ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
一瞬の間を開けてアイが興奮気味に声を張り上げた。
『「隠しルート」ですっ』
(隠しルート?)
『たった今、私の中に情報が開示されました。ママナと一緒にお城まで来たあのキリトという少年は実は攻略対象者だったんですっ』
(キリトくんがっ!?)
『はい、だから二人でお城まで来た事でこの「乙女ゲーム」は攻略クリアとみなされました』
(でもっ、私達そういうつもりでお城まで来たんじゃないのよ)
『ママナ、忘れちゃったんですか?、どんな理由でも攻略対象者と一緒にお城まで来て転移が始まったという事は……』
(という事は?)
『お互いが好意を持ってるって事です』
(……ふえっっ!)
他者に自分の気持ちを教えられたママナは慌てふためき、思わずキリトに問いかけるような眼差しを向ける。キリトはさっきも指輪の持ち主がママナの兄でこの国の王だと言っていたので純粋に彼女が指輪を持っていたから、という理由で城へと誘ったのは疑っていないが、両想いという実感もないままシステムに判定されるなんて思いも寄らない結末に抵抗を覚えずにはいられない。
(わ、私、まだキリトくんに、何もっ…)
今の状態に驚きと焦りでいっぱいなのになぜかその瞳だけは切なげで、何かを問いたいのに口に出来ないもどかしさに唇を噛みしめているママナにキリトが光の向こうで困ったように笑った。
「また、会える……と、いいな」
やっと聞こえるかどうかの声にママナが大きく目を見開いた後、泣きそうになるのを堪えて大きく頷き一番の笑顔で返す。
「私も、会えると嬉しい」
届くと思っていなかったのか、応えてくれると思っていなかったのか、ママナからの返事に今度はキリトが真っ黒な瞳をまん丸くした。けれど互いの顔も光が濃くなるにつれてドットの粗い印刷物のように見えにくくなっていく。二人はその姿が完全に視界から消えてなくなるまで視線をはずすことなく見つめあっていた。
キリトの姿もその背景もすっかり消え、今はただ光にすっぽりと包まれた状態でなんとなく程度の浮遊感を味わっていると少しずつだがゲームをクリアしたのだという実感が湧いてくる。
「それにしても『乙女ゲームの世界』に転移する時は一瞬だった気がするのに、戻る時は時間がかかるのね」
思わず独り言のように呟いてしまうと、すぐにアイの声が響いた。
『今、同時に処理が進んでいるんです』
「処理?」
『はい、さっきまでいた世界の人達は私やママナから見ればゲームのキャラクターですが、その設定を認識している人はいません。食堂のおかみさんやお客さん達は世界が違うだけでママナと同じように自分達の世界で普通に生きているんです。だからママナの存在をなかった事にするのに記憶操作のような単純な処理では無理で……』
「そうなの?」
『だって食堂の二階の部屋はママナが生活していたままになってます』
「あっ、プリン!……みんなの分、作ったのに……」
結局キリトとママナしか食べず残りは部屋に置きっ放しになっている。
頑張って挑戦したプリンの存在を思い出して残念がるママナだったが、アイの言う通り、ただ記憶を消したとしてもそんな訳の分からない痕跡が残っていたら誰でも混乱するだろう。
「それじゃあどうするの?」
『ママナがこうやって転移しているように、あの世界もママナが存在しなかった時間軸に転移させてるんです』
「世界ごとっ!?」
あまりの規模の大きさに思わず見開いた瞳の色は、本人は気付いていないが本来の色へと戻りつつあった。
『ゲームで言えば「リセット」ですね』
「リセット……」
あの世界に転移した時、アイからゲームがクリアされれば自分の事は記憶に残らないと聞いた時は安心したはずなのに、今はなんだか少しだけ胸が痛い。ママナの表情が陰った事に気づいたのか、ママナが明るく声を弾ませた。
『そうだっ、言い忘れていました…ゲームクリアおめでとうございますっ、ママナ。それにしてもいきなり「隠しルート」の対象者を攻略しちゃうなんて、驚きました』
アイからの祝福にママナは痛みを抱えたまま眉尻を下げる。
「うーん、攻略した覚えはないんだけど」
『一般的にはレギュラーの攻略対象者を全員攻略した後に「隠しルート」の存在が明らかになる場合が多いですから』
「そうなの?」
『もしかしたら五人の対象者がみんなママナの事を好きになって、この「黒の盗賊キリト・ルート」が展開されたのかもしれないですね』
「え?、五人全員が私のことを?……」
『はいっ、強い恋愛感情とまではいかないかもしれませんが』
「それでも一人か二人、納得出来ない人がいるんだけど」
