ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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和人と明日奈が同じ高校に通い始めた頃のお話です。
『SAO』アニメ版第一期OP序盤、キリトが剣を抱いて座り込んでいる
カットからイメージをいただきました。
放課後の小さな出会いをお楽しみください。


黒と白の行方

四月の下旬とはいえ、太陽が陰ると肌寒いくらいに気温が低下した。

午前中のポカポカ陽気がウソのように雨雲が急速に空を覆い尽くす。

オレは学校の昇降口で上履きからスニーカーに履き替えると、空を見上げて

軽く息を吐き出した。

 

「天気予報、当たったな」

 

肩にかけたカバンから折りたたみ傘を取り出す。

今朝、無理矢理妹の直葉から押しつけられたものだ。

降水確率の数字が上がっているのは午後の数時間だけだったので、ちょうど家に

帰るタイミングで降られたらそれはそれで構わなかったのだが、制服を濡らすのは

直葉的にNGなのか……。

 

「お兄ちゃんが濡れるのは構わないけど、濡れた制服をクリーニングに出すのは

私なんだからねっ」

 

そう傘を突き出した妹の顔はどう見ても……やっぱり制服よりオレが濡れる事を心配して

くれている表情だった。素直ではない物言いに表情を緩ませつつ、有り難くあくまでも制服を

濡らさぬ為に傘を受け取ったのだ。

そんな今朝の直葉の顔を思い出して軽く苦笑いを浮かべながら、ボトボトボトッと降っている

大粒の雨にむけて黒い傘を広げる。

 

兄のオレに傘を押し付けたくらいだ、直葉自身も傘は携帯しているだろう。妹以上に気になる

存在と言えば……確か今日はオレよりも授業数は少なかったはず。きっと降り始める前に学校を

出たはずだ。

 

ぼんやりとそんな事を考えながら校門へと足を進めた。

万が一、雨が多少降り出していたとしても、明日奈には直接家まで送り届けてくれる車がある。

彼女は《現実世界》に生還してまだ数ヶ月しか経っていない。未だ体力も戻っておらず、

歩行さえも危なっかしい時がある為、学校からの帰路のみ父親の運転手付き自家用車での迎えを

受け入れていた。

ほとんど濡れることなく帰っただろうと思いながら、校門をくぐると……この時刻にいるはずの

ない見慣れた車がすぐ目の前の路上に駐車している。

すっかり顔見知りになっている品の良い初老の運転手が、車の外で傘を差しながら、

手にはもう一本、赤い傘を持ち、校門の中をうかがっていた。

オレが足早に近づくと、その姿を認めた途端、珍しく慌てた様子で駆け寄ってくる。

 

「桐ヶ谷さまっ」

 

いくら「様」はやめて欲しいと言っても聞き入れてもらえない事に少々苦笑いを浮かべてから、

直ぐに表情を引き締めた。

 

「明日奈は?」

「それが、まだ学校からでていらっしゃらないのです」

 

途方に暮れた様子でオレと校門を交互に見ている。

 

「何回かお嬢様に連絡を入れているのですが、お返事もなく」

 

オレは素早く時間を確認した。

ただでさえ自分より授業数が少ない日だ。いくらなんでもここまで遅くなるはずはないだろう。

何か事情があるとしても、明日奈が日頃世話になっている運転手に連絡を入れないのは

おかしい。嫌な想像がいくつも脳裏に浮かんだ。

 

「ここにいて下さい。校内を探してきます」

 

それだけを告げると、オレはきびすを返して校門へと駆けだした。

 

 

 

 

 

とりあえず明日奈の教室に行ってみようと昇降口を目指して走る。

さっきより勢いが強くなった雨の中、少し前屈みに傘を差して、所々に溜まった雨水など

気にも止めずスニーカーで跳ねかしながらオレは校舎に急いだ。無駄だろうと思ったが

オレからも連絡を入れてみるか、と考えていた時だ、傘に当たる雨の音と自分の靴音、

跳ねる水音にまじって微かな鳴き声を耳がとらえた。

 

ネコ?

