GANTZ Repeat'   作:マルハン2

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45.悲を編む

その日、世界は再び燃え上がった。

ロサンゼルス、ムンバイ、ホンコン、リオデジャネイロ、デュッセルドルフe.t.c。各国が誇る名だたる都市のいくつかに、突然、それこそ何の前触れもなく、巨大な火の柱が出現した。

同時多発テロというやつだ。死者193万人、重軽傷者661万人の被害者数を弾き出した未曽有の大規模テロは、瞬く間に地上に新しい爆心地(グラウンド・ゼロ)を更新した。先の審判の日から20年、これと言った事件がなかった場所にポッカリと現れたクレーターは人々の心に、浮き立つ煙よりも黒い恐怖を植え付けた。

某動画サイトでは事件の瞬間の映像が出回り、画面の中央で人が爆発するというショッキングな光景が、あっという間に歴代最高閲覧数を記録した。各国首脳部は一連の事件を、スカイネットを信奉するカルト信者の凶行と報じたが、一部では現場で回収された証拠品の中に、人体を模した合金製の塊があったという噂も広がり、事件解明を訴える声が日増しに高まりつつあった。

 

数ヶ月後―抵抗陸軍病院

『―このように政府は依然として不透明な表明を続けており、至急の真相の解明が求められています。』

壁に埋め込まれた液晶パネルの中で、マイクを片手に話すアナウンサーの締め括りを聞き流しながら、ぼくは立てかけた楽譜に向かって前よりも狭い視界の中で、筆を動かしていた。ここ数週間毎日のように動かしている腕は、このときも馴染み深い感覚をぼくに告げて、寸分違わない軌跡で筆を―動かせなかった。

僅かに力を緩めただけでぼくの指は、木製の柄を掴み損ね、ちょっとずれた音を出した後、地面に落ちて乾いた音を立てた。別に珍しいことでもなかったけど、ぼくはじっと()()()()を見つめた。

人間にカニみたいに腕が生える能力がない以上、失った部分は別の物で補うしかない。ぼくもその例に漏れず、強化プラスチックで形作られたシンプルな骨格(フレーム)に、カーボンナノチューブ(CNT)で編み込まれた人工筋肉で成型された義手を装着していた。

外観を無視して機能性を最大限に追求したそれは、剥き出しのシャーシや繊維の冷たい輝きを放っている。こうしていると本当に自分が機械になったみたいだ。何となく憂鬱になったところで、部屋のセンサーが訪問者が来たことを告げる。

「どうぞ。」

と返すと、入ってきたのは精悍な顔立ちの大男と、金髪碧眼の小柄な少女だった。トムとジェリーくらいの差がある2人を目にして、ぼくはつい席を立ちそうになった。しかし、少女がそれを制して大人しく座らせる。何と言っていいか分からないぼくの口は、ありきたりな台詞しか吐けなかった。

「久しぶりだねシェリー。カザマも。」

「私としてはほんの2日前だけど。」

シェリーがいつもの無愛想顔で淡々と話す。一見すると何ともないように見えるが、報告によるとT-800の攻撃で一時心肺停止に陥り、胸には拳大の痣が残っているらしい。なのにこうして普通に話せるのは、ひとえに彼女の特異な体質のお陰なのだろう。

「2日?」

「リハビリしているアナタをマジックミラーの外から見てたから。」

「そうか…ところで体は大丈夫? 苦しいならまだ安静にしてた方がいいよ。」

「平気。少なくともダイゴよりかは。」

そう言って振り返った先には、三角巾で右腕を固定しているカザマが、もう片方で軽く手を上げていた。当然包帯で巻かれた腕の先は、肘で止まっている。しかしその顔は穏やかに、こちらを気遣う表情を浮かべている。

「…ご家族のことは残念だったね。」

カザマは日本で起こった爆破テロで、両親を含む家族を全員失っていた。確か軍に入ったのも6人兄弟の長兄として、家族を養うためだった。それほど大切なものを失った悲しみは、ぼくなんかが察せるものではない。いくらか落ち着いては居るけど、本当はまだ時間が必要なはずだ。けど本人は薄く微笑み

