ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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現実世界でのキリトとアスナの学校でのお話です。
ほぼ2人の世界で話は進んでいますが、学校なのでオリキャラ2名出させていただきました。
少しすれ違う2人ですが、結局ほのぼのイチャイチャですね。


きみの笑顔が……

2025月、浮遊城アインクラッドから解放されて数ヶ月後。

生還者約6,150人の中でもログインした当時、中高生だった若者達が通う

特別措置の学校があった。

 

校内になんとも言えないざわつき感がまん延しようとしていた。

誰も確認はできなかったが、どこから発生したかもわからないこの胸騒ぎのような

正体不明の期待と不安が入り交じった感覚は間違いなく生徒全員が感じていると確信できた。

校内の各所で数人単位ではあるが、ある時は朝休みの教室で、ある時はお昼のカフェテリアで

ある時は放課後の特別教室で、更には授業中の通信内でこっそりと共通の単語が

飛び交っていたのである。

 

『ケンカ』

『別れた』

 

だいたいはその単語を含む文章の最後にはクエスチョンマークが付いていたのだが……。

 

事の起こりは約2ヶ月前にさかのぼる。

まだ校内が清々しい……とまではいかないまでも、普通の空気が流れていた頃だ。

ココだけはやたらに甘い空気が流れているなぁ、と全校生徒の認識が統一されるのに

4月の入学式から、そう日にちは必要なかった。

昼休みの中庭で週に3回は目撃される光景だ。

彼女の手作り弁当を食べ終わり、午後の授業が始まるまでのつかの間、笑いあったり

お互いピッタリと寄り添ってうたた寝をしたりとイチャコラする一組のカップル。

思わず見とれるか、逆に目をそらして心の涙を流すか、見なかったフリをするか、

怒り、嫉妬、羨望、苦笑……様々な感情が中庭を中心に展開される。

その数は生徒数にとどまらず教師も含まれるという影響力の強さは、このカップルが

凡庸な2人ではない証だろう。

 

彼女の方は入学と同時にSAOでの肩書きもバレたギルド『血盟騎士団副団長』様だ。

容姿、頭脳、内面性、社交性どれをとっても文句のつけようがない。

その傍らの黒髪の彼氏はこちらも一部の生徒の間では正体がバレている。

『孤高のソロプレイヤー』、加えて主に女生徒からは『黒の騎士』様とも。

 

SAOのゲームクリア直前に、この2人が結婚した、という噂が一部で流れたが……。

真偽の程を確かめる間もまくゲームクリアで現実世界に戻ってきてたプレイヤー達は

幸か不幸か、この学校でその情報は多分真実だったのだろうと確信することになってしまう。

 

 

 

 

 

「で、何をするんだ?」

 

アスナが作ってきてくれた弁当を食べ終えたキリトは、差し出されたお茶を一飲みしてから

尋ねた。

 

「うーん……具体的にはまだなんだけどね。とりあえず学校側には了承をとったって」

「それでアスナは?」

「参加するなら模擬店とか料理関係がいいって何回も言ったんだけど……」

「実行委員やるんだ」

「……うん……それでも最初はみんな悪ノリして『副委員長』を、って言ってたのを

なんとかヒラにしてもらったんだよ」

 

心なしか機嫌の悪いキリトに、アスナは懸命に説明を続けた。

 

「ほら、キリト君とよく一緒に放課後、パソコンルームにいる佐々井君も

実行委員メンバーだけど、『ネト研』でも参加するって」

「オレ、聞いてないけど……」

 

やぶ蛇だったようだ、アスナの笑顔がひきつる。

 

「この学校、生徒会もないから、部活動できないもんね。それでもみんな少しずつ自発的に

色んな事に挑戦しようとしてる。それを発表できる場があるのはいいことだよ。だからね、

少しでも力になれればって……」

「……アイツにそう言われた?」

「別にそういうわけじゃ……」

「でもアイツなんだろ、発起人で実行委員長なの。さっきまでそこにいた」

「……名前、『茅野』くん、だよ」

「知ってる」

 

