「よし外れた。もう大丈夫だよ。」
「あ、ありがとう…」
細い針金で鍵穴を弄ってきつく締められていた手錠が外れた。手首を擦りながらお礼を言う同級生の瞳が微妙に揺れていたが、次の人のを外すために移動する。暗くて良く見えないが、この調子だとすぐ終わりそうだ。
例の
「それでこれからどうすんだ?」
苦労して乾パンを齧りながら男子の誰かが呟く。先程の解体ショーのショックが抜けてないせいで、大分顔がやつれていた。女子も数人がまだ泣きじゃくっている。多分友達だったのだろう。
うるさいな。久々の戦闘で動かした肉体をアイシングしながら、針金の位置をミリ単位で修正する。最後の手錠が外れそそくさと離れていった生徒を尻目に、ぼくもようやくスニッカーズの袋を破いたときだった。
「どうするって…分かんねえよそんなの。」
「うう…サナちゃん…サナちゃん…」
「誰だよ泣いてる奴。さっきから耳障りなんだけど。」
「ちょっと! サナエはナナミの友達だったんだよ。なのにそんな言い方する? 信じらんない!」
「じゃあお前らで黙らせろよ。ターミネーターに気づかれたらどうすんだ。」
「何よ。上から目線で偉そうに。サナエが殺されたとき逃げ回ってただけじゃん!」
「あんな化け物に敵うわけないだろ! 大体、そっちだって―」
売り言葉に買い言葉を繰り返していた男女が、そこまで言い争ったときピタリと口が止まり、揃ってゆっくりとぼくの方に首を動かした。黙々と腹ごしらえしていたぼく自身もそれに気づき、見つめ合う。いつの間にかクラスの全員の視線がぼくに集中するのを感じた。
「オイ!」
不意に男の声が弾けそっちに振り向くと、今までムラカミにしがみついていたサナダさんが、こちらに歩み寄ってくるのが見えた。その神妙な眼差しに唾を飲んだぼくは、急いで口の中の食べカスを食道に押し込んだ。
「コガ君にお願いがあるんだけど。」
「何?」
「一緒に着いていっていいかな?」
「…何で?」
「多分この中で一番頼りになるから。さっきだってターミネーターやっつけてたし。」
さてどうしたものか。解体場の行動からこうなることは予想できたが、思ったほどの感慨は湧いてこなかった。確かにターミネーターとの戦い方は熟知している自負はあるし、避難民の誘導もある程度経験がある。しかしそれは装備が充実している場合であって、今のように丸裸の状態で仲間もいない状況で、これだけの人数を守り切るのは流石に無茶だ。
「ただの偶然だよあんなの。」
精一杯のポーカーフェイスでにべもなく突き放す。ここで折れてしまえば後々面倒なことになる。同級生の総意を代表するサナダさんには酷なことだけど、変な巻き添えを食うのは御免だ。守るに値する
「じゃあ、ここにいるみんな見捨てるって言うの!?」
両手を広げて大声で叫ぶサナダさんに反応して、周囲の空気がざわめいた。
「え? 何?」
「もう助けてくれないのか…」
「ウソでしょ!? 私たち放っていく気?」
「鬼かよ!?」
口々に非難を浴びせてくる男女が、ぼくを取り囲む。状況が状況なせいで目も血走っていた。このままじゃ集団ヒステリーでも起こりかねない。妥協するな。自分の能力を過信するな。連中が欲しがっているのは責任を背負ってくれる奴だ。頷けば取り込まれるぞ。次第に空気が過熱する中で冷静に考えを巡らせていたぼくは、そのとき腕に不思議な温もりと柔らかさを感じた。サナダさんが抱き着いていた。
「お願い。コガ君しか信頼できる人がいないの。」
媚びた目線で必死に胸を押し付ける姿に、他の何人かも近寄って同じ様に腕にしがみつく。危機的状況に陥った中でクラスのアイドルに懇願される光景。一般的に見ればさぞかしおいしいシチュエーションかもしれないが、この時ぼくが感じたのは軽蔑だった。
この私がここまでしてるんだから、きっと助けてくれる。そんな心情がありありと読み取れた。かつてセルビアの難民キャンプで石鹸を買うために、抵抗軍の兵士に体を売っていた娼婦を思い出した。高校時代の彼女たちの印象がひどく薄っぺらく感じた。
