇ ◇
東帝大学大学祭最終日、午前十一時五十五分。
最初に異変に気付いたのは、渋谷尭深だった。
「……菫先輩は?」
お昼休憩を挟んですぐ、担当するステージに菫が立つ予定であった。事前調整を考えれば、そろそろ戻ってきて貰わないと困る。
「菫先輩、見なかった?」
「いえ、見てませんが」
「先ほど休憩で出たきりですね」
周囲の担当者に質問しても、明瞭な返答は帰って来ない。携帯に電話をかけても、繋がらなかった。
菫は自分の仕事を放棄する人間ではない。ましてやこの二日間で、アイドル活動にも目覚めたのだ――尭深からすると意外であったが――逃げ出す理由が見当たらない。
「どうかしたんですか」
「京太郎くん」
こちらから何も言わずとも、声をかけてくれたのは京太郎だった。ほっと安心しながらも、万が一のことを考えれば予断は許されない。かいつまんで菫の不在を告げると、
「分かりました。道に迷ってるかも知れませんし、俺が探してきます。尭深先輩は煌先輩に連絡して下さい」
「うん、分かった。お願いするね」
駆け出す京太郎の背中を見送ってから、尭深は携帯電話を取り出す。
「もしもし、煌ちゃん――」
『あ、尭深ちゃん? 私、宥だよ』
「宥先輩? でも、これ」
『うん、煌ちゃんの電話で間違ってないよ。煌ちゃん、今ちょっと手を離せなくて、代わりに私が。どうかした?』
「実は、菫先輩が――」
京太郎にした説明をもう一度繰り返す。その間も菫や京太郎が帰ってくる気配はなく、尭深の中で焦りは募るばかりだった。
さらに、予想外の事態が宥の口から語られる。
『そ、そっちもなんだ』
「そっちもって、どういうことですか?」
『こっちも、さっきから何人か行方不明なの。今煌ちゃんが探してて、でも一人も見つかってないの』
尭深は眉を潜める。
同時多発的に、アイドル雀士が消えた。そんな偶然があるだろうか。彼女たちが自発的に一斉ボイコットをする理由は見当たらないし、予兆もなかった。
ならば、悪意ある人間の仕業。断定するには早いが、その可能性も考えて動かなくてはならない。
『捜索隊は煌ちゃんと京太郎くんに任せて、私たちはステージの進行を調整しよう。止めるのも続けるのも、判断する人が必要だから』
「……分かりました。こっちのステージは任せて下さい」
『うん。何か情報を掴んだらすぐに連絡してね』
一旦、宥との通話が途切れる。動揺ばかりはしていられない。後輩たちが縋るような目でこちらを見つめている。先輩として、毅然とした態度を取らなくてはならない。
ただ、菫の代役はそう簡単には見つからないだろう。予定を繰り上げて次のアイドル雀士に舞台に出て貰うしかないだろうが――
「あの、尭深先輩」
「どうしたの?」
「弘世さんだけじゃなくて、新子さんも帰って来ないんです」
「……っ」
頼みの綱が、切られてしまう。最悪ステージの再開を遅らせるという選択肢もあるが、それは苦渋の決断だった。
今日この舞台のために、どれだけの人が尽力してきたか、尭深はよく知っている。
煌が、宥が、京太郎が、怜が、恭子が、後輩たちが、実行委員たちが、寝る間も惜しんで準備した場なのだ。そこに水を差され、観客たちが白けてしまうような展開は許したくなかった。アイドルにさほど興味のない尭深でも、強くそう思った。
――悔しい。
麻雀以外で、こんな想いをするとは思わなかった。たかが文化祭の一催しと割り切るのは、困難だった。それでも決断しなくてはならないのは自分だ。尭深は意を決し顔を上げ、
「話は聞かせてもらったよ、たかみー!」
「あ、淡ちゃんっ?」
不敵に笑う淡と、目が合った。いつの間に来ていたのか。
「ここは私に任せて!」
「ま、任せてって……」
「スーパーノヴァの淡ちゃんは大舞台に慣れてるからね!」
彼女が手元で転がすのは、どこから取ってきたのか、ステージマイク。準備は万端だった。
「それに、スミレが楽しんでるのを見てやってみたかったんだよね!」
「本気……なの?」
「もちろん! 場つなぎでもなんでもやるよ! 大いに盛り上げちゃうよ! それとも、私じゃ不足?」
挑発的な目で訊ねられるも、尭深は笑った。首をゆっくり横に振り、淡に向かってぺこりと頭を下げる。
「お願い、淡ちゃん。みんなが帰ってくるまで――」
「任された!」
高らかな返事は、どこまでも心強かった。
実際、淡は急な舞台にも問題なく対応した。どこで覚えたのか、歌ってよし踊ってよしトークも軽快だった。一年以上プロとして活動しているのは伊達ではない、ということか。
――それにしても。
ステージ上に淡を送り、次なる一手を考えながら、尭深は胸に引っかかりを覚えていた。
――今の状況と似たような話を、どこかで聞いたような。
大学祭。行方不明。既視感のある状況。そうだ。尭深は思い出す。
恭子が話していた、東帝大学の七不思議。
亡者たちが、学外の人間を攫ってしまうという与太話。
「……そんなオカルト、ありえないよね」
尭深の呟く声は小さく、寒空に消えていく。
今は、仲間たちを信じるしかできなかった。
◇ ◇ ◇
休憩時間中に「現状」を聞かされた恭子は、獅子原爽の姿を探していた。
――私はプロデューサーだからね。もちろん、担当アイドルの成功が目的だよ。
思い返すのは彼女の語り口。そしてその目的。彼女が大切にしている後輩――担当アイドル。
