ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
目指したのですが……それでもちょっとずつ縮まってますので
許してくだされっ
原作未読の方にはちょっと見慣れないキャラ名がありますが
軽くスルーで読んでいただけると嬉しいです。
「後書き」でちょっとフォローいれますね。
エアリーは今の状況に困惑していた。
知らない男達に手足を縛られ頭から袋を被せられるのも初めてなら、そのまま馬で運ばれて人気のない廃屋の一室に連れて来られたのも初めてだ。
百年以上生きてきたとは言え、それがセントラル・カセドラル内のごくごく限られた空間内での経験しかない彼女にとってはこの一年ほどの間に自分の身に起こった出来事はどれもが初めての連続だったのだが、今日のこれはとびきりである。
そうは言っても百余年分全ての記憶があるわけではない。
自分の名すら忘れてしまっていたくらいだから、これまでの記憶にどの程度破損があるのか本人もわかっていなかった。
けれど今は……私に似合う名前を、と一生懸命考えてくださった人達がいて、自分の中で無意味だと思いながらも抱いていた小さな願いを真剣に聞いてくださる人達がいて、毎日自分と一緒に同じ目標に向かい頑張ろう、と励ましてくださる人達がいる。
全てに無関心でただ昇降洞の中で風素を生成し続けていた頃の自分とは違うのですから、とエアリーは自分を鼓舞した……ただし無表情で。
ここまで色々と考えているが表情筋は0.001メルも動いていない。
そんな彼女の隣から「ふぅっ」と全く緊張感のない、それどころか澄んだ小川から水が流れ落ちるような涼しげな溜め息がもれた。
「アスナさま……」
「一体いつまで待たせる気かしら?」
エアリーと同じように頭の麻袋は剥ぎ取られたものの手足を固定されたまま椅子に座る格好で縛られている人界統一会議の副代表剣士アスナには一欠片の戸惑いもない。それどころか自由を奪われているのに、粗末な木製の椅子にスッと背を伸ばして腰掛けている姿は気品に溢れここが埃だらけの小部屋ではなくどこかの高級レストランかと錯覚させられる。
当然先程発したセリフは注文した料理の提供が遅いからではなく、二人をここに運んで来た男達が聞かれたくない相談事でもあるのか彼女達を置き去りにして全員部屋から出て行ってしまったからだ。部屋の扉が完全に閉まっていないのは自分達の様子や会話を見張る為かと今まで黙っていたが、扉のすぐ外で話している男達の声が段々とヒートアップして大きくなってきたところをみると単純にしっかりと閉めるのを忘れただけなのかもしれない。
『……央都の工廠には女しかいないんかっ?』
『しかも二人ともえらいべっぴんさんだっ』
『さっすが央都だなぁ』
大の男が揃いも揃っておバカさんしかいないのでしょうか?、とエアリーは頭痛を覚えた。
どこの工廠だろうが女しかいないわけはないし、そもそも作業服を着用しているのはエアリーだけでアスナはちゃんと副代表剣士の象徴とも言える真珠色の騎士装で身を固めている。
更に言えば自分とアスナさまを「べっぴん」という枠で一括りされるのにも些か抵抗を覚えていた。他者から見ればエアリーも儚げな美貌の持ち主なのだが、アスナの容姿に関しては言葉通り人外の美しさだと感じている彼女からしてみれば同列に扱われるなどおこがましいにも程があるのだ。
そもそも央都の住人なら創世神ステイシアの生まれ変わりであると信じられているアスナの顔を知らぬ者はいないと言っていいのだから、今さっき聞こえてきた会話から察するに二人を攫った男達は央都以外の出身であると思われる。一体何が目的なのでしょう?、と思って聞き耳を立てていると男達の会話は段々団結の乱れを感じる展開になっていた。
『だいたい金属で出来た鳥が空を飛んだなんて嘘だったんだ』
『そうだっ、それっぽい鳥さえいなかった』
『でもよう、もし本当にあったら、坊ちゃん喜ぶぞ』
『よしっ、もう一回探しに行くかっ』
『それよりあの二人はどうするんだ?』