「私のこと好きだったでしょ? 一緒に逃げよう?」
「別に好きじゃないよ。それともそうだったら助けてもらえると思ったの?」
「そうとは言わないけど…でも、沢山死んだんだよ。スズナもサナエも、クリヤマ君だって…」
「死人の話を持ち出しても、君たちを守る理由にはならない。」
保管してあったシーツでナイフの汚れを落としながら、押し問答を続ける。頭が痛い。担当医に処方された薬を忘れたせいだ。精神安定剤だか何だか知らないが、余計なことしやがって。レイもレイだ。ぼくはいいって言ったのに、毎日のように押しかけて来て嫁のように振る舞う。アナタが心配なの、とか言っていたが、要は体のいい見張り番だろうに。
「面倒だから単刀直入に聞こう。ぼくにそんな義務があるのか?」
「…コガ君は力があるから、みんなを助ける責任があると思う。」
「随分と他人任せな論理だね。それなら拳銃を持っている人は、目の前で死にかけてる人間を楽にする必要もまかり通る。」
「揚げ足を取らないで! 今は本当にコガ君だけが頼りなの。お願いだから私たちを助けて。」
最後は泣き落としか。呆れるのも馬鹿らしくなってため息をつく。このまま続けても水掛け論にしかならない。肩を震わせるサナダさんに問うてみる。
「何でサナダさんは恋人を信じてあげないの?」
「え?」
彼女の肩越しにビクッしたムラカミが覗いた。ぼくがした質問は嫌味でも何でもなく、純粋な疑問だった。
「訓練生でもムラカミ君だって兵士だよ。軍人は市民を守るのが最優先のはずだ。一般人のぼくなんかより真っ先に頼るべきじゃないか。」
「コガ君って軍人さんじゃないの?」
「うん。」
「ふざけんなよ。」
そのムラカミから地を這うような低い怒りが伝わる。今まで遠巻きに眺めていただけだったが、急に近づいてきて殴りかかろうとするのだから、反射的に飛び退いた。
「お前どうしてサナエを助けなかった。」
「そんな余裕がなかったからだ。」
「止めてシュウ君!」
突然の暴力にサナダさんが腰にしがみついて涙声で説得する。それを振り払ったムラカミはぼくを壁際に押し詰めた。
「嘘つくな! T-600を1人で倒したんなら、アイツだって助けられただろうが!」
「1人だから手が足りなかったんだよ。ぼくはあのとき気が動転して、それが偶々上手くいっただけさ。手持ちの札が1つ減っただけだろ。怒鳴るなよ
「テメエ…!」
これでもかと怒気が膨らみ肩を掴む手に力がこもる。もう付き合いきれない。何にも知らない奴が勝手なことばかり言うんじゃない。腹の底から逆流する熱に任せて、腕を払って関節を極めて引き倒しナイフを皮1枚で止めた。
「いい加減にしろよ。大人しくしていれば、見境なく付け上がりやがって…もうたくさんだ! クソ暑い砂漠で胸糞悪い仕事が終わったかと思えば、次は勝手にくたばったババアの死に面とご対面だ。オマケに今度は駄々しかこねない足手まとい共から、奴らと戦いながら守れと命令される。ぼくはお前らのドラえもんか!?」
溢れ出る衝動に任せて一息に吐き出す。いっそここで全員殺そうか。それがいい。素人と行動するとロクなことにならないのは、これまでの任務で経験済みだ。第一、ほとんど繋がりのない他人のために、どうしてぼくが命を投げ出さなきゃいけないんだ。ギリギリに留めていた刃先が少しずつ肉を裂いていく。ほら、あとちょっとで綺麗な赤色が―
「やめて!」
甲高い叫びが耳朶を震わせた。すんでのところで我に返った拍子に、ナイフが抜けて手から滑り落ちる。カランと乾いた音を立てたのは、ナイフかそれともぼくの心か。空気が変わったことに気づいた。みんながぼくを見ていた。どこかと似た景色だ。ヨコスカで戦った後、仲間だと思ってた奴らに向けられた畏怖。あれと同じだった。
「ひどいよコガ君。何でこんなことするの? 昔はそんな人じゃなかったのに。」
『…アンタ、誰?』
恐怖に塗り潰されたつぶらな目が、あの夜、あの倉庫で対峙した灰色の瞳と重なる。そこには最早旧知を知る目はなく、手負いの獣に向ける原始的な感情が揺れていた。急に顔から血が引くのを感じた。
