49. 4年
夜も深い、人気のないペントハウスの一室で、男は1人の女の目覚めを待っていた。と言っても、それは決して眠るばかりの恋人を見守るという甘いシチュエーションではない。男にとってこれは欲であり、仕事だった。
「う…ん…」
女の長い睫毛が振るえ、瞼が重々しく開かれると、灰色の虹彩が露になる。男は出来るだけ優しい口調で語りかけた。
「お目覚めですか? ミス・ナルミヤ。」
「…モンゴメリー社長? これはどういう…ああ、そういうことか。」
「申し訳ありません。会談の直後、急に体調を崩されたようなので、こちらで勝手に部屋をご用意させていただきました。ご気分はいかがですか?」
「悪くはありません。強いて言うなら手首が少しきついくらいですけど。」
座ってる椅子に括りつけられた縄を指して、女―ナルミヤ・アキラが冷笑じみた笑みを浮かべる。完全にこちらを舐めきっている態度に、男の溜飲が少し下がった。
「残念ですがそれを外すことはできません。アナタとの会談はまだ終わってないのです。返答次第では足にも縄を付けなければならなくなる。」
「ご心配なく。アナタ方の仕込んだ薬がまだ抜けてませんので。暴れるのは無理ですわ。それで要件は何です?」
「ほう、随分と物分かりが良いことだ。」
意外にも抵抗しないアキラを前にして、内心口笛を吹く。これまでも同じ様な手口で相手と
「先にも申し上げましたが、我が社との提携を承認して頂きたいのです。貴社に対しても決して悪い話ではないと思えるのですが。」
「提携? 合併吸収の間違いでしょう? 第一、ウチのようなロートルの零細企業を相手にしても、利益なんてありませんよ。」
「謙遜とはらしくありませんな、ミス・ナルミヤ。アミュレット社と言えば、現在業界でも最も恐れられている風雲児と有名なんですよ。需要を取られて関係企業も焦っている。」
事実、モンゴメリーの経営するバロック・ミリタリーサービス社もその影響を受けて、こうして取引を行っていた。規模としては中々のもので様々な業務に携わっており、政府からの依頼も受ける
そこで新たな市場を開拓すべく関係を結ぼうと売り込んだ中で、アミュレット社が応じたのだった。しかし相手は手強かった。こちらが提案したプランの落とし穴を次々と看破し、逆に利益の獲得領域をバロック社のテリトリーまで食いつかせてくる。モンゴメリーの持ち掛けた話だったのに、いつの間にか向こうが主導権を握っている。これは彼にとって大変面白くない事態だった。
よって第2段階として方法を変えることにした。どちらかと言えばモンゴメリーにとってはこっちの方が得意なやり方だった。男ならば徹底的に痛めつけ、女ならば全身から漂わせるフェロモンで誘惑する。確実に相手が屈服する方法で勢力を拡大してきたのもバロック社の歴史の暗部だった。
今回もその手を使うつもりでディナーに招待したのだが、アキラはにべもなく微笑んで突き返した。あろうことか、自分の裏の顔まで暴いていたのだから。こうなってしまっては生きて帰すわけにはいかない。どんな手を使ってでもアミュレット社を奪い取る。モンゴメリーの作戦はその仕上げに入ろうとしていた。
「取引しましょう。イギリスに申請して伯爵の地位と領地を差し上げます。その代わり貴社の経営権を我々に譲ってほしい。もうこんな因果な商売から抜け出して、一生遊んで暮らせますよ。」
「これはまた羽振りのいい話ですね。」
当たり障りのない言葉でかわし、同意の言葉は決して話さない。ガードの堅い女だ、と思った。無論、モンゴメリーとしてもこの程度で決着がつくとは考えていない。唐突に1発叩いた。白い頬が僅かに赤くなった。
「交渉決裂か。仕方ありませんね。せめてその営業ノウハウだけでも聞き出したかったのですが、残念だ。君になら誘惑されても良かったのに。」
「あら、こんな傷物でも興味を持っていただけるのかしら。」
「とんでもない。君はとても美しい人だ。」
モンゴメリーの言葉はあながち嘘でもなかった。切れ長の目にシャープな輪郭を描く少々キツめの貴族的な顔立ち。背が高くてスタイルも良く、四肢はバネのようなしなやかさも備えている。見たところ化粧も最低限だが素材の質の高さも申し分ない。ロングのウルフヘアを一纏めにして胸元に流した髪型も切れ者のキャリアウーマンを髣髴とさせた。
唯一の忌瑕は顔の右半分を覆っている火傷跡だろう。本人は語らないがそれ自体が彼女がどんな人生を送ってきたかを物語っており、高貴な雰囲気の中にある種の凄みが加わっている。
「ありがとう。でもゴメンなさい。私
「…減らず口を。だが嫌いではありませんよ、アナタのような女。服従のさせ甲斐がある。」
最後まで余裕を崩さないアキラを懐柔するため、引き締まったボディラインを浮かべるブラウスへ手を掛ける。その第一ボタンを外す直前、彼女の耳元からコール音が聞こえた。
「…出てよろしいかしら?」
後ろに控えていた部下の1人に耳の裏をなぞらせ、耳小骨に付着したナノマシンと自身のそれを同期させると、モンゴメリーのコンタクトレンズに通話者のアイコンが表示された。
「もしもし?」
『アキラ? ぼくだけど、こっちの仕事は終わったよ。君の方はどうなんだい?
