Fate/Zero【人間賛歌の魔王】 作:Red_stone
その知らせが届いたのは早朝のことだった。
「……は? え、桜がどうかしたのですか」
その声はわずかに動揺が混じっているが、凛々しさを失っていない。遠坂たるものいついかなる時も優雅に、という家訓はいかなる時でも忘れない。その中に混じる疲労はプロでもなければ見つけられないだろう。
電話に出たのは遠坂時臣。不眠不休で聖杯戦争により滞っていた商売関連の業務を消化しつつ、聖杯戦争により残された爪痕の後始末に当たっていた。
聖杯戦争は佳境に入り、残るプレイヤーは一人と一騎……時臣に優勝の芽は残されていない。ならば、次の聖杯戦争に向けて動くのみ。
とはいえ、今は後始末に追われているのだが。それも、まあ――次の聖杯戦争を円滑に進め、遠坂が勝利する場を整えるためともいえる。
しかし、その知らせは早々に終わらせなければ、雪だるま式に増えていく後始末の手を止めるのに十分な驚くべき内容だった。まさか、桜が――と、そんな思いだった。
「桜が……危篤? それは、一体どういう――」
この知らせがもっと早く届いていなかったのは、時臣が単純に忙しいと言う以外にも理由があった。大っ嫌いなのだ、電話が、機械と言うものが。憎んでいるとさえ言っていい。
もっとも、商売として使わざるを得ないから使っている。呪うなら呪ってみろ俺は魔術師だぞ――と、気合を入れてから電源を入れるのは常のことである。まさか一般人相手に緊急の連絡は鳩で、などと言えはしない。
「いえ、すぐに向かいます。場所は?」
だから、現代の医者と言うものは全く持って信用などしていなかった。あんなものは山師以下で、はったりだけで商売している詐欺師としか思っていない。
桜は他人に預けたが――今でも娘として愛している。だからこそ、無遠慮に彼女に診療などという名目で弄り回す医者モドキなど許せない。
「ああ、家内には自分が連絡しておきますので」
もちろん、そんな奴に桜の治療を任せる気はない。暗示でもかけて、さっさと桜を連れて病院を出る。桜の状態にもよるが、遠坂の屋敷には治療用の魔道の道具はある。もし足らなければ教会にコネはある。
「もう連絡はついている? そうですか、では――」
最後まで紳士らしい態度で電話を切った。
もっとも、人間は思う以上に不審や猜疑には敏感だ。あれだけ蛇蝎のごとく嫌えば、相手はわかってしまう。それがすれ違いの末に不幸な結末まで呼び寄せることになるだろうとは――この時想像するどころか、後になって振り返ってみても時臣にはこれが原因だとはわからなかった。そもそも、時臣は担当する医者には最後まで会わなかった。
「さて、そうと決まればさっさと行くか」
車に乗る。
これは蛇足だが、時臣が車に乗るときは常に自衛手段を用意している。戦いにおもむくような気概を持って車を操縦する。実を言うと、車なんぞにろくに防御の手段さえ持たずに乗っている一般人の気が知れなかったりする。
いきなりハンドルが曲がって壁や車に激突するかもしれないのに。爆発したり火を噴いたりしても、別段何の不思議もない。自分ならば防ぎ切れるが、一般人どもは不安に思ったりしないのだろうかといつも不思議に思ってしまう。
「お父上に連絡はつきました」
電話をかけていた壮年の医者は沈んでいる葵に声をかけた。彼女は物思いにふけっている。目の前には青い顔で眠る桜。処置を終えて、これ以上はどうしようもないと言われてしまった。死の危険は脱け出せたが、後遺症を免れることはできないらしい。
「――なんて?」
彼女の心は千々に乱れて、自分でも想いがどこにあるのかわからない。わかるのはただ、我が子の行く末を憂う気持ちだけ。この年で、重い障害を負ってどのように生きていくのだろう。
「あなたには連絡をするな、と言われましたよ」
やれやれ、と言った顔である。
不審を隠そうとしていたが、隠しきれていなかった時臣という男のことを考える。
患者の容体ははっきり言って異様なものだった。あんな患者は見たことがない。病気――なわけがない。あれは他人に与えられた傷だった。そして、職務上虐待を受けた子供を見たことがある。そういう親に限って、恥知らずにも威圧的になるのだ。あのような紳士的な物腰はめったに見ないが、裏にはそういう威圧的な雰囲気が潜んでいたことは伝わってきた。
「でも、本当なんですか? その――桜が虐待を受けていた、と言うのは」
視線はふらふらとさまよっている。整理がついていない。そのような仕打ちをした間桐家を憎めばいいのか、それともそんな家に桜を預けた時臣を恨めばよいのか。ただ、紛れもなく間桐家の一人であり、弟同然と思っていた雁夜は桜を守って死んだ。もう、何が何だか――
