「…もう一度言ってみろ。」
「分かりました。大尉はこの任務から降りるべきです。」
「
「
薄暗い洞窟の中、焚き火を挟んで2人の水着美女が火花を散らす。どうしてこんなことになったんだ? その間で大きな体をすぼませたカザマ・ダイゴは泣きたくなっていた。
「熱い…」
熱帯海洋性で路面が蜃気楼で揺らぐほどの熱気に蒸されながら、水着姿のカザマがすっかり温くなった水を喉に流す。妙に生温かい感触が通り過ぎるのを我慢している横では、同僚のネッケル伍長が同様にのぼせた体をビーチパラソルの下に晒していた。
「ああチクショウ、何だってオレがこんなクソ怠い目に遭わなきゃならないんだ。」
拭いても拭いても出る汗をそれでも拭うネッケルにカザマはタオルを投げる。
「しょうがないだろ。中佐殿が与えてくださった特別任務なんだからな。」
オアフ島の戦いが終了した後、REXはフィリピンは最大の島、ルソン島に来ていた。先の戦いで再編されて間もないにも関わらず目覚ましい戦果を挙げたREXは、すぐさま軍の広報部の目に留まり大々的に宣伝された。
希望の復活、人類の反撃の嚆矢、奴らが帰って来た。映画のキャッチかと思うほど大げさに誇張された売り文句は、マスクを被ったジャップ・ザ・リッパーを中心とした画像と共に、サイト上のど頭に掲載された。
それに伴い本格的な特集を組むために、ワグナー中佐は特別任務と称して、REXの面々に現地部隊との交流及び新生REXの親睦会を兼ねて、この熱帯域での広報活動を命じ部隊は同国のスービック海軍基地に来航していた。
無論カザマもその中の1人であり、久々の期待の新星と太鼓判を押されて取材を受けた。と言ってもほとんどは写真撮影が主であり、細かな質問などはされなかったが、問題は寧ろ別にあった。
「あ、あのっ、写真いいですか?」
そう言って声を掛けて来たのはまだ若い女性兵だった。かなり日焼けしているのを見て現地の人間だと判別したカザマは、構わないと返して女性との身長差に苦心しながらフレームに収まった。
「ありがとうございます!」
頬を紅潮させて何度も頭を下げて帰ったのに苦笑して座り直す。
「やっぱモテる男は違うな。」
「何の話だ。」
「とぼけんなよ。今ので3度目だぜ? ここに来たばっかなのに、行くとこ行くとこで誘われるじゃねえか。宣伝効果ってのは怖いねえ。」
そうからかう彼がトイレに行ってる間にも撮られたので、実際は4回目だ。しかも一緒に写った女性が全員顔を赤らめて帰っていくものだから、カザマにはさっぱり理解できなかった。
そんな鈍感ぶりは変わらなくとも、3年の月日は彼を十分に成長させた。NBA選手にも並ぶほどの身長と体格には、訓練で培われた筋肉がこれでもかと盛り上がっており、加えてその顔は元々の精悍さに数々の戦場を生き残ったことである種の野生が滲んでいる。本物の力強さを備えた顔つきは先程の現地人だけでなく、サーファーなどを男漁りに来る観光客もつい目を奪われてしまうのだった。
「お前の言うことは分からんがまあ減るもんじゃないし、オレなんかで良ければいくらでもOKするさ。」
「…お前いつか刺されるかもな。ったく、本当に鈍いってのは恐ろし…オイ、見ろよアレ。」
いい加減替えのボトルを取ってこようと腰を上げかけたとき、ネッケルが興奮気味にサングラスを外し身を乗り出した。その挙動に連られてカザマが指差されたビーチに見たのは黒く蠢く何かだった。蜃気楼でぼやける両眼を懸命に凝らし、塊の正体を見極めようとして唖然とした。
それは人の山だった。大半が広報部の撮影係だが、中には明らかに関係ない者も混ざっている。今回の撮影会には男性兵士の他にも、抵抗軍の募集用PRのために女性兵士のグラビアなんかも企画している。そのために様々な部隊から選りすぐりの美人がこのビーチに集結しているのだが、今カザマが目にしている集団はその中でもかなりの盛況ぶりを博している。
