ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
今回は年末年始にかけて京都の本家に言っていた明日奈が
年明けに東京に戻ってきたお話です。
時間軸的には《マザーズロザリオ》より前ですね。
『ライバル』……競争相手、対抗者、好敵手、宿敵、などなど、キリトにとっては主に《仮想世界》で意識した事のある単語だが、今現在、桐ヶ谷和人は《現実世界》においてその単語を目の前の人物に強く感じていた。
事の起こりは昨年末から京都にある結城家の本家に行っていた明日奈が年が明けてようやく東京に、そして森の家の寝室でキリトの腕の中に戻って来て、明日、リアルでも会おうという約束をした時、アスナから待ち合わせ場所を指定されてからだ。
『親戚?』
『うん。本家で久しぶりに会った子でね。普段は海外で暮らしてるんだけど私が東京に戻ってくる時一緒にこっちまで来て、今日、都内をあちこち案内したの。それで明日父親の職場まで送り届ける事になってるから……』
『職場、どこ?』と問いかけながら久しぶり触れるアスナの髪を飽きることなく撫でていたキリトは自分の首元あたりから発せられた都心のど真ん中にある外資系のハイブランドホテルの名に内心「へぇ」という驚きと「なるほど」という妙に達観した二種類の感想を同時に味わった。驚きが突出していないのは明日奈の父方の親戚は京都の本家を筆頭に皆エリート志向が高いからだ。会えば比較的柔和に会話をしてくれる明日奈の父、結城彰三も総合電子機器メーカー「レクト」のCE0を務めていた実業家なのだから他の親族も推して知るべしである。ただ外資系と言うのがちょっと意外だっただけで、そういうケースもあるだろうと深く追求せずにそのホテルのロビーラウンジを待ち合わせ場所にして、今……和人と向かい合わせに二人掛けのラウンジチェアに座っている二人はまるで姉弟のように仲良く昨日の観光の思い出話を口にしていた。
最初は明日奈が都内のどこを巡ったのかを和人に報告していたのだが、明日奈の意識や視線が和人に向きっぱなしになるのが『気に入らない』とわかりすぎるほど露骨に話に割って入り、流暢な日本語で彼女を独占しているのは誰が見ても日本人ではないと気付く容貌の少年だ。明日奈の淡褐色より濃い琥珀色の瞳、逆に髪は日本人に近い焦茶色だがオリエンタルな雰囲気を醸し出しているのは骨格が日本人のそれと基本的に違うからだろう。整った顔立ち、スラリと伸びた腕に白い肌。
ちなみに年齢は十二だと明日奈から聞いていたが、日本の公立小学校に通ってたら違和感しかない気がする。
それでも髪色が近いせいだけでなく明日奈と兄弟姉妹のように見えるのは血のつながりのせいか、明日奈の方も彼の我が儘を苦笑いひとつで受け入れるくらいは甘やかしていた。
和人は、と言えば相手は明日奈の親族だし、自分の方が年上なのだから、とオーダーしたコーヒーを啜りながら二人のやり取りを黙って聞いている。
まぁ、たまには明日奈を譲ってやろう、と強がりなのか余裕なのか分からない言い訳を自身にしている理由は、明日奈の方が先にラウンジに到着していたのは打合せ通りだったのだが、予定外だったのは送り届けたはずの少年が同席していて、当然の如く明日奈の隣を占拠していたからだ。
自分と二人きりの時ならいい。二人掛けの席でも四人掛けのボックス席でも向かい合って座るけれど、友人達など一緒にいる人数が二人以上の時はキリトの隣はアスナであり、明日奈の隣は和人であると暗黙の了解みたいになっていて、それなのに和人が明日奈の待つ席に案内された時はすでに彼女と並んで見目麗しい少年が笑っていた。
いや、純度の高い笑顔は明日奈にだけで、紹介された和人に向けられた目はかなり挑戦的だったと言えるだろう。もちろん明日奈からは見えていなかったが……。
和人だって一瞬固まった……聞いてない、聞いてないぞ、と。
明日奈からの『親戚の子』という表現で、勝手に小さい女の子だと思い込んでしまった自分にも落ち度はあるし本当に『親戚の子』一人だけが東京に来たという確認もしなかっが、昨晩は親戚情報を入念に仕入れるより、アスナの身体を入念に色々することしか頭になかったのだ。
