この月が沈まぬうちに 作:オーバードライヴ
戦闘描写はやっぱり一時間じゃ無理ですね、えぇ……
「卯月さんが脱柵?」
提督が眉をひそめてそう言った。白い夏用第二種軍服が小さく揺れる。息を堰切って飛び込んできた睦月と弥生、そして菊月だ。
「そうだ、17:45、脱柵を確認した」
「……そうですか」
提督は菊月たちの前で腕を組む。その顔はいつもの柔和な笑みはなく、どこか能面のような不気味さがあった。
「脱柵――――軍施設からの逃亡は重罪に当たります。それを卯月さんが知らないはずはありません。そこまでして卯月さんが出ていかなきゃいけない理由に心あたりはありますか?」
菊月は言葉に詰まる。その間にも提督は万年筆を執り、何かを書きつけていく。
「……すまない、思いつかない」
「そうですか。では脱柵先にも心当たりはありませんね」
「ない」
これは答えられた。本当に心当たりはなかったのだ。
「そうですか」
そう言うと提督は万年筆にキャップをし、机の上の鎮守府内の内線を取った。
「緊急、緊急、緊急。当泊地所属艦は至急司令官室まで出頭してください。繰り返します、当泊地所属艦は至急司令官室まで出頭してください」
その無線を聞いて睦月たちは不安な表情を浮かべるが、提督は何も言わず黙り込んだままだ。
「提督、緊急って何事ですか?」
真っ先に夕張が現れ、皐月や文月など続々と面々が集まってくる。最終的にはこの鎮守府の面々、卯月を除く睦月型全員と夕張、大淀、伊勢、日向、古鷹、飛龍、蒼龍、飛鷹、隼鷹、大鯨、伊58、伊168、伊401が集まった。
「現状動ける全員が揃っていますね。緊急事態です。卯月さんの脱柵、海軍指揮下からの離脱が確認されました」
皆が――――すでにそれを知っていた睦月たちを除いて――――息を飲む。
「脱柵は重大な軍紀違反です。規則に則れば、最悪の場合その場での撃沈も許されるような重大な違反行為です。現時刻を以って当鎮守府は卯月の捜索、確保に移ります」
司令官室がここまで静まり返るのはいつ以来だろう。無音がこれほどにも痛いとは、そのことを睦月は初めて知った。
「夜間のため空母の皆さんの出撃はできません。またここを空にするわけにもいきません。――――――チームを分けます」
提督が紙を回覧に回す。提督の手書きの字が並ぶ、紙面。
「古鷹さんを旗艦に睦月さん、如月さん、弥生さん、望月さん、菊月さんで第一捜索隊。日向さん旗艦で皐月さん、水無月さん、文月さん、長月さんで第二捜索隊を組みます。第一捜索隊は当鎮守府より西方、キ37より西方を、同地点より東方を第二捜索隊が捜索を行ってください。残りのメンバーは鎮守府にて待機です。夜明けと同時に空母の皆さんの二段階航空索敵を開始します。夕張さん」
「はいっ!」
「卯月さんの艤装の現状の書類を寄せてください。携行武装の状態と行動範囲の絞り込みを行います」
「わ、わかりました……」
「これから周辺基地にも協力を取り付けます。大淀さんは情報の整理をお願いします」
「了解しました」
「各艦隊、卯月を見つけ次第確保してください。抵抗する場合は各旗艦の判断で砲撃を開始して構いません。……最悪の場合は撃沈も許可します」
「ま、待ってくれ司令官!」
菊月がたまらず声を上げる。
「なにもそこまでする必要はないだろう……! 卯月も逃げたくて逃げた訳じゃ……」
「だとしても、です。それに“卯月さんが逃げた理由がわからない誰にも以上”、最悪の場合から潰す必要があります。違いますか?」
「それは……」
「もちろんそんなことはないと信じています。それでも、私達は軍人である以上、最悪の場合を考えて動く必要がある。深海棲艦に寝返る可能性、他国への亡命、何者かからの扇動を受けての独自活動。様々な最悪の可能性から潰し、私達の守るべきものを死守する、それが軍人の役目でしょう」
提督が正論で押してくる。反論すら許さないほどの強みを持つ言葉に、目の前の子どもが提督たる理由を垣間見る。