「それはお前もだろ。親父さん亡くなったってな。」

とだけ言った。父さんはT-800の爆発に巻き込まれて死んだ。お義父さんと義妹もそのうちに数えられているそうだ。しかし不思議とぼくは、その報告を聞いてあまり悲しむことはなかった。

「腕は大丈夫なのかい? まだ痛むんじゃないか?」

「正直言って少しキツいが、両方ない奴がいるからな。それじゃカッコつかないだろ。」

軽く肩をすくめようとしたけど、痛みが残っているせいで顔をしかめたカザマは、右肩辺りを押さえる。そこにそっと寄り添ったシェリーが手を重ねるのを見て、ぼくはちょっと驚かされた。必要とあらば最低限の手助けはするが、それ以外の不要な振る舞いは見せないシェリーが、献身的に他人を支える姿は初めてだ。

ついでにその目を盗み見て、2人の間柄を何となく察する。どうやらしばらく離れている間に、当人たちは新しい関係を築いたようだ。微笑ましいと同時に、少し寂しくもなり、けどどこかで嬉しくもあった。

「ゴメン。」

自然と出た呟きに2人は揃ってぼくを見る。それに構わずぼくの口は、ずっと言いたかったことを言葉にしていた。

「やっぱりぼくは…隊長失格だ。もう誰も死なせないって誓ったのに、小さな意地を張ったせいで部下を危険に晒して、死人まで出して…そして君の腕を奪ってしまった。」

「皆覚悟の上で参加したんだ。文句はねえよ。オレだってあの場所を無傷で逃げられるなんて考えちゃいなかったさ。…なあタクミ。お前、オレを次期隊長に推薦したんだってな。」

ピクッと肩が震える。ぼくは作戦終了後、度重なる独断行動の責任を問われて、REXの隊長を退いた。その後継者にふさわしい人材として、カザマを推したのだ。仲間をまとめるのが上手く、リーダーシップに長け、兵士としても申し分ない経験と能力を持ち合わせている彼なら、きっと部隊を任せられると思ったからだ。しかし当の本人は

「お前なあ。もう少し自分のこと自覚しろよ。勲章だけでも何個取ってると思ってんだ。それにあの化け物連中引っ張っていくなんて、オレみたいに生半可な奴じゃ無理なんだって。」

「そんなことないよ。君はREXの一員として十分にやってきた。それにぼくはどのみち身分はほとんど抹消されてるし、軍に居られるかどうかも分からない。」

するとたちまちカザマの顔は真剣になり、空気が引き締まる。

「今日はそのことでお前に話があったんだ。」

「話?」

「お入りください社長。」

何故かかしこまった言い方でカザマが一礼した扉が開くと、そこにはぼくが今一番会いたくない人物が立っていた。

「んだよ。随分と色男になってんな。」

病院だというのに野戦服にしなやかな長身を包んだアキラが、フライトジャケットを羽織って松葉杖姿で現れた。相変わらず鋭い印象を与える怜悧で整った顔立ちだけど、その右半分はガーゼで覆われ腹部も包帯が巻かれている。

「ダメだよアキラ。君はまだ寝てなきゃ。それに社長って何?」

「私は軍を抜ける。」

「ゴメンもう一回言って。」

「だから軍を辞めるっつってんだよ。ちゃんと聞け。」

あまりにもあっさりとした決意表明だったせいで、ぼくはすぐにはその意味を理解できなかった。多分1分は遅れたと思う。

「辞めるって何でまたそんなことを…」

「アンタだって気づいてんでしょ。今回の件で抵抗軍の威信は丸つぶれ。オマケにT-800の情報を開示しなかったせいで、善良な一般市民の皆様から非難轟々なんだよ。恐らく大規模な軍縮が始まるかもだから、こっちから先に辞めてやるってわけ。」

アキラの言い分は理に適っている。まだ表沙汰には上がってないが、抵抗軍に対する不信感は身内にも伝播しており、情報屋の間では若手将校によるクーデターなんてデマも流れているくらいだ。真実かどうかは定かではないものの、実行されるとしたら時間の問題だろう。