結局リアルで会う約束をした後、再び我慢がきかずに深更まで肌を合わせていたから多少寝不足だったのが少年の登場で一気に眠気が吹き飛んだ。少年と引き合わせた時の和人の驚きの意味を悟った明日奈も申し訳なさそうに眉尻を下げて『彼のお父さんが会議中で、終わるまでもう少しだから一緒に待ってて欲しいって』と説明をしてくれたが、いやいや、そのお願い、間違いなく父親側からじゃなくて息子からだよな、と少年を胡乱げな目でみる。
物言いたげな和人からの視線をちょろり、と舌を見せただけでかわした少年は見せつけるように明日奈側へ身体の重心を移し可能な限り距離を縮めて爆弾を投下した。
「アスナの家の風呂、朝でも使えるんだな」
「え?!…う、うん。いつでも入れるよ」
「今朝、入ってただろ?」
「あっ、ごめんね、水音響いてた?」
「普通に起きてキッチンにミネラルウォーター取りに行く時、気付いただけ」
へぇ、アスナん家、二十四時間風呂なのかぁ……なんて感心するわけもなく、和人はまぬけな顔で「はぁっ?」とすかすかの息を漏らすことしか出来ない。
「アスナはいつも朝、風呂に入るのか?」
「そんな事ないけど……今朝は…」
そこでチラッと視線を寄越した明日奈のはしばみ色の瞳が責めるような、それなのに目元は僅かに赤みを帯びていて、その意味に気付いた和人もまた少し気まずそうに、でも声には出さず「ごめんなさい」と内省して二人だけの無言の会話が成立する。その内容は分からずとも何らかのやり取りがあった事を看破した少年は強引な声で「アスナっ」と再び彼女の意識を己に引き戻した。
「そんな事ないけど、の続きは?」
「えっと…今朝は……そう、今朝はなんだか眠気が取れないな、って思って。だからお風呂につかったの」
「昨日、オレに付き合って都内を巡ったから疲れた?」
「違うよっ、そうじゃなくて…」
再び明日奈が和人を見る。
二人共VRの順応性が高いせいで、完全に意識を切り離せないのだ。《仮想世界》で心拍数が跳ね上がるような行為を長時間すれば《現実世界》の身体も疲労を覚えるし、ダイブを続けていれば寝不足にもなる。
「あー…、アスナの風呂はさ、趣味みたいなものだから」
和人なりに言葉に詰まっている恋人に助け船を出したつもりだったが、今度こそ恨みがましい目で睨まれた。もう大人しくコーヒーを啜っていよう、と残り少なくなってしまったカップに手を伸ばす途中で、そうじゃないだろ、と自分を叱咤する。
「あのさ…ウィル、だっけ?、もしかして、昨日アスナん家に泊まったとか?」
もしかしなくても会話を聞いていればそれ以外ありえなさそうだが、確認せずにはいられない。その質問を受けて途端に優越感を瞳に宿らせた少年は、ふふんっ、と口元を弓なりにした。だがその問いに勢いよく斜め上から肯定したのは明日奈だ。
「うちにだってゲストルームあるもんっ……キ、和人くんのお家みたいな雰囲気のいいお部屋じゃないけど……」
「へ?……アスナが使う客間って普段はただの物置き部屋だぞ」
「けど、ちゃんと床の間もあるし、お庭だって見えるでしょ」
「まぁ、唯一の和室だからな。道着を洗濯した時とかスグがあそこで畳んでるけど、基本、普段使わない物や捨てられない物を突っ込んである押し入れを重宝してるだけで、アスナん家みたいに来客を想定した部屋じゃないよ」
「でもあのお部屋、私は好きだな」
「そうデスか?…なら…いつでも、どうぞ?」
なぜか二人してもじもじしている……ハイランクホテルのロビーラウンジで。
そんな二人の様子にイラついたのか少年、ウィルはたまらずに明日奈の肘を掴んだ。
「京都の本家も和室だろ…明日奈は和室が好きなのか?」
「んー、そうだね、落ち着くけど和室ならなんでもいいわけじゃなくて……」
京都の結城家は京風数寄屋造りの大な屋敷で明日奈達が滞在する時は離れを使わせてもらっているが、そこは良くも悪くも古式ゆかしく通信ネットワークは圏外というのだから万人にとっての快適な生活環境とは言えない。
