泥の中をもがくような感覚で、私は目が覚めた。
自分が寝かされている場所を首だけ動かして確認する。よくわからないが、部屋の構造を見るかぎり、ここはマンションの一室らしい。家具は揃っている。しかし、そこに人の気配はない。その癖、埃っぽくないのがモデルルームのようで、なんだか心地悪い。
窓を見るとカーテンで覆われているが日が差しているのが分かる。今が昼か夜か、それはとても大事な事だ。
あの膂力、腕を一振りでへし折った力、煙を切り裂いた伸びた爪、子どもを振り回す体力。あれは――。紛れもなく死徒。
やばい。私の手の負える相手ではない。ゾンビならともかく死徒相手に見習いが勝てる訳がない。
とりあえず、問題の解決法の模索は後に回し、落ち着いて呼吸する。深く呼吸する事も適わない。折れた肋骨が肺に刺さる可能性があるからだ。
改めて、自らの体を精査する。
顔や手足の軽度の火傷。全身の打撲、至る箇所の単純骨折、それに伴う内臓の損傷。右腕の複雑骨折。全快するまで数ヶ月若しくは一年は掛かるだろう大怪我である。この状態で一日持っただけでも奇跡に近い。案の定、全身の気だるさを強く感じる。体が熱をもってしまっているのだ。
現状、敵の対処よりも生存を優先。まずは動ける程度までの肉体の回復だ。
治癒の魔術。肉体の損傷を回復させる目的のその魔術は、最たる物は再生だったり、復元と言えるような物になる。しかしながらそんな大秘術を使える訳もない。
精々、短い時間で出来るのは傷を隠すくらいだ。内側は時間をかけてじっくりと直す必要がある。
ゆっくりと体を起こして魔術回路を起動させ、呪詛を一言。対象は一番重篤な右腕。よくもまあ出血で死ななかったものだ、と思えるような怪我である。服が血でガビガビになってしまっている。内側から突き出した上腕の骨が何とも痛々しい。骨を肉の中に押し込み、千切れかけた肉で蓋をし、皮膚で覆う。……右腕が紫色の不出来な風船みたいになってしまった。まさにシオマネキ。
自らの属性が土でよかったと今なら思う。自身に作用する力は土が本流だ。抗生物質なんて持ち合わせていないので不安であるが、魔術の効果に期待を寄せる。
ベルベットに掴まれた左足はぽっきり折れてしまっているが、右足は問題なく動く。腰や背骨も折れてはいない。ずるり、と腕を引きずって立ち上がった。切り落としたほうがすっきりする、と思わせるような痛みが右腕と左足に走る。ああ、涙が出てくる。
動く左手で服の中を弄り、手榴弾を掴む。ピンを口で抜いて――歯が所々なくなっていた……。ショックだ――玄関口に投擲。爆破。煙が晴れるのを待つと、そこには煤汚れてはいるが歪み一つない扉の姿。
「……破壊不能オブジェクト。なんちゃって」
冗談の一つでも口走ってみるが何の意味もない。体が痛むだけだ。ここはベルベットの用意した牢獄らしい。錬金術師の癖に上等な工房を作り上げたもんだ。煩わしい。
というより、生還への道筋が立たない。どうやって脱出したものか。仮に部屋を出れてもマンションから脱出できるのだろうか。現状、ベルベットと相対した段階で死が決まってしまう。……というより何故生かしたのだろうか。
窓のカーテンを開けてみる。相手は死徒。日の光の中ならば多少安心できる。がつがつと左手でガラスを叩く。割れるだろうか。
十分くらいだろうか。脱出手段が思いつかず、とりあえず肉体の回復に努めたり不調を誤魔化したりと自己の肉体へ意識を埋没していると、内側からも空けられない謎の鍵が掛かった玄関のノブが、がちゃがちゃと音を立てた。
緊張が走った。
まだ動く左手に黒鍵を三本持つ。玄関を正面に据えて、廊下を挟んで距離を取る。壁に背を持たれてかろうじて立っているような状態だが、手をこまねく訳にもいかない。
ここの主であるベルベットならば鍵なんて意味がないだろう。では誰か。分からないが、油断はできない。敵の可能性しか浮かばない。
