薄暗い部屋に1人の男が座らされていた。手足は椅子の脚にしっかりと固定され、身に着けているものは何もない。震える手の先から滴った血が地面に凝固した斑点を穿っている。ぼくはその傍にゆっくりと歩み寄り、男の口から猿轡を外した。
「あの、大丈夫でした? すみません。爪を剥がすのって初めてで。やってみると案外難しいなぁ。」
「…フン、資本主義の犬め。貴様らに話すことなど無い。さっさと殺せ。」
いつもの眠たそうな目が今日に限って血走っている。顔に浮き出る大量の汗が顎髭に吸い取られ、いくつかがその先を伝って落ちた。ぼくらはフィリモノフの捕獲に成功した。
トリフェーンが死んだことで何を思ったのかは分からないけど、急にぼくの前に現れて教会に仕掛けた爆弾で道連れにしようとした。もちろんそんなことにはならず、間一髪のタイミングでシェリーが遠距離からの支援射撃で無力化してくれた。よってこうしてぼくは尋問に勤しんでいる。
「そんな怖い顔をしないでください。別に取って食おうってわけじゃない。ただ、サイグリーについて知ってることがあれば、何でも良いので話してほしいんですよ。そうすればアナタはここから解放される。悪い話じゃないでしょう?」
「…お前らのような命を食い物にする
指先にハンマーを振り下ろす。敏感な神経を覆う
「見境なく人命を奪うテロ屋に言われたくはありませんよ。仕方ないな。もっと仲良くなる必要があるらしい。」
「ま、待て! 一体何をする気だ!?」
「爪が落ちただけで人体にはまだまだ痛点が残っている。昔、ぼくもヘマしたことがありましてね。この手のことは少しばかり詳しいんですよ。今回は時間がないからちょっとラフに進めます。」
フィリモノフの汗が倍になり激しく暴れ出す。気持ちは良く分かる。でも今以上に口を割らせるためには回りくどいやり口は逆効果になる。ぼく自身としてもあまりこの仕事するのは好きじゃない。早く終わらせたいのはお互い様だ。だからぼくはなるべくフラットに告げた。
「硫酸ってどんな味かご存知ですか?」
「…で、どうだった?」
「ダメだった。喋ったネタは全部知ってることばかりだったよ。流石に情報統制は徹底されてる。」
事後報告の目途が立ったアキラはフィリモノフの尋問が終わったと報告を受け、タクミと一緒に別の尋問室を訪れていた。とは言っても、映画にあるような机と椅子だけの簡素なものではなく、清潔なベッドやテレビも置かれているタイプの変わった場所だった。そしてそのベッドには東洋系の少女が沈痛な面持ちで虚空を見つめていた。タクミが保護した少女だった。
「どう思う? 実際に見ると。」
「やっぱり俄かには信じられない。あんな子供が私たちの―」
「でも、事実は事実だ。念のために適応検査を受けさせたけど、トップレベルの数値を記録したよ。しかも伸びしろが見えないときた。」
「じゃあ、あの子はアンタと同じ事が出来るってこと?」
「確証はない。けど体に手術の痕跡や薬物が検出されてない以上、彼女が本物なのは疑いようのないことだ。
戦闘終了後、突然の緊急通信を繋げるものだから何事かと問い質してみると、人身売買の商品だった子供たちの引取先を探して欲しいという。そんなことで心臓に悪いエマージェンシーを使うなと釘を刺そうとしたところで、先の台詞が飛び出したわけだ。あの手この手で宥め賺してくるタクミに根負けしたのも原因ではあるが。そこで事情を聞いたカザマが手を打ち、NGOに引き渡す子供から彼女だけをアミュレット社で引き抜いて今に至る。
確証のない提案に苦言を呈するアキラに、珍しく食い下がってきたタクミの直感が間違ってるとは思えない。あの戦場で感じた途轍もないプレッシャーの波動は、この少女のものであることは疑いがない。しかし改めて対面すると、こんな小さな子供が我々のワイルドカードに成り得るとは到底思えなかった。
