ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
ひとつ前の『キスの味』で触れていた都内のお祭りに行った時のお話です。
リズ視点からの二人を楽しんでください。
やっぱりねぇ、予想はしてたけどっ……と内心、自分を慰める言葉を溜め息に混ぜ込んで、ふぅっ、と鼻から吐き出した。まだ駅の改札を出たばかりなのに、あまりの多さに思わず足が止まる。
待ち合わせをしているんだろう、行き交う人達や端末画面を確かめながら人待ち顔の若者はあちこちにいて、それとは別に駅から同じ方向に流れて行くグループや家族連れ。自分達の後ろからも改札を出てくる人波は絶える事なく押し出されていて、立ち止まってしまった私はすぐに足を動かした。
隣を歩いていた親友が、私が付いてこないのに気付いて数歩先から不思議そうに「リズ?」と振り返る。
「ごめん、ごめん。あんまり人が多いからびっくりしちゃった」
そしてこんな大勢の人達の殆どが私の親友を見た瞬間驚いたように目を留めていることにも……そうなるだろうな、とは思ってたけど実際に予想通りすぎて「やっぱりね」と呆れるしかない。
「大丈夫?」と気遣いの声をかけてくれるアスナに私は「大丈夫」と笑顔で返してから、ハッキリ言ってアスナの方が大丈夫?、って感じだけど……と平然としている彼女を改めて眺めた。
普段はハーフアップがお決まりの栗色の髪を今夜はアップヘアにしてリボンを編み込んだゆるやかなお団子状にまとめていて、後れ毛が色っぽいし顔って言うか頭全体のちっちゃさがよけい目立つのに首筋は白く細く肩は薄いし腕や足はすっきりと長いし、そのくせ妙にそそる襟元から二つの丸みへの綺麗な曲線。中身がメリハリの効いたナイスボディなのは知ってるけど妙な圧を受けるようなダイナマイト感はなくて、浴衣ごしに見える身体の柔らかなラインとか小さな歩幅とか涼しげな笑顔とか全部まとめて、これが「たおやかな女性」ってやつなのね、ってあまりの眼福に一人でうっとりとこっそりと頷いた。
剣士の時は颯爽としてるけど浴衣姿になると仕草も歩き方も変わるなんてさすがアスナ。
しかも今着てる浴衣の柄が結構古風で、ここに到着するまでに聞いた話だと宮城の祖父母から受け継いだ品だって言うから納得なんだけど、それなのにレトロモダンと言うかあまり古くさく感じないのを不思議に思っていたら、帯と帯締めは浴衣に合わせて買い足したって言ってたからそのせいかも。
「なかなか着る機会がないから折角だし、どうかな?」って言われた時は正直、自分も浴衣にしなくてよかったぁ、と一番に思ったわ。絶対私の方が、ザ・日本人体型のはずなのにモデル体型は何着ても似合うなんて反則よね。
改札前の柱のとこにいる若者達、目が釘付けになってるけど……ちょ、後ろから付いて来てない?
