ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
『赤き焦熱のラプソディ(下)』の発売日ですので、短めですが……。
《セントラル・カセドラル》九十階の大浴場で一日の疲れを流しさっぱりしたキリトは三十階の部屋に戻ると、リビングソファに座っているアスナの姿を見つけて、おや?、と首を傾げた。
最近は風呂好きのアスナに感化されたのか、はたまたこの白亜の塔の巨大風呂の居心地が良すぎるのか、アスナと一緒に風呂場へ向かっても帰りは自分の方が遅いのは珍しくないが、それでも先に戻っているアスナだって風呂上がりのホカホカふわふわ状態でいるのが常なのに、今日に限って髪はすっかり乾いており風呂上がりの気の抜けた様子もなく何かを一心に見つめている。
なんとなく抜き足差し足忍び足で近づいてしまったのは彼女の思考の邪魔をしないようにであって、決して驚かせようとか色々な下心があったわけではない……多分……きっと。
「アスナ」
声をかけると同時に素早く隣に腰を降ろし、顔を寄せてすぅっ、と深く息を吸い込む。
花のような、お日様のような、お菓子のような、アスナのやわらかな匂いで内を満たしたキリトはそれだけで気持ちが安らいで、思わず瞼を閉じてもっとその香りを堪能しようとした所で彼女が手にしてた物に気づき逆に目を見開いた。
「何かの提案書か?」
人界統一会議が発足するとほぼ同時にキリトがその代表剣士、アスナが副代表剣士に就任したが、まだ日も浅く、やらなければならない事は山積み状態で、それが増える事はあれど減る兆しは一向にない。今までの最高司祭による独任制から整合騎士やカセドラル各部局の長達による合議制へと転換したせいで手を上げやすくなったのか、意見書や陳情書の類いが毎日キリトの目の前に積み重ねられるのだ。
そして当然のように、その羊皮紙や常用紙が混在している山を一枚一枚丁寧に減らしていくのはアスナである。
一読してから対応にふさわしい部局へ回したり、内容によってはかいつまんでキリトに伝え人界統一会議での議題にしたり、と次々に処理をしていく姿を見て、局員達はもう直接副代表さまの所へ書類を届けた方が早いのでは?、と考えるほどだ。
とは言えこうなる事を見越してか、キリトの執務室はアスナと兼用という事になっているので結局はキリトの机に毎日紙の束は届けられるのである。
だからアスナが紙を持っていればそれはだいたい代表剣士宛ての書類なのだが……自分の名前に続いて問われた疑問の言葉と一緒にキリトの息まで頬にあたって、その距離の近さに驚いたアスナが「ひゃっ」と肩を揺らす。それから急いで首を横に振り、キリトにも見やすいように紙の角度を調節した。
「私の新しい衣装をね、用意してくれるって」
声に躊躇いが含まれているのはアスナ自身が積極的に望んでいないからだろう。
交流のある騎士見習いの少女達はもちろん、下位騎士から整合騎士、術師をはじめとするカセドラルの職員達はみなそれぞれの職種や地位に見合った衣装を着用している。唯一の例外はキリトだろうが、基本、黒で地味めで簡素な服ぱかり選ぶので、自ら進んで代表剣士という最高位を示すような衣装を欲しがるはずもなく、逆に「今のままがいい」発言をかまして周囲を黙らせたくらいだ。
当然、アスナもキリトと同じく「今のままで……」と思ったのだが、ふと自分の装いが創世神ステイシアと同一視される一因だと気付いたためアユハ師団長に相談したところ、ならば新しい騎士服を、という運びになったのである。
アスナとしては既存の服の中から選ぶと思っていたのに、相談した翌日、かの神聖術師団長はなぜか懇願するような目で「お色はこの《カセドラル》と同じ純白でっ」と否を許さない勢いで告げ、ご丁寧にも高価な羊皮紙を用いたデザイン画を押し付けるように渡してきたのだ。
事の次第を聞いたキリトは改めて「どれどれ」と本気で興味があるのかどうか判別しずらい声でアスナの手にある紙を覗き込んだ。そこには基本となるブラウスにスカート、それに上着の型が幾つか描かれており、更に細かく袖や襟の形状、丈の長さが選べるようになっていた。端の方にはブーツや手袋などの他に装飾品等の小物も書き添えられている。
「まぁ、アスナの場合、整合騎士みたいなガッチガチの鎧は必要ないし」
なつかしくも旧SAOでアスナの装備品について低層で常に相談にのっていた相手はキリトだった。あの時はとにかく耐久値が第一で見た目は二の次だったが、おしゃれなアスナのことだ、衣装を新調するとなれば好みはあるだろうし創世神のステータスと元来の細剣使いとしての腕前に加え、この世界特有の神聖術というシステムも既にもの凄い早さで習得しているので防具としての意味合いはほぼ皆無の騎士服でも問題はない。