一体どれほどの女がいるのか好奇心が湧いたカザマは、被写体が分かるところまで近づくと、すぐに原因が判明して今度はズッコケた。その音に気付いた被写体がフラッシュに囲まれながら、クルリとこちらに振り返る。
「…何やってんのアンタ。新手のギャグ?」
「軍曹、日射病にやられたのですか?」
アキラが呆れ返った様子で、シェリーが論点のズレたリアクションをそれぞれかます。予想以上に熱い砂粒が口に入ったのを吐き出しながら、同時にぬるりとした鉄臭い液体が広がったのを感じた。さっきの転倒と直射日光のダブルパンチで鼻の血管が切れたようだ。慌てて口元を覆い隠し若干上向きになる。大柄な体が幸いしてか違和感は抱かれていない。するとアキラが上から下まで全身を見て
「ふーん…」
と形の良い眉を細めたかと思うと
「もおー、どこ行ってたの? ずっと待ってたのよ。」
いきなり聞いたこともないような猫撫で声になって、腕にしがみついてきた。不覚にも肘に当たる柔らかな肢体に緊張してしまい、鼻血を留めるシェルターが数枚連続で崩壊する。そんなカザマにお構いなしに胸を押し付けてくるアキラは、ついでにシェリーの手も取って電光石火の如くその場を走り去った。
「いきなり何なんだ! ビックリしたろうが!」
「うるせえな。お陰で良い思い出来たんだから役得だろうが。」
撮影会場から離れた場所、開放感のあるシーフードレストランの前で、ようやく腕を解放されたカザマとアキラが言い争う。どうやら撮影会が終わったのに野次馬が増えて対応に困っていたところに、タイミング良くカザマが現れたらしい。
「まあ見た目は合格点だし、男除けには十分だろ。」
という理由で利用されてここまで逃げて来た始末だ。傍らにはいつの間にかシェリーが買ってきたアイスを頬張っていた。
「いくら断ってもしつこいし、ベタベタ触ってくる奴もいるし、最悪。こんなゴツい体のどこが良いんだか。」
「相手だって悪気があったわけじゃない。それくらい宿命だと思って我慢しろよ。」
「何よ宿命って。」
「だってお前ら…」
そこまで言いかけてカザマは改めて2人の姿を交互に見比べる。軍人、それも特殊部隊員というだけあって、2人とも徹底的に身体を研ぎ澄ましていた。
アキラは赤い布地に黒い縁取りが施されたビキニ、シェリーは軍が採用してる青地に白いラインが入った競泳水着を着用していた。ガンツスーツという女性からすればセクハラもののコスチュームのお陰で、スタイルの良さは分かり切っていたが、水着だと一層強烈に見えた。
アキラは平均以上に発達した胸がくっきりと谷間を作り、引き締まったウェストはくびれながらも鍛えている証拠に腹筋が浮き出ている。特に脚はカモシカのようにしなやかで長く、美脚という表現が陳腐に思えるほどだ。本人は高い背丈と女性らしくない筋肉質な身体にコンプレックスを抱いているそうだが、客観的に見ればアスリートとモデルの要素を見事に融合させていると言えた。世界水準を超えるほどの美しさに野郎どもが釘付けだった。
一方のシェリーは肌の露出が少ないため分かりにくいが、こちらも十分なプロポーションを誇っていた。女性としては平均的な身長ということもあって、ほっそりとした印象を与えるが、アキラ同様腰が高く腕や脚もトレーニングで程よく引き締まっている。布地で隠れているが恐らく腹部も割れているのだろう。胸は若干及ばないものの、遠目でも張りのある滑らかな曲線を描いていた。黄金比という奴だろうか。計算されたと思うほど完成されたバランスの良さだった。
花に喩えるならアキラが薔薇で、シェリーはコスモスが似合う。
何というか
「…いい。」
「は?」
「い、いや、何でもないんだ。気にするな。」
「…まさかカザマ、私たちに変な気持ちを持ってんじゃないだろうな。」
急に自分の肩とシェリーを引き寄せてアキラが一歩下がる。
「ないない! 天地神明に誓って変な気持ちなんて持ってない!」
「どうだか。鼻血なんて垂らして嫌らしい。」
