「もしかしてタック…?」
「レイ…」
2人の前に現れた女性は薄く微笑むと、ゆったりとした動きで静かに歩み寄ってきた。やや色の薄い金髪は彼女が本物のブロンドヘアであることの証拠であり、肌理細かな白皙の肌と目尻の切れ上がった涼やかな碧眼に静謐で知的な雰囲気を纏う上品な顔立ちだった。緩やかだが優雅な動きが育ちの良さを窺わせる。何よりも際立つのはスーパーモデル級の長身で、タクミを完全に越すくらいだ。胸や尻がでかいくせに腰は引き締まっている。少なからずスタイルに自信のあったアキラも、格上と認めざるを得なかった。
「やっぱりアナタだったのね。」
「…うん。久しぶりだね。」
「あのときからさっぱりだったからちょうど半年ってところ? あら? そちらの方は…」
「この人はナルミヤ・アキラ大尉。ぼくの職場の上司だよ。」
「初めまして。」
こちらに気付いて軽く会釈する。本当に綺麗な笑みに、アキラは無意識の警戒心が解けるのを感じた。敵意はない。
「折角の機会なのに残念ですけど、私は少し席を外します。お2人はそのままどうぞ。積もる話もおありでしょうし。」
2人が醸し出した空気を察してその場を辞退し、人々の間を潜ってバルコニーにたどり着くと、そこには先客がいた。
「何? アンタも酔い覚まし?」
「いいえ。中が暑くて。」
わずかに頬を赤く染めたシェリーが、水の入ったコップを持って手で顔を煽っている。外に広がる目が眩むほどの街灯や車の光とは相対的に、影に覆われた端正な顔を横目にアキラも残りのアルコールを口に含む。
回想してみれば、この組み合わせになったことは一度もない。途端に静まり返ったバルコニーの状況に居心地が悪くなったアキラは何か話そうと脳を回転させたが、ナイジェルの昔話も合わせて思いつく話題といえば、銃とタクミのことぐらいだ。色気もクソもないテーマに頭を抱えたアキラに
「大尉はよろしいのですか? ローガンを放っといて。」
レイチェルと親しげに会話するタクミに顎をしゃくったシェリーに目が瞬いた。ライフルかタクミにしか興味がないと思ってたのに、意外と女の直感も鋭いらしい。これも『調整』のおかげ?
「別に。アイツが元カノと喋ろうがナニしようが私の知ったことじゃないし。」
一気にグラスを傾けて中の液体を飲み干して、先程からカウンターに並んで談笑する男女を盗み見る。懐かしさに顔を綻ばせてはいるが、そうと分からないほどに薄い壁が間を阻んでいる。イラクでの2人の過去を聞いていたが、見ている限り友人以上の関係には映らなかった。
「そういうアンタはどうなの? 唾つけてた男がデレッと鼻の下伸ばしてるようだけど。」
いい機会だ。この際だから彼女のタクミへの感情を分析しよう。
「私は彼に恋愛感情を持っているわけではありません。」
あくまでも無表情に徹し、四角四面な受け答えではあるが、それはそれでシェリーらしい。
「そう? 私からすればタクミにしょっちゅうくっついてるように見えるけど。」
「それは事実ですが、かと言ってあの人に手を出そうと思ったことはないし、されようとも思ってません。強いて言うなら、心配なんです。」
「心配?」
「ナイジェルから聞きました。アナタが私と彼の関係を探りに来たって。」
珍しくしてやったりという得意顔を作ったシェリーに、思わずのけ反ったアキラはバルコニーの縁に置いていたグラスを落としてしまった。しまった、と地上数十mから宙を舞うグラスの行方を追ったが、ほんの1、2秒で消えてしまう。あのナンパギークめ、帰ったら夜通しエアバイクの整備をさせてやる。
「もうご存知でしょうけど、私の姉はローガンの手で殺されました。今でも彼に憎しみを感じているといったら、正直なところYESです。けど、見てしまったんです。バグダッドから駆け付けて『奪還者』のメンバーの火葬をした後の彼を。棺に納まった遺骨を前に泣きじゃくる私の前で、ローガンはセシルの蓋を開けて言ったんです。『たとえ欠片でも君達を連れて行く。』って。そして焼けて砕けた骨のひとつまみを飲み下した。並んでいた同志の分も。」