「ゴメン、最近ストレスが重なってイライラしてたんだ。本当に済まない。」
理性が戻るのと平行して頭痛が収まってゆく。数ヶ月前まではこんなことで取り乱したりしなかったのに。案外神経がすり減ってるようだ。どのみちここで口論しても仕方ない。始末したターミネーターのチップは破壊したからまだ悟られてはいないが、バレるのは時間の問題だ。それまでに然るべき手段を確保しなければならない。ぼくは全員に向き直った。
「分かった。協力する。ただし、ぼくの指示には必ず従ってもらう。良いね?」
取り掛かって苦戦すること10分以上。ようやく鍵が壊れた。
「オラ、早く出てこい。突き当りの角を左に曲がったらエレベーターがあるから、それに乗るんだ。」
「ありがとう! アンタの顔一生忘れないよ!」
檻の中で縮こまっていた人々が我先に駆け出し、そのうちの1人が涙で顔をクシャクシャにしながら礼を言った。その言葉にムラカミはチクリと胸が痛み、さっさと行けと追い出した。まだ律儀に頭を下げる姿が人ごみの向こうに消えるまで見送り、スッと肩の力が抜ける。
これで3つ目だ。痺れた手の平を軽く揉んで、肩の凝りをほぐす。軽く一服付けたかったが、手元に吸い殻すらないことに舌打ちした。今は作戦行動中だ。1分1秒の遅れも許されない。自分にそう言い聞かせて、小さなICタグみたいなものを取り出した。その両端をつまんで引き延ばすと、フレームが拡張し小型のタブレットに早変わりした。
端末の画面に表示される情報を読み取り、仕事のタスクを満たしたことを確認し、他の仲間と共に合流地点に向かった。
『これを預けておく。』
肩に包帯を巻き終えたコガが摘出し終えた2つのタグのうちの片方を差し出す。
『何だよこの小っこいのは。』
『ぼくの手持ちで唯一奪われなかったものだよ。見た目はチャチだけど性能は保証する。』
『んで、これを使って何すんだ?』
『今までの経緯を考えるといくらか辻褄が合わないんだ。さっきの部屋だとぼくら全員とベッドの数が合わないし、そもそも1日置いて殺そうとするのが分からない。それにこの食糧。ここの分だけでも相当の量だ。』
『つまり何が言いたいんだ? さっさとしろ。』
『他にも囚人が居るってこと。ぼくは先行して準備するから、後から牢屋を解放してくれ。さっき案内板に電話線がある場所を見つけたから、そこに行ってみる。考えがあるんだ。』
結果としてコガの予想は当たっていた。最後に脱出させた人々を合わせるとざっと200人ほどだ。
「シュウ! こっちも終わったぞ。」
別のグループで行動していた友人たちが次々と合流してくる。一見すると誰も怪我はしていないようだ。
「よお無事だったか。」
「何とかな。敵が出てくると思ったんだけど、アイツら倒れたままで全然動かなかったぜ。」
多分タクミの
「何だってんだシャラクのくせに…」
無性に彼と今の自分に腹が立つ。学生時代は良かった。生まれつきの体格と才能で気に入らない奴は力で抑え込むことが出来た。女にしてもそうだ。勝手に憧れて近寄って来た自称ファンから、見た目が良くて後腐れしない奴を選んで過ごしてきた。
力があったから良い景色を手に出来た。だったらもっと強くなれば、もっと良い景色が見れる。そう思って軍に入った矢先にこれだ。正直、自分は何も出来なかった。訓練では思い通りに動けた体が、サナエが目の前で惨殺されるのを目撃して一歩も動けなかった。
しかし、コガは違った。決して取り乱さず、的確に対処して、単独でターミネーターをノシてしまった。スーツを着ているならいざ知らず、訓練では素で対峙した場合は逃げることを教え込まれる。それほど人間と機械の差は圧倒的なのだ。
既にムラカミは彼が兵士だと確信していた。感情を完璧に制御する精神力、ターミネーターに生身で対抗できる身体能力と技術、状況を冷静に分析して利用する機転と判断力。どう譲歩しても一般人に出来る芸当ではない。いや、あんなのはベテランの兵士でも首を横に振るだろう。