「じゃあお別れの挨拶に来たってことかな?」

「いや、アンタをスカウトしにきた。」

「は?」

それこそ意味が分からず、今度は開いた口が塞がらなくなってしまった。ポカンとするぼくの目前に、一枚の名刺が差し出される。為すがままに受け取ると、小さな紙片にはAmulet.International.Consultings.という刻印が打たれていた。

「何これ?」

「アンタが寝てる間に生き残った連中で作った会社。まだ正式に起業したわけじゃないけど、資金はあるし設備も確保してる。仕事は主に警備と戦闘代行業務の予定だから、アンタでも働けるよ。」

「つまり民間軍事会社(PMC)か。でも軍を辞めてどうしてわざわざ会社を建てるんだよ?」

「私たちの意志を貫くため。」

それまで黙っていたシェリーが静かな声音で告げる。あくまで落ち着き払った声だけど、その奥には深い思いが感じられた。

「意志?」

「多分これから世界は大きく動き出す。それはとても大きな混乱をもたらすもの。私たちがその中を生き抜くためにはしっかりとした脚が必要なの。軍の肩書なんて借り物じゃなくて、自分たちの道を進むための脚が。」

「実は信頼できるスジから情報が入ったの。ワグナー中佐が死んだ。」

「え…」

呆気なく伝えられた上官の死は、目覚めてから今まで聞いてきたどのニュースよりもぼくを揺さぶった。中佐が死んだ。ガンツが現れる前からスカイネットと戦い続けて、誰よりもその危険性を熟知し的確な手腕で多くの作戦を成功に導いた中佐が。任務のためなら私情を切り捨てる冷酷さを持ちながら、誰よりも味方の帰還を願っていた中佐が死んだ?

「正確には()()()()()()()()()()()。オフィスで遺体が発見されたらしいの。多分アンタと接触した直後に銃殺された。犯人は不明。ただ回収された証拠品に、『ゴールドスタイン』と彫られた薬莢があった。」

ゴールドスタイン。確かターナーが今際の際に遺した言葉だ。

「分かってるのはそれだけ。結局事件は未解決のまま処理されて終わったらしいんだけど、最近の情報筋でこの単語が頻繁にヒットしてるんだよ。私たちはこれをスカイネット―エンリケ・デ・ソウザに繋がるものだと思ってる。」

「だがオレたちが軍籍を持っている以上、権限に縛られて身動きが取りにくい。だからそういった目を掻い潜って事を進められる民間企業の方が適切なんだ。」

「と言っても現状は、人材が圧倒的に不足してる。これからバンバンリクルートするにしても、株を上げるには時間が要るし、仕事も増えなきゃ意味がない。そこで対ターミネーター戦の専門家(プロフェッショナル)として、タクミにも手伝ってほしいの。」

要約するとぼくを主力商品として売り出すってことか。そんなこと言われても急に答えることは出来なかった。何せぼくは怪我人だし、軍からは半ば追放されている。最早正規兵でもない人間が働ける場所があるとしたら喜んで足を運ぶだろうけど、今のぼくには素直にそう思えはしなかった。そんなぼくを見てアキラは嘆息し

「ちょっと2人だけにして。」

とカザマとシェリーに言うと、たちまち2人きりになった空間は沈黙に包まれた。ますます気まずくなる。しばらくぼくの横顔をじっと見つめていた彼女は、面倒臭そうに頭を掻き毟ってどっかりと椅子に腰掛けた。ぼくはと言えば重苦しい空気から逃れるために、据え付けのPCでキーを打つ練習をしていた。

「タクミってさっきまで何してたの?」

キーを叩く音だけが響いていた病室で、アキラの音が跳ね返って来た。いつもの切り込むような感じではなく、普通に話しかける音だ。

「えっと、その、スケッチの練習をしてたんだ。」

「へえ、これがそうか。下手くそだな。小学生でもまだマシに出来るよ。」

それについては言い返しようがなかった。まだ義手の同調具合は完全ではなく、生身の腕と同じ感覚で動かすにはまだ時間がかかる。今も逐一データを送って調整を繰り返す毎日だ。

「義手の訓練でやってるだけさ。まだ細かい動きは出来ないし、遠近感の把握にも役立つ。」

無意識に包帯で覆われた右目に触れる。以前より半分ほどになった視界で見る世界は、未だに適応し切れてはいない。ループで無効化できる期限はとっくに過ぎているため、元に戻すことは不可能だ。