「ああ、今から吐かせるところ。悪いけどちょっと待ってて。」
「ミス・ナルミヤ、日本語はやめていただけませんか。私には会話が伝わらないので。」
『あ、もしかしてまだ取り込み中? アキラ、モンゴメリー氏に代わってくれる?』
すぐに英語に切り替えた男の声が自分の名を呼んだので
「今代わった。私がモンゴメリーだが、君は誰だい?」
『名乗るほどの者ではありません。彼女の部下です。この度は我が社をご利用いただきありがとうございます。』
「そうか、だが残念だな。君の上司はもう私の部下になる。これからは私の専属秘書でもしてもらおうか。さぞかし有能なことだろう。」
『…あまりオススメしませんよ。大人しく檻に繋がれるような人間じゃありませんから。』
拡声器を通した声は不思議と労わるような感じだった。フェイクすら掛けない純粋に相手を心配する気持ちだ。
「さあどうかな。少なくとも今は従順だぞ。」
『…ひょっとして、叩いたりしました?』
「ああ、ちょっとした挨拶だよ。あまり気乗りしないが、彼女のような女には立場を分からせる必要があるからな。」
ハア、とため息が聞こえたのは気のせいだろうか?
『モンゴメリーさん、悪いことは言いません。今すぐ逃げてください。』
「何?」
『銃やナイフがあっても無駄です。ウチのボスは1回叩かれたら100回殴り返す女ですから。』
そのとき背後でくぐもった呻き声が上がった。振り向くと部下の男が倒れ、傍らには縛られていたはずのアキラが涼しい顔で立っていた。
「貴様、どうやって-」
「あんな雑な結び方じゃ2分で解けるぞ。今度はちゃんとした専門家を連れて来い。」
「くっ…殺れ!」
一斉に襲い掛かってきたボディーガードに向かって、アキラは悠然と近接格闘の構えを取った。
数時間後、アキラは座席の座り心地の悪さに目を覚ました。ヘッドホンを着けた頭がいやに重い。まだ先程の薬が抜けきってないらしい。気だるげな様子を隠そうともせず、乗っているヘリから外を眺めると、鬱蒼と茂る山岳の合間から朝日に照らされたプレハブの社屋や寄宿舎、コンクリートの格納庫、射撃場に市街地戦を想定した遮蔽物の群れ群れが広がっていた。
いつもと変わらないアミュレット・インターナショナル・コンサルティング社の所有するヴァージニア州西部の訓練場だった。
「長旅ご苦労様でした姐さん。」
発着場に降り立ったヘリの
「ん、朝早くから悪いな。それと姐さんは止めろ。」
「申し訳ありません。本来なら転送ですぐにでもお帰り頂けたのですが、技術科がガンツのバグを発見したためヘリを代わりに寄越しました。」
「アレももう古いからな。他に報告は?」
「遊撃隊長が先程戻られました。社長に直接お話したいことがあると。」
「分かった。アンタらは通常の業務に戻って。確か今日は午後からクライアントとの顔合わせがあるから忘れるなよ。」
まだ朝露で湿った空気と緑の匂いを潜って、自室兼仕事場である社長室に入る。そこにはすでに先客がいた。
「やあ、おはよう。はるばるベルギーまでご苦労さん。」
アミュレット社の戦術教官兼遊撃隊長を務めるコガ・タクミが、ソファでキーパッドに目を通していた。
「…ちょっと臭うんだけど。」
「え? そう?」
脇の下を嗅ぐタクミ。言うほどのことでもないが、僅かに鼻についた饐えた臭いが無意識に口にさせていた。
「おかしいな。念のために5回もシャワー浴びたんだけど。」
「後でもう10回入ったら? 先に報告だけ聞かせて。」
どっかりとデスクに腰掛け、ただそれだけ置かれたキーボードの指紋認証装置に指を沿わせると、正面に空中投影されたデスクトップが出現する。しかしこれはアキラのナノマシンを通じているもので、他人には見えない。その画面の向こう側から1枚の紙が差し出された。
「
「また捕まってたのアイツ?」
「リビアの刑務所に潜入して2ヵ月探し回った。ぼくも何度か
なるほど、臭うわけだ。汚物と腐臭で溢れ返った牢屋の中を、何ヶ月も耐えられるだけでも驚嘆に値する。それでいてこちらの時間帯を察して、疲労を見せないのがタクミらしかった。
