訓練開始から20分、ついに均衡が崩れた。注意が切れた一瞬を見抜かれ、相手が力を緩めた途端、鍔迫り合いが解かれてよろけたぼくは、全身を切り刻まれた。
溜まった唾と一緒にスーツから液体が流れると、マザーがぼくをリセットすべく剣を刺そうとした。が、
「何かあったか?」
「は?」
「顔にそう書いてある。」
図星なのだが話す気にはなれなかった。教わった技術で人を殺しましたなんて言いたくもない。
「さあ、忘れたよ。」
「人を殺したな?」
心臓が一際高鳴り、前の回の記憶が生々しく浮かぶ。
汚物を撒いて横たわったドレッドヘア、恐怖におびえるアキラ、あの殴った感触が腕に蘇り、たまらずぼくの胃の中身が逆流した。
あらかた吐いた後、呼吸を整える。
「気味が悪いな。何でも知ってるように聞こえるよ。」
「似たようなやつを何人も見てきた。恥じることはない。」
マザーの淡々とした声音がぼくのブレを奥まで射抜いていた。
「お前、何が得意なんだ?」
唐突に話題を変えたマザーの意図が分からず、ぼくは首をかしげる。彼女の言うことなんだから、何か意味があるのかもしれない。
「何かあるだろう。」
「絵を描くこと…かな。」
自信なく答えてしまったのは、中学のコンクールが原因だった。美術の授業で出場者を決定するので、期日までに作品を提出しろと言われた。
どちらかといえば上手かったぼくは、顧問にもそこそこ期待され、自分でも出場枠に引っかかってくれたらいいなと思っていた。
もちろん勉強をないがしろにして取り組む科目じゃないが、合間を縫って仕上げようとしたぼくは親に見つかってしまい失敗した。
何だこれは。こんなものに時間を使うなら、一問でも解け。
とは言え、申し込んだので出さないわけにはいかず、ほとんど適当に描き上げ、予想を裏切らず落選した。結局、これで戦意を喪失し家庭状況の悪化と多忙さもあって、ぼくはそれ以来筆から距離を置くようになった。
「じゃあ、描いてみろ。」
「…さっきからマザー様子がおかしいよ。」
「いいからやれ。命令だ。」
マザーの突然の指示に余計理解できなかったけど、命令ならば仕方がない。
というわけで、ぼくはPXで勝ったスケッチブックとペンを数年ぶりに手に取った。線を引くだけの単純な作業でも、驚くほどの喜びを感じた。何もない空間に躍動が生まれ、命が芽吹くのだから。久しぶりの快感に夢中で手を動かしたけど、長いブランクは簡単には埋まらず、思ったよりひどくなってしまった。
マザーに見せると
「すごいな。大したものだ。」
「だったらちょっとは笑ってほしいな。」
確かに、観察しているときのマザーはいつもの厳しい表情だったし、全体的に陰のある雰囲気になっている。
「アンタあんまり笑わないし。描いてる時も仏頂面でさ。」
「うるさい。」
そう言いながらも、マザーはしげしげとヴァイオリンを覗き込んでいた。少し頬を緩めたらきれいなのに。
そのとき、ぼくの頭に閃きが走った。時間はかかるが、ぼくには関係ない。
「じゃあさ、もう1回チャンスくれないかな。今度はぼくが凄い絵を描いてちゃんとマザーをびっくりさせるから。」
思いがけない提案にマザーは目をパチクリさせたけど、
「いいだろう。上手くできたら一杯おごってやる。」
と了解してくれた。
その回からぼくは、イメトレの代わりに積極的に筆を握るようになり、手のかかる報告書も無視してスケッチブックにのめり込んだ。今にして思えば、ケアとしてマザーの思惑に乗っかった形になるけど、気にはならなかった。何であれ休息は必要だし、人に腕前を褒められたのは初めてだった。
実際、効果はあった。観察力が身に着いたのか、以前より明確に相手の動きを読めるようになったのだ。今では銃口の向きと筋肉の連動を察知し、弾丸の軌道を予測することもできる。仕草や体つきからその人が何の仕事についているかも予想するようになった。
ぼくはマザーに対して深い感謝と敬愛を覚えた。もしあのまま打ち明けなかったら狂っていたに違いない。
200回近く彼女と鍛錬した経験は、もはやぼくと一体化しつつあり、ぼくの中にマザーが息づいていた。あの人とだったら、きっとこのループを乗り越えられる。そう確信することで、ぼくはより戦いに打ち込めるようになった。
214周目、ナイジェルを爆弾から庇って死亡。52体撃破。
231周目、スーツの故障で戦えなくなり死亡。67体撃破。
256周目、敵のトラップにはまって死亡。83体撃破。
269周目、頭痛のひどい回で意識が途切れた。96体撃破。
このころになると昔の勘も戻り、テーマや構想も試行錯誤の末に決まって、大体のステップはクリアした。あとは練習して届けるだけだ。
そして完成形が見えてきた277周目…