ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
店内のワイワイガヤガヤとした雰囲気に同調してしまったのか、身体がポカポカして気持ちがフワフワしてなんだか楽しいっ、と思いながら明日奈は居酒屋の店員が運んできてくれた料理を置くスペースを作るためにテーブルの上をささっ、と片付けた。
今夜は大学で同じ専攻の学生達が集まる親睦会に参加している。
大学に入学した当初、二十二層の森の家でリズから「絶対、飲み会には参加しちゃダメだからね」と言われた時は揺り椅子に座っていたキリトも、その頭の上に座っていたユイもそろってウンウンと頭を振っていたが、リズに禁止されたのは「飲み会」と「コンパ」と「合コン」の三つだ。
どれも中身に大した違いはないのだが、それすらよくわかっていない明日奈は「とにかくその三つのキーワードでなければ大丈夫なのよね?」と判断して……当のリズが聞いたら「そうじゃないっ」と頭を抱えそうだが……キャンパスの最寄り駅にある創作料理が人気の居酒屋に来ている。
あの時のリズ曰く「アスナは地域限定、期間限定、数量限定といった限定品みたいな感じなのっ」と彼女を例えた。
「つい欲しくなる、つい手が伸びる、この機会を逃したら手に入らないかもしれないって心理になるのよっ、男どもはっ」
「どんなに欲しがってもやらないし、伸びてきた手は叩き落とすし、アスナを他のヤツの手に触れさせる気はないけどな」
「いちいちうるさいっ、例えれば、の話でしょうがっ」
真面目に茶々を入れてくるキリトをひと睨みしたリズは再びアスナに向き直ってズイッと顔を近づける。
「だから、いーい、アスナ。当分はそういった集まりに誘われても断ることっ。言いたくないけどアンタを餌にして参加者を増やそうってケースもあると思うし」
なるほど、と違う意味でキリトが頷く。
アスナ目当てで男性参加者が増えればそれを目当てに女性参加者も増えるという事だ。
「当分、ってどれくらい?」
「大学で付き合いも増えると思うから、その中でアスナを利用目的で近づいてくる子とそうでない子の区別がついてから」
「それでも最初はアルコール抜きにしろよ」
アスナがお酒に強いタイプではないと知っているキリトからも制限がかかる。
「じゃあ親睦を深める為のお食事会みたいな感じから?」
「そうそう、そんな感じ」
少し安心したような顔になったリズだが「本当にわかってるのかしら?」と一抹の不安は隠せない。
この前、何の気なしアスナの大学名でSNSを検索してみたら「今年の新入生に超ド級の美人発見」とか「ロングヘアでスタイル抜群の女子学生5号館前で目撃」など、もしかしたらアスナかも、という書き込みがかなりヒットしたのだ。慌ててキリトに知らせたら、彼は既に把握済みで「隠し撮りとかはユイに削除してもらってるけど、確実にアスナの事だって分からないのはどうしようもない」と悔しそうな口ぶりだった。
社長令嬢の肩書きやそのたぐいまれなる容貌によって昔から耳目を集めてしまう事が当たり前だったアスナは周囲の視線に無頓着なところがある、というのがキリトとリズの共通認識である。ちょっと意地悪をしているような気分にはなるが、これも親友のため、とリズは再度「夜に不特定多数が集まってお酒を飲むのはしばらく我慢ね」と言い渡したのだった。
それから二ヶ月近くが経った今……学内で明日奈の知名度は凄いことになっていた。
学年や学部を越えて「話したことはないけど名前は知ってる」という程度の学生なら三桁に上るだろう。同様に「どんなに誘っても飲み会には参加しない」というスタイルも認知されていた。
その下地があったからこそ今回の専攻親睦会に明日奈が参加の旨を伝えると噂はあっと言う間に広がり、男女とも出席率は一気に跳ね上がった。当初は店内の一角をリザーブする予定だったのが急遽ワンフロアー貸し切りにしなければならなくなったほどだ。