「…アンタ、ちょっと痩せた?」
「…ああ、そりゃ何回かご飯抜きのときもあったから。」
ただでさえ不味くて量も少ないのに、その上お預けを食らったのなら仕方ない話だった。今度厨房にカロリー重視のメニューを打診しておこう。
「で、情報は-」
「その前に。」
アキラの催促を遮ってタクミが近づいてくる。何をするつもりなのかは見当がついていたが、まだ社長としての時間は続いている。
「私も疲れてんだけど。」
「だけど2ヶ月も閉じこもってたんだよ? 少しくらいご褒美が欲しいな。」
まったく、いつからコイツはこんな口を聞くようになったんだろう。ヨコスカにいた頃はまだ初心なところがあったのに。でもまあ、頑張ってくれたことには違いない。それに自分のことを枕営業呼ばわりしたモンゴメリーが、やたらと体を触って来た嫌悪感もある。ストレスの発散という意味では、アキラも捌け口が欲しかった。そして、それを許せる人間は1人しかいない。
「1回だけだからな。」
返事の代わりに唇を寄せてきたタクミに腕を回しながら、アキラは扉の鍵を閉めた。
数時間後、ベッドの上でタバコを咥えていたアキラは、定例会が始まる時刻が近いのを思い出し、身支度を始めた。あまり吸うわけではないものの、企業のトップとして多忙な毎日を送る中で、自然と持ち歩くようになっていた。計ったようにタクミが現れ、サイドテーブルにサンドイッチとコーヒーが置かれる。先にシャワーを浴びてきたせいで、まだ髪が濡れている。
「君の調査結果のことだけど。」
カーゴパンツのみの姿でタオルで頭を拭くタクミの顔は、以前と著しく変わっていた。何の変哲もなかった黒髪は地獄の経験のせいか色素が抜けて新雪のように真っ白に変わり、今はない右目は海賊風の眼帯が被さっている。磨き抜かれた上半身は戦いで付いた古傷や抜糸の跡があちこちにあったが、肩の付け根は奇妙に肉が盛り上がり、縫合された証拠である縫い目が残っていた。
実はタクミの腕の皮膚は移植されたものだった。ターナーの追撃任務で両腕を失ったタクミは義手を装着したが、機能性を追求したあまり機械そのものの外見になってしまい、流石にマズいということで人工的に培養した皮膚で擬装する案を受け入れたのだ。元々義手もT-800の技術を流用していたので、コンセプトは合致していた。
「ああ、モンゴメリーならボウズだった。アイツはシロよ。あ~あ、無駄足だった。」
「まあ、毎回博打みたいなやり方だからね。これでリストの照合は終わりか。」
朝日が白い髪に付着する水滴に反射し、キラキラと輝くのを思わず見入っていたアキラは、慌ててコーヒーを含んだ。
「…相変わらず美味しいわね。アンタが淹れた奴は。」
芳醇な豆の匂いが鼻腔を満たし、深みのある苦みが喉を通り過ぎていく。機械では出せない味が疲労を和らげていった。
「コーヒーを上手に淹れられると軍では重宝されるからね。そこら辺も徹底的に叩き込まれたよ。」
誰に、とは言わない。隣の部屋にある私物らしい携帯コンロとソースパンを覗きながら、やや薄くなったコーヒーを飲み干す。ついでに散らばっていた衣服を取り上げるが
「あ…」
「どうしたの? あっ、このスカート裾が破けてるじゃないか!」
「格闘中に動きにくかったから、つい、な…」
「つい、じゃないよ。これオートクチュールだよ!? 折角プレゼントしたのに。」
「悪かったよ。お詫びに今夜はサービスするから。」
西暦2027年、世界は再びスカイネットに焼かれた。極秘に開発された新型潜入用ターミネーターT-800が、潜伏先の都市で自爆テロを起こしたのだった。その人的被害は言うに及ばず、それ以上に人々の心に恐怖を植え付けた。
人間の皮を被り、人間に成りすまして、社会に溶け込むターミネーター。表面上は皆平静を装っていたが、一度体験した恐怖はそう簡単には消滅しない。小さく芽を出した黒い双葉が徐々に熟成され、人々の生活圏に気づかないスピードでゆっくりと根を張り巡らせていく。