戦争する以上、敵のことは知っておく必要がある。ムラカミも教習でターミネーターに関する知識を徹底的に叩き込まれていた。T-600はチタンで構成されるが、過渡期の仕様ゆえに関節部分が弱く、小火器で集中的に狙えば破壊できる。また頸部後方には追尾機能を司るチップが露出しており、そこを叩くと一時的に行動不能にさせられると教官が話していた。
だが実際にはほとんど役に立たない知識だ。基本的に非武装で立ち会うことは無いに等しく、先述の対処法がなくとも普通なら真っ先に逃げるのを思いつく。そんな
極めつけはムラカミが渡された端末だった。強力なジャミングが働いているせいで外部との通信は不可能だが、先に制御室に向かったコガから次々と情報が送られてくる。速い。少なくとも軍用のコンピュータ並みに処理能力が高いのは確かだった。それを指先に乗るほどのサイズと軽さで実現するのだから、最先端の技術を使っているのは間違いない。
この機器を見て諜報関係の人間かと勘繰ったが、それではあの戦闘能力の高さを説明できない。工作員顔負けのツールとベテランすら凌ぐ度胸とスキル。何となく、本当に何となくだがムラカミは思い当たる節があった。
「ジャップ・ザ・リッパー…」
史上最強の兵士。生きた伝説。ここ数年で急速に広まった噂は数知れず、未だに真偽のほどは明らかになってはいない。分かっているのはその特異な外見と超人的な強さだった。ところが最近はその動向が全く分かっていない。その英雄が姿を隠しているのだとしたら。自分たちの傍にいるのだとしたら。
「シュウ君、シュウ君!」
徐々に内なるスパイラルに嵌っていったムラカミは自分の名前を呼ぶ声にハッと気が付いた。サナダがこちらを見つめていた。どうやら制御室に辿り着いたらしい。奥ではコガがコンソールを操作して、膨大な文字をスクロールしている。
「こいつは…いや、まさか…」
ブツブツと呟きながら例の極薄デバイスに繋いでタッチキーを叩く。その内容は英語を覚え始めたムラカミでも精査仕切れないほど複雑だった。
「シオリ、怪我はないか?」
「平気。みんなと一緒だったし、それにシュウ君がいるから。」
健気に答えてくれる彼女の目が潤んでいるのが分かって、無我夢中で抱き締めた。ひし、と抱き合うと腕の中の小さな体の震えが徐々に収まっていく。きっと、とても怖いはずだ。それでもこの少女は必死に耐えている。何が何でも守り抜きたいと思った。
「オレが絶対に守ってやる。絶対にだ。」
「うん。うん…!」
このまま時が止まればいいとさえ思ったが、現実は厳しかった。
「コガ、準備できたよ、早く行こう! シュウとシオちゃんも!」
別の班に分かれていた女子が扉から呼びかける。
「分かった。」
と返事した彼はキーを何回か叩いて電源を切ると、ムラカミたちの後に続いて走り去った。
ムラカミたちが到着すると、総合体育館並みのそこは既に何人もの人々で溢れかえっていた。先程逃がした人たちだ。タクミの話ではここから脱出口の繋がってるらしいのだが…
「ねえ、何で進まないの? 時間ないよ。」
「出口がどこにもねえんだよ。」
ごった返す人ごみの垣根から首を出して周囲を確認してみたが、扉らしきものはどこにもない。するとタクミがいきなり服を脱ぎ始めた。
「ちょ、おま、何してんだ!?」
戸惑った男子に目もくれず奇行を続けるコガ。あっという間にトップスを全て外すと
「皆さん、急いで服を脱いでください。」
とその場の全員に告げた。目が点になる一同。珍妙な顔になるのも一瞬、白けた表情を浮かべるのは分かり切っていた。
「お願いします。時間がないんです。もうすぐここから水が流れ込んできて、アナタたちは溺れてしまう。」
懸命に訴えるコガを無視してぞろぞろと勝手に動き回る群衆。同級生たちもいよいよ付き合いきれないと、彼らに着いていこうとした時だった。ムラカミは頭に何か落ちたのを感じ、触れてみると何かの水滴だった。頭上を仰ぎ見ると直後に更に大量の洪水が降って来た。
