扉を開くとそこにはいくつかの肉塊が転がっていた。どれもこれも体の色んな穴から血を垂れ流し、絨毯に編み込まれたトライブハートの幾何学模様が赤黒いシミによって台無しになってしまっている。ハリルはそんな家族の成れの果てをただ見ることしかできなかった。するとさっきまで物言わぬタンパク質の人形と化していたはずの父が頭をもたげ
「息子よ、生き延びろ。」
と枯れ木のようにしわがれた音を穴の空いた喉からヒューヒューと零した。大佐の階級に相応しい威厳に満ちた双眸は血の流し過ぎで髑髏の如く窪み落ち、いくつか欠けた指を生前より精彩を欠いた挙動でこちらに伸ばしてくる。
怖くなって隣の部屋に逃げ込むとやはりここにも別の肉塊があった。ベッドの上に素っ裸で放られたそれは隣に放置されたシャベルで殴られ続けたのか、顔は人相が分からなくなるほど腫れ上がり、千切れた片腕が枕元に転がっていたが、その手首に飾られたトパーズが散りばめられた腕輪から母だと判別できた。
「我らの仇を討つのです。それがお前の定め。」
その顔のどこから出てきたのか不思議なほど生きていた頃と同じ母の声が聞こえ、ますます恐怖に侵されかけたとき、ポンポンと背中を叩かれ反射的に振り返ると、5歳下の妹がハリルを見上げていた。母の血を色濃く受け継いだ繊細な顔立ちは当人と違って殴られた痕跡はないが、代わりに賢そうな広めの額に小指ほどの空洞ができ、ついでに剥き出しの股の間からは精液が零れ落ちていた。細い腕が胸に突き立ったナイフを抜いて、傷口から漏れる血漿に汚れちゃうね、と苦笑いしながらもハリルに差し出す。
「兄さん、これでアイツを殺して。私を、私たちを家畜みたいに殺したあの男を。兄さんならきっとできるから。」
ニコリと微笑んだ妹の顔は最早狂気を通り越して解脱したように清々しかった。
アルコールの匂いだ。鼻腔に入り込んだ嗅ぎ慣れた刺激臭を知覚したハリルは、直後に差した光に意識を引き戻させられ、脊髄反射で飛び起きた拍子に首が嫌な音を立てたのを感じた。鈍い痛みにひとしきり苦しんだ後、自分がベッドの上に寝かされていたことを知った。
「あら、起きた?」
仕切られたカーテンの向こうから女性のウィスパーボイスが響き自動的にカーテンが開くと、目の前にはカルテが大量に添付されたデスクと睨めっこしている白人女性がいた。豊かな金髪をフワフワと漂わせ、チェーンに繋がった眼鏡の奥にある穏やかなエメラルドの瞳が患者を優しく見つめている。厚ぼったい官能的な唇から温厚な喋り口に包容力を感じるタイプだった。
「投与からきっかり12時間…ちょうど麻酔が切れたみたいね。」
「ここは…」
「申し遅れました。私はアミュレット社の医療スタッフを務めるミレーヌ・ブノワです。専門は外科だけど他の事もある程度は出来るわよ。そしてここは私の職場。」
ミレーヌは長い間抵抗軍と契約して多くの兵士を診察してきたベテラン女医だった。現場で培った技術と経験は確かなもので、個人的に診察を願い出る者も多い。しかしスカイネットのテロにより職を失い、別の組織で闇医者を続けていた際に偶然仕事でその組織を叩いたアキラによって救出、勧誘されたらしい。
「別に珍しいことでもないのよ。ここで働く古参社員はほとんど社長のスカウトで入ったんだから。」
「そんなにあの人って凄いんですか?」
「あの若さで一企業のトップですもの。生半可な根性じゃやっていけないわ。ただでさえ女には厳しい業界だしね。」
そういうミレーヌもかなり若く見える方だ。特別化粧をしているわけでもないのに、20代でも通用する肌の張りを保っている。後で聞くと御年38という話だそうで、それを聞くとますますギャップが激しくなってしまう。
