Fate/Zero【人間賛歌の魔王】   作:Red_stone

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第63話 アイリスフィールの叫び

 

「……死ね」

 

 呪詛が口から洩れた。

 

「あ! いけない、こんなこと思っては」

 

 これはアイリスフィールの感情ではない。殺したい──ありとあらゆる生命を許さない。貴様ら死ねよ。目障りなんだよ消えてなくなれ滅塵滅……

 

「……だめ!」

 

 これは泥だ。聖杯から湧き出る泥が心身を冒してこんな感情を植え付けている。

 アイリスフィールはこんなことを想ったことはなかった。そもそも彼女の世界は閉じている。このような世界に向けた祈りなどない。ひたすらに己の内側へ向かって行く求道が彼女の形だ。

 

「切嗣」

 

 そう、彼女の世界は切嗣を中心に閉じている。世界なんてのは切嗣が救おうとしている何かに過ぎず、それを達成しようとするのは自分と娘のためでもあると信じている。

 そして憎しみやその他の暗い感情についても、自身の役目そのものを嫌悪してもユーブスタクト翁を憎んだことはない。聖人というよりも、そちらの方向への発達が遅れている。

 

「……消えろ」

 

 だから、こんなのは嫌だった。

 音もなく憎しみが恨みがひたひたと迫ってくる。それは熱いスープのようで、臓腑にまみれた汚泥のようでもあった。

 こんな自分は嫌だ。他人の不幸を願うなど……切嗣に嫌われる。だから、ねえ──

 

「助けて、切嗣」

 

 苦しいとき、いつも彼女は切嗣に助けを求めていた。そして、我慢していれば切嗣はいつでも駆けつけてくれた。

 だから好きだ。男と言うものはよくわからない。切嗣のことですら理解しているとは言い難いのかもしれない。けど、この愛だけは本当だと思う。

 

(本当に、そうかな?)

 

 声が聞こえた。この声──聞いたことがあるような。いや、これは。

 

「……キャスターなの?」

(さて、どうだろうか。しかし、聖杯に呼び出されたキャスターは衛宮切嗣の相手をしている。この私は聖杯にこびりついた残滓の反響に過ぎない。それをキャスターと呼ぶかはお前に任せよう)

 

「何が言いたいの?」

(俺はキャスターという仮面(ペルソナ)をかぶっている。だがな、本当の私──というものがあるとしたなら、それは君なんだよ)

 

「──泥。内面の悪感情が表面化したと?」

(まあ、間違ってはいないんじゃないか。そもそも俺はお前だからな。お前の分からんことは俺も知らん)

 

「聖杯から情報を得たんじゃないの?」

(いや、得ていないな。これも聖杯の特性かな。だが、違うだろう──お前は現実から目を逸らしている。だからお前は知らないし、当然俺だって知らないわけだ)

 

「目を逸らす? 何のことかしら」

(切嗣のことに決まっているだろう。お前の現実とは切嗣のことだ。まず彼があり、そして彼で終わる。だがな、イリヤスフィールのこともある。いつまでも目を逸らし続けられやしないだろう? ママ)

 

「──」

(言われないと認められないか? では、言おう──切嗣はお前を愛してなどいない)

 

「……そんな馬鹿なことがあるものか! 切嗣は私に世界をくれた。愛していると言ってくれた。あの人は──私を愛してる」

(いいや、利用しただけさ。ユーブスタクハイト翁と同じように──愛していると囁くだけでけなげに働いてくれる。お前は操縦しやすい機械だ。彼は便利な道具を物として愛しているだけさ。彼の妻として愛情を向ける人物は他にいる)

 

「そんなこと、切嗣は思ってない! 」

(なら、彼はイリヤスフィールをどうするのだろうね?)

 

「──あ」

(彼はユーブスタクハイト翁からイリヤスフィールを救い出してくれるのだろうか。これは君の個人的な願いだ。切嗣はこの聖杯を破壊するよ。これを放置すればどうなるかは君にもわかるだろう?)

 

「この聖杯は汚染されている。どの時点で汚されたのかはわからないのだけど、こんなことになっていることをユーブスタクハイト翁は知らないかもしれない。いえ、知ってるなら特別な輸送手段くらいは用意していたでしょうね」

(放置も輸送もできない。封印なんてものも無理。では、壊すしかないな。世界に平和は敷かれない。願いを求め続けるなら、切嗣は次の戦場に行かねばならない。イリヤスフィールを助ける余裕などあるわけがない)

 

「でも、イリヤスフィールは切嗣の娘よ。絶対に助けるはずだわ」

(そうかな? 彼のルールを知らないわけではあるまい。一人でも多く助ける。人の命を数でしか判断しない。たった一人の命のためにそこまで骨を折ってくれるかな? 助けられたはずの人々の命を見殺しにしてまで)

 

「でも、切嗣は約束してくれた」

(世界平和を実現した後はイリヤスフィールのために時間を使ってくれる、と? だが、それはその通り──世界平和を実現した後に、な)

 

「──違う!」

(違わない)

 

「違うわ。──絶対に」

(嘘だな)

 

「そんなことは」

(ある)

 

 アイリスフィールは言葉に詰まる。一瞬でもそうかもしれないと思ってしまった。

 そして、この泥の前では嘘など意味がない。

 

「──なら、私にどうしろというの? 切嗣を信じる以外、私にはないじゃない。何の力もない私じゃ……」

(君にわからないものを俺はどうすることもできない。俺ができるのは、君ができることを世界規模に広げることだけだからだ)

 

「……あなたが聖杯だったのね」

(私は聖杯でもあり、君でもあり、キャスターでもある。何を願う? お前は何をしたい? それを世界規模で解き放とう。俺は聖杯で、お前は私なのだから)

 

「……私は」

 

 そこで、思い出した。それは、本当のキャスターに言われたこと。残滓などではなく、出会ってすぐ──日本に飛び立つ前の出来事。

 甘粕が言っていたその言葉の意味が当時では分からなかった。今もわかっていない。けれど、棘のようにずっと心に刺さっていた。

 

「──なんだな。お前たちはどうにも──なんというか、アイリスフィール……お前たちは想いがすれ違っているように見える」

 

「いや、違うな。お前たちの祈りは交錯すらしていない。お前の願いは重みがない。一方で切嗣の願いは呪いのごとく重く、深い。それではお前が切嗣に引きずられるだけだ」

 

「それでは駄目だ。お前の想いを切嗣は知ることすらできん。言葉にしなくても伝わる? 甘えるなよ、人間はそう簡単に心を通じ合えんのだ。言葉を尽くし、それでもなお伝わらんから拳を交えるのだよ。それが困難であるからこそ、人類は血を流してまで互いを理解しようと歴史を積み重ねてきたのだ」

 

「覚えておけ。想いは伝えなければ一方通行。我も人、彼も人──愛し合っていても違う人間にすぎんのだ。尊重すべき他人なのだよ。だがな、俺は信じている。いつの日か、たどり着けると。お前の願いと切嗣の理想が交わる日が来ることを俺は願っているよ」

 

 そう、キャスターに……いや、あえて本名で言おう。甘粕に言われたのだ。

 

「なら、私は──」

 

 そして、願いを口にした。

 




甘粕「正直こうなるとは思ってなかった。……すまん!」
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