今夜は私とアスナ、それにキリトとシノンの四人で都内の夏祭りに行く約束で、目当ての神社がこの先だから今この駅前にいる人達の殆どがそこに向かって移動してると言っても過言じゃない。「付いて来ないでっ」って言うのは無理だし、そもそも行く方向が同じだけ、と言われればそれまで。
キリトとシノンは乗って来る路線が違うから降車駅も違うのよね。
神社へと続く通りには保安の為の警備員が等間隔で立っていたり、警察官の姿も見えるから強引な事はしてこないだろうけど、トラブルはごめんだわ。約束の場所で私達……と言うよりアスナに会えないと心配性のキリトが騒ぎ出すし、見知らぬ男達が原因だなんてバレたらシノンの目が獲物をロックオンしたみたいにヤバくなる。
アスナだってしつこくされればぷっちんキレるし、そうなると攻略の鬼様降臨だ。
「アスナ、キリト達との待ち合わせ場所、どこだっけ?」
「ここを真っ直ぐ行ったとこ。鳥居の前だよ」
「え?、そんな先なの?」
「キリトくんとシノノンが降りる駅からだとそこがちょうど合流地点なの」
確かに合理的ではあるけど、鳥居に辿り着くまで今歩いている通りの両隣だって客商売の店舗が出店みたいに色々やってるし、神社に近づけば屋台の夜店がぎゅうぎゅうに並んでいる。立ち止まってる人だったり左右をキョロキョロしながら歩いている子供達を避けながらだとそんなに早くは歩けないなぁ。
「そこの綺麗なお嬢さん達っ、冷たい飲み物でも…」
「結構ですっ」
明らかにアスナしか見てない客引きに食い気味で断りを入れる。私はアスナのSP気分で素早く周囲を警戒した。
相変わらず注がれる視線は多いけど、今の所視線だけで手や声が伸びてくる気配はない。どうにかしてこのままキリトとシノンに合流しなければっ、と妙な使命感が私を満たした時、アスナが何かを見つけたのか「あっ」と嬉しそうな声をあげた。
「キリトくんっ」
「え?、キリト?」
言われて雑踏の中に目を向けると、なるほど確かに私達の進行方向から黒髪を揺らしながらキリトが走ってくる。
なんで?、と同時によくこれだけの人混みの中からあんな黒ベースのヤツを見つけられるわよねぇ、とアスナの索敵スキルにも感心してると結構頑張ったみたいで、ハァッ、ハァッと息を切らせたキリトが目の前に到着した。
「こんばんは、キリトくん」
「っはぁ、あぁ…うん、アスナ」
おい、こら、私もいるのよ。
視界に入ってないみたいだから不自然にアスナの斜め前に半歩踏み出したら、ようやく「よっ、リズ」と認識してもらえる。なんとなく「おつかれ、キリト」と返すとアスナが私の疑問を聞いてくれた。
「どうしたの?、待ち合わせ、鳥居の所だよね?、シノノンに何かあった?」
「シノンにはオレがアスナと入れ違いにならないように鳥居で待っててもらってる…………えっと、浩一郎くんから連絡あって『明日奈は浴衣だから宜しく』って」
「もうっ、兄ったら。それで迎えに来てくれたの?、ありがとう、キリトくん」
「下駄で歩きにくくないか?」
気遣いと同時に自然と差し出された手へ「大丈夫だよ」と言いながらもアスナの手が重なる。繋がったぬくもりに緩んだ真っ黒な瞳は次に『リズベット武具店』店主の私が見惚れるほど切れ味の良さそうな鋭さを備え周囲を一線で威嚇した。
サッ、サッ、サッ…パッ、パッ、パッ…視線を反らすSEと顔を背けるSEが全方位から聞こえた気がする。
「この浴衣を譲り受けた時、兄に『袖を通したら絶対見せてくれ』って言われてたの。下駄を買ってくれたのも兄だから家を出る時に画像を送ったんだけど……わざわざそんな事キリトくんに…」
「いや、教えて貰ってよかったよ」
息を整えおわったキリトの笑顔に私はこっそり「うげ」と舌を出した。
その笑顔、アスナが見ていない時だけちょっと不機嫌という器用な仕様になっている。どうせ待ち合わせ場所で大人しく待っていられずに迎えに来ちゃった一番の理由はアスナの浴衣姿を自分より先にたくさんの男達が見るのが悔しかったからなんだろうけど……まぁ、けどこれでけしからん虫達は寄って来なくなるし、キリトは平常運転になるし私としても大助かりだわ。