しばらく何かを鍵穴に突っ込むような音と、鍵の掛かったドアノブを動かす音がしていたが、それも十分くらいの事。
ついに音が止んだ。
誰だか知らないが、諦めたのか。ふう、と一息ついた瞬間、ガチリ、という大きな音が響いた。そしてノブが抵抗なく動き、ドアがゆっくりと開かれる。
気が抜けた瞬間の事に動転して、私はドアが開ききるかどうか、というタイミングで咄嗟に黒鍵を投げてしまった。力の入らない体勢から無理やり投げたそれは、件の侵入者に容易く叩き落される事となった。
それは刀だった。通常の刀よりも短く、脇差より長い、小太刀と呼ばれる取り回しに特化した日本刀。舞のような華麗さで黒鍵を叩き落として、侵入者は一瞬取った臨戦態勢の構えを崩し、自然体へと切り替える。私の顔を見て、先ほどの攻撃など気にしない風に一言告げる。
「無事か、ニーロットちゃん」
黒い髪に、黒い服。甘いマスクの頼れる男。二本の刀を携えて、それは目の前に現れた。
高町恭也、その人である。
「――まさか私相手にフラグ立てに来るとはさすがKYOUYA侮れない……!」
「は?」
「あ、いえいえ。……命はかろうじて、残りました。それと呼び捨てで結構です。来てくれてありがとうございます」
月村に連絡を入れてから工房攻めを起こったのが功を奏したようだ。――目論見があっての行動ならこの言葉であっているが偶々だった場合は言わない。勿論計算通りです――。手榴弾の音を関知して、彼がこの部屋にやってきたのも然り。
あの日よりすでに一週間が経過しているそうで、さすがのさすがに月村忍が救助に派遣してくれたようだ。聊か遅い気もするが、工房なんてものに単身乗り込むリスクを考えると申し訳なさに胸がいっぱいになる。
「体のほうは大丈夫か?」
「しばらくの間は問題ありません。出血も止まっています。それよりも一刻も早くここを出なければ……」
私がそういうと、恭也さんは任せろ、と言って窓の前に立った。まさか割る気だろうか。しかし玄関が手榴弾で傷一つない事を考えると窓だって何も仕掛けがないはずがない。先ほど叩いた感覚で魔力が通っているのは把握している。そんなちょっとやそっとで割れる代物ではなくなっているのだ。防弾ガラスやワイヤー入りのガラスなんかより断然破壊が困難のはず。
「恭也さん、その窓は魔術による強化を受けているのでそう簡単に破壊する事は――ハッ!(ガシャン)――あ、何でもないです……」
私は今何とも言えない表情をしているだろう。強いて言うなら無表情。
窓を叩き割ってベランダに出た恭也さんは柵にワイヤーをまき付けている。恐らく、階下が変わっていないのならここは八階。あれで降りるつもりなのか。
「正直、マンションの中に戻る気にはなれない。ここから一気に脱出しよう」
「何かあったのですか?」
まさか工房の罠でとんでもない目にあってきたのだろうか。
「ニーロットちゃんを見つけるまでに、いくつか人気のない部屋に侵入してみたが、腐乱した死体ばかり置かれていた。……悪夢を見そうだ」
「――そうですか。それは申し訳ありません」
「君のせいじゃないさ」
かつかつと恭也さんが私に近づき、失礼、なんて言葉を言われると、私は何の反応も出来ぬまま片腕で胸に抱きこむように抱えられてしまった。体が痛むがここは我慢。変に反応するのも恥ずかしいので無関心を装っておこう。……もしかして本格的にヤバイのではないだろうか。フラグ立てられとる。
「その手足じゃ満足に動けないだろう?」
手袋をつけてワイヤーを掴み、サーっとレンジャー部隊の如く降下。近隣住民の目とか大丈夫なのだろうか。場合によっては避難訓練とでもしておくか。本格的すぎるが。
気がつくと、私はベッドの上に寝かされていた。全身を締め付けるような感触。触って確認。包帯とコルセットだ。ふむ。あのまま移動中に眠ったか、気絶か、昏睡か、まあいずれかに陥ったようだ。病院ではない。内装を見るに月村邸だろう。程なくしてノエルさんと月村忍が現れた。ベッド横に椅子を置いて忍さんが座る。