「オレ、今日の夜はここのプレジデンシャルスイートなんだ。和室もある。小さいけど内庭も付いてるし、風呂は…総檜って言うんだろ?、木製のバスタブのやつ、他にジャグジーが使えるのもあるんだ……昨日泊めてもらったから今夜はアスナがこっちに泊まっていいぞ」
少々強引な物言いは年齢のせいか、それとも普段、日本語圏で生活をしていないせいか……測りかねていた和人だったが少年が自分を見る目に対抗意識を感じ取って、むむっ、と口を強く引き結んだ。それにいくら父親がこのホテルの関係者でもスイートを押さえるってどれだけの資産家なんだ、という話である。しかも少年の口ぶりではこのホテルのスイートを使うのは初めてではないらしい。
「ありがとう、ウィル。でもおば様も今日の夕方にはこっちに合流出来るっておっしゃってから、大丈夫、今晩は寂しくないよ」
「オレは別に寂しくなんかないっ」
強い否定がよけいに本心と取られない典型的なパターンだ。明日奈はまるで弟を見るような目で、うんうん、と微笑んでいる。
さすがにちょっと可哀想な気になるがここで敵に塩を送るような余裕も和人にはない。
昨晩の明日奈の話の中で、親戚の子の母親は結城家の分家筋の人間で結婚後、夫と海外で生活をして子供をもうけたという所まではちゃんと聞いたが、更に踏み込んだ内容を聞くよりも目の前の彼女への欲が勝って早々に唇を塞いだのだ。こんなことなら性別と年齢くらいは把握しておくべきだったと本日二度目の反省をし、改めて目の前の二人を見る。
明日奈がたまに口にする京都の結城家の話にはいつも僅かな忌避感が漂っていた。それのなにこのウィルという少年に対してはそういった感情が見えずまるで近所の子を相手にしているような気安さだ。まあ「男」として意識していないせいもあるだろうが、問題はこっちのウィルである。
そういう方面にはとんと疎い和人にもわかる、コイツ、アスナの事…と。感情の機微に敏感な明日奈が気付かないのはそれだけ結城家側親族の同世代との人間関係がギスギスしているからか……。
それにどういった経緯があったのかは知らないが本家のある京都から東京まで、そして一泊してからこのホテルへ送り届けるまでウィルの保護を明日奈に任せたというなら彼の親からの信頼も厚いという事で……妙に外堀が埋まってる感に和人は焦りを覚えた。
「おじ様、会議長引いてるみたいね……」
時間を確認した明日奈が呟くと「いっつもそうなんだ」と辟易した諦めモード顔のウィルが頭を振る。
「仕事で日本に来る時は面倒な会議って決まってるから。今回はこのホテルをどこまで日本人に合わせたサービスにするか、だったかな」
日本にあるホテルなのだからある程度は日本人向けにするべきなのだろうが、日本の老舗のホテルには及ばない。かと言って海外資本の強みを生かしたサービス内容にすれば異国にいるような雰囲気が出せ日本人客の満足度は上がるもののリピート率は思ったほど維持できない。いっそインバウンドを主軸にした経営に転換すべきという案も出ていて今後の方針を話し合うべく本社にウィルの父親の来日要請が入った為それに合わせて母も帰国して父は東京に、母はウィルを連れて一旦京都の本家へ挨拶をしてから東京に移動の予定になっていたらしい。
それがなぜ母は京都に滞留で十二歳の息子だけ親戚の女子高生が同伴者となり東京に来ることになったのか……しかもその女子高生の家に宿泊までしてるのか……年齢に見合わない策略家の顔には気付いてない様子の明日奈は父親を仕事に取られている少年に慈しみの目を向けて親愛の籠もった声で「ウィル」と発し話題を変えた。
「ハイスクールのお休みはいつまで?」
「えっ!?、ハイスクール?」
「オレ、スキップしてるから」
和人の驚きに何でも無い事のように答えたウィルはこれまた平然と「実は今日まで。だから明日帰国するんだ」と簡潔に口にしてから「アスナともしばらく会えない」と少し寂しげな目をする。そんな顔をしてもアスナは譲らないぞ、と和人が半眼の視線を送るとウィルは一転ニコッと笑った。
「でもアドレス交換したから帰ったら連絡するっ」
「うん」
