2-01 再び中学生な私
「雪乃、雪乃ってば!」
隣で聞こえるさつきの声に、私は意識を取り戻した。白い空間から急に現実へと引き戻された感じだ。キョロキョロ辺りを見回す私の隣で、さつきは心配そうな顔をしている。
「大丈夫?」
「うん、えーと……」
いまいち状況が掴めない。見回すと保健室のようだった。さつきは帝光中の制服を着ているし、私も中学生なのだろう。
「雪乃、どうしたの? 大丈夫?」
「雪乃っち、授業中に急に倒れたんスよ。保険医はただの貧血だろうって言ってたけど、ホントに大丈夫っスか?」
さつきの隣に居た黄瀬君がそう説明する。それで私は寝ていたのかと納得した。しかしながら私と黄瀬君の関係性がいまいち分からないのだが……。
「倒れた雪乃を、きーちゃんが運んでくれたんだよ」
「同じクラスのよしみっスよ。部活でも世話になってますし!」
にこにこと笑う黄瀬君に「ありがとう」と礼を言う。会話の内容から察するに、どうやら私と黄瀬君は同じクラスで、黄瀬君は既にバスケ部に入っているらしい。つまり私は今、中学二年生のようだ。
「おう雪乃、起きたか?」
体を起こしていると、ひょっこりと大輝君が顔を出した。やっぱり大輝君も帝光中の制服姿で、手には私の鞄もある。
「あれ、部活は?」
「期末考査前だからないですよ。大丈夫ですか、村瀬さん」
「うわっ!?」
気付かなかったが、大輝君の隣には黒子君の姿があったらしい。いきなり話しかけられると未だに驚いてしまう。「大袈裟に驚いてごめんね」と謝ると、黒子君は「いえ、気にしないで下さい」と小さく首を横に振った。
「今から青峰君が桃井さんのノートをコピーしに行くそうなんですが、行けそうですか?」
「うん、大丈夫。付いていくよ」
靴を履きながら「コンビニ行くの?」と訊ねると、黒子君が「いえ、ゲーセンです」と答える。ゲーセン……ああ、何度か行った事がある、あの小さなゲーセンだろうか。
しかし『ここ』での私は彼らと行ったかどうだか定かではないので、曖昧に話を合わせる。大輝君から鞄を受け取りながら「私も行くよ」と当たり障りのない台詞を言うと、黄瀬君が笑いながら応じた。
「雪乃っちはこの間来れなかったんスけど、中間試験の時に皆でゲーセン行ったんスよ~」
黄瀬君が笑いながら、その時の話をする。“前”の私は一緒に行ったのだが、この時間軸の私は皆と行っていないらしい。
「さつきが面倒なヤツにめっちゃ絡まれるしなー」
「うっ、でも、助けてくれてありがとうって言ったじゃない!」
じゃれる大輝君とさつきを微笑ましく思いながら後ろを付いていくと、いつの間にか私の両脇には黒子君と黄瀬君が陣取っていた。
「雪乃っちて、ホントに青峰っちと桃っちの保護者みたいっスよね」
「そうかな?」
「はい、二人を見ている時の村瀬さんはとても優しい顔をしてます」
そんなに表情が変わっているだろうか。自分の頬を撫でてみると、黒子君は柔らかな笑顔を浮かべた。その愛らしさにキュンと胸が鳴る。
不意討ちだった。さすが、さつきが好きになるだけのことはある。
「大輝君とさつきも大事だけど、私は皆も同じくらい大好きで大事なんだよ」
黒子君も黄瀬君も大好きだよ、と告げると二人は少し照れたような顔で笑った。
*
コピー機のあるゲーセンは大型スーパーの屋上にあった。何度か来たことがあるが、小ぢんまりとした場所だ。
「おら、さつき。早くノート貸せ」
「ちょっと、何でそんなに偉そうなの!」
慣れた様子でコピー機の方へ向かう大輝君の後を、さつきが追いかけていく。黄瀬君はというとファンの女子に見つかってしまったらしい。あっという間に囲まれて、写真シールの方向へと連れ去られていった。こんな時、やっぱり黄瀬君はモデルなんだなあと実感する。
「黒子君はどうする……って、あれ?」
隣の黒子君に話し掛けようとしたら、いつの間にか消えていた。一言くらいくれればいいのにな、と思ったりする。
私は仕方なく一人で自販機の並ぶ一角へ向かった。喉が渇いたので冷たいジュースでも飲みたい。
愛用の財布から小銭を取り出し、自販機の投入口に入れた時だ。
「ねえねえ、君! 一人なの?」
一人の少年が馴れ馴れしく話し掛けてきた。高校生だろうか、学ランを着てスポーツバッグを提げている。茶髪で人懐こい笑顔をした少年だ。
私は無視して、オレンジジュースのボタンを押す。少年はニコニコした笑顔で私との距離を詰めてきた。
「君、可愛いね」
確かに、自分で言うのも何だが私の顔は整っている。トリップ前は至極平凡だったのだが、こちらに来て顔も体型もまるっと変わってしまった。今現在は美形の両親の遺伝だろう、さつきと並んでいても目劣りしない程の美少女だ。客観的に見て。
私は少年を放置して、ジュースの缶を開ける。そして一気に飲み干した。
私の体は思った以上に水分を欲していたらしい。自分でも驚く程の飲みっぷりだった。
空になった缶を空き缶用のゴミ箱に捨て、ベンチに座る。呆気にとられた様子で私の一気飲み姿を見ていた少年だったが我に返ったのか、また笑顔で私の隣に腰かけた。
「顔に似合わず豪快だねえ」
「で、お兄さんは何か悩み事でもあるんですか?」
私の言葉に少年は驚いたような顔をする。「何で?」と問われて私は「何となく」と答えた。