「…調子の方はどうなの?」

「悪くないよ。段々とこの体も慣れてきたしね。あとはナイジェル先輩が左手を作ってきてくれれば、もう一度現場復帰できそうだよ。」

幸いにも例の痛覚マスキングのお陰で、痛みは問題にならなかった。リハビリもすこぶる順調で、ループも合わせて元の感覚を取り戻せば、数週間で動けるようになるはずだ。

アキラは返事をせず再び沈黙が広がる。いくらか薄らいだ気まずさが再度打ち寄せ、解消できないまま時間だけが過ぎていく。ここでもやっぱりぼくは気の利いた台詞は思いつかなかった。

「ゴメンなさい。」

首だけこちらに向けたアキラを真っ直ぐに見ながら、言葉を紡ぐ。

「あの任務で君にはとても辛い思いをさせてしまった。それだけじゃない。ぼくは君の婚約者も殺した。全部ぼくのせいだ。本当に済まないと思っている。償えるなんて考えてないけど、ぼくにできることなら何でもする。死ねと言われたら何回でも死ぬし、会いたくないなら金輪際君の前に現れないよ。」

溜め込んでいた罪悪感がどっと噴き出し、勢いのままにぼくは1つの書類を取り出した。

「君に渡すつもりでインテリジェンスの手を借りて作ったんだ。これに君の署名が入れば証人保護プログラムで、新しい人生を送れる。やり直せるんだよ。もちろん顔や名前は変えなきゃいけないけど、もうガンツやお父さんに縛られることのない、本当の君の生き方を始められるんだ。」

一気に捲し立てた書類の内容に、アキラは黙ったまま紙面に目を通す。全部読み終えたのか封筒に収めた後、彼女は俯いたまま呟いた。

「アンタはこれからどうすんの?」

「どうするって…戦うよ。軍にはいられないけど、兵隊じゃなきゃ戦えないわけじゃない。アテがないわけでもないし、1人でも何とかなる。ほら、ぼくって死なないし―」

次の瞬間、顔面にハンマーのような衝撃が走り、強かに壁に打ちつけられた。何が起こったのか分からず、振り子のように揺れる目を懸命に凝らすと、顔を真っ赤にしたアキラが拳を突き出している姿が映った。どうやら殴られたということだけは分かった。

「ふざけんな…」

地を這うように低い声でアキラが呟く。いつも短気で怒りっぽい彼女だけど、このときは見たこともないほどキレていると感じた。本気で怒っていた。

「テメエ、私をナメてんのか? 今まで散々仲間たちに迷惑かけといて、自分はさっさと逃げるなんてクズ野郎だとは思わなかった。」

「違う。そんなつもりじゃ…」

「けど事実だろうが。」

無自覚に心の奥底にあった打算を言い当てられ、黙りこくってしまう。でも、それならどうすればいいんだ。ぼくが勝手に突っ走って、その結果たくさんの味方を犠牲にした。そんな中で自分だけおめおめ生き残って、どのツラ下げて会いに行けというのか。

「…ぼくのせいで死んだんだ。マザーも、セシルも、『奪還者』の人たちも、REXの仲間も。ぼくがいるせいで皆命を落とした。だったら、1人で戦うしかないじゃないか。」

もう一度、今度は反対方向から衝撃が来た。再び壁にぶつかりそのまま吊り上げられる。ケガをしているにも関わらず、男の体を持ち上げるなんて、信じられないほどの膂力だ。

「アンタそれ本気で言ってんのか?」

「仕方ないだろ。事実なんだから。」

また殴られた。

「いいかよく聞けよ。確かにアンタからしたら、そういう風に感じるかもしれない。でもアンタの仲間はそうなる覚悟を持って任務に臨んだ。何故ってアンタを信じてたから。フロリダのときだって、部隊の全員がアンタを助けたがってた。アンタとまた一緒に戦いたいって思ってたから。心の底から慕っていたから、アンタの背中に着いてきた。そんな連中の信頼をアンタはドブに捨てて、逃げようとしたんだ。」

