雨が降っている。
空を見上げその場に座り込んでいる一人の少年。少年の傍らには女性が横たわっている。腹部から血を流し雨水と混ざり合って少年の足元に血の湖を作っている。女性は動かない…すでに事切れているのだろう。冷たくなった女性の頬を撫でながら少年は呟く。
「…母さん」
そう呟くと少年は唇を噛み締めてもう一度空を見上げた。
雨は止まない
それどころか少年を嘲笑うかのように一層勢いを増し血の湖を大きく広げていく
少年の周りには何もない、あるのは粉々になった無数の瓦礫だけ
空を見上げた少年の頬を伝ったのは雨だけではないだろう…
「……はぁ」
教室の窓越しに空を見上げて溜め息をつく柊斗。時刻は12時を過ぎたあたりだ。前では教師がペラペラと流暢な英語で授業を進めているが正直面倒なので聞き流している。そうやって無意味に時間がすぎて昼休みになった。弁当など用意していないので柊斗は購買へ足早に向かった。購買でパンと牛乳を購入し席に着く。すると、前の席に誰かが座った。
「よっ、霧雨。今日も一人寂しくパンと牛乳か?」
「今日もいつも通りだよ」
「おいおいもうちょっと明るく振る舞えよ」
「言われて明るくなった試しがあるか?」
「ないな!」
幾度となく繰り返されたであろう問答を済ませ、如月 蓮(きさらぎ れん)は弁当箱を鞄から取り出した。蓮はこのクラスの委員長で柊斗とは小学校からの友人だ。二人は他愛もない会話をしながら食事を進めていく。互いの食事が終わると蓮が今日の午後は暇かと柊斗に尋ねた。別にこれといった用事もないので話を聞いてみると蔵の掃除をした際に一冊の古い書物が見つかったそうだ。
「でな、その本なんだが見たこともない文字で書かれてあるんだ。霧雨は魔術師の家系だろ?もしかしたら魔術的な物だと思って霧雨なら解読できないかと思ってな」
「見たこともない文字ねぇ、まあ見ないことには何もわからないから放課後お前ん家に行けばいいんだな?」
「ああ、今日は俺も部活動が休みだから一緒に行こうではないか」
「了~」
会話が終わると同時に予鈴が鳴った。午後の授業が始まるが柊斗は当然午前中同様に無意味な時間を過ごした。
放課後になり蓮と共に彼の家を目指す。如月家はこの町では古くからある大地主の家で広大な土地に屋敷や複数の蔵がある。二人は広大ながら手入れの行き届いた庭を抜けて一つの蔵の中に入った。
「えっと、確かこの辺に……あったぞ」
蓮は棚から埃だらけの本を取り出した。かなり古い物だ。表紙には魔法陣が描かれ如何にも魔術書という雰囲気を漂わせていた。柊斗は本を開きページをペラペラとめくっていった。
初めて見る文字だった
いや、文字と言っていいのだろうか?
象形文字とも思えない、記号にしては複雑怪奇すぎた
英語というわけでもない、どちらかといえば漢字に近しいものを感じる
しかし、どれも違う。既存のルーン文字や魔術言語にも当てはまらないまったく理解不能の何かがページを埋め尽くしていた。
柊斗は本を読み進めた。読むことなどできなかったが読み進めた。数百ページに渡るその本は余すことなく全てのページが理解不能の何かで埋め尽くされていた。
あらかた見て柊斗は本を静かに閉じた。
「なあ、この本もらってもいいか?」
「ん?ああ、かまわないぞ。どうせ読めないしな」
かまわないぞと言われるや否や柊斗は本を鞄に入れて駆け出した。かつてないほどの好奇心が魔術師としての柊斗を駆り立てた。「気をつけて帰れよ」と言った蓮の言葉など耳には入っていなかっただろう。
家に着くと研究室として使用している部屋に駆け込んだ。必死だった。何か共通点はないか、何か規則性はないか、何でもいいとにかくヒントが欲しかった。
どれほど時間が経っただろう。何一つわからないまま時計は11時を過ぎていた。柊斗は溜め息をつき本を閉じた。
閉じて気づいた、いや思い出した。表紙に描かれた魔法陣の存在を。最後の望みとばかりに研究室の床一面に拡大した表紙の魔法陣を描いていく。描き進めていくと魔法陣は何かを召喚するためのものだとわかる。描き終わり魔法陣の中心に本を置いた。柊斗は詠唱を始める。昔、魔術師だった父に教えてもらった言葉だ。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
「―――――Anfang」
「――――――告げる」
「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
詠唱し終えると魔法陣は光輝き中心に置いた本は宙に浮き上がり独りでにページをめくっていく。本から膨大な魔力が溢れ出し輝きは勢いを増し柊斗はたまらず目を閉じた。光は魔力の渦となり柊斗を飲み込んでいった。
静寂が訪れた。光が止み、柊斗は目を開ける。
柊斗の目の前、魔法陣の中心に一人の少女が本を持ち立っていた。呆然とする柊斗に少女は問いかける。