 

思わず足を止め、頭を巡らし、耳を澄ませる。

 

……気の、せいか?

 

再び走り出そうとした瞬間、またもや耳に届いた小さな鳴き声。

 

ニャァー……

 

なぜか自然と鳴き声のする方に身体の向きを変えてしまう。

再び声は聞こえなくなったが、だいたいの方向はわかっていた。

迷うことなく歩を進めると人気のない体育館の裏手に鳴き声の主ではなく、本来の探し人の

後ろ姿を発見する。

しゃがみ込み、うずくまるように丸くなっているせいで、長い栗色の髪は毛先が

コンクリートの床に着いてしまいそうだ。

明日奈の姿を見て一安心するが、その後ろ姿から「体調が悪いのでは?」と懸念が生まれ、

足早に彼女の元に近づくと、小さな声が聞こえてきた。

 

「おいで、こわくないから。そこにいると濡れちゃうよ」

 

膝を抱え込んでいるのかと思ったが、近くまで寄ってみると明日奈の右手がまっすぐ前に

伸びているのがわかった。

 

「明日奈」

 

同じようにボリュームを絞って声をかける。

それでも急に名前を呼ばれて驚いたのだろう、ビクッと肩をふるわせて素早く後ろを

振り返ったがオレだと認識した途端安心したように、ふわり、と笑う。

 

「キリトくん」

 

互いに今日はもう会えないと思っていた相手の姿を見て思わず笑みがこぼれた。

いつもなら「キャラネームは……」と小言のひとつも言いたいところだが、他者に聞かれる

心配もない場所なのでここは大目に見るとする。

 

「どうしたんだ、こんな所で…………ああ」

 

 

明日奈が手を伸ばしていた先の雑草生い茂る中、小さくて真っ黒な雑巾が……いや、雑巾の

ようなネコが丸くなっていた。どう見ても野良猫だ。

 

さっきの鳴き声はお前か?

 

声にださない問いかけが聞こえたのか、ネコは顔をあげて「ニャァ」とひと鳴きすると

再び丸くなってしまった。

明日奈のいるコンクリートの上までは屋根が届いているので、多少雨が吹き込んでくる

程度だがその先の草むらにいるネコには容赦ない雨粒が降り注いでいる。

折りたたみの傘をたたんで、明日奈の横に同じようにしゃがみ込むと、彼女が口を開いた。

 

「帰ろうとしたら、この子の声が聞こえて。ここで見つけたの。震えてるから、どこかケガをして

るのかと思ったんだけど……違うみたいで。でも親を探すように鳴き続けるわけでもないし。

誰かに自分の存在を知らせるみたいに時々声をあげるだけで。そのうち雨もひどくなって

きちゃって……でも、私傘持ってないし、とりあえず濡れない場所に移動させてあげたくて……」

 

そう言うと、明日奈はさっきと同じように右手を伸ばし、おいでおいでをしている。

その手を見たオレはギョッとして彼女の腕をつかんだ。

 

「明日奈っ、この手」

 

手の甲にくっきりと引っかき傷がついて、血がにじんでいた。

オレの形相に困り笑いを浮かべて答える。

 

「あ……、さっき強引に抱き上げようとしたら嫌がられちゃって……」

 

……信じられない

 

口を開けたままのオレに明日奈は含み笑いをしつつ、オレを見つめながら言葉を続けた。

 

「大丈夫……黒い子の警戒心が強いのには、慣れてますから」

 

首を傾けてニッコリと笑いかけられ、オレは「うぐっ」と声を詰まらせる。

 

「……オレは……明日奈を引っかいた事、ないよ……な?」

 

気弱にも疑問形になってしまった。

明日奈は、その色白の肌のせいか、ちょっとしたことですぐに痕がついてしまうのだ。

彼女の素肌に、オレがどんなに大事に大事に触れているか……それをこんなボロ雑巾のような

仔猫にキズをつけられたかと思うと、はらわたが煮えくり返る思いだった。

 

「どうだったかなぁ?」

「へっ?」

 

全く予想もしていなかった返答に一瞬思考が固まる。

 

自分でも気づかないうちに爪を立てただろうか?

