風が吹くたびに舞う砂塵の中で、場違いに煌びやかな都市ラスベガス。その中で特別輝いてるラスベガス・ストリップでも指折りの高級ホテルにぼくはいた。周りは着飾った紳士淑女がひしめいており、そういうぼくも髪をポマードで整えタキシードを着込んでめかし込んでいる。
「どうだ。奴は現れたか?」
同じく正装に身を包んだカザマがシャンパンを呷ってさりげなく話しかける。その顔は薄っすらと紅潮しており、目も若干泳いでいた。いささか酔ってるようだ。
「飲むなとは言わないけど、ほどほどにしろよ。いくらふざけていても作戦中だぞ。」
「バカ、これは変装だ。さっきトイレでメイクしてきたんだよ。それにオレはこんなの初めてなんだからしょうがないだろ。」
「その割には楽しんでるみたいだけど。」
そう言って少し後ろに目を向けると、数人のご婦人がカザマの背中に意味ありげな視線を送っていた。その範囲はまだまだこれからの20代から脂の乗り切った40代まで。どれも微笑を浮かべつつ時折耳を寄せ合ってカザマの印象を計っているみたいだ。
「アレは勝手についてきただけでオレのせいじゃない。第一、何でオレなんかに構うのかさっぱり分からん。」
どうにもこの大男は自分の容姿に無頓着が過ぎる。ヨコスカに勤務していた頃から天然フラグ生産機の異名を付けられていたカザマは、プロのジゴロと遜色ない口説き文句を次々と発射し、何人もの女性兵士をその気にさせた悪行の持ち主なのだ。しかも、それを無自覚にやってるものだからタチが悪い。もっとも、本人は誠実な人柄を売りにしているから、何やかんやで丸く収まるみたいだけど。
「何でもいいけど、この作戦が
バツが悪そうに、分かったよ大将、と引き下がったカザマはまた別のエリアに去った。その大きな背中が消えたのを確認して再度人ごみの中で神経を尖らせる。やっぱり止めとけば良かったかなと思いつつ、ぼくは通りかかったコンパニオンに勧められてシャンパンを受け取る。
何でぼくらがこんな戦場とは程遠い場所で慣れない服装をしているかというと、きっかけは例の影武者の遺言だった。
『どこかでパーティーでも開いてくれればとボヤいていた。』
あの男が遺した体の一部から採取した網膜や指紋パターンを情報管理局のセキュアサーバーにかけてみたけど、見事に空振りで電脳の海では一足先にこの世から抹消されていた。となると、残りの手掛かりは先の伝言だけということになる。
敵の言いなりになるのは癪だけど、唯一の証人が死んでしまった以上なりふり構ってはいられない。そこでぼくが考えたのがこのベガスで催されるオアフ島戦の祝勝会に参加することだった。会場に潜伏してターナーが出てくるか監視し、そう思わしき人物をピックアップ。秘密裏に連れ出して尋問する。提示された期限まで残り1週間。他に有効な手立ては思いつかない。
案の定、隊員たちはこぞって反対した。顔どころか素性も分からないターゲットを見つけ出すなんて前代未聞。相手を間違えて尋問でもしたら部隊全員のクビが飛ぶのは必至だ。それでも、渋る仲間たちを説得できたのは一重に今までの戦いで築き上げてきた信頼関係のお陰だろうと思う。
正規軍の先導といった文字通り血路を切り開く任務も多いREXは、それこそトップクラスの死傷率を誇っていたが、マザーが隊長に就任して以降はその不名誉な統計が著しく下降している。1回目の戦闘で全体の状況を把握し、
敵の技術を利用して仲間の命を救うなんて皮肉だけど、現場の都合というものがあり、ぼくも不可能と言われた任務を成功に導いてきた。そういう意味では部隊員でぼくに借りのない奴はおらず、現に今もその見返りでパーティーに何人か引き込むことが出来ている。ループ様万々歳だ。
しかし、この能力が忌まわしいというのもまた事実。リンゴを食べたことのない者がリンゴの甘さを想像できないように、死を経験したことのない者はその苦しみを理解することはない。その現実を糧に胸の奥の孤独が疼くのを感じながら、ぼくは他人とは別の時間を生きている。
あの管制室に入るためのコードがふと思い浮かぶ。Xレイデルタ1。かの有名な『2001年宇宙の旅』で主人公が乗り込む