「対応が間に合って良かったよ。あのままじゃ人権団体に連れて行かれるところだった。」
「どうせ手続きの時に事情を聴かれて、都合の良い広告塔にされるだけよ。『許すまじ! 子供を売り払う冷酷非道のテロリスト』とか銘打ってな。」
「取り敢えず話してみてくれないかな? 女同士だと話しやすいかもしれないから。」
「一応この類の訓練も受けてるけど、私の顔見たら極悪MPと間違って怖がられて終わりのオチだと思うんだけど。」
「あの子はかなり酷いものを見てきた。ぼくを見ても怖がらなかったくらいだから、話し方さえ注意すれば平気だよ。何より要点は彼女が能力を自覚しているかどうかだ。」
「と言うわけで、チェン・シャオリーちゃんだったかしら? 今回アナタを保護した人の上司のナルミヤ・アキラです。挨拶が遅くなってゴメンなさいね。さっきまで怖いおじさんたちと会議だったの。頭の固い頑固者だらけでもう散々。お陰でランチを食べそびれてしまったわ。あ、英語分かる?」
真ん中に置かれたパイプ椅子に腰掛け、机を挟んで反対側に座る少女に、しばらく使ったことのない『優しいお姉さん』スタイルで接触を試みる。だが、生来の気質に合わないことはもちろん、顔の右半分を覆う火傷がネックであることは否めない。シェリー辺りに代わらせたら良かったと後悔した。
少女は中々に整った容貌の持ち主だった。アジア系特有のショートカットの黒髪は快活さとエキゾチックさを見る者に与えそうだが、卵型の輪郭にあるのは大人しそうなブラウンの瞳で、微笑めば小動物みたいな愛くるしさを備えている。しかし今は俯き加減で縮こまっており、小柄な体格もあって怯えた子犬を想起させた。
「…
運営業の激務の傍らで覚えた中国語でコンタクトを図る。日本語と英語はもちろんこの他にもロシア語、フランス語に堪能なアキラだが、昨今の市場を考慮するとやはりこの言語も外せない。何せこの業界、依頼先の4回に1回は中国人と当たるからだ。
しかし相手も中々手強い。同じ言葉を話せば多少は反応があっても良いはずだが、頑なに口を噤んだままだ。この後も腹が減ってないか、何か入用か、など差し障りのない程度に尋ねたが態度は変わらない。終いには通じてないのではないかと思ってしまった。
「
「…上司って…戦争する人たちのですか?」
多少イントネーションがおかしいことを除けば、たどたどしくも聞きやすい発音だった。以前仕事で相手にしたイタリア系のクライアントの方がよほど酷い訛りで喋ったものだ。長い間沈黙を貫いていたという事前の報告に、長期戦になることを予想していただけに拍子抜けしてしまったが、注意深く観察すると少女の目には気弱そうな雰囲気とは裏腹にある種の熱が灯っていた。ここで下手に誤魔化しても会話の芽を摘み取ってしまうことになると感じたアキラは素直に答えた。
「まあ、アナタたちからすればそうなのかもね。確かに私はあの紛争に参加したPMC―アミュレット・インターナショナル・コンサルティングの代表です。」
「PMC…民間軍事会社?」
「へえ、良く勉強してるのね。でもあの辺に学校なんてなかったはずだけど、その英語は誰から教わったの?」
「お父さんから習いました。私の家は代々商家を営んでいて、暮らしは悪くなかったから…」
あの国で東洋人が生活していた区域は限られている。名前から察するに恐らく華僑の人間だろう。しかしそれだけではサイグリーに捕まり監禁されていた理由が分からない。保護してからまだ数日しか経ってないのを無理に聞き出すのも憚られるため、少し聞き方を変えてみることにした。
「ご家族の連絡先は分かるかしら? 知っていたら安否確認はできるはずだから。」