 

などと甘い記憶をチェックしていると、明日奈が華奢なおとがいに指をあてて再びオレの

顔をのぞき込んだ。

 

「アインクラッドでは、時々、心をひっかかれた気がするけど」

 

再び「ぐっ」と声を詰まらせる。

 

「それは……だ……な、明日奈……」

 

しどろもどろで言葉を探しているオレの様子を明日奈は楽しそうに見つめくるが、

再び仔猫の鳴き声を聞いて、そちらに気持ちを戻した。

 

「うーん……どうして逃げないんだろ。野良猫さんなら人が近づいたら逃げると

思うんだけど」

 

とりあえず、どこでもいいから移動して欲しいのだろう。

今以上に雨の当たる場所もそうないに違いない。

運よくどこかの軒下や公園の遊具の中にでも潜ってくれれば万々歳だ。

 

「手を差し出すと嫌がられちゃうんだけどね。かと言って自分から攻撃や逃走を

するわけでもないし……私に関心ないのかな……」

 

チクチク刺さるものを感じるのは気のせいだろうか。

落ち着け、ネコの話だ、この黒猫の。

 

動揺を悟られぬよう、あえて明日奈から目を逸らして黒猫を凝視していると、そいつが

うずくまってる草むらの更に奥から今まで聞いていたよりもう少し高い別の猫の鳴き声が響いた。

 

「ニャァーン」

 

途端に黒猫が耳をピンッと立てて、顔をあげ、自らも位置を知らせるように「ニャッ」と

短く鳴く。

ガサガサと草をかき分ける音が近づいてきた。

葉の間からヒョコッと出てきたのは……真っ白い仔猫だった。

 

「うわぁ、綺麗な白猫ちゃん……」

「確かに美ネコだ」

 

雨に濡れたせいで毛並みはペシャッとしているが、乾かしてブラッシングをすれば

白銀のフワフワになるに違いない。

黒猫と同様、仔猫ではあるが雨に打たれながらも優雅な足取りで顔をあげ、胸を張って

歩いてくる。多分、血統書付きのネコだろう、その証拠に……

 

「こっちは首輪がついてるな」

 

真っ白な毛並みに真っ赤な首輪がよく似合っていた。

白猫が近づくと、黒猫はゆっくりと立ち上がり、自分が濡れているにも関わらず白猫を

舐め始める。白猫は目を細くして気持ちよさそうに喉を鳴らしていたが、しばらくすると、

白猫も黒猫を舐め始めた。

 

「ふふっ、仲良しさんだね」

 

同じ位の大きさの仔猫のむつまじい光景を眺めて自然と明日奈の口元が緩んでいる。そして

何を思ったのか両手をぱちり、と合わせるとはしばみ色を輝かせた。

 

「あっ、もしかして黒猫くんがここを動かなかったのって、この白猫ちゃんと

待ち合わせしてたからかも」

 

だとしたら時折あげていた鳴き声も納得がいくが……果たしてネコがそこまでするだろうか?

しかも確かめたわけでもないだろうに、黒猫は「くん」、白猫には「ちゃん」を付けて

呼んでるし……。

 

「普通に黒が野良で、白が迷子なんじゃないか?」

 

裏手とはいえ学校の敷地内を飼いネコが散歩コースにしているとは考えにくい。

用務員にでも見つかれば追い払われるだろうし、生徒に見つかれば追いかけ回されるかも

しれない。何度かそんな目に合えばコースも変えるだろう。

そんなやりとりの間、白猫は明日奈に興味を持ったのか、舐めるのをやめてジッと見つめ、

それから臆することなく一匹で彼女に近づいてきた。後ろの黒猫は臨戦態勢で腰を落とし、

待機している。白猫に危害を加える気配を感じれば、いつでも飛びかかってくるに違いない。

 