明日奈としては大学に通うようになってある程度月日も経過したし、同じ専攻という括りならほとんど顔見知りなので不特定多数でもない。「親睦会」という名目ならリズの言ったワードにも引っかからず開始時間も十八時からで割と早めの設定だったので二時間ほどで帰ればあまり遅くはならないと思ったから参加を決めたのである。
もちろん和人にも事前に報告済みだ。
ただ参加の返事をしてから伝えたため若干不機嫌になってしまったことは否めない。
「二時間でお開きにならなかったら迎えに行くから」
「えっ!?」
「お開きになっても迎えにいく」
「ええーっ!!??」
「金曜なんだからそのままオレんとこに泊まってけばいいだろ」
どうせ明日奈以外の参加者達はその後の二次会、三次会を想定しているだろうし、その為の金曜開催だ。居酒屋だけで終わると思っているのは明日奈くらいだろう。
この二ヶ月間、全てが全て下心の絡んだ誘いではなかっただろうが、とにかくリズとキリトとの約束を守って断り続けてきた明日奈だ。これからのキャンパスライフを思えば周りとのコミュニケーションや心象が大事なのはわかっているので和人も最後には「楽しんでこいよ」と送り出したのである。
そして明日奈は今、和人に言われた以上にこれでもかという程の笑顔を振りまいて親睦会を楽しんでいた。
ひとつは居酒屋のメニューに興味を引かれる物がいくつもあるからだ。テーブルに並んでいる料理に使われている素材は手に入りやすい一般的な物がほとんどだが、創作料理の文字を掲げるだけあって味付けや組み合わせにとても工夫が凝らされている。
運ばれてくる度に、そして味わう度に小さな驚きがあって料理好きの明日奈を魅了する品ばかりだ。
それに同じ専攻でも今まで顔しか知らなかった学生達との会話も楽しかった。選択している授業やしていない授業、教員の感想など二ヶ月経ったからこそ交わせる会話に頷いたり驚いたりと忙しい。
そして自分の小ぶりのタンブラーに注がれている「シャンディ・ガフ」という飲み物も初めての体験だった。
入店して席に落ち着いた時、ファーストドリンクのオーダーでつい「ダイシー・カフェ」で頼む癖になっていた「ジンジャーエールを」と言いかけた明日奈は、この店ではよくある甘口のタイプかも、と思い至って変更しようとしたのだが偶然隣になった女子から「ジンジャーエール、好きなの?」と問いかけられたのだ。とりあえず「うん」と肯定した明日奈に彼女は「だったら私と一緒にシャンディ・ガフにしない?」と誘ってきたのである。
「シャンディ・ガフ?」
「ビールをジンジャーエールで割ったカクテルのこと」
「お酒じゃないのがいいんだけど」
「オッケー。ならヴァージン・シャンディ・ガフにすればいいよ」
「それだとお酒じゃないの?」
「ノンアルのビールで作ったやつだから」
「のんある?」
「ここ、割とオーダーの融通が利くお店だから大丈夫。料理も美味しいしこの辺では一番気に入ってるんだ」
からからと大口を開けて笑う彼女は今日の親睦会の会場がこのお店だから参加したのだと言った。
「詳しいのね」
「食べたり飲んだりが好きなだけ。もっとも今夜の男子学生参加者のほとんどは貴方目当てみたいだけど」
そう言われて思わず周囲を見回すと、ぱっ、と顔を反らす男子や手を振ってくる男子が何人もいる。
「無理もないか。なんかモデルか芸能人みたいに綺麗だもん」
「そ、そう?、ありがとう」
「ってもモデルとか芸能人、直接見たことないけどさ」
再びからからと笑う彼女につられて明日奈も「ふふっ」と笑った。それから自分のオーダーもしてくれたのでもう一度「ありがとう」と言うと「真面目だなぁ」と今度はちょっと呆れたように笑う。
こんな風に初対面の人に面倒を見てもらう経験があまりない明日奈は少し照れくさい気分になるが悪い気は全くしない。それはお酒に慣れていない事で侮ったり、自分が知識があるからと偉ぶったり、恩着せがましい態度を取ったりせず、彼女の行為がシンプルだと感じさせてくれるからだ。