噂では隠し棚に大量の化粧品が保管されているとか、夜な夜な秘密の実験室で若返りの秘薬を調合しているとか、それを巡って女性職員の間で密かにコミュニティが形成されているとか。真偽はともかくとして彼女の存在はその外見的魅力や優れた腕前もあって、無くてはならないものとなっていた。
「会ったらお礼を言っておくのよ。瀕死のアナタを見つけて社の重役の反対を押し切り、ガンツを使って体を元通りにしてくれたんだから。」
「はい。」
「あと伝言ね。1400に第6訓練場まで来いって。そこで今後の処遇が決まるわ。」
「強制送還ですか?」
「さあ? 少なくとも悪い方向には進んでないみたいだけど。その証拠に―」
ビニールに包装された布を手渡され広げると、グレーの素地にA.I.C.の刺繡が施されたシンプルなデザインの上着だった。裏にはしっかりとハリルの名前が記されている。
「私からの退院祝いね。頑張って。」
「遅いぞ新入り! 予定の5分前行動は常識だろうが!」
診察と諸々の手続きで時間を予想以上に食ってしまい、昼飯もそこそこに訓練場に到着すると、待っていたのは巨漢の黒人の怒号と自分と同じ色の制服を着た同年代の少年少女の集団だった。かつて自分が率いていたグループの子供たちは見受けられず、大半が知らない人間に置き換わっている。
条件反射で身に着いた敬礼をしてすぐに隊列の最後尾に並んだ。どの子供も歳に似つかわしくない乾いた瞳だったのが分かり、また彼らがどういう境遇で生きてきたかも察しがついた。それでも珍しいのは意外にも統制が取れていることで、必ず1人は反発的な一匹狼や
「いいか! 今日からお前らは我が社の正式な職員だ。お前らが今までどんな肥溜めで生きてきたかは知らんし興味もない。だがその小さなおつむで銃を取ることを選んだのなら、与えられた信頼に応えてみせろ。今からお前の隣にいるのはお前の新しい家族、兄弟だ。お前は兄弟を裏切らない。兄弟もお前を裏切らない。それが絶対のルールだ。戦場で頼れるのはガンツでも眉唾物の伝説でもなく確実な信頼関係だ。そのためにお前たちは―」
長いな。開始から10分が経った頃、ハリルは既に話を半分聞き流していた。予め用意していた台詞なのだろうけど、年を食った大柄な職員の語り口は段々と熱を帯びていき、それに反比例するように周囲の少年たちも脱力しかけている。
軍で受けてきた訓練と比べると大したこともないだが、はっきり言って面倒臭いことこの上ない。世界は広くてもお偉方の訓示を延々と聞かされる苦行は万国共通だ。こういう行事には恒例の付き物ではあるが、今のハリルは早く終わらせてほしくて仕方なかった。
先の戦闘で自分は大怪我を負い、程無く死ぬはずだった。しかし社長の命令で治療を受け一命を取り留め、さらには願って止まなかったアミュレット社からの採用を打診されたということは、あの戦いで自分の実力が認められたと考えても不思議ではない。どちらにせよ訓練を始めたい。初陣で掴みかけた感覚をものにするためには1分1秒でも惜しいくらいなのだから。
「…よって、弾もろくに当たらないお前らにとっておきの助っ人を呼んでおいた。お前たちには事前に説明した特殊訓練を受けてもらうが、並行して基礎訓練も実施する。体力自慢の若い連中にはもってこいの特別メニューだ。
暇つぶしに頭の中で戦いの記憶を辿っていたところで、ある
「えー、初めまして。シェリー・セシルです。これから皆さんの訓練を受け持つのでよろしく。」
