Fate/Zero【人間賛歌の魔王】 作:Red_stone
「──やあ。元気してた? いやぁ、お互い馬鹿なご主人様持っちゃうと大変だよね──あははははは」
気さくなセリフを蠅がうぞめくような調子で吐き捨てるのは第八等廃神──神野明影である。その声は世界を呪っているようで、しかしその実心から世界を祝福している……悪魔たる彼なりに。
もちろん、話しかける相手である彼と友好的な関係になったことは一度もない。
「私に話しかけるなよ、人外」
関わるどころか、彼を見る事そのものがとてつもなく不幸とさえ言える無貌の悪魔に話しかけられるという最悪の事態に陥っているのは言峰綺礼である。まるで甘い麻婆豆腐を食べたかのような絶望的な表情をしている。
時臣は幸運にも眠っている。魔力を吸われたせいで激痛に襲われているため起きれないというのが本当のところだが、それでもこのじゅすへると顔を合わせるよりは幸せだろう。それほど、神野は存在そのものが不快である。
(──ああ、なるほど)
そして、綺礼は追い求めていた……知った今となっては知らないままの方がよかったと声を大にして言える感情の一つを手に入れた。
(これが嫌悪か。臓腑に汚泥がしみこむような、目を抉り取って洗いたくなるような──これが嫌悪)
つくづく、嫌になった。こんなものを追い求めて厳しい修行をしていた自分が馬鹿みたいだ。
まあ、できれば喜びとか達成感とかそういう正の感情を味わいたいとは思っていたものの。感情を感じられるのなら、それが負に属するものでもよいかと思っていた自分につばを吐きかけたい。蹴り飛ばしたい。黒鍵の一つや二つぶっすりと刺してしまいたいくらいだった。
(む。これが自己嫌悪──というか、後悔か。これは感じたことがあるな。なるほど、感情も薄いとわからなくなるものか。これが後悔。嫌なものだ)
あれだけ求めていた“感情”がポンポン手に入る。いや、欲しいのは“良い”感情だったはずだ。こんな感情は要らないと、声を大にして主張したい。こんな感情を知るくらいなら、感情なんていらなかった……ッ!
(だが、それも──この外道の前で、それだけで済むはずがなかろう)
このおぞましい気配を前にして、一体だれが平常心を保てるというのだろう。不本意ながら、綺礼は自分でも認めざるを得ないほどに心を真っ平らに均されたかのような人間である。
そんな彼ですら黒い感情を嫌になるほど掻き立てられてしまうのがこの
(けれど、何かを期待しているような。──この悪魔に?)
何だというのだろう? 単に時臣を巻き込みたいだけなのか。己が師を生贄にして、安全なところから笑っていたいのか。いやいや、ここは身を挺してかばう場面だろう。自分は教えられた良識にのっとって、その通りに行動する人間のはずだ。
「おいおい、綺礼。きれー。きーれーいぃ。何を一人で考え込んだりしているんだい。それって失礼じゃないかな。目の前で放置プレイとか、どんな趣味者だよ。いまどきはやらないぜ、神父様」
カラカラと嗤う
「貴様に対して失礼も何もあるものかよ。存在そのものが主に対する冒涜だ。貴様など──犬にも劣る畜生でしかないだろう……ッ!」
もう見るのも嫌だ。このような存在と話すなど虫唾が走る。だが、話をしなければいつまでだってここにいるのだろう。
どうにも殺せる気がしない。こんなときは即座になりふり構わず撤退したものだが、さて。こいつに人を殺せる能力はない。代わりにどこまでも追跡してくる執念深さは十分あるだろう。
「いやいや、そんな悲しいことを言わないでくれよ。僕ら、仲間だろ? お前にまでそんな風に言われたら、僕はどうすればいいんだい」
神野が着ているのは冒涜的な反転を遂げているが、確かに神父服である。決して、僧衣とか現代風衣装とかではない。綺礼が来ているのも神父服……とはいえ、一緒にされて殺意が芽生えないはずもないが。
「……ッ誰が仲間だ!? 主に背を向け──汚し、つばを吐きかける貴様のような奴と私を同列に括るな! 誰よりも何よりも這いよる混沌がァ──ッ!」
だが、これはおかしい。このような侮辱をされて、怒るだけで済ますなどということがあるか? そう、綺礼は未だ黒鍵の一本でさえ放っていない。それは人として異常だ。信仰に対する裏切りだ。確かにどのような攻撃とて無駄だろうが。
「確かに僕は反転している。宗教と言うものを知る人間ならば誰もが眉をひそめるだろう。僕自身にも神様を皮肉るところはあるしね。だけれど、これは僕なりの主への忠誠心の表れなんだ。そう、君が魔術を習ったのも同じことだろう? それは異端に身を落とすということではあるけれど、確かにそれは君の信仰に端を発するものではあるだろう」