そっと閉じたシェリーの目蓋から一筋の雫が零れ落ちる。
「だから決めたんです。これから先、どんな辛いことがあってもあの人を見極める。あの人のやろうとしていることを、セシルたちが信じたあの人を追いかけて、この戦いの先にあるものを見届けてやるって。私たちは罪で繋がっている。」
固く口を引き結んだシェリーの覚悟は自棄や陶酔からではない、タクミを命を預けるに足りる偉大な戦士だと見定めているという確固たる信念から来るものだった。少なくともアキラにはそう思えた。
「ゴメンね。」
「はい?」
怪訝に細い眉を寄せたシェリーに自嘲じみた笑みを零す。
「最初にアンタに会った時、いけ好かない子だと思ったの。ほとんど喋らないし無愛想だし。ロボットみたいって感じた。そのくせタクミとはやけに仲良くしてるから、つい嫉妬してた。私にはいっつもキョドってるのに、どうしてあの子には簡単に笑いかけてるんだよって。でも、心のどこかでそれも仕方ないかもって考えてた。」
首を捻ったままのシェリーに続ける。
「振り返ってみれば、私はアイツを好き勝手にしながら『ありがとう』の一言も言ったことがなかった。それどころかアイツなりの気遣いを踏み倒したこともあったな。そんな女よりちゃんとお礼を言うアンタの方に優しくするのは当たり前よ。だけど、イラクのことを聞いてからはそれが錯覚だって気が付いた。上手く言えないけど、アンタとタクミってそんな浅い関係じゃないってこと。少なくとも私なんかが入り込める余地なんて…」
「それは大尉も同じでしょう?」
「…どういうこと?」
「ローガンとアナタは子供の頃からの付き合いだって聞きました。確かに私たちは普通の上官と部下の関係ではありません。しかし、大尉はそれ以前に何年も前から純粋な友人としての関係がある。個人的にはそっちの方が羨ましいです。どんな凄腕の兵士だからって、潰した敵の数より好きな食べ物を知っていたいでしょう?」
そっちの方がよっぽど素敵だ、と告げるのに呆気にとられたアキラをよそに
「それに大尉には私にはないものを沢山持ってます。何て言うか…困ってる人がいたら慰めるんじゃなくて、問答無用にグイグイ引っ張っていくタイプっていうか。でも、結果的に立ち直るきっかけになるっていうか。遠慮なく人の中に土足で入り込んでおきながら、いつの間にか周りを繋げていく。そんなアナタだからきっとローガンも…申し訳ありません。上官にこんな不躾なこと…」
つい口が滑ったとでも言うように、慌てて口元を抑えるシェリーが何だか可愛らしく思えて、こらえきれずに吹き出してしまう。
「ハハッ、お互いに不器用ってわけか。私、アンタをちょっと誤解してたみたい。何か今ならいい友達になれそう。それに新しい一面も分かったことだし。」
「新しい一面?」
「意外とお喋りってこと。」
一瞬目を丸くしたシェリーだったが、ちょっと顔を赤らめたものの花が咲いたような笑みを返す。
「今更でちょっと変だけど、よろしくねシェリー。」
「こちらこそ、
初めて敬称で呼ばれたことに驚きつつ手を差し出す。シェリーは僅かに戸惑いながら辺りを訳もなく見回したが、今の2人を見ているとしたら頭上に輝く月くらいだろう。にっこりと微笑んでグラスを置いて握り返して―そのときだった。
「あれは…!」
幻と思った。見間違いとも思った。けど、アキラは首のマイクのボタンを押してしまった。
「…そう。また軍に戻ったのね。」
バーテンダーから受け取ったモスコミュールを一口飲んで手元で揺らすレイチェル。ぼくはそんな彼女を一瞥して水を喉に流し込む。本当は「ウォッカ・マティーニを。ステアせずシェイクで。」とか言ってみたいけど作戦中だから仕方ない。