「早く行きましょ。シノンが待ちくたびれてるわよ」と先を急かした私はこの時、祭りの空気を甘く見ていた事にまだ気づいていなかった。
「おっとっ、ゴメンねぇ。どっか痛くしてないかな?、あれぇ、浴衣汚しちゃったかも。ちょっとこっちで……」
「勝手に触ろうとしないでもらえますか」
アスナが「大丈夫です」とか「平気です」とか言う前に怒気を孕んだ低い声で、それでもいちを相手は見知らぬ人だからと丁寧な口調で耐えてわざとぶつかってきた男の手を払いのけるキリトの顔はもう限界に近い。
予定通り鳥居の前でシノンと会えたまでは良かったんだけど、神社へお詣りを済ませたあたりからアスナに絡んでくる男共の数がうなぎ登りに増えている。とりあえず声を掛けてみたいだけの軽いノリの人もいれば、強引に腕を掴んできそうになったヤツには本当に腹が立ったけど、最初は微苦笑のアスナも今は米神のあたりがピクピクしてるし、それより先にキリトが今にも噛みつきそうで、アイツの口から尖った牙が見えた気がする。
参道の両脇には夜店がずらりと並んでいるから結構な道幅があるにも関わらず人がごった返してて、ちょっとした接触やよそ見をしてのアクシデントはあっちこっちで勃発してるだけに故意なのかそうじゃないのか一見判断がつきにくいんだけどアスナに関しては明らかに男女比が偏りすぎて、夜とは言え街灯や提灯、裸電球なんかの光量があるんだからキリトの存在、見えないのっ!?、と声を大にして叫びたい。
それとも祭りの夜は隣に彼氏がいようが何だろうが気になる女の子にはガンガン声かけていこうぜー、って感じの迷惑なポジティブヤローばっかりなの?
こうなったら、と私はアスナを挟んで反対側にいるキリトを後ろからちょんちょんと突っついて可愛い帯結びのすぐ上で声をひそめた。
「お面でも買ってかぶせとく?」
……なによ、その苦虫を噛み潰したような顔はっ……はいはい、この状況を面白くないと思ってるくせに自分がアスナの顔を見られなくなるのは嫌ってわけね。
お面ならアスナからは周囲が見えるし、顔を隠せば魅了されて寄ってくる男は減ると思ったのに。
私達としては普通にお祭りを楽しみたいだけで、こんなにあけすけに男達が近寄ってくるのは想定外だった。せっかく思い入れのある浴衣を着てきたアスナにだって後悔して欲しくないし、こんなお祭りも初めてだという彼女に今夜を嫌な思い出にして欲しくない。
この外出に誘った時、アスナは珍しくも恥ずかしげな笑顔で「あのね、そういうお祭り、行った事ないの」と打ち明けてくれて、私とキリトはポカーンと口を開けたまま目を瞬かせた。
『は?』
『え?、ホントに?』
『うん……結城の本家は京都だから「葵祭」や「祇園祭」なら小さい頃見たけど、それも本家がいつも使うホテルの窓から眺めただけだし、宮城の祖父母の方は地元のお祭りって言っても場所が少し遠くてね、帰りが遅くなるから行かれなくて……小中学生の時はうちの門限がもっと厳しかったから無理で……』
「だからリズに誘ってもらえて嬉しい。楽しみにしてるね」と満開の笑顔を見た時、間違いなく私とキリトの胸にはズキューンッと穴が開いた。それなのにこの砂糖に群がる蟻のような男共はっ……ああっ、鬱陶しいっ。
もうあんな奴ら無視よっ、無視っ
「アスナっ、何か食べましょっ。折角これだけ屋台が出てるんだからっ」
たこ焼き、お好み焼き、焼きそばにフランクフルト、焼きトウモロコシにじゃがバター、チョコバナナにベビーカステラもあるし…リンゴ飴とか甘いのもいいわね。
「シノンは何がいい?」と後ろにいるはずの同行者に振り返れば、彼女は彼女でぼーっ、とどこか一点を見つめていた。
なに、なに?、何が気になってるの?、と視線の先を追えば、そこは遊戯系の屋台で……なるほど。
「行ってみよう、シノノン」
優しい声と同時にキリトと繋いでいた手をシノンの手に移したアスナがそっ、と引っ張る。
「そうだな」
今までの機嫌の悪さが一瞬で溶けたみたいにキリトも微笑んで……こういう時も二人の連携は見事と言うしかない。
「でも……」