聞こえた会話から想像するに以前央都で大々的に行われた《機竜試作一号機》の飛翔実験の話が時間を掛けて周辺に広がっていったのだろう。それを知ったどこかの貴族の子供が鳥を欲しいと言ったのか、それとも彼らの独断行動なのか……どちらにしても渡すわけにはいかないし、だいたい彼らが想像している金属の鳥と本来の機竜は大分色々違う気がする。
どうやら自分達の拉致監禁は予定外の行動だったらしい会話を聞いてエアリーは少し安堵した。彼女はなくし物を探す為にひとりで工廠にいたのだがアスナはたまたまやって来ただけにすぎないから工廠の作業員を狙った犯行だとしたらアスナは完全に予定外の被害者だと申し訳なく思っていたからだ。
『今工廠に行けば誰もいないって言ったの誰なんだよ』
『ホントだって。「工廠の皆さん、今日は馬車に乗ってお出かけなのねぇ」って宿のおかみさんが言ってたんだから』
アナタ達のお目当ての金属の鳥はその馬車の中です……珍しくもエアリーの目がすんっ、と冷める。
今日の午前中は白亜の塔から少し離れた広い場所で熱素封密缶の実証実験を行う予定なのだ。出掛ける時に工廠にやって来たキリトが同行を申し出て一緒にいざ出発っ、という段階で髪留めの一つがなくなっているのに気付いたエアリーが一人で引き返して探していたのである。無事に髪留めを見つけたところでアスナがキリトを呼びに訪れ、事情を説明しているちょうどその時に見知らぬ男達が数人いきなり飛び込んで来たのだ。
一瞬剣に手を伸ばそうとしたアスナだったが、撃退や捕縛を選ばず目的や黒幕を知るためにあえて捕まったのである。
アスナとしてはエアリーまで巻き込むつもりはなかったので彼女の事は絶対に守ろうと心に決めていたが、どうやらその心配は皆無に等しいと感じてつい先程のような呆れた本音が漏れてしまったわけだ。
だいたい廊下にいる男達は機竜が金属製の鳥だと思っているようでその本来の性能も正確な形すらも把握していない。工廠から勝手に鳥を持ち去ろうと考えた彼らはそれ相応に処罰すべきだが、ひとまず下位騎士か衛兵に引き渡せばいいだろう、とアスナは顔を上げた。
再び「アスナさま」と自分の名を呼ぶ元《昇降係》へ安心させるように、ふわり、と微笑む。それをちょっとキリトに似た口の端を上げる笑みに変えて「そろそろおいとましましょうか?」と誘うとエアリーはこくり、と無言で頷いた。
早くここから出て工廠に戻りたい……確かにエアリーはそう強く願っていたが、その理由は誘拐された恐怖や不安からではない。今日は封密缶の実験だけなので昼前に工廠のみんなが帰ってくるのだ。
当然、同行しているはずのキリトも。
キリトさまがアスナさまの誘拐事件を知ったら……とエアリーの血色の薄い顔がより蒼白になっている……かもしれない。
さすがのアスナもエアリーの顔色の変化までは気づけないまま、ちょっと真剣な顔で呟く。
「今ね、お昼ご飯に間に合うよう鶏の燻製に挑戦しているの。出来上がる頃合いを見計らうのが難しいのよね」
料理を作らないエアリーには分からないが、鶏の燻製というのはアスナが戦いを挑むほどの心構えを必要とする手強い料理らしい。
「美味しく出来たら今度工廠のみんなにも差し入れするから」
そう、アスナは時々手料理を工廠まで持って来てくれるのだ。それはいつだって美味しくて、食べる事にさほど興味のないエアリーでさえ渡された分はいつも手を止めることなく食べきってしまうくらい。そしてアスナが料理を運んで来てくれる時はキリトが付いている場合がほとんどで、そうでない時でも遅れてやって来て工廠の皆に視線を巡らせている。
もちろんアスナも美味しそうに食べている皆の姿を嬉しそうに眺めているのだが、キリトは嬉しそうにしているアスナを眺めつつ実は工廠の男達を牽制の目で睨んでいるので視線の種類はちょっと違う。ただエアリーは牽制対象外なので「とても美味しいです、アスナさま」と思いながら周囲の複雑な空気は気にせずいつも無表情で完食しているのだ。
アスナがすっ、と薄汚れている天井を見上げる。
「視界が遮られていたせいで外の景色は見えなかったけど馬で運ばれていたのはそんなに長い時間じゃなかったもの。この天井が浮き上がったからきっと誰か気付いてくれるわよね」