するとシャオリーの目の縁に透明な雫が溢れ、たちまち頬を濡らした。引きつった声を漏らし肩を震わせて両手で顔を覆う。その様子からどういう顛末を辿ったのか予想したアキラは、黙って隣に腰掛けゆっくりと抱き寄せた。少女はされるがままに胸に飛び込み、思う様に泣き続けた。
「…ゴメンなさい。急にこんなこと…」
「気にしないで。アナタは何も悪くないもの。」
落ち着いた頃合で用意したコーヒーを差し出す。まだグズついていたがしっかりとした手で受け取ったシャオリーは一息に中身を飲み干した。意外と健啖家なのかもしれない。どちらにしろ食べるくらいの元気はあるということが分かり、今度は踏み入った質問を出した。
「どうしてあの場所にいたの? それもアナタだけ隔離されてた。」
ピクリと小さな体が反応する。なるべく穏やかに接してみたつもりだったが時期尚早だったようだ。今回はここまでだな、と外にいるタクミに合図しようと席を立つ寸前で、袖を引っ張られた。どうやら話す気はあるらしい。しかし本人にとっては過酷な体験だったことに違いはなく、アキラは根気良く待ち続けることにした。
「…お父さんの仕事に同行したときに出会ったんです。」
頭を撫でたり背中をさすったりすること十数分、シャオリーはポツリポツリと口を開き始めた。
「あの戦いが起きる数ヶ月前に、物資の搬入を手伝う約束で都心に連れて行ってもらったときでした。この国でアフリカ系の人なんて滅多に見ないから印象に残ってたんです。そのときはただ顔を合わせただけで帰りました。」
「お父さんは何を運んでいたの?」
「分かりません。人が入るくらいの木箱をダース単位で運んでました。軍の人たちの食料品だって言われたんですけど、やけに重かったことを覚えてます。」
人が入るくらいの木箱という妙に具体的な言葉に、アキラはおおよその見当を着けていた。たぶん鹵獲したターミネーターだろう。スミロア共和国のように治安が極めて不安定なエリアに物を運ぶには、正規のルートでは危険が高く検問に引っ掛かってお縄に着くことも珍しくない。
サイグリー、ゴールドスタインは事前に地元の業者と接触して独自の輸送網を構築しているのだろう。シャオリーの父親も高い金を掴まされ、事情を知らないまま加担していたに違いない。最早正真正銘のテロリストの手口だった。
「…でも、その後、内戦に巻き込まれて家族が全員死んじゃって…私は偶々買い物で遠出してたので大丈夫だったんですけど…帰ってきたらみんな…!」
再び嗚咽を漏らし出した肩に手を伸ばし、そっと寄り掛からせる。しばらく泣き続けたせいで前よりも落ち着いていた少女は目を真っ赤にしながらも話を再開した。
「行き先が無くなって呆然としていた時に、あの人―トリフェーンって女の人が私を引き取りたいって言い出して、似たような子たちが集まってるって聞いて思わず着いて行っちゃったんです。でも何かの検査をされた後で私だけ離されちゃって、しばらくの間トリフェーンさんに銃やナイフの使い方を覚えさせられました。」
「検査ってどんなの? 何か思い出せない?」
「頭にバケツみたいな帽子を被らされて、お医者さんみたいな人たちが機械に何か打ち込んでました。それに確か…タキオンがどうとかって…」
アキラの形の良い眉がピクリと跳ねる。間違いない。この子は本物だ。可能性としては有り得る話だったが、まさか実在するとは思わなかった。それがこんなタイミングで現れたことは僥倖以外の何物でもない。しかし不味いことに、どうやら向こう側もこの子の価値に気付いていたらしい。ならば時間はあまりない。今にでも始めなければ手遅れになってしまう。アキラはこのチャンスを逃すまいと本題に切り込む決意を固めた。
「ありがとうシャオリーちゃん。もう十分だから結構よ。ゴメンさいね、疲れているところを強引に。これが最後の質問だから許してね。ねえ、シャオリーちゃん。アナタ、同じ夢を何度も見たことない?」