「やっぱり動きやすい方がいいわよね。いくつか試着させてくれるみたいだし」
伝えるともなく呟いたような口調を受けてキリトはステイシア姿のアスナをぽんっ、と思い浮かべた。
血盟騎士団の衣装は事前に相談もなく準備されてしまったらしいが、今回のステイシアもアカウントが用意してあったのだからキャラクターデザインもある程度は出来上がっていたのだろう。薄ぼんやりと覚えている限りだが《太陽神ソルス》のシノンもどこかアスナと共通のイメージを彷彿させる衣装だった気がするから、会う事は叶わなかった《地神テラリア》のリーファと共に三大神は統一感を醸し出しているに違いない。
多分、だが……《ラース》側としても今回のように神話として語り継がれている最高位のアカウントを使用して大戦の戦局を左右させる想定はなかったのではないだろうか。なぜなら、どう考えてもあの衣装は戦場を駆け巡ったり、文字通り一騎当千の働きに適しているデザインではなく、思い返せば今までの《仮想世界》で見たアスナの装いの中で肌の露出度的には一二を争う仕上がりだった、とキリトの眉間に深い皺が刻まれた。
色はいい……白いドレスに赤いライン、まさにアスナの色である。
けれど胸部や腕部のアーマーなんてほとんど形ばかりだし、腰部にいたってはもはや装飾にしか見えない有様で両肩に胸元、それに脇の下や脇腹までも晒し、太ももだってかなり際どいラインだったのだ。
あの衣装で大立ち回りを繰り返していたのかと思うと今更ながら違う意味であの場にいた者達全員に殺意が湧いたキリトは、はぁ、とやるせない息を吐いた後「もう一度《東の大門》に行かなきゃ、だしな」と徐にアスナの細い腰に腕を回す。
「シュータさん、元気かしら」
デザイン画から一旦意識を外したアスナが少し懐かしそうに微笑んだ。
「無音」の異名を持つ整合騎士シュータ・シンセシス・トゥエルブは人界統一会議の全権大使として今は拳闘士イスカーンの元にいる。今度の和睦交渉の場には同席してくるだろうが、キリトとしては《東の大門》で初顔合わせをした時、無駄な会話は一切せずにすぐさま帝城オブシディアに行ってしまったので表情筋があまり動かない整合騎士という印象しか残っていない。
「拳闘士は《東の大門》まで徒歩なんだよな?」
「うん。でもきっと徒歩、って言うより走ってくると思うよ」
どっかの運動部の基礎練みたいだな、とちょっとだけキリトの目がどんよりするが、話を聞く限り長であるイスカーンをチャンピオンと呼び、戦い方も拳を武器とする熱いギルドなのだ、間違いなく体育会系の民族だろう。一方、人界統一会議側から交渉に赴くのは当然キリトでアスナも同行する手はずになっている。二人だけなら飛行術で移動すれば早いのだがそうもいかず、必然と馬か馬車を使うはずで……央都セントリアを抜ける時、三女神の一人と周知されているアスナの人気を考えると集まるだろう民衆の視線を予感して彼女の腰に伸ばしていた手に自然と力が籠もった。
アスナは動きやすさを重視したいようだが、そうなると今のステイシアの衣装と五十歩百歩のデザインになることを容易に想像したキリトは次に何か閃いたようにニヤリと片方の口角を上げる。
「アスナ、衣装の打ち合わせっていつなんだ?」
「和睦交渉に間に合わせたいから、早速、明日の朝一番にって」
「ふーん」
何気なさを装いながらアスナの柳腰にもう一方の腕もくるりと回して引き寄せる。
くいっ、と身体を横に引かれて僅かに顔に傾斜がつき、ついでに「んん?」と疑問の声を上げて更に首を倒してしまったせいで栗色の髪がさらりと流れ、細くて白い首元が露わになった。そこにキリトが自分の唇を、ぎゅっ、と強く押し付ける。
驚きではしばみ色の瞳を大きくしたアスナだったが、すぐにその表情は痛みによって歪められた。
まるで赤子が乳を求めるようにキリトはアスナの肌にきつく吸い付いているのだ。
「っつ!……ぅっ……キ、キリトく…ん?」
一体何が原因でいきなりこんなキスをされているのか、わけもわからず痛みと混乱で瞳が潤んでくるが名を呼んでもキリトは唇を離してくれない。ただ、背中にある彼の手が宥めるように強請るようにさすってくるので、ただの激情ではないのだと気付けば首に与えられている刺激に記憶が呼び起こされ身体が反応する。
「そ…れ、…ダメ………」
アスナが思い描いてしまった結果こそキリトが望むもので、ようやく唇を離すと今まで吸い付いていた場所を見て満足そうに目を細めた。
「うん、綺麗に赤くなったな」
「う゛ぅ…」
情けない声を出してしまったのは未だにキリトにキスされた箇所の痛みが引いてないせいもあるが、それ以上に自分の身に起きた反応が恥ずかしかったからだ。この《アンダーワールド》という世界のイマジネーションの力は皮肉にもこの世界で生きている人達以上にアスナを翻弄させている。今、キリトから受けた刺激も《現実世界》での経験から導き出される結果を知っているからこそ肌が素直に色を変化させてしまうのだ。