逆に突飛な行動に走るケースもあり、酷いものでは疑心暗鬼に駆られて妻の顔を骨が剥き出しになるまで引っ掻いたり、怪しいという理由で無実のホームレスをリンチし元の形に繋ぎ合わせるのが難しいほど切り刻んだ事件もあった。
機械の化け物との戦争が優勢のまま膠着して、油断し切っていた時に食らった手痛いカウンターだった。新たにスカイネットが放った
T-800の潜在的危険性を危惧した先進諸国はガンツの優れた処理性能を利用し、厳格な個人情報管理体制を敷くことで、テロの脅威から国民の安全を保障するシステムを構築した。今や街を歩けば必ずと言っていいほど黒い球体が目に入る。
一方、世界の守護者たる抵抗軍はこの災厄を未然に防ぎ切れなかった失態から、世論の反発を招き大規模な軍縮に踏み切るを得なくなった。その結果、抑え込んでいたターミネーターが盛り返し、必然的に後手に回る羽目に遭うという二重の失態を演じてしまったのだ。
では、その穴を埋めるにはどうするか。解決策を提示したのは
しかし、先のガンツの爆発的普及とあるプログラムが完成したことで、『安い! 安全! 使いやすい!』PMC本来の長所に栄光の日の光が当たり、縮小傾向にある正規軍に代わってPMCは再び戦場の主役となった。
「で、どうするんだコイツらは。」
訓練施設の高台からカザマ・ダイゴがやや呆れて呟く。A.I.C.社の専務に籍を置く彼は若くして才能を発揮し、社長のアキラを様々な形でサポートしてきた。天賦の統率力から当初は組織のトップを任せても問題ないと思われたが、ぼくを始めとするREX隊員の中で本格的に経営学を学んだのは少数派だったので、今の役職に就いたというわけだ。
けどカザマは予想に反してメキメキと仕事を覚えていった。今じゃ世界中に散らばった
失った右腕をぼくと同様義手と人工皮膚で補い、かっちりとしたスーツに窮屈そうに収める大きな背中に語った。
「何とか置いてあげることはできないかな。」
「気持ちは分かるがウチはNGOでも学校でもない。会社だ。タダ飯食らいを置いておくわけにはいかん。」
窓ガラスの下では10人ほどの少年少女が行進を組んで走らされていた。まだどれも若く
ガンツの徹底した管理体制によりT-800のもたらした世界的混乱は収まりつつあるけど、全部が全部という訳じゃない。恐怖というのは中々に折り合いが難しい感情なのだ。特に元からそういったものが蔓延っている場所では。
ぼくが言い渡された任務は同地の収容所に捕らえられたある人物を救出することで、その折に目端の利く彼らを誘い込んで利用したというわけだ。その見返りにと言っては変だけど、彼らの中である条件に適った者に居場所の提供を図った。
「そもそもアキラから許可は取ったのか? 話してないと後が怖いぞ。」
「このうちの見込みがある子を
「確かに適齢期ではあるが…素人に先頭を任せるなんて、他の奴らが納得するとは思えんがな。」
「アミュレットが軌道に乗りつつあるのは知ってるよ。それは裏を返せば余裕があるってことだ。後進の育成を考えるのも損じゃないだろう?」
「やけに入れ込むな。あの中にお気に入りでも出来たのか?」
勘の鋭いカザマはぼくが何を言いたいのかを察したようだ。チラリと窺う視線を向けたカザマの下で、黙々と走り続ける子供たちを眺めながら
「まあね。」
とだけ答えた。
「では定例会議を始める。各自着席してくれ。」
さして狭くも広くもない会議室の一室で、アキラの号令により集った全員が腰を下ろす。ぼくにとっては2ヵ月ぶりの出席だ。尻の下に懐かしい革張りの感触がある。まずは技術科長のナイジェル・ケイブスが、むさ苦しい無精髭を蓄えたまま報告する。
「えー、今朝方確認されたガンツのバグですが、先週のアップデートで発見された不具合に関連があると結論が出ました。現在改修作業に取り掛かっており、本日中には復旧する模様です。」
続いて戦術科教導班を任されているマーカス・クロッソンが挙手する。20年以上ターミネーターとの戦いに明け暮れたベテラン中のベテランでも、寄る年波には勝てず会社の創設と同時に一線を退いていた。