「質問がなければ捜索を開始します。深海棲艦を呼び寄せない様無線は必要最低限に、また暗号モールスを使用してください。コードはロ行23より使用してください。……可能な限り、当鎮守府担当海域で片を付けてください。それでは、状況を開始します」
「……もういいかい、もういいよ」
月が昇らないまま夜が更けて、星影が彼女を照らしていた。海は凪とは言わないが、かなり穏やかで自らの脚が砕く並みの音だけがしゃらしゃらと響く。普段よりも水音が軽いのは気のせいだろうか。……その波音すら責めた立ててるように感じるのはきっと自分が間違っているのだろう。
「すぐおいかけくれたらなんて思うのは、きっと間違ってるぴょん」
手前の勝手で出てきたのに、追いかけてほしいなんて言えるものか。
「……月がないとかなり暗いぴょん」
雲がないため空には南十字星を始め、小さな星がいくつも瞬き、天の川が天高く輝いていた。月がないおかげの空の輝きともいえる。
「月に代わって睦月型、ぴょん?」
そんなことを言ってクスリと笑う。月は月でも暦の月だ。空を照らす月に代われるはずがない。
「……ねぇ、どうすればよかったぴょん? もっとうーちゃんが強ければよかったぴょん?」
歴戦の駆逐艦などと呼ばれることはある。そのなかに私の実力がどれだけ含まれているのだろう。
「もっと睦月たちが強ければよかったぴょん……? だれか教えてほしいぴょん。ねえ……」
その答えが帰ってくるはずはなかった。――――――なかったはずなのに。
「――――――あなたがその答えを出してくれるぴょん?」
海を割る音が聞こえる。こちらも軽いしゃらしゃらとした波音。その向こうに見える、青白く光る、瞳。
「こんばんは、ぴょん。重巡ネ級フラッグシップさん。少しだけ一緒に遊ぼうぴょん」
右手に持った単装砲、スライドストップを一度引き、放す。セーフティ、解除。
「まさか……司令官があんなこと言うなんてねぇ……」
夜の海上を単横陣で進む第一捜索隊の中央で如月がそう言った。
「失望した?」
睦月のどこか苦笑いが混じる声に如月は小さく首を傾げた。
「だって撃沈も許可するなんていうなんて……」
「でも、提督は私達の味方だよ。味方だからああ言ったんだと思うにゃあ」
「どういうことだ?」
菊月の言葉に睦月は前に広がる濃紺のような色合いをした闇を睨んだ。
「提督は卯月が“抵抗した場合は”と発砲条件を制限したうえで、その判断を各艦隊の旗艦に預けたんだよ? 問答無用で攻撃してもおかしくないのに」
睦月の声に如月は「あ……」と気がついたように声を漏らす。
「それに担当海域の中で片づけるように言ったのは、確実に生きて帰すことができることができるのは担当海域の中だけだから。担当海域外ならそこで応援部隊が先に対応にあたるから撃沈される可能性も出てくる。―――――ですよね、古鷹さん?」
艦列の一番右端に立つ古鷹が笑った。
「提督は不器用で、責任感ばっかり強いから……だからちゃんと連れて帰らないと提督泣いちゃうと思うな」
「そういえば司令官が泣いたところ見たことないなぁ」
望月はそう言うと目線をそっとずらした。
「私も見たことあるわけじゃないよ。それでも12歳そこらの子どもが泣かずに提督として活躍できてるはずがないよ。でも、あの人は提督だから、部下の私達に泣いてるところを見られたくないんだと思う」
そう言って切なく笑う古鷹に弥生が口を開く。
「なら……なおさら、連れて帰らないと……!」
「私達の勝利条件は他の基地所属の艦隊よりも早く、卯月ちゃんを捕捉、生きて連れて帰すこと。深海棲艦との接触もあり得ます。気を引き締めていきましょう」
古鷹の声に皆がうなづいた。舷側灯が6隻分、流れていく。その耳に、砲撃の音が届くまでには、もうしばらくの時間が必要になる。
一瞬のマズルフラッシュ。おそらく弾丸が飛んでいったであろう方向を見たまま後退する。足元に敵重巡の立てた砲弾が突き刺さった。口径の大きなそれは海面に当たった衝撃で周囲に破片を撒き散らす。運動エネルギーが大きすぎて海面に当たった衝撃で十分に砕けるのだ。
「――――――っ!」
ふくらはぎのあたりに鋭い痛みが走った。掠っただけで直撃じゃないことに感謝しよう。それで今は十分だ。