いつものちょっと強気なシノンらしくない自信の無い声。
偶然だけど《ダイシー・カフェ》でキリトからシノンを紹介された時のメンバーしかここにはいないから、興味を示せるってだけで十分なのよ、後は私達に任せなさいっ。
「いいじゃない、シノン。無理そうなら代わりにキリトかアスナがやるわよ」
「そうだな。実は《GGO》でアスナと一緒に結構練習してるし」
「って言っても私達は銃弾を切る練習をしたくて撃ってるんだけどね……」
まあまあ、とにかく行きましょ、とシノンの背中を押す私の隣でキリトが妙に胸を張っているけどアスナからの暴露で結局光剣の練習だってバラされて、シノンがいつもの調子を取り戻す。
「代わってくれるって言っても《GGO》でキリトが使ってるのハンドガンじゃないっ」
「そこはほら、まぁ、なんとかなるって」
軽く言ってるけど、キリトの場合は本当になんとかしちゃうから笑えないのよね。
まだ少しおよび腰のシノンを守るよう三人で取り囲んで屋台のおじさんに声を掛け、一回分のコルク弾三つを受け取る。
「ショットガンライフルって…わっ、思ってたより重い……シノノン、どう?」
台の上に並んでいたライフル銃のひとつを抱えるようにして持ち上げたアスナが、まだ迷いの残っているシノンにゆっくりと差し出した。自分から手に取るんじゃなくて、アスナが持っている銃に触れる方がハードルは低いだろう。
始めは撫でるように指を滑らせていたシノンだったけどやがてしっかりと掴んで自分の手元に収めてから、うん、と力強く頷く。
「大丈夫そう」
「よかった。じゃあ一回撃ってみる?、えっと……」
ちょっと安心した顔のアスナだったがそこから先が分からないみたいで、だけど頼る視線の先はひとつ。
「ほら、貸してみろよ。コツってわけじゃないけどさ……こうやって先にレバーを引いて、と……」
銃は一旦シノンからキリトの手に渡り手際よくコルク弾が詰められていく。
間違いなく夜店の射的初体験の二人が食い入るようにキリトの手元を覗き込んでいて、準備が整ったライフルを「これで撃てるぞ」と差し出された時のシノンにさっきみたいな緊張の色はない。
すっ、と構える姿は一瞬でスナイパーのそれになる。
狙いを定めてから引き金を引くまではあっと言う間だった。
ポンッ
「……全然飛ばないんだけど」
「景品までの飛距離しか必要ないしな」
「まずは弾道の確認よね」
「アスナ、そんな細かい話じゃないから」
ちょっと不満げなシノンに苦笑いのキリト、真面目なアスナの発言に思わず顔が引き攣った私とそれぞれの反応を示してから今度はシノンが自らコルク弾を銃口に押し込む。
ちょい、ちょーいっ、シノンっ、夜店の射的ってそんなに景品を睨み付けてやるもんじゃないわよっ。なんだろう《ALO》での弓といい的を射るとか撃つ事にかける真剣さが尋常じゃないんだけど……。
ポンッ
ポンッ
「…もう一回やるわ」
うわぁ…完全に真剣本気モードに入っちゃってる。
でも、これはこれで楽しんでるみたいだし、シノンが抱えてるトラウマが薄らいでいってるなら私達も嬉しい。
「これ、ハマったな」
どうやらキリトも同じ意見みたいで、気の済むまでやらせてやろう、と溜め息の後に目配せしてくる。
とは言えずっとここで固まっていても邪魔よね、と思った矢先、「アスナ達は他を見てていいわよ」とシノンが気を利かせてくれた……みたいに聞こえるけど、集中してるから邪魔されたくないって気もするのよね。するとアスナが「ねぇ、あそこに並んでもいいかな?」と指さした先にはかき氷を求めて並んでいる長い行列。
お祭りにやって来た人達の熱気や焼き物系屋台から漂ってくる温かな匂いと調理熱で周囲はむんむんと蒸し暑さが増しているし、ちょうど喉も渇いてきたし、何より他の食べ物だと作り置きを渡せるからそれ程待たずに買えるけど、かき氷はそれが出来ないから客の列もしっかりロープで管理されている。あそこに並んでいれば馴れ馴れしく声を掛けてくる男もいないだろう。それに射的の店からもそう遠くないし。
「シノン、私達かき氷のとこにいるから」