急に質問の方針が変わったことに戸惑いを隠せないシャオリーに真剣な目で構える。今まで優しく接してくれたPMCの女社長の雰囲気が180度変わってしまい、オロオロと目を泳がせる少女の手を両手でしっかりと握り込み、意識して強い声に切り換える。
「大切なことなの。今までの人生で怖い夢を見たことがあるか私に教えて。例えば…死にかけた夢とか。」
「あ、あの社長さん? 何かちょっと怖いですよ…?」
「答えて。本当に大事なことなの。」
「…物心ついた少し後から見始めました。特に機械の化け物が何度も出てきました。」
ため息が出た。望んでいたことではあるし、この事態に引き合わせてくれたことを神に感謝しても足りない。しかしよりにもよって、こんな小さな子でなくても良いだろうに。どのみちこうなってしまった以上、隠し立ては不要だ。アキラは目の前の可憐な黒髪の少女に真実の口を開いた。
「じゃあ、次はこっち。項目はB-6を開いて。」
「は、はい。」
数日後、シャオリーは端末を片手に四輪車に乗って広大な空間を案内されていた。球場並みの広さを誇る施設の中は野戦服の兵士たちが機材のメンテや銃の訓練を行っていた。スタッフの丁寧なケアのお陰で体調はすっかり元に戻り、保護直後の精彩を欠いた様子はない。ただ一つ変わっていることと言えば、その細い肩にA.I.Cのロゴが入った埃色のジャケットを羽織っていることだった。理由は例の会話まで遡る。
『落ち着いた?』
『ええ、まあ…でもちょっと信じられないです。ガンツがスカイネットの正体だったなんて。』
『安心して。それが普通の反応だから。けど、子供の頃からの悩みの原因は分かったでしょう?』
『ループ…でしたっけ? でも私、実際に死んだ覚えなんてありませんよ?』
『それはアナタの感応能力が…はあ、面倒臭くなってきた。とにかくアナタは特別な力を持ってるの。もう世界を動かせるほど強い力をね。ぶっちゃけ神様みたいなものよ。』
『神様って…そんな大げさな。』
『この際だからはっきり忠告するわね。シャオリーちゃん、
『え?』
『今はまだ表層的な段階だから良いけど、アナタを監禁した連中はアナタの価値を知ってしまった。そう遠くないうちにまた連れ去りに来ると思う。』
『そ、そんな…!』
『早とちりしないで。まだ先の話だから。私の知り合いに逃がし屋っていう専門の裏仕事をする人がいて、その人に頼めば素性を変えて奴らの目を誤魔化せるかもしれない。でも、その場合シャオリーちゃん1人で生きていかなければいけないし、護衛を付けるけど安全を完璧に保障できるとは言い切れないのよ。』
『私、殺されるんですか?』
『そうはならないけど元の生活を送れるとは言い難いわね。最悪の場合、また閉じ込められて一生出てこれないかもしれない。そこでさっきの提案なんだけど、実はこの会社にアナタと似たような子たちがいるの。ついでに言えば私たちはそんな子たちを保護する仕事もしてるんだけど…シャオリーちゃんはかなり特殊な部類に入るから、ちゃんとした訓練を受けるべきだと思うの。』
『訓練…?』
『そう訓練。アナタのような強い子は力の使い方を知らなくちゃいけない。でないといつかアナタの中にあるものが、アナタ自身を殺すことになる。だから選んでほしいの。今までの自分を捨てて新しい人生を歩むか、それとも自分の中にある力を飼い慣らすか。』
『急にそんなこと言われたって、私は前の暮らしに戻れれば―』
『甘えるな!』
『しゃ、社長さん…?』
『アンタはもう普通じゃいられないの! 今こうしている間にも世界中がアンタを狙ってる。どこからどんな手を使ってくるか分からない。私たちが見張ってる間はまだ大丈夫だけど、いざというとき自分を守れるのは自分しかいない。そのためにも…ゴメンなさい。ちょっと血が上った。今日はここまでにしましょう。別に強制はしないからじっくりと考えてみて。』