これはもう何を言っても今すぐ機嫌が直ることはないとアスナは悟った。

キリトが「アイツ」と連呼しているのは、アスナのクラスメイトの茅野聡。

アスナと同じクラスという事は、多分キリトより年上である。

この学校はSAOからの帰還者を対象としているので明確な学年割りをしていない。

入学前のクラス分けテストの結果を参考に学力別で編成しているので、結果、ほぼ年齢別か、

もしくは学力が残念な場合、自分より年若いクラスメイトを得ることとなる。

その茅野聡は入学式で入学生代表をつとめた人物だ。

噂ではクラス分けのテスト結果でアスナと同じ最高点だったが、

彼女がまだリハビリ中ということで彼が代表に決まったらしい。

「さっきまでそこにいた」と言うのは、キリトが中庭に到着するまで、ベンチに座っている

アスナの前に立ち、2人で楽しそうに談笑しているのをキリトが目撃したからで、

茅野聡はキリトに気づくと「じゃあ、よろしく」とアスナに言い、立ち去ってしまったのだ。

何の話をしていたのか聞くと、今度『校内祭』をやる企画が通ったのだとアスナから

告げられたキリトは、とりあえずアスナの用意してくれた昼食を平らげたものの、

モヤモヤとした気分は晴れず、なぜか茅野と一緒にいた時のアスナの笑顔が

頭から離れなかった。

 

 

この学校には部活動がない。

先輩・後輩と言った学年差もない、全員が4月からの新入生で成り立っている学校なのだし

何より学校側もそこまでの余力がなかった。

そこで生徒達が同好会や研究会のような形で興味のある分野を追求するグループが幾つか

自然発生していったのである。

キリトが所属している通称『ネト研』も最初は放課後の教室でPC好きな男子達が

集まってワイワイしていたものが、パソコンルームや自由教室を使う時、代表名がないと

不便という理由で『ネットワーク研究会』と命名しただけで、活動内容はかなり多岐に

わたっている。

そこで茅野聡の発案で普通高校で言う「文化祭」が出来ないものか、と学校側に持ちかけたのだ。

「文化祭」と称すると参加資格が文化系に限定されてしまうし、それほど大規模なものを

目指してもいなかったので、『校内祭』と命名したらしい。

学校創設のいきさつから、どうしても偏見の目で見られがちな学校側としても、一般開放の

良い機会という点と、立案者の連名の中に校内トップの2人の名前があった事も承諾の後押しを

したに違いない。

 

学校側の了承を取り付けた後の行動は早かった。

茅野聡を中心とし、自由教室のひとつを実行委員会室として活動拠点に決め、参加希望の団体や

クラスを募り、内容を審議し、予算を組み、場所を割り当てるまでを1ヶ月でやりきった。

デジタルパンフの制作は「ネト研」に依頼がきた。

残り1ヶ月ほどで自分達の企画も準備を進めなくてはいけない。

決して時間的に余裕のある進行状況ではなかったが、立案者に佐々井が名を連ねてしまっていては

断るわけにもいかなかった。

 

「あーっ、またバグった……これ立入禁止領域にカーソル移動させると絶対だな」

「ん〜、プログラム作り直してる時間ないぜ、佐々」

 

通称『佐々』の佐々井が頭を抱える。

 

「カズゥ〜」

 

半泣き声を演出しつつ、自らの作業に没頭している桐ヶ谷和人に助けを求めた。

 

「知るか」

「ううう〜……」

 

『校内祭』の話が出始めたあたりからキリトの不機嫌は続いていた。

参加に異存はないようだが、実行委員会に関わる事となると途端にノリが悪くなる。

 

「あっ、オレもう実行委員の方に行くわ」

 