逃げろ、という間もなく冷たい重さと勢いに呑まれ、足が浮いた。せめてもの願いを込めてシオリの手を握る。見る見るうちに全高の半分まで水が溜まり、ムラカミたちはその表面を漂っていた。体が随分と重たい。服が水分を吸収して自重が増しているのだ。このままでは力尽きて溺死してしまう。仕方なしに衣服を手放すことにした。
「シオリも脱げ。この際贅沢は言ってられない」
しばらく躊躇していた彼女だったが、観念したように服を脱いで下着姿になった。クラスメートも自発的に同じ姿に変わっている。
「はい皆さん、落ち着いてください。」
コガの柏手がコンクリートと水の間で拡散し、波紋が広がる。
「いきなりで驚かれたと思いますが、ここはこの工場のゴミ箱です。今から下の排出口が開いて外に流されます。その前に皆さんには―」
ピシャン、と水面が撥ねた。1、2、3、当たった。
「グワッ!?」
ムラカミの近くにいた一般人が腹を押さえてうずくまる。すぐに介抱すると手に生暖かくぬるりとした感触がした。水面が赤く染まっていた。シオリが悲鳴を上げ、直後に無数の雨あられが降って来た。視界の隅に赤い双眸がライフルを乱射しているのが映った。コガが脱いだ時に持っていた筒状の物体を高く放る。
「潜って!」
コガの指示にすぐにシオリを抱きかかえて身を潜らせる。間髪入れずに頭上で閃光と爆炎が降り注ぎ、水を伝播して鼓膜を揺さぶった。水中に同級生の千切れた肉片が落ちていったのは見なかったことにした。
唇に温もりを感じた。頬にも誰かが触れている感触がある。誰だ? 目を開けようとすると胸の中が急に苦しくなった。体を折り曲げ苦しみの源を吐き出す。それが水だと分かったときにはぼんやりとした風景にシオリが泣き顔で抱き着いているのが映り込んでいた。
「シュウ君、良かった…」
「ここは?」
やけに薄暗い場所だった。湿っぽいし臭気もする。恐らく下水道だろう。
「コガは?」
「分かんない。何か追手が来たから食い止めるって奥に行っちゃった。」
酸欠だったせいで頭が重い。ガンガンと鳴る脳裏でゆっくりと赤い尾を引いて沈んでいく級友の末期を思い出した。人数は半分ほどに減っていた。ほとんどが先程の奇襲の餌食になったのかもしれない。
「やあ、起きたんだ。」
まだ感覚を取り戻しきれない聴覚が拾ったのは、コガの落ち着き払った声だった。彼は暗闇からサブマシンガンを携えて現れた。他にもジャラジャラと武器を携帯している姿はシュワルツェネッガーの『コマンドー』を想起させた。
「コガ君、どうしたのそれ?」
「敵から奪ってきた。ムラカミ君はこれを。」
そう言って手渡されたのは
「Vz61。スコーピオンと言った方が分かり易いかな。少し重たいけど命中精度は高いから初心者でも扱いやすい銃だよ。」
慣れた手つきでで安全装置を外し、弾数を確認するコガ。その動作を盗み見ながらズシリとした重みを確かめる。Xガンのようなハイテク機器とは異なる純粋な鉄の塊。改めて自分が持ってるものの恐ろしさが染み渡った。
「では生きている方はこちらに集まってください。これからの行動を伝えます。先程の襲撃で理解できたと思いますが、まだ皆さんは安全な状況にあるとは言えません。なのでぼくが先導するわけですが、これだけの人数を1人で守るのは無理です。そこで銃器の経験者の方がいらっしゃったら、ここに武器があるので手伝ってください。それと―」
「もういい!」
いきなり抗議の声が上がり、立ち上がった人影が居た。40絡みの中年男性だ。苦虫を噛み潰したような顔で周りをかき分けて前に進み出る。
「さっきから聞いてたら何なんだね。逃げろだの隠れろだの、こっちは我慢の限界だ。大体、子供が銃を持っていいと思っているのか?」
「はあ…」
「全く近頃の若者は…見たところ敵もいないようだし、水の流れからして向こうが出口だろう。さあ皆さん、さっさとこんなところからオサラバです。私が様子を確かめてくる。」
間の悪いことにに他の何割かが賛同してしまい、しかも強引に銃も持って行ってしまった。残ったのは数少ない同級生と不安に怯えて動けない者だけだ。
