『先程の戦闘でこの空域の敵戦闘機は全て排除されました。担当PMCはマロジェンタ・エアディフェンス社。使用無人機はAT社のスライダーです。空の安全は当社が責任を持って保障いたします。戦闘以外にも多様なニーズにお応えしますので、お気軽にお問い合わせください。マロジェンタ・エアディフェンス社でした。』
耳小骨振動式ナノマシンがオープンチャンネルから、女性アナウンサーの歌うような宣伝文句を拾い上げる。これを聞いた共和国軍の人間は次の戦闘でも契約するよう上層部に掛け合い、視察に訪れていた他国の軍関係者も似たような反応を示すだろう。しかしぼくがその場に立ち会うことは無い。今のぼくは仲間内にも知られない極秘任務の真っ最中で、これから敵の本拠地に殴り込みをかけるのだから。戦争の長期化を防ぐために、敵地の奥深くに潜入して頭をピンポイントで潰す。
『ポイントBを通過しました。レーダーも異常なし。凄いですねローガン。ステルスも使わずにサイグリーの監視網に一度も引っ掛からないなんて。』
モニカの感心した挙動がレイヤー越しに伝わる。頬を紅潮して興奮し切っている様は、憧れのアイドル歌手のコンサートで湧き立つファンと同じだ。とは言え、綺麗な顔した女の子にべた褒めされて、気分が良くなってしまうのは男としての性である。もっとも、慎重を期して5回ほど死んだのは内緒だけど。
「そ、そうかな? 別に普通だよこれくらい。」
『あ、ちょっと体温上がりましたよ。照れてるんですか?』
口元に手を当ててクスクス笑うモニカ。こんなやり取りが出来るんだったらナノマシンも悪くない、と早くも主旨転換しそうになったとき、新米モニターから質問が下ってきた。
『ところで隊長。さっきセシル教官からナノマシンを移されたとき、とても嫌がってましたけど、ナノマシンってそんなに悪者なんですか?』
「君はどう思うの?」
『わ、私? 特にいけないと思ったことはないですね。ちょっと値は張りますけど、コストを差し引いてもメリットは大きいと思います。っていうか、国連加盟国の大半が採用してますよ。これさえあればICカードや個人番号を持たなくても大抵の手続きはパスできますし。一部の国では公的関係者の実装は義務にさえなってますから。』
「PMCの契約者にも、ね。」
確かにナノマシンの情報管理能力の恩恵は計り知れない。世に出て数年程度にも拘らず、飛ぶ鳥を落とす勢いで普及したナノマシンは、同じく民間レベルでの運用が決定したガンツと連動して、史上類を見ないほどの完璧なネットワークを実現している。両者の存在は相互不可欠であり情報制御が徹底した今の時代で、この円環に組み込まれていない人間は圧倒的に少ない。もし着けていなければ、そいつは人間に擬態した殺人ロボットのラベルを貼られてしまっても文句は言えないからだ。
「抵抗軍、同盟国の正規軍、PMC…戦争で実際に活動する兵士にもこいつの服用は常識になっている。体内からリアルタイムで24時間監視することで、安全保障のマネジメントが大幅に改善されたからね。」
『従来から課題になっていた暴力行為などの防止のための、武器・兵器のID認証による管理でしたっけ。万が一業務規程を破ったりしたら、管理者側から強制的にシステムから締め出して、身動きが取れなくなる。』
「その通り。よく勉強してるね。でも、メリットばかりとは断言できない。特に戦場では。」
『どういう意味ですか?』
「ぼくがされたようにナノマシンが個々の兵士の体調データをシステムの中枢―ガンツに集積することで、中央司令部はミクロかつマクロでより正確な戦略的判断が可能になった。メディアの間では戦場浄化ってプロパガンダも出回っている。」
『お陰でPMCの派遣も容易になった。良いこと尽くめじゃないですか。』
「最初はぼくも同意見だったさ。仲間との連携や状況把握も上手くいったし、
『ある程度感情を最適化することで、戦闘中の混乱も抑えられますしね。ウチは何故か機能を省略してますけど。』
「それだよ。」
『え?』
これまでうんうんと相槌を打っていたモニカが、キョトンとした表情を浮かべる。ぼくは続ける。