『…ですか。』
『ん?』
『もう元には戻れないんですか?』
『能力を抑えるシステムが開発されてるって話を聞いたことがあるけど、まだ目途も建ってないはずよ。残念だけど。』
『そうですか…分かりました。私をここに入れてください。』
『…本気で言ってる? 取り消すなら今だけど。』
『そのつもりはありません。どうせ断ったってまたビクビクして生きなければいけないんですから。だったら私はこの力を少しでも誰かのために役立てたい。』
『最後の確認よ。本当に私たちのところに来る?』
『はい、行きます。』
『訓練もとても厳しくなる。大人だって逃げ出すくらい辛いものになるけど、それでもいいの?』
『ちょっと嫌ですけど…もう何もできないままは嫌なんです。』
『…分かりました。じゃあこれから手続きに移るから少し待っててね…シャオリーちゃん。』
『何ですか?』
『ありがとう。』
自分より一回り年上の女社長に最敬礼でお辞儀されたら、引けに引けなくなってしまい、シャオリーは正式に社員に認定された。そして今は研修として社の保有する施設を見学している。勢いに呑まれてとんでもないことに巻き込まれてしまったのではないかと負のスパイラルに陥っていた時だった。
「それにしても凄いねシャオちゃんって。」
「え?」
隣の席でハンドルを握っている若い女性が僅かに興奮を滲ませた口調で話しかけてくる。確かオペレーターを担当していると言っていた。胸に付けた社員証のモニカ・ペレイロという名前を思い出したシャオリーは、オウム返しで聞き返した。
「だってまだ子供なのにいきなり戦術科に配属だよ。あの部署かなり競争率高いからほとんどの人が落とされるのに、入って数日で許可が下りたんだもん。こんなの前代未聞よ。ねえ、年いくつ?」
「えっと、15です。」
「えーっ、嘘!? 本当に子供じゃない! アレ? これって労基法違反とかになるんじゃ…?」
「あ、あの…?」
「ああ、ゴメンね。でも驚いたなあ。シャオちゃんみたいな女の子が兵隊さんになりたいだなんて。あ、勝手だけどシャオちゃんって呼ばせてもらっていい? こっちの方が可愛いと思って。」
「ええ、構いませんけど…でもペレイロさんもかなり若くないですか?」
「モニカで良いわよ。そうだなあ…22になるけど確かにまだまだヒヨッ子かもね。ここの人たち平均年齢の割りにレベル高いから。」
「あの不躾と思われるかもしれませんけど、どうしてここに入ったんですか?」
モニカは少し考え込んだ様子になると、苦笑して答えた。
「こう見えても昔は大学で情報を専攻してたんだけど、
「怖くなかったんですか? その、こんな仕事だし。」
「最初はかなり迷ったわ。戦争なんて知っていることはテレビが精々だし、兵隊なんて見たこともなかった。実際この前の戦闘でも…」
「モニカさん?」
「え? あ、ええと、ゴメンね。とにかく後悔はしてないよ。待遇は悪くないし、いい人たちばかりだから。さてと、そろそろかな。」
長く続く地下訓練場をバギーを転がし続けた腕がハンドルを切る。相当奥まで来たようだが人気のなさが却って不気味だ。数分前まではまばらだった銃撃音も遠くで木霊するように響いている。知らず知らずのうちにバギーから降りるのを躊躇ってしまっていた。
「教官! ただいま到着しました!」
とある部屋の扉を開けるとそこには不思議な世界が広がっていた。ガンツを中心に円環に展開された10基ほどの金属の椅子。そのうちのいくつかに若い男性が腰を置き、頭にはガンツと接続された大柄なヘッドギアを装着していた。ゴーグル型のそれは頭部をすっぽりと覆うほど出っ張っており、傍目には機械と一体化した近未来人に見えなくもない。BGMかどうか知らないが何故かガンツからは、ホイットニー・ヒューストンの『I Will Always Love You』が流れていた。