「え?」
指摘された箇所を指でなぞると、そこには赤い跡がはっきりと付着していた。
「ち、違う! これは転んだ時になったのであって―」
「分かった分かった。今警備員呼んでくるから、ちょっと待ってな。」
「や、止めろ! 誤解するな! お願いだから待ってぇー!」
翌日、カザマはげっそりとやつれた姿で現れた。あの後、誤解を解くためにアキラに散々奢らせられた挙句、夜の宴会でも古参の隊員にかなりの量を飲まされた。生来のタフネスでどうにか回復したが、本調子とは言い難い。2日目のプログラムは隊員同士の交流を図るレクリエーションとして、各種スポーツが用意されていた。チーム対抗戦のようで、会場本部でくじ引きが行われている。
くじを引き終えたカザマは大会の開始まで時間を潰すために、昨日の撮影会で撮られた画像を本部のフリースペースでのんびりと眺めていた。部屋の奥に設置された大型スクリーンに映る肌色が多めのPVを、トロピカルソファの上から見ていると隣に2人組の男が座った。誰かは分かっていた。
「いいのか? 英雄様がこんな下世話なもん見たりして。」
「ぼくはいいって言ったんだけど、先輩がどうしてもって聞かなかったんだよ。」
「品評会だよ品評会。この撮影会にはオレも機材を一部貸し出してるから、出来栄えを確かめるのは当然の義務だろ。」
どうでもいい言い訳を述べるのは、部隊長であるタクミとメカニックマンのナイジェルだ。もちろん御多分に漏れずタクミは海パン、ナイジェルはアロハシャツだった。遠慮してる割には結構がっつり映像を見ている。
「ここに来たってことは大会には参加するのか?」
「うん。ついさっきようやく仕事が一段落着いたからね。骨休めついでに汗でも流そうと。」
「何か言葉の用法が違う気がするんだが…まあ、お疲れさん。」
ハハ、と薄く笑ったタクミの眼窩にはまだ隈が少し残っていた。機密に該当する立場柄、タクミはこうした行事には参加できないことになっている。現にジャップ・ザ・リッパーはあるのに、タクミの素顔が写った写真は1枚もない。仕方ないとはいえ気の毒な思いになる。
「まったくだ。昨日なんか大変だったんだぜ。」
「え? ナイジェルさん何かあったのか?」
「ああ。タクミの代行として宴会で挨拶しに行ったんだけどよ、
「無礼講か? 別に大したことじゃないだろ。」
「そうか。お前は早々に潰れたから知らねえんだな。実はアキラちゃんとシェリーがやらかしたんだ。ヨコスカ時代のアキラちゃんの通り名覚えてるか?」
「ああ、確か三重の撃墜王…ってまさか―」
「抜群の腕前で飛んでくる敵を墜とし、難攻不落のガードで群がる男を墜とし、鉄の肝臓で猛者どもを酒の海に墜とす。今回もその由来を遺憾なく発揮してくれたよ。今年から入った新人が酔い潰してテイクアウトしようとしたが、逆に病院送りにされたってな。いやあ、あの飲みっぷりは凄かった。」
そう言えば点呼を取った際に人数が減っていた気がする。あまり深く踏み込むと黒歴史を聞かされることになりそうなので、話に上ったもう1人のことを聞くことにした。
「じゃあ、シェリーの方はどうしたんだ? アイツってイスラム教徒だから酒は飲まないだろ。」
「あー、それは…」
そこで何故か口ごもったナイジェルの隣で、タクミが微かに肩を震わせていた。心なしか顔も蒼ざめている。
「オイどうした? まだ寝てた方が…」
「大丈夫です先輩。ちょっと風に当たってきます。」
少しよろけて立ち上がった隊長は、そのままヨロヨロと会場を後にした。
「何だアイツ?」
「察してやれ。一番の被害者なんだから。」
「被害者? けどタクミは会場に来なかっただろ。」
「巻き込まれたんだよシェリーに。お前は知らないだろうが、アイツは滅茶苦茶アルコールに弱いんだよ。昨日出されたウイスキーボンボンだけで酔っちまうくらいに。」
「は? たったそれだけで?」