ちゃんと声は届いたらしく、ライフルを構えたまま軽く手を上げたシノンを残して私達はいそいそと列の最後尾に付いて、まるで安地に辿り着いた時みたいに、ほっ、と息をつく。出来るだけアスナを周囲の目から隠す陣形で立って、そして逆に私達の向こうの様子を覗くように観察しながら興奮気味に喋る彼女をキリトと二人で、うんうんと慈愛の目で眺めていれば待ち時間なんて全然苦にならない。
シノンは景品を獲得できるのか、この後は何をしようか、と話しているうちに列はゆっくりと動いて、そろそろかき氷の味を決めておかないと、と思うくらいに順番が近づいてきた。
「アスナはシロップ、何にする?」
「うーん、どうしようかなぁ。キリトくんは何が好き?」
「オレはアスナの半分貰うよ。どうせ一つは食べきれないだろ?」
「だから聞いてるのに」
「アスナが食べたいのでいいけど」
「じゃあ…イチゴ!」
……私はメロンにしようと思ってたけど、今の二人の会話でもっとさっぱりした味が食べたくなったからレモンかしらね。
イチゴ、と決めたわりにはカラフルなシロップが入ったバケツ大のガラスボトルを見て決心が揺らいだのかアスナが「ブルーハワイってどんな味?」とキリトを困らせている。純粋に興味と疑問の色をのせたはしばみ色の瞳は使い古された電球の明かりの下でも濁ることなく夜空の星のように煌めいていて、それを向けられたキリトも「ソーダ味、かなぁ」と曖昧な声で答えているけどその表情は彼女が大切で仕方ないって感じでいっぱいだ。
かき氷なんか一瞬で溶けそうな二人の傍にいるのも馬鹿馬鹿しいから「シノンも食べるかどうか聞いてくるわ」と理由を付けて列を離れようとすれば「オレが行くよ」とキリトが代わってくれるって言い出して…なんか珍しいわね。
え、アスナの隣にいなくていいの?、という私の疑問を感じ取ったらしく、捕捉が続いた。
「ついでにトイレ行ってくる」
なるほど。
「早くしてよね。順番きちゃうから」
箒で掃くように手を振る私といつもの笑顔のアスナに見送られてキリトが雑踏の中に消えれば、それはそれで親友と二人きりのお喋りに話題は尽きない。旧SAOでも私の店に来たアスナとこんな風に過ごしてたわよね、と懐かしくもあの世界に閉じ込められていた中で嬉しくて楽しいだけが詰まっている数少ない思い出が蘇った。
そうして時間を潰しているうちに先頭まであと数グループと順番が近づいてきた頃、アスナと向かい合う形で顔を見合わせて話をしていた私の目にいきなり見慣れない頭頂部が出現した。
「ふぇぇっ!」
悲鳴のようなアスナの声。
そりゃあ、そうよね、いきなり後ろから自分の肩に他人の頭が乗っかったんだから。もっと言えば重力に従って前方に倒れ込んだ所にアスナがいたような状態で、ちょうど彼女の肩におでこが当たって止まり、両腕は傾倒が止まった反動なのか浴衣を纏った胴体にふんわりと巻き付いている。
「なっ、なに?!、どうなっちゃってるの?」
突然背後から緩く囲われて状況の理解が追いつかないアスナが助けを求めるようにこっちを見るが、私だってよくわからないわよ。
無言で首を横に振れば、咄嗟にぎゅっ、と脇を締めて両腕に力が入ったままそれ以上動けずに硬直している親友の瞳にはじんわりと涙が湧き出ていて……あ、これ、キリト以外の男に見せたらダメなヤツね、と判断する。
加えて言うならキリトに見せてもダメなヤツ。
とりあえず完全にアスナに寄りかかってる迷惑な人をどうにかしないと、と手を伸ばした時、あわあわと一人の男性が間に入ってきた。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ。ほらっ、マコトっ、ダメだって。知らない人に抱きついちゃ」
「うにゃ」
うにゃ?、今「うにゃ」って言った?、この人。
顔面が全然見えないけど、私より長身のアスナの肩に上から乗ってるんだから間違いなく背が高いはずの人で、服装はラフなTシャツにジーパン、スニーカー。手には何も持っていないし髪型は……よくわからない。全体的に凹凸のない細身だからてっきり男の人だと思ってたのに今の声と「マコト」って名前……どっちなの?
