Fate/Zero【人間賛歌の魔王】 作:Red_stone
ここは間桐邸。客人には決して踏み入らせない地下の間である。
「ふむ──まだ持っておるようだな」
神野とは違った趣のある反吐の出るかすれ声が地下牢に響く。
彼こそは間桐臓硯。500年を生きる魔術師にして人から外れた者。声からにじみ出るのは、人から外れた妖怪じみた妄執だ。
「あが……ががががががが」
彼が話しかけているのは雁夜。鎖に繋がれ呻いている様は、虐待される精神病患者を連想させる。
彼の片眼は濁り、四肢は不随意にびくびくと蠢いている。残った片眼も茫洋としていて、音を認識できるかすら怪しい。
「お前がここまで来れるとは思っておらなんだよ」
黙れ、耳障りだ。と縛られながら思う。そもそも頭にはノイズが走って、どんな音楽もぶつ切りの雑音にしか聞こえない。この言葉だって半分も聞こえていない。
だけど、コイツの言うことはわかる。なにせ、祖父として付き合い続けてきた奴だ。その性格の悪さは誰よりもよくわかっている。
「ううう──」
もっとも、文句を言うことすらできやしない。口からはぼとぼととよだれが垂れていて、力が入らない。口を聞こうとしても言葉にならない。というか、口を閉じる事さえ。
「外様の魔術師は全て敗退したようじゃ。まあ、聖杯戦争をわかっていない外様があれだけ生きられた方が驚きじゃな。それだけではなく、そもそも御三家さえどれほど生き残っているものやら。儂はてっきりお前がすぐに負けるものと思っていたからの。いやはや──がんばるものじゃ。儂も鼻が高い」
は。どうせ貴様は俺を苦しめる算段でもつけているのだろうと見当をつけて。そんな耳障りな言葉など聞く気にもなれない。
「………………」
色々と戯言を並べている。そんなうわ言をよそに雁夜は熟考する。この蟲の爺を倒すためにはどうするべきか。
末期のがん患者にも匹敵する苦痛、そして、体内の神経を食い荒らす蟲。そんなものを抱えた煮立った頭では、まともな思考は望めない。
だから一つ一つ考えていく。ノイズが走って考えが分断されたなら初めからやり直す。時間だけはある。どうせ頭には眠るだけの機能すら残されていない。意識を失うことはあれど、眠って回復なんてものは望めない。完全に末期である。
いつまでも考え続ける。時間の許す限り。時臣を倒した時から一心に──蟲の翁を倒し、桜を救い出す方法を。
「──む?」
地下牢の蟲の翁が眉をひそめる。……蠅の羽音が聞こえたような。
「……ぐぐぐ」
縛られた雁夜は低いうめき声をあげる。意識が断続的に切れたりついたりする。これは昔ながらのテレビのように切れた回路が衝撃で丁度良い具合に引っ付いただけである。
次に切れたらまたつながる保証などどこにもない。
「あ────―」
何かをしゃべろうとしても壊れたフルートのようなかすれた音がするだけだ。自分の身体だからわかる。もう自分の身体は生きられない。死体のかろうじて残った機能が未練たらしく動いているだけの回復の見込みがない病人である。
だが、それでも。
やらねばならないことがある。誓ったのだ。絶対に諦めなかった男に、諦めた自分がただ一つだけは諦めないと約束した。彼は近くで見守ってくれている。
だから、やらないわけにはいかない。逃げてばかりいた自分だけど、最期だけは逃げたくないから。
「──ん? 雁夜よ、サーヴァントをけしかけようというのか。ふむ、驚きじゃな──だが、貴様にはできんよ。そう命令しようとすれば刻印蟲が貴様の体内で暴れ狂う。これがセイバーであれば意を酌んで動いてくれたやも知れぬがな。じゃが、貴様の操るサーヴァントはバーサーカーのクラス。意識がはっきりせねば命令を下すどころではあるまい?」
かっかっか、と嘲り嗤っている。他者の苦痛や苦境が嬉しくて仕方ないらしい。その証拠に彼はよくここに現れる。
ただ苦痛にもがき苦しむ雁夜を見るためだけに。もしかしたら、敵の情報収集よりも熱心に。
「あ。ああああ。……ば──」
死んだ発声器官を無理やり動かす。止まりかけた肺を酷使して、痰で埋まった喉を無理やり押し上げて、焼きごてで神経を直接焼かれるような苦痛とともに空気を吐き出す。
「ほう、声による命令か。貴様のバーサーカーなら従ってくれるかもな。声を出せたら、じゃが──しかし、よく耐えるものじゃな。明確に声に出して命令しようとする──その段階で刻印蟲は聖杯戦争参加前のお前じゃったらショック死するほどの激痛を与えておる。それでも死なんどころか、まだ声を出そうとするか」
笑っている。嘲笑っている。雁夜の必死の努力を──馬鹿め……貴様には何もできんよ愚か者と上から見下している。