アスナもさっきの男達の会話を聞いて、ここで剣を抜いて無駄に重傷者を出すほど切迫している状況ではないと判断したようだ。白亜の塔を「よいしょー!」の気合い一言で分断し再び結合させる彼女の神技を実際に目にしているエアリーにとっては自分の頭上にある天井が浮上すると言われても今更疑いも怖れもない。
とにかくここは穏便に事を済ませたいとエアリーはアスナを見た。
表情筋は0.0001メルも動いていないが切実な眼差しと受け取ったのだろう、アスナは「大丈夫よ」と力強く頷く。けれどエアリーは己の身の安全など微塵も心配はしていなかった。どちらかと言えばすぐそこにいる短慮で無知無謀な男達の安否の方が気がかりなくらいだ。
男達は畏れ多くも創世神ステイシアの生まれ変わりと信じられ、この人界統一会議の副代表剣士でもあるアスナを拘束してカセドラルから連れ出した挙げ句に廃屋の一室で椅子に縛り付けたのである。
どんな勘違いと思い込みと先走りがあったかは知りませんが、こんな暴挙を絶対に許さない代表剣士の存在を知らないのでしょうか……知らないのでしょうね、とエアリーは深い溜め息を付いた……心の奥深いところで。
だからどうかキリトさまにこの状態を知られませんように、と強く願うエアリーの隣ではアスナが膝の上で縛られた手首をごそごそと器用に動かし何かを取り出している。
「それは?」
「これはね、金属の棒を極限まで細くしてサードレ工廠長に研いでもらった金串。燻製を作るのに網に乗せるか串に刺すかで迷ったのよね」
小さく「結局両方試してるんだけど」と言いながらほっそりとした指でクルリと金串を回した。
その燻製用の串がなぜここにあるのでしょうか?、とか、一体どこから出したのですか?、と思わなくもないエアリーだったが、そこは全て「アスナさまだから」で自分を納得させる。
「それじゃ、ちょっと埃っぽくなっちゃうけど少しの間だけ我慢してて」
すぅっ、と静かに息を吸い込むと真上を見て「えいっ」と軽く声を跳ねかせる。すると地響きのような低い音がゆっくりと始まって部屋中に、いやこの廃屋中に鳴り響いた。
ゴゴゴッと木材同士が擦れ合い、耐えきれなくなってピシッピシッと亀裂が入る。
そこかしこに積もり積もっていた粉塵が巻き上がり、細かい木片がパラパラと上から落ちてくるのを一切の感情を出さずに見上げているエアリーと違い廊下にいた男達は一斉に慌てふためいた。
『なっ、なんの音なんだ?』
『どうして揺れてんだ?』
何が起こっているのかも理解できず、どうすればいいかもわからないままオロオロと周囲を見回しているだけの男達の頭に無理矢理引き剥がされた梁の一部が割れて降ってくる。太い材木に一瞬でひびが走りバキバキと音が大きくなっていくにつれ彼らの動揺も膨れあがった。
『なんでっ、なんだって、こんな事にっ』
『てててて天井っ、天井がぁっ』
『どうすりゃいいんだっ』
『柱っ、とにかく柱につかまれっ』
男達はアスナやエアリーの事などすっかり忘れ揺れを押さえるつもりなのか、それとも立っていられなくなったのか、とにかく無我夢中でそれぞれが近くの柱にしがみつく。けれど元々痛みの激しい廃屋だ、屋根を剥がされてまともに立っている柱など一本もありはしない。逆にこのままだと柱の下敷きになりかねないと男達は外へ逃げだそうとしたのだが、その行く手を阻む角度でバタン、バタン、とまるで誰かがわざとそうしているように次々と柱が倒れてきた。
壁も崩れ落ちたお陰で見晴らしの良くなった廃屋内では信じられない光景にその場にへたり込んでしまった男達がアスナとエアリーからよく見える。ちなみに二人は椅子に座ったまま全く動いていないのだが柱や梁はきれいにその場所を避けていた。
「アスナさま…天井を浮かせるだけだったのでは?」
「うーん、思ってたより建物の老朽化がひどかったのかなぁ」
一貫してエアリーは無表情だが、これは驚きで全身が硬直しているのであって倒壊の音が止んでようやく口が動かせるようになった状態である。当然、自分達にはケガがないよう《無制限地形操作》をしていたアスナだったがここまで見事に瓦礫の山にするつもりはなかったので、かろうじて残っていたらしい廃屋の天命をもぎ取ってしまったステイシアの力に「えへっ」と照れ笑いが零れた。