「その件につきまして予定していた選抜試験を繰り下げることになりました。詳細な日程は後日お知らせします。それとシェリー・セシル教官から、コガ教官に言伝を預かっています。」
言伝? 今は別の仕事でこの場に居ない金髪の同僚を思い浮かべる。担当している訓練の引継ぎは済ませておいたから、その結果報告だろうか。
「お願いします。」
「『新しく連れてきた子たちはどうするの?』だそうです。」
何故か部屋の空気が冷たくなったのを感じた。打ち合わせしたように居合わせた面々は一様に押し黙り、目を泳がせる。そしてその中で最も冷たい位置―上座に、ぼくは壊れたロボットのようにギギギ、と首を動かした。
「へえ、『新しく』、ねえ…」
社交用のビジネススーツから、社内訓練用の野戦服に愛用のイージージャケットを重ねたアキラが、微笑を湛えていた。本人曰く『着慣れてるし動きやすいから』という彼女らしいドライな理由だが、今はそんなことはどうでもいい。表情こそ穏やかだが、目が全く笑ってない社長に戦慄を覚える。背後にオーラが漂って見えるのは見間違いではなく、ぼくはシェリーに根回ししなかった自分を痛烈に罵倒してやりたかった。
「コガ、アンタは
ドスの利いた声音が氷の矢となって突き刺さってくる。公私混合を良しとしないアキラは、仕事では職員を名字で呼ぶことが多いけど、このときは本当に上司という立場を意識させられた。
「その、出張先で接触したグループに取引材料として、ウチへの就職を…」
「でも私には言えないからGUNQLVERSを使って、使い物になりそうなところでお披露目…大方、そんなとこだろ。」
「ど、どうして…」
「何年の付き合いだと思ってんの。…ったく、仕事熱心なのは良いけどな、そうホイホイ色んな奴を連れてくる癖は直して。この前なんてクライアントの護衛を無理矢理勧誘しただろ。」
「自分の立場は理解しています。しかしGUNQLVERSの有用性が証明されている昨今、我々も対抗手段を持たないとだめなのです。我々の目的のためにも―」
「社長、ここは一つコガに任せてみてはいかがでしょう?」
加熱し始めた議論を止めたのは、カザマの一言だった。先の雑談で難色を示した素振りを毛ほども表さず、冷静な一石を投じる。
「コイツを庇う根拠は?」
「我が社の志願者の採用には、非公式ですが彼の采配が大きく影響します。戦場を誰よりも知っている点では、その観察眼は確かです。加えて社のイメージアップ戦略として、今後は
市場拡大を踏まえたもっともらしい見解に、アキラも腕を組んで逡巡する。暫しの黙考の後、決定が下された。
「分かった。この件についてはコガとカザマに任せる。1週間後までに稟議書を提出するように。他には?」
「コガ教官の調査について、特殊監査科から報告が上がりました。この情報は非常に機密度が高い案件なので、ヴァーチャル通信を具申します。」
カザマの要請に頷いたアキラが専用のコードを入力すると、各席のノードがせり上がり要請を承認するための確認画面が表示される。長時間点灯して僅かに温かい電子パネルに手の平を置くと、体内のナノマシンがノードと同期して、会議室がロックされ秘匿暗号回線に切り替わった。
「まずはこれをご覧ください。」
ノードから網膜に直接投影された映像が映り込む。
「男の名前はピョートル・フィリモノフ。もちろん偽名で、本名、国籍共に不明。チェチェン人を自称し祖国の真の独立を謳い、テロ行為を繰り返す国際指名手配犯です。これまでに爆破事件を3回、ハイジャックを1回。まさに真性の外道だ。」
吐き捨てるように溢した語尾が、小さな尾を引いて通り過ぎる。仕事柄このような連中を相手にすることも珍しくないが、ぼくが気になったのはそいつの隣にいる女性だった。深くフードを被って人相は分からないが、この映像を記録したカメラに向かって、真っ直ぐ目を相対しているように見える。この男の仲間だろうか?