腕時計を見ながら立ち上がった佐々井はカバンを肩にかけると教室を出る前にキリトの隣に来て

しゃがみ込んだ。

 

「なにスネてんだよ」

「別にスネてなんていないさ」

 

キリトはPC画面から視線を外さず、キーボードを叩く手も止めずに応えた。

 

「姫、頑張ってるぞ。放課後は家の事情で遅くまで残れないからって、早朝に来て自分の担当分を

こなしてるし」

「……そうか」

 

佐々井に限らず、この学校の男子生徒のほとんどがアスナの事を「姫」と隠語で呼んでいる。

 

「だからさ、カズも頑張って、時間作って、バグの原因、見つけてくれよぅ」

「……時間が作れたら……な」

「サンキュー!」

 

これで問題は解決したとばかりの笑顔で佐々井は教室を出て行った。

 

 

 

 

翌週の午前中、キリトが移動教室を出て校内を歩いていると、後ろから佐々井がやってきて

強引に肩を組んでくる。

 

「カズ!、こっちから教室戻ろうぜ」

「なんで?」

 

佐々井がキリトの肩に回した腕に力を込めて、少し遠回りな方向へとキリトを

軌道修正させようとしていた。

 

「姫の教室の前を通るために決まってるじゃん」

「お前なぁ……、実行委員でも散々会ってるんだろ?」

 

確かめた事はないが、アスナのファンクラブで会員ナンバーの1ケタ代前半の番号を

佐々井が持っているという噂もあながち嘘ではない気がしてくる。

 

「委員会中の凜々しい姫もいいけどさ、やっぱ笑顔っしょ。この心身ともに疲れ切ったオレを

元気にしてくれるのは姫の笑顔しかないわけよ」

「委員会で、笑顔、ないのか?」

 

意外そうな声がもれる。

1ヶ月ほど前に目撃した茅野とアスナの様子からして、委員会でも和気藹々と

楽しくやっているのだと思っていたからである。

 

「あーっ、姫の笑顔を独り占めしてるお前には、わっかんないかぁ。

確かに、委員会でも笑ってる時はあるけどさ。違うんだよ、お前に向けられる時の笑顔はさっ。

そりゃあもう疲れも吹っ飛ぶレベルだから」

「……で、オレはお前の気力・体力レッドゾーンのHPバーをMAXにさせるダシなのか?」

「そういう事、そういう事……ほらっ、教室ちょっとのぞいてみようぜ」

 

そう言うと教室の前側のドアから顔だけを突っ込んでキョロキョロとアスナを探し始めた。

つられるように、佐々井の陰から顔を半分出すキリト。

と、突然、佐々井の襟首をキリトは力いっぱい引っ張った。

 

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、どうしたんだよ、カズ?」

「いいから!……早く教室に戻ろう」

 

時間はまだあるだろ、と言いかけて佐々井は気づいた、キリトの表情がこわばっている事に。

まっ、ほんの一瞬だけど姫の笑顔が見れたからいっか、と思い直し、キリトの後を追いかける。

教室をのぞいた時、席にいたアスナの前には男子生徒が1人立ちはだかっていてアスナの姿を

ほとんど隠してしまっていた。

その後ろ姿は茅野聡だったのである。

同じクラスで、今は同じ実行委員会に所属している2人が一緒にいるのは何の不思議も

なかったが、茅野が少し動いた瞬間にのぞき見えたアスナの笑顔。

それはキリトでもわかるほど、特別だった。

SAOでのプレイヤーの男女比が極端であった事は、同様にこの学校の生徒の男女比にも

反映している。

当然、SAO時代からアスナの周囲に男子が多い事もキリトは当たり前の感覚ととらえていたが、

それに対するアスナの対応はこびることもなく、頑なに一線を画すこともなく、誰に対しても

一様に同じ態度を徹底していたのである。

それは裏をかえせば、特定の誰かを意識することがなかったわけだ、ただ1人を除いて。

しかし、先刻のアスナの笑顔は違っていた。

キリトに向けられる物とも違う笑顔とは……「あれはあれで、何だか癒やされたなぁ〜」と

ほんわり笑顔を浮かべた佐々井だったが「それはそれでカズにとっては問題かぁ」と笑顔を

終わらせて「頑張れよ」の意味を込め、隣を歩くキリトの肩を軽く2回たたいた。

 