ママナが思い浮かべているのは発言が嘘だらけの諜報部室長クリスハイトと、表情と言動の違和感が著しい騎士団長ヒースクリフだ。その二人についてはアイも強引に説得するのは無理と判断したようで『うーん、そうですね』と珍しくもちょっと悩むような言葉を告げる。
『好意、と言うよりママナの事を気に入ったのかもしれません……』
「まぁ、不愉快に思うような態度はとっていないと思うから、多分、嫌われなかった、程度よね」
とにかくゲームはクリアされたのだ、ここで深く追求しても無意味だろう。攻略対象者達五人…いや、キリトを含めれば六人だろうか…彼らはもちろん食堂の夫婦も調理人達も店の常連客や街で触れ合った人々はこれからもあの世界でママナの存在をなかった事として生きていくのだ。
となるとキリトと別れ際に交わした言葉も当然叶うことはない。それでもママナにはアイとの出会いも含めて大切な思い出となっていつまでも自分の中に残るのだと両手を胸の前で握り合わせればその中にある指輪が優しく微笑むように熱を持つ。
慌てて手を広げると段々とその形状が溶けて光の粒子となっていくのを見てママナは「アイちゃんっ」と叫んだ。
『もうすぐ転移完了だからです。これはゲームのキーアイテムでしたから』
ママナがゲームの世界に転移するきっかけとなり、キリトが探し人を見つけるヒントでもあった指輪は役目を終え、その姿はどんどんと薄れ霞んでいく。みるみるうちに手の平の上には何もなくなりママナはポツリと呟いた。
「もう、お別れなんだね……」
そして最後はアイとの別れだ。
『ママナっ、私、お願いしてみようと思いますっ』
何かを決意したような芯のある声にママナは小首をかしげた。
『私はまだ試作段階のAIですが、いずれ正式名称と人型タイプのアバターが与えられるんです』
「そっか、私、アイちゃんとたくさんお喋りしたけど姿は見たことないものね」
『はいっ、だからママナみたいに長い髪の女の子がいいな、って……名前も…『アイ』は無理かもしれませんが、それに近いものを希望するつもりです』
「じゃあ元の世界に戻ったら新しいAIに注意してみるわ……アイちゃんだって、わかるといいけど」
人間の行動や感情を学んでいるのだからきっとたくさんの人達が利用する家電機器やアプリなどに搭載される可能性が高いと予想したママナは、自分でも干し草の中から針を探すような発言とは分かっていたが、気持ちに偽りはない。
ところが、アイは一転して弱々しい声となる。
『ママナ……ママナも元の世界に戻ったら、転移していた間の記憶は残らないんです』
「えっ?!……」
『だから私の事も覚えていませんし……それに、きっとゲームプレイヤーのカウンセリングを担当するAIになると思うので……ママナは普段、ゲームはしないんですよね?』
アイの問いにママナは口を噤んだ。
確かに今回の記憶がなくなってしまえば元の世界で元の生活に戻った時、ゲームに関心を示す事はないかもしれない。
それでもママナは気休めではなく勘のようなものを働かせて少しだけ微笑んだ。
「覚えてなくても、もしかしたらゲームにだって興味がわくかも……あ、そうだっ、知ってる?、すっごいデバイスが開発されたの。ゆくゆくは教育や医療の現場でも取り入れられるみたいだし、私だって受験が終わって高校生になったら勉強だけじゃなく色んな事をやってみて自分が好き、って思える物をたくさん見つけたいから…」
そんな風に思えるようになったのは、ママナが料理好きかもと気付かせてくれたキリトのお陰で、そうやって興味の範囲を広げていけば、いつかどこかでアイと出会えるかもしれない。
だから、だから、諦めないで欲しい、とママナは必死に訴えた。
「私がアイちゃんの事を忘れてても、アイちゃんが私の事をわからなくても、また出会ったらきっと仲良くなれると思うの」
転移する前だったらAIと仲良くするなんて思いもしない発想だったが、今のママナの口からは当たり前のように出てくる。
いつの間にかママナを包んでいた光の輝きが薄くなってきていた。もうすぐ元の世界へ到着し、自分が「ママナ」と呼ばれていたことすら忘れてあの誰もいない家へと帰るのだと思ったら気ばかりが急いてしまう。
「それでねっ、えっと……」
レースのカーテンのように光は儚くなって向こうの景色を透けさせている。
「アイちゃんっ、ありがとうっ」
心の中で精一杯叫んだ時、一瞬だけ前髪を短く切りそろえ背中まで伸ばした黒髪をふわり、と揺らす少女の笑顔が見えた気がした。
お読みいただき、有り難うございました。
ようやくママナは元の世界に戻りました……いつの間にか攻略していたようで。
数年後には「攻略の鬼」になるとか、ならないとか(苦笑)