「そういうレイはどうしてるの? このパーティーに来てるってことは軍に…」
「まだ平和の道を諦めたわけじゃない。今は中東諸国を飛び回ってる毎日よ。直接じゃないにせよ、私はとんでもない過ちに加担してしまった。もう許されることはないと分かってるけど、だからこそあの土地に留まってるの。今日は仕事の関係で出席してるだけ。でも良かったかも。こうしてまたアナタに会えたんだから。」
1年前より少し日焼けした以外は全く変わらない美しさにぼくは安堵する。責任感の強い彼女のことだ。あの事件で塞ぎこんでしまうと思っていたけど、今でもウジウジしてるぼくなんかと違って、自分の中で整理をつけて償いのために必死に足掻いている。そんなレイチェルがやけに眩しく見えた。
「…遅くなってしまったけど本当にごめんなさい。いくらロバートから離れたかったからって、アナタをダシにしてしまって。そのせいでアナタをあんな酷い目に遭わせて…」
不意に表情が陰って右手で左の手の甲を撫ですさる。悩み事があるときの彼女の癖だ。一緒に居た頃に何度か相談を受けた際によく見せた仕草を反芻しながら、ぼくは言ってやった。
「しょうがないよ。君も任務だったんだから。仇を討つためだったんだろ?」
「…知っていたの? 私がスパイとしてアナタに近づいたこと。」
「任務が終了した後で、中佐が知らせてくれたんだ。大学卒業後、君はすぐに情報管理局に入って中東の治安調査のために、分析官になってここの支局に転属した。ご友人は監視対象の偽の情報を掴まされて、
「ええ。休暇を取ったら一緒にショッピングする約束をしていたわ。私があのときもっと強く警告していれば…」
当時の状況を思い出したのか、目を閉じて長い睫毛を震わせるレイチェル。無意識に手を握ろうとしたけど、触れる寸前で踏みとどまった。ぼくは彼女に触れる資格はない。
「君のせいじゃないよ。友達だってそう思ってるはずだ。」
「ありがとう…あの頃の私は報復の念で頭が一杯だった。大切な人を奪った奴らを根絶やしにすることばかり考えていた。」
「そんなときに
「本庁から聞いたの。REXには私より年下の最年少の兵士がいるから、そいつを篭絡しろって。まさかその子がアナタで、しかも人類最強の男だってことには流石に腰を抜かしたけど。」
「美術に興味があったのもただの
「いいえ。それは本当よ。タックと気が合ったのは偶然。そもそも最初はただの仕事と割り切っていたんだけど、段々アナタと過ごしてるうちに本気で一緒になりたいって考えるようになった。私には分かる。普段のアナタは穏やかで頼もしいけど、実はとても繊細で寂しがり屋さん。それでいて人一倍他人の気持ちに敏感で心配りを忘れない本当に優しい人。そんなアナタだから私は―」
「止めてくれ。」
恫喝するときと同じ声を出しレイチェルの話を打ち切る。しかし、彼女はぼくを怒ることなく、ただ憐れみと優しさに満ちた眼差しで見つめるだけだった。止めるんだ。そんな目で見ないでくれ。ぼくは君が言うほどご立派な人間じゃない。
必ず分かり合えると信じて挑んだ任務のはずだった。銃を突き付けていがみ合ってたとしても、いつかは手を取り合える日がくるはずだと。でもぼくがもたらしたのはただの混乱だけ。残ったのは無数の屍と溺れるほどの血の海と今でも感じる肉を切り裂いた感触だ。
結局ぼくには無理だったんだ。マザーのようなカリスマ性もなければ、カザマみたいにリーダーシップに優れてるわけじゃなく、ナイジェルの人懐っこさもない。あるとすればただ目の前の敵を一瞬でも速くバラバラにする技術と経験くらいのもの。ましてや誰かの命を救う腕なんてないのだから。
「多分今のタックは私には想像もできないほどの