「待ってください皆さん。別れると危険です。戻ってきてください。」
「うっせ、バーカ。」
「さっきから偉そうに…何アイツ?」
「そんなにここに居たけりゃ、そこの泥水でも啜ってろ。」
懸命な呼びかけに耳も貸さず、先に行ってしまった連中の野次がワンワンと反響する。ハア、とため息を吐いたコガはつまらなそうに小石を蹴飛ばして座り込んだ。
「いいの? 行かせちゃって。」
「一応こうなることは予想済みだったからね。無理に引き留めると変な諍いに成りかねないから仕方ないよ。あの人たちの気持ちも分からないではないし…入手した地図だとここから10kmほど先に出口がある。長丁場になるから休息して体力を温存しよう。」
「そういえばお前、あのとき何を投げたんだ? 爆弾みたいだったが。」
クラスメイトの問いに、ああ、と思い出したコガが他の武器も点検しながら、アセトンに過酸化水素水などの酸性液を混ぜた物をビニールパイプに詰め込んだものだと告げた。ムラカミたちが捕虜を逃がしている間に何か役に立つかもしれないと作製したらしい。幸いにも病院は材料には不自由しない場所だ、と。
それからは苦難の連続だった。移動し始めてから10分もしないうちに
「逃げて。エアロスタットだ!」
「イヤァァァァ! アナタァァ!」
「イダッイィィィィ!」
半分ほどまで踏破したところで
「伏せてください。カメラに映ります。気づかれたら蜂の巣ですよ。」
「ママァ、もう疲れたよぉ。」
「もう少しで着くから我慢しデッ!?」
「あ、見つかった。」
「チクショウ、逃げろ!」
またあるときは
「アッ、足ッがあ!?」
「何でドーベルマンが追いかけてくるんだよ!?」
「追跡用に飼ってるんだろう。なるべく鼻先を狙うんだ。」
こうして二重三重の罠を振り切って残ったのは20人ほどだった。どれも疲労困憊で負傷者も少なくない。それでも彼らはようやく目的地までたどり着いた。
「シオリ痛むか?」
「何とか…でもちょっとキツいかも。」
「あとちょっとで出口だ。辛抱してくれ。」
肩を貸して歩くシオリの脚には赤黒い歯型が残っていた。先程の猛犬にやられた痕だ。ほとんど裸同然で足を引きずる姿が何とも痛々しい。しかし通路が真っ直ぐになり、コンクリートの足場がなくなってきた。やむを得ず下水に踏み込んだ。傷口に染みるのかシオリが小さく呻く。膝上まである水流を掻き分けて歩いた。
あと数十mというところで滝の音が聞こえた。出口だと直感的に悟り自然と急ぎ足になる。しかしそんな人々を先鋒のコガが片手で制す。
「何かいる。」
暗闇で何も見えないはずなのに、いやにはっきりと告げる。その視線を辿って灯りを照らすと、そこにはあのときの中年男性が突っ立ていた。服はあちこち破け肩にも血が滲んでおり、不自然に膨らんだ腹を両手で掻き毟っていた。
「助けて、助けて…」
か細く呟く表情は脂汗に塗れ恐怖で固まっている。見るからに無事ではない姿に級友が急いで駆け寄った。
「どうしたんですか? 他の人は?」
「全員やられた…アイツらに…アンタたちも―ウッ!?」
突然容態が急変した男が全身を痙攣させる。横臥して喉や腹を皮膚が抉れるくらい引っ掻く様子は尋常ではなく、暴れる体を抑えるために格闘する。その拍子にシャツが千切れ
「何だこれ…」
肉と脂肪に覆われていても分かるほど腹が隆起し、蛇のように長い何かがのたうち回っている。それが段々と上に登っていくにつれて、男性の苦しみも増しているようだった。
「ダメだ。出てくるな。やめろ、やめ…ガッ、グッ…ウ、ウオアアァァァァァァ!」
強引に中を食い破って先が喉元に到達した瞬間、そいつは口からではなく甲高いドリル音で男の頭部を粉々に粉砕して現れた。さながら寄生したエイリアンが腹から飛び出してくるように。
「キャアアアァァァァァァァ!」
「イヤッだァァァァァァァァ!」
人間の頭をひき肉みたいに変えたそいつはズルリと血肉から這い出ると、赤い
「待ってくれ! 撃たないでくれ!」