「気がついたのね、随分と酷い怪我だけど、生きててよかったわ」
「助けてくれてありがとうございます。正直、あのままでは死んでいたでしょうから」
忍さんの視線が私の右腕に向いた。あの痛々しい腕を見たのだろうか、心配しているような視線を感じる。恐らく一度メスを入れて血抜きや骨の矯正なんかもしたのだろう。ギプスに覆われているから定かではないが、幾分かシオマネキ状態から細くなっているような気がする。あのまま放置すれば結局切断するはめになる可能性のほうが大きかったので適切な処置に感謝。
と、いうよりよく見ると体、首、右腕、左足にギプスやらコルセットやらつけられている。なんと物々しい事か。鎧か何かか。全く持ってどれだけの怪我をしていたのか、詳細なカルテを見るのが躊躇われる。内臓の損傷もあった事だし。
「あなたの体、一年近くは治療に当てなくちゃならないわ。……その様子だと負けちゃったんでしょ? こんな事、いきなり言うのもなんだけど、これからどうする?」
「その事なんですが。恭也さんはいらっしゃいますか?」
「ちょっと待ってて。ノエル、お願い」
「はい、忍お嬢様」
さささと部屋を出てしばし。ノエルさんが恭也さんを連れて、部屋に戻ってきた。
「目が覚めたのか。途中気絶したときは驚いたぞ」
申し訳ないです。が、許して欲しい。
「さて、とりあえず、あのマンションで何があったか、伝えます。まあ、簡潔にですが。あそこにいたのは正真正銘の死徒でした。そして負けました」
ちょっと雑すぎる説明だが、敗北と死徒の存在。要点は二つだけだ。食事が行われているのかは不明。しかし、あのマンションの住人はすでに全員が喰われている、というのが予想にすぎないが、まあ現状だろう。あのマンション全体が魔術工房であり、グールを部屋に監禁している事から何某かの思惑があるだろうという事も伝える。
「……つまり、俺たちの手では負えない、という事か?」
「ですが、手持ちの戦力だけで当たる意外には方法はないでしょう。町に死徒が現れた段階で、教会がどの程度の規模の掃除が行われるか、私は予想がつきません。より、外部へ連絡してはならなくなりました」
「でも、でもさ、それで大変な事になっちゃったら……」
「町が一つなくなります」
少し青ざめた忍さんを横目に、きっぱりと言ってしまう。
事態は重い。手段を選ばなければ本当にビルを爆破したいレベルだ。しかし工房を破壊して、運よくベルベット自身も殺せればいいのだが、そうでなかった場合どのような事になるかが問題だ。町に出て好き勝手に食事されたら目も当てられない。
というより、時間制限もある。エルトナム秘蔵のエーテライトを使っている所を見るに、アトラス内で技術を盗み出している様子。つまり、アトラスを追放されてしかも、追手が掛かっていると思われる。
「とりあえず、私は傷の治療を最優先で行います。一週間くらいで動けるようにしておきますので、それまでの間、夜間に監視をお願いしてもよろしいでしょうか。あのマンションからもし、人が出てきたなら、それはグールですので、殺害も込みになりますが」
「……殺すとかその前に、ちゃんと確認はさせてもらうけど、いいわね?」
「はい」
「所で恭也さん頂いてもいいですか」
「は? ああ、何々、お姫様助ける王子様に見えちゃった? だってー恭也モテモテね。でも普段は本当にボケボケなんだから幻滅しちゃうわよー?」
「ほほう、余裕ですね」
「当たり前じゃない」
そりゃそうだ。これも冗談の一つである。いくら女性とは言え九歳に寝取られる心配する奴もいないだろう。
その後、父に一報を入れてそのまま、眠った。治療だとかその前に、体力の回復を最優先。
だけども、その日、起きていればよかったな、と思わせる出来事が発生していたのだった。