「ぐぬ──そんなものは詭弁にすぎん! そもそも、貴様が人間の心など持っているはずがないだろう。それだけでも貴様と私の行為が異なっていることの証明になるはずだ」
「いやいや。そういうものじゃない。こういうのは、証拠とかそういうのは別にいらないんだよ。わかるだろう? そんなものがあるとしたら、それは心の中にしかない。だって、本人はちゃんとわかってるんだから。わかってる上で、目をそらさざるをえないような最悪で見たくもないものなんだ。証拠を求めるというのは、いわば決壊の前兆でしかないよ。目を逸らしたくて逸らしたくて、最後の希望が──曰く証拠がなければ現実もなくなると。証拠がなければ事実もない──なんてことにはならないのは本人にもわかっているはずなんだけれど。それでも認めちゃ壊れてしまうからね。だからこそ、“そこ”を突いてやるのは楽しいってもんじゃないか。君も十分知っているはずだよ。言峰神父」
「──それはトラウマを抉っているだけだろうが! 私は──私は、そんなことしていない……迷える子羊の傷を切開するようなことが許されていいはずがない──」
しかし、そういう綺礼の適正は『切開』。それは魔術の適正であり、別に魔法において火の属性を持っているからとはいえ熱い人間だとは限らないのと同じように、綺礼だって傷を抉ることが好きだとは限らない。けれど……まさに、“そういうこと”である。つまり大抵の場合では当てはまるということでもある。
「おやおや、声を張り上げていた君はどこ行ったんだい。フレー。フレー。きーれーい。はい、声あげていこー。がんばれ、がんばれ、きーれー。……っぶ。あっはっはっはっは」
「ぐぐぐぐぐぐ……!」
「ああ、そうだ。今日は親愛なる君に良いものを見せてあげようと思って来たんだよ」
そういって、まるで内緒話をするように顔を寄せる。綺礼は顔にうじが這い登って来るのを感じる。むろん、錯覚だが。
「聞きたくないと言ったら、お前はそれで済ませてくれるのか?」
「おいおい、この僕がそんな他人に嫌がらせじみた真似をするわけがないだろう。快く聞いてもらうまで付き纏うにきまっている」
「──貴様の醜悪さは折り紙付きだな。もういい、さっさと話して帰れよ、貴様」
「とはいえ、見せたいものなんてここに持ってこれるものじゃあない。いや、ほら。今の僕ってサーヴァントの宝具扱いなんだよね。まあ、主の道具だっていうんなら別に以前と変わったことはないんだけどさ。いや、今の僕じゃものに触れることもできないんだよ。まあ、他人に僕が触れた感触を錯覚させることはできるんだけどさ。──お茶くみすらできないってわけ! やったことないけど」
「それは朗報だな。だが、それゆえにこちらからも触れられないということか?」
「いやいや。それはないさ。サーヴァントのクラスによる補正以外、強化はあり得ない。宝具に至っては言わずもがなだ。僕が触れることができなくなったって、君が触れることもできなくなる道理はない。単純に、僕の実体を捉えるためにはそれだけの本質を見抜く力が必要ってだけさ」
「では、黒鍵で打ち砕こうと思えばできると?」
「君に相応の実力があれば。まあ、物理だろうが魔術だろうが僕の核は砕ける類のものじゃなかったはずなんだけどね。要するに一度斃されれば、もう復活はできない。これもまた、宝具扱いになったことの弊害だね。やれやれ、とんだハードモードだ」
「──」
「僕の核を見抜こうというのかい? 無駄なことをするのが好きな人間だね。まあ、そこら辺は勝手にやっていてもらうとして。ものを見せたければ、その人に動いてもらわないとどうしようもないから、君はそこに行ってもらわなきゃならない。ああ、そこって言ってもわからないかな。座標は──」
こそこそとささやいた。
「──だよ。とても“良い”ものが見られるはずだ。アルトリア嬢は連れて行かない方がいい。エスコートに気を取られて集中できなかったのでは、君も浮かばれないだろう。そこには君の追い求めていたものがある」
「なん……だと。貴様がなぜ、私の問いを知っている?」
「悪魔だからさ。僕の知らないことはない。もともとそういうものなんだよ。君に日本の事情を知れというのは、少し難しいこととは知っているけれど言わせてもらおう。もう少し勉強してくれ。僕の教義はねじれ曲がってわかりにくくなってはいるけれど、きちんと原典はあるんだぜ。その辺のことは同じ主を敬愛するものとして、知っておいてもらいたい」
「──」
まあ、外国で暮らしていた綺礼に隠れ切支丹のことを知っていろとは無茶な話だが。そも、知っている日本人でさえどれだけいるのか。
「今からでも出発した方がいい。──あまり時間を喰うと、間に合わなくなってしまうかもしれないからね」