最低限の挨拶を済ませさっさと引き返したシェリーに場がざわつく。自分達と変わらないほど若く見える女性教官に戸惑い2割、歓喜8割の空気の中で、ハリルだけはこれから起こるであろう未来をありありと思い浮かべてしまっていた。
瓦礫と埃が舞い上がりいくつもの銃弾が穴を穿つ空間をひたすらに突き進む。ハリルは大きめな崩れかけた壁を背にして、付近の様子を窺っていた。前方に2体。鋭敏になった神経が砂塵の中に潜む敵の存在を知らせ、同時に攻撃に移行しようとする気配を感じ取った。
システムのアシストで脳に状況に適した選択肢が数瞬ごとに送られ、視界に光学補正された建物や物体のシルエット、レーダー、身体のパラメータ等々が投影されナノマシンが送信する数値を淡々と映し出す。
接近警報。上方からエアロスタットが蠅みたく飛び回り、改造して取り付けたバルカン砲が砲身を回転させて大量の弾丸を吐き出す。一昔前に流行った自動掃除ロボットのような無人機がチェーンソーに似た唸りを発して出すそれを、脚力を全開にしてオリンピック選手よりも速く、半ば跳ねるように回避する。
目晦ましのチャフグレネードを投げ数秒後には目的地のコテージに突入し、タキオンへの感応で一瞬後に角から敵が来ることを察知したハリルはそのヴィジョンに従ってXショットガンのトリガーを押した。ソファーを蹴倒して衝撃に備える。息つく暇もなく現れたT-600のマシンガンが火を吹き、ソファーにバスバスとくぐもった着弾音が伝わるが、予め設定していたポイントに放ったエネルギーがタイミング良くチタン製の体を真っ二つにした。
「アルファ4、目標地点に到着。これより索敵を開始する。」
『了解。鉄屑どもの反応はない。対人戦に移行せよ。』
作戦の推移を見守る司令部の発したシグナルにより、Xショットガンに自動でセーフティが掛かり、代わりにナノマシンが網膜にYガンの使用許可が下る。SF的なシルエットのガンツの火器の中で、3つに分割された銃身を除けば比較的普通の銃のイメージに近い形のそれは、殺傷機能のない捕獲用の武器だ。
これも4年前の大規模テロのせいで人命に対するイデオロギー認識が高まった結果、ハーグ陸戦協定を批准する全ての軍事組織は非武装の人間に対してガンツの殺傷性を有するあらゆる武器の使用が禁じられたからだ。畢竟、使えるのは唯一の非殺傷武器であるYガンに限られる。今回の敵はターミネーターを違法に密輸入している某内戦国の幹部なものだから、敵がガンツを持っていないという想定で踏み込んでいた。
律儀にも一昔前の野戦服のままでライフルを抱えた男が扉を開けざまに反撃してくる。何発かがスーツを掠めるが気にも留めず、後部のモニタにロックオンのレクティルが灯ると同時に上下のトリガーを押す。Y字状に配置された銃身がブローバックした直後に青白いレーザーで同期したアンカーが放出され、男に真っ直ぐ飛来すると蛇のように絡みつきボルトで地面に固定した。頭から転送が始まるときには既にハリルは次の行動に移っていた。
「来たかアルファ4。」
先行していたチームの一員が大広間で柱に身を寄せながら、上の階から乱射する影に応戦していた。射撃において相手より上に陣取るのは常識だ。そのセオリーは最新鋭の装備に身を包んだ自分たちと時代遅れの旧式銃で武装した敵の間にも適用される。
「手間取ってるな。」
「ああ。お陰で予定より20セコンドオーバーだ。発煙筒がないのが恨めしいよ。」
「付近の味方はどうしてる?」
「ジェスのチームが真上に居るが2分前から応答がない。向こうも足止め食らってるらしい。」