「ああ、モニカさんか。この前はありがとう。君の的確なサポートのお陰でこうして無事に帰ることが出来た。」
「い、いえそんな! こちらこそ隊長のお手伝いが出来て光栄でした。」
照れているのか大仰に手を振ったモニカを野戦服の青年が優しく微笑み返す。年齢的にモニカと大差はない。ただ一目でその特異な外見にシャオリーは目を白黒させた。
中肉中背。顔の造形は東洋系の血が色濃く表れているが、特別整った美形というわけでもない。ゲームで言うなら村人Aみたいな平凡さだ。しかし問題はそれ以外のパーツにあった。何度も脱色を繰り返したのかと思わせるほど白い髪の下には黒い海賊風の眼帯が覗き、反対の頬にはこれ見よがしに一筋の傷跡が大きく縦に走っている。
一昔前に流行ったビジュアルバンドのボーカルよりよほどイタいと思わせる風貌に気後れしたシャオリーは無意識に頬を引きつらせていた。一方でモニカは普通に接しているのだから、他人の感性というのは良く分からない。
「あ、シャオちゃんこっちこっち。今日からアナタの指導を担当する人だから良く覚えておいて。」
「初めまして、というのも変かな。コガ・タクミです。よろしく。」
スッと流れる動きで差し出された手をぎこちなく握り返す。意外に堅い感触にロクに触れたことのない男性の手を意識させられて動揺するシャオリーをよそに、タクミは微笑を崩さないままモニカに告げた。
「じゃあ彼女はこちらで預かるから、君は通常業務の戻って。社長への報告はこっちで済ませておくよ。」
「分かりました。後はお願いします。じゃあシャオちゃん頑張ってね。」
軽く手を振ってモニカが扉の向こうに消えると、残ったのはバギーの駆動音とガンツの流す合成音声のオリコンヒット曲だけとなった。何か言わないといけない。気まずい沈黙が訪れそうな予感がしたので
「あ、あの!」
「ん? 何?」
「この前は助けてもらってありがとうございました!」
腰を直角に曲げるのを通り越して地面に着きそうなくらいお辞儀する。彼のことはよく覚えていた。あの地下室で出くわした時は身ぐるみを剝がされて殺されると思うくらい殺気立っていたが、いくら見た目が怖くても命の恩人に礼を言わないままでは失礼に当たる。
「ああ、そういうのはいいよ。こっちだって君には無理を言って入ってもらったんだ。本当なら頭を下げるのはぼくらの方さ。さて、じゃあチェンさんはこれから何をするか分かるかな?」
「えーと、訓練ですよね? 具体的に何をするかは知らないんですけど。あの機械を使うんですか?」
「いや、GUNQLVERSは使わないよ。確かに君のような
そう言って通されたのは打ちっ放しのコンクリートで固められた議事堂ほどの大きさの空間だった。何かの保管庫なのか擱座した機械の残骸や、雑多に散らばった資材が所々に置かれている。壁に引っ掻いたような跡があったことも違和感の要因の一つだった、
「教官さん、ここは何ですか?」
「訓練場だよ。と言っても他のところとは毛色が少し異なっていてね。暫くの間ここで特訓してもらう。ところで話が変わるけど、君は自分の事をどれくらい理解しているかな?」
「タキオンへの感応能力って奴ですか? 何か相当凄いって聞いたんですけど、いまいち実感が湧かなくて…」
「まあそうだろうね。そこで今回はチェンさんにちょっと実験台になってもらうことになったんだ。良い? 君は今から信じられないことを体験する。たぶん頭が追い付かずに自分を見失ってしまうかもしれない。でも信じてほしい。そうならないようにぼくがサポートするから。良いね?」