途端に元気になったウィルを見て喜ぶ明日奈を前に和人は密かに「時差、ちゃんと考えろよ」とつっこんだ。なんだかこの勢いでは二人きりの時を見計らったように連絡をしてきそうな気がする。
そしてこの感覚、どこかで?……と記憶を揺さぶって、そうだっ、と思い出した。
あの世界でキリトとしてしぶしぶ血盟騎士団に入団した後、アスナの執務室で二人きりで寛いでいても次から次へと団員達が扉をノックしてきて……まぁ、あの時は団長とデュエルまでして入団した新人が副団長室にしけ込んでるとかいう噂が流れたせいで半分は黒の剣士見たさに無理矢理用事を作ってやって来た連中だったわけだが、それでもアスナは一人一人丁寧に対応していて、わかってはいたつもりだったが改めて彼女の面倒見の良さに感心する反面ちゃんと休憩や気分転換はしているのか心配になったのだ。
やっぱりアスナだなぁ、と小さく笑って見ていると、その笑顔に気付いた明日奈が不思議そうに小首を傾げてくるので、なんでもない、と和人は首を横に振った。その答えに完全には納得していない表情だがそれ以上の追求はせず、徐に立ち上がって「ちょっとお化粧室に行ってくるね」と言って席を離れる。
明日奈がいなくなってしまえば残ったのはローテーブルを挟んだ和人とウィルだ。
「それで?…カズトって言ったけ。いつまでオレとアスナの邪魔をする気?」
「じゃっ、邪魔って……」
それはこっちのセリフなんだけどな……と和人は頬をヒクつかせて笑った。
「大まかな話はアスナから聞いてる。デスゲームの《仮想世界》に閉じ込められた一人なんだろ。そこでアスナと出会い二年を経て生還後、《現実世界》でも交流が続いてる」
間違ってないよね?、と言いたげに見つめてくる琥珀色の温度は低い。
例えばそのデスゲーム中に潜んでいた快楽殺人集団との文字通り生死を賭けたやり取りだとか、ゲームクリアに導いた功績だとか、お前がご執心のアスナと新婚生活を送っていたとか、多分そういった出来事は目の前の少年にとって大した意味は持たないのだと直感したので黙ってひとつ頷く。
「《仮想世界》では強かったんだって?」
明日奈から聞いたのだろう、確かにレベルの話で言えば強いのだろうが多分彼女の語った「強さ」はそういう事ではない気がするから和人は一言「アスナはオレなんかよりもっと強いよ」とだけ返した。
ウィルはちょっと驚いたように瑠璃色をまん丸くしてから、にっ、と笑い「わかってんじゃん」と変わらず上から目線で話し続ける。
「彼女は『結城、明日奈』だから」
唐突に宣言されて今度は和人がパチパチ、と瞬きをした。
「結城の本家ってさ、地方銀行とは言え京都だけじゃない関西一円でいくつも支店を経営してる。親戚筋は社長や官僚なんて珍しくもなんともない。その家の三男がアスナの父親だよ。更にアスナって兄のコウイチロウと少し歳が離れてるだろ。それもあって本家のじぃちゃんとばぁちゃんのお気に入りなんだ。他の子供達と分け隔てなく接してるつもりでも可愛がってるの、気付く人間は気付くから」
よく知ってるな、と感心しつつ、年を取ってからの孫は可愛い…あれ?、子供だっけ?、と適当にうろ覚えのフレーズを思い浮かべる。けどそれなら更に年若いウィルなどもっと可愛がられるのでは?、という疑問が顔に出ていたのか、声にする前に答えが返ってきた。
「オレは直系じゃないし同族意識の高い連中にとっては珍獣扱いさ」
ハーフと言うだけで煙たがられるのか「父親が経営業だから露骨には蔑視されないけど」と軽い口調で流すウィルの事を明日奈が「久しぶりに会った」と言ったのは彼女が虜囚の身であったからだけではなく、ウィルとその母親も京都の本家を敬遠していたからだろう。
「いとこ、はとこ達からすればデスゲーム事件で当主お気に入りの優秀な末孫が自分達の競争者リストから消えたって内心喜んでたみたいだけど……」
そこで何を思い出したのかウィルがくすっ、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「意識のなかった二年間の日本の政治、経済、スポーツ、刑事や民事の注目を集めた事件事故、果ては世界情勢まで全ての話題に完璧に受け答えしてたからね、アスナ」