お前……白猫を守る気なんだな。

 

明日奈の白い肌に引っかき傷を作った張本人(猫)ではあるが、その瞳に宿る光に決意を

見た気がして、引っかいたことは目をつぶってやるか、と嘆息を漏らす。

白猫が明日奈の目の前まできて腰を落とし、優しく「ニャア」と鳴いた。

 

「もしかしたら首輪に住所が書いてあるかも」

 

そう言って白猫を安心させるように頭や顎をやさしく撫でた後、首元へ手を伸ばし、首輪に

触れた途端

 

コトンッ

 

細い首輪がコンクリートの上に落下した。

 

「えっ?、私、ほんのちょっとしか触ってないけど……」

 

すり切れた部分があるわけでもなく、ほぼ新品に近い状態と思われる真っ赤な首輪は

どうやって仔猫の首から外れたのか、全く検討もつかない。

しかし、それで何かから解放されたように、白猫は思いっきりのびをすると再び

「ニャァン」とお礼を言うような声をあげて黒猫のもとへと戻っていった。

臨戦態勢を解いた黒猫が白猫を出迎えると、首輪の痕を消そうとでも言うのか、しきりと

首回りを舐めている。

しばらくして黒猫が納得したように白猫から顔を離すと二匹の仔猫は雨の中、並んで

草むらへと消えていった。

最後に黒猫だけが振り返り、オレに挑むような視線を送ってから。

 

「行っちゃったな」

「……うん……これからあの仔達は野良猫として生きていくのかしら」

「そうだなぁ、あの白いのだけなら、飼いたい人も出てくるだろうけど……黒は

完全ノラだな。目つきも毛並みも悪いし、かわいげもなかった……だいたいアイツは

飼い猫には向かない感じだったし」

「そうだね……でも、私、あの黒猫くん、なんか好きだったな」

 

そう言いながら明日奈はオレを見て微笑んだ。

 

「まあ、二匹一緒なら、なんとかやっていくだろ」

 

まるで自分が「好き」と言われたような錯覚を起こし、顔が熱くなるのを感じながら

立ち上がって明日奈の視線を逃れる為、意味も無く体育館を見上げた。すると頭の中で何かが

引っかかっている気がして……。

 

「んんっ?」

 

続けて「あーっ」と叫ぶ。

 

「何っ?、どうしたの?」

「どうしたのじゃない、明日奈、その手、早く消毒しないとっ」

 

黒猫に引っかかれたままの右手を素早く掴んで引っ張り上げると、明日奈がよろけて

バランスを崩し、膝をついた。

 

「イタッ」

「ごっ、ごめんっ」

「……うううん、大丈夫」

 

いまだ筋力が戻っていない上に長時間腰を落としていた為、感覚が麻痺しているのだろう、

折り曲げていた明日奈の足は、引き上げようとしても伸びるどころか全く言う事を聞かず、

しゃがんだ状態の形を崩そうとしない。

咄嗟にオレもしゃがみ込み、彼女を支える。

明日奈は左手で自らの足をしきりにさすっていた。

その顔をのぞき込むと下唇を噛み、表情を歪めている。

 

「痛むのか?」

「……少しだけ」

 

血流の低下により筋肉痛のような痛みが両足全体に広がっているようだ。いわゆる

エコノミー症候群のような症状だろう。個人差はあるだろうが痛みに対して明日奈が肯定の

言葉を口にしたと言うことは、かなり辛いに違いない。

 

「ごめんね……ちょっとこのまま……寄りかかってて……いい?」

「オレは構わないけど、それより誰か呼んだ方が……」

 

オレの提案には首を横に振るだけで答え、力ない手で両腕にすがってくる。

 

「このまま……しばらくすれば……痺れと痛みも治まると……思うから」

「明日奈、焦らなくていいよ」

「……うん」

 

