22.3年
耳鳴りがする。銃声だ。そう判断したぼくは地面に伏せた。3mも離れてない場所から着弾して小さく砂が吹く。
早く帰りたいと思った。砂は嫌いだ。少しでも隙間があったら音も立てずに入り込み、気づかない間に心身を蝕んでゆく。
ガシンガシンと足音がする。奴らが来た。ぼくは息を殺し、恐怖が過ぎるのを待つ。砂煙の向こうに黒くうごめくものが見える。犬は鼻を使って標的を探すように、奴らは赤外線とその他様々な光学機器で敵をあぶり出し、殺す。
ぼくは全身に泥をかぶり、丁寧に死体に紛れ込んでやり過ごそうとしているけど、成功するかどうかは怪しいものだ。鉄の地響きが次第に大きくなり、遂には恐ろしい骸骨そのままの顔が目と鼻の先にやってくる。
先頭の一体がぼくの上にある死体をジッと見つめる。1分か10分かそれともそれ以上か、とにかくぼくにとっては気の遠くなるような時間を費やして観察した後、ソイツは歩き出して行った。続いていくつもの足音がぼくの周りを通り過ぎていく。初めは耳にガンガン来た騒音も鳴りを潜め、最後にはいつもと同じ静寂が戻った。
念の為にもう10分ぐらい経ってから、地表に這い出る。辺りにはたくさんの足跡以外何も無く、奴らの影は遥か彼方にあった。
助かった。思わず地面に大の字になる。呼吸を止めていた分、肺が酸素を欲したけど砂地ばかりで少しも湿気てないここの空気はちょっとキツい。大きく口を開けてしまったせいで、砂が器官に入り込んでしまい咳き込んでいたとき、ふと影が出来た。
何気なくそれの反対方向を向くと、一人の女性が立っていた。褐色に灼けた肌、鋭さに満ちた整った顔、強い意志を宿した瞳。手には真っ赤な剣が携えてあるその人は、ぼくを無表情に眺めていた。ぼくは動けなかった。声も出なかった。ただ呆然とするしかないぼくに赤い天罰が下った。
耳元でアップテンポの曲が聞こえる。びっしょりと嫌な汗と一緒にベッドから起き上がったぼくは、MP3にセットしておいたタイマーを止めてイヤホンを外した。
「またか…」
誰に言うでもなく呟き、クローゼットから替えのシャツとタオルを取出し浴室に向かう。温度調節も億劫で冷水のまま蛇口をひねると、頭上から滝のように水が降りかかり一気に細胞が覚醒した。一通りの身支度を済ませキッチンで朝食の準備に取り掛かる。
鍋に水を張り火にかけ、ニンジン、キャベツ、タマネギ、ベーコンを細かく刻みコンソメと混ぜて投入する。ひとまず汁物は出来上がったので、フライパンを熱してホウレンソウとパプリカ、ジャガイモを炒めて味を調えた後、卵で閉じるとオムレツの完成だ。これが上手くなるまで何個の卵をドブに捨てたことか。
最後に昨日仕込んでおいたタケノコと鶏肉の炊き込みご飯を茶碗によそう。この地域では米は比較的珍しい組み合わせだけど、同居人のかねてからのお願い(脅迫)により苦労して手に入れたものだ。
二人分の食器を並べ、準備が出来たことを知らせようとしたそのとき、もう一人の住人が姿を現す。
「ちょっとタクミ! 何で起こしてくれなかったわけ!?」
ナルミヤ・アキラの朝一番の罵声がぼくの眠気を残らず消し飛ばした。
「…だから聞いてないってそんなこと。」
「いいや、言った。今日は演習のミーティングがあるから早く起こせって。」
付け合わせのミニトマトをグサリと箸で突き刺して飲み込んでぶつくさ言ってくるアキラの相手はすでにお馴染みの光景になっており、和やかに食卓を囲む日々は今まで一度もない。
「でも、ぼくが帰ったとき君はもう寝てたよ。知らないことやれって言われてもできるわけないじゃないか。」
「あのな、仮にも1年暮らしてんだろ。いい加減私の生活サイクル覚えろよ。」
「毎日帰る時間がバラバラなのに?」
スッとフォークが眼前に突き出される。
「口答えすんな。こっから追い出されたいの?」
最終兵器を通告され、なけなしの意地は呆気なく沈没する。何も言い返せないぼくを尻目にアキラは無言で皿の上を平らげた。
「チッ、命令じゃなきゃ誰がこんな奴と…ヤッバ、こんな時間! タクミ、コート取って。」
出勤前に施す薄い化粧をしたアキラがスーツケースを抱えてバタバタと玄関口に駆けていく。セーターにジーパンというラフな格好からすると、仕事場で着替えるらしい。見送ろうと彼女にガレージまで着いていくと、
「あ、今日彼と外食してくるから適当に食べといて。」
「泊まってくの?」
「気分次第ね。もしそうなったら連絡する。」
「分かった。急ぎ過ぎて前みたいにパトカー連れてこないでよ。」
愛車のフォードを路上でかっ飛ばして行くのを見送った後、ぼくは家に戻り自分の仕事先に向かう準備を始める。
あの戦いから3年が過ぎようとしていた。現在ぼくはとある理由でアキラとアメリカはコロラド州、コロラドスプリングスで同居している。州都のデンバーに次いで大きい都市だ。コロラドは地域によって気候が変わるというけど、そう悪くない場所だと思ってる。