「はあ…分かりました。」
「決まりだね。チェンさん、ぼくはコーヒーにガムシロップを何個入れる?」
「知りませんけど。」
「2個だ。この質問をよく覚えておいて。よし、それじゃあ期待の新人にプレゼントだ。」
はい、とタクミが渡したのは小さな立方体の箱だった。可愛らしい猫のプリントがされてある包装紙に、丁寧にリボンが巻かれている。大きさに反して結構重たい中身が気になって包みを解くと、箱を開けた時にピン、と何かが外れる音がした。
足元に落ちたそれはプラスチック製の丸い輪っかだった。そして箱の中身を見ると手の平ほどの卵型の球体が木くずに混じって収まっていた。が、それが何を意味するのか認識する前にシャオリーの視界は真っ白なハレーションを起こし、凄まじい衝撃と一緒にブラックアウトした。
「じゃあ、次はこっち。項目はB-6を開いて。」
気が付くとシャオリーはバギーに乗っていた。A.I.C.のジャケットを着用し、手には端末を持っている。周りは同じ色の服を着込んだ人間が機械のメンテをしたり銃の扱いを訓練していた。そして隣ではついさっき別れたはずのモニカが、ついさっきまで握っていたはずのハンドルを左右に動かして、ついさっきと同じ台詞を喋っていた。
「え?」
「ん? どうかしたのシャオちゃん?」
「私どうしてここに…? さっきまで―」
「大丈夫? どこか具合でも悪いの? 少し休む?」
「い、いえ。すみません。大丈夫です。」
「そう? 気分が悪くなったりしたら遠慮なく言ってね。それにしても凄いね―」
一旦状況を整理してみよう。私はこのPMCに参加するにあたって研修を命じられた。今日は訓練を担当する教官との顔合わせがある。というかあった。そして意味が良く分からない会話が進み、プレゼントと言われて受け取った瞬間―
「ウッ!?」
「キャッ! ちょ、ちょっとシャオちゃん!?」
前触れもなくこみ上げた吐き気に手が間に合わず、たまらずに胃の中を吐き出した同乗者に動転してモニカが慌ててブレーキを踏む。急いで車から降ろして壁際に腰掛けたが、さっきまで元気だった様子の顔が血の気が引いたように青ざめたシャオリーに驚きを隠せず、急いで周囲の野次馬に担架を運ばせようとしたときだった。
『もしもしモニカさん? 少し遅れてるようだけど大丈夫?』
「それが急に具合が悪くなってしまって…今日のミーティングは延期してもらおうとしたところです。」
『そうか。記憶の定着は安定しているのか。』
心なしか嬉しそうな声音に戸惑いを覚えたモニカは、同僚から差し出されたペットボトルをシャオリーの口元に寄せながら
「とにかく彼女は訓練ができる状態ではありません。もう一度ドクターに診せて安静に―」
『いや、その必要はない。そのまま連れてきてほしいんだ。』
「は?」
何を言ってるんだこの男は? 体調を崩した訓練生を今すぐ連れてこい? あそこに医療機器はないはずだ。
『体調が悪いって言っても、ゲロ吐いたくらいでしょ? こっちに連れてくる間に治まるから問題ないよ。』
「ですがコンディションが整わない状態でのトレーニングは―」
『連れて来て。』
思わずゾッとするほどの低い声に言い返す言葉を持ち得なかったモニカは、渋々タクミのところにシャオリーを置いてきた。休憩室に通されてソファにもたれ掛かっていたところに、スポーツドリンクを渡される。しかしさっきの記憶のショックが大きすぎて、正直飲む気にはなれなかった。
「無理を言って悪いね。やっぱり初日だから緊張したのかな?」
「いえ、それよりもっと悪いって言うか…ああ、また思い出しそう。」
たまらずゴミ箱に駆け寄り嘔吐を繰り返す背中をあやすタクミ。一通り吐き気が収まったところでお礼を言おうとした時だった。