しがみつくようにつかまれた両腕はそのままに、オレは明日奈に負荷をかけまいと

注意を払いながら距離を詰め、少しでも彼女が楽な体勢でいられるよう受け止める形で

胸元に引き寄せた。

その細い身体を密着させると明日奈の制服がひんやりとしている事に改めて驚かされる。

肩にあたっている頬には最近戻りつつあった薄紅色も影を潜めていた。

 

身体が冷えるもの厭わず……。

 

明日奈らしいといえば、そうなのだが、今の彼女はまだ万全の体調ではないのだ。

もう少し自分を優先させて欲しい、と思うが、それが無理な事も浅くはない付き合いで

わかりすぎるほどわかっている。

少しでも彼女を暖めようと、彼女が掴んでいるオレの腕を僅かに動かして両手を背中に回し

包み込んだ。

雨の降音がオレ達二人を世界から隔離したかのように、ゆっくりと時が流れる。

どのくらいそうしていただろうか、腕の中の彼女が身じろぐのと同時に僅かに足が動いた。

 

「明日奈?」

「……うん、感覚がもどってきたみたい。痛みも随分楽になったし……ありがとう

キリトくん」

 

自ら身体を離し、オレに微笑んでくる。

そのまま明日奈をエスコートしながらゆっくりと立たせると、オレの腕をつかんでいる

手に自然と目がいった。

血が乾ききっていない手の傷に視線が釘付けになる。その右手を持ち上げ、オレの口元に

もっていこうとした途端、明日奈が焦ったように声をあげた。

 

「だめだめだめだめーっ」

 

咄嗟に左手を傷のある甲にあててオレの行動を予測し阻む。

 

「細菌があったらキリトくんにうつっちゃう……」

 

なら、なんでそのまま放置してるんだ……とあきれ顔の視線で訴えたのが伝わったの

だろう。手の甲を隠したまま、下を向いてボソボソと呟いている。

 

「だって、さっきは黒猫くんを助けたくって……」

 

自分の事は後回しで黒い仔猫を優先したってわけか……。

 

再び、なにやらチクチクと刺さってくる感覚をはらうように、彼女を腕ごと包んで

抱きしめる。突然で驚いたのだろう、一瞬両肩に力が入ったもののすぐに緊張はとけて

軽く体重を預けてきた。片手で彼女の髪の毛を梳くと、気持ちがいいのかフワリと肩に頭を

寄せてくる。そのまま何回か髪を梳いたあとに、今度は彼女の首元で髪を束ねて首筋を

あらわにし、その白い肌に唇を押しつけた。

 

「やンっ」

 

突然の刺激に思わず声が上がったようで、再び肩に力が入る。

顔を上げ、オレから離れようとする瞬間に、彼女の背中に回したもう片方の手に力を込め

腕の中に閉じ込めた。

 

「ちょ、ちょっと、キリトくん……あっ……んっ……キリトくんてばっ」

 

顔を真っ赤に染めながらも途切れる息の合間に何度もオレの名を呼んでくる。しかしオレは

返事を返す余裕もなく、それどころか堪えるように名前を呼ばれることで内側の熱が加速度的に

膨れあがっていた。返事の代わりに唇で彼女の首筋に甘噛みをし、キスをして、舌を這わせる。

何を言っても言葉で返さないオレへ明日奈の乱れた息づかいに困惑が混じってくる。それを

耳で感じながらもオレの舐行は続き、段々と彼女の感情も押し流されていった。

そうして明日奈のようやく感覚の戻った足が再び自力では立っていられなくなる程首元にオレの

ぬくもりを注いだ頃には、既に抵抗を諦めた彼女は耳までも赤くしている。

はあっ、はあっと肩を上下させながらも唇や舌が触れる度に身体をピクリと震わせ肩をすくめて

小さい声を上げる、その仕草に刺激を受け、オレはとまらなくなっていた。

 

「ココなら痕がついてもいいか?」

 