しきりとアスナに「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」と謝っている腰が低そうで気の弱そうな人は絶対男性よね。
アスナの肩にある「マコト」っいう人の顔を懸命に両手で持ち上げようとしてるけど、全然動く気配ないし、アスナはアスナでその必死さにほだされたのか「えっと、あの、無理しないで下さいね」って逆に心配しちゃってるし。
「もしかして、この人、具合が悪いんじゃ…」
「違うんですっ、、そうじゃないんですっ、それなのにごめんなさいっ」
じゃあなんでアスナに張り付いてんのよっ、といい加減こっちも変わらない現状にうんざりしていると、僅かに聞こえる穏やかな息。
すぴー……、すぴー……
それは一番近くにいるアスナに一番良く聞こえたみたいで、ちょっと口の端をピクピクさせながら「寝てます?」と目の前の男性に問いかける。
「ごめんなさいーっ」
いちをまだ「マコト」って人の頭に両手を当てたまま土下座の勢いで謝罪をする彼。
祭り会場のど真ん中でこれだけ周囲に音や声が溢れている中、しかも超至近距離で「ごめんなさいっ」を連発している連れの声さえ届かず、単に前に並んでいただけの見知らぬ女の子にもたれてかかったまま寝てるって、どういうこと?
「僕達、この近所に住んでて幼馴染みで大学生なんだけど、マコトの…あっ、貴方にご迷惑をおかけしてるのが、マコトです。ごめんなさいっ…マコトのレポート提出日が今日で、だから全然寝てないのにこのお祭りには絶対行くってきかなくて、本当にごめんなさいっ」
所々に「ごめんなさいっ」を挟んでくるから分かりにくいけど、要するにアスナに全力もたれかかってるマコトさんは寝不足で寝ているだけなのね……なんて迷惑な人。
「なら体調が悪いとかじゃないんですね。よかった……あ、寝不足は立派な体調不良よね。キリトくんもちょっと目を離すと夜更かししすぎて欠伸ばっかりしてるし」
あー、確かに学校でも密かに『愛妻弁当』と呼ばれているアスナの手作りを食べた後とか、割と高確率でもたれかかって寝てるわね。だからって見ず知らずの人に寛大すぎると思うわよ、アスナ。それにこのままじゃ……
「全然起きないけど、どうするのアスナ」
「どこかに座れる場所でもあれば……地元の方なんですよね?、どこか休める場所、知らないですか?」
「それならこの先の自販機の所が…あそこなら休憩所でテント出てるしベンチもあるから……でも折角待ったかき氷、もうすぐ順番くるし、そこまでご迷惑をおかけするわけには」
「もう十分迷惑してますけどね」
「リズっ。いいんです。困った時はお互い様ですから…………ちゃんと、最後まで一緒にいますよ」
その時だ、周りの賑やかな空気とは正反対の低くて暗くて重たい声がアスナの隣から飛び込んでくる。
「それ、どういう意味」
「キリトくんっ。よかった、帰りが遅いからちょっと心配してたの」
「それより、今のアスナの言葉、どういう意味だ?、あと、誰?、この人」
絶妙にこれ以上ないくらいマズいタイミング戻って来たキリトは、アスナの気遣いに感謝も謝罪もせず壮絶に機嫌を悪くしていて、アスナはキリトの帰還に安堵と嬉しさでニコニコしてるけど肩にはここを離れる時は付いてなかった知らない頭が乗ってるし、そこからだらんっ、と垂れた両腕は細い浴衣姿にまとわりついているし、そりゃあいつもみたいに溶けそうな笑顔で「ただいま、アスナ」なんて言うはずないわよね。とどめはキリトが聞いてしまったらしいアスナの言葉……最後まで一緒にいます……なんでそこだけ聞いたのよ、勘違いするには十分すぎるでしょ。