「オマケに相当な酒乱でな。取り押さえようとしたが酔拳並みに暴れた。ついでにイベント用に用意された射的の景品を台無しにしたよ。そんな状態でも射程外の的を拳銃でパーフェクト決める腕は流石というか何というか。」
知らなかった。自分がリタイアした間にそんな激闘があったなんて。恐らくはその場に立ち会ったであろうナイジェルも、その時の光景を思い出したのか、哀愁の漂う笑いを浮かべていた。
「結局タクミが出てきて拘束したんだが、ホテルに戻ったら今度は酔ったアキラちゃんが待ち構えていた。よく分からんがシェリーがどうのと絡んできて、引きずられていったな。その1時間後に服を引き裂かれたタクミが泣きながら帰ってきた。」
「へ、へえ…」
だからあんな顔だったのか。妙に疲れた様子だったタクミの背中が思い出される。何をされたかは知らないが、彼ほどの男をあそこまで追い詰めるのだから只事ではない。
「それで仕事に時間がかかるわけだ。」
「ああ。オレも途中まで手伝ってたが、朝起こしに行ったとき安らかな顔で燃え尽きていたよ。まあ、お前はお前で頑張ってくれ。」
「頑張れって何をだ?」
「昨夜の騒動で飛び火したフラストレーションを回収するんだよ。現地の皆様へのお詫びも込めてだ。今回のスポーツ大会の裏テーマは親睦と謝罪だ。もしフィリピン軍の奴とバッティングしたら、まずは謝っとけ。」
「…
パチパチと篝火が揺れる中でアキラがいつもより3割増の仏頂面を作る。その反対側にはシェリーが澄ました顔で腰掛け、中央ではカザマが消沈した様子で項垂れていた。外では雷鳴と豪雨が席巻し、台風が直撃したのと同じくらい荒れていた。カザマは何故こんな状況になったのか思い出すことを試みた。
大会がスタートしてカザマが割り当てられた競技はボートレースだった。それもただのボートレースではなく、後部にバナナボートを牽引して走るというかなり無茶な内容だった。しかも運の悪いことにカザマが引いたくじと同じものをアキラとシェリーも引いていた。昨日の主犯を監視する意味でもちょうどいいとして、他の隊員は薄情にも早々に見捨てていった。両手に花だな、とからかったネッケルの嫌味なツラがありありと思い浮かばれる。
そんな天国とも地獄ともつかないパーティで臨んだ競争だったが、半分予想通りにカザマのチームがトップに躍り出た。もちろんモーターボートを操るのはアキラだ。抵抗軍広しと言えども乗り物を動かすことにかけては他の追随を許さない才能を持つアキラは、このときも抜群のドライビングテクニックであっという間に先頭になった。
代わりにバナナボートに乗る2人が余波を受けることになり、特にカザマは何度か本気で吐きそうになった。その際に後ろに抱き着くシェリーの何とも言えないふくよかな感触に、板挟みになったのも原因だったのは秘密である。
そのままぶっちぎりの優勝かと思われたが、不運というのは唐突に訪れる。空が僅かばかり曇ったかと思うと、すぐに灰色の雲が天を覆い、まばらな雨粒が降って来たのだ。天候の急な変化を察知した運営本部はすぐに大会を中止させたが、ボートレースのみ水上で行っていたので回収が遅れてしまった。
さらに悪いことにカザマのチームはアキラの独走が裏目に出て、他の出場者とかなり距離が開いていたことだ。ちょうど折り返しの地点だったので、ビーチから最も遠く戻るのは困難だった。そこで仕方なしに近くの小島に停泊したのだった。ボートを引き上げた後、島の中を探索してこうして洞窟に避難している。
「今日は1日中快晴だって言ったから張り切って参加したのに、よりにもよって無人島でキャンプだなんて。」
「そんなこと言っても、こればっかりはどうしようもないぞ。大人しく待つのが吉だ。」
「んなこた分かってるよ。私が言いたいのはこれからどうするかってこと。」
「ここから基地までそう遠くありません。ローガンの方で捜索隊を編成しているでしょう。」
今まで身動きもせず外の様子を眺めていたシェリーが呟く。