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解決することのない悩みを巡らせていたと気づいたぼくは、人ごみの熱と香水の匂いに悪酔いして据え付けのソファに座り頭を垂れていたけど、その呼び名と引っ張られた袖に応えざるを得なかった。見上げた先のシェリーは水色のプリンセスドレスを着用していた。普段はほとんど手入れをしないショートの金髪に珍しく櫛を通し、長い睫が伏し目がちな青い瞳の上で揺れ、膝まで覆ったドレスの裾が動くたびにふわりとたなびく。薄く化粧を施した顔立ちは彼女自身の神秘性と相まって、妖精の持つ儚さを体現したようだった。
こういった雰囲気の女性にはあまり男は近づかないものだけど、声をかけられるのは白人の割には微かに焼けた肌―それでも雪のように白い―が人間の健康美という正反対の性質を彼女に与えているからだろう。何にせよ、普段スッピンで通していても野郎たちから裏で
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内容を悟られないようアラビア語で会話しつつ、言われた通り立ち上がってそれとなく顔を傾けると、5、6人の男の人だかりの中で見知った顔が映った。何やらアキラがやらかしたらしく、相手の男と和やかに語らっているけれども怪しい空気が漂っている。ここで一悶着があったら作戦はパーだ。彼女もそれを承知しており、さりげなく現場に混ざり込んだ変装した隊員も折を見て仲裁しようと構えているが、談笑している男は中々しつこいらしく手をこまねいている。
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耳裏の骨伝導型極小イヤホンと首のスカーフで隠してあるシール型スロートマイクを使えば事は簡単に収まるけど、それだと却って騒ぎが大きくなってしまい、今後の監視に支障が出かねない。
軽くため息を吐いたぼくは飲みかけてテーブルに置いていたグラスを取って、立ちはだかる人ごみをかき分けた。
「つまりさ、この絵は日本の
壁に飾られている油絵を得意げに解説するエヴァルト・フォン・フリードリヒに、アキラは頬が引き攣るのを感じた。そう、日本独特の感性に魅入られた画家は多く、一時期ではジャポニズムという現象が欧州を席巻した。有名な作品だったらモネの『ラ・ジャポネーズ』が小学校の教科書に載っていたのを覚えている。
しかし、今エヴァルトが紹介している作品はムンクの『叫び』だ。夕焼けにしては真っ赤な空に不気味に描かれたフィヨルド、そして真ん中の人物が身をくねらせながら耳を塞いで絶叫している様子が印象的だが、別にこの絵は浮世絵を真似て作ったわけじゃない。
恐らく本人は橋が共通していることから、ゴッホのものと混同しているらしくアキラが日本出身であることを失念しているとしか思えない。もしくは日本人はこんな知識は知るまいとたかをくくっているのだろうか。どちらにしろ、周りの数人が失笑をこらえているのは明白で、だからと言ってアキラもわざわざ間違いを指摘する気はなかった。もっとも、自身もタクミからの受け売りだから強くは出られない。
「それにこの作品は、作者が幼い頃家族の死を目撃してしまった苦悩を表している。だから中心の人物が苦しみの余り叫んでいるんだ。」
「へえ、そうなの。なんか意外。アンタが絵にも詳しいなんて。」
「これでもビジネスマンだから、社交場に入り込むには一般教養が不可欠なんだ。もちろんコミュニケーションもね。」
「なるほど。いい御趣味ですね。確かにジャポニズムは地平線の位置が定まってなかったり色調が単調ですけど、その大胆さが斬新に映り単なる流行を越えてモダニズムの橋掛けになったと言われている。」
ふらりと聞き慣れた声が割り込みアキラとエヴァルトは同時に振り向くと、そこにはシャンパン片手にタクミがアルカイックスマイルを浮かべていた。思いがけない助け舟に小さく安堵するアキラと対照的に、エヴァルトは怪訝に眉を寄せる。
「おや、君は?」
「第113航空師団のイム・ミンジュン少尉と申します。早い話が彼女の、ナルミヤ大尉の部下です。」
どうぞよろしく、と差し出されたグラスを受け取ったエヴァルトも、ジロジロとタクミを見分すると慇懃に―やや芝居がかった仕草で―名乗った。