「戦争経済のせいで世界中に拡散した需要を満たすために、PMCは大量の兵士が必要になった。安価で優秀な兵士をね。一から訓練したんじゃ時間が掛かっちゃうけど、その点ナノマシンなら低コストで新兵でもベテラン級の戦果を挙げることが出来る。痛覚を制御したり恐怖をアドレナリンで打ち消して。意図的にコンバット・ハイにもなれる。」
『戦闘終了後の
「バックアップは整ってるし、催眠療法の効果も認めるよ。だけど、戦士の精神は自身の経験によってしか得られない。戦闘技術のインストールとは違うんだ。どんなに大丈夫だって言い聞かせても、自分の心までは騙せない。蓄積された悪意は着実に心身を蝕んでいく。ぼくもかつてはそうだったから…」
『隊長…』
「感情の制御は精神の制御と同義だ。ナノマシンで欺瞞させた分は、それだけ本人の心に圧し掛かってくる。戦闘とカウンセリングを繰り返すうちに拒絶反応が起きて、薬で抑えつけて…後はジャンキーと同じさ。」
コロラドで塞ぎ込んでいた頃を思い出す。自分で招いた事態のくせに受け止めきれなくて、ドラッグに片足を突っ込んでいた自分。習慣だった悪夢から逃れるために必死に心を殺したものだけど、結局は正面から向き合って折り合いをつけるしか手はなかった。今は前線で戦っている恋人があの時に居なければ、きっと耐えられなかっただろう。
「中には感情制御のレベルをMAXまで引き上げる輩も居るけど、アレになったらもうターミネーターと変わらない。任務遂行のために完全なマシンになる…吐き気がするよ。だからアキラもなるべくシステムの干渉を避けて―」
『あの、隊長。そ、そろそろ要警戒区域に入ります。スーツのアイドリングを解除すべきかと…』
つっかえたモニカの声で急速に思考が戻る。何をやってるんだ。いたずらに仲間の不安を煽ってどうする。今は彼女と人道主義を戦わせている場合じゃない。息を深く吸って落ち着きを取り戻す。
「ゴメン、怖いこと言って。ちょっと熱くなっちゃったみたい。」
『いえ、気にしないで下さい。私の方も勉強になりましたから。…教官って不思議な人ですね。』
「え? 何?」
『な、何でもありません! ス、スーツの解除に入ります!』
「あ、うん。お願いします。」
ナノレイヤーにコード認証のサインが灯り、ガンツスーツのポインターが青白く発光する。擬装フードを脱ぎ捨てガンツソードのロック解除も確認したぼくは、逡巡を振り捨てるために圧倒的なギアで駆け出した。
掃討作戦の第2陣に混じって現場に到達して10分ほど。ハリルは早くも自身の取った行動を後悔していた。監視役の目を避けて何とか部隊の端役に潜り込んで、戦争の空気を感じようと画策したが、実際に目の前にすると自分の考えがいかに甘かったかを思い知らされた。
苦しい。怖い。逃げたい。さっきからこの3つしか頭に浮かばない。さっきなんかは顔の横を弾丸が掠めて腰が抜けてしまったくらいだ。どんなにスーツの耐久性が優れているとはいえ、不意打ちじみた速度で迫る物体というものは本能的に恐怖を感じさせる。
情けない。あれだけ大口叩いていたのにこの様か。アキラに押さえられ医務室のベッドに拘束された最中、シェリーと呼ばれる女性が訪れたのを思い出す。医師に二、三言告げていきなり引っ張り出されて連れてこられたハリルは、訳も分からないまま訓練場を何十周も走らされた。
走り終わってもシェリーの理不尽さは変わらず、各種筋トレに組手の練習、射撃の基本動作などを何度も何日も繰り返させられた。1日の頭を固定装備一式を背負わされて走り、そのまま夜までボロ雑巾になるまで体を痛めつけられた後、泥みたいになって眠る。
別に暴力には慣れている。厳格な軍人家系で育ち幼少期から効率的な力の振るい方を学んできた身としては、暴力は常に身近にある存在だった。政争で家族を失ってもそれは変わらず、大人たちのストレスの捌け口として殴られても耐える術を知っていた。
だが人間の肉体には限界がある。連日連夜で全身の筋肉が悲鳴を上げても走ったハリルは、ついに疲労に屈して地面に倒れ伏してしまった。すかさずシェリーが水を浴びせるが四肢はピクピクと痙攣するばかりで、全くと言っていいほど力が入らない。ハリルの頭をブーツが踏みつける。