ココ……がどこなのか、明日奈がわかるはずもない事を知った上での確信犯的な問いかけだが

「否」の返事がないことで了承を得たと判断する。いや、すでに「ココ」とは?、と問いかけを

口にするほどの理性さえ残っていなかったのかもしれない。

明日奈の髪の毛を後頭部に押しつけるように持ち上げ、その真っ白なうなじに音を立てて吸い付く

ようなキスをした。

 

「きゃっ……」

 

やはり今までより刺激が強かったのか、のけぞる様に身体をしならせる。彼女の栗色の髪の毛と

一緒に頭部をきつく掻き抱き、そのまま首の真後ろに、耳の後ろにと……雨はひどく音を立てて

いるのだが、オレから与えられる音しか明日奈には届いていないようだった。

 

「……オレも……明日奈と……ふたりなら……」

 

並んで去っていった猫達の姿が、初めて《現実世界》で彼女を抱きしめた時に見た光景を思い

起こさせる。病室の窓の外、激しく舞う雪の中、ゆっくりと遠ざかっていったふたつの人影。

伝えたい想いがうまく言葉に出来ず、途切れながら溢れてくるのを、自分には伝わっているのだと

示すように、明日奈は「うん」と短く応えてくれた。

そして息も荒いまま「私も……だよ」と言いながら、そっとオレの背中に両手を回してくれる。

自分でも手に負えないほどの熱は徐々に落ち着きをみせ、入れ替わるように優しい温かさが

身体全体に広がっていった。

 

これはオレの腕の中にある彼女からもたらされるぬくもりなのだろうか。

だとしたらもう一生手放すことはできないな……。

 

それでもいつまでもこうしているわけにもいかず、頭が理性で働くようになり、ようやく腕の

束縛から解放すると、明日奈は崩れ落ちる寸前でオレの腰をつかんだ。折り曲がろうとする足に

なけなしの力を込めているようで、わずかに震えている。

すぐさまオレも彼女の腕を支えるが……下を向いているせいで栗色の髪の毛がハラリと両肩から

流れ落ちて白いうなじが露わになった。

 

やっぱり、ついたな……痕。

 

自ら刻痕したにもかかわらず冷静に見つめていると、オレの思いが聞こえたように明日奈が

片手で首の後ろを隠すように押さえる。

いつも「痕はつけないで」とお願いさるのだが、「見えないトコならいいだろ」と譲らないのも

常で……しかし今回は服に隠れる場所ではない為、オレと同様に理性を取り戻した明日奈は

顔だけを上げて涙目で「うう〜」と唸ってくる。しかしこの反応は既に慣れっこだ。

あえて素知らぬ顔で支えていた腕に力を込め、ゆっくりと引き上げて立たせたが、足下を

ふらつかせているので支える手をその細腰に移動させた。

懸命に髪を後ろになでつけながら、まだ赤みの残る顔を向け何かを訴えてくる瞳に、

オレは僅かに取り繕う挙動不審な笑みを添えて自分を正当化する……かどうかはわからないが、

正直な気持ちを告げた。

 

「その……黒猫だけ、ズルイだろ……」

「……なにがズルイのよ……もうっ」

「だって黒猫のヤツ、明日奈に傷をつけたし……それにあんなに白猫をペロペロと……」

「……キリトくん、言ってること、意味不明だよっ」

 

キッとした視線でオレの真実ではあるが正論ではない理由があっさり一刀両断だ。

こうなるともう話題をそらすしか戦法を思いつかない。

 

「……あ〜、でも、ホント、あの白猫、綺麗だったな……赤い首輪、似合ってたのに

はずれちゃって……首輪してれば飼い主の元に戻れたかもしれ……」

「よかったのよ」

 

突然、明日奈が強く言葉を言い放った。

普段なら人の話を遮る様なことは絶対にしないのだが、まっすぐにオレを見つめ、ひんやりと

した両手でオレの頬を包み込む。

 