「初めまして、エヴァルト・フォン・フリードリヒです。ウィンダム・エアラインの社員を務めています。…なるほど。アキラの
「はい。多少趣味で筆を執ることがありまして。大尉には時々付き合って頂いてます。」
さりげなくアキラとの仲を会話に混ぜ込み牽制したつもりだったが、架空とはいえ勘付いていないのか不機嫌に鼻を鳴らしたエヴァルトは
「ダメじゃないかアキラ。旦那に黙って勝手に他の男と親しくしちゃ。こんな美人の奥さんを放ったらかすなんてカルロスも脇が甘いな。」
「えっ?」
その言葉にタクミがあからさまに驚いてみせたが、どうにも演技ではなく素で驚いたようだ。その反応に満足したエヴァルトは馴れ馴れしくアキラの肩を抱く。その際手が一瞬空を切ったことから、どうやら酔いが回ってきたらしい。
「何だ知らないのかい? 彼女は数年前にカルロス・デインって奴と婚約してるんだよ。長年一緒に飛び回った仲だそうだけど、それきり連絡がないものだから…アキラ、ひょっとしてまだ結婚は…?」
しきりに剥き出しの肩を撫でるエヴァルトに虫唾が走ったように唇を噛んだアキラは、直後タクミを正面にして怒り、悲しみ、嘲りのどれとも判別できない微妙な表情を作った。
「カルロスは死んだの。式は挙げられなかった。」
気まずい雰囲気に居心地が悪くなった取り巻きが次々と離れていき、残ったのは先の3人だけとなる。何を言ってもマイナスにしかならない状況に押し黙ったタクミとアキラをよそに、酔っ払ったエヴァルト1人だけが現状を認識できずに独りごちる。
「そうかお気の毒に…そうだ。ぼくが良いお店を紹介するよ。中々いい酒を取り揃えていてね。仕事で疲れたときによく個室で飲むんだ。何だったら今からでも…」
「未亡人を口説くつもり? いい趣味してるなオイ。」
まだ未婚だろ、と返したエヴァルトにそういう問題ではないと隠すことのない嫌悪の表情を顕わにしたアキラは、離せというジェスチャーを込めたのだが、気づいてないのかわざとなのか、エヴァルトは強く肩に力を込めたままだ。
もしアキラが今日彼と会ったばかりなら一杯くらいは付き合ったのかもしれない。すらりとした長身と甘いマスクはそれだけでも女性に不自由しないし、話題も豊富で退屈はしない。しかし、どこかこの男には自分を特別視している感があり、思い通りに行かないことがあればすぐに機嫌が悪くなる癖がある。
「いいじゃないか。元はと言えばぼくとの縁談が持ち上がっていたときに、カルロスが無理矢理横から掻っ攫ったんだ。君だって本当は嫌々付き合っていたんじゃないか?」
その言葉に憤ったアキラは本気で手を振り払った。
「嫌だったのはアンタとの縁談の方よ! 私は反対したのに保護者面してた親戚が、アンタの家とのパイプを欲しがって勝手に決めようとした。それにカルロスとはちゃんと合意の上で約束したし、本気だった!」
目尻に涙を浮かべながら言い切るアキラが面白くないエヴァルトは、これ見よがしに呆れてみせた。事実、彼は半ば本気でアキラを奪い取ろうとしていた。
由来はその容姿にある。多少筋肉が張っているものの細く引き締まった長い手足に加え、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいるスタイルはトップモデルでも通用する。顔も欧亜混血の成せる絶妙な構成で、エヴァルトとしてはシャープな顎筋と切れ長の灰色の瞳がツボだ。母親はイスラエルの血も入っていると言っていたから、彼女は3つの人種の美点を突き詰めているとも言える。
先程声を掛けた金髪の少女も絶世の美女と言っても過言ではなかったが、こっちの方がエヴァルトの好みだった。
「連れないな。少なくともぼくは死んではないし、君の欲しい物や願い事を叶えることもできる。悪いようにはしない。ただ、結婚したら髪をもう少し長くしてほしいな。その方がきっと似合う。」
すでにアキラとの結婚は決定事項と悦に入った物言いで肩まで伸ばしたアキラの髪に触れる。あまりの図々しさに堪忍袋の緒が切れたアキラは、持っていたグラスの中身を顔にぶっかけ一息に捲し立てた。
「止めて、私は物じゃない。大体、カルロスと同期だったからってだけでしつこく付きまとってきやがって…成績を改竄させてアグレッサー部隊に入っておきながら、戦いが厳しくなって徴収されそうになったら親のコネで大手企業の役員になった腰抜けに抱かれる気は毛頭ねえんだよ!」