「誰が寝ていいって言ったの?」
喉が渇ききっていて答えられない。代わりに体を動かそうとするが石になったみたいに固まっていた。シェリーが続けて言う。
「これがシュミレーションを200時間こなした兵士? アナタ、本当に真面目に訓練したの? 射撃はお粗末、格闘もチンピラと大差なし。こんなのじゃ5分もしないうちにあの世行きね。」
少女のような顔と声とは裏腹に足裏の圧力が半端なく強い。プレス機に掛けられてるみたいだ。固い床面にこれ以上ないほど頬が押し付けられている。
「聞いたけどアナタ、ローガンが連れて来た子たちのリーダーだったみたいね。」
痙攣とは別の意味で手がピクリと反応する。唯一自由な目を動かすとこちらを睨めつける碧眼とぶつかった。冷笑でも侮蔑でもない、睥睨するような感情の読み取れない目だった。
「評判はあまり良くないみたい。規律に厳しい。融通が利かない。意地っ張り。どうやらアナタは人をルールで縛り付けて自分の支配下に置くのが好きみたいね。」
「ち、違う…」
「何が違うの? もう一度言ってあげる。アナタはルールが大好き。ルールさえ守っていたら自分の優位性を確保できると思っている。だからそれを乱す奴は安心できないし、過剰に敵視する。典型的な石頭。」
我知らず拳を震わせる。そんなことは分かってる。年少組の世話を任されたのは、たまたま自分が一番年上だったからだ。リーダー論などさっぱり分からなかったが、それでもやれるだけのことはやったつもりだ。しかしこんな形で批評を受けるのは屈辱でしかなかった。
「まったく、ボスから面白い子が見つかったって言うから来てみれば、こんな軟弱だったなんて。本当に期待外れ。悪いことは言わないからさっさと国に帰りなさい。あ、ゴメンなさい。帰る場所なんて無かったんだっけ。」
あからさまな挑発と分かっていたが、耐えられなかった。残ったなけなしの力を捻り出し頭上のブーツに必死に抗う。その度に踏みつけられたがハリルは起き上がることを諦めなかった。
「オレには何もない…! もう
「へえ…」
頭の重みがスッと遠ざかった。代わりにタオルと水を渡した彼女の横顔は相変わらず鉄面皮だ。ただ眼の色だけはさっきより深く映った。
「15分上げる。次からは吐くまで走りなさい。」
どこかの爆音が届いて回想は終わる。思考が巻き戻ったハリルは戦況確認のために建物の屋上に登った。予想以上にフィリモノフ側の抵抗は激しく、数や地の利もあってまだ戦闘が終わる様子はない。
「テロリスト風情に何を手間取って…」
口中で毒づくが実戦経験のない自分が言ったところで始まらない。経過時間からして逃走がすでに知れ渡ってしまっているだろう。このままノコノコと捕まったら今度こそ
「下がれ! 一時撤退だ!」
銃声にかき消されてしまいほとんど聞こえないが、切迫した声が下から響いた。負傷した味方を抱えた黒いスーツの男がXショットガンを保持して廃墟の中を走る。オルタナとナノマシンのデータリンク機能でスミロア共和国軍だと分かった男の背後には、道幅一杯を縦断する巨大な四角いブルドーザーが追いすがっていた。データベースがシルエットを照合しハンターキラー=
「あんなものまで持ってるなんて…」
ターミネーターの鹵獲機が敵軍で使用されているとは知っていたが、ハンターキラーは絶大な火力で全てを灰燼に帰す怪物的な性能を持っている。間違っても人間が勝てる相手じゃない。今もタンク級の両脇に着いたガトリング砲が前方で動く標的を狙って絶え間なく銃撃を送り込んでおり、いつ流れ弾が当たってもおかしくない。
「いけるのか…?」
思わず自問するが理性が無理だと断言する。ガンツの兵器があれば大抵の危機は対処できるが、今回のは分が悪過ぎる。形こそ逸脱しているが戦車の部類に入るだけあって、こいつの装甲はかなり堅い。Xショットガンだけでは正面から撃ち合うなんて、勝ち負け以前の問題だ。
しかし逆に言えば、ここで奴を倒したら自分の評価は大幅に上乗せされる。仇を討つためには彼らの培ってきた戦闘技術をどうしても習得する必要がある。つまりリスクを掛けるだけの価値がこの戦いにはあるということだ。そもそもここで腰が引けているようでは、アミュレットでは到底やっていけない。数々の言い訳を脳にインプットしたハリルは、一度深く深呼吸して眼下の巨大な敵を見据えた。
