ループも90回近くになった日の夕食時間、トレーに並ぶミートボールをそれとなく眺めたぼくは、そういえばあの夜の献立もミートボールだったな、と不意に思い出した。
『悪いけどあなたが卒業したら、私再婚するから。』
高校卒業間近のある日、ミートボールを口にしようと箸を持ったとき、母が唐突に話題を変えた。目を丸くしたぼくをよそに、母はニュースキャスターのようにスラスラと続ける。
数か月前、帰宅した父のコートを仕舞おうとしたら、懐から見知らぬ女とのツーショットが出てきた。父を問い詰めると、昔世話になった人でこの前10年ぶりに再会したと言う。
しかし、長年の勘で嘘と見抜いた母は興信所に調査させたところ、予想通り二人がホテルに入った証拠が送られてきた。いよいよ怒り狂った母は離婚を突き付け、父もあっさりと従った。
あとは時期の問題で、それはぼくの卒業が条件に合致したらしく、息子には何も告げず話は成立した。親権は母が獲得し、再婚相手はバツイチだった。
けど、ぼくは相手がだれであれ、母に着いていく気は毛頭なかった。何かにつけてヒステリーになる気性には以前からウンザリだったし、かと言って常に不機嫌面の父を見ながら食事をするのもいい選択肢とは言えなかった。
となると、金もコネもない高卒の少年の行き先は限定され、同級生が輝かしい春を迎える中、ぼくは半ば自棄になって合格した有名大学を蹴って軍に入った。
もちろん戦いに出向く発想は端からなく、自身が理系だったこともあり、内地で機械いじりでもしようと思っていたが、何の因果か配属されたのは第8中隊という生粋の戦闘部隊だった。
最初は脱走を企てたこともあったが、いざ腹をくくると、ふざけはするものの切磋琢磨しあう仲間との日々は陰気な家庭生活を送るよりよっぽどマシと言えた。
「座るよ。」
澄んだ声に意識が今に戻ると、隣の席にナルミヤ・アキラがトレーを置いた。さらりとした栗色の髪が揺れる。
「久しぶりだね、そっちはどうなの?」
「久しぶり? 寝ぼけてんの? 昨日も会ったじゃん。」
「ああ、ごめん。気のせいだった。」
実際は50周ぶりだ。怪訝な表情をしながらもアキラは席に着く。
「明日の戦闘やっぱり参加するの?」
「当たり前でしょ。アンタが航空支援もいらないくらい優秀なら話は別だけど。」
「いや、そうじゃなくてさ…」
しばらく話が途切れ、食べることで間を置きながら次の言葉を探す。
「未だに信じられないんだよ。まさか君と明日戦場に行くなんて。」
「まあ私はパイロットだから歩兵のアンタと顔を合わすことはないだろうね。エリートと凡人の違いってやつ? それよりおば様から電話来てないの?」
「あの人は今頃セカンドライフの帳尻合わせに必死なんだよ。ぼくはすでに過去の遺物さ。」
自嘲気味になるのは喪失感からだけではなかった。現にぼくは誰とも共有できない秘密を抱えている。
「でも…」
「構わないよ。元々進学していたら出ていく予定だったし。」
自分のことを心配してくれるアキラに、ぼくはなるべく明るく取り繕う。そうだ、これはぼくが決めたことなんだ。イメージ通りの息子に仕立て上げようといちいち介入する母親も、酔った勢いで子供に妻や仕事の愚痴の相手をさせる父親もいない。
曹長のシゴキさえ我慢すれば衣食住には事欠かないし、未成年ながらもようやく班のバカ騒ぎで回された酒を飲めるようになってきたころだ。ループのことも、こうした他愛のない会話で少しは忘れることができる。
そう考えると、ある意味充実していた。ただ、アイツさえいなければ…
「よお、アキラ、タクミ。こんなところにいたのか。」
今度は後ろから声がかかり、カザマ・ダイゴは2人の正面に腰を下ろした。
「探したんだぜ。飯食うんなら誘ってくれりゃいいのに。」
ドン、と目の前に3人分はあるんじゃないかってぐらいの御飯が並ぶ。
「そうだアキラ、今度の戦闘終わったらオレとデートしてくれよ。」
「しつこいねアンタも。まだ懲りないの?」
軽くいなしながらもアキラは満更でもなさそうだ。それもそうだろう。目の前の「アイツ」は基地の女性陣でも人気があるのだから。日本人離れした180cm強の体格と整った顔立ち、抜群の運動神経を持ち、陽気な性格は好青年そのままと言えた。
「何だよカザマ、先に来てたのか。」
遅れて数人の男たちがぼくらの周りに歩み寄ってくるのを見て、ぼくは密かに眉をひそめた。連中はカザマの所属する隊の仲間で、本人を除きぼくらの中隊とは仲が悪い。その証拠に
「あん? コガ、お前何ガンつけてんだよ。」
と絡む始末だ。
「ゴメン、気分を害したなら謝るよ。それじゃぼくは食べ終わったから。」
いつもの低姿勢に我ながら情けなかったが、これ以外の対処法を知っているわけでもなかった。奴らの目的はあくまでアキラであって、オマケですらないぼくに用なんてこれぽっちもないだろう。
学校の徒競走で万年ビリだったもやしっ子が喧嘩で勝てる見込みは薄い。同じ言い訳を考えながら席を立った時だった。
「止めろよお前ら。みっともないぞ、そういうの。」
またこれだ。ぼくがカザマを嫌う一番の理由だった。コイツは今時珍しい正義漢だ。それも天然記念物級の。イジメがあったりすると決まって仲裁に入るから、そんなところも女性には頼もしく映るんだろう。
