ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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和人と明日奈の息子、和真から見たユイのお話です。


姉の存在・前編

和人と明日奈の息子、和真が覚えている一番遠い記憶は映像はなく声だけだ。

それは自分の泣き声と、それを包み込むようなとてもあたたかくて優しくて愛情に満ちた三人の声……

 

『ママっ、ママっ、和真くんが泣いてますっ』

『教えてくれてありがとう、ユイちゃん。はいはい和真くん、泣かないで。お腹が空いたのかな?、それともオムツ?……うん、この感じはオムツね』

『こんなに泣いて和真くんの肺や気管は大丈夫でしょうか?』

『大丈夫さ、ユイ。今の和真は栄養を取ってよく寝てよく泣くのが仕事みたいなもんだからな』

『えっ!?、パパっ、和真くんはまだ生後三ヶ月なのに既に報酬を得るような労働をしているんですか?』

『そ、そうじゃなくて、えっと、今のは……明日奈、笑ってないで助けてくれよ』

 

そんな記憶を抱えた和真はその後も大切に育てられた。

視界がハッキリしてくると、自分を覗き込んでくる顔を認識できるようになる。

 

『和真くん、お風呂に入ろっか』

『いや、それはオレがするよ』

『でも和人くん、夕方出張から帰ってきてすぐにシャワー浴びてたよね?』

『……明日奈がオレ以外のやつと風呂に入るのは、ちょっと……』

『なっ、なに言ってるのよっ!』

『パパ』

『なんだ?、ユイ』

『パパが出張中、和真くんは毎晩ママと一緒にお風呂でした』

『毎晩…………くそっ、だから海外出張なんて行きたくなかったんだっ』

 

一番に覚えたのはいつも笑って『和真くん』と呼びかけてくれる、柔らかな黄土色の目と髪の母の明日奈の顔。

次はちょっと不思議な存在感でいつも自分の心配をしてくれる薄墨色の目と髪の少女のユイの顔。

三番目は何でかいつもじっとりと何か言いたげに自分を見てくる真っ黒な目と髪の父の和人の顔だ。

父親が最後になってしまったのは、和人が圧倒的に他の二人より和真の起きている時間帯に家にいない為、顔を合わせられる時間が少ないのが原因だ。それでも明日奈が和真を抱っこしたままソファでうたた寝をしていれば何気ない顔でついでの様にそっと頭を撫でてくるし、明日奈が家事で手が離せない時は「ふ゛ぅ゛っ」と泣き声になる気配がすれば隣に座ってタブレットから視線を外さないまま、ぽんぽんと片手であやしてくれる。

ただ、空腹を訴えて泣いている時は母である明日奈を求めているのに、わざとらしい笑顔で抱き上げてなかなか離してくれないのは随分狭量だと言わざるを得ない。

でもそんな時はいつも可愛らしい声が助け船を出してくれるから大丈夫だ。

 

『パパっ、和真くんをママに渡してくださいっ』

『えー、粉ミルクでいいだろ。オレが飲ませるよ』

『まずはママのミルクです。それで足りなかったら粉ミルクなのでパパの出番です。私はお湯の温度と量を確認しておきますね』

『ふふっ、ユイちゃんはすっかりしっかり者のお姉さんね』

『はいっ、和真くんは私の弟ですからっ』

 

和真の周りには刺激という名の情報が目映いばかりに溢れていて、それを求めて一生懸命顔を動かし手を動かし足を動かした。

当時住んでいたマンションで自由に動けるのはリビングだけだったが、そこにはいつも相手をしてくれるユイがいて彼女からたくさんの事を教わり、ユイもまたネットを検索した結果ではなく色々な実体験でデータを蓄積して二人はいつも笑い合って過ごした。

けれどつかまり立ちが出来るようになると和人も明日奈も、もちろんユイもとても喜んでくれたが、両親は手を貸してくれるのにユイだけは応援の声をかけてくれるだけで決して和真の手を握ってはくれない。何度も何度もユイに向かって手を伸ばす和真だったがユイは少し哀しそうな顔で微笑んで『頑張って下さい、和真くん』と言いながら見守るだけだった。