そして同様に《現実世界》で明日奈の肌に朱を刻んだ唯一の人がキリトだからこその結果でもある。
「ど、して…ンっ」
咎める視線は見えないふりで、理由を問いただそうと開いた薄桃色の唇は己のそれで塞いだキリトは、ちゃんと鮮やかな朱花が咲いたことを確認できて嬉しそうにアスナを横抱きにソファから持ち上げた。少しばかり心意を使ったから不安定さはなかったと思うがアスナにしてみればキスをしたまま再び予想外の行動に出られたので咄嗟にキリトの首にしがみつき、山形に跳ねた眉毛はすぐに眉間を谷間にして抗議を示している。
それを内側からほぐすように優しく舌で咥内を愛撫しながら、とりあえず実証はできたことだし後は寝室でトロトロに蕩けさせてからたくさん……と、これからの事を思い描いて、キリトはこれまた心意で寝室のドアを開いたのだった。
翌日……予定通り新しい衣装のデザインを決めるため神聖術師団長のアユハ・フリアは参考にと何着かの衣装をアスナの前に並べた。前日に宣言した通り、色は真珠色のみ。それでも様々なタイプを揃えている。
「アスナ様、お気に召した物があればどうぞご試着を」
「ええ、ありがとう、アユハさん」
けれど礼を言うアスナの笑顔はいつもより少しぎこちないように見えて、アユハは理由を問うべきかどうかを迷った。だがそんな葛藤に気付く様子もなくアスナは目の前の服を見て気持ちが少し上向いたのか、ひょいひょいと手に取って吟味していく。
「えっと……和睦交渉の場はフォーマルだからブラウスの襟は高めの物を、上着も必要かな……あ、でもちょっと腕が動かしづらいかも……」
「でしたら上着は丈の短い羽織り物にしてはいかがでしょう」
「うん、そうね。あとスカートは昨日用意してもらったデザイン画の中で……これ、このプリーツが多いのにしたいんだけど、騎士服も兼ねているからウエスト部分だけ何か柔らかい素材で剣帯が出来るようにしてもらえるかしら?」
「わかりました。ですがこのスカートだけでは些か心許ないので腰回りも後ろ側だけもう一枚加えましょう」
「ふふっ」
「……どうかされましたか?、アスナさま」
「うん、なんだかこうしてるとアユハさんて私の世話を焼いてくれるしっかり者のお姉さんみたいだなって思って。あっ、ごめんなさい、アユハさんにはちゃんとソネスさんって妹さんがいらっしゃるのに」
柔らかく表情を崩した後、へにょりと眉尻を落としたアスナにアユハは一瞬目を見開き、彼女にしては珍しく僅かに言葉をどもらせた。
「そ、それは…大変光栄です。ですが、多分…なのですが……あ、いえ…これは私の憶測で……」
「なんですか?」
「その、妹のソネスなのですが……」
「ソネスさんが?」
「はい、きっとソネスの方が無意識にアスナさまの事を妹のように感じているのではないかと」
「え??」
「普段からどの生徒にも厳しい事は厳しいのですが、特にアスナさまの講義には熱心な様子なので……こんな言い方は本来許されないのですが、きっとアスナさまに対してソネスなりに親愛を持っているのでしょう」
「……だったら、やっぱりアユハさんも私にとってお姉さんですね」
再び花が咲くような笑顔を取り戻したアスナに今度はアユハもつられて頬を緩める。けれど本来の目的を思い出したのかすぐに表情を引き締めた。
「おみ足はどうされますか?」
「タイツにショートブーツを」
「アスナさま?、随分と素肌を覆う物ばかりお選びになっていませんか?」
「ふぇっ?!…え、えっと……そ、そんなことは……」
「整合騎士の方々とは違うのですし、言いたくはないのですが代表剣士さまが随分と質素な物を着用されているのでもう少し華やかでも」
「あの、でも、ちょっと…出来れば…絶対肌は見えない感じのがいいんですっ」
今日の試着だけなら何とか乗り切れるかもしれないが、今後、昨晩のような行為をされたら肌を色づかせない自信のないアスナはやや涙目になって必死に訴えたのだった。
数日後、仕上がった衣装を着用したアスナが「どう?」と伺うように首を傾けると、それを見たキリトが「おおっ」と眩しさに目を細めるような仕草の後「うん、似合ってる」と笑顔で告げるが、全身を確認してから「それなら…」と何やら不埒な考えを匂わせる言葉を発した途端、脇腹にめりこんだアスナからのグーパンチによってそれ以上口からまともな声が出ることはなかった。
お読みいただき、有り難うございました。
神聖術師団長のアユハさんや妹のソネスさんはご本家(原作)さまの
19巻、20巻『ムーン・クレイドル』の登場人物です。
性格的なものは勝手に設定させていただきました(苦笑)
ウラ話は通常投稿にまとめさせていただきます。