廃屋は央都セントリアを囲んでいる円形城壁のすぐ近くに位置しており、そびえ立つ石壁が視認できる。幸いにも付近に人家は見当たらなかったので人的被害等は出ていないが、見えるのが壁だけではここが東西南北、どこのセントリアなのかは判別できないし、人気が無いという事は今の騒ぎに気付く人がいない可能性もでてくるわけで……。
益々事が穏便に済まなくなりそうな予感にエアリーが顔を強張らせていると、眺めの良くなった上空に城壁とは反対方向の、つまりセントラル・カセドラルの方角から一粒の黒い点が見え、それが真っ直ぐ、しかも急速にこちらへ向かってくるのがわかって口元がヒクリと痙攣した……気がしただけで、やっぱりどこも動いてはいなかった。
《不朽の壁》の存在が全く無意味なのは一般的に鳥である……エアリーと同様、黒点に気付いた男達が指を指すが、その速度は鳥にあらず……ならば飛竜か、と問えばその大きさはあまりにも小さく、ちょうど飛竜に乗る整合騎士一人分くらいの、そう、まるで人が空を一直線にこちらへ飛んで来るような……ありえない事象に男達全員が「いやいや、そんなはずは」と心の内で手をひらひらさせ自分達の視力と想像力を否定した時だ。
「あ、キリトくん」
嬉しそうな声が男達の否定を否定した。
えっ?!、と一斉に視線がアスナに集中する中、隣のエアリーはあくまでも無の面持ちで一番最初に到着して欲しくない御仁の登場に内心あわあわとしている。そして男達の意識がアスナと彼女の発した言葉に向いている間に、飛来物は更に加速して黒い弾丸となり元廃屋へと飛び込んで来た。
風素の塊が叩きつけられたような衝撃につぎはぎだらけの床板がバリバリと割れ、陥没する。
《風素飛行術》を解いたキリトは黒いコートに戻った裾を翻しながら勢いを殺しきれず、トッ、トッ、トッ、とそのまま椅子に座っているアスナの元へ駆け寄り抱きついた。
「おっとっ」
「わぷっ…キ、キリトくん」
「アスナ、なんでこんなトコにっ、探したんだぞっ」
さすがにアスナが椅子ごとひっくり返るほどではなかったが、そのまま小さな頭をお腹あたりに抱きかかえたキリトは大事な宝物のように数回栗色の髪を優しく撫でると、彼女から身を離し隣の少女へと歩み寄る。驚いたのはエアリーだ。
「キリトさま」
心情とは裏腹にまったくもって沈着冷静な声が出る。
「エアリーも大丈夫か?、工廠に戻ったら姿が見えないから老師達がひどく心配してたぞ」
実際身体の自由は奪われているもののアスナに従い無抵抗で捕まったので傷ひとつついていない。元より自分達を攫った男達は誰かを傷つけたり、ましてや誘拐をしようという計画ではなかったのだ。無人だと思っていた工廠で居合わせてしまった互いの運の悪さが原因と言えば原因かもしれない。
ですから私は全く何の問題もありません、どうぞ先にアスナさまの心配をっ、と必死の形相で訴えているつもりなのだが、悲しいかな口からは「大丈夫です」という平坦な言葉しか出てこず、その間にキリトはしゃがんでエアリーを縛っていた紐を解いてくれている。それからすっくと立ち上がると倒れた柱の中にいる男達に目を向けた。
「アスナとエアリーを誘拐した犯人がこいつらなんだな」
結果的には誘拐犯なのだが、最初からそれが目的ではなかったのだと説明しようとエアリーが口を開くよりも早く座り込んでいる男達がギュッとひとつにまとまる。そう、見えない大きな手が彼らをひとまとめに握ったように。
いきなり全員が束ねられ、驚きと息苦しさで「ぐふぇっ」と情けない声がそれぞれから漏れ出た。しかし、とりあえずこれで終わりですね、あとは彼らを衛士庁舎まで連れて行き取り調べを、と気を緩めたエアリーの耳に氷よりも冷たい声が聞こえる。
「それで、アスナの手足や身体に触れたのは誰だ?」
男達に一瞬の間が空いた。何を問われたのか理解出来なかったのだろう。
「キリトくん。私達はわざと捕まったんだから」
「わかってるよ。でも……」