「サーヴァント、キャスター。召喚に応じ参上しました。………あなたが私の所有者(マスター)?」
すぐには答えられなかった。だが、理解した。召喚を終え、少女と見たとき何かが自分の頭に直接流れ込んできた。
―――その杯を手にした者は、あらゆる願いを実現させる。
聖杯戦争。
最高位の聖遺物、聖杯を実現させるための大儀式。
儀式への参加条件は二つ。
魔術師であることと、聖杯に選ばれた寄り代である事。
選ばれるマスターは七人、与えられるサーヴァントも七クラス。
聖杯は一つきり。
奇跡を欲するのなら、汝。
自らの力を以って、最強を証明せよ。
聖杯戦争、物語は今幕を開いた。
突如として現れ自らをキャスターと名乗る少女。真っ直ぐとこちらを見据え先程の問いに対する答えを待っているようだ。
「……あぁ、俺が君を召喚した」
「そうですか──マスター、共に戦い聖杯を勝ち取りましょう」
柊斗は右手を見た。手の甲には真紅の剣のような魔術刻印が刻まれていた。
令呪。聖杯からマスターに与えられる、自らのサーヴァントに対する3つの絶対命令権。これを持つということは聖杯に正式に七人の魔術師として選ばれたということに他ならない。
聖杯戦争に関する情報は文献でも読んだことはあり契約の際に聖杯から直接内容を頭に入れられている。どんな奇跡でも起こせる願望機。柊斗の脳裏に母親の姿がよぎった。一瞬だったが柊斗が表情を曇らせたのをキャスターは見逃さなかった。
「マスター、顔色が優れませんが?」
「大丈夫、少し考え事してたんだ……なぁ、キャスターが聖杯に求める願いってなんだ?」
「………あるべき場所へ還ること、でしょうか?」
「なんで疑問系なんだ?しかもあるべき場所に還るって──」
「マスターも聖杯から私の存在は知らされているのでしょう?私はこの神書に宿った九十九神です。私の願いはすなわち神書の願い、神書はあるべき場所に還ることを望んでいます」
「そうか……」
「マスターの願いは何ですか?」
「俺は───」
言えない、言えなかった。明確な願いなど考えてはいなかった。亡き母との再会、あの終末の日をなくすこと。考えてはいたが口に出すことは出来なかった。
「口に出来ぬ願いなのですか?」
「あぁ、今はまだ言えない」
そう答えるとキャスターはそれ以上は聞いてこなかった。彼女なりの気遣いだろうか、それとも興味がないだけなのか。どちらにせよ今はまだ柊斗は答えを出せなかった。
同刻、イギリス、ロンドン郊外、リバー家屋敷
「「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」」
「「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」」
二人の少女の声が重なる。詠唱を終え、二つの魔法陣が光を放った。二つの魔法陣の中心にそれぞれ一体の英霊が召喚された。
「ランサー、召喚に応じ参上しました」
「アーチャー、召喚により参上した」
ランサーと名乗ったのは白髪に胸元が開き肉体と一体化した黄金の鎧と胸元に埋め込まれた赤石が目を引く青年。アーチャーと名乗ったのは中世ヨーロッパ頃の一般的な服装に身を包み身の丈程もあるマスケット銃を背負う青年であった。二人の英霊は共に顔を上げ自らのマスターの顔を見る。
二人の瞳が互いのマスターを行き来する。二人の英霊を召喚した二人の魔術師は瓜二つの少女であった。
「初めましてアーチャー。私が貴方のマスター、メイト・リバーです」
アーチャーの前に立つ少女は落ち着いた口調で告げてスカートの端を摘み一礼した。
「ランサー!私が貴方のマスター、ケイト・リバーよ。ちなみに私が妹よ?これからよろしくね!」
ランサーの前に立つ少女は無邪気に笑いながら手を出し握手を求めた。ランサーは戸惑いながらも差し出された手を握った。少女はより一層笑顔を輝かせた。双子のようだが性格がまるで違うようだ。姉のメイトは落ち着きがあり高貴な印象、妹のケイトは無邪気で幼い印象の少女だった。ただ外見的にはほとんど差がないが唯一の違いとして目の色が違っていた。真紅と深緑に輝く瞳がゆらゆらと笑みを浮かべていた。
キャスター召喚翌日、日本
「我が主よ、周囲に異常はありません」
「御苦労…さて、聖杯に選ばれる魔術師も残り二人か」
椅子に腰掛けて画面に写る文字を見て鷹村 英治(たかむら えいじ)は呟く。魔術教会から派遣され聖杯戦争の監督役を任された魔術師だ。隣には全身を黒衣で纏った男が立っている。
「我が主、ずいぶんと嬉しそうではありませんか」
「聖杯戦争、文字通りこれは戦争だ。私の抑え難い闘争本能が喜びを露わにしているのだよ」
「左様でございますか」
「あぁ、そうだ。とても楽しみだ───」
鷹村は窓の外に浮かぶ月を眺め静かに笑った。