「ハッ、どうだか。この天気じゃ救援なんていつ来るか分からないし、タクミが私たちを心配してるなんて思えないんだけど。」
「随分と辛口だな。少しは幼馴染を信用してやったらどうだ?」
「無理。だってアイツ、昔私がバーで絡まれてても何にもしてくれなかったんだから。後で問い詰めたら『君なら自力で解決できると思ったから。』だってよ。ふざけんな!」
足元の小石を軽く蹴飛ばす様子からして、かなりご立腹だったのだろう。アキラの気持ちが分からないわけではないが、タクミの言い分も理解できる。実は本人からもその話を聞かされており、結果的にちょっかいを出してきた側は彼女がしばき倒して路地裏に捨てられたらしい。カザマも彼女の実力は十分実感しているため、その怒りをぶつけられたタクミには同情を禁じえなかった。もっとも、わざわざそれを口にすることは無かったが。
「それに休日だって外に誘っても断って家で楽器イジってるだけだし、偶に買い物に出かけたらヘラヘラ私のご機嫌取ろうとするし。アレのときだって…」
愚痴が際どいラインまで差し掛かったことに気づいたアキラが慌てて口を噤む。この手の話には疎いカザマでも彼女が何を言わんとしたのかは分かっていた。しかしこの場にはカザマよりも疎い人物がいた。
「大尉、アレとは何ですか?」
シェリーがえらく真剣な目で言った。別にやらしい目的ではなく、純粋に内容を知りたがっている様子だ。
「え? アレは…アレだろ。」
戸惑ってしどろもどろに返すアキラ。言いにくいことだが全然答えになってない。
「だから何なんですか?」
「アンタ、私をおちょくってる?」
「おちょくってなんかいません。アレが何を指しているのか知りたいだけです。」
頬を赤くするアキラに対しあくまでも鉄面皮のシェリー。確かに彼女の経歴を考えればその方面についての知識や経験が足りているとは思えない。だがこの無垢で生々しい質問に答えるにはアキラもまだ大人に成りきれてはいなかった。
「じ、自分で調べろそれくらい! 何でも人に聞こうとするな!」
「…よく分かりませんが、大尉とローガンは人には言えない秘め事を抱えているということでしょうか?」
「…間違ってないけど、何か嫌な言い方ね、それ。」
眉をひそめるアキラだったが、相手が意図的に言葉を選んだとは思えなかった。これまでの付き合いで分かったことだが、シェリー・セシルという女は色んな意味で常識破りだったのだ。銃については専門家並みの知識量があるくせに、誰もが知っている服飾品のブランドを知らなかったり。打ち間違いなくキーボードを叩けるのに、掃除機の使い方が分からなかったり。この前など男連中に混じってシャツ1枚で寝ていたくらいだ。アキラも訓練キャンプに居た頃は平然と男に囲まれて着替えていたが、羞恥心がないわけではなかった。
長い間世界中を飛び回っていたとは聞いていたが、いくらなんでも常識に偏りがあり過ぎる。タクミもタクミでツッこまないから、余計に暴走するという有様だ。2人は顔見知りらしいけどシャワーを浴びようとした彼に自然と付いていくシェリーを止めなかったらどうなっていたか。偵察行動中はよくやったと白状したタクミに鉄拳制裁を喰らわせたのを今になって思い出す。
作戦中は警戒のために男女関係なく一箇所に固まって用を足すのは当然だが、彼女は根本的にズレている気がする。大体、年頃の男女が四六時中一緒に居るのは正しいのだろうか。上官と部下といえば問題ないが彼らの場合それだけじゃないように思える。プラスかマイナスか不明だが漂う雰囲気が非常に濃い。ともすれば2人だけの世界に浸ってるように見え、何度か呆れたこともある。そして同時に寂しさも感じて―
「お、少し雨が弱くなったみたいだな。ちょっと外見てくるわ。」
意識して明るい声で外の様子を告げたカザマは、そそくさと退散した。
