戦う代行者と小さな聖杯(21)   作:D'

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シスターと提督と魔導師とときどき魔術師

 はらり、と手にした資料をめくる。

 ベルベット・ベルナシー。過去、アトラス院に所属し、今は野に降りあらゆる組織から身柄を狙われている錬金術師。詳細は不明であるが大変優れた術師であった。

 

 ……なるほど。

 

「ありがとうございます。とても重要な情報でした。月村忍」

「それはよかった。あと、名前の後に、さんくらいつけなさい。で、アトラス院って何なの?」

「なんといったらよいか。西暦以前からある大きな組織です。未来を計算により導き出す集団なんですが……初代院長が演算した世界の終末を回避するために確率と可能性を求めて計算し続ける、まあ変わり者といえばそんな連中です」

「それが貴方に宣戦布告してきた敵?」

「自称ですが。しかしお金だけでここまで調べられる物なのですね」

「お金だけって訳じゃないわ。片足突っ込んでるようなものでしょう、私の血族なら」

「なるほど、確かにそうですね。……ところで一つ質問をしてもよろしいでしょうか」

「どうぞ?」

「とても参考になりましたし、非常に助かりました。しかし……なぜ書類を頂くだけの事で、こんな場所まで赴かなくてはならないのでしょうか」

「あら、迷惑だったかしら。その割には浴衣まで着ちゃって、ノリノリのようですけど」

「我々教会の人間は節制に努める義務があります。――が、こうなってしまった以上、袖にする訳にもいかないでしょう。せっかくのご好意ですから」

 

 風情香る畳張りの和室。窓の外をのぞき見れば築山と庭石、季節織り成す木々と小川に彩られた日本庭園が広がっている。そんな優雅な一室で、木目のテーブルを挟み、浴衣を着込んだ女性と子どもが妖美な笑顔を貼り付けて、視線を交差させていた。私です。

 

 依頼していた調査報告書の受け取りにやってきた私を、拉致するように車へ連れ込み、やいのやいのと旅館まで来てしまった。到着早々三人娘に手を引かれて温泉を堪能。遊びに全力の子どもに逆らえる訳もなく、そのまま旅館の探索、卓球、売店物色など、目まぐるしいひと時を味わった。そして、ようやく一心地ついて、今である。

 まさか書類を受け取り目を通すだけの事でまる一日浪費するとは思ってもいなかった。

 この後は夕食、というより宴会。久々の労いくらい主もお許しになるでしょう!

 

 手に持った書類をはらりと机に置いて、席を立つ。いざゆかん理想郷(アヴァロン)へ。

 

 

 

 持ち込んだ鞄の中から書類を出し、机の上に置いた。その表情はとても暗い。

 二度と関わる事はないと、若かりし時に決めたはずなのに。よもや今更になって門徒を叩く事になろうとは思いもしなかった。

 ――しかしここにいる事こそが未熟であると突きつけられているようで。

 ――しかしここにいる事こそが青さを少なからず捨ててきた証左だ。

 どの道、心地よい物ではない。

 

 腕時計を見るとここへ来てから二十分。ずいぶんと待たされている。が、部屋の見事な調度を見る限り、何となしに学生時代から何一つ変わっていないのだろうと思い至る。私が彼らを軽蔑するように、彼らも私を軽蔑している。歓迎などされる訳もない。奴が昔と変わっていないのなら当然の事だろう。

 そして、ようやく奴が現れたのはあれから三十分たった頃だった。入ってきたのは長い金髪を垂らした彫りの深い歳若い見目の男。

 奴は部屋に入るなり私に視線を向け、鼻で笑った。その目は今更よくも顔を見せられたな、と語っている。

「久しぶりだな……コル――」

 挨拶でも交わそうとしたが奴は手のひらをこちらに向け、言葉を遮り、大きく嘆息した。

「んん、私の名を呼ぶのはやめてくれたまえ。低俗なキミに呼ばれるほど、私の名は安くはない」

「……相変わらず、お前は変わらないな。顔も……心も、昔から、そういう奴だった」

「キミは変わったようだねぇ。いつかキミは我々魔術師を無価値な人でなしと断じ、忌諱して置きながら――――似たような目つきをしている。自らの理想を追いかけた君に、何かツラい事でも……あったのかな。クハハ!」