強いて言えば、笑顔に違和感があったのだ。自棄になって女の子に声をかける、という行動を取ったように感じた。
「別に悩みとかは……」
「よく知らない人だから話せるという事もありますよ。そうですね、部活絡みで何かありましたか?」
「なっ、何で……!」
「お兄さんのスポーツバッグと靴、大分くたびれてます。見た感じ運動部か何か――右腕だけが若干太いので、テニス部でしょうか。日頃は懸命に部活に打ち込んでるように思えます。でもそんな真面目に部活に励むお兄さんが、ゲーセンで女の子にナンパ紛いの事をしている……部活に行き辛い事でもありましたか?」
私の長台詞に少年は呆然とした顔をして、それから軽く拍手をする。どうやら当たりだったらしい。
「すげえな、当たりだ。テニス部に入ってる。一応レギュラー……だった」
と、少年は情けない顔で笑った。私は黙って少年の言葉を待つ。
「先週……レギュラー落ちしたんだよね。同じ二年のダチと試合して負けて、ダチがレギュラー入りしたよ。そのダチがまた気まずそうな顔して俺を見るんだよねー」
「その友達に気を遣われるのが嫌で、ここに?」
「……それもあるかなー」
煮え切らない態度だ。
「お兄さん、その友達より強かったんでしょ?」
「ああ、俺の方がずっと強かったよ」
「へえ、その友達にレギュラーを取られたのが悔しい?」
少年の目をじっと見据える。すると、その顔が歪んだ。
「悔しいに決まってんだろ!」
本音だった。つまり格下だとどこかで思っていた相手に追い抜かされた事が信じられないんだろう。悔しそうな顔をするお兄さんの頭に、手を乗せる。
「お兄さんが頑張った以上に、その友達は頑張っていたんですよ。だから、追い抜かされたなら、また追い越してやればいいんです。それだけの話です」
「そんな簡単に……!」
反発する少年に、私はにこりと微笑んだ。
「簡単じゃないですけど、努力はお兄さんを裏切らないです。努力したら努力しただけ、きっとお兄さんの力になります」
なでなでと撫でると、少年はまた情けない顔で笑う。それから真面目な顔をして、立ち上がった。
「……じゃあ、行くわ」
「どこ行くんですか?」
「部活に戻る」
吹っ切れた顔で「ありがとな」と笑う少年。私は「頑張って」と緩く笑い返した。
そして少年はゲーセンを出ていく。うんうん。少年よ、負けるな。
「オイこら」
少年の力になれた事が嬉しくて頷いていると、ベシッと急に頭を叩かれた。頭を押さえながら顔を上げると、そこには大輝君の姿。何故か不機嫌そうだった。
何故か、さつきも黄瀬君も揃っている。あ、黒子君もいた。
「雪乃っちが変なヤツに絡まれてると思って、慌てて来たんスよ~?」
黄瀬君が眉を情けなく下げる。「それはありがとう」と礼を言うと苦笑した。
「誰かれ構わず世話焼いてんじゃねぇぞ。このお人好し」
大輝君がムッとした顔で私の頭をわしゃわしゃと荒っぽく撫でる。さつきは「雪乃らしいけど」と困ったように笑った。
黒子君は「何事もなくて良かったです」と小さく笑って、私に何かぬいぐるみを手渡した。ふわふわした黒ウサギのぬいぐるみだ。凄く可愛い。
「村瀬さん、どこか元気なかったようなので。あげます」
随分と高い観察力だ。まだ『ここ』に馴染めていない私に気付いたらしい。
私は「ありがとう」と黒ウサギに顔を埋めた。さつきが「いいなあ」といった様子でこちらを見ている。ちょっと悪い気がした。
「桃井さんにも、どうぞ」
しかし、さすが黒子君。空気を読める人だ。ふわふわした白ウサギのぬいぐるみを、さつきに渡す。私の黒ウサギと色違いのようだった。
感動でプルプル震えるさつきに、黒子君は「村瀬さんとお揃いですよ」と小さく微笑んだ。さつきが感激の余りふらっと後ろに倒れかけた。恐るべし、黒子君。
「ノートもコピーしたし帰るか」
「えー、もうっスかー?」
黄瀬君が渋る。
「せっかくだし雪乃っちとも一緒に写真シール撮りましょうよ!」
「お前は女子か」
「あ、私も撮りたい! テツ君もいいよね!?」
「はい、僕は構いませんよ」
大輝君以外は皆、乗り気だった。さつきに腕を引っ張られ、写真シールの一角へと連れて行かれる。
カーテンで仕切られた空間にぞろぞろと入る私達。さつきが楽しそうにパネルを操作した。
「じゃ、撮るよー!」
「黒子君は真ん中ね」
「はあ」
「黒子っち、両手に花じゃないっスか~」
「いいから早く撮るぞ」
私とさつきは黒子君を真ん中に挟み、彼に貰った白黒ウサギを顔の横に掲げる。
続いて聞こえるシャッター音。初めは乗り気じゃなかった大輝君も笑顔だった。
「大事にするね」
皆で分けた写真シールを手にして満面の笑顔をする私に、大輝君が苦笑する。それから「良かったな」と、クシャクシャと頭を撫でてきた。どうにも子供扱いされている気がする。
「気が向いたら……また撮ってやるよ。二人で」
「え、皆と一緒じゃなくて?」
「……ホント、鈍いヤツ」
大輝君は人差し指で私の額をデコピンすると、そっぽを向いた。反抗期か。
さつきと黄瀬君が顔を見合わせて、肩を竦める。何なんだ、一体。
私は写真シールを大事に鞄に仕舞い、笑った。こんなに穏やかな日常が続けばいい。
今度こそ、私は――。