すぐに狙いを定めたが必死に両手を上げて助けを請う姿に引き金に掛けた指が止まってしまう。これでは撃てない。もう助からないと分かっているのに、泣き叫ぶ声にどうしても躊躇いが生まれる。そんな葛藤もお構いなしに再び腹を貪り尽くしたエイリアンもどきが、胃を直接食い破って今度はシオリに襲い掛かった。が、寸前で閃光が瞬き火花を散らして水中に落ちる。
「大丈夫? サナダさん。」
傍らで硝煙を纏ったコガが銃を下げる。こんな状況だというのに相変わらず表情は変わらない。今度ばかりはその冷静さに背筋が震えた。
「これはハイドロボットだ。水中偵察用の小物だけど、こんな場所にまで居るなんて。迂闊だった。」
プカプカと浮いたそれが後方に流れていく。その先に幾つもの赤い光が見えたことは冗談だと思いたかった。
「走れ!」
コガの鋭く叫んだ声と同時に、一斉に駆け出す。猛然とした勢いで接近するハイドロボットの群れが次々と逃げ遅れた人々を刺し殺していく。ムラカミも腕の肉が削られたが銃を捨てて構わずに走った。多分計測係がいたら自己ベストを更新するほどの速さだっただろう。滝の音が最も強くなった瞬間、シオリを固く抱き締めてムラカミは宙を飛んだ。
数時間後、ぼくは息苦しさに目を覚ました。朦朧とする頭を振り、気力を振り絞って川岸から這い出る。鬱蒼と茂ったマングローブ林が醸す土壌の匂いと蒸れるような暑さに意識が持ってかれそうになったが何とか踏みとどまる。まずは安全の確認と生存者の捜索だ。
事前に制御室で調べた情報によると、あの下水道はかなり大きな河川に繋がっており、捜索するとなると1日や2日では済まないだろう。しばらくは時間が稼げる。後者の方は幸いにもすぐ近くに流れ着いていた。サナダさんとムラカミだった。
まずは2人を起こし怪我の具合を確認する。両者とも無傷とは言えないが、動けないほど重体でもなかった。ぼくは状況を説明し救助地点までの位置を告げると、先頭に立って慎重に進んだ。
これまた幸運なことに予定場所とはさほど離れておらず、移動してから1時間ほどで辿り着けた。到着するまでの間、負傷に効く薬草を探し出し応急措置をする。サナダさんは他に生存者がいないか尋ねたけど、そこは正直に居なかったことを告白した。
「そっか…」
ポツリと零した返事をきっかけに彼女の目の縁に雫が溜まっていく。様子を察したムラカミがそっと肩を抱くと、堪え切れずに涙が決壊した。
「スズナ…サナちゃん…ヨシザワ君…」
亡くなった級友たちの言葉を1人ずつ呟き、嗚咽を漏らす。それに連られたのか雲行きが怪しくなり、一粒鼻に当たるとあっという間に降り出した。何か濡れるのを防ぐものを探すために立ち上がった直後、ガチャリと音が響いた。ムラカミがスコーピオンをぼくに向けていた。
「何してるの? 危ないから下げてよ。」
「いいや下げない。仲間の仇を討つためにな。」
「は?」
「お前最初から狙ってたんだろ。考えたらおかしなことだらけだ。オレが端末を持ってるのにすぐ情報を伝えなかったり、あのオッサンたちを止めなかったり。まるでオレたちを囮にしていたみたいだった。」
「…疲れて気が立ってるのは分かるけど、それは言い掛かりだよ。ぼくは君たちのために一生懸命に―」
「だったら何でわざわざあんな脱出プランを作ったんだ。仮にもプロならもっとマシな方法もあったはずだろ!」
安全装置を解除しいつでも撃てる体勢を作り出すムラカミ。下手に言い訳を重ねたら即座に撃ち殺すだろう。ここまで来たのにまた振出しに戻るのは御免だ。ふと隣で困惑するサナダさんと目が合った。本当なの? と言っている気がした。
「分かった。白状するよ。君の言ってることは半分正解で半分間違いだ。ぼくは本気で君たちを助けようとした。囮は解放した一般人たちだ。」
「何…?」
「まず最初の水洗式の廃棄場だけど、あそこは勝手に動かすと監視用のターミネーターが出てくる仕組みなんだ。だから大勢の囮を用意して相対的に被弾率を下げたかった。それに
「お前…あの中には子供も居たんだぞ!」