それから程なくして参加者全員に飲み物が行き渡り、幹事の挨拶を皮切りに親睦会は始まったのだった。
初めて味わったシャンディ・ガフはさっぱりとした口あたりで意外にも少し物足りなさを感じた明日奈が「こういう物なのかな?」と小首をかしげると、それを察した隣の彼女が「味、薄くない?」と気にかけてくれる。
「アルコール入ってないとね、どうしても気の抜けた感じになっちゃうみたい。体質的にアルコールがダメじゃないなら、ちゃんとしたシャンディ・ガフ、飲んでみない?」
押しつけがましくはないお誘いに、それでも明日奈は「うーん」と迷いを見せた。
別に不味くはない。一方で折角だから本来の味を知ってみたいという欲もある。けれど今日の集まりを知った和人からは「酒は控えろよ」と言われて来たので、それを無視するわけにはいかない。
答えの出せない明日奈の心情を察したのか、彼女は「だったら」と更なる提案をしてくれた。
「ジンジャーエール多めでオーダーできるよ」
「ほんと?」
「基本は一対一だったと思うけどこのお店なら普通に対応してくれるから……頼んでみる?」
「うんっ」
それくらいならいいかな?、と楽しさで気も大きくなり、ちょうど他にも二杯目を頼む学生が何人もいたのでそれに乗じて注文した後、二杯目のシャンディ・ガフが運ばれてくる間にテーブルに並んでいる料理をちょんちょんと箸でつまむ。
「あ、本当に美味しい」
「でしょ?」
自分事のように、にこりと笑うと彼女は「あれと……あ、あれもオススメ」と幾つかの料理を明日奈に勧めた。言われるまま箸をつけて舌鼓を打っていると新しいシャンディ・ガフが到着する。それを恐る恐る口に含んだ明日奈は驚きで目を丸くした。
さっき飲んだヴァージン・シャンディ・ガフとは濃厚さが全く違う。更にジンジャーエールが多いせいでピリッとした辛味が際立ち明日奈としては断然こっちの方が好みでコクコクと素直に喉を通っていった。
「口に合ったみたいでよかった」
「!っ……ありがとうっ」
隣からの言葉に夢中で飲んでいた自分に気付いて、急いでタンブラーから離れ、色々と気遣ってもらった礼を言ったところで少し遠くから呼び声が飛んでくる。どうやらその声は明日奈の隣にいる彼女の名前を叫んでいるらしかった。
「あれ?、なんだろ?、なんかトラブったのかな?…ごめんね、ちょっと離れる。幹事に手が足りなかったら手伝う、って言ってあったんだ」
「いいよ。気にしないで行って」
ほぼ初対面の明日奈にも物怖じせず気軽に面倒を見てくれた彼女だ、交友関係は広そうだし頼りにしたくなる気持ちは十分わかる。けれど彼女は明日奈を気にしている男子学生がチャンス到来とばかりに腰を上げきる前に近くにいた女子グループに声をかけて自分の場所に呼び寄せてくれた。きっと明日奈が一人になった瞬間、男子学生に取り囲まれると察してくれたのだろう。親睦会に参加している同じ専攻の学生なのだから下心があったとしても追い払うわけにはいかない。明日奈の立場が悪くならない為の配慮に再度感謝を告げようとする前に彼女は立ち去ってしまい、後を受けた女子学生達も心得たとばかりに親指を立てて笑った後「結城さんと喋ってみたかったんだ」と言って自分達が受講しているおじいちゃん教授の講義内容が全然聞き取れない問題を面白おかしく話し始めたのである。
それから最初に声を掛けてくれた彼女は明日奈の隣に戻ったり呼ばれたりを何回か繰り返し、明日奈も親睦会だからと積極的に他の女子達と会話を交わし、飲み物も何度かおかわりをしつつ楽しく過ごしていた時、近くの一人が「これ、誰かのと間違えてるかも」と持っていたタンブラーの中身の正体を探るように持ち上げた。その意味にいち早く気付いた彼女がほぼ空の状態に近い明日奈のタンブラーを「ごめん、残りちょうだい」と言って止める間もなく飲み干すと途端に困り顔のしかめっ面になる。
「結城さん、大丈夫?」
「大丈夫って?」
「これ、ちゃんとしたシャンディ・ガフだよ」
「ちゃんとした?」