「あまり言いたくはない話ですが、養子ですとそのような目に会うケースは現実として起こりえます。もちろん、実子でそういうことがないかと言われれば、そういうケースだってありますが」
医者は優しげな雰囲気だ。誰だってそうだろう――かわいそうな人間に肩入れする。同情すると言うのは、人類共通の感情だ。実は、真実を見抜く時にはそんな感傷など邪魔でしかないのだが。
この時、この医者は遠坂時臣は間桐ゾウケンと手を組んで、桜を虐待していたと思っていた。まあ、この時点でそれを裏付ける状況証拠は出ていても、否定する材料がないので当然ではあるのだが。
実は時臣の不審な態度はよく診療中に目にするのだ。こういう不審の目を向ける人間と言う者はいる。それは――機械などと信じられんとわめく頭の固い老人どもと同じ態度なのだった。医者でしかない彼は先入観を持ったまま話を進める。事件を調査する際は先入観を捨てることから始めなければならないという捜査の鉄則も知らずに。
「桜は病気ではないのですよね?」
「ええ、そういうものではありません。しかし――このような症状は初めて見ました。なんらかの薬品によるものか、それとも特殊な機械でも使ったのか。見当もつきません。神経のみをボロボロにしてしまうなどと――」
「神経……桜の身体は二度と動かない……?」
「いえ、そのようなことはありません。断裂しているわけではありませんから。ただ、他の子と同じように運動することはできないかもしれません」
「……そんな! どうにかならないんですか? 先生」
「神経が傷ついているのです。今の医療技術では――」
「先生は――これが誰かに傷つけられたとおっしゃいましたね? それは」
「病気とは少し考えづらいのですよ。それに、一緒に運ばれてきた間桐雁夜氏には打撲痕が残っていました。他にも痣などがあり、彼も日常的に虐待されていた可能性があります。そして、彼にも彼女と同じような神経の損傷が見られました。血が繋がっていないので、特殊な遺伝病とも思えません」
「え? でも、雁夜君にそんなことをするなんて――誰が」
「本来は警察の領分なのであまりこういうことは言いたくないのですが――間桐雁夜氏の祖父の仕業である可能性が高いですね。そして、このようなことを一人で行うのも難しい。ある程度の社会的地位のある人間と組まなければ」
「いや、でも――」
「これも珍しいことではないのですよ。確かに雁夜氏は成人していて、腕力もあるのでしょうが――成人男性を力のない老人や女性が虐待するというケースも多くあります。しかも、男性側が助けを求めるケースが少なく、重大な事件に発展するような場合があります。おそらくは幼少時から、ずっと……」
「雁夜君――そんな、じゃあ私は……! 何も気づかなかった。弟同然だと思っていたのに。いいえ、私は実の娘が苦しんでいるのにも気づかなかった。あはは、私って――何してたのかしら? 恋に浮かれて――何も見てなかった。最低ね」
「あまり自分を責めないでください。雁夜氏は手遅れでも、まだお子さんは生きていらっしゃいます。あまり悲観的なことを考えるとお子さんにも悪い影響を与えてしまいます。お母さんが元気でいれば子どもも元気になるはずです」
「……あの、鶴野さんには連絡がついたのですか?」
「連絡はつきましたが、関わりたくないとの一点張りで。これも虐待を受けた人間に特徴的な症状ですね。世を恐れ、常にびくびくして――怒鳴り散らして人と関わろうとしない。……彼が加害者ということはないでしょう。判断するのは司法の仕事ですが」
「お祖父さんは?」
「連絡がつきません。もしかしたら、すでに海外に逃亡しているのかも……間桐の家は資産家ですから」
「私は……どうすれば……? それに、先生――時臣さんが虐待に関わっているかも、って……」
「その可能性があります。彼は、私の電話に出た時どことなく慌てている様子でした。こちらに猜疑の目を向けている様子もありましたし……何より奥方に子供さんのことを知られたくない、と言った様子が見られました」
「そんな……でも……あの人は実の娘を虐待させるような人では――」
「失礼ですが、あなたは時臣氏のことをどれだけご存じで? 妻と言っても、夫に関して知らないことはあるでしょう」
「それは――でも――」
「まあ、なんにせよ時臣氏はここに来ると言っています。その時に問いただせばいいでしょう」
「……はい」
時臣は無事に病院について安堵のため息を吐く。今回もまた、車に何かされることなく目的地に着いた。なにやら勝利したような心地も感じるが、しかし本番はここからだ。
「さて、桜の病室は――」
ここに来て参ってしまう。全く道が分からない。何号室と言われても――それは一体何階の、どこにあるのだ。見たところ一階は受付と診療室があるようだが。大体、ここは南館と北館でわかれているようだ。どっちに何があるんだ?