「他人の事なんて知らないよ。ぼくは
「クズ野郎が…!」
目を血走らせたムラカミが眉間に銃口を当てる。ぼくは説得できなかったことを残念に思い、次の周回に備えて頭が吹き飛ばされるのを待った。しかしそうなったのは何故かスコーピオンを突き付けていた目の前の男だった。スイカ割りみたいに派手に飛び散った脳髄の欠片が口に入り込んだ。
同時に天から光が降りかかり、プロペラの大気を震わせる音が胃の腑まで響いた。反射的に見上げると中空から数台のヘリが
「お迎えに上がりました。」
真ん中の人物が合成音声で語り掛ける。
「アナタたちは?」
「合衆国の即応部隊です。救難要請を受信して出動しました。こちらで全員ですか?」
「ついさっき死んじゃったのが居ますけどね。」
そう言って振り向いた先には顎から上が吹っ飛んだムラカミをサナダさんが呆然と見つめて座り込んでいた。虚ろに開かれた両目は自分の前で何が起こったのかまだ呑み込めていないらしい。
「申し訳ありません。何やら切迫していたようだったので、こちらで敵性分子と判断しました。女性の方はどうしますか?」
「連れて行ってあげてください。1人で残すわけにもいかないし。」
救助者用の担架を断りヘリに乗り込むと、先程の隊員から端末を渡された。ぼく宛に回線が繋がっているらしい。
「もしもし?」
『コガ・タクミ君かな? 良く持ちこたえてくれたね。お陰で無事に救助が行えた。』
「秘匿回線で人工音声とは中々慎重な人ですね。諜報関係の方ですか?」
『ただのファンだよ。君なら必ずこの
「何が言いたいんです?」
『そのうちの何割かを我々に譲ってくれないか? きっと君のためにもなる。』
「サナダさん、お友達がお見えになりましたよ。」
看護師が花束を置いてカーテンを開ける。しかし返ってくるのは規則正しい心電図の音だけだ。爽やかな風が部屋を駆け抜けたが、彼女の肌に届くことは無く包帯の表面を軽くなぞっただけだった。
「今日もいい天気。ちょっと寒いけど綺麗な景色ですよ。」
彼女は何も喋らない。いや、喋れなかった。全身を管で繋がれ、頭部には装置が固定されその上からボルトが差し込まれている。手足も拘束され、身動きは取れない。唯一変わらないのは光を失った双眼だけ。ベッドの下の介護装置が排泄物を吸い取る音が聞こえた。
「ごめんなさいね。折角来ていただいたのに。」
「いえ…」
「酷いでしょう。入院した数日後に飛び降りたの。一命は取り留めたけど、頭部に傷を負ってしまってあんな風に…こんな綺麗な子なのに惨いわね。」
サナダさんは救助された後、精神科に回された。原因は分かってる。一般人があんな状況にあって正気を保てるはずがない。治療の見込みはなくいつ退院するかも決まっていない。お見舞いを済ませると携帯が鳴った。懐かしい声が聞こえた。
『こうして君の番号にかけるのは久々だな。』
「ご無沙汰しています中佐。」
『その呼び方は止めたまえ、今の君は健全な一市民だ。しかし災難だったな。ようやく除隊できたというのに、君はトラブルに愛されてるらしい。』
「ええ、まあ…」
『その件について君に伝達事項が2つある。今回の事態を幕僚たちは非常に重く見ている。潜在化する新型ターミネーターの研究施設と誘拐される一般市民。そして君の行動だ。』
「自分は最善の判断を下したと自負しています。」
『だが上はそう思ってはおらん。今から君にはサイコセラピーによる記憶の
「慰安旅行にニューカレドニアのツアーでも提供して頂けるんですか?」
『慰安旅行ではないが似たようなものだ。担当カウンセラーからの提案で、共同生活をしてもらうことになった。相手は1人、場所はコロラドだ。準備は済ませてあるから荷物だけ用意してくれ。』
「その相手はどんな人なんです?」
『行けば分かる。切るぞ。』
にべもない会話が終わり、ツーと無機質な音が鳴った。カクリと肩を落とす。別にこれが初めてじゃない。彼の連絡事項の大半がいつも突然なのだ。また何かあるな、と嘆息したぼくは帰りがけにコーヒーを一杯買って出口に向かった。