カザマが出て行って数分、アキラは気まずい雰囲気を味わっていた。話題がない。先程まではカザマを媒介にして自然と会話できたが、2人きりになった途端周囲の温度が2、3度下がった気がする。そういえば入隊して以来、仕事以外で口を利いた覚えがない。
「大尉、一つよろしいでしょうか。」
沈黙に耐え切れなくなったのか、はたまた状況を選ばない純真さか、シェリーが口を開いた。普段の能面には変わりなかったが、目尻が少しだけ真剣になっているように見えた。
「…何?」
「ローガンと大尉は恋人なのですか?」
サバイバルキットから取り出した飲料水を残らず噴き出した。初回からのド直球に見事に撃ち抜かれてしまい、激しくせき込む。シェリーが背中をさすって息が整うのを待つ。
「何よ突然!?」
「ですからローガンと大尉は―」
「だから何でそれを聞くんだよ!」
「純粋にお聞きしたかったからです。アナタ方は階級は違うのにまるで無いように接し、隊長であるローガンに対する大尉の態度がどうしても適切とは考えられません。」
「私の態度がアンタにどう関係するんだよ。」
「自分ではありません。リーダーの威厳が損えば部下の士気に影響し、作戦遂行の障害になります。私はそれを危惧して何度もローガンに意見具申しました。しかし彼は聞き入れてくれませんでした。困っていたのをナイジェルに相談すると、それは恋人だからだと教えられました。」
手元でグシャリという音がした。どうやら無意識にボトルを握り潰していたようだ。ナイジェル、とりあえず殺す。
「ですが私が知る限り、恋人というのはもっと仲睦まじいものです。見たところアナタたちはアナタがローガンを理不尽に抑圧してるようにしか見えません。」
「良いんだよ別に。私とアイツはそんなんじゃないから。」
「では一体どういう―」
「うるせえな。人が良いって言ってんだから良いんだよ。チッ、タクミのことになると急にお喋りになりやがって。」
打ち切るような口調で話を終わらせる。タクミと口喧嘩するときに使う手だったが、シェリーは引き下がらなかった。
「個人的にはアナタが最大の不安要素です。」
「…何だと?」
獲物を狙う猛禽の目で真っ向から射抜くが、相手の表情は変わらず機械のように淡々と続ける。
「私見ですがアナタはこの任務に相応しくありません。」
止むことを知らない雨が降り注ぐ中、カザマはやっとのことで洞窟に戻ってこれた。ちょっと様子見に行くつもりが、道に迷ってしまうとは兵士として些か情けない。しかし今は自分の行動による結果に一抹の不安を覚えていた。
一度あの2人を話し合わせるべきかもしれない。REXに入ってから薄々感じていたがシェリーとアキラの仲はあまり良くない。性格が嚙み合わないのもあるが、一番の対立する原因はやはりタクミだろう。シェリーと彼の関係は良く分からないが、ただの友人ではないことは理解できる。
問題はアキラの方だ。ヨコスカのときから気になっていたのだが、恐らくアキラはタクミに好意を抱いている。滅多に―と言うより全く―デレた様子を出さないのだが、何となく彼を見るときの目が他の男のときとかなり違っているのだ。それは数年ぶりに再会した時も変わらず、さらに強くなっている気がする。しかも時折、恋愛感情だけでは説明のつかない昏い熱を宿すのだから、ある意味で悪い方向に向かっているようにも取れる。いや、アレはそんな生易しいものではない。執着、依存ともとれるような―
恐ろしい想像に至りかけた頭を叩いて、脳裏から灰色の瞳を追い出す。何を変なことを考えているんだ。こんなときに関係ないことを考えるんじゃない。これじゃあの噂話が大好物の整備士と変わらないじゃないか。
そんなことより今は救援要請だ。さっきボートを確認したときに船底に設置されたGPSの電波を最大限に切り換えておいた。レースの前に配られた仕様書に注意書きがあるのを思い出して仕掛けておいたのだ。これで少なくとも数時間で救援が来る。吉報を胸にしまって洞窟に戻ったカザマだったが、中を窺った途端に芯まで凍るような冷気が襲い掛かった。