 

 

 

 

その日の昼休み。

 

「アスナ、食べるか寝るか、どっちかにしろよ」

「……えっ?、あっ、うん……ごめん、ウトウトしちゃった……」

 

自分用の小ぶりのバーガー1個も食べ終わらないうちに、まどろみ始めたアスナを起こして

キリトは話を切り出した。

 

「弁当だけどさ、『校内祭』が終わるまで作ってこなくていいよ」

「……どうして?」

 

眠そうだった顔が一変、不安の表情になる。

 

「朝だって早く学校に来てるんだろ。弁当作る時間がなくなれば……」

「なら、一緒にカフェテリアかラウンジで……」

「オレも昼休み、『校内祭』の準備に充てないとマズい感じなんだ」

「……そうなんだ……」

 

それ以上はお互い何も言えなかった。

こうして名物となりつつあった昼休みの中庭での甘い空気は消散してしまったのである。

そして噂は超高速通信なみの速度で校内中に広がった。

 

『2人が中庭で一緒に弁当を食べなくなったということは……』

 

『校内祭』間近ということも手伝って、生徒達は浮き足だった。

しかし当人達に事実を確認しようとする勇者が現れなかった為、噂はひたすら噂のまま

「ケンカ」「別れた」というキーワードと共に生徒達の心を揺さぶり続けたのである。

 

 

 

 

 

そして『校内祭』前日。

教師陣の計らいで、前日は終日、準備日となった。

校内のあちらこちらで最後の追い込み作業が行われている。

『ネト研』のメンバーもパソコンルームで準備に奔走していた。

 

「佐々ぁ〜、ケーブルの長さ、全然足りないよぉー」

「くっそぉ〜っ、レイアウトしたの誰だよっ」

「てかさ、これ一斉に立ち上げてシステム展開したら電源落ちるんじゃ……」

「考えるなっ!、とりあえず祈れっ!、そして落ちた時は走って逃げよう」

「それ、シャレになんないから」

「隣の教室の電源にこっそり差しちゃうのは?」

「ハッキングして電圧変えるとか……」

「電圧変えてもコード変えなきゃ意味ないって」

「ケーブルどぉするぅー、佐々ぁ〜」

「だーっ、もうっ!」

 

なんてオレ達詰めが甘いんだろう、とメンバー達が自覚し始めた頃、部屋の隅で

心ここにあらずのメンバーがひとり。

 

「カズ、なーにひとりで黄昏れてんだよ」

「佐々か……オレ準備終わったし」

「ならさ、ケーブル長くするの手伝って」

「どんな魔法だよ。左右からひっぱる気か?」

「協力してくれよぉ。この『校内祭』は言わばお前のための『校内祭』なんだぞ」

「なにを大げさな……」

「大げさなもんか。だいたいお前が言ったんじゃないか。今組んでるシステムの

ユーザインタフェースの一般的な感想が欲しいって」

「……確かに言ったけど、それと『校内祭』とどういう関係が……」

「だから、その願いをオレが姫に言ったら、ほどなくして『校内祭』の話が来たから……多分

そういう事なんだろうなって」

「佐々〜、お前、いつの間にっ」

「誤解すんなよ。別にわざわざ言いに行ったわけじゃないぜ。前に姫が放課後、お前を迎えに

パソコンルームまで来た時、システムチェックが終わらないと帰れないって、

姫を待たせてた事があっただろ。そん時だよ」

「……油断もスキもないな」

「あったり前だっ。せっかく姫と言葉を交わせるチャンスを逃すもんかっ」

 