「戦車級は索敵機能を中央頭部に集中している。また、頭上からの奇襲も有効…」
密かに盗み見たマニュアルを思い出し、屋上を伝ってタイミングを計る。チャンスは一度。狙いを澄ましてトリガーに指を掛ける。一発だけでは効果がないと見込んで、何回もロックオンのトリガーを引く。照準のレクティルが四重に重なったとき、溜め込んだエネルギーを一気に放射した。
音に気付いたハンターキラーがセンサーの赤い光をハリルに向ける。死神に睨まれた気分だ。左右の砲塔が標的を捉え弾が吐き出されると同時に走り出す。近距離戦での撃ち合いはXガンの即効性が低い分、ファストルック・ファストキルが基本となる。キル仕切れなかったら連射で弾幕を張るか、相手の隙を窺いながら動き続ける。
この場合―相手が重武装で機関砲を装備している―なら回避に徹するのがセオリーだ。まばらなレンガ造りの屋根の間を飛んで、射線からひたすら逃げ回る。
一気に高い場所に登って足場を確保しようと飛んだ時だった。ばら撒かれた弾丸が脛に被弾した。7.62mmの連射を食らってバランスが崩れ、何度も壁に打ち付けられて地に落ちる。スーツのお陰で死ぬことは無かったが、足に疼痛が走る。感覚的に骨にヒビが入ったと分かった。しかも落ちた場所が敵の真正面だ。
キュラキュラと玩具染みた駆動音でキャタピラを進める戦車級が、異端の審問官に見える。プログラムを絶対の真理に据えて、逆らう者には一切の慈悲を許さない機械仕掛けの裁定者。東洋には嘘をつくと舌を引っこ抜く悪魔がいるらしいが、目の前のこれは罪人が舌を抜かれて悶え苦しんでも嬉々とした様子は微塵も出さないだろう。
そして罪人ならぬ敵の自分は機械からしたら、駆除しなければという義務感に駆られて踏み潰されるゴキブリと大差ないのかもしれない。迫りくる死の暴力をどこか遠巻きに思いながら、機銃がフルオートで身体をバラバラにするのを待つ。だが、彼は死ななかった。
弾が発射される直前でハンターキラーの頭頂部が爆発したのだった。今になって、というか絶妙なタイミングで先程のチャージショットが炸裂したのだろう。死の存在感を前にすっかり忘れていた自分の行動を思い出した。照準が狂ったチャンスを見逃さず、Xショットガンを拾い片足の痛みを無視して走り出す。
標的の接近を感知した戦車級が弾を前方に集中する。そのうちの何発かが掠り、何発かが命中したがハリルは止まらなかった。痛みも鈍くなり妙に間延びした時間の中、ただ一点を目指して走る。
火線が十字に交差しようとしたとき、左の機銃が爆発した。後ろに目配せするとさっきの共和国軍兵士が援護してくれたのだと分かった。大きく開いた口が行け、と叫んだのを読み取ったハリルは、懐に飛び込んだところで高く飛び上がった。伸びてくるマニピュレーターをかわし一息に頭上に躍り出る。
頭頂部はチャージショットの威力で甲板がめくり上がり、内部の機構を露出していた。振り落とそうと激しく足掻く頭部にしがみつきながら、配線の隙間にXショットガンを捻じ込む。
「くたばれ!」
これ以上撃てないというほどトリガーを引いたハリルは、直後、世界が爆発したんじゃないかというほど膨大な衝撃に意識を四散させた。
戦争の世界には
『ローガン。今回のROEは確認されてますか?』
「え? あ、ああ、もちろん。要するに『敵は排除してOK。民間人にはノータッチ』でしょ?」
『まあ、そうですけど…今回の任務でアナタは公的に存在しませんが、アミュレット社の関係者である以上、規定は遵守してもらいます。万が一我が社の風評に響いては困りますから…と社長からお達しが来ています。』
「ぼくもサラリーマンだからね。クビになるのは嫌だ。」
『ところでローガン…そのマスクは何ですか?』
モニカが気まずそうに指摘したのは、ぼくが変装マスクを特殊作戦用のそれに被り直したからだ。黒いスーツに合わせた革製の堅い布が右目を覆い、顔の下半分も口から唇をそのまま切り落としたような、歯茎が剥き出しという独特のデザインで隠してある。