歩行がしっかりしてくると、和人曰く『昼寝にもってこい日和』に明日奈は和真をよく外へ連れ出した……けれどいくら探してもそこにユイの姿はなく、どこからか声がするだけで和真は必死にユイの名前を呼ぶ。

 

『ユぅねーっ、ユぅねーっ、ママぁ、ユぅーねーっ』

『あれっ?、和真くん…もしかして、今「ユイ姉」ってユイちゃんを呼んだ?』

『ママぁ……ユぅねーっ』

『はいっ、和真くんっ、私はここにいますよっ、いつも和真くんの近くにいますっ』

 

とても嬉しそうなユイの声とは反対に、いくら呼んでも目の前に現れてくれないユイを求めて和真は大泣きを始めてしまい、慌てて明日奈は自宅へと戻ったのだった。

そして次の日、和真の腕には柔らかな素材で出来た細いブレスレットがはめられた。いくら腕を振ってもズレることはないし長時間そのままでも食い込んで痛くなったりしない。何よりそのブレスレットから『和真くん、聞こえますか?』とユイの声が飛び出して来る。

和真はきゃっ、きゃっ、と声を上げて喜んだ。

 

『ユぅねーっ、ユぅねーっ』

『急ごしらえだから可聴範囲はそれほど広くないけどな。でもこれがあればいつでもユイと話せるぞ、和真』

『有り難う、和人くん。たった一日で作ってくれるなんて思わなかった』

『明日奈さんのお願いデスから……』

 

少し照れたように和人が笑う。

けれどご機嫌の和真は更なる要求を口にした。

 

『ママっ、ママっ』

 

ユイに加えてブレスレットから聞こえて欲しいと期待するのは目の前にいる明日奈の声だ。

 

『おい、和真。明日奈の声は無理だ。ある意味ユイより難しい』

『そうよね』

『それにいつでも明日奈と繋がるデバイスなんて、作れたらオレが使う』

『和人くんっ!』

『あ、あひゅな、いひゃい……』

 

ほっぺたをつねられるのは地味に痛かったようで 赤くなった頬をさすりながら和人はもう一度『和真』と息子の名を呼んだ。

 

『ユイの姿は《現実世界》だとうちのリビングでしか見られないんだ』

『うん、あそこまで鮮明なホログラム映像だって、和人くんがすごく頑張ってくれたお陰だし』

『でも和真、お前は来年の春から保育園に通うんだからオレ達とばかりはいられないぞ』

『そうですっ、和真くん。お友達たくさん出来ますねっ』

 

少し早いかもしれないが両親やユイのいない新しい環境で和真はひとつひとつ学んでいくだろう、と息子の成長を応援する和人と明日奈の間でユイもまた笑顔で頷く。

 

『パパ、ママ、大丈夫です。保育園内の映像はいつでもチェック出来ますからっ』

 

とんっ、と自分の胸に拳を当てて自信満々の笑顔で言い切るユイの言葉に和人と明日奈は同時に『え!?』と発した。けれどそんな二人の驚きを置いてきぼりにしてユイはそれまで以上に和真との会話の時間を増やしたのである。

それから数ヶ月後、年を越して冬が終わり桜が見頃を過ぎる頃、明日奈の職場復帰と同時に和真は保育園に入園した。ここまで常にユイという話し相手がいたせいか歳の割に口達者になったかもしれない…それに保育園に行く期待や不安より母の心配を先にするママ大好きっ子にもなっていた。

 

『ママ、お仕事の場所、一人で行ける?』

『大丈夫。和真くんが産まれる前は毎日通ってた所だし』

『失敗しても、次、頑張ればいいんだからね』

『う……うん。それ、ユイちゃんが和真くんに言ってたアドバイスよね』

『でもずっとおうちにあすながいるのもよかったなぁ』

『……それは和人くんね』

 

これから毎朝保育園までの道のり、こうして大好きな母親を独占できるのなら保育園も悪くないと和真は思っていた。家にいる時もほとんど独占状態なのだが自分だけに意識が向いているわけではないからだ。もう一人、張り合うように己の存在を主張する父親がいるからである。ちなみに主張する相手は息子にではなく妻に対してだ。