星明りだとその輪郭と瞳の明かりを映すだけで精一杯だ。距離感だって曖昧だ。その状況では照準もままならない。当たるも八卦当たらぬも八卦。当たるかどうかは賭けのような状況だ。それが卯月にとって有利に働いた。あてずっぽうな砲撃なら小柄で投影面積が小さい卯月の方が相手に比べて被弾するリスクが少ない。
だが状況は好転するわけではない。重巡の装甲を抜くには手持ちの12センチ単装砲だとかなり距離を詰め、できる限り一か所に固め打ちしなければならない。魚雷を撃つにしてもできる限り距離を詰め、散布域を密にしたいところである。が、距離を詰めれば詰めるほど、被弾のリスクは高くなる。そして重巡の一撃が卯月には致命傷になりうるのだ。
一対一では手に余る上位艦、だが、無断で出てきた手前、応援を求めるわけにもいかなかった。駆逐の足なら僅差で逃げきれるかもしれないが、見逃すこともできなかった。ここはまだ睦月たちの哨戒圏だ。見逃してそれが鎮守府に被害を与えたらなど考えてしまうとその可能性は潰しておきたかった。
「だから戦うしかないわけぴょん……」
砲弾が詰まったマガジンを交換する。その間にも卯月の髪を食い千切らんと砲弾が真横を飛び抜けた。鼓膜が鳴る、鈍痛。左耳が抜かれた。それでも砲を構える。
星明りの下で互いとの距離を測るように回り込む。魚雷を撃つにしても正面よりサイドからの方が当てやすい。互いが回りこもうと歪んだ円を描くように動き続ける。その様はまるで狼の狩りか、西部劇のガンマンか。
先に機動力を奪われた方が負ける。
それをひしひしと感じながら、卯月はじりじりと距離を詰めていく。時に不規則に足を止め、射線を避けていく。相手の砲撃の火炎が死力を奪おうとする。それでも、眼だけは守る。
――――――夕暮れ前には隠れんぼは終わりにするのが掟だろう。神隠しにあっても知らないぞ。
菊月の声が耳に蘇る。これが神隠しの正体だったりするのだろうか。
もういいかい。
相手の顔は面のようなものに守られ、表情を見ることはできない、ただ面から覗く片方の目が爛々と光る。それを見て卯月は奥歯を噛み締めた。
「睦月型を……舐めないでほしいぴょん!」
距離を詰めるように一気に踏み込んだ。瞬発力には自信がある。砲撃を交わすうちに相手との距離感も大分つかめた。
相手の砲撃が再び左を掠める。衝撃波が皮膚を切り裂く感覚を覚えた。それでも前へ。単装砲を前へ。見開かれた相手の顔面に向け引金を引いた。マズルフラッシュが轟き、相手の面を砕いて、相手を後ろに弾き飛ばす。
「えっ……!?」
「――――――っ!」
相手の声なき叫びが腹に響く。砕けた面の向こうに見える――――――翡翠のような、瞳。
卯月の視線を恨みのような怒りのような負の視線で見返すその色は、記憶にある色とはかけ離れていたが、瞬間的にわかってしまった。ある日、突然に行方不明になった、あの人だと。
「加、古、さ――――――!」
相手の蹴りが入り卯月が宙を舞う。浅い角度で飛び跳ね、海面を水切石のように反跳する。
「――――加古さん、なんで」
「敵」重巡がゆらりと立つ。立たなければ、殺される。
「加古さん! 思い出して! 卯月だぴょん!」
相手の砲が蠢く。いたぶるように卯月の足元の海面を狙い、砲を放った。炸裂弾だったらしく海面が激しく盛り上がった。それに弾き飛ばされながら。敵」重巡の姿を見る。その獰猛な笑みは、居眠りしがちだった彼女からあまりにかけ離れていて。でもあの瞳の色は間違いなく……
「お願いぴょん! 加古さん――――――!」
砲を向ける。12センチ単装砲を薄れゆく意識の中で構える。
――――――夕暮れに隠れんぼをすると神隠しに合うらしい。
その因果の果てがこれならば。
――――――もういいかい?
砲が震える。泣きはらしたような兎のような瞳が彼女を見る。
「もう、いやぴょん……!」
はい、戦闘回が入ると本当に描写が長くなりますねぇ。
次回でかくれんぼは終わりです。
感想などはお気軽にどうぞ。
それでは、次の機会にまたお会いしましょう。