ずい、と鬼気迫ったアキラの顔がぼくの額に触れる。よく見ると瞳が少し濡れていた。

「私たちを馬鹿にするな。」

震えた声でしかし決然とした言葉は、ぼくの胸にナイフよりも鋭く突き刺さった。きっと心のどこかで仕方ないと思っていた。ついさっき仲間が動かなくなっても、どうせぼくがループすれば元通りになる。そうすることで結果的にその兵士の命を救えることになるんだと。

よく考えれば愚かな言い訳だ。そこで倒れて死んだ彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ぼくは自分の命がベルトコンベアに流れる大量生産品と感じるように、仲間の命を都合よくゲームみたいに何回も蘇るものだと捉えていた。

「ここからはビジネスじゃなくて、私個人として話すよ。」

拘束を解いたアキラはそう言うと、背を向けておもむろに顔のガーゼを引き剥がした。

「ちょ…」

傷の痛みに耐えたのか、顔を見せるのが恥ずかしいのか、俯き気味になって向き直ったが、やがて意を決したように髪をかき上げた。

「あ…」

剥ぎ取った箇所にあったのは、火傷の痕だった。右目を中心に扇形に広がり、白い素肌と対照的に赤とも茶色ともつかない無残な傷を残していた。

「笑えるでしょ?」

自嘲気味に口元を歪めたアキラは、次いで腹の包帯も外した。覆うものが無くなった胴体には、これまた大きな縫合痕が横切っていた。いたたまれなくなってしまい、思わず目を反らしたくなったけど、それはできなかった。本当なら女性にとって見せたくもないものを、羞恥を振り切って晒したのだ。決して見ぬ振りはできない。

「医者の話だと傷を消すんだったら顔を変えるしかないって。この書類と似たようなものも受け取った。周りにもプログラムを受けるべきだって勧められもした。だから、私は決めた。」

スウッと息を吸い込み、真っ直ぐにぼくを見据える。切れ長の灰色の瞳の中心にぼくの顔が映し出される。我知らず唾を飲み込んだ。

「私はアンタを導く。スロノムスキーの娘ってだけじゃない。理不尽に立ち向かう当たり前の人間として、この戦争を終わらせてやる。」

ほとんど背丈の変わらない長身をぐい、と押して、ぼくの胸に拳を置く。まるでそこから彼女の決意が伝わったみたいに、体の中心が熱くなったがぼくは一歩退いた。

「…ぼくさ、望まれて生まれた子供じゃないんだ。」

急に関係のない話にアキラは眉をひそめたけど、黙って先を促す。自分から話し始めたくせに、指先が震え出す。それでもぼくは口を閉ざすことが出来なかった。

「ぼくのお義父さん、今の父親だけど、あれって母さんの元彼なんだ。小さい頃に一度会っただけでほとんど記憶にないけど、その夜にぼくは母さんに首を絞められた。」

ハッ息を呑む声が聞こえた。金属の指先が喉元に触れる。

「後から知ったんだけど、母さんが働いてた頃お義父さんと喧嘩した直後に、父さんが声を掛けて来たんだって。父さんからしたら軽く慰めるつもりだったらしいけど、お酒が入った勢いで母さんと寝たみたい。その結果ぼくが生まれたんだってさ。」

アキラは黙ったまま、椅子を引き寄せて座った。連られてぼくもベッドに腰掛ける。

「両方ともぼくを育てるつもりなんてなかった。でも世間体を保つためには、正式に結婚でもしないとダメだった。それでも最初は順調だったんだよ。父さんは休日には遊んでくれたし、母さんも毎日ぼくの世話をしてくれた。DVやネグレクトなんてない、どこにでもある普通の家族だった。」

思わずベッドのスチールパイプを握りしめる。

「けど、母さんがぼくを殺しかけた日から、全部変わった。父さんは仕事にかこつけて遅くまで家に戻らなくなって、母さんも異常に子供に干渉するようになった。表向きはいつも通りだったよ。食卓を囲むときだって何とか家族の形を取り繕うために、全員で集まった。顔だけの笑いを浮かべて、場を保たせるだけの話題を口にしながら。もう哀れ以上に滑稽だったよ。」