頭上からビンが投げつけられる。口に火が付いたそれは割れると中身をぶちまけて盛大に燃え上がり、肌に暴力的な熱を叩きつけた。だが何より厄介なのは陰に潜んでいた自分たちの姿が明らかになってしまうことだ。煤の匂いと一緒に火薬の刺激臭も混じってくる鼻を抑えて
「狙撃班と繋いでくれ。こちらで誘導する。」
頷いた仲間が戦術データリンクでやり取りする傍らで手甲のコントローラーとYガンを併用し、投射したレーザーを基に敵の位置情報を伝達する。やや遅れて情報確認のコールがここから1kmほど離れた丘陵に待機しているはずの狙撃チームから返る。
数秒後、上階からズドンという重々しい衝撃が響きパラパラと埃が落ちてくる。障害物からそっと頭を出すとさっきまで精一杯撃ちまくっていた敵がいた場所は円形で掘削された跡が穿たれていた。狙撃犯によるZガンの援護射撃だった。ガンツウェポンの中で最大級の火力を誇るZガンは分隊支援火器だけでなく拠点制圧砲撃にも用いられることが多い。変わった使用法には工兵の破砕砲に転用されているくらいだ。
狙撃班に礼を告げてチームの背中に続き一気に回廊を突破する。目的の部屋に到達するのは順調すぎるくらい順調で、厳重な施錠は仲間がウォールバンカーで破壊し扉を蹴り空けると同時に
「待て…何かいる。」
リーダーの指示に全員が隙なく身構える。まだ明る過ぎる室内をオルタナが自動補正し、オブジェクトの位置や味方のシルエットを教えてくれた。が、人数が1人多かった。
「スクラッパーだ!」
仲間の警告の直前に
「固まるな、バラけろ!」
咄嗟にタンスを蹴り上げ進路を塞ぐが時間稼ぎには程遠い。案の定予想し得なかった展開に仲間は浮足立ち、指示に従って動くことが出来ない。この状況では一瞬の判断が生死を分ける。タキオンが再び作用しタンスの向こう側の挙動を察知したハリルは、硬直した肉体を無理に動かし床に伏せた。
一拍遅れて頭上に黒い風が通り過ぎ異常に伸びた剣が壁ごと立っていた仲間を真横から切断した。あっという間に四方八方に血潮が飛び散り、腕に下半身から飛び出た臓腑が零れ落ちる。パニックの寸前まで行きかけたがシステムが感情の揺らぎを検知して脳内物質の分泌を抑制し、戦闘に最適な程度に調整する。
更なるアシストが働き10通りのフォーマットが示されるが、ハリルはそのどれとも違う行動を取った。牽制にアンカーを連射し敵の足を止める。無論弾き返されるが注意が逸れればそれでいい。即座に足元の閃光手榴弾を引き寄せ、ピンを抜いて投げる。これすらも予期され叩き切られるものの、ハリルが窓に到達するには充分だった。
ここが何階かも気にせず突っ込み割れたガラス片と一緒に落下する。着地してブーツから噴出したガスと同時に鳴った轟音に作戦の成功を確信したが、頭上がふと暗くなったことに反射的に空を仰いだのが運の尽きだった。
敵はくたばっていなかった。それどころか先程ハリルが割った窓から身を乗り出し、ジッとこちらを見ているではないか。詰めが甘かった。そう後悔する頃に映ったのは黒い影が飛び降り真っ直ぐに自分に刃先を突き立てる瞬間だった。
「やっぱり納得できねえ。」
2時間後、自販機の前で並んだ同期の少年が拗ねた顔で缶を握り潰す様子に、ハリルは黙って自分のものを飲み干した。
「仕方ないだろ。いきなりの抜き打ちテストだったんだから。」
「そうだとしても限度ってのがあるだろ。あそこでスクラッパーを出してくるなんて、もう嫌がらせとしか思えねえよ。」