戦いを終えた後、ぼくは予想通りREXに編入されることになった。急激な戦力低下を防止するための暫定的措置と言われたけど、要はマザーの後釜に就かされたわけだ。無論、最初は厄介者扱いされた。誰だって得体の知れない味方と組みたくないだろうし、素人に毛が生えた程度の見た目の新兵を急に隊に受け入れろというのが無理な話だ。もしぼくが指揮官で1回しか実戦経験のないひよっこを入隊させろと言われたら訓練段階で難癖着けて強制送還させる。それくらい信用というものは大切で、そういうのは重ねてきた実績が物を言う。
訓練は苛烈を極めた。まずは訓練というより拷問に近い体力調整。一番酷いときは三日三晩寝ずのまま体を限界稼働状態で動かし続け、朦朧とした意識の境界線を彷徨う。次に特殊作戦に必要な技能の習得。斥候、奇襲、爆破、サバイバル、もちろん語学も欠かせない。戦闘訓練は予めマザーに嫌というほど仕込まれていたから比較的楽だったが、空挺降下や潜水は慣れるのに時間が必要だった。ループを使って半年で修了したものの、隊員のぼくを見る目はまだ怪しげだった。
しかし部隊に配属されてからの初ミッションを終えてからは、全員が隔たりなくぼくを認めてくれた。どうやらこの部隊では実力さえ示せば正式に仲間として扱ってくれるらしい。その後、わずか数ヶ月もしないうちにぼくはREXの隊長に任命された。
色んな場所を巡った。最初はアジアに行き、次は東欧で各地を転々とした。ぼくらの活躍は瞬く間に知れ渡り、同時にジャップ・ザ・リッパーの仇名も浸透していった。
その次は中東に派遣された。スカイネットが反乱を起こしたのは2004年で、当時イラク戦争の影響の只中にあったこのエリアは人類vs機械の混乱を受け、ますますややこしい情勢に陥っていた。簡単に対比すれば抵抗軍と機械軍とイスラム系武装組織の三つ巴といったところだ。
REXはこの状況の打開策の一環として、現地に巣食うレジスタンスと接触して協力を取り付ける任務を命じられた。初めは中々進展しなかったけど、ぼくらの努力も実を結び成果は徐々にだが着実に伸びていった、かに思われた。ある日、突発的なトラブルが発生して多くの人命が失われ、作戦は失敗したのだった。
その渦中にいたぼくはショッキングな体験からPTSDと診断された。心に傷を負い、悪夢や無力感に苛まれ長年悩まされる病気だ。よく分からないうちに、ぼくは治療のために前線から外され、アメリカで何故かアキラと暮らすこととなった。彼女も何やら訳ありらしい。
今の彼女は
一方のぼくはその学校の食堂+自宅近くのウォルマートで働いている。戦うこと以外は少し絵を描くことしか能のないわりにはよくやっていると思う。家賃は軍が払ってるけど、職業柄の差なのか、それとも幼いころからの反射条件か、アキラには逆らえないことが多い。
必然的に家事なんかもぼくがしているが、アキラは全くと言っていいほどせず、更には飯がマズいだのシャンプーがどっかいっただの口うるさいことこの上ない。しかし、結局頭の上がらない性分のせいで、ぼくは黙々と要求に従ううちにちょっとしたオシャレな食事が作れるレベルまで上達してしまった。
ちなみに若い男女が一つ屋根の下、何かしらアクションがあるように、ぼくらにもそんな関係が一応あった。「溜まってるからさっさとしろ」という甘さの欠片もない誘いだけど。
けど、アキラには彼氏がいる。性格を除けば文句なく美人の範疇に入る彼女に、当然アタックしてくる輩は絶えない。士官学校の候補生から同僚、果てには道端で声を掛けられることも度々。
確か今は4人目で、軍人家系出の高身長のエリートイケメンだ。一度会ったことがあるけど、彼女の連れてくる男は大抵3Kが高水準の人間に限られる。
週末に1人でスケッチブックと向き合うぼくと違い、アキラはほとんどデートに時間を使うけど、必ずと言っていいほど泊まることはない。彼氏の車で帰ってくるまでは楽しげな会話が聞こえるが、家に入った途端不機嫌になりぼくに寝ることを強要する。そしてことを終えると勝手に寝てしまうのだった。
正直、疲れる。次の朝は近寄りがたい雰囲気を放つし、相手の男からも白い目でねめつけられるのも勘弁してもらいたい。でも、結局はまた丸め込まれるんだろうな、とため息を吐きつつ持ち物を確かめる。
ピンポーンとチャイムが届いたのはそのときだった。アキラが忘れ物でもしたんだろうか。いつも通りに扉を開けると、そこには見慣れない男性が立っていた。
灼けた肌にオールバックにまとめられた白い髪、そして一切のウソを見抜くような鋭い瞳。明らかにカタギの人間じゃないことだけはハッキリとした。
「コガ・タクミさんですね? お久しぶりです。」
この瞬間、慎ましくも平穏だったぼくの休暇は崩壊した。