「……仕方ない」
受付に行って道を聞いた。さすがに人で混んでいる。こう受付に行くだけで何十分もかかれば、それだけで無意味に焦ってしまう。イライラもつのる。まったく、だから機械なんぞに頼る今の医者はダメなのだ、と見当違いな悪態をつく。
「さて」
そして、ようやく病室の前に来た。
「間桐桜の病室はここで間違いありませんか?」
魔力を溜める。中に誰かいるなら、暗示で気を逸らしてさっさと桜を連れて行こうと思って。
「……何してるの?」
そして、中にいた葵が声を出した。葵の他には昏々と眠り続ける桜だけ。他には誰もいない。
「……邪魔をしないでくれ。桜は私が連れて行く」
「なんで、そんな……」
「医者など信用できるものか。さあ、君も来なさい」
「……いや!」
伸ばしてきた手を振り払った。
「葵? なぜ――」
「あなたは……私に何も言ってくれないじゃないの」
「それは、君のためにならないからだ。私は君や桜のことを考えて――」
「なんで養子に出したの? あなたはこうなることがわかっていたの? 何もわからない。あなたが何を考えているかわからない!」
「誤解だよ、私は君たちが幸せになれるようにと――」
「じゃあ、桜のアレは何!? 凜だって、襲われた! あなたは全部わかっていて――」
「……君の知るべきことではない」
「いつもそう言って! その結果がこれじゃないの!? 桜はもう二度と走れないのかもしれないのよ」
「問題ない。さっさと――」
もちろん、これは後で治すから問題ないと言う意味だ。神経の損傷は魔術でも治すのは難しいが、しかし時臣には教会とのコネがある。治すことは可能だと思っていた。
……まあ、つまりは時臣も桜が何をされていたのか知らない。今の桜の状態を知らないから、気楽に治せるなどと思える。もっとも――
「……問題ないって、なによ!?」
怒鳴った。こんな状況で問題ないなどと言えば、それは桜がどんな酷いことになろうとも問題ない、などと取られてしまう。
「……は? あ、いや――」
どもる。訳が分からないのは時臣も同じだった。後で治すと言って、こんな鬼気迫るような表情をされたら誰でもそうなる。――意味が分からない、とはこの夫婦共通の思いなのだった。
「また桜を私から取るの!? 桜にどれだけ酷いことをすれば気が済むのよ!? もうやめてよ! もう……桜をいじめないで」
泣き崩れる。――が、時臣にも言い分はある。
桜が一般人として生きていくのは不可能だ。この世界線では事情が異なるが、本来の世界では衛宮士郎はその異能を隠していた。とはいえ、やはり異能を持てば異常な事態に襲われる。彼も、高校2年生までしか日常にはいられなかった。
だが、彼は幸運だ……対抗する力があり、味方もできた。大抵はちっぽけな異能を頼りに敵に立ち向かい、もしくは逃げて味方が居ても順当に実力差で皆殺しにされるのが至極真っ当なつまらない結末。
そんなことになるくらいなら、と時臣は決意した。間桐の蟲魔術なんて名前以外に知らないし。
「だから――考えていると言ったろう。君は何も考えず、私に任せてくれればいい」
ゆえに時臣には葵のことが理解できない。それは、歯車がずれたまま想いをぶつけあっているから。怒っている、ということは伝えられても――何に怒っているかは伝わらない。すれ違っている。
ああ、悲しいかな……人と人が分かり合うことがこんなにも難しいこととは。
「いつもいつも、そうやって――遠ざけて! 私は人形じゃない! 桜も、意志がある人間なのよ。……あなたの玩具なんかじゃない。あなたの好きでぼろぼろにされていいわけがない」
「まあ、それはそうだ。そもそも私は……」
君にできないことを担当するだけで、何も束縛するつもりもなければ何もさせない、なんて気は欠片もない。確かに聖杯戦争時は閉じ込めるような形となったが、あれは外が危険だっただけで。そんな妻や子供を人とも思わない外道になった記憶はない。
「……もうたくさんよ! 桜と凜を連れて出て行くわ!」
「――な! 何を……?」
「帰って!」
「馬鹿な……君は――私よりも医者なんかを信用するのか!? 治せるとでも思っているのか。精々悪化させるのが関の山だ。なぜそんなことがわからない」
「ええ。わからないわ、あなたの考えていることなんて。……あなたに桜は渡さない」
「……本気、なんだな?」
「もちろんよ」
「君に暗示は使いたくなかったが――」
バサ、と一匹の鳥が窓に止まる。