そもそも、雁夜を育てたのはこの妖怪である。であれば、雁夜の3流魔術師っぷりはなんのことはない。師に見合った実力でしかないということだ。それも──この妖怪は弟子に才能がなかったと嘲るだろうが。
「ば──ば──ばーさ……」
口を動かす。それどころではない苦痛が全身を駆けまわっている。
それは、バーサーカーに魔力を供給する魔術回路よりも、痛覚や触覚などの苦しむのに必要な器官を最優先で蟲に保護されているからだ。痛みだけはなくならない。そうなるように調整された。
「ほっほ。よく回る口じゃ。これほどの激痛の中でまだ声を出そうとするか。ふむ、よほど遠坂の小娘を気に入っておるのか? くく、心配せんでもこの戦争に勝ったら少しくらいはいい思いをさせてやろう。処女こそワシがもう奪ったが、好きにしてよいぞ。胎を壊さん程度にな」
ふざけたことを言う。わずかに聞こえたのかもしれない。雁夜の顔色が変わる。
「き──さ。……まァ!」
がしゃ、と鎖が鳴った。絶対に、音など鳴らないはず。だって、雁夜の筋肉はもうないのだから。蟲に喰われて無くなってしまったのに動く、その矛盾を蟲の翁は知覚しえない。
「貴様、か? よしよし、よく言えたのう。いや、この状態でしっかりと発音できるとはの。誉めてやろう。そうじゃ、褒美に桜の血でも飲ませてやろう。少しは魔力が補給される。もうサーヴァントも残り少ない……もしかしたら優勝できるかもしれんのう」
なぜなら、人は悦に浸っている時にはわき目もふらない。よく楽しいときには時間も忘れるというが、この場合は違和感を感じることすらも忘れ去っている。見下すことを心底から楽しんでいる。
「その薄汚い口を閉じろ」
急にはっきりとした声を出した。異常だ。死滅した声帯からこんな声が出るはずはない。
絶対に起こりえないことが起こっている。奇跡? そんな──神に愛されさえすればどうにでもなる、などというほど世界は救えたものではない。ゆえ、安っぽい奇跡などではありえない。
“何者か”の意志が存在する。この悲劇をさらに上の視点から見下ろす意思がある。
「何? 雁夜、貴様──」
魔術? いや、そんなはずがない。間桐の魔術は蟲を操る。回復は専門外で、さらに言えば雁夜はそんなものを習得していない。そう……師が言うのだ。間違いなく、雁夜の持っている魔術の中にこんなことができる魔術は存在しない。
「元凶はお前だ。お前が葵さんを不幸にした。凜ちゃんと桜ちゃんを引き離して、桜ちゃんには凌辱までした。でも、俺は貴様のことを無敵と信じていたから何もできなかった。……逃げるしかないと思っていたよ。お前は人間では絶対に勝てない化け物なんだと震えることしかできなかった。だけど、そんなことがあるはずないんだ。聖杯なんかに固執して何百年も生き長らえているようなお前が全知でも全能でもあるはずない。もっと、早く気付けばよかった」
ぼろぼろの枯れ木のような腕に力がこもる。動かすことすらできないはずの腕が手錠を引っ張る。なぜ折れないのか。
雁夜の体は筋肉は喰い尽くされ、骨はかじられて皮と神経だけでつながっている状態だ。これはもう──奇跡などと安っぽい言葉を使いたくなる。
「馬鹿な……! 貴様の肉体は死を待つのみ。立つどころか、しゃべることさえできぬはず……! 一体何が起きたというのじゃ……」
間桐臓硯には何が起きているのか理解できない。いくつもの状況は想定していた──が、このような状況など想定していない。ありえない。
「だが、それはもういい。お前は元凶だ。けど、俺が倒さなきゃならないわけじゃない。そう、全ては目的を達成できさえすればそれでいいんだ。例え、それがただの僕が自分自身を根底から否定したいだけの自殺衝動でも。それで桜ちゃんを救えるのなら──諦める。ああ、諦めてやるさ俺の命なんてものも。ゴミみたいな意地も」
ぎりぎりと腕に力がこもる。鎖が悲鳴を上げる。今にも壊れそうだ。
「何が起きている? 雁夜、貴様の心臓はもう無い。──先ほど食い破った! すでに四肢の神経さえも蟲どもの腹の中。……なのに、なぜ動ける? なぜしゃべる? その力はどこから来る!? お前は何者だ!?」
ありえない。ありえないありえないありえない。いったい何がどうしてこんなことが起こりえるのか。
殺してしまえばどうにかなる。どうにかなったのが彼の世界だ。目撃者は消せばいい。敵対者は殺せばいい。意に従わぬ者は排除すればいい。それで世界は回ってきた。
だが──なんだ、こいつは!? 殺しても、殺しても、殺しても──たてついてくる此奴をどうすれば!?
「──ただの負け犬だよ」
雁夜は己を束縛する鎖を引きちぎり、憎たらしい顔めがけて存分に力を込めて──思い切りぶん殴った。