「今までのよりビールの割合が多いってこと」
多いと言ってもこれが通常の割合なのでまさに正真正銘のシャンディ・ガフである。
「へえぇ、そうなんだぁ」
驚きの言葉尻がちょっと間延びしているがそれ以外は特に変化は見られない。シャンディ・ガフを勧めた彼女は最初に明日奈がアルコールを躊躇っていた様子からてっきり酒に弱いかもしくは、あまり想像出来ないけれど酒癖が悪いのかと思っていたのに少し拍子抜けなほど通常運転だったから、ほっ、と安心して次に間違えてビール少なめのシャンディ・ガフを飲んでしまった女子学生へのフォローに入る。
ただ、もし明日奈の性格を熟知しているリズや、それこそキリトがこの場にいればすぐに違和感に気付いた事だろう。
宴もたけなわで席の移動は激しいし、既に呂律が回らなくなっている者も少なくない……結果、浮かれまくっているこの場では割合が違うだけで同じ名前のカクテルがそれぞれの注文主に正確に届かなかった状況など誰の非なのか判断は難しい。それでも明日奈は他者のオーダーカクテルをほぼ飲みきってしまっているのだから、平時ならすぐさま謝罪を口にするだろうし、そもそも一口目で味の違いに気付いたに違いない。
要はいくら割合が少ないとはいえ普段全く馴染みのないビールを飲んだ明日奈は既に完全に酔っ払っていたのだ……自分が酔っている自覚がないほどに。とどめが最後の正規割合のシャンディ・ガフである。
そして幸か不幸か、この親睦会会場でそれを見抜けた者はいなかった。
とりあえず明日奈が飲むはずだったアルコール度数の低いシャンディ・ガフを新しい物と取り替えてもらえるよう段取りを付けて賑やかな一角に戻った彼女は改めて密かに噂されている今年の新入生美人ランキングナンバーワンを観察した。
確かにこれは文句なしにナンバーワンだ。
見た目はもちろんだけど椅子の座り方から箸の動かし方まで所作も綺麗だから元々美味しい料理が更に美味しそうに見えるし、彼女が口に運ぶと居酒屋の料理が高級割烹の料理に見えてくる。
しかも今日初めて短時間しか言葉を交わしていない自分でも分かるほど内面ももの凄い美人さんだ。
時々席を外す自分が戻ってくればいち早く気付いて場所を空けてくれるし、会話に入りやすいようその時の話題をさり気なく教えてくれる。単に聞き上手なのかと思えば添えてくる言葉は知識の深さを感じさせるものばかりで、耳に優しい声や話し方でつい聞き入ってしまうほどだ。
そんな彼女が間違えてうっかりカクテルを飲んでしまった時は少々慌てたが、思ったほど影響は出てないように思えてこっそりと安堵の息を吐く。
「結城さん、それほどお酒に弱いってわけじゃないんだね」
「そう?、でも飲み会はダメって言われてたんだけど……」
「言われて?、親、とか?」
「親じゃなくて、友達と、あと他にも……」
「じゃあなんで今回は?」
「今回のは飲み会じゃなくて親睦会でしょ?、だからいいよねっ?、って言ったら、いいのかなぁ?、って言われて、いいでしょ?、ダメ?、って聞いたら、いいよ、って」
この段階になって彼女は「あれれ?」と思った。明日奈の見た目はほんのり目元が薄紅色になっているくらいだし、今のやり取りだってちゃんと会話として成立している……しているけれど、なんとなく口調がはしゃいでいると言うか全体的に高揚感が漂っているのだ。それでもまあこの位なら、と思い直したのは明日奈の動きが親睦会が始まった時と変わらずきびきびとしていたから。
店員に空のグラスや皿を渡す動作も危うさは欠片もない。
それにしても今の会話で登場した、明日奈の親睦会参加を認めた人物は一体誰なんだろう?、という疑問の方が大きい。
あとこれは親睦会という名目の紛れもない飲み会なのだが、それを理解しているのか、それとも承知の上でとんちを効かせているのか、その辺の感じを判断出来るほど明日奈の人となりが把握できていない彼女はどちらにしてもおねだり顔で「ダメ?」とか言われたら何でも「いいよ」って言っちゃいそうだけどね、と苦笑いになる。