名乗りを上げないまま顔を見合わせている男達は本当に誰がアスナを縛ったのか覚えていない様子で、互いに「誰だっけ?」「俺だっけ?」「お前だっけ?」と目で会話を続けている。聞かれた事にはちゃんと答えようという誠実さが伝わったのか、キリトは少し呆れた息を吐いてから徐に女神を前にした信徒のごとくアスナの前に跪き、括られている両手を持ち上げた。
彼女の細い手首に巻きついている紐を忌々しげに睨んでいるが、それを解く手つきはどこまでも優しい。まるで贈り物のリボンを扱うように丁寧に、しゅるり、と紐が落ちた後、丹念に異常を確かめていると「この痕…」とキリトの声が更なる冷気を纏い、同時に男達の口から「きゅえぇっ」と出てはいけない声が更に圧迫された胴体から押し上げられた。
「あ、これはさっき力を使う時に」
やはり縛られたまま金串を取り出したり《無制限地形操作》をしたので手首に少し紐の痕がついてしまったのだろう、エアリーにも聞こえるくらいギシッとキリトの歯が軋む音がする。しかし当のアスナさえ気付いていなかったくらいの傷とも呼べないようなものだ。
「全然痛くないのよ。手袋してたし。すぐにヒールするから」
「オレがする」
男達を束ねる力は緩めずにキリトはアスナの白い手袋を僅かにめくったまま直に手首の内側へ唇を押し当てた。痕そのものより雪のような肌に微かに残っている男達の痕跡が気に入らないのか、ゆっくりと上書きをするかのごとく唇を這わせれば術式を唱えずともキリトのよく知るアスナの肌へと戻っていく。
そう、本来ならば肌に触れる必要はなく、必要なのは詠唱である。
けれどそれを指摘する者は誰一人としておらず、アスナはちょっとくすぐったそうに、けど嬉しそうにキリトを見ているし、キュウキュウ締め付けられている男達はそれどころではない。エアリーにいたってはほんの少しだけ、見ようによっては光の加減かな?、と錯覚する程度の微量で目がどんよりとなっている……っぽい。
なぜならキリトが気を荒げた理由は、男達が勝手にアスナの手足や胴体に触れたから、なのだが、それはあくまでも手袋やブーツの上からであり騎士装の上からだ。それもクルクルッと取り敢えず程度に紐をかけられただけでキツく悪意を含んだものではなかったし、現にエアリーは「こんなゆるゆるなら抜けそうです」と思っていたくらい自分にはなんの痕跡も付いていない。
だから強く押さえつけられたり不埒な接触は一切なかったのだが……なんだか段々と男達が不憫に思えてくる。
けれどアスナのヒールを終えたキリトは顔を上げすっかり元通りになった肌を見て満足げに頷き立ち上がると、再び厳しい眼差しで男達に問いかけた。
「それと、アスナの髪にこんな物が付いてたけど?」
キリトの手にはくたり、とした糸くずが一本。
その糸くずは今までどこにしまってあったんですか?、と思わなくもないエアリーだったが、そこは全て「キリトさまだから」で自分を納得させる。
男達はそんな疑問すら浮かべる余裕はないようで、それならちゃんと答えられますっ、と言わんばかりに苦しい体勢の中すぐさま声を飛ばした。
「それは頭に麻袋を被せた時付いたんだな」
「鳥を捕まえたら入れるつもりだったんだ」
「ちょうどいい大きさだった」
まさかの鳥用でしたか、とエアリーの目が更にどんよりとなっている……ようないないような。
そしてキリトに問われた意味も考えず正直に申告してしまう男達と、抱き寄せたほんの一瞬でアスナの髪の毛とほぼ同系色の麻の繊維に気付くキリトを交互に見て、またもや頭が痛みだした気がする。
「つまりアスナの顔や頭にも触れたんだな」
正確には触れたのは麻袋であって男達ではないのだが……何を指摘しても無駄だろう。被せる時や脱がせる時に少しくらい手が触れたかもしれない。更なる身体検査が必要と判断したらしいキリトが屈み込みアスナのおとがいを軽く指で持ち上げて上向きに角度を調整すると右に左に水平移動でくまなくチェックを始めた。されるがまま扇風機よろしく首を振っているアスナが「キ、キリトくん?」と呼びかけるが、顔は終わったとばかりに次は首から肩、腕へと触診は続く。