「あのね、キリト。そうじゃないのよ」
「ケガ人なのか?、それとも病人?」
それなら我慢するけど、って譲歩するのかと思いきや、その目っ、ケガ人や病人を見る目じゃないっ。
「どっちでもないのにごめんなさいっ」
こっちの人もなんだか情けないって言うか頼りないって言うか……面倒くさくなってきた。
「あのね、キリトくん。この人、寝不足さんなの」
アスナもお行儀良く可愛らしく変な所に「さん」付けないでっ
「寝不足……」
わかるっ、わかるってるわ、キリト。寝不足だからってアスナにひっついていい理由にはならないわよねっ。
それがわかっていない当のアスナは博愛精神を発揮して、おんぶお化けみたいに背中に密着してるマコトって人が倒れないようにもぞもぞと落ち着きのいい体勢を探してるし……ダメでしょ、アスナ、寝心地良くしちゃ。
でも、やっぱり洋服と違って背中にある帯が当たるのか、アスナの肩口から再び「うぅ…」と小さな声がして、私もアスナも「ごめんなさいっ」の男性も、そしてキリトだって寝ているおんぶお化けが「起きるかも!」と思った時……
「うにゅう、いい匂い」
そこから先は電光石火だった。
期待違いの言葉に私とアスナが「え?」と言ったか言わないかの間に男性がやっぱり「ごめんなさいーっ」と叫び、キリトは無言でおんぶお化けの肩を掴んで無理矢理ベリッと剥がしたかと思うとアスナを奪い返して、とんっ、とその肩を突き放す。慌てたのは「ごめんなさいっ」男だ。突然目の前に幼馴染みの「マコト」が倒れかかってきたので両手で受け止めるつもりだったみたいだけど、見事に尻餅をついて下敷きになっている。
それでも「マコト」をしっかり抱えてるから二人共ケガはないみたいね……とりあえずよかった。
「だっ、大丈夫ですかっ?!」
無事を確かめたいらしいアスナだけどその腕はしっかりとキリトが掴んでいるから思うように動けなくて、「キリトくん」と視線の先を変えてみてもキリトは返事すらせずになぜか私を見た。
「悪い、リズ。アスナについた匂いとか色々、消してくる」
は?!、それって後はよろしく、っていう丸投げよね?
この迷惑な二人、どうするのよっ!
並んでたかき氷とか、結局シノンは食べるの?、食べないの?
それでもって色々消すって……あーっ、もーっ、色々と言いたい事が多すぎて優先順位を決められないうちに攫うようにしてアスナを連れ去ったキリトには結局何も聞けなかった。
「なんか、本当に、本当に、ごめんなさいっ」
潰れてもまだ謝ってる……多分上に乗っかっている「マコト」は私一人の力じゃどうにもできないだろうし、もうっ、どうしようかしらねぇ、と「ごめんなさいっ」男の近くにしゃがみ込んで、はぁっ、と溜め息をつく。
すると流石に倒れ込んだ衝撃が強かったのか目を瞑ったままの「マコト」がむくり、と顔を上げた。
「うぅっ、焼きそばソースのいい匂い……」
この二人、なんでかき氷の列に並んだのよーっ
思わず二人まとめてグーで殴りたくなる衝動をなんとか堪えているとやっぱり横からの大音声。
「全くもってごめんなさいですーっ」
ちょ、ちょっと、こんな所で泣かないでよ?
