戦う代行者と小さな聖杯(21)   作:D'

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午前十一時の夜

 幕は開かれた。

 開演の知らせと共に、ジュエルシードの魔力によって海鳴は暗闇に落ち、しばしの眠りにつく。

 リンディ・ハラオウンの決断によって、一般人は結界の外へ弾かれたが、内に蠢く亡者どもがそれを破らないとは限らない。明日の朝を迎えるのは容易ではない。

 

 ベルベットは、ジュエルシードをマンション内に格納したグールに持たせ、その願いを叶えさせた。

 

 ――タダ、喰ライタイ。

 

 何ヶ月も縛りつけ放置してきた死体共は飢えに飢え、三代欲求からなる強烈で純粋な願いは、遺憾なく魔石を刺激した。

 

 ――タダ、喰ライタイ。

 

 日中、外に出る事のできない彼らが、活動できる場を魔石は用意した。後は、ただ喰らうだけ。獲物を見つけ、追い迫りその口腔で噛み付くだけ。

 ベルベットによって縛られていたその軛は外された。外へ、外へ。抑圧された者共が、あふれ出す。

 

「――――――――」

 

 叫びを上げる喉もなく、その意識もとうにない。腐りきった肉を引きずり、その欠損を補う為に餌を探す。

 十全な肉体を。新鮮な肉体を。

 それを食せば食すほど、自らの肉体は十全に近づく事ができる。歩く事も億劫な肉体を、直す事ができる。

 自身が何者であったかなど、思い出すことはない。もはやそれは重要ではないからだ。今必要なのは、餌、餌、餌。

 

 ――主役は自らだ。舞台は調っている。

 

 空から俯瞰すれば、マンションを中心に、眠った街を跋扈する者共を見渡せるだろう。大挙して押し寄せる化け物の群れに、街が成す統べなく犯されて行く様が分かる事だろう。それは何と悦楽に染まった光景だろうか。そこに、生者の存在する隙間はありはしない。

 

 ――早ク。早ク。早ク。

 

 自らもその輪に加わるのだ。急ぎこの祭典に参加するのだ。喰ラエ喰ラエ喰ラエ。

 

 天より垂れる蜘蛛の糸。

 それに縋る亡者のように、内より出でる欲求に急き立てられて、蠢く者共は生者を探す。この街に人気はない。結界によって隔離されたこの世界に、凡そ世界の表に生きる者は誰もいない。

 ならばどうだ。どこにいる。

 街に散った亡者どもは、一同似たような場所に向かっていく。生ある者の匂いを感じとり、足を進める。

 それは郊外の館であり、駅前の商店街であり、海鳴の公園である。

 

 亡者はついに館へと辿りついた。ここからは良き香りがする。

 確信を持って、その館へと乗り込む。ここには美味い美味い肉がある。

 閉じられた大きな正門に縋りつき、揺する。門は開かれない。ならば、力づくでこじ開けるまで。

 十や二十では足らない。百に迫る亡者が集まり、門に縋る。さすがの強固な門も、番が悲鳴を上げていく。あと少し。あと少しで、開かれる。

 そんな折、門の向かい、館の敷地に、一人の女性が現れた。

 侍従服に身を纏った、髪を首元で切った青い髪の女性。

 蜜に群がる蟻のような群集を前に、物怖じ一つせず、女性は澄んだ声で言う。

「月村当家は死体を歓待する習慣はございません。ここは一つ、お帰り願います」

 しかし、そんな言葉に聞き耳を持つものはここには居ない。亡者は進む。門を破り、あれを喰らえ。

 そしてついに、門が破れた。檻を破った獣は、その牙のむき出しに肉へと向かう。

「押し入りはご遠慮願います。死体に語るのもおかしい話ですが……。許可なく敷地内へ足を踏み入れた者の命は、保障致しません。ご理解の程をお願い申し上げます」

 優雅に、スカートの裾を持ち上げてお辞儀をする。

 そんな女性に、亡者が一つ、飛び掛った。

 恰好の餌に見えたのだろう。普通の人間は、亡者にとってただの餌でしかなりえない。脅威にはなりえない。

 

 それは、普通の人間だった場合の話である。

 