椅子と一緒に巻かれていた紐をほどき終わり次はどこに触れるつもりなのか、キリトの両手が腰周りから胸元へ上がってくる気配を察したアスナが「えっ」とほんのり甘い抵抗の声を出すと、「アスナさま」と一切の感情をぶったぎったエアリーの声が二人に伸びてきた。
「お時間は…その…く、燻製の」
《昇降盤》係でいた時は口にしたこともない単語につい言いよどんでしまいましたが、あれほど気になさっていたのだからアスナさまにとっての優先順位はかなり上のはず、と推測したエアリーの渾身の進言により「そうだったわっ」とアスナは足の紐を何もせずにすいっ、すいっ、抜け出すと勢いよく立ち上がった。
「キリトくんっ、急いでカセドラルに戻らないとっ」
「ええっ?!、でもちゃんと……それに、こいつらは……」
「キリトさま、どうぞお戻りください。後はあの方達にお任せして」
エアリーが見ている空の先に今度こそ二頭の飛竜の姿があり、整合騎士の声が聞こえてくる。
どうやら「キリトせんせーい」と叫んでいるのがエントキア・シンセシス・エイティーンで隣を飛んでいるのは長槍のシルエットから察するにネルギウス・シンセシス・シックスティーンのようだ。
整合騎士が二人もいるならこの場の処理は問題ないが、それでも納得がいかない様子のキリトにぴとっ、とアスナが寄り添い腕を絡ませた。
「ハナに手伝ってもらっている鶏肉の燻製が出来上がる頃なの」
「それは……スモークチキン?」
「そう。この前食べたお肉の燻製はベーコンみたいだったから鶏肉でもできないかな、と思って。美味しくできてたらキノコのクリームソースやトマトと豆の煮込みと一緒に食べましょう」
キリトがゴクリと唾を飲み込む。
早く抱っこして飛んで欲しいな、の意味を込めて「ね?」と上目遣いでおねだりをされればキリトの中の天秤はすぐに勢いよく傾いた。慣れた仕草で細腰に腕を回せばこれまた有り前のようにキリトの首にアスナの腕が巻き付く。その姿勢で振り返り「ここはお願いしていい?」と問われたエアリーはコクコクと高速で頭を上下させた……い気分でゆっくり一度だけ頷いた。
あの整合騎士達なら《昇降盤》係の頃から面識があるので事の次第を説明すればちゃんと理解してくれるだろう。むしろキリトさまの存在が事態をややこしくしそうです、などという本音はもちろん声に出したりはしない。
「じゃ、戻るか」と言い、音もなくふわっ、と浮かんだ二人に頭を下げたエアリーにはアスナの耳元に寄せたキリトの口から「今夜、隅から隅まで確認する」という意味深な言葉が聞こえることはなかった。
そしてオマケにもうひとり……ハナは今の状況に困惑していた。
《白亜の塔》とも呼ばれているここ、セントラル・カセドラルの九十五階《暁星の望楼》から臨む眺望はまさに鳥の目線だ。けれどこの場にいる少年少女達は周囲の景色などに目を奪われることなくテーブルに並べられた料理しか見ていない。
まぁ、これはいつもの事です、とハナは育ち盛りと言っていい少女の空になったカップへコヒル茶のお代わりを注ぐ。
きちんと口の中の物を飲み込んでから「有り難うございます」と丁寧に礼を述べてくる姿に好感を抱き、「いえ」と短く返してからすぐ隣のカップも残りが少ないのに気付いて同様にポットを傾けた。
「んりがとっ」
こちらはまだまだ咀嚼真っ最中だがいつもの事なので、やっぱりハナは「いえ」と言って自分の定位置であるアスナの斜め後ろに戻る。
「もうっ、キリトくんたら、お行儀わるいわよ……ありがとう、ハナ」
窘める言葉なのに声には呆れと甘さが混じっているのもいつもの事だ。うってかわってキリトのそれよりもきちんと告げられた謝意の声にはハナに向けた慈しみが添えられている。
「だってさ、この新作のサンドウィッチ、すごくうまいっ」
サンドウィッチとは主に調理した肉や魚、野菜をパンで挟んだ食べ物を表す神聖語なのだと、整合騎士見習いの少女達に話していたのを聞いていたハナは疑問も抱かずにこっそりと、そうでしょう、そうでしょうとも、と小さく頷いた。