「女性? 悪いけどシェリーは…」
「違うわ。アキラさんよ。」
やっぱりね。半分予想内の答えに息を吐く代わりに水分を摂取したぼくと同時にレイチェルもカクテルを飲んだ。
「初対面なのに随分と自信ありげだね。」
「こればかりは最強の兵隊さんでも分からないでしょうね。いわば女の勘ってやつよ。アナタは気づかなかったでしょうけど、挨拶したときの彼女、表面上は何事もなかったけど目だけは据わっていたわ。ロクに話してもないのに私がどんな人間か分かったみたい。またコイツを誑かしでもしたら殺すって目で言ってたから、ちょっと身震いしちゃった。」
気付かないわけじゃなかった。ニコリと笑ったときのアキラの顔には小さなヒビが入っていたからだ。しかし、その機微まで感じ取れたわけじゃないぼくと異なり、レイチェルはしっかりと彼女の意思まで読み取っていたようだ。レイチェルの言うようにこればっかりは女同士でしか分からないだろう。
「よっぽど独占欲強いみたいねあの子。私たちに気を遣って2人きりにしてくれたけど、今でも窓際でバッチリ監視してるし、視線だけで貫かれそう。多分アナタに自分以外の女が寄り付くのがとても嫌みたい。だけど、とてもいい目をしてる。いつでもアナタを想って大切に考えている。ねえ本当はただの上司じゃないんでしょう?」
「うん、まあ、色々あってね。昔からの知り合いなんだ。」
「だったら尚更あの子の気持ちに向き合ってあげなくちゃ。アナタとしても悪くないんじゃない? 美人だし、品も良いみたいだし。もちろんこの戦争が終わってからね。」
「検討はしているよ。」
そう返しながらぼくはアキラのことを考えてみた。確かにアキラは美人だ。並みいるヨコスカの屈強な男どものアタックを一つ残らず叩き落したという意味では、二重の意味で撃墜王といえるだろう。ただ品が良いのは外の時だけ。家の中ではこれでもかというくらいぼくをこき使ってくれた。
結論としてぼくにとっての彼女はどういう人間なんだろう。昔から何でもできる才色兼備の幼馴染? それとも傍若無人で我侭な同居人か、世界最高峰の腕前を持つとても心強いパイロット? それとも―
『ヴァローナ2には気を付けろ。』
いつか例の影武者の言葉を思い出した。あれは一体どういう意味なのか。カリフォルニアの一件以来、彼女の動向を探りはしているけど、特にこれといった素振りは見せず肩透かし感を食らっている毎日だ。
「…夢は決して美しいものではないわ。それは時に人を捻じ曲げ、殺しもする。」
「いきなり何? 随分と詩的だけど。」
レイチェルは憂うようにグラスを揺らし少しだけ潤んだ瞳で
「いつか思い出せるわ。」
とだけ告げた。ここではないどこか遠くにある何かを想いながら、もう一度酒を煽る仕草が何故か胸をざわつかせた。思わずその肩に手を伸ばそうとしたときだった。
『タクミ、聞こえる?』
唐突にイヤホンに入った横槍に僅かに舌打ちして、レイチェルに断りを入れて席を立つ。
「どうしたのアキラ? また男に絡まれでもした?」
『不審な人影を発見。アンタのすぐ後ろにいる。』
待ちに待った一報にすぐさま振り向きたくなる衝動をこらえつつ、あくまでも自然な動作で背後を窺う。すると目に飛び込んできたのは、1人の男の姿だった。肩まで伸ばした目の醒めるような銀の髪に褐色の肌で覆われた彫りの深い顔立ち、見つめられるだけでゾッとするほどの鋭い目つきは引き締まった長身の体躯と合わせて研ぎ澄まされたナイフを想起させた。かと言って、その類の人間が漂わせる官憲のような酷薄さはなく、代わりに感じたのは居るだけで場の温度が2、3度下がったような威圧感と、この世のどこから生まれ出たのかという恐ろしいほどの異様な存在感だった。
ぼくの直感が最大級の警報を鳴らしていた。間違いない。コイツがグラハム・ターナーだ。