ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
最後に見た花が綻ぶようなママナの笑顔が脳裏から離れなくてキリトはしばらく城の門の前で立ち尽くしていた。
視界の斜め上にはゲームクリアを意味する『Congratulation!』の文字が浮かび、華々しい音楽が頭の中で鳴り響いているのに、なぜかその音すら遠くに感じる。半月以上毎日プレイしてようやく迎えたエンディングだと言うのにキリトには達成感よりも別の感情の方が大きくて、そんな自分に戸惑ってもいた。
「NPCの少女に『また、会える……と、いいな』なんて……」
今なら馬鹿な事を言った自覚もあるし後悔もしているのに、あの時は言わずにはいれらなかった。
その呟きに戸惑ったのか、ちょっと間を置いてから「私も、会えると嬉しい」と笑った彼女は本当に可愛くて、あんな受け答えをするNPCなんて……
「はぁっ、本当に反則だろ」
全く運営側にクレームを入れたいレベルの破壊力だった。ゲームとは言えあんな少女の近くで暮らしていたら《現実世界》の女性に興味を抱かなくなってしまう男性プレイヤーが増産されるに違いない。
とは言え兎にも角にもゲームはクリアされたのだからキリトは強制的にこのゲームの世界から離脱する……いや、当人の意思に関係なく、排除されるのだ。
朝陽を背にするように振り返ると、すっかり馴染んでしまった街並みがキラキラと輝いている。
ふと、数刻前に食べたプリンの味を思い出し、もう一度食べたかったなぁ、と思いながらキリトはこの世界からログアウトした。
当選したとわかった時は「自分が持っている一生分の運を使ったかも」と思うくらい信じられない数字の競争率だった新しい家庭用ゲーム機対応ゲームのベータテスター。その試用が始まるまで、はやる気持ちを落ち着かせようと時間潰し程度の気持ちで始めたこの推理アドベンチャーゲームでキリトは『黒の盗賊』として次々にミッションをこなした。アバターの容姿がどことなくリアルの自分と似ていたのはゲームの神様の悪戯かもしれない。
『黒の盗賊』は依頼者であるNPCから頼まれた物を見つけ出し、それを盗むという手段で取り返す事でスキルを得たりレベルが上がっていくキャラだ。
序盤は退屈を覚えるほど簡単なゲームだったが少しずつ難易度が上がってくると、安直に入手した情報が偽物だったり隠し場所がそれまでより更に巧妙に秘されていたり中盤には邪魔をするNPCまで登場してくるようになった。しかも一回捕縛されてしまえばゲームオーバー。それまでのセーブデータは全て消去されてしまう容赦の無さだ。
当初の予想に反していつの間にか必死でミッションをクリアするようになっていたキリトは中盤以降、セカンドステージに移行してから毎日のようにそのゲームにログインするようになっていた。
そこで出会ったキャラクターが無口な食堂の料理長と賑やかで世話好きのおかみさん、そして給仕係のママナだった。
キリトはゲームにログインすると食堂の夜の営業が始まるまで情報を収集し、夕方から店内の片隅で客同士の他愛もないトラブルを力業で解決して閉店後の時間は『黒の盗賊』として活動していた。ママナというNPCが食堂の従業員として現れてから、情報収集の時間が削られても彼女と一緒に食事を摂るようになっのは相手を知ったり自分を知ってもらったりという行為が少し久しぶりで、それが存外心地よかったからかもしれない。
なぜかNPCであるはずの彼女も同じような気持ちでいてくれているような気がして、つい自分の分の食事を運んでもらった時は「重かっただろ?」などと気遣いの言葉まで口にしてしまったくらいだ。
ゲームの世界のキャラクターの仕草や言葉なんて制作スタッフが作り出した表情と台詞が、何十、何百通りの組み合わせで返ってくるだけのはずなのに学校からの帰宅が遅くなってしまい、いつもの時間にダイブできなくて食事に遅れても笑って許してくれたり、寝坊だと勘違いされて呆れられたり、あんな反応をしてくるNPCは今まで見たことがなかった。
そもそもあのゲームのNPC達はまるで最初からあの世界の住人であるかのように生き生きと日々の生活を送っていて、情報屋に橋渡ししてもらった騎士団長の固い表情や我を突き通す抑揚の少ない話し方さえ彼の個性に見えてくる。
その団長と言うのはこのゲームの最後の依頼を完遂する為に必ず会わなくはならない人物で、情報屋がセッティングしてくれた場所が「醤油味のしない醤油ラーメン店」だったのだ。
ちょうどママナが休みをもらう日だったから昼食はそのラーメン屋にしようと、いつもより早くログインして街に出てみれば偶然にもママナを後ろ姿を見つけたわけだが、そのすぐ前に自分の知らない男が立っているのがわかった途端、なぜか駆け寄って二人の間に割り込んでしまった理由はよくわからない。