 人の顔を覗き込み、笑う。徹底して、奴には、今の私は滑稽に映るのだろう。だが、それを否定はしない。正しく、今の私はピエロそのままだ。

「ハハ――ふぅ、ああ、まさか懐かしむ為にやってきた訳ではないのだろう? ふむ。机のそれ、拝見しても? もしつまらない用事ならつまみ出させてもらうよ、私はこれから日本へ飛ばなくてはならないからね」

「ああ。お好きに」

 

 ハラリ、と書類を奴が手に取る。あれに書かれているのは、ある都市にばら撒かれたロストロギアの情報。そしてあの都市にいる錬金術師の情報。

「……信じられん。仮にここに書かれている事が真実だとした所で。なぜキミがこれを私の所へ持ってきた。これほどの物を魔術師が前にしたらどう動くか、キミならよぉく分かっていると思うが?」

「分かっている。そういう魔術師の浅ましさを私は嫌悪していたのだ。しかし、私はある事情で自ら動く事ができない。だが放置する事もできん。教会も協会も動かせば大惨事になるだろう。故に、ここへ持ってきた。君の手のうちだけで、騒動を治めてほしい。秘密裏にだ」

「……いいだろう。まだアイツとの約束まで時間はある。都合よく舞台も同じ日本。なによりこの段階であの地に衆愚の目が集まるのは得策ではない……。火が出る前に、何とかしなくてはならない、か」

「――では、よろしく頼む。手段はそちらに任せるよ」

「如何にも。任された」

 

 脇に置いた鞄を手に取り、立ち上がる。書類に目を落としたままの奴とすれ違い、部屋をでた。

 私は悪魔に魂を売り渡したのだろう。いや、すでに売り渡している。ただ一つの目的のために、あらゆる犠牲を厭わない。その姿勢は、私が毛嫌いした魔術師そのものであるのだから。

 

 

 

 

 海鳴市の市街中心に近い場所に立つ藤見マンションの一室、そこがプレシア・テスタロッサの用意した地球におけるフェイト・テスタロッサの拠点だった。

 二十階建て、ワンフロアに十室ずつの大型マンションだが、フェイトはそこで生活を始めて未だ、他の住人に会った事がなかった。

 フェイトがプレシアにジュエルシードの回収を命じられたのは数週間前の事である。冷たく当たる母が、その時は少し、暖かく、しかし拒否の許さぬ力強さでフェイトに命じたのだ。心の底で、様子がおかしいのは理解していた。その直前には見知らぬ男もやってきていた。しかし、母を拒絶する選択肢はありえない。

 

 このマンションは異常だ。それを察知したのはフェイトの使い魔である狼を素体としたアルフだった。

 曰く、そこら中から肉の腐ったような匂いがする。

 フェイト、人間には凡そ分からないそれを関知できる使い魔は、早々に具合を悪くしてしまった。それも当然、腐臭など生者せいじゃにとって毒にしかならない。

 ならばそんな毒が漂うココは何なのか。

 

 その日、使い魔を連れてジュエルシードの探索へ向かおうと部屋を出て廊下を歩いていると、異常な叫び声を響かせて廊下に面した一室のドアが開かれた。

「ひ――あああぁいゃぁぁああ――!」

 勢い良く開かれたドアは壁にぶつかり、鈍い音を響かせる。部屋から飛び出してきたのは、フェイトと同じくらいの少年だった。錯乱した様子でそのまま走りだし、フェイトとアルフの間を体当たりするように突っ切り叫びながら階段を駆け下りていった。

 

 それに恐怖を感じるのは、当然の事だろう。アルフは人型の姿を取ってフェイトに寄り添い、手を握った。しかし、視線は少年が飛び出してきた部屋へ向く。

 

 ――あの部屋からは、明らかな死臭がする。

 

 危険だ。絶対に中に入ってはいけない。覗き込んではいけない。

 

 二人は逃げるようにマンションの外へ向かった。

 外はまだ日の出ている時間帯だった。マンションの中にいたときは、人の寝静まった深夜さながらの空気だったというのに。

 

 ここへ戻ってきたくない。このマンションへ帰りたくない。

 

 このマンションは普通ではないから。

 今日はなるべく人の多い場所を探そう。なるべく二人で回るようにしよう。特に話し合う事もなく、その日の探索プランはそう決まった。

 

 

 

 

 喉を壊す勢いで奇声を張り上げながら、走った。叫ばなければ足が止まってしまいそうだった。叫んでいる間は、無事でいられる気がした。

「ああぁぁああぁ――!」

 

 腕を振り上げ、頭を落とす。足を振り上げ、背を曲げる。

 背中を鈍器で殴られたような恐怖心を、どうにか振り払う。町を走る。目的はない。ただ逃げ出さなくてはならない。

 