今まで優し目に接したが、ここまで言われたら立つ瀬がない。言うまでもなく短い忍耐力が切れたエヴァルトは
「このアマ、少し下手に出たら調子に乗りやがって…!」
顔を拭って思い切り拳を振り下ろそうとアキラの頭上に掲げた時だった。
「チッ、ウゼエな。」
不意に聞こえた舌打ちと同時に、横から割って入った腕がその手を捻り上げる。突然の横槍に戸惑ったエヴァルトはさらに捻られた痛みにうめき声を漏らした。
「何をしやがる! 放せ!」
反射的に乱入者を振り返って怒鳴ったエヴァルトだったが、その目を見て言葉が続かなくなってしまった。
「バカが。だから言ってるでしょ。ウゼエって。」
後方から抑えつけているタクミが、本来は助けられた立場のアキラが戦慄ほどの声音と視線で威圧する。普段は聞いたことのない乱暴な言葉遣いもその要因の一つだ。怒りと言うよりも恐怖で暴れるエヴァルトにそのまま首に手刀を叩き込むと、酩酊状態で混濁していた意識は容易に飛んでしまった。
「それに『叫び』は心じゃなく自然を貫く叫びに耳を塞いでいるんです。」
すかさず付近の隊員が壁を作って一連の騒ぎをゲストたちから遮断する。素早く抱きかかえられてどこかに持ち運ばれたエヴァルトを見送ったアキラは、手に飛び散った酒の飛沫を拭くタクミに近づいた。
「ありがとうタクミ。ゴメン、変なことに巻き込―」
「いや、それはこっちのセリフだよ。」
「…は?」
噛み合わない返答に眉をひそめたアキラをよそに、タクミは数秒前の冷徹さが嘘のように平然とした口調で言った。
「早く酔い潰れてもらうために、渡したシャンパンに目薬を入れておいたんだ。昔の手口で今の目薬では効き目がないけど、特別にナイジェルに調合してもらったんだ。でも、ちょっと時間がかかっちゃたみたいだね。」
ゴメン、と頭を下げたタクミに、アキラは一緒に暮らしていた頃にあったことを思い出した。機嫌の良い日に嫌がるタクミを連れ出して近所の公園をウォーキングしていたときだった。
道端で蟻が群がって内臓が露出した鳩の死骸が転がっていたのをタクミが拾った。キモいと引いていたアキラだったが、興味で弄くる子供はともかく、普通の大人なら敬遠しがちな動物の死体を無視しなかったタクミに内心感心していた。しかし、タクミはそれを道沿いの池に投げ入れたのだ。
それをたまたま見ていたアキラらと同年代のカップルがタクミを咎めてきた。信じられない、アナタは生き物を大切にしろってママに習わなかったの、今すぐ拾いに行け云々。さっきまで死骸の見える場所でイチャついていたクセに何様だ、とアキラが噛みつこうとしたのを制したタクミは一言だけ言い返した。
『アナタは寝る前に踏み潰した蟻を偲んで泣きますか?』
その言葉を受けてカップルは尚も何か言い返そうとしたが、結局何も言わずにトボトボと帰ってしまった。あのとき、タクミが尋ねたときの雰囲気とさっきのタクミが発した雰囲気はどこか似ている。傍から見たらヒンシュクを買ったり目を背けたいようなおぞましい物や行為を躊躇うことなく実行できてしまいながら、本人はその現実の恐ろしさを実感できないある種の鈍感。
いや、それは鈍感というより人間として大事なものをどこかに落としてしまったと言った方が正しいのかもしれない。いずれにしろ、今のタクミは異常だ。同居を開始してから偶に見られたその合理的な冷たさが、戦場に戻ってからますます悪化している気がする。目が乾いているのだ。
やっぱり
数日前に知らされたタクミの過去を反芻しつつあったアキラはタクミの
「ところでアキラ、さっきの話の事なんだけど…」
というオドオドとした態度にわずかに苛立ちが募った。つい数分前にエヴァルトにはあんなに強く迫ったのに、私にはいつもこんな弱腰に媚びた態度をとるのか。今はそれがどうしようもなくアキラを苛立たせ、一刻も早くその場を立ち去ろうとしたが、足を踏み出した瞬間背後から控えめな声が届いた。
「もしかしてタック…?」
「…レイ。」
振り返るとそこには1人の金髪の美女が佇んでおり、タクミも地面に縫い付けられたかのように立ち止まった。
アラビア語の会話についてはエキサイト翻訳を丸写ししました(笑)
どうか詮索は勘弁してくださいwww