夕方、海鳴公園にて、ジュエルシードが発動する。そしてその場に、件の組織がやってくるのだ。
時空管理局が。
翌日、ノエルさんに起こされると、なにやら人が集まっていた。恭也さんと、私の怪我をみて顔色を悪くしている高町なのはの二人がベッドの近くにいた。
「すまない。急な話があるんだが……」
そんな言葉で始まった後、重大な事を聞かされた。
「――時空、管理局」
ついにきた。きてしまった。地球の各組織と致命的に相性の悪いあの組織がついにきた。というかこのタイミングか。身動き取れないこのタイミングか……。縄張り主張してイニシアチブを取ることすらできねえっす。
「なのはがその……時空管理局に協力したい、と言うんだが、君はどう思う」
それに一体どう答えれば正解なのでしょうか。
海鳴に来てから、早くもそろそろ五月に入るかという頃。悠々自適に月村邸のベッドの上で療養生活かと思いきやそうもいかず。結局の所、寝ていたって仕事は溜まる。怪我してたって仕事は溜まる。代わりにやってくれる人材もなし。いつだって私の仕事は後始末だ。
今なら赤い彼とも気が合うんじゃなかろうか、いやない。なんて反語で冗談飛ばすくらいには頭がハッピーな状態である。私が藤見マンションで意識を失っている間に、なんだかジュエルシードを軽く暴走させちゃったみたいな話も聞いた事で、さすがにやばいと魔力痕跡散らす作業も後に控えている。
車椅子に乗せられて外出。車を押すのは高町なのは。なにやら雑談を交わしながら向かう目的地は昨日、ジュエルシードが発動したばかりの件の公園。
到着早々確認するのは周囲の被害。……問題なし。百点をあげましょう、なんて事を言いながら、待ち合わせ場所に到着。
そこにはいつしか同様、黒い服を着た黒髪の少年が立っていた。違うのは、刀ではなく杖を持っていること。あと肩にトゲパットつけてる所。
「トゲパット……」
その呟きが聞こえたのか、ほんの少し彼は眉根をあげて、目を細めた。
「君か、この世界の魔導師というのは……その、その体は大丈夫なのか?」
体中を包帯とギプスで覆われた私の姿はどう見ても外にでてきていい人ではない。その姿を見て動揺しておられるようだが、さて。ここは嫌味の一つでも言ってみるべきか。私をベッドの上から起こしたのはあなた方ではありませんか、とか。いやいや別に喧嘩売りに来た訳ではないのでやめておこう。遜る必要は皆無だが煽る必要も皆無だ。目の前のしかめっ面の少年、クロノ・ハラオウンを前に首だけだがお辞儀する。
「聖堂教会第八秘蹟会所属、代行者……見習い、ニーロット・クリケットです」
「……時空管理局次元航行艦アースラ所属、執務官クロノ・ハラオウンだ」
クロノの掛けた体を心配する言葉を無視して所属を告げると、向こうもその用途にあった対応を返してきた。
「まずは、場所を移そう。艦に来て欲しい。承諾してくれるか」
クロノの態度に思わず疑問。妙にこちらを尊重するような物を感じる。はてさて、もしかして管理局は知っているのではないだろうか。聖堂教会の存在を。魔術師の存在を。
承諾してすぐ、地面が発光したと思ったら別の場所へ飛んだ。これ、魔術師が見たら卒倒するんじゃないだろうだろうか。……魔術っていうより科学側だからないのだろうか。
メタリックな装飾の廊下を歩く。いや、私は車椅子だけども。次元航行艦というが、正直未来チックすぎて何ともいえない気分だ。途中、金髪の少年ユーノ・スクライアと合流し、挨拶もそこそこに艦長室へ。妙に枯山水意識した変な空間へ通された。
「時空管理局アースラ艦長、リンディ・ハラオウンです。ようこそ、アースラへ、歓迎します。ニーロットさん」
私も先ほど言った通りに挨拶を返す。リンディ・ハラオウンを正面に。その横にクロノ。私の両サイドになのはとユーノが席についた。ちなみに畳ではない。畳では私が座れないからな。テーブル席です。サーチャーか何かで見て急いで変えたのか。枯山水のど真ん中にテーブルが置かれている威容な光景になってしまっている。