ママナと話していた相手がキリトの目当ての人物だったのには大いに肩すかしを食らった感はあったが、結局店まで同行して美味いのか不味いのかもわからないラーメンを二人ですする事になった。あの団長も国王の妹を探す任を得ており、同時にこのミッションの挑戦者に赤ん坊の頃に連れ去られたという王女の髪や瞳の色を教える役目も担っていた。ただラーメン屋までの道を尋ねた時にママナがその人かもという可能性に至らなかったのは今ひとつ腑に落ちないが、髪や目の色だけでは王女だと断定出来なかったからだろう。
それにしても最後の探し物がずっと自分の身近に存在していたとは、灯台もと暗しと言うか、その彼女から自分に賞金がかけられていると聞かされたのだから、情報の提供者でもあり盗み出す対象者でもあると言う一人二役を担っていたわけだ。
『黒の盗賊』への依頼だから先代国王夫妻の忘れ形見である王女はどこかに軟禁でもされているのかと思ったが、ママナが指輪をキリトに見せなければきっとクリアまでもっと時間がかかっていただろう。キリトの《現実世界》での事情を言えば定期テストの一日目が明後日に迫っており、これまでゲームに時間を費やしすぎてテスト対策を完全に怠けていたからママナが目当ての王女だと確信するやいなや性急に城への同行を切り出してしまったのだ。
予想通りママナが入城した途端、ミッションクリアを示すようにその姿は消えていきゲーム自体もエンディングを迎えた。これでもうこのゲームにログインする必要はなくなり心置きなくテスト勉強に打ち込めると自分に言い聞かせたキリトだったが、本当に気持ちを切り替えられたのかどうかは定かではなかった……。
それから数年後……
夜の高級住宅街の中、少しだけ場違い感のあるコンビニの自動ドアが開き、すらりと目を引くスタイルで栗色の長い髪の少女が両方の手それぞれにホットコーヒーが入った耐熱カップを持って出てくる。
少し歩いた所で明るい店内から夜の駐車場で目が慣れていなかったのか、何かに躓いたように体勢を崩した。
「ひゃっ」と言う可愛らしい驚声はうっかり転びそうになったせいか、それともすぐさま自分の背後から腰に腕を回されたせいか……。
「気をつけろよ。コーヒー、かかってないか?」
「ん、大丈夫……って、あれ?、前にもこんな事、あった…っけ?」
「いや……あ、まてよ、うーん…なんかあったような気もするけど……記憶力に関してはあんまり自信ないからなぁ」
「もうっ、堂々と言う事じゃないでしょ、キリトくん」
「堂々と何でもない所で転びそうになったのは誰ですか?、アスナさん」
和人は明日奈の肩越しから覗き込むようにして、その明日奈は首を捻って、互いの顔を見合わせて同時に「ぷっ」と吹き出す。
コンビニの前だが深夜でもないのに人や車の往来はなく、駐車場にも和人のバイクしか停まっていない。今出てきたコンビニも二人が出てきた後は店内に客はおらず、ちらっ、と和人が振り返って見ればレジカウンターにいた店員はバックヤードに引っ込んだようで姿が見えなくなっていた。
けれど明日奈の気がかりは周囲の目より自分が持っているビニール袋の中身だ。
「だって、暗くてよく見えなかったんだもん。それより、プリン、崩れてないかな?」
「まぁ、多少崩れたって味は変わらないだろ。それを言ったらオレはこれから川越までバイクで運ぶわけだし」
明日奈はコーヒーの他、たった今コンビニで購入したと思われるプリンの入った小さな手つきビニール袋を肘にかけていた。同様に和人も彼女の身体にからめていない方の手で別のビニール袋を掴んでいる。
「このプリン、名前の通り本当にとろんとした柔らかい生地みたいだからいつも以上に安全運転じゃないとダメだよ」
「ああ、スグのやつ、明日奈の家の近くのコンビニにこのプリンが売ってるって知ってから、買ってきてってずっと言ってたからなぁ」
「どこのコンビニにも置いてある商品じゃないのね」
自分の肘にぶら下がっているビニール袋の中身は見えないが、その存在を確かめるように明日奈は軽く腕を持ち上げた。彼女の言葉に和人が微苦笑を浮かべる。
二人が持っている正式名称『とろとろとろりんプリン』は都内の一等地に店を構えるパティシエ監修の厳選された材料で作られたちょっぴり高級感のあるプリンだ。同じ系列でも各地に全国展開しているコンビニでは扱っておらず、ワンランク上のプレミアム商品を取りそろえている都内の所謂富裕層の住宅地に近い一部のコンビニでしか手に入らない。
自宅からバイクで明日奈を家まで送ってきた和人だったが、家を出る時に「今日こそ忘れないでよ、お兄ちゃん」と念を押され、それを明日奈に聞かれて、それなら結城家に到着する前に寄っていこうとなったのである。