 飛び掛った亡者は、地に足がつく前にその身を二つに別たれた。胴を一閃。刃物による一撃を受け、物理法則のままに地面へ激突する。

「ノエル、遊びがすぎるぞ。噛まれたらどうする」

「私がそうなった所で、問題はないでしょう」

「大いにある。もう少し自分を大事にしろ」

 女性の傍らに、小太刀を二刀持つ男がいた。黒いTシャツを着た、歳若い成年だ。

「恭也様こそ、気をつけてくださいね。噛まれたら治療の方法はありませんので」

「……理解している。忍!」

 

 手に持った通信機に声を当てると途端、壊された門を乗り越えて進む亡者に、鉛の銃弾が浴びせられた。それは館へ続く歩道の茂みから、無数に放たれる自動銃器。この館、月村邸の防犯装置の一種である。

 通信機から苛立った女性の声が響く。

『あーもう! 結界張って一般人逃がすとかできるなら、どーして私たちも結界の外に出してくんなかったのかなー! これってあの代行者見習いの罠? あんだけ協力してあげたのに?』

『忍お嬢様、ニーロットちゃんからは咄嗟の結界だったから力ある者が残される可能性がなんちゃら、って先ほど連絡あったじゃないですかー』

『分かってるわよファリン。あなたはちゃんとすずかをお願いね。でもさ、ちょっと数多すぎない? ノエルー! 一匹たりとも館に入れないでね』

「了解しました。忍お嬢様。恭也様は群れから離れた個体をお願いします」

「任された。ノエルは?」

 侍従服の女性、ノエルは、左腕から刃を生やし、亡者の群れへと突貫した。

 それはまるでダンスかというように、亡者の隙間を縫うように動き、すれ違う亡者の首を切り落とす。自らに群がるそれをかわし、ひきつけ、誘導する。離れた位置の亡者を、何の冗談かロケットパンチとして右腕を飛ばし、攻撃する。殴り、掴み、右腕に繋がったワイヤーで投げまわす。

 自動人形と呼ばれる存在である彼女は、亡者など意にもしない。戦闘用としての一面を見せたノエルを、死体風情がその身を害する事などできる訳もないのだ。

 それでも、問題があるとするならば、数。防衛対象がある分、たった一人では荷が重い。

 一つ、一つ、暴風のようなノエルから離れ屋敷へ向かう亡者。しかし、その亡者も、屋敷に辿りつくことは出来ず、その首を落とした。

 何もない中空に、一条の線が光った。その先には成年、高町恭也。

 鋼糸と呼ばれる暗器によって、亡者の首を落としたのだ。

 細く、鋭利な糸は肉を裂く。その肉が腐っているのなら、なおさら軟い。

 ノエルの手を逃れた亡者を一つ一つ潰していく。

 しかし、糸で戦うのは彼の本分ではない。数体まとめて、ノエルの防衛線を突破してきた亡者たちを、彼は二刀の小太刀を抜いて応対した。

 ただ只管に喰う事にのみ執着した亡者に、大層な奥義は必要ない。

 

 御神流 虎乱

 

 二刀からの斬撃が亡者を分断する。大口を開いた頭部を、振り上げられていた腕を。綺麗に切断する。

 ノエルに劣らず、恭也のそれも舞のように、敵を斬る。敵の特性上、一撃も受けることの許されない中、舞踊る。

 

 物量に押され次第にノエルが下がってきているのを見て、恭也も動く。

 数が多い。無限に続くかと思えるほど、亡者はこの月村邸へ集まる。

 

 ――さあ、正念場だ。

 

 そんな気合を入れた時に、間の抜けた声が響いた。

 

「援護しまーーす!」

 

 妙な気配に、地に伏せた。ノエルも同様に、敵の群れを押しのけて茂みへと逃げ込む。

 

 ――途端。

 

 バラバラと轟音を上げて、夜に光が瞬いた。

 ノエルに良く似た長い髪の女性が、人間がおよそ持ち上げられないだろうという程の重火器を手に下げ、亡者を一掃していく。

 からからと空薬莢の落ちる音が心地よい。心臓がしびれるような銃の振動が心地よい。背筋が折れるのではないかという反動が心地よい。

 

「アハハ――」

 

