いつも通りに倉庫に入ると、有り得ない光景が広がっていた。人が二人もいる。
それにどちらも見知った顔で、下着姿で拘束されたアキラと興奮で顔を赤くした昼間の男がそろってぼくを凝視していた。
いきなりのイベントに面食らったけど、とりあえず
「えーと、取り込み中申し訳ないんだけど、ぼくこれからここでトレーニングしなきゃいけないんだ。悪いけど別の場所でやってくれないかな?」
何歩か踏み出すと、ドレッドヘアが黒い物体を向けてきた。見たとこ軍正式採用のハンドガンだけど、常時携帯は発令されてないし、後ろに並んだ同種品から盗んだものだと判別がついた。
ついでにアキラにも視線を移すと、お腹には痣ができ、顔も腫れているのが分かって、ぼくはようやく状況を理解できた。
「…どうやらそういうプレイじゃなさそうだね。」
ゆっくりと距離を詰めながら相手を観察する。
「来んじゃねえ!」
と
「逃げろタクミ!」
が同時に響き、ぼくは倉庫の中央に留まった。
「そこにいろ。今殺しに行ってやる。」
頭に血が上っているのかドレッドヘアは目を血走らせて歩み寄り、3メートルほど空けて止まった。銃口は小刻みに震え、慣れない状況に錯乱している。
下手に刺激すれば逆効果で、アキラも人質にされた状態だ。でも、ぼくは冷静だった。思考がマヒした人間の対処法はマザーが教えてくれたし、何よりぼく自身がそうだったからだ。せっかくいいところで邪魔されたんだから、相手の気持ちが少し分かる。
早くトレーニングに移りたかったから、一番シンプルなやり方を選ぶことにした。
「撃てるの?」
顔筋を総動員して嘲笑った表情を作り出す。今までいじめられてた手前、変に力みすぎたか心配だったけど、ドレッドヘアは引っかかってくれた。
「ああ?」
怒りが頂点に達し、こめかみに銃を突きつけられる。計算通りの位置だった。
「今何つった?」
完全に理性が飛んだ男は拳銃が活かせる距離を自分で殺したことに最後まで気づかなかった。
ぼくの戦闘シュミレーターが対人戦用に置き換わり、左腕で銃を跳ねあげ狙いを外しつつ身を沈める。相手がたじろいだ一瞬で当身を入れ、右手を銃に添える。そのまま両手で腕を少しひねったら、ドレッドヘアは簡単に投げられていた。
無様に地面に叩き付けられたけど、すぐにトリガーを引く。
でも撃鉄の音はなく、なぜか軽くなった右手を見ると、あるはずのものが消えていた。
「スライドが…!」
「返すよ。」
目の前にバラバラになったパーツが散らばる。ぼくが銃をつかんだ間に分解したのだった。呆けた目を向けてきたもののドレッドヘアは諦めず、格闘の体勢に移り、右フックを振るった。
その動きを予測したぼくは、拳の勢いが乗る前に踏み込み腕を抑えて鳩尾に一発かまし、相手が怯んだ隙に腕の骨をへし折ってやった。悲鳴が漏れ、巨体が折れた箇所に手をやりながらうずくまる。
「そこでしばらく頭を冷やしておいた方がいいよ。」
久々の爽快な気分に思わず強気な言い方になってしまったけど、相手は納得できないらしく、根性で立ち上がると負傷しているにも関わらず無理矢理連打の嵐を浴びせかかった。
純粋な殺意を込めたいいパンチだったけど、ダメージを受けた分動きが鈍い。
「足元をよく見なきゃ。」
アドバイスした部分を思い切り踏みつけてやった。もう一度うめいたドレッドヘアが硬直した間にブレた拳に片手を添えて軽く円を描くと、綺麗に飛んで一回転してくれた。それなりに時間を稼ぎアキラを逃がそうとしたけど、途端に激しい頭痛がぼくに襲い掛かった。これまでとは比較にならない痛みで立てなくなる。
ぼやける視界の中で、千載一遇のチャンスに巡り合ったような笑いを上げたドレッドヘアがケガを押してズルズルと近寄ってくる。
殴り飛ばされ、押さえつけられ、これでもかと顔面を殴打された。毛細血管が破れて視界が赤くなっても、伊達に鍛えてない精神力はぼくを失神させてくれなかった。
きっと顔面が5cmは潰れたなと思えるくらい殴られまくったとき、さっきから沸々とたぎっていたどす黒い何かが突然噴き出してぼくを支配し、腕を振り上げてがら空きになったドレッドヘアのにやけ顔に、全力のカウンターをめり込ませた。
パキュッと小気味良い音が鳴り、気絶したのかドレッドヘアが起き上がることはなく、ぼくは寄りかかった巨体から這い出し、アキラの拘束を解こうと近づいたときだった。
「…アンタ、誰?」
涙の跡を残したままのアキラがボソッと呟いた。
「アキラ、どうかした?どこか痛い?」
傷の具合を見ようとして彼女に触れかけた。
「イヤッ!」
身体を揺らすアキラに訳が分からず戸惑っていると、揺れた拍子に備品入れから一枚の鏡が落ちた。何気なく拾ったらそこに映ったものを見て愕然とした。
殴られて腫れているにも関わらず、目はこれ以上ないくらい開き、口角も異常に吊り上がっている。顔中血まみれのせいで余計不気味に感じられた。例えるなら『チャイルド・プレイ』のチャッキーみたいな感じだ。
自分でもこんな顔になるのかと疑ったけど、鏡の笑顔は紛れもなくコガ・タクミのものだった。
不意にあの時の感触を思い出し、ドレッドヘアに駆け寄る。予想は当たっていた。
未知の衝動に促され、リミッターを外したぼくのパンチは彼の顔を一回転させ、目玉と首の骨を飛び出させていた。のっぺりとうつ伏せになった体の腰の辺りから、にじんだ黒いシミと液体が異臭を放つ。
「アンタ、誰?」
背後からひどく優しい声が響き振り返ると、震えながらもアキラが答えを待っていた。すでに顔は元通りだったけど、上手に返事をする自信はなかった。
黙ったまま近づき、縄を解いて散らばった服と毛布をよこした。
「ごめんね。ぼくのせいで怖い思いをさせてしまって。」
怖いのはぼくの方だ。倉庫から逃げたあとはひたすら走った。
殺人の事実が怖かった。望んでそれを実行した自分が怖かった。でも何よりそれができてしまうこの力が怖かった。
走りつくして倒れると周りは海と砂だけだった。どうやら基地の外に出たらしい。
『お前はもう昔の自分には戻れない。』
どこからかマザーの声が聞こえ、涙がこぼれた。
もっとちゃんと聞いておくべきだったのに。そうしたらこんなことにはならなかったのに。
地面に拳を打ちつけると、金属の音が混じって聞こえた。最初に基地を脱走したときにターミネーターに撃ち殺されたように、海から同じシルエットが現れたけど、このときのぼくには神様の救いの手が差し伸べられたのだと思った。
ぼくは初めて自分から死を受け入れた。