それに保育園に通うようになってからユイが言っていたように同年代の友達がたくさん出来たので、そこで知った初めての感情もたくさんあってとにかく毎日が大騒ぎだった。

そうやって和真は保育園に、明日奈は久々の職場にようやく慣れて少し経った雨の日、事務所で帰り支度をしていた明日奈にユイが泣きそうな声で『早く和真くんのお迎えに行ってあげて下さい、ママ』と懇願してきたのだ。

 

『桐ヶ谷ですっ』

 

息を切らして保育園にやって来た明日奈の髪は雨でペタリとしなり、袖口やスカートの裾は濡れて色が変わっていた。パンプスには跳ねた泥水がこびりついている。傘を差していたにもかかわらず普段の清楚な姿にはほど遠い様相で表れた明日奈に保育園の職員達は驚いたものの、すぐにほっとしたような顔で迎え入れてくれた。

保育室の中にいる和真は明日奈の声が聞こえているはずなのに部屋の隅でうずくまっている。その様子を一瞬痛ましそうな目で見た明日奈は先生に断ってから靴を脱いで部屋に入り和真の前に両膝をつくと、自分に似た髪色の頭をそっと撫でて微笑んだ。

 

『お迎えに来たよ、和真くん。でもちょっと待っててね。先生とお話してくるから』

 

両腕で出来た輪の中に埋もれている小さな頭が一回だけ、こくりと動いた。

何の連絡も受けていないはずなのに「何があったのか、聞かせてもらえますか」と明日奈から請われた保育担当者は一瞬意表を突かれたものの、すぐに園長を伴って職員室横の部屋へ案内し簡易椅子を勧めた。

三人が着座したところで担当の保育士が口開く。

要約すると、今日の午後、おやつが終わった後の自由あそびの時間にトラブルが発生した。和真は何人かの園児達と遊んでいたそうだが話題が家族になり、それぞれが兄弟姉妹の有無を口にしたのだ。その中で和真も嬉しそうに姉がいると語ったそうなのだが……。

 

『お名前は、ユイちゃん、とおっしゃるとか……?』

 

確認するような保育士の声に明日奈は無言で頷いた。

 

『和真くんが言うにはいつもリビングで一緒にお喋りをしてくれると』

『はい、そうです』

『でも和真くんはそのユイちゃんの年齢を知らないんですよね?……』

 

その時和真の周りにいた園児達が次々に疑問を浴びせたそうだ。

「小学生なの?」「なんで学校に行ってないの?」「かずまくんが保育園に来ている時はどうしてるの?」……どれも答えられない和真の様子を見かねて保育士が入り、他の遊びを提案してその話題は終わったらしい。

園長先生は落ち着いた笑みで明日奈に話しかけた。

 

『園に提出していただいた書類には和真くんは一人っ子になっていましたが、色々ご事情があるのでしょう』

 

やんわりとたくさんの可能性を含む言葉に明日奈の焦りの声が反応する。

 

『あっ、決して無理に閉じ込めているとかそういうのでは…』

『わかっております。これでも多少は人を見る目はあると自負していますから』

『……失礼な物言いをしました』

『いえいえ……ただ今回の事で和真くんがお友達と距離を置いたり壁を感じるようになって欲しくはありません。どうか和真くんがきちんと納得できるようお家で話してみていただけますか?』

 

その判断に「ありがとうございます」と深々と頭を下げた明日奈は暗い表情のままの和真の手をいつもよりしっかりと握ってマンションに帰ったのだった。

 

『……ってね、園長先生がおっしゃってくださって……』

 

保育園からの二人より一時間ほど遅れて和人が帰宅すると、とりあえずいつも通りに夕食をとってからお茶を用意してリビングに桐ヶ谷家の四人が腰を落ち着ける。和真の様子がいつもと違うのに気付いたいたのか、それとも明日奈同様にユイから連絡が入ったのか、和人は普段の声で『それで何があったんだ?』と説明を求め、それに明日奈が応えたところだ。

 

『そうか……まぁ、オレ達がちゃんと説明してなかったのも悪かったよな』

『うん、なんか私達にとってユイちゃんが娘なのはすっかり当たり前の感覚になってたから……ごめんね和真くん』

 