まぁ、実際本当にアスナに上目遣いで「ダメ?」と聞かれたキリトが「うぐっ」と言葉に詰まった後、不承不承の顔で「いいよ」と言ったのは「お酒はなしで」という条件を素直に受け入れたからだが……。
そうこうしているうちに貸し切り時間の終わりが近づき「この後」の相談があちらこちらの少人数単位で持ち上がり始めた。
今まで近くで一緒にお喋りをしていた女子学生のグループから「結城さんはどうする?」と軽く声をかけられた明日奈が「んー」と考え込む。
一方、この親睦会で全く明日奈に近づけなかった男子学生達は目に希望の光を宿した。
即決お断りの直帰コースかと思われていた本年度ナンバーワンの美人新入生がこの後の行動を決めかねている。これはこのままの流れでご一緒しませんかコースも有りなのか?!、と一縷の望みに各々自分達の二次会プランのプレゼンを、とドヤドヤ集まりかけた時、明日奈が難しい顔をしたまま熱っぽい息を「ほぅっ」と吐く。
「なんだったかな……んーっとね。開いたら…あれ?、閉じたら、だっけ?」
「どっかのドアの話?」
思わず隣に居た世話焼きの彼女が突っ込んだ。
「そうじゃなくて、ううっ、どっちだかわかんなくなっちゃった」
自分の小さな頭を両手をグーにして押さえ込んでいる明日奈は今にもポカポカと叩き出しそうなほど悩んでいる。その姿に隣の彼女を含めた周囲の学生達は「なんだこれ、可愛いすぎる」と全員が金縛りにあったかのように一斉に動きを止め、うんうんと唸っている明日奈に視線が釘付けだ。
「そうだっ、開いても開かなくてもいいの。だからこの後は大丈夫っ」
何かが吹っ切れたように、にぱっ、と笑顔となった彼女に全員が「え?!」となった時、停止状態の学生の間を高速で通り抜けた黒い影が明日奈の後ろで静かに止まり、そっと片腕で捕縛した。
「ああ。オレが連れて帰るから大丈夫だ」
「キリトくんっ」
振り向いて、ふにゃふにゃとろりんっ、と全てを委ねきっている笑みを向けられたキリトは逆にジロリと冷たい視線を突き刺す。
「アスナ、オレとの約束、覚えてる?」
「約束?…もちろんっ。今夜はキリトくんの所にお泊まりでしょ?」
「あ……ああ、そっちじゃなくて……」
「お泊まり、久しぶりだから嬉しい。キリトくんも嬉しい?」
「う゛、うん」
「ずっとキリトくん忙しかったもんね。レポートとか公開講座のお手伝いとか、あと、えっと、他にも……」
「わかった、わかったから」
和人は痛む頭を片手で押さえて、はあぁっ、と大きな溜め息を落とすが、そんな仕草の意味など酔っている明日奈には理解出来るはずもない。
周囲の学生達も初めは突然現れた見知らぬ男性に驚きはしたものの、彼の腕の中にいる明日奈の無邪気な姿に加え「お泊まり」というパワーワードの出現に表情を凍らせたまま、ぼとりっ、またぼとりっ、と手にしていた荷物やら携帯端末やらを落としていく。
そんな中、明日奈の隣で二人の様子を唖然と見ていた彼女は「ハッ」と何かに気付き恐る恐る「ちょっといい?」と割り込んだ。
真っ黒な前髪の間から意外にも素朴な眼差しが向けられる。
明日奈を抱き込んだ時の周囲の男子学生を威嚇していた刃物のような瞳でない事にほっとしつつもまずは「ごめんっ」と潔く謝罪の言葉を告げた。
「結城さんにお酒控えるように言ったの君だよね。最初はちゃんとお酒じゃないの飲んでたんだ。でも私が勧めたの。それだって渋ってたのにアルコール度数低めに作って貰えるって、余計な事言った」
「その低めのを飲んでコレ?」
自分の頭から栗色の髪に手を移動させ軽く頭頂部を撫でればそれに合わせていとも簡単に明日奈の頭がグラグラと揺れ、それに合わせて「うふふっ、ふふっ」と何が可笑しいのかご機嫌な明日奈が笑い声を上げている。
「最後の一杯は色々手違いがあって普通のカクテルを殆ど飲みきったから……」
「はあぁぁっっ」
さっきよりも深く重たい溜め息。