「え?」
葵が振り返った。暗示は不発――目を逸らせばかわせる程度のものだった。というか、効果の強いものは副作用があるから、間違っても妻相手には使えない。
「――なんだと!?」
だが、仰天したのはむしろ時臣の方である。別段目立つものではないとはいえ――神秘を衆目にさらすような真似を教会がするとは……よほどの事態が起きたとしか考えられない。その事態に考えが及ぶことはなく、マズイマズイマズイとただ冷汗を流すことしかできない。
「……なにかしら?」
と、葵が窓を開けるとその鳥は飛びこみ、時臣の肩に止まって足を差し出す。手紙だ。隠ぺいをかけていない――その暇もなかったということだろう。
「――ッこんな時に!」
その手紙を見ると、驚愕すべき事態が乗っていた。衛宮切嗣、アインツベルンの優勝――それはいい。納得できる。
だが、一般人に被害が出てしまっているし、なによりも現在進行形で被害が出続けている。直接的な被害こそ教会関係者で封鎖しているために出ていないが――精神に悪影響を与えている。じきに大量自殺が相次いでも不思議はない。
「無視するわけにはいかない……か!」
どうあがいても桜を優先するわけにはいかなかった。いや、そういうわけではないのだ。ここで神秘が漏えいするような事態に陥れば一族郎党が殺し尽される。代行者だか執行者だかが大挙してやってくる。まずはそちらを対処するしかない。
「やっぱり、あなたは魔術が全てなのね」
扉に手をかけたところに葵から声がかかった。絶望した声――世界を呪うかのような。
「……葵。わかってくれ、これは君たちのためでもあるんだ。すぐに事態を収拾して時間を作るから、話をしよう」
だが、それで相手がわかるはずがない。時臣はそういったとこから葵を遠ざけ、全てを一人で決めてきた。それで察しろというのは無茶だろう。今までだって、時臣のことを愛しているから身を引いてきただけ。もはや、熱が冷めてしまった。
「話ってなによ!? あなたは私には何も話してくれない! そんなに魔術が好きなら、一人でやればいいじゃない! あなたにとっては、私も桜も――邪魔でしかないんでしょう!?」
「そんなわけでは――」
「凜だって! あなたは単なる器としか見てないんでしょう。あなたがやってきたことを引き継がせる、そのためだけの道具――そんなことさせない! 私は……ッ!」
「済まないが、時間がない。君の言葉は重く受け止めておく」
急ぎ足で去っていった。
「……………………」
葵はうなだれる。その横には、桜が蒼い顔で昏々と眠り続けるのであった。
結局、時臣が時間を取れるようになったのは1週間後だった。それも、不眠不休で働くうちに取れたわずかな時間だ。魔術で誤魔化しているが、深い隈ができている。彼の嗜好の問題でパリっとしたスーツを着ているが、何着ものスーツをクリーニング屋に出しながらの自転車操業だ。
対して、葵の方は気力がみなぎっている。きちんと休みを取り、そして覚悟を決めた。娘を守るために、過去の恋と決別した。
結局、桜は普通の人と同じだけの身体能力は望めず、病弱で、発作的に体を激しい痛みが襲うことがあるという状態に陥った。けれど、生きてはいける。頭にも問題はない。
身体の中身を蟲に喰われてその程度で済むはずがない。邯鄲法を得た間桐雁夜にも他人の治癒などという高等技術は望むべくもない。つまりは、これは魔王から間桐雁夜への報酬と言ったところで、その体で生きて行けとの桜への試練でもあるのだろう。
時臣と葵は離婚した。葵は娘を守るために覚悟を決めていて、対して時臣は大聖杯が破壊されて無気力になっていた。それぞれ、思うところはあったのだろう。だが――
実を言うと、離婚の原因は大して珍しくもなんともないことだ。魔術師と一般人の結婚ほど珍しくはない。そう――
これはただのすれ違いが原因なのだった。
これからどれだけの夫婦がそれで分かれることになるのだろう。恋愛結婚なんて、しょせんは熱に浮かされたものだ。何かを残す努力をしなければ、熱が冷めてしまった後には一緒にいる理由などない。
要望があったので離婚話を書いてみました。どこからか阿片おじさんの嘆く声が聞こえてきそうな結末ですね。
設定では葵は時臣を一途に愛していると言う者ですが、自分と娘の身が危険に晒されても一途に愛するのは龍之介レベルの狂人だと思います。このssでは葵は本当にただの一般人として書いてるので、そんな狂気は持ち合わせていません。