「フィリモノフは現在東欧のスミロア共和国に潜伏中。内戦に紛れ込んで反政府軍を支援し、政権転覆を狙っています。同国は15年前に民主化を果たしましたが、政治的腐敗が原因で軍部がクーデターを画策。事前の内偵で計画は頓挫し軍部は解体されましたが、離反した過激派が抵抗を続け、周辺諸国の不安定な情勢に便乗する形で貧民層も反旗を翻し、完全な混乱状態にあります。さらにフィリモノフは外部からPMCを雇って、戦場に投入している模様です。」
と、ここまではさして珍しくもない紛争地帯の説明だったわけだけど、次の一言で空気がざわついた。
「コガ教官の情報と我々特殊監査科の調査の結果、このPMC『サイグリー・エクストラ社』はゴールドスタインとの繋がりがあると予想されます。数日前には鹵獲機と思われるTシリーズの一群が確認されました。」
先のテロの影響で訓練以外ではT-シリーズの運用は全面的に禁止され、開発されていたソフトウェア群も凍結されて久しい。それを敢えて使っているのだとしたら、裏には相当の規模と技術力を備えたバックグラウンドが必要だ。
ゴールドスタイン。旧ディズニーワールド、暴発寸前の原子力発電施設の中で今際の際にターナーが遺したダイイングメッセージ。この会社を立ち上げてからぼくらは幾つもの任務に臨み、様々な標的と対峙してきたけど唯一変わらないものがあった。目的は不明、規模も不明。ついでに言えば名前だって本当かどうか疑わしい。
しかしスカイネット=ガンツを倒すためには、どうしてもこの名前の素性を明らかにする必要があった。これまで関わった7回の作戦のうち4回にその名が現れたけど、現状が示すとおりどれも失敗に終わっている。それでも失敗を重ねるたびに逐次情報を整理し、アミュレット社の総力を傾けることで分かったのは、それが組織を現していること、世界中に網を張って各地の紛争に介入していること、この報告のようにPMCを含む軍産複合体と密接に繋がっていることだ。
「そこで我々は共和国暫定政府の要請を受けた国連を仲介に、同国の正規軍-名前だけですが-の支援を委託されました。今回の
「雇われ者同士の代理戦争か。」
ここ数年PMCが急速に台頭してきた故の必然。ナイジェルが憂いた顔で補足する。ぼくは自分に下される指令を待った。
「コガ、早速で悪いけどアンタには別の仕事をしてもらう。フィリモノフはサイグリーの他にも現地の
3ヶ月ぶりの
「現地までの足はこっちで手配する。いつも通り表向きのサポートは不可能だから、私たちが関わっている証拠は絶対に残さないように。」
深く頷いたぼくと視線を合わせると、アキラはおもむろに立ち上がった。
「全員聞いて。この4年間、私たちはゴールドスタインの尻尾を何度も掴み損ねて来た。でも、次は違う。正真正銘のラストチャンスになる。必ずサイグリーの裏を暴く!」
西暦2034年、世界はまだ戦争から解放されていない。