神社仏閣を参拝するみたいに「だから、ごめんっ」と両手を合わせてもう一度勢いよく謝ると、返ってきたのは意外にも怒声ではなく「いいよ」と言う呆れと疲れの混ざった声だった。
「それだけ詳しく知ってるなら色々とアスナの面倒見てくれたんだろ」
そもそも参加を容認した時点でこうなる可能性もゼロではないと思っていたから迎えに行くと断言したのである。
けれどさっきまでの明日奈は確かに少しふわふわ感はあったものの今ほど危なっかしくはなかったのだ。あの程度ならそうそう判断力も低下しているとは思えなかったのに一体どうしてこんなザ・酔っ払いみたいになってしまったのか……。
その疑問を感じ取ったのか、和人が解説を始めた。
「酒が入ると一見それ程違いは出ないんだ。言ってる事も筋が通ってるし口調もあまり変わらない。動きもいつも通りなんだけど賑やかに飲んでると思ったら前触れもなく電池が切れたみたいにパタンっ、と寝ちゃうんだよなぁ」
ナルホド、確かにそれは時と場所と一緒にいる人選が重要な酔い方だ。きっと和人が来なければそろそろパタンのタイミングだったのかもしれない。それでも疑問は残る。しかしそれさえも見越したように和人が解説を続けようとすると腕の中の明日奈がもぞもぞと動いてちゃっかり和人に正面から抱きかかえられている位置まで回転し「んーっ」と胸元に頬をすり寄せた。
「キリトくんの匂いだぁ」
これから嬉し恥ずかしのお泊まりである。当然匂いをスンスンするなど軽めのスキンシップにすぎないが周囲はまたもやピキーンッと硬度を増した。全く動揺していない和人はお返しのつもりなのか、屈んでサラサラの艶髪に鼻頭と唇をくっつけた後無情にも「アスナはアルコール臭い」と顔をしかめる。
臭い、と言われても全く気にせずマーキングのようにキリトにすり寄っている姿は彼にしか懐いていない猫のようだ。
引き攣る頬をそのままに「なんか結城さんのイメージが……」と隣の彼女が呟いてしまうのも致し方ないだろう。結城明日奈を表す言葉なら、頭脳明晰、容姿端麗、才色兼備などの四字熟語がお決まりになっている。加えて性格も優しく穏やかで気配りも完璧。逆に欠点がなさすぎて高嶺の花というか近寄りがたいと思ってしまうほどなのに今の明日奈は「おいで、おいで」をしたくなってしまうほど小動物感が溢れ出ていた。
「ああ、アスナのコレはオレ限定だから」
さらっ、と言ってのけたが優越感が存分に含まれたセリフにまたもや周囲一同が同時に「は?!」となる。
「アルコールが入って近くにオレがいるとこうなるんだ」
明日奈を二次会に誘おうと寄ってきていた男子学生達を、ふふんっ、と言いたげな勝者の瞳で見回すだけで撃沈させた和人は「んーじゃオレ達は」と言いながら彼女をしっかりと抱え直して立たせると店の出口へと向かった。けれど明日奈が「あっ」と言って足を止めすぐに振り返って無垢な笑顔を満開にさせる。
「今日はありがとっ。またね」
ズキューンッ、と心臓に穴の開いた学生達がよろめいた。
和人の「そういう顔は見せなくていいから」の小言と同時に落とされた何度目かの溜め息を何と勘違いしたのか明日奈が首を傾げる。
「キリトくん疲れてるの?、早く帰ろ」
「そうだな。なんかすごく疲れた気がする」
「疲れた時はね、お風呂だよ」
「だな。早くその臭いを消して明日奈だけの匂いにしたいし」
そんな会話を交わしながら店を出て行く二人を無言で見送った者達は「いやいや疲れたのはこっちだよ」と言えるはずもないツッコミを思念で飛ばしていた。
今日一番明日奈と言葉を交わした彼女が二人の消えたドアを見ながら「なんかもう飲むっきゃないな」と独り言のように呟くとその場にいた全員が申し合わせたように「うん」と頷いたのだった。
お読みいただき、有り難うございました。
まずは謝罪をっ。
ご本家(原作)様の設定を極力遵守するつもりでやってきましたが
日本の法律を遵守するのを失念しましたっ。
大学生になったからって飲酒OKじゃないんですよね……。
この時代はOKになってたってことでよろしくお願いします。