そこで俯いていた頭を上げた和真は和人を見て、明日奈を見て、最後にホログラム映像のユイを見た。

 

『ママ…「えーあい」ってなに?、ユイ姉は「えーあい」なの?』

 

視線はユイに固定したまま問いかける。

 

『……お友達が「えーあい」って言ったの?』

『うん……「お風呂も一緒に入らないの?」って聞かれたから、ユイ姉は触れないし、リビングでしか姿が見えない、って答えたら、「えーあいみたいだね」って。その子のうちにはお願いすると透け透けの人が出てきて絵本を読んでくれるんだって』

『あー、今、家庭用AIも物によっては人型キャラクターが3D立体視できるやつあるからな』

 

とは言え一般家庭向けに販売されている物でも立体映像付きはまだまだ高額家電の部類だし浮かび上がるホログラムキャラクターの表情や会話の性能は到底ユイに及ばないのだが、幼児が想像できる物となるとそれが一番近いイメージだろう。

幸か不幸か和真の通っている保育園に預けられている子供達は居所が広範囲にわたっているので自宅にまで遊びに行くことはまずない。園の子達がユイを少し高価なAIと思ってくれているのならわざわざ訂正する必要はないが、和真の認識は正しくしておいた方がいいと和人は考えた。

 

『和真、保育園で明日奈の……ママのこと、他の人はなんて言ってる?』

 

突然の話題転換に理解が出来ない明日奈が目をしばたく。

入園してまだ数ヶ月だが生活のペースを作る為に朝はずっと明日奈が出勤前に息子を送り届けていた。だから同じような時間に送迎している保護者とは顔を合わせるし、その子供達の名前も何人かは把握している。和真はその質問に水を得た魚のように父親譲りの真っ黒な瞳を輝かせ声を弾ませた。

 

『えっとね、もなちゃんママとたーくんママは「和真くんママは美人だね」って。みつおくんパパやかえでちゃんパパなんか「マジか、げきヤバ美人だな。で名前教えてくれる?』って聞かれたからパパに言われたとおり「ないしょっ」って答えたよ』

『よく覚えてたな和真、えらいぞ。そのみつおくんパパとかえでちゃんパパについては後でじっくり話そうな』

 

ぐりぐりと力強く和人に頭を撫でられた和真は実に嬉しそうだ。しかしいつの間に夫と息子の間でそんな会話が交わされていたのか、明日奈は首を傾げる。そして、みつおくんパパとかえでちゃんパパについて何を話し合うつもりなのか、ちょっとだけ和人の笑顔が不穏だ。

けれど和人は和真の頭から離した手をそのまま明日奈の頬に移して傾きを戻すように手の平を密着させ、ついでに指先で耳たぶを擦りながら『それで明日奈が綺麗なのは当然として』と前置きする。

 

『和真はどう思ってる?』

 

間髪を入れずに和真は胸を張った。

 

『ママはねっ、美人じゃなくて可愛いんだよっ』

『だよな』

 

男達二人の笑顔の同意に明日奈は一瞬にして頬を赤くし『はっ!?、え?、なっ…なに言って……』と狼狽えた。抗議の声を塞ぐように和人の親指が今度は明日奈の唇をなぞる。それ以上侵入されるわけにはいかないと急いで口を閉じた明日奈にしてやったりの笑みを見せつけてから和人はひとつ頷いて和真に、続けろ、と合図した。

 

『時々おっちょこちょいするし、おばけ苦手だし、シフォンケーキが綺麗に膨らむとすっごく嬉しそうだしっ』

 

息子の評価に何か物申したいのか明日奈は唇を開かずに「んむぅーっ」と発言権を請い眉をハの字にさせる。その声を押し込むように和人は彼女の唇の弾力を指の腹で弄んだ。

 

『そうそう。だけどよく知らない人は「美人だ」って言うだろ?……それと一緒なんだ、和真』

 

ようやく妻の顔から手をはなした和人だったが、その声も表情も穏やかで大きな包容力を含んでいたから明日奈は開こうとした口をそのままに安心した目でこの場を任せる。

 