確か元々リンディが日本狂いなのではなく、日本人のなのは達を迎えるにあたって用意した演出、なんだったか。この光景は。
とりあえず会話を始める。斬って入るのは私からだ。
「失礼、最初に確認しておきたい事があります。あなた方は聖堂教会について、すでに知っておられるのでしょうか」
その問いに、お茶を一口含んでから、彼女は知っています、と答えた。
「管理局員全員が知っている情報ではありませんが、水面下で何度か、交渉を行い、その末に密約のような物をいくつか結んでいます」
「今私は諸事情により教会に連絡を取ることができません。本部に確認を取る事が出来ないため、あなたがたを全面的に信頼する形になります。それを踏まえてですが、その密約というのをお聞かせ願ってもよろしいでしょうか」
「わかりました。簡単にですが、教会の監視下の元、行動する事を約束しています」
「……すでに教会のほうへ連絡済みである、という事でしょうか」
その言葉に、クロノが少し顔色を濁らせた。あ、こいつら密約破ってるな……。リンディのほうは変わらず、きりっとした顔を崩さずにお茶を飲んでいるあたりさすがと言った所か。
「昨日こちらが動いたのは、緊急を要する事でしたので、事後承諾という形になりますね」
「そちらの教会へ連絡できないという事情を伺っても良いだろうか」
私はクロノに向き直す。
「今回の騒動、教会等の耳に入ればこの町が戦場になりかねないので。それ以外にも理由はありますが、教会の耳に入るのは私にとって、都合が悪い。今回の件、教会には内密に動き、もしもの場合は私が承諾した、という形にして頂きたい」
ずず、っとお茶を啜る音が室内に響いた。
「それではもしもの場合、あなた一人が責を負う形になりますが」
「構いません。というより、仕方がないという面もありますので」
見習いを都合よく利用する、という管理局にとっては体面の悪い話だが、密約という性質上、表立っての追求はできない。当然、今後の付き合いは難しくなるだろうが。しかし、今回の件は切り抜けられる。その辺りを天秤に掛けてさっと答えを出すリンディに感服である。だが要はバレなければいいのだ。バレなければ。私にはベルベットに掛けられた海鳴と外部への情報伝達の遮断、という何だかよくわからない呪いもある事だし。
見習いという点で舐めてこない辺りも、経験か、ミッドの社会観のおかげか。ほんのちょっとだけ、『かんりきょくはこどもをたたかわせるのかー!』みたいな事を言ってみたいが自分を顧みろという話である。
「……以外ですね。見習いといっても執行者と聞いていたので、私たちの行動の制限くらいはしてくるものと考えていましたが」
「本来であるのならば、外部組織などに手を借りる訳にはいかないでしょうが、まあ事態が事態ですので。この怪我を見てもらえれば分かるでしょうが」
いまだ動かぬ右手を見せるように掲げる。
「その怪我はどのように?」
「ジュエルシードを狙って、死徒が町に一匹、入り込んでいます。それの討伐を先週、行ったのですが見事返り討ちにあいまして」
「死徒、というと……」
クロノが表情を硬くしたまま、顎に手を当てた。ふむ、知っているようなら話は早い。こちらも説明の手間が省けるというものだ。
「吸血鬼の化け物ですよ。手を焼いています。つきましては討滅に際して協力を仰ぎたい、というのがこちらの要望です」
「あなたはこれから、どうするのですか?」
「傷の治療を。一週間程度を目安に動けるようにはしておきます。その後、あなた方と合流する形でしょうか」
「……一週間」
どうやって、という空気が漂う。え? ミッドの魔法だって怪我の治療くらいあるでしょうに。
「よろしければ艦の医療施設をお使いになりますか?」
「……よろしくお願いします」