「白猫ちゃんは黒猫くんと一緒に生きていくって決めたんだもの。もう首輪は必要なかったん

だわ……首輪が外れた時、嬉しそうだったし」

 

打って変わって真剣な瞳で訴えてくる明日奈を見て、オレは思った。

 

あの二匹は、すっかり覚悟ができてたってことか。

 

無意識に明日奈の腰にあったオレの手が背中にまでまわり、ホールドするように抱き寄せた。

二匹の姿を思い浮かべ、意識が散漫になった刹那、今度はオレの頬に触れていた明日奈の両手に

僅かながらに力が籠もる。と同時に鼻が触れる程の距離まで明日奈の顔が近づいてきて、そのまま

オレの唇に柔らかいがヒンヤリとした感触が押しつけられた。その冷たさに意識が覚醒した途端、

更に優しく心地よい潤いが、さらりさらりと丁寧に上唇と下唇とにもたらされる。

 

「……明日奈?」

 

すぐに頬と唇の感触は離れてしまったが、オレは自分の身に何が起きたのか懸命に理解しようと

するのにいっぱいいっぱいで、考えたわけでもなく自然と問いかけるように彼女の名を呼んだ。

しかしオレの腕の中で俯いたままの明日奈は表情を見せずに早口でまくしたてる。

 

「白猫ちゃんもやってたから……だから、グルーミングッ」

 

それって、今さっき自分で「意味不明」って言ったヤツと同じだろ……。

 

意識が未だ唇に集中している隙をついて、明日奈がオレの腕をそっと取り払い背中を向けた。

オレ自身、鏡で確認せずともわかるほどに顔が火照っている。

 

やばい……まずい……なんと言うか……自分から明日奈に触れるより、彼女から触れて

くれる方が、百倍は恥ずかしい……いや……嬉しい。

 

たまらなく愛しい感情がわき上がってきた。

黒猫が去り際に向けた睨み付けるような視線の意味がわかったような気がして、じわりと

胸が熱くなる。

明日奈は自分のカバンを拾い上げながらオレに顔を見せることなく、更に言葉を重ねてきた。

 

「……あの黒猫くんだって本当はとっても優しくて、強くて……カッコよくて……

それに寂しがり屋さんだから、白猫ちゃんがついていてあげないと」

「……さっきの仔猫の話だよな」

 

カバンを両腕に抱え、後ろ向きのまま力強く頷いている。

 

「……そうよ」

「あのしっかり者の白猫も意外と泣き虫の寂しがり屋だと思うけど……」

「……」

 

ゆっくりと振り向いた明日奈は赤面のまま居たたまれないといった表情だ。

なにやら空々しい会話の応酬がされている自覚はあるのだが、そこはあえて受け流そう。

いつの間にか雨は小降りになっていた。

 

「そうだっ、明日奈、車、待たせてるだろう」

「あっ、いけないっ、すっかり忘れてて……いやーっ、こんなにメッセージ入ってる……」

 

カバンから取り出した携帯端末には運転手からの受信件数がどれほどの数になっていたのか。

 

「とりあえず連絡しろよ。保健室で消毒してから行くって」

「うん」

 

すぐさま携帯を操作し、運転手にオレと一緒だという事を含め、事情を説明している明日奈の

後ろで、オレはもう一度、二匹が消えていった草むらを見つめた。




お読みいただき、有り難うございました。
和人が初めて耳にした黒猫の鳴き声は、訳すと「お前の白、こっちにいるぞ」で
しょうか?……そして今回のテーマは『グルーミング』です(笑)
前回の予告で「どの二本を投稿するか未決」の旨を書きましたが、結局、執筆の古い順に
しました。
理由は単純で、時間が経てば経つほど恥ずかしくて投稿出来なくなるからです。
なので今回もかなり加筆・修正を致しました。
「いきおい」ってコワイけど大事ですね。
続きましてシリーズ化にしたい短編もお読みいただければ、と思います。

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