今日のサンドウィッチには試行錯誤の末に成功した鶏肉の燻製に加えアスナ特製のクリームチーズが挟んであるのだ。アスナ曰くミルクやチーズあるなら近い物が出来ると思うの、とここ数日ハナと一緒に九十四階の厨房で奮闘した成果である。
新作サンドウィッチの試食会と称して昼食に誘われたティーゼとロニエもキリトと同様に初めての味に舌鼓を打っていた。
早々にスモークチキンとクリームチーズのサンドウィッチのお皿が空になる勢いだが、当然これだけでは量が足りないだろうと他のサンドウィッチもちゃんと用意してある。
一般的なチーズと香草のサンドウィッチや揚げた白身魚に生野菜のサンドウィッチ、それにこれもアスナが提案した具材だが焼いた鶏肉に甘辛いタレを絡めたサンドウィッチもあってこれはキリトの大好物だ。だからスモークチキンのサンドウィッチの次に手が伸びるのは甘辛ダレのチキンサンドだと思っていたのに、なぜかキリトはチーズと香草のサンドウィッチを取っている。
まあ、そういう気分の時もあるでしょう、とハナは軽く思った。
しかし次もチーズと香草のサンドウィッチを頬張っている。
立て続けに同じ物となるとさすがにハナは困惑した。
実は今日のサンドウィッチ、スモークチキンとクリームチーズにほぼアスナがかかりっきりになった為、少々手間のかかる白身魚揚げや甘辛チキンは全てハナが作ったのだ。けれど当然甘辛ダレの味付けはアスナにお墨付きをいただいている。
最後の方になって手の空いたアスナがチーズと香草のサンドウィッチを作ったのだが、もちろんそんな事情をキリトは知る由もない。それなのに見事にハナの作ったサンドウィッチはスルーしてアスナが手がけた物ばかりを口に運んでいるのだ。
そんな背後のハナの困惑をよそに三人の食べっぷりを見て安心したのかアスナが一人席を立った。
「みんなはそのまま食べていて。私は工廠に差し入れをしてくるから」
「アスナは食べないのか?」
「私は作ってる途中でハナと一緒に結構味見しちゃったの」
この《暁星の望楼》で整合騎士見習いの二人も招いて食事をする時はアスナに強請られてハナも同席をさせてもらう事が度々あるが、今日の昼食会でアスナがハナを誘わなかったのも、アスナ自身がコヒル茶しか口を付けていないのも二人の食欲がとうに満たされていたからのようだ。
差し入れのサンドウィッチは既に用意が出来ているらしく部屋の隅のテーブルに置いてあった大きめのカゴを手にすると、アスナは食事の手を止めて見送ってくれている三人と給仕をお願いしているハナに「いってきます」と言って退室していく。アスナが抜けただけで何となく場の華やかさが薄らいでしまったように感じるティーゼとロニエが殊更声を明るくしてサンドウィッチの感想を言い合い始めると、キリトは食べかけのサンドウィッチをごくんっ、と飲み込み、空いた手を素早く動かした。
「最後のスモークチキンサンド、もーらいっ」
「あっ、キリト先輩っ」
「私も狙ってたのにっ」
後輩二人の叫びも気にせずキリトは大口を開け数回でサンドウィッチを口の中に押し込み何度かもぐもぐすると最後はコヒル茶で飲み下す。カップをテーブルに置いて手を合わせ「ごちそーさま」と元気良く言うなりガタンッと立ち上がって「二人はゆっくり食べててくれ」と席から離れた。
「どこに行くんですかっ?、キリト先輩」
「工廠っ。アスナを手伝ってくるっ」
サンドウィッチの入ったカゴを渡すだけの何を手伝うと言うのか、とこの場に残された三人は一様に思ったものの問いかけるべき黒い影は既にもうどこにもなかった。
お読みいただき、有り難うございました。
まずはフォローを……。
《昇降盤》を操作していた少女は異界戦争後、「エアリー」という名をもらって
《白亜の塔》の工廠の所属に。
エントキア・シンセシス・エイティーンとネルギウス・シンセシス・シックスティーンは
異界戦争に参加していなかった整合騎士です。
ハナはアドミニストレータの専属料理人でしたが異界戦争後はアスナの料理の
相談役的な立ち位置(?)に
ウィキとかで検索していただいた方が詳しいですね。
今回は「ウラ話」もちょこっとやりますっ。
そして来月こそは目指せ15日投稿!(苦笑)