人の彼女だと言うのに、清々しいほどのミーハーっぷりにキリトも二の句が継げない。

それでこの『校内祭』の立ち上げ段階から佐々井の名前があったのか、と合点がいく。

 

「そろそろ暗くなってきちゃうからさ、実行委員会室行って、ケーブルもらってきてくれよ」

「お前が行けばいいだろ」

「バカ言うなよ、今オレが行ったら委員会室で終身刑だって。他の実行委員のやつら、

昨日から泊まり込みでずっと缶詰なんだぜ」

「なんでお前はここにいるんだ?」

「オレはね、今朝まで頑張っていたが、ちょっとトイレに行って、戻ろうとトイレの

ドアを明けたら、そこはパソコンルームだったんだ」

「……それって逃亡だろ」

「ワープだよ。学校の七不思議って言えよ」

 

多分、実行委員のやつらも佐々井のワープ先は承知しているのだろう。

連れ戻しにこないところを見ると、そこまで余裕がないのか……。

 

「実行委員、全員泊まり込んでるのか?」

「そっ、姫もだぜ。昨日だけ特別に家から許可がもらえたって」

「徹夜?」

「まさかっ、隣の準備室を倉庫兼仮眠室にして限界きたら代わる代わる寝てるさ」

「……ケーブルだったな」

「行ってきてくれんの?、カズ、ありがとぉ〜!」

 

パソコンルームを出て行くキリトの後ろ姿を見送りながら、佐々井は

「ついでにこの校内のザワザワもなんとかしてくれよー」

と心の中でエールを送った。

 

 

 

 

実行委員会室のドアは開けっ放しで制服姿の生徒をはじめ、ジャージ姿にエプロン姿と

様々な格好の生徒が忙しく出入りを繰り返していた。

ドアの取っ手横には『校内祭まであと「1」日』の紙が貼ってある。

 

「すみません……『ネト研』ですけど」

 

できれば足を踏み入れたくないのか、のぞき込むようにしてキリトは声をかけた。

室内はもの凄い喧噪で、誰もキリトの声に気づかない。

 

「あの……ケープルを……」

 

とにかく実行委員をつかまえようと室内を見回すと、窓際にいるアスナに自然と目がいく。

窓から入る夕焼けの陽光がアスナの顔を照らしていた。

 

「っ!!」

 

予測はしてたものの、怒りに似た感情が突如こみあげる。

いきなりつかつかと委員会室に立ち入り、机でひとりタブレットを見ているアスナに近づくと

腕をつかんで強引に立ち上がらせた。

 

「きゃっ!、え?、あっ、キリ……和人君」

 

驚くアスナの声で委員会室の中にいた生徒全員の視線が一瞬にして集中した。

キリトはそんな視線に構うことなく、無言でアスナを出入り口のドアに引っ張って行く。

 

「彼女、30分借ります」

 

それだけ告げると問答無用の勢いで出ていこうとするキリトに茅野がにこやかな声をかけた。

 

「桐ヶ谷君、結城さんの担当はとうに終わってるから、返してくれなくて大丈夫だよ」

「そうですか、じゃあお言葉に甘えて、いただいていきます」

 

丁寧な物言いとは裏腹に、茅野をにらみつけるとキリトはアスナを腕をつかんだまま委員会室を

出ていった。

残された室内の生徒は唖然としたまま、全員が動けず、さっきまでの喧噪がウソのように

たっぷり10秒間は水を打ったような静けさが実行委員会室を満たしたのである。

 

 

 

 

 

キリトはアスナを中庭に連れ出すと、いつものベンチに座らせた。

自分はアスナの向かいに立ったまま、うつむいて大人しく座っている彼女を見下ろす。

 