人が目にすると異様と恐怖で彩られたさぞかし不気味な顔に映るだろう。鏡で自分の顔を見た本人がそう思ったのだから、他人様ならば尚更だ。皮肉にも白い髪がアンバランスさを際立たせている。この悪趣味としか言いようのない被り物は、アキラからのプレゼントだった。実用性など想定していない作りだったけど、これには一応の理由があった。
「ああ、ヘンテコだろ?」
『いえ! そんなこと…』
「構わないよ。ぼくもそう思ってるんだもの。」
『すみません…』
「これは…何て言うか、ファッションなんだよ。いや、シンボルなのかな。」
要領を得ない解答に首を傾げるばかりのモニカ。仕方がない。裏の世界は色々と事情が複雑なのだ。
「例えるならアメリカンコミックに出てくるヒーローかな。彼らは戦うときにマスクを被るでしょ? アレと同じだよ。」
『隊長の場合はダークヒーローって感じですね。刀も使うからデッドプール?』
「せめてバットマンにしてよ。ぼくは戦闘中に放送禁止用語は言わないからね。」
そんな無駄口を叩きながら建物から建物へと飛び移るぼく。オルタナの隅に表示された時刻は3時26分。目的地の聖堂までは残り2割。順調だ。これなら朝までに片がつくだろう。ひょっとしたら帰りに拾ってもらえるかもしれない。
帰った後のカフェテリアで優雅にモーニングティーを楽しむ想像をしていると、頭に警戒信号が発し急ブレーキを掛けた。意識を凝らして気配を探った。
『どうしました?』
「少し先に敵がいる。数は多くないけど、ルートと丸かぶりだ。」
『ですがレーダーには反応が-』
モニカを無視して腹這いになり屋根の影から違和感の正体を窺う。壁に何か黒いものが張り付いていた。大きさはボーリング球ほどで、人間の腕らしきものが3本生えており、球体の真ん中が赤く光っている。ほとんどの監視カメラがするように、そいつらも赤い光線を出して周囲の様子を監視していた。
「
『そんな…こんな近くにいたなんて。』
進行途中で何個か見かけたが、ここに来てから急に監視網が厳しくなった。裏を返せばこの先には余程大切なものがあるに違いない。以前閲覧した
「制御系を乗っ取った。そっちの端末と同期したから、コイツで内部の動きを探ってくれ。」
『え? 探るって何をですか?』
間の抜けた返答にちょっとコケそうになった。いくら新卒採用でも潜入作戦のオペレートをするなら、言葉の意味くらい察してほしい。
「サイグリーはこの紛争に大量のターミネーターを投入している。となると、どこかにチップを遠隔制御する統括モジュールが存在するはずだ。仔月光にも同様の通信周波数が使用されているはずだから、それを辿ってみてほしいんだ。出来れば、子供たちの居場所も。」
『あ、なるほど…了解しました。すぐに偵察に向かいます!』
元気よく立ち上がった仔月光が、毬のようにポンポンと跳ねて先行していく。余程目立つことをしない限り怪しまれることは無いから、彼女の腕に一任するべきだろう。
その時だった。首筋がざわつく。背筋が剥き出しの刃で撫でられたような寒気が襲い、ぼくは聖堂の一点を見据えた。オルタナの望遠機能が緻密な解像度で窓の中に2人の人影があることを検知する。片方はフィリモノフでもう一方は例のフードの女だったが、頭を覆うものはなくピンクと赤の混じった色の髪が露になっていた。
流石に会話までは拾えないが何やら言い争っているらしい。とは言え、怒鳴り散らしているのはフィリモノフの方で、女は飄々と受け流している感じだ。痺れを切らしたのかフィリモノフが拳銃を抜いたが、なお女の態度は変わらない。結局男は悔し気に立ち去って行った。
手すりに寄り掛かった女がこちらを見た気がした。恐らくは気のせいだろう。あの窓からここまで600mはある。夜間に目視できる距離じゃない。すると女はあろうことかぼくに投げキッスを送って来た。項が逆立ちすぐに壁に身を隠す。
『どうしましたローガン? 心拍数が上がりましたよ?』
視界に割り込んできたモニカのウィンドウを押し退け、敵の位置を再確認すると、女の姿は消えていた。念のために殺気を探り周囲を警戒する。あの寒気も無くなっていた。