 笑みを浮かべ、ガトリングを掃射するファリン。はじけ飛ぶ亡者どもを見て、恭也は少し安堵し、一方で少し不安を感じた。

 地に立つ亡者が消えた所で、ファリンはトリガーを離した。

「……ファリン、すずかちゃんはいいのか」

「そのすずかお嬢様からのご命令です! お二人をお手伝いするように、と」

「……そうか」

 何も言う事はない。確かに、彼女の登場はありがたく、そしてその強力な制圧力は心強い。

「徹底的にいきますよー! 周囲の防犯装置もフル稼働にしています!」

「ああ、心強い。心強すぎて泣けてきそうだ」

「恭也様も忍お嬢様と一緒に、安全な場所にいてよろしいのですよ?」

「む」

 それは、なんというか、男の矜持だったり、剣士としての矜持に障る。

「――いや、それはいい。ここは一つ、男を見せようか」

 ふ、っと息を吐いて、全身の緊張を解きほぐす。

 ファリンが亡者を一掃しても、まだまだ、あれはやってくる。

 現に、また十や二十、わらわらと見え始めている。

 

「遅れは取らない。背中を撃ってくれるなよ? ファリン」

「おまかせください!」

 

 黒く染め上げられた夜の帳を、銃火の光が染め上げる。それを縫うように、剣士が走りだす。

 

 

 

 

 

 

 洗練された刃が骸を裂く。

 眉間、咽頭、心臓、背骨。

 そのいずれかを的確に、瞬速に切り裂く鉄の刃。

 相手が亡者であるのなら、立ちはだかるは歴戦の鬼神。

 全盛より落ちた肉体、そのハンデを経験によって巻き返し、理想ではなく効率に重きを置いた華麗な剣舞で、亡者を地獄へ返して行く。

 一呼吸のうちに三撃必殺。秘奥に届かずとも亡者相手には十分。久方に跳ねる心臓を押さえつけて刃を振るう。

 だが、一線を退いて久しきその身。時折浅い一撃も見て取れる。

 元より亡者は心音で動いてはいない。心臓に刃をつきたてようと、その頭部を切り落とそうと。簡単にはその狂爪は止まらない。

 その身に、爪が振るわれる。

 だが、その爪もまた、別の刃によって切り裂かれ、露に消えた。

「お父さん、一人で無茶しないで!」

「――美由希、お前」

 二刀を持った自身の娘と、背中合わせに構える。

「美由希、こういう手合いは苦手じゃなかったか?」

「言わないで! 考えないようにしてるんだから、言わないで! あれは、そう。ロボット、ロボットだよ! きっとホラー映画の撮影とかに使う――」

「恭也から話は聞いているな?」

「……噛まれたらあれのお仲間になっちゃう……」

「そうだ――なあに、御神の剣士が、あんなゾンビなんかに負けるものか」

 戦場に合わない親子の談笑。

 二振りの小太刀を構え、剣に月光を映して亡者の群れを迎え撃つ。

 二人の様は円舞のよう。互いを庇える位置に身を置き、刃を振るう。

 亡者の攻め入る余地など、ここにはない。踏み込んだ途端に斬り落とされ地に落ちる事だろう。

 怨念しか持ち合わせない亡者に、思考する事などなく、現に踏み込んでは頭を落としていく。

 交差し、巻き込みながら敵を振り回す。背後には自慢の喫茶店。そんな場所に亡者を足指一本通して良い訳もない。その場は愛する妻がいる。愛する母がいる。

 二人の剣士に群がる亡者も、次第に数を減らしていく。

 だが奥底にはまだ、押し寄せる波間のように亡者は増える。斬っても、斬っても、いくら数を減らしても、その数は次第に元へ戻る。

「――お父さん」

「諦めるなよ、美由希。大丈夫だ」

 途端、天より光が溢れた。

 幾条かの桃色の光が、亡者を撃った。

 その光景に、二人の動きが一瞬止まり、天を仰がせた。そこには、もう一人の娘が、妹が。

「お父さん、お姉ちゃん! ――避けてね?」

 桃色の光が一際、大きく瞬いた。

 魔導に目覚めた少女の、渾身の一撃が。亡者を襲う。

「スターライト、ブレイカー!」

 一本道の商店街に詰るように押し寄せていた亡者を、光線が押し流していく。

「――さすが魔法少女だなー」

「――自慢の娘だなー」

 光が収まった所には、亡者の姿はかけらも存在しない。商店街一面に広がったタイル張りの地面も、かけらも見当たらないが……。

 結界をとけば破壊された部分が元に戻るのを知るのは、この場では高町なのはだけである。

「えへへ、助けにきました!」

 煌びやかな笑顔が、闇夜を照らす。

 