「ったく、何やってるんだ!」

「何って……『校内祭』の準備を……」

「そうじゃなくて、いや、それもそうなんだけど……ああっ、もう」

 

言いたい事がありすぎて、何から言えばいいのかまとまらないのだろう。

大きく息を吐きながらドンッとアスナの隣に腰を下ろす。

腕が触れあってお互いの体温を感じる。

その温かさが心を落ち着かせていく。

こんな風にぬくもりを感じることが、ひどく久しぶりのような気がして、心地よさに

涙がでそうになる。

自然と口調は静かになった。

 

「アスナ、少し寝ろよ」

「……うん……」

 

キリトの肩にアスナがもたれる。

もともと色白い肌だが、今は少し病的なくらい顔色が悪い。その顔にかかる栗色の髪を

キリトが指でそうっと耳にかき上げても、アスナの寝息が乱れることはなかった。

夜のとばりが下りる寸前、最後の力を振り絞るかのように夕陽が全ての物をあかね色に

染める刹那、その光に彼女と共につつまれる恍惚とした時間には様々な思いがかけめぐる。

 

そのまま15分程の時が経っただろうか、あたりは既に薄暗くなっており、ベンチの周辺に

設置されているライトが点灯を始める。

そこに静かな足取りで2人に近寄ってくる人影がひとつ。

 

「茅野……聡……」

 

はっきりと顔の識別が出来ない距離からキリトは迷うことなく人影の名前を口にした。

茅野聡は2人の目前に立つと、アスナの寝顔を見て安堵の表情を浮かべた。

 

「結城さんが休んでくれてよかった。昨晩から何度か寝るように声をかけたんだけど、

聞き入れてもらえなくてね」

「アスナは……近くに人が多いと眠れないんです」

「それは、君がいないと、っていう条件つきだろ」

 

全てを知っているかのようなニコニコ顔で言葉を返してくる。

佐々井から泊まり込みの話を聞いて、多分寝てないのでは、と予想はしていたが、無理にでも

休ませて欲しかったと身勝手な思いを抱いていた。

今の話からすると茅野聡も気に掛けてくれてはいたようだが……。

それよりも、まるでキリトがアスナお気に入りの毛布かぬいぐるみのような言い方がカンに

障ったのだろう、語気を少々荒げてキリトが問いかけた。

 

「実行委員長がこんな所に来ていていいんですか?」

「うーん、どうだろうねぇ。トイレ休憩にでたら、なぜか中庭にワープしたみたいで」

 

飄々とした口調は変わらない。

 

「学校七不思議ですかね」

「そうだね」

 

挑戦的な言葉もどこ吹く風といった調子で受け流されてしまった。

この短時間に七不思議をふたつも聞かされたキリトは、少々げんなりした気分で自分を

落ち着かせ、構えていた気持ちをほぐし、肩の力を抜いて茅野聡という人物を見定めようと

視線を送る。

 

「ところで桐ヶ谷くんはコレを見て、どう思う?」

 

いきなりそう言いながら茅野は自分の携帯端末を取り出して、トップ画をキリトに見せた。

光っている画面がまぶしい。

目を細めて見ると、そこにはピンク色のベビー服を着た赤ちゃんを抱っこしている茅野の画像が

貼ってある。

アスナが寄りかかっているので、姿勢を変えないように気をつけながら、端末を

のぞき込んだキリトは

 

「親戚の赤ちゃんですか?」

 

と、尋ねた。

 

「まぁ、普通はそう思うよね。歳の離れた妹とかさ。……入学式が終わってすぐの頃だったかな、

結城さんが偶然、この画像を見てね、何の躊躇もなく『可愛い娘さんですね』って言ったんだよ」

「はっ?!」

「驚くだろ?、僕も驚いた。『どうしてそう思うの?』って聞いたら、彼女こう答えたんだ。

『自分の娘をこんな風に愛おしい笑顔で見つめる人が私のすぐ近くにもいるんです』って」

「うっ……」

 