「…もう一度言ってみろ。」
「分かりました。大尉はこの任務から降りるべきです。」
聞いたこともないような氷みたいに冷え切った声のアキラと、全くトーンが変化しないシェリーが真正面から睨み合っている。間で小さくパチパチと燃える火が両者の端正な顔を浮き彫りにしていたが、このときは美しさより寧ろ恐怖を感じた。どちらにしても争い事は止めなければ。
「オイオイ、どうしたんだ2人とも。喧嘩か? もしそうならこんなとこでやったって何の得にもならないぞ。どれ、ここは一つ年長者であるオレが―」
「お前(軍曹)は黙ってろ(黙ってください)。」
「はい…」
兄弟喧嘩の仲裁には定評のあったカザマ・ダイゴの交渉術は、2人の放つ剣幕の前では全然役に立たなかった。無言で出ていけと命じる視線に応じたカザマはすごすごと撤退することにした。ほとぼりが冷めるまで待った方が良いだろう。幸いにも雨は止んでおり砂浜に出たところで空を見上げると、昨夜は気が付かなかったのが不思議なほどの満天の星空が浮かんでいた。
「すごい…!」
単純ながらも綺麗な光景に心の原初的な部分を刺激され、もっとしっかりと見たいと思って、まだ湿り気が残る砂地の上に寝そべった。普段街の中から覗く夜の空は白色が大半だが、ここのそれは無数の彩に溢れていた。赤、青、黄色、様々な色が控えめながら漆黒のキャンバスに鮮やかなアクセントを主張している。海上にはその光が反射して一層幻想的な風景を演出していた。家族がまだ穏やかに暮らしていた頃、近所の海を散歩したときに見たのと似ているのを思い出し、カザマはしばらく飽きることなく慎ましく光る星々を眺めていた。
助けが来たのはそれから2時間ほど後の事だった。
「いや、本当に一時はどうなることかと思ったぜ。突然の暴風雨で連絡取れなかったから、転覆して遭難したんじゃないかとばかり考えてた。」
「当たからずとも遠からずだな。」
救援のヘリから降り立ったネッケルの割と本気で心配そうな様子に、苦笑を交えて喉に出掛かった愚痴を飲み込む。今回の事故に遭ったのはただの偶然であり、くじ引きに細工をしたグルの1人であるこの男に非はない。
「で、どうだった?」
「どうって何がだ。」
「またまた純情振りやがって。
「具合ねえ…」
そう言って後ろに目を配ると毛布に身を包んだアキラとタクミが口論する姿が映った。
「だからもういいっつってんだろ!」
「でもずっとそんな恰好だったんだから、念のために検査を受けた方が良いよ。風でも引いたら大変じゃないか。」
「ガキじゃあるまいし、今時引くかよ。心配しないでも自分の体は自分が一番良く分かって…ゲホッ!」
「アキラ! 言わんこっちゃない!」
怒鳴り過ぎて喉が詰まったアキラの背中を撫でようとするが、スッと避けられる。
「違う。これは風邪じゃなくて、息が詰まっただけ。ずっと口を動かしてたから…」
「誰かとお喋りしてたってこと?」
「ローガン。」
「あ、シェリー。君はどう? どこか調子の悪いとこない?」
「今のところは異常なし。怪我もないから大丈夫。それよりワグナー司令に報告したいことがあるの。」
「報告? 珍しいね。君がそんなこと言うなんて。」
「今度のミッションは私を大尉に同行出来るように手配して。それだけ。」
「え? まあ、いいけど。でもシェリー…行っちゃった。アキラ、彼女と何かあったの?」
「別に。さっきのことだけど私からも頼むわ。あの女、今度顔見たら確実に―」
「アキラ? ちょっと顔が怖いんだけど…」
「生まれつきなんだ。何でもねえよ。ほら、帰るぞ。」
いつも通りアキラが先頭に立って、タクミが少し離れて後ろを着いていく。3年前と変わらない歩き方で2人がヘリに乗り込んだ後、カザマは同僚の肩に手を置いた。
「残念だがアイツらはオレの手には負えないよ。」
後日、何者かの手でナイジェルの秘蔵フィルムを収めたカメラは、一つ残らず破壊されたそうな。