 自らの部屋の惨状を思い出した。

 父が、母が、兄が、妹が。

 一人一人、中の見えない黒い袋に包まれたままワイヤーに巻かれて転がされていた。

 部屋には腐臭が立ち込めている。いつからそうして放置されていたのだろうか。

 否。自分は、どうして『その光景が普通であると思っていたのか』

 もう二ヶ月は経っている。俺はあの袋を眺めながら、極々普通に生活していた。寝て起きて、学校へ行って、帰宅して。いなくなってしまった家族に疑問も持たずにただ只管に日常を繰り返す。

 

 異様だ。どうして気づかなかったのか。

 

「あああ、あぃ、ぁああ――!」

 

 叫ばなければ狂ってしまいそうになる。考えれば考えるだけ、おかしくなる。

 そんな状態で走り続けていれば、前も見えていないのは当然で、俺はついに人とぶつかってしまった。

 ぶつかった相手は大人だ。赤いコートを着た、金髪の男。

「危ないなぁ。前はよく見ておきたまえ。お人形君」

 

 男の手が俺の耳に触れた。途端、静止。

 

 気づくと周囲には誰もいなかった。日も落ちている。なんだったんだ、と思い返すが、はたと気づく。ああ、逃げなくては。

 どこへ逃げる。アイツだ。目立っていたアイツ。ニーロット・クリケット。アイツは普通じゃない。転生者、そうだ。

 教会、そこへ行こう。そこならきっと、助けてくれる。あいつはそこにいる。俺と同じなんだから、きっと助けてくれるだろう。きっと。

 

 

 

 

「脳にエーテライトを使って干渉、錬金術師の常套手段だが、どれだけ緻密な計画かと思いきや……あきれ果てるほど稚拙だ。あの人形一つ私が干渉しただけで、これだけズレてしまっている。ずいぶんと程度の低い奴のようだな。大胆さだけは評価してやらなくもないが……、だがそれも致命的だ」

 先ほど少年とぶつかった赤いコートの男が手にエーテライト繊維と呼ばれる糸をぶら下げてそう呟いた。

 エーテライト繊維とは擬似神経として機能する、人間の脳に繋げる事のできるUSBケーブルのような物だ。人を操るのにうってつけであるが、だが同じ魔術師から見てしまえばこれほど分かりやすい物はない。

 

 エーテライトにちょっとした干渉を施し、少年の自我を戻す。飛び出してきた所でエーテライトを切断。これだけで錬金術師の施した策に穴は開いた。

「少年は教会へ行くと言っていたなぁ。確か、代行者見習いがいるのだったか。隠蔽に気を使っているようだが、外部へ連絡を取る様子もない。後ろめたい事があるのか、すでに干渉された後なのか。まあ、どちらにせよ私には関係のない事だな。あのマンションが錬金術師の工房である事は理解した。手早く決着はつきそうだ」

 ある男よりこの町の資料を渡されたのが二週間前。すでにこの地に降り立った男はいち早く動きを見せていた。その行動が内からでる物ではないと知らず。

 

 

 

 

 

 

 宴席の途中、携帯が震えた。

「ん? もしもし、父様ですか」

 教会にいるはずの父よりの電話。月村忍が父に話をつけてくれた、と聞いていたがそれがどうして、と思ったが、なにやら妙な方向へ話は転がった。

「……ああ、はい。分かりました。すぐに戻ります」

「どうしたの、誰からさん?」

 酒に酔った月村忍に圧し掛かられる。うぐぅ、と情けない声をあげてしまった。お腹いっぱいなのだ。食べすぎである。

「……父からです。厄介事、ですね。なにやら私に客が来ているようで。尋常な様子ではないそうなので、すぐに向かわないと」

 他の方に事情説明を行ってから帰宅の準備。例えば明日の朝食であるとか、例えば寝る前の温泉だとか、起き抜けの温泉だとか、色々悔しい思いはあるものの押し込める。

 涙を呑んで、さようなら理想郷(アヴァロン)

 

 

 帰りのタクシーの中でウトウトとしていると、頭の中に声が響いた。なのはからの念話である。

『あのー森の中でちょっと暴れちゃって、木とか倒しちゃったんだけど大丈夫、かな?』

 すでに念話の方法を教わった私に死角はない。この思いを直に伝える事が、今の私にはできるのだ。

 

『それは全然、大丈夫ではありません!』

 

 ああ、旅館を離れる前に報告してくれれば……。


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