今回の訓練は対ゲリラ戦を想定した要人捕獲任務だったのだが、最後の最後でターミネーターより遥かに厄介な駒を配置した会社側の思惑は推して知るべしだった。GUNQLVERSには被験者の適性に応じた訓練を施すことが出来る。射撃が上手いなら狙撃、化学や建築の知識に明るいのなら爆発物の取り扱い、運転に自信があるなら飛行機や車の操縦など、各人に最適な
この訓練を受ける者は受容者の中でも特に秀でた能力を持つ人間のみが選ばれ、特徴としてガンツソードを使用する傾向にある。ただ剣を振るうだけなら適当に剣術でも習えば良いが、銃弾が飛び交う現代の戦場でただ刀を振り回すだけではまったくもって意味がない。
ところが20年以上前にある人物がその矛盾を覆した。その人物は赤いガンツソードを振るいターミネーターを薙ぎ倒すばかりか、銃弾すら叩き落す離れ業を会得していた。マリナ・オーグランという名のその女は既に死亡したが、後年になって謎の英雄ジャップ・ザ・リッパーが同様の戦いを披露している。
研究の結果、両者にはタキオンに対する極めて高い同調が確認され、それによる一種の予知能力が働くらしい。さらに2人は超常的な空間認識能力を備えており、視認ではなく
ずば抜けた直感や反射神経を持っていることも確認され、これまでの戦闘記録を解析した結果、テクノロジーと訓練次第で彼らと同等の感知能力を持つ存在を生み出すことが可能となったのだった。ただその訓練自体も決して易しいものではなく、気が遠くなるほどの時間と鍛錬を重ねなければ、欠片も予知することが出来ない。
GUNQLVERSのアシストで時間の問題はある程度解決できるが、それだけ長く
だがもしそれら全ての関門を潜り抜けかつての英雄たちの領域までたどり着けたのなら、その者は個人で戦況を左右するほどの戦闘能力を発揮する。事実GUNQLVERSが導入されて以来、世界中で卓越した戦果を挙げる兵士が急増し、ターミネーターを瞬時に切り刻む様からやっかみも込めて
「結局全滅だしよ。あの攻撃力は絶対盛ってるぜ。一撃で死亡判定が出やがった。」
「奴らのステータスを考えればおかしくはない。噂ではハーヴェスターを一太刀で倒したって例もあるからな。」
「そうは言うけどよ…」
「ハリル・スライマーンはいるか?」
入社の時に演説していた黒人の教官が良く通る音量で自分の名前を呼ぶのが聞こえた。ウーピー・ゴールドバーグの親戚かと勘違いするほどのボリュームだ。
「はい。」
「社長がお呼びだ。すぐに来い。」
「要件は何でしょうか?」
「本人が直接話すそうだ。遅れるなよ。」
正直嫌な予感しかしない。そもそも一社員に過ぎない若造に直々に伝えたい話とは何なのだろうか。いくら考えても思い当たることは無く、食堂から出てもその話が続いた。
「また何かやらかしたんじゃねえの? 倉庫から酒をかっぱらったとか。」
「オレはイスラム教徒だ。あんな不浄なものは飲まん。」
「お固い奴だな。だから女も出来ねえんだ。」
「そんな暇はないし興味もない。」
「有り得ねえ。人生損し...おい、見ろよあれ。」
内緒話するように耳を寄せてきた同僚の指差す先には、停車したバギーの上で朗らかに談笑する女性社員がいた。片方はOL風の内勤組だがもう一方はハリルたちと同じ戦術科の野戦服を着込んでいる。職種上女性の戦闘員というのは希少種とは言わないまでもあまりお目にかかれないものだ。ただ注目すべき点はもっと他にあった。
若い。それも恐ろしいほど。隣のオペレーターもかなり若いが、この少女に至っては大人にはない幼さがそのまま残っている。GUNQLUVERSの適正期間を反映すれば自分らほどの年頃の少年少女が集められても不思議じゃないが、さらに一回りほど小さく映るのは気のせいだろうか?