『ユイは保育園の子達が思っているようなAIじゃないけど、それはユイをちゃんと知ってる人じゃないとわからない。ここに時々遊びに来るスグや他の人達はユイを和真のお姉ちゃんだってわかってるだろ?』

『うん。直葉ちゃんもリズちゃんもクラインも、みーんなユイ姉が僕のお姉ちゃんでいいね、って』

『ちょっと待って……和真くん、なんでクラインさんだけ呼び捨てなのかな?』

『パパがそれでいいって言ったから』

『……和人くん、後でお話があります』

 

桐ヶ谷家ではこの後も個々で話し合いの場が設けられるらしい。

けれど和人との会話でユイの在り方を理解出来たのか和真の顔に愁いのない笑顔が戻った。

 

『じゃあやっぱりユイ姉は僕のお姉ちゃんだねっ』

『そうだよ和真くん。ユイちゃんは「えーあい」だけど、和人くんと私の娘で和真くんのお姉ちゃんだよ』

『ああ、そうだな』

 

三人の言葉にそれまでずっと黙っていたユイがポロポロと涙を流しながら微笑む。

 

『はい、私はこれからもずっとパパとママの娘で和真くんのお姉ちゃんです』

 

光の粒を纏っているような眩しい言葉に和人と明日奈が揃って頷いていると和真だけは何かを思い出したように「あ」と口を開いた。

 

『でもね、僕、ユイ姉とお風呂に入ってみたいなぁ』

 

保育園で聞かれた問いから他の友達が兄弟でお風呂に入っているのだと知って羨ましくなったらしい。

 

『うーん、そうなるとやっぱりログハウスだよなぁ。でも和真じゃ《ALO》の推奨年齢にはほど遠いし……』

『一緒にお風呂に入るとね、ユウジョウが深まるんだって』

『和真くんの保育園のお友達は物知りさんなのね』

 

ちょっと引き攣った笑顔の明日奈の隣で和人が何やら真剣に考え込んでいる。

 

『確かに、最近全然明日奈と風呂に入ってないしな。まあオレ達の場合、深まるのは友情じゃなくて愛情だけど』

『和人くん、真面目に考えてよっ』

『真面目に考えてるさ。そもそもオレ達だってここ最近は一緒に《ALO》にダイブしてないからユイにゆっくり会えてないだろ?』

『うーん、それはそうなんだけど……』

 

明日奈の職場復帰やまだまだ手のかかる和真が保育園に通い出した事で毎日大なり小なりクリアしなければならない課題が発生し、二人がキリトやアスナとして二十二層の森の家を訪れるのは週一回程度でそれぞれが空いている時間にだ。

両親の会話を聞いていた和真が小さく「えーえるおー?」と口にすると、それを聞き取ったユイが彼の前にちょこんと正座をし、目線をあわせてニコリとする。

 

『はい、私は《ALO》という世界でなら会えるんです』

『お手々にぎったり?』

『はい』

『ほっぺたぷにぷにしたり?』

『…はい』

『ギュッ、てしたり?』

『はい?』

『ユイ姉、ママとしてないの!?』

 

リビングでユイの姿を目にして言葉は交わせても触れられないのはわかっていた和真だったが自分の両親も同様とまで考えが及んでいなかったらしく純黒の目を丸くしていた。それに明日奈などは絶妙な距離感でホログラ映像であるにも関わらずユイの頭を撫でる仕草をしたりするので、なんとなく和真は自分だけがユイにさわれないような思い込みをしていたのだ。

 

『ちなみに今のぷにぷに、や、ギュッ、は何なんだ?』

 

和人が不思議そうに尋ねると途端に和真の目に星が宿る。

 

『保育園に行く時ね、ずっとママと手をつないでね、園の入り口で、もっとママと一緒にいたいなっ、って思って止まると、ママがしゃがんで僕のほっぺぶにぶにしてからニコって笑って「さ、行こ、和真くん」って言って、園でママとお別れする時は必ずギュッ、ってしてくれるんだ』

 

毎朝そんなルーティーンをしていたのか、と和人の顔には驚きと羨ましさと恨めしさが混在するが、聞かされたユイは困ったように笑うだけだ。

 