思わずうつむくキリトを見て、茅野は確信したようだった。

 

「その時は結城さんの父親のことかと思ったんだけどね。どうやら違ってたみたいだ。それで僕と

結城さんについて君に何か誤解されてたら困るなぁ、と思ってたんだけど。

僕、妻子持ちだからね。学校で浮気とか全然考えてないし」

 

まるで予想していなかった単語がポンポンでてきて、キリトは思考が追いついていかない。

 

「すみませんが、わかるように話してもらえますか」

「ああ、ごめんごめん。実は僕、あの世界に閉じ込められる前、高校生だったけど起業して

たんだよ。会社も順調だったから高校卒業と同時に結婚するつもりの彼女もいた。ところが

あの事件で2年間の浦島太郎だろ。現実世界に戻ってきてみたら彼女と僕の間にできた娘は

もう1歳半だったというわけさ」

「はぁ……」

 

何と言っていいのか感想すらでてこない。

茅野の方もキリトの感想は求めていないようで、話を進める。

 

「会社は彼女が守ってくれていたお陰で存続してたから、今度は僕が仕事を頑張ろうと思って

いたんだけど、折角ちゃんと高校を卒業できるチャンスがあるのにもったいないって

彼女に言われてね。

でもそれって更に彼女に負担がかかるだろ、だから『今更高校なんて面倒くさい』って

言ったんだ。そしたらね『将来、娘が、自分の父親の最終学歴が中卒な理由が、

高校を卒業するのが面倒くさかったからって知ったら、絶対、白い目で見られるわね』って

言われて……」

 

なんとなくその状況はキリトも、耐えられない、と思った。

 

「それでこの学校に入学したら早々に結城さんに娘の事がバレてね。でも結城さんは

僕の娘の話を本当に嬉しそうに聞いてくれるから、つい僕も休み時間とか話し込んじゃって」

 

照れ笑いをする茅野聡はすっかり娘を溺愛する父親の顔になっている。

そこでキリトは気づいた。

アスナのあの特別な笑顔は茅野聡に向けられたものではなかったのだ。

あれは茅野の娘の話を聞いて、ユイの事を想っていた母親の笑顔なのだと。

 

「話を聞いてもらっているお礼ってわけじゃないけど、結城さんが研究会で頑張っている人の

力になりたいって言ってたから『校内祭』を発案してみたんだ……桐ヶ谷くん、今回の

『校内祭』は『ネト研』や君のお役に立てそうかな?」

 

いつの間にか楽しげな口調に戻っている。

 

「……はい、それはもう……なんか……すみませんでした」

 

これ以上、なにをどう言えと?!、な心境だった。

根源をさらせばキリトが佐々井に言ったほんのつぶやきのような言葉が学校全体をまきこんでの、

文字通りお祭り騒ぎになっているのである。

それを佐々井が言うように「オレのための『校内祭』ですね」などと冗談でも言える

性格ではない。

全てが判明した今となっては『校内祭』の実行委員長をやっている茅野聡に対しては感謝しか

出てこないが、それを伝えるのも違うような気がする。

 

先ほど、実行委員会室で自分をにらみつけた人間と同一人物とは思えないほど恐縮している

キリトの姿を見て茅野聡は楽しそうにとどめの一撃を放った。

 

「そうだ、僕がトイレ休憩に立った時、ちょうど佐々井くんがこっそり君を探しにきてね。

うっかり僕が大声を出してしまったので、ウチの実行委員に見つかって捕縛されて

しまったんだよ。泣きながら『ケーブルを〜っ、ケーブルを〜っ』て唱えてたけど、

アレ、何の呪文なのかなぁ?」

「うわぁぁぁぁっっっっ」

 

思わず叫んでしまい、あわてて自らの手で口を押さえたが間に合わず、隣のアスナが目を

覚ました。

 