確認したところ、真屋由暉子は今も無事らしい。拐かされた形跡はない。決定戦における彼女の戦績は、ここまでで上位に食い込んでいる。しかし、優勝候補には今一歩届かないと言ったところか。投票などでひっくり返る可能性は当然あるが、盤石にはほど遠い。菫といったダークホースの存在が現れたのもマイナス要因となっていた。
もしも、彼女を勝たせるために獅子原爽が動いたのだとしたら。
優勝候補たちを引きずり下ろすために、拐かしたのだとしたら。
疑念は拭えない。恭子は知覚できないが、獅子原爽が不可思議な能力を有していることは知っている。それを使ったのだとしたら、一人でも犯行は可能ではないのか。
大学祭で人口密度の高いキャンパスを、慣れない巫女装束で駆け巡る。人目を気にする余裕はなかった。
「あ、末原さん! ちょっと待って下さい!」
道中で、馴染みのない女学生に呼び止められる。腕章を見るに、大学祭実行委員のようだった。こんな娘おったっけ、と疑問に思いながらも彼女に駆け寄る。
「どうしたん? なんかあった?」
「須賀さんがあっちで待ってます、用があるって」
「京太郎が……?」
「はい。こっちです、案内します」
用事があるなら電話をかければ良いのに、と疑問に思いながらも、恭子は女学生の後を追う。
――違和感を覚えたのは、中央通りから離れ、人影がぱたりと消えてからだった。連れて来られたのは学舎の裏手で、祭りの喧噪が遠くに聞こえる。
「京太郎は――いや、あんた」
女学生を前に、恭子は身構える。
いなかった。実行委員の中に、こんな娘はいなかった。
「もしかして」
だが、どこかで会った記憶はあった。まとわりつくような、嫌な思い出の中で。
にやり、と女学生が――本当に女学生なのだろうか――笑う。その笑顔に、怖気が走った。
「んぐっ?」
問いただすよりも先に、後ろから羽交い締めにされる。誰が、いつの間に――疑問に思いながらも、恭子はもがく。だが、彼女の腕力は全く通じない。鼻に押し当てられた布きれからは、嫌な匂いがした。
――助け、きょうたろ……っ!
その叫びは、届かず。
恭子の意識は、暗転するのだった。
◇ ◇ ◇
『落ち着いて聞いて下さい』
そう前置きして煌が語った話は、到底許容できるものではなかった。スマートフォンを握る手に、自然と力が込められる。煌の言うとおり、落ち着かなくてはならない。そう自戒しながらも、須賀京太郎は焦りを隠せなかった。
恭子までもが、足取りをつかめなくなった。
東帝大学の中で、そんなことは通常有り得ない。明らかに、何かが起こっている。警察に通報することも視野に入れる段階に入っていた。
「ばかか、俺は……!」
激しい後悔が、湧き上がる。
最初の異変の時点で、残るアイドル雀士の安全を最優先に動くべきだった。――もっと言えば、恭子たちの元に駆けつけるべきだった。恭子なら大丈夫、という慢心があったのは間違いない。あまりにも情けなかった。
「もしもし、怜さんっ? あ、あの――っ」
私的な行動と分かりつつも、電話をかけた相手は怜だった。もう一人の東帝大学代表アイドル雀士。彼女も誘拐の対象かも知れない。
『きょーちゃん』
電話に出てくれてほっと安心する一方――開口一番、怜は窘める声を発していた。
『慌てたらあかんで。大丈夫、こっちも事態は把握しとる。これ以上好きにはさせへんから』
「と、怜さん……」
『恭子はそう簡単に負けへん。でも、助けは必要やろうから。行ってあげて』
「……はい。でも、場所が。情報が、足りません」
『それなんやけどな。これは尭深さんから聞いたんやけど……京ちゃん、東帝の七不思議は知っとる?』
かいつまんで話された内容は、学祭の間に行方不明者が出るというよくある怪談話だった。ただ、確かに状況は似通っている。
「亡霊の仕業……って言い出すわけじゃ、ありませんよね?」
『もちろんや。問題は、引きずり込まれるっちゅう地下通路のほうや』
「……もしかして」
『うん。実際、学祭の間は色んなところに人の目あるからな。何人も攫って隠そう思たら限られてくる。遠くにも連れていけんやろうし。――件の地下通路、可能性は高いと思うで』
「本当にあるんですか、その地下通路」
『さっき、後輩たちに確認してもろた。使われてない入口がいくつかあるみたいや』
当たってみる、価値はある。
正確には、縋る可能性はそれしかない。今いるところから一番近い入口を教えて貰い、京太郎は覚悟を決める。
「後のことはお願いします」
『ん。気ぃ付けてな』
こういうとき、怜は止めずに背中を押してくれる。彼女自身が無茶を押し通す立場というのもあるだろうが、心強くて有り難かった。
『地下通路の話は、そんな有名と違う。もしもほんまに使ってるんやとしたら、犯人は――』
「すみません、怜さん」
最後に一つ、付け加えようとした怜の声を遮る。そうせざるを、得なかった。
『……どうしたん?』
「また、後で話します」
強引に通話を切り、京太郎は目の前に現れた人物と対峙する。
「お困りのようだね」
パンツスーツ姿の彼女は――獅子原爽は不敵な笑みを浮かべ、悠然と構えていた。
かつて彼女と交わした会話を思い出し、京太郎は唇を真一文字に引き結ぶ。緊張が、彼の身体を支配した。
次回更新予定:1月16日00時00分(最終回)