「中々可愛かったなあの娘たち。ハリルはどっちが好みだ?」
「あの東洋人ちょっと変わってないか? 小さい方の。」
「へえ、ああいうのがお前のタイプか。」
「いや、そうじゃなくて目がな...」
変な誤解を回避するために真面目に説明しようと試みたが、面倒になって止めた。どっちみち自分にもよく分かっていないのだ。あの少女が顔を背けていた時、人形のように虚ろな目をしていたなど。
「まずは体の動かし方だ。」
月光に蹂躙されること3回で訓練内容が変わった。そのときのタクミがたんこぶをこさえて鼻にティッシュを詰め、ついでにアキラが怖い顔で見学に来ていたのは何故か分からなかったが、この一方的な暴力の渦から逃れられるのは有り難かった。
連れて来られた場所は会社の敷地裏にある山岳だった。温暖湿潤気候と一括りにしても昼間の陽射しは中々にキツい。その中を延々と走り回されては汗腺が開きっぱなしになるのは必然だった。同じようにだらしなく開いた口から忙しなく喘鳴が漏れる。閉じないと体力が保たないと知りながらも足を止める訳にはいかない。そんなことをした途端、背後の追っ手に捕まってしまう。
習ったばかりの移動技術を思い出し、細かくせり出す岩々を飛び移って勢いをつけたまま、自分より倍はある高さの岩壁に片足を引っ掛け蹴り出す反動を利用しててっぺんを掴んだ腕を一気に伸ばす。上体が上がり切れば後は下半身を引きずり上げればいい。前傾姿勢のまま岩を飛び降り手近な草むらに隠れると、すぐに見覚えのあるシルエットが岩を軽々と超えてシャオリーの姿を探す。息を潜めて過ぎ去るのを願うばかりだが、意外にも影はこだわることなくその場を去った。
が、直後にシャオリーの足首が物凄い力で引っ張られ、呆気なく宙ぶらりんの態勢になってしまった。上下逆さまの世界に混乱する頭に電子時計の軽快な音が伝わる。白い髪を陽光に反射させながら追っ手が告げる。
「1分16秒。前回より4秒アップだ。」
シャオリーが受けていたのはパルクールの訓練だった。フランス発祥のこのスポーツは乱立する建物や鬱蒼とする木々の間を効率良く移動する目的で広まり、上達すれば忍者の如く動き回ることが可能となる。この戦争とは縁遠いスポーツが何故か大真面目にカリキュラムに導入されているのだから、タクミの考えていることが分からない。取り敢えず問い質してみれば
「戦略の相違だ。」
と小難しい台詞が飛び出した。
「抵抗軍の一般兵に対するガンツスーツは、『鎧』の認識を叩き込まれる。まあ、何発か当たっても良いから確実に撃ち殺せって意味だけど、特殊作戦要員は全く逆の文字通りの『強化服』としての使い方を仕込まれる。一般兵と違ってアクロバティックな任務を要求されることも多いからね。」
だから少しでも効率良い動き方を覚えさせられる。実際に障害物の行軍では専門の訓練を受けたチームが倍以上の差をつけてゴールに到達したそうだ。だが理屈と実践は別物だ。激しい運動というのはそれだけ肉体に対する負担に比例する。いくら山育ちで優れた柔軟性と俊敏性を持ち合わせていても、若干15歳の少女に何時間もぶっ続けで飛び回るスタミナを期待するのは酷というものだ。
しかも相手も悪過ぎる。お互い生身だというのにこの眼帯の教官は猿みたいに枝や地面を飛び移り、どんな場所に隠れてもあっさりとシャオリーを発見してしまう。最初はただ鬼ごっこするだけだと言われたのに、一向に順番が変わらない。遊びにかこつけた訓練だと分かっていてもこれでは面白くなかった。
「あの、これ何か意味あるんですか? スーツがあるんだったら大して変わらないと思いますけど。」
息も絶え絶えに募っていた疑問を口にしてみる。
「特にないよ?」
「え?」
「ああ、ゴメン。言い方が悪かった。訓練自体に意味はあるよ。ただぼくが教えているのは生き残るための基礎知識だけで、言う通りにすれば強くなるわけじゃない。大事なのはそれをどう工夫するかだ。例えばさっきすぐに隠れたよね。ぼくは逃げろと言っただけで隠れろなんて言ってない。」
「鬼ごっこって言ってたから隠れるのもアリって思って…だ、ダメでしたか?」
「真逆だよ。寧ろこれからの訓練でもっとするべきだ。事前にルートを決めるも良し、罠を仕掛けるも良し。訓練以外でぼくを殺すつもりで狙っても良い。ここはお上品な騎兵隊を育てる場所じゃないんだ。生き残りたければ必死に頭を回せ。言われたことを鵜呑みにするな。生憎と学ぶ時間はいくらでもある。」