「……うう……ん、んーっ……あれ?、茅野くん?」

「おはよう、結城さん。あとは自宅でゆっくり休んでね。僕はそろそろ戻らないと校内放送で

指名手配されそうだから行くよ。じゃ、桐ヶ谷くんもあまり遅くならないように」

「……はい」

 

キョトンとしているアスナの隣で複雑な表情のキリトがボソリッと

 

「だから『茅』の字がつくヤツは苦手なんだ」

 

と統計学をぶん投げるような言葉を口にしていた。

 

 

 

茅野が去った後、2人はまるで2ヶ月前に戻ったように、おだやかな気持ちで

寄り添い合っていた。

いつの間にかアスナの左手とキリトの右の手のひらが重なり、指を絡め合っている。

 

「あ〜、ごめん、アスナ。オレまだ帰れそうなにない」

「いいよ、いいよ。ちょっと寝てスッキリしたから。後は家に帰って休むし。

キリト君も頑張ってね」

「ああ……っとそれから、佐々の言う事、いちいち真面目に聞かなくていいから」

「なんで?、キリト君の話、よくしてくれるよ」

「どんな?」

「色々面倒みてやってるって。バグの修正したり……」

 

キリトの頭の中で『ゴミ箱を空にする』SE(サウンドエフェクト)が鳴った。

アスナの口から発せられた邪心のない一言で、実行委員会室から佐々井を救出する

プランが『ゴミ箱』に移り、更に完全消去されたのである。

 

「とにかく、今日はちゃんと休んで」

「うん」

「明日は……オレ、『ネト研』は午後担当だから……その」

「知ってる」

 

アスナは握っていたキリトの右手に軽く力を込め、ちょんっと舌を出して笑った。

 

「実行委員だもん。調べちゃった。だから私も明日の午前中は空けてあるから、

『校内祭』一緒に回ってね」

「ああ、もちろん」

 

キリトの返事を聞いたアスナの笑顔は、佐々井に言わせればレッドゾーンどころか消滅した

HPバーさえも復活MAXにできるくらいの特別だった。

思わずアスナの頬にキスをする。

アスナを少し肩をすくめて、くすぐったそうな笑顔になる。

それを見て再びアスナの頬に、今度は唇で甘噛みをするキリト。

 

「ひゃんっ、なに?」

 

少し血色の戻った頬を赤らめてアスナはビックリしたようにキリトを見る。

 

「いや、アスナの手料理しばらく食べてないから、ちょっと飢えてて」

 

こちらも完全に照れ顔である。

 

「もうっ、だからって、いきなり……んんっ」

「ありがとう、アスナ」

 

照れ隠しの抗議は、キリトの言葉と口づけによって 最後まで言い切ることが出来ない。

中庭からはいまだかつて無いレベルの甘い空気が発生していた。

 

 

 

『校内祭』明けから中庭の空気は一転した。

と言うか、単にもとの甘い空気に戻ったのである。

同時に校内でのザワザワは跡形もなく消えていた。

生徒達はしばらく身体が重く、気力も萎えていたが、それは『校内祭』疲れだけが原因では

ないだろう。

ちなみに『ネト研』はキリトが持ち帰ったケーブルを使い、使っていない電源を隣の教室から

借りて、無事に『校内祭』での催事を乗り切ることが出来た。

そしてこの『校内祭』を境に実行委員会室として使っていた教室から夜な夜な

「ケーブルを〜」という声がする学校七不思議がまたひとつ誕生したのである。




お読みいただき、有り難うございました。
本来なら同じ学校に通っているはずのリズやシリカもご登場いただかなくては
ならなかったのですが……短くまとめたかったのでキリトとアスナの友人(?)を
1人ずつで。
オリキャラですが「佐々」には、またいつか登場してほしいです。
ただ、この子が出ると「重い」話にできない……ならない……。
では、次は仮想世界でのイチャイチャ話です。

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