「ぼくがコーヒーにガムシロップをいくつ入れるか知ってる?」
このとき気持ち悪さが残っていて幸運だったと思う。そうでなければその言葉の意味を理解するのに数秒早くかかって、吐き気に頭の回線がパンクするのが相乗して手に負えなくなっていたかもしれない。どちらにしても混乱するのは変わらず、質問に上手く答えられなかったが。
「アレ? 覚えてないかな? じゃあ、君にプレゼントがあるんだけど。」
そう言ってタクミが差し出したのは猫の絵柄の箱だった。確かあの中を覗いた瞬間に意識が途絶えた。不可思議な現象の直前に焼き付いた記憶が浮かんだシャオリーは、慎重に言葉を選んで返した。
「すみませんけど手が震えて開けられないんです。もしかしたら
するとどういうことか喜色満面になったタクミがあっさりと箱を退けた。どうやらこれで正解らしい。ホッと安堵した反面、なぜこうなったのか分からないまま、彼の言葉を待った。
「合格だ。おめでとう。これで晴れて君は
「レセプター?」
「タキオン粒子に感応できる人間の名称だよ。嚙み砕いて言えばループに適応できる人間だ。アキラからタキオンについては聞かされているでしょ? 君は数ある受容者の中でも最高の適性を持っているんだよ。GUNQLVERSも完璧に同調できるはずだ。」
「GUNQLVERS…
ガンツによりナノマシンを介して使用者の脳内に疑似的に仮想空間を形成し、人為的に脳波にタキオン粒子を同調させることで、本物とほぼ同等に再現された戦場を何度も繰り返し、訓練時間の大幅短縮を成功させた最新のVR訓練システム。さらには被験者の戦闘能力が劇的に向上したことから、巷では
T-800の爆破テロの少し後に普及したこのプログラムは、世界中の兵士の生存率を底上げしたばかりか、新兵でもベテラン並みの戦果を挙げられる奇跡のOS、とアキラから説明を受けた。
しかしそんな便利なものには制約が付き物で、プログラムを受けるにはタキオン粒子に対する受容量=適応性が求められる。これが受容者の由来だ。つまりは長い間
だが高騰し続ける戦争市場の背景には貧困と破壊が蔓延している。多くの戦災孤児もこれに含まれており、裏ルートでは密かに子供たちをシステムに繋ぎ、強制的に戦士に仕立て上げる事件も起こっている。皮肉なことにこれが一層戦争を煽る要因の一つになっていた。
「隣の部屋では君と同年代の子がシステムで訓練している。でも君はそれ以前に不思議な経験をしたはずだ。ぼくの贈り物を開けた時に。」
「ひょっとして…アレがループ?」
「その通り。君は中々どうして察しが良いね。本来のループは死んだ瞬間にタキオン粒子の作用で決まったポイントに遡るんだ。ぼくの場合は意識が途切れた直後に兵舎のベッドにいた。」
「じゃあ、アナタは私と同じ力を持っているんですか?」
「厳密に言えば違う。ぼくは単体でループを発動できるけど、他人はシステムの補助で疑似的なそれを体験するのが精々。いくら君の才能が著しくても直接粒子を浴びたぼくとでは、脳波の質が根本的に異なるから、ループは使えないんだよ。でも大丈夫。さっきのテストで訓練方法が確立できた。」
「テスト?」
彼が説明する内容はこうだった。曰く、性質が異なってもシャオリーの脳波はタクミに干渉できるほど共鳴指数が高く、彼を媒介にしてループを発生させられる。これはどちらが死亡してもループは発生し、記憶も引き継がれることが後の実験で分かった。タクミはこの法則を利用してシャオリーの訓練を行うことを告げた。
「取り敢えず今回はお試しってことにしよう。」
結局その日は連れてこられた地下の訓練場でスーツに着替えさせられ、ヘトヘトになるまで跳んだり走ったりした挙句、月光の訓練機に1on1を強要され滅多打ちにされた後に、骨と内臓が諸共砕かれるまで踏み潰された。