好意は素直に受け取っておく。元々現代医療と魔術の相の子で治していくつもりだったのだ。その現代医療、がミッド式医療に変わるだけ。そちらのほうが圧倒的に早く治るだろう。
話もひと段落した辺りでしゃちほこばった空気も散らしておく。そうすると今度はなのはの話に移った。
「高町なのはの処遇に関してですが、保護者の方に、私に一任するという言葉を頂いています。その上で、お話させてもらいますが、どのようにするおつもりでしょう」
「こちらとしては手伝って頂けるなら事件の早期終結に繋がると思っています。ですが……」
「ですが、死徒が絡んでいるのなら、話は変わってくる」
言葉を引継ぎ私が言うと、リンディはそっと頷いた。
「で、でも! ニーロットちゃんはそんな大怪我してるのに、無理だよ! 今まで通り、私に任せて!」
「私には立場という物がありますので。第一、私は正直、死ぬ寸前でしたが、あなたも同じ目に合うか、それこそ死んでしまう可能性があるのを理解してほしい」
「それはもちろん、怖いけど、怖くても、私にだって、やらなきゃいけない事があるんだよ!」
がたりとなのはが立ち上がった。私を強い視線で見つめている。しかし、グールや死徒を相手にするならば非殺傷ではなく、物理的に頭部辺りを破壊しなければならない。そんな事、やれると本人が言ったとしてもやらせたくない。助け舟を求めてリンディを見やるが、落ち着き払ってお茶を飲んでいるのが怨めしい。我関せずとでも言うつもりか……。
「まあまあ、落ち着いてなのはさん。なのはさんには、あの少女、フェイト・テスタロッサに関する事で出てもらい、死徒を確認した場合、引いてもらう、という形でどうしょうか」
「そんなに都合よくいきますか」
「責任を持って、守らせて頂きます。出来るわね、クロノ」
「……勝手な行動を取らないでもらえるなら、という但し書きがつきますが」
ぱっとなのはの表情が花咲いた。頼れる大人を味方につけてどんなもんだ、と胸を張る彼女。うーむ。まあ、仕方がないか。彼女がいなければ始まらないのもまた事実。というか、こうなる事を見越して口答えした訳ですし。
「はあ、分かりました。存分に恭也さん辺りに叱り付けられてください」
「な、なんでー?!」
歓談の後、その場をお開きにして私はクロノに、医務室へ連行された。その合間、少しの情報交換をする。
「犯人の住居はすでに判明しています。そちらの監視網で動きがないか、チェックして頂いてよろしいですか」
「構わない。居場所が分かっているなら願ったりだ。サーチャーを送っておく」
「ああ、それと、部屋は安易に覗かないほうがいいですよ」
「ん、何かトラップのような物があるのか?」
「いえ、各部屋の住人はすでに死徒の食事となった後のようなので。そろそろ暖かくなってきていますし、時間もたっているようなので相当、痛んでいるかと」
心底嫌悪した表情が見えた。
「……だが、何か手がかりがあるかも知れない」
「その辺りの裁量はおまかせします。ただ、覚悟なしに見るよりはいいかと」
「……わかった」
これで当面の間は大丈夫だ。ぐっすりと、お休みできる。
「所で、管理局はどうして地球の組織について把握しているのです? 一般には秘匿された組織だけに、交渉の窓口すら容易に見つからない筈なんですが」
「その手に詳しい、地球出身の局員がいるんだ。その人を窓口として、何度か交渉した、と僕は聞いている」
「ほう、そのような人材が。お名前を聞いても?」
「ふむ……まあ、構わないか。ギル・グレアム提督。その人のおかげだ。確か、イギリスという国の出身だったかな」
……なん……だと。イギリスというと、件の組織、魔術協会のお膝元なんですが。そっち方面に詳しいという事はそこなのか。時計搭をご存知なのか。驚愕である。顔には出していない。なぜグレアムを知っている、みたいな話に流れても困る。しかし驚いた。
「僕の恩人でもある。素晴らしい人だよ」
これ、厄介事に繋がらなけりゃいいんですけどね。