この構図だと私が二人を腕力で圧倒して謝られてるみたいじゃないのっ。
確かにかき氷って無臭だから列に並んでても香ばしいソースの匂いの方が漂ってきてたけど……なら、さっきの「いい匂い」はアスナの事じゃなくて焼きそばの事だったってわけ?
説明しようのない理不尽さに項垂れれば、「ごめんなさいっ」男がなぜか言いにくそうな雰囲気を発散しながらもじもじとこっちを見ている。
「なに?」
「……さっきの男の子にも謝らないと」
「そうね、完全に誤解してたわよ」
「それもなんだけど……マコト、女の子なんだ。きっと間違えてたよね」
……そうだったのか。確かに私も、どっちかしら?、って自信なかったものね。
けど言われてみればあんなにアスナがずっと密着を許してたんだから男性のはずないか……私もちょっと考えればわかる事だったな、とそこは反省。
キリトも誤解してたと思うけど、アイツの場合は相手が女性でもあそこまでくっついてると、あからさまに面白くない、って顔になるし、シノンなんてわかっててアスナを抱きしめて反応を楽しんでる節がある。
なら改めて見れば目の前には路上で幼馴染みの男性の上に倒れ込んでいる寝不足の女性……視覚的によろしくないわ。なんとかして眠気も体勢も起こさないとっ、と近づこうとすると顔を上げていた彼女が匂いを辿るように鼻をひくひくさせて辺りを索敵し、両手を突いて起き上がった。
「お腹、空いた」
顔を向けた先には「焼きそば」の屋台。
「マコト、さっきは冷たいかき氷を食べて眠気を散らす、って言ってたくせに」
あら?、彼女に対しては強気な物言いなのね、と意外に思っていると「ごめんなさいっ」男は立ち上がったマコトさんにケガの有無を確認してから、どれだけ見知らぬ女の子に迷惑をかけたか、を懇々と説明し、それを寝不足と空腹のマコトさんは終始長身の体を縮込ませて大人しく聞き、最後には二人揃って「ごめんなさいっ」と声を揃えた。
そこにちょうど「なにしてるの?」と心底不思議そうな声と共にシノンが現れる。
えっ?、今度は私がいちから説明するの?
「偶然出会ったこのお二人と色々あってね」
「ふーん。それで、アスナと私のかき氷とキリトは?」
シノン、アンタの優先順位がおかしな事になってるわよ。
「アスナとキリトは……もうしばらくしないと合流できないと思うわ。かき氷は……」
当たり前だけど列を外れてしまったから順番はすっかり抜かされている。
私の後ろからバックミュージックみたいに「ごめんなさいっ」が多重で響いてるけど、列自体はさっきより長くないから待ち時間も短くて済みそう。
私は面倒くさい二人をさっさと焼きそばの屋台に追いやって、シノンに笑いかけた。
「それで?、射的の成果はどうだったの?、かき氷の順番を待ちながら聞かせなさいよ」
その後、何とかアスナとキリトの二人と合流を果たした時、アスナは「キリトくんに買ってもらったの」と大きなイチゴが五つも刺してあるフルーツ飴を手にしていた。
何やら謝罪の表れらしいけど、何に対するのかは分かるような分からないような、知りたいような知っちゃいけないような……ただ、シノンと並んで歩くアスナの後ろ姿を見た時、リボンと一緒に編み込まれていたまとめ髪が単純なポニーテールになっているのに気付いて、やっぱり知っちゃダメなやつね、と納得した。
お読みいただき、有り難うございました。
浴衣と帯はしっかり直せたようですが、髪型までは無理でした(苦笑)
編み込んであったリボンはポニーテールの結び目に蝶々結びとなってます。
そしてリズ、お疲れさま。