 

 時は戻る。

 

 クロノがマンションの制圧に向かい、ニーロットもそれに乗じようと走り出した最中、その後ろから高町なのはも駆けていた。

「なのは! あなたはここに居なさい、相手はグールなんですよ!」

「ダメ! 私もいくから! 私だって、戦えるの。お留守番はしない!」

「フェイト・テスタロッサを一人残すのですか!」

「ッ、フェイトちゃんは……ううん、フェイトちゃんの為にも、早くこの事件を終わらせる! あんな事、絶対に、二度はさせない! 海鳴が危ないなら、私だって!」

 結界で民間人は避難している。が、この時点でニーロットには、恭也たち極一部が結界内に取り残されているのをエイミィから報告を受けていた。

「……あなたは、ご家族の下へ。翠屋に向かってください」

「――はい!」

『緊急ー! ニーロットちゃん、海鳴公園で魔力反応!』

『……誰ですか?』

『わかんない! でもでも、魔導師じゃないよ! たぶん……ニーロットちゃん絡みのほう!』

『ハア? ――こんなときに……! モニター回していただけますか』

『了解!』

 ニーロットの正面の空中に、モニターが現れると、公園の様子が映される。

『こ、この人……は……』

『お知り合い?』

『全然知り合いではありません!』

 

 

 

 

 

 

 

 静まり返った公園に、一人の男が立っていた。

 赤い外套に身を包み、同色のシルクハットを被っている。

「こんな雑事に巻き込まれるとは、ほとほと私も運という奴が足りないな。こんなゴミ掃除をさせられると、いつだか協会に駆りだされたのを思い出す」

 男の周囲にも、亡者はすでに集まっている。公園という広い空間故か、他の場所よりも幾分と数が多い。

 その数はすでに公園を呑み込もうとさえしている。一体どれ程の数がいるのか。魔石が亡者の数を増やしているのか……それとも。

 かの剣士たちでは、単身でこの波を打ち消す事は出来ない。しかし、ここにいる男は剣士ではないのだ。

「有象無象を相手にする私ではないが……今夜は特別だ。諸君、ようこそ、ゲヘナに。ここは君たちを焼き、苦しめ、殺すための溶鉱炉だ。まあ、こんな簡易的な物では祭壇とは呼べないが……まあ、いい」

 亡者を見やり、男は呟く。

「影は消えよ。

 己が不視の手段をもって。

 闇ならば忘却せよ。

 己が不触の常識にたちかえれ。

 問う事はあたわじ。我が解答は明白なり!

 この手には光。この手こそが全てと知れ」

 落ち着いた早さで、男は詠唱する。

 ――魔術師にとって、呪文とは自己暗示に他ならない。

 大袈裟で芝居掛かり、自己陶酔しやすい魔術師の詠唱は長い。

 転じて、利便を追求する魔術師の詠唱は短い。

 だが、結果として自己陶酔すればするほど、自らに語りかける魔術という物はその威力を増す。

 この男の詠唱は、長すぎず、短すぎず、その力量を示している。

「我は存かすは万物の理。全ての前に、汝」

 男の使う魔術は、単純で明快な破壊の魔術である。

 

 ――破壊の魔術とは、

   それ即ち、炎の魔術――

 

「ここに、敗北は必定なり……!」

 

 呪文の終わりと共に、男、コルネリウス・アルバは手を亡者へと掲げた。

 