ぼくはパイプが曲がるのにも気づかずに、握り続けていた。アキラは何も言わない。

「そのせいなのかな。前よりあまり泣かなくなった。いや、泣けなくなったのか。マザーを殺したときだって涙は流れなかったし、モースルのときも同じだった。涙が出なくなったんだよ。」

そう、母さんが死んだときだって、胸が張り裂けるほど苦しくなるはずなのに、涙は一滴も流れなかった。毎日のように子供を斬り殺す夢を見た時でも、出るのは汗だけで目から出るものはなかった。

「それだけじゃない。ターナーと戦った時、ぼくは死を恐れていなかった。仲間のことも考えていなかった。ただ純粋に戦いを愉しんでいた。心の底から殺し合いを望んでいたんだ。先輩から聞いたよ。この腕はT-800のそれのスピンオフだって。イーリーが脳を弄くって造りだした痛覚マスキングも、元々はスカイネットの技術なんだってことも。」

一旦言葉を区切り、心を落ち着かせる。これから聞くことの答えは、多分アキラは知っていると思う。同じ死の感覚を知り尽くした彼女なら、答えてくれると考えた。ぼくが立ち止まっているとき、いつも引っ張ってくれて来た彼女なら。

「ねえアキラ。ぼくってまだ人間なのかな?」

思い切って長い間胸の内に秘めて来た疑問を投げかける。いつかニーチェが言っていた。怪物と戦う者は自らも怪物とならぬよう心せねばならない。お前が深淵を覗くとき、深淵もまた、お前を覗き込むのだから、と。

戦う度に死ぬ度に、自分が人間から遠ざかっていく気がした。意識を研ぎ澄ますごとに感情が薄れ、内側にある野蛮な何かが胎動する。気づけば体を突き動かすのは、理性ではなく本能だった。ぼくの皮を剥ぎ、肉を抉り、骨を砕いたその奥にある、純粋な殺戮反応。

人間が誰しも持っているそれを、幾度となく引き出してきたぼくは、最早怪物に成り果ててしまったのだろうか。誰よりもぼくを知っている彼女なら、きっと答えを出してくれると思った。

「知るかよそんなもん。」

アキラの答えは案外シンプルだった。窓際に立って風景画の景色をオフにし、外の世界を映し出すと、時刻はすでに夕方だった。アキラはこちらに背を向けて窓の外を見たまま言った。

「私に分かるわけないだろ。だってアンタじゃないんだし。それくらい自分で考えろよ。人間は皆、そうしてるんだから。」

ぶっきらぼうな答えが、ぼくを矢のように突き抜けた。いつもそっけない返事しかしない彼女の、彼女らしい言葉だったが、ぼくにはそれだけで充分だった。

「分かった。」

そっと呟いた感謝の気持ちは彼女に聞こえたのだろうか。アキラは山岳に埋もれつつある夕日をじっと見たままだ。

「今回の任務で私は2つの教訓を得た。」

「教訓?」

「1つはアンタの実力を思い知らされたこと。癪だけど、私にはアンタの背中を預けられても、肩を並べて戦えるわけじゃない。そこは仕方ないけど認めてあげる。でも、認められないこともある。」

ギュッ、と自分の片腕を握ったアキラが少し俯く。微かであるが。肩が震えていたような気がした。

「やっぱりアンタを諦めるのを、私は絶対に認められない。」

亜麻色の髪がふわりとたなびき、アキラはこちらを振り向いた。

「タクミ、これからアンタを私のものにする。」

決して高くない、しかし澄み渡った声は真っ直ぐにぼくに届いた。よく分からないうちに心臓が大きく高鳴った。

「アンタは私の盾になって、全力で私を守って。私の剣になって、邪魔する奴らを討ち払って。その代わりに私はアンタの目になって、腕になって、アンタを導く。戦争のない世界を実現して、アンタに掛けられた呪縛からアンタを解放する。アンタの死に場所は私が決める。」

告白とも宣言ともつかない豪胆な物言いに、黙って耳を傾ける。思い返せば誰かにこんなに強く求められたのは初めてかもしれない。ずっとぼくは愛される資格がないと思っていた。親から見放され、実の母親のように慕っていた恩人を殺し、あまつさえ女子供を手に掛けたぼくには。