その後はシェリーの許で射撃。携行もしやすいアサルトライフルでもシャオリーの体格には大きく、腰だめで300m先の標的に向けて引き金を絞る。耳に鋭い銃声が、腹に軽い衝撃が走る。が、的に当たったときのくぐもった音はせず、代わりに目標から大きく逸れてコンクリートの壁に硬質な反射音が響いた。
「トリフェーンのところで指導を受けたって聞いたけど、聞き間違い?」
双眼鏡で覗いたシェリーがポツリと呟く。心なしか失望した成分が含まれていた気がした。
「受けてたけど…すみません。」
「まあ、良いわ。努力次第で何とかなるから。次弾装填。次は伏射姿勢で撃って。」
「は、はい。あっ…」
変に焦ったせいか手が滑り指先に挟んだ弾丸が床に転がる。その音に混じって後ろに控えた訓練生の声も聞こえた。
「オイ見ろよ。あのチビまともに給弾も出来てねえぜ。」
「弾もほとんど命中してないようだな。何であんなガキがセシル教官に教えてもらってんだよ。」
自覚があるだけに彼らの言葉は余計に尖った感触を胸に感じさせた。
お次は
「肩で息をするな。落ち着いて小出しに呼吸するんだ。」
「は、はい…」
何度も投げられて床に叩き付けられること数十分。立ち上がるどころか腕を着くことさえ出来ないほど疲弊していた。もう二度と立てないのではないか。そう思わせるくらいに心身ともに尽き果てていた。幸いなことにその日は独りでに意識を失って終わった。
「ちょっと厳しすぎやしないか?」
A.I.C.の社屋に据え置かれた
「何が?」
「あの女の子のことだ。いくら何でもやり過ぎだろう。まだ3日だぞ。」
「別に死ぬような危険なことはやってないよ。もしものことがあればリセットすれば済む。」
「違う。心の問題だ。本当ならあの子はまだカウンセリングが必要な段階なんだ。それを無理に徴用してストレスを与えれば、最悪壊れてしまう。」
「そのために訓練を分担して効率的に回してるんじゃないか。さっきまで格技場で稽古に付き合ってたんでしょ?」
「だがヘトヘトだったぞ。お前のがきつ過ぎるからだ。もう少し優しくしないと嫌われる。」
「その点についてはアキラにも指摘されたよ。流石に初っ端から月光と戦わせたことは失敗だったと思ってる。けど時間が押し迫ってることも事実なんだ。今朝ミレーヌさんからシャオリーについて継承記憶の一部に欠損が見られたと連絡があった。どうやら
記憶の定着は1日8回まで。それが衛生科及び技術科の出した結論だった。それでも常人の8倍のスピードで経験値を稼げるのは驚異的だ。改めて彼らの価値が計り知れないものだと分かる。タクミ自身の意向で戦闘以外でループを使うことは無いが、その気になれば現実を思うがままに書き換えられる力はどんな兵器より―それこそ核爆弾より遥かに―恐ろしいものだ。もしもの事態を想像しゾッとするのを止めたカザマは
「それはそうと、お前の申請が通ったぞ。これでようやく数が揃った。」
「本当?」
「他の幹部連を説得するのは苦労した。正直まだ風当たりは強いし、お前も心得ておいた方が良い。」
「十分だよ。
「たとえ子供に武器を持たせても…か。」
ライムを齧って塩を舐めショットグラスに注がれた透明の液体を一息で飲み干す。決して酒に強くない体質だが、そうでもしないとこの同僚が抱えているはずのストレスを緩和させるのは難しいだろう。この先さえ何度も少女を殺さなければならないのだから。下手をするとトラウマを刺激しかねないので、その少女の評価を探ると
「化け物だよ。」
の一言が返って来た。
「これまで色んな人材を見てきたけど、あれほどの才能を持った子は初めてだ。もしヨコスカでループを体験したのがあの子だったら、歴史が変わっていたかもしれない。それに性格面に難があるけど覚えも早いし機転も利く。運動能力に関してもかなりのものだ。鍛え甲斐があるよ。」
「じゃあ良いんだな? チェン・シャオリーを遊撃隊に抜擢すると。」
「待ってくださいよ。」
明後日の方から声が響いた。振り返ると薄暗いボックス席で屯っていた若手グループの1人がしかめ面でこちらを睨んでいる。中々の体格で兵士には充分なほどの屈強さをアピールし、浅黒い肌に覆われた顎は剃り残した無精髭が伸び、多少のだらしなさがあるものの不思議とセクシーな雰囲気も放出している。当人もそれを自覚しているのか制服を所々着崩して胸元を大胆に開いていた。