「大丈夫。狙撃は回避した。このまま聖堂に向かう。」
そこから先は案外簡単に通り抜けられた。監視の存在は厄介だったけど潜入は得意分野だったぼくにとって、市街地の作戦は隠れる場所も多く好都合だった。廃墟となった寺院の周りに配置された、針の山ほどある仔月光とターミネーターと人間の群れ。その真っただ中を蛇みたいに這って、亀みたいな鈍さで、でも確実に距離を殺していく。
潜入やスパイには007のような派手さはいらない。必要なのは心技体、体力と技術と忍耐だ。ビザンディン建築のレンガ壁の突起を登って割れた窓から侵入すると、中はボロボロの外装にも関わらずあまり荒らされていなかった。建物の大きさからかなりの規模のものだと予測出来ていたけど、実際に見ないと中々どうして分からないものだ。
「妙だな…」
人の気配が感じられないのに、妙な
灯りがないので細部までは見渡せないが、空襲で割れたステンドグラスが招く月明かりで、祭壇の上にあるキリストの十字架像が妖しく反射している。頭に戴いた茨の冠で血を滴らせた下にある、憐れみに満ちた双眸。彼の死後、2000年も過ぎた世界でも人類は戦いを止められずにいる。
より頑丈でより多くの敵を殺せる武器を生み出し、遂には
気配を探り敵が気付いてないことを確かめて、音を立てずにタペストリーを降ろしたロープの上を伝っていく。バランス感覚と集中力が要るが、一気に寺院の中央まで近づける。モニカから通信が入った。
『こちらCP。北棟の最上部に到達。モジュールを特定しました。』
「分かった。掌握したら合図してくれ。ぼくも動く。」
『終わりました。』
「え?」
意外にも早い返事に声を出しそうになった。慎重に安全を確保して網膜上の女性に尋ねる。
「もう掌握したの?」
『はい。セキュリティが少々厄介でしたけど、通信波アルゴリズムの基本構造は以前見たことのあるものだったので。』
子供の算数を解いたような気楽さで話すモニカだが、彼女に仔月光を託してから20分も経ってない。モジュールの捜索は仔月光のログを辿ればいいけど、モジュール自体を奪うのはそう簡単なことではない。事実、彼女の情報処理技能はナイジェルにも劣らない速さだった。
「流石はウチの社員だね。君がオペレーターを任された理由が分かったよ。」
『そんな、主任と比べたらまだまだ未熟ですよ。で、どうします? 状況を開始しますか?』
今のところ警報は一度も鳴ってないし、礼拝堂の警備も手薄な状態だ。飛び降りる位置を選定して合図を送ろうとしたとき、入口の方から話し声が聞こえ、タペストリーの裏に隠れた。例の女だった。
「…ええ、そう。エリクシルが来たわ。
無線を切った女がロングコートを揺らしながら、祭壇の前に跪き祈りを捧げる。近場の蝋燭でその横顔がハッキリと表れる。肌の色はアフリカ系の血を受け継いだように浅黒いが、顔立ちはアングロサクソンに近い細かな造りをしている。アキラみたいに混血なのだろうか。小声でモニカにアクセスする。
「あの女の素性は掴める?」
『今検索中です。ただ、抽出要素が少なくて詳細が判明するには時間が-』
『その必要はないわ。』
突如、回線に全く別の声が割り込んできた。さっきまで下で聞こえていた声だ。ということは-
『こんばんわ。アミュレット社の殿方。お会いできて光栄だわ。』
『そんな…! どうやって周波数を!?』
「…お前は誰だ。」
『さあね。その天幕から降りてくれば分かるのではなくて?』
あからさまな挑発だが、事実そうだ。どのみち通信が無意味になった時点でこちらの位置は特定されている。その証拠に仔月光の赤い光線と側廊の衛兵の銃口が布越しに集まっているのが分かった。
『駄目ですローガン! 潜入がバレた以上、すぐに撤退を-』
切迫した様子で身を乗り出したモニカを尻目に、ぼくは素直に天幕から飛び降りた。すかさず円形に敵が包囲陣を敷いた。女はかなり背が高かった。ぼくより拳2つ分はある。黒地に赤い迷彩柄のベストを羽織っているが、背中が奇妙に盛り上がっている気がした。
「待っていたわ。ジャップ・ザ・リッパー。」
主人公のマスクのデザインですが、描写のとおりほとんど東京喰種です(笑)
アウトロー的な感じがいいかなって…