ずっと怖かった。1人でいることが、裏切られることが、大事なものを失ってしまうことが。そんな矛盾を抱えたぼくを、全て知ったうえで彼女は必要だと言ってくれる。

「…いいの? ぼくみたいな奴で。」

「アンタじゃなきゃダメなの。」

「何人も命を奪ってきた殺人鬼だよ。君の大切な人だって殺した。」

「私ももう人殺しよ。カルロスのことだって、確かにアンタを殺してやりたいほど憎んでいたはずだった。でも今はそれ以上に、アンタの全部が欲しい。」

これ以上の会話は必要なかった。不意に何か胸の奥から暖かいものが広がり、じんわりと全身に伝わっていく。もう失くしていたと思っていた、懐かしい感情。そうか。ぼくはここにいていいんだ。そう思い至った途端、目頭が熱くなった。溢れそうになるものを押さえようとこめかみを押さえる。

「アキラってやっぱり我侭だね。」

今の状態を誤魔化すために苦笑をへばりつかせて、冗談を言ってみる。するとアキラは初めて見るような柔らかで優しい笑みになった。

「知らないの? 私って欲しいものは絶対に手に入れる女なんだよ。」

ちょうど沈みかかった太陽が、最後の光を放つ。燃えるように真っ赤な光に浮かび上がった白磁の肌と、淡く照らされた艶のある薄い褐色の髪。顔に傷を負っているというのに、このときのアキラは今までのどの姿よりも綺麗だった。

何だか神聖なものの前に居る気がして、いよいよぼくは我慢できなかった。頬を一筋の水滴が流れ落ち、歯の間から軋むような声が出る。腰を折り曲げしゃくり出したぼくを、そっと柔らかなものが包み込む。

「それにアンタのケツ引っ叩ける奴なんて、私しかいないでしょ。」

片方しかない腕で溺れかけたようにすがりつくぼくを、アキラはしっかりと抱き締めた。

「英雄が泣くなよ、バカ。」

人が泣くのは洗い流すためだ。悲しみを洗い流すことで、人はまた歩き出せる。こうしてぼくはやっと泣くことが出来た。

 

 

『あのときのことは済まないと思っている。特に君にはつらい思いをさせてしまった。』

『…もう過ぎたことです。彼女も気にしてはいません。』

『…そうか。詳細な資料は君のベースに送ってある。情報についても君たちに優先的に回すつもりだ。どうか頼んだぞ。…さて客人は帰った。そろそろ出てきたらどうだ。』

『ではお言葉に甘えて。ご壮健そうで何よりです、Mr.アメジスト。この度は司令への復帰おめでとうございます。上層部(うえ)もまだ目は腐ってないようですな。』

『世迷言を。大方君の方で取引したのだろう。プロメテウス計画の検証結果をダシにしてな。』

『私はただ口添えしただけですよ。それを言うならあの計画は貴方が立案したのでしょう。エンリケのループ技術を疑似的に再現し、一般兵に能力者と同等の戦闘能力を付与する…毒も喰らわば皿までとはよく言ったものだ。』

『彼の狂気に対抗するためには、我々もまた狂気に至る必要があるのだよ。実際、私も部下が捕まえるはずの男とこうして話しているのだからな。彼らのためとはいえ、やはり気分のいいものではない。』

『ですが本人たちには知ってもらう必要があります。自分たちが何者で、何を成すべきなのか。責務を遂行するための技術(ちから)も我々が用意している。特にスロノムスキーのご息女にはね。』

『さしずめ君はイングソックの実態を糾弾するあの書物だな。いや君の特性を鑑みるに、オブライエンが適切か。』

『どちらでも構いませんが、私が受ける憎悪は2分間では済みませんよ。それに後者は主人公の敵でしょう。どのみちゴールドスタイン自体虚構の産物なのだから、議論の意味がない。』

『その虚構が我々の組織を象徴しているのだ。くれぐれも今回の件は慎重に運ぶべきだ。分かっているな?』

『万全を期して臨む所存です。例え貴方が()()()()()()()()()()()我々の目的は達成される。マリナの意志は彼の意志でもあるのですから。』

『そうだな。もう老人の時代は終わった。後のことは君に任せて、先に向こうで待っているとしよう。』

『ええ…全ては大義のために。』

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