カザマは事あるごとにぼくを庇ってくれた。でもぼくはその度に自分の弱さや卑屈さを思い知らされるんだ。本当は感謝すべきなのに、どうしてもネガティブな思考が浮かんでしまう。
そんな身勝手な理由でぼくはカザマを好きになれなかった。
「何でやられっぱなしなんだよ。ますますアイツら調子に乗るよ。」
居心地が悪くなって食堂を後にすると、アキラが付いてきて不満を呟いた。
「ぼくが喧嘩が苦手なのはアキラだって知ってるだろ。」
そう返しつつ、ぼくは隣を歩くアキラを見た。緩くウェーブしたロングヘアを片方に纏めて流した亜麻色の髪と鋭く生真面目な硬さを宿すグレーの切れ長の瞳。彫りが深く凛々しい顔立ちは透き通った氷のようで、抜けるように白い肌はすっぴんにも関わらず肌理細かい。訓練で引き締まった長身に身に着けているのは、軍指定のTシャツにカーゴパンツという飾り気のない格好だが、逆にそれが彼女のシャープな美しさを引き立てている。体の半分を占める長い脚を覆うコンバットブーツさえオシャレに見えてくるのだから。
最早ここまでくると『綺麗』ではなく『カッコいい』と呼ぶべきかもしれない。日本人の名前を持つのに、それらしい要素があまり見られないのは、事実アキラが純粋な日本人ではないからだ。
ロシア人の父、日本とイスラエルの血を引く母から生まれたクォーターで容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能の三物を天から与えられた彼女はぼくが幼稚園児の頃からのお隣さんであり、家族ぐるみの付き合いをしてきた。
小学校まで一緒だったけど家の事情でロシアに引っ越したっきりだった。生まれも育ちも純血の日本人のぼくがこうしてまた話すようになったのは、偶然基地で再会したからだ。
驚くべきはその間にアキラが大学を飛び級で卒業していたことだ。昔からの天才超絶美少女の称号をさらに磨いた彼女はその才能を買われ、軍の中でも一握りの者しか入れないというパイロットの技術研究機関に若冠15歳で選ばれ、訓練課程を最年少で修了し上層部から「10年に1人の逸材」とまで評価され、戦時特例もあって異例の早さで実地勤務が決定した。噂ではアグレッサー部隊からのお誘いを蹴ったそうな。
もう何度か実戦も経験しているらしく、先の三物との相乗効果で広告の表紙を飾る活躍ぶりは別世界の人間ではないかと思わせるほどだ。もし世の中の天才を競りにかけ彼らの才能を100万ドルと仮定するならば、アキラの場合は
当然言い寄る男も多く、さっきの連中もその類だったが、例外なく玉砕した。すると連中の目は自然体で話すぼくに向かうようになり、中には陰湿な嫌がらせをしてくる奴も少なからずいた。
当のぼくはというと、アキラのことは尊敬しているし憧れでもあるが、スペックが高すぎて特別な人と見るには現実感が足りなかった。現状、両者の関係は幼馴染で収まっている。
それに評価できるのはあくまで見た目だけで、軍隊生活が長かったのか、やや口が悪くなっており、時折ぼくに対して乱暴な態度を取るせいで、どこか中性的な印象さえ受ける。噂では大抵の男は令嬢みたいな美貌に騙されて、そのギャップに閉口してほとんどが退散するらしい。もしかすると男装したら宝塚でやっていけるかもしれない。
もちろんこんなこと本人に知れたら
『男顔で悪かったな!』
とボコボコにされること受け合いなので、黙っておく。
「タクミってただでさえ弱っちく見えるんだから、黙ってたらやられ損よ。」
アキラが茶化したが、あえて答えなかった。思い出せば口喧嘩で勝った記憶がまったくない。無視されたと分かったのか、舌打ちされる。
ぼくは廊下に貼られた鏡でチラッと自身とアキラを見比べ、何度目かのため息をついた。身長、体重、体格はどれも平均値。運動能力はさほど高いわけでもなく、容姿も凡庸という言葉がしっくりくる。ルックスでこれだけの情報量なのだから、我ながら情けない。
唯一の特技は子供の頃習ってた絵くらいで、それこそもう長い間触れてすらなく、およそ戦闘に役立つ類の代物ではなかった。
オマケに今は性悪な神様のイタズラに巻き込まれており、ここまでくると哀れという以上に笑える境地に差し掛かってくる。
「マザーもこんな気分だったのかな…」
「え?」
我知らず呟くと先を歩いていたアキラが振り向いた。
「何でもない。独り言。」
無理に愛想笑いを装ったが、気づかないでくれたようだ。
「変なタクミ。まあいいや。明日出撃なんだからもう寝ろよ。私こっちだから。」
「あ、うん。お休み…どうしたの?」
普通に返事しただけなのになぜかアキラは不満そうだった。
「アンタさ、もっとこう言うことないの? もう明日なのよ。か弱い女の不安を分かれよ。」
気の利いたセリフを言えるのは果たして何周後か。
「…覚えておくよ。」
そう言い残すとぼくはアキラと別れ、1人で番付をさせられた倉庫のシャッターをくぐった。滅多に人が来ないこの時間帯は就寝ギリギリまで格好のトレーニング場に早変わりする。これもルーチンワークの一つだ。
今度ロマンス映画のDVDでも見てみるか。帰還後の懸念事項は多いほど気が紛れる。ぼくはそのリストに項目を一つ追加してサンドバックに一撃で穴を開けた。