今日は門限ほぼギリギリの時間になってしまったのでいつもの公園に寄る暇はなく、コンビニの駐車場でコーヒーを飲み終えたらすぐに明日奈を送らなければならない。彼女は歩いて帰れる距離だからここでいい、と言ってきたが、既に陽は落ちて周囲はまっ暗だ。ここまで自分が一緒に来たのに僅かな距離でも夜道を明日奈一人で歩かせるなんて選択肢は和人の中にはない。
それにバイクで送ればあともう少しこうして二人でいられる時間は増えるのだ。
家から歩ける距離にあるコンビニとは言え普段通学に使う駅とは反対方向にある為明日奈もそう頻繁に訪れているわけではなく、プリンの存在も直葉から聞いて初めて知ったようで商品棚に並んでいたプリンをジッ、と見つめている姿に思わず和人が彼女の分も購入したのである。
「私まで買ってもらっちゃって、ありがとう、キリトくん」
「別にこのくらい……でもそんなに緩いプリンなのかぁ。オレはこの前アスナが作ってくれたプリンがちょうど好みの固さだったな」
「あっ、あれね、初めて作ってみたんだけど思いのほか上手くできて……なんだか何度も作った事があるような感じがしてちょっと不思議だったんだ」
奇妙な体験を語る明日奈の身体には未だに背中から和人がぴたりと密着していて、もう支えてもらわなくても大丈夫だと伝える為に胸元にある腕をタップしようとして両手を塞いでいる耐熱カップに気付いた後、「あの……キリトくん」とおずおず声を掛ければなぜか更にぎゅぅっ、と締め付けが強くなる。
「えぇっ?、なんで!?」
「……なんだか離れがたいと言うか、離したくないと言うか……ほら、今日はオレん家でもずっとリビングでスグと一緒だったし……」
確かに今日は和人が明日奈を連れて帰宅した時に珍しく先に直葉が帰っていたのでそのまま三人で過ごす流れになり、当然過度な触れ合いはせずに桐ヶ谷家での時間は終わったのだ。
「でも今夜はログハウスでまた会えるでしょ?」
「そうだけどさ、どうせリズ達が来るだろ?」
「あ、そっか……定期テスト、もうすぐだもんね」
放課後、明日奈と一緒に学校の門を出るタイミングで後ろから里香が大きく手を振りつつ「今夜、お邪魔するからー」と叫んでいたのを思い出した和人は内心、違う意味で邪魔されるんだよなぁ、とぼやく。
明日奈は日々予習復習を欠かしていないのでテスト前に慌てる事はないだろうが、里香や珪子はいつもテスト対策に明日奈を巻き込み、二十二層のログハウスで勉強をするのが当たり前になっているのだ。
「そういうキリトくんは大丈夫なの?」
「オレ?、オレは…得意科目ならやる気が出るんだけど……苦手科目は前日くらいにならないと……」
今から勉強をする気にはなれないとほのめかす和人に明日奈の両肩の力が抜ける。
「キリトくんたら…、苦手だから時間をかけて克服するんでしょ」
明日奈のちょっと呆れモードの声に、うぬ?、と和人が眉根を寄せた。
「なんだか以前にも同じような会話、した気がするなぁ」
「そう……だね……」
記憶を辿ってみるがそれらしい思い出が蘇ることはなく二人共黙り込んでいると、和人が「そう言えばさ」と口を開く。
「《SAO》に囚われる前の話なんだけど、毎日ログインしてたゲームがあって」
「相変わらずだったんだね、キリトくん」
「すごく夢中になってた記憶はあるのに、そのゲームの内容が思い出せないんだ」
「キリトくんが!?」
明日奈が驚くのも無理はない。かつて《SAO》のベータテスターとして得たキリトの驚異的な情報量はゲーム初心者だったアスナに数え切れないほどの知識を与えてくれたからだ。
「ああ、その時は定期テスト直前までかかってゲームクリア出来たんだけど、テスト期間が終わる頃にはほとんど覚えてなくて……でも本当に楽しかったのは間違いないんだ」
「ふぅん…………で…ね……キリトくん……」
この体勢になってから既に数分が経過している。相変わらず通りは静まりかえっているが自分の家のすぐ近くという状況はいつもの公園と同じだが何の遮蔽物もない駐車場では落ち着かないのか、身体をもぞもぞと動かしている明日奈が何が言いたいのかを察した和人が額を栗色の髪に押し付ける。
「もうちょっとだけ」
なんだか寝起きの悪い子供がグズっているような声に明日奈がすぐ「そうじゃなくて」と押し返すように小さく頭を振った。
「…もっと、ちゃんと……」
和人に言われて改めて認識してしまうと明日奈も一方的な温もりだけでは物足りなさが生まれてしまったのだろう。どこまでを求められているのかはあえて追求せず少し先に駐めてあるバイクへすぐに移動するとコーヒーとプリンをその上に置いて、和人は胸に抱きついてきた明日奈を包み込み全身で互いのぬくもりを確かめ合ったのだった。
お読みいただき、有り難うございました。
【100話記念】、これで完結です。
100話(以上)書いても、まだキリアスネタが浮かぶので
これからもお付き合いいただけると嬉しいですっ。