『大丈夫です、和真くん。和真くんが産まれるまでたくさんパパとママに甘えましたから。それにあまり会えなくてもここで姿を見たりお話ししたりできます』

 

小学生くらいの容姿のユイは「これでも結構大人なんですよ」とちくはぐな説明をするが、それを聞いた和真は納得するどころか眉をぎゅぎゅっ、と寄せて「それでもダメっ」と声を張る。

 

『だってパパだって大人だけどお仕事で遠くに行っちゃった時は毎晩ママとテレビ電話でお顔見ながらお話出来るのに「もう無理だ、爆発するっ、あすなに会いたい」って言ってるよ』

 

明日奈が「ひゃぁっっ」と悲鳴を上げた。

 

『かっ、和真くんっ、いつの間に聞いてっ……』

 

耳まで茹で上がっている明日奈の隣で和人はうんうんと頭を上下させながら「一泊までだな、二泊は我慢できない。三泊目には爆発する自信がある」と神妙な声で断言していると和真の前にいるユイが、はぁっ、と息を吐いて「パパ、人間は爆発しません」と間違いを正している。

そんなやり取りを見ていた和真は初めて和人を「お父さん」と呼んだ。

 

『朝もちゃんと起きる…ご飯の後片付けだってママ…お母さんのお手伝いする……夜、おやすみなさいする時間も守るし……あと、えっと…そうだ、誕生日プレゼントもいらないから……だから、僕、ユイ姉とお風呂に入りたい』

 

普通の姉弟なら当たり前の事なのに、ここまで思い詰めなければ口に出来ない願いにしてしまったと明日奈の瞳が潤む。けれど和真は信じていた……自分の父親ならこの願いを絶対叶えてくれると……。

 

『わかったよ、なんとかしてやる』

 

和真が頑張った時に向けてくれる明日奈とはまた違った穏やかな微笑みの和人が頷く。

和人だって妻の願いの次くらいに娘や息子の願いは叶えたいと思っているのだ。妻と過ごせる時間は減ってしまうだろうが、和真の願いを叶えて欲しいと、和人の大好きなはしばみ色の瞳も訴えているのだから。

そして和真はなんだか自分ばかり両親とたくさんスキンシップをとっている気がして、姉は「いいんですよ」と言ってくれたけれど、それから「パパ」「ママ」と呼ぶのをやめて「お父さん」「お母さん」に変えた。何か姉だけの特別をあげたかったからだ。

数ヶ月後、浴室にはバスタオルを身体に巻いて、ちょっぴり恥ずかしそうに頬を染めるユイのホログラム映像が湯気にも負けずに映し出されるようになった。ただ、当然触れる事は出来ないので和真とユイの二人だけの入浴とはならず明日奈が一緒に入っている。

ただ一つ誤算だったのは一番の功労者である和人だけ、ユイが「恥ずかしいからパパとお風呂には入りません」とお年頃の女の子宣言をした為、ひとり蚊帳の外にされた事だ。

結局和真が小学校に入学するタイミングで一戸建てを購入して引っ越した為、保育園の友達がユイに会う機会は訪れず、小学生になった後はほどなくして明日奈の懐妊、出産で新しい家族が増えたので兄弟の話題になった時は小さな妹の話ばかりした。成長するにつれて「姉もいる」と公言するようになったが、口上手で要領の良い和真らしく「遠くで暮らしてるけど殆ど毎日お喋りするよ」と言い添えていたのでそれ以上追求してくる友人はいなかった。

ユイも変わらずにリビングでは自由にホログラムで動き回っていたが、和真が友達を家に連れて来た時はあえて姿を見せずにその様子を微笑ましく眺めるだけに留めていた。

しかし、和真が高校生になって少しした頃、初めて同級生が桐ヶ谷家にやって来た時、アクシデントは起こったのである。




お読みいただき、有り難うございました。
プロローグで前編が終わりました……あれ?
さくさく、って終わるはずだったのに……あれれ?
とりあえず、みつおくんパパとかえでちゃんパパは和真くんに対して
大変丁寧な言葉遣いになると思います。
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