 闇に閉ざされた視界が、昼へと変わった。

 否、アルバの放った炎が、夜を照らしあげている。

 亡者の群れを焼き払う、地獄の業火。対象を焼き払うのではなく、空間ごと焼き払う彼の魔術。

 怨嗟の悲鳴が聞こえるような、煉獄の炎。事実、焼かれているのが亡者であるのなら、悲鳴の出所は彼らだろう。

 アルバはそれを愉快そうに見つめている。自らの引き起こす奇跡に、その悦に浸る。

「亡者共にはお似合いの末路だ。さしずめ、これはアオザキを殺す為の予行演習と、言った所か。ククッ」

 アルバは炎に照らされた道を歩く。優雅に、華麗に、両手を振り上げ、指を鳴らし、告げる。

「Repeat!」

 鳴らした指と同時に、爆炎が別の箇所で巻き起こる。さながら、その姿は間歇泉。噴出した炎に巻き上げられて、亡者は地に臥し、空へ灰となって舞い上がる。

「Repeat……!」

 また炎が上がる。群れでもって公園を呑み込もうとした亡者たちが、ただ一人の男の放つ炎に呑み込まれていく。

 自らを火葬場に投げ込む死体。何とも珍妙で、奇妙な光景だ。

 巻き上がる炎に向かう亡者ども。その先に、死の安息があると信じるように。

「私めがけて一直線に進む事しかできない。知能のない死体が焼かれ消えるのは世の理だろう。それとも、土葬のほうがお好みかな。まあ、私にできる事は焼き払う事なのだが……Repeat!」

 この男がここにいるのは、古い知人であるギル・グレアムの差し金によるものだ。この地の異変を人知れず治めろ。その報酬に、この地に異変を起こした元凶を勝手に持っていって良い。

 その言葉を受けて、アルバはこの地にやってきた。しかし、この状況。アルバが元凶、ジュエルシードなる魔石を手にするのは聊か遅い。

 だが一転して、それでも良いかと、アルバは考えていた。

 公園に張り巡らしたのは簡易的な呪術結界。アルバの魔術をサポートするための術式。それによる威力を実際に目にする機会を得て、彼は納得する事にした。

 アオザキを屠るには十分なもの。その時には今よりも念入りな空間を作る事ができる。

 ギル・グレアムに踊らされたと思えば腹に据えかねるものがあるが、関係ない。

「はてさて、いつまでもこんな茶番に付き合っているつもりはないのだが――」

 ――ないのだが。その周囲には未だに亡者が列を成している。天に返せと、灰になる為に。

「――仕方のない事だ。しかし、私にも死者への礼という奴は弁えているつもりだ。故に……Repeat!」

 天に返して差し上げよう。一人残さずに。

 この亡者が湧き出す拠点は掴んでいる。協会より討伐の令すらでている錬金術師、ベルベット・ベルナシーの魔術工房。

 アルバはゆっくりと歩みを進める。向かうは源泉、藤見マンション。

 

 

 

 

 

 藤見マンションの屋上にて、男はその光景に満足していた。

 発動した二十個のジェルシードは、このマンションの各所から亡者を媒体に発動させた。マンション全体を術式とし、根源へ至る大魔術は完成する。しかし、男の狙いは根源へ至る事ではない。むしろ、亡者こそが願いの形。

 街を覆う死者の群れ。この結界も、これより自らの手により破壊すればよい。それで、願いは叶う。このまま根源の渦へ至ろうというのは、或いはオマケだ。

 今より訪れる危機の、より先を覆す為に。あわよくば、といった、欲という物である。

 魔石の魔力が十全にマンションへ浸透した時に、術式は発動する。今はただ、その時を待つのみ。そしてその瞬間も、もうすぐ訪れる。

 訪れる。が――。

 一つ。魔石の呼応が止んだ。二十個からなる魔石の共鳴によって道を開くというのに、その石が一つ、止まってしまった。

 ――何故だ、まだあの小娘はここに来ていない。誰もこのマンションへ侵入してはいないはずだ。

 考えられるとするならば、自身の知覚を掻い潜るほどの術者が入り込んだこと。しかし、この街にいる魔導に関わる人間に、そんな事は不可能だ。教会の小娘も、それが身を寄せた魔導の集団も。それほどの隠蔽を得意とした人間はいなかったはず。ならば誰が――

 ――この街にいる魔導に関わる人間ならば。

 ――他の地より魔術師が来たならば。

「蒙昧」

 背後より声が聞こえた。振り返ると、そこには暗い顔の男が一人。苦悩に歪んだその表情は窺い知れない。

 そういえば、いつの間にかマンションを循環している魔力も停滞している。

 目の前の男が、その全ての原因だ。

「貴様……何者だ」

 男は答える。

「魔術師――荒耶宗蓮」

「知っている……その名前は知っているぞ、敗北者よ、なぜここに居る!」

「……元々は余計な事を始めたアルバを迎えに来ただけだった。が、興味深い物を見つけた。マンションを起点とした根源へ至る魔術式。私の計画に通ずる物があった、感じ入るものが、あった。しかし――あきれ果てた愚昧さよ。不倶、」

 途端、男を中心に円状の結界が現れた。本来、場に形成するはずの結界を、自身を中心にする事で作り上げた本来にはあり得ない動く結界。それこそが、魔術師、荒耶宗蓮の秘術――。

「己が目的さえ霞んだおまえでは、決して『 』へ到達する事はない。己が心の内を見ろ。その目的を思い出せ――錬金術師。金剛、」

 円が二重へと変わる。更に広い範囲が、男の領域となった。

「我が目的は完遂している、私は見たのだ! この街こそが世界を滅ぼす原因となる事を! 錬金術師は未来を計算によって導き出す。そして、ここはその元凶だ! 十二月二十四日、ここより世界は終わる事となる!」

「――おまえがどのように吸血鬼に成り果てたか知らぬが、吸血衝動による自己の変格を嫌いそれを遠ざけた意思は認めよう。しかし、その精神はすでに吸血鬼と落ちている。

 確かに結果は変わらぬ。元凶となる存在を始末して回ろうが、この場を死都としようが、そこにいる人間が死ぬ事は変わらない。が、ここまで大掛かりに事を構えたのは結局、おまえが血を欲した結果によるものだ。すでに、おまえの意思はおまえ自身のものではない。蛇蝎、」

 円が三重へと変わった。マンションを流れる魔力さえ、あの結界にふれた部分が動きを止め、マンションに張り巡らされた魔術経路がショートしてしまっている。

 荒耶宗蓮の魔術特性は静止。その結界に触れたものの動きを止める、停止結界。

 こんな術式の中心で、この男がいる事事態が……、致命。

「結果としてアルバがこの地へ向かい、そして私がここへやってきた。真に、貴重な体験だ。私ではなく他者が『 』を求める場面に遭遇するのも――、私自身が抑止に利用されている事も。参考としよう」

 男は歩みを止めない。

「抑止は道への到達を阻む。それが人間の手にしてはならぬ力、無への回帰への因となる行為故に。過去数度の経験を持って、私が導きだした結論は――あれの目を誤魔化す事など不可能である、という事」

「消え失せろ、ここは私の工房だ、魔術師!」

「おまえは堕落したのだ。その意思を貫けず、挫けた。歪んだ。その程度では到底、己が願を達する事は叶わぬ。

 問おう、錬金術師よ、何を求める」

「知れた事を! 滅びの回避に他ならぬ!」

 

 吸血鬼は、地を駆けた。

 

「――未熟。黄泉路を開く。存分に踊れ、亡者よ」

 

 

 

 そうして、この場に戻ってきた。

 いつか破れた魔術師の工房。その入り口を前に、ニーロットと執務官が並ぶ。

 魔力は屋上へ集まっている。無論、目的地はそこ。この地に触れたのは一度のみであるが、どこか懐かしさすら感じられる。

 急がなければならない。各地へ散った亡者は、自らのねぐらに肉があると知れば、大挙して戻り応せる事だろう。否、すでにここへ向かう亡者はいる。

「クリケット、ここは任せろ。ここの防衛は僕がやる」

 その言葉に、では任せますと簡潔に答え、ニーロットはエレベーターに向かった。

 残されたクロノ・ハラオウンは一呼吸の内に飛翔。マンションを俯瞰できる高さまで昇ると、周囲を索敵した。

 反応。マンションを囲むように亡者の群れ。

「スティンガースナイプ」

 使うのは、一本の針と糸。誘導と貫通に優れたそれは、縫い付けるように亡者を襲う。

 走る光は確実に亡者の頭を貫く。避ける術などない。高速で走るその術は、仮に避けたとしても、すぐに機動は修正される。

 亡者は進めない。ここには、最後の境界線(ボーダーライン)があるのだ。

 


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