「は…さすがだな」
どれだけ時間をかけて膨大なネットニュースをチェックし頭に叩き込んだのか、自分には到底できない所行だと肩をすくめた和人にウィルは片眉をあげる。
「勘違いするなよ。結城の姓を名乗るなら当たり前なんだ。アスナにとって二年間のブランクなんて何でもないって示しただけ。結局、親戚連中はアスナが通ってる歴史も実績もない学校を哀れむことしか出来なかったみたいだけど、それに対しても別に恥じてる様子はなかったから……確かに前に会った時より強くなったかも」
いつの間にか明日奈の話題で年下のウィルと対等に会話をしている事に気づいた和人は確かに自分にとって明日奈は「アスナ」で、「結城」の家の重さなど想像も出来なかった不甲斐なさは認めるものの、そこは《現実世界》において法的に何の関係もない自分では立ち入れない領域であることにもどかしさを感じる。少なくともこの少年は京都の結城家の敷居をまたぐ権利を有しているのだ。
『私がキリトくんを守るから、キリトくんは私を守ってね』
ボス部屋突入の前にこっそり交わした約束……それはどんな世界でも変わらない。
「オレはね、アスナは日本を出るべきだと思う。いつまでもあんな品評会に関わってても彼女の為にならないから」
ついでに言えばウィルはもう一つの自分の母国に来ればいいと思っているのだろう。明日奈なら語学力もコミュニケーション能力も問題ないし……とそこまで推察した和人は彼女が自分の傍から離れて行く未来を想像して血の気が引く思いを味わった。
笑顔と共に紡がれるあの声が聞けない、手を伸ばしても触れられない、出会う前なら知らなかった感情が今では失ったら生きていけないと思うくらい自分の中に満ちている。それでも今の自分では「結城明日奈」を守る力がないのも認めざるをえない現実だ。
「……でも…、最後は彼女の、アスナの、意思を尊重すべきだろう?」
絞り出した和人の声に自信に満ちた笑みを浮かべるウィルが「もちろん」と同意した。
そしてちょうど会話が途切れたのを見計らったように明日奈が戻って来る。
「ただいま…あれ?、二人で何の話?」
交流はあったようだが互いの間に流れる空気が重いと言うか、まとっている温度差がすごい。困惑している明日奈はラウンジチェアに腰を降ろすのさえ躊躇うように顔を左右に動かして男子達を見比べた。
先に呼び寄せるように「アスナっ」と発したのはウィルだ。
「アスナはオレのこと好き?」
その質問はずるいだろ、と、こういう時なんと切り出せばいいのか咄嗟に出てこない己の対人能力の低さを恨む和人の唇に、むぐっ、と力が籠もる。明日奈はウィルが親戚の子だから仕方なく付き合っているわけではない。そんなの、このラウンジでの短時間でもわかった。予想通り少し戸惑いはみせたものの「うん、好きだよ」と素直に答える声に気負いはない。
「じゃあオレのことは?」と続いて問えるほど開き直れないし、それでは余りにも子供っぽい行動だろうと和人は視線をさげた。
「オレも好き。オレの親だってアスナのことは優しくて賢くてキュートだって言ってるし」
明日奈の「ありがとう」という声を耳で聞いている和人の頭上を一瞬彼女の影が横切る。
「それに初めて京都の本家に行った時、アスナだけが普通に話しかけてくれたの、オレ今でもよく覚えてるよ」
弾んだ声、よほど嬉しかったのだろうし、他の親族がウィルをどう扱ったのかがわかる言葉だ。明日奈の方も懐かしむように「私だって覚えてるよ」と告げ「まだ私よりずっと小さかったよね」と競うように思い出を口にする。
「父や兄以外で私のこと『アスナ』って親しく呼んでくれたのウィルが初めてだったもん」
海外なら当たり前だが、それでも今の同年代で明日奈を気安く呼び捨てにする異性は和人くらいで、そんな些細な事すらウィルに先を越されていた事実に思った以上にダメージをくらう。
「アスナ、オレの所に来ればいいのに。日本の一流大学に通うよりこっちの大学の方が格は上だし自由でいいよ」
そうなれば親族達は国内の上位大学の名を自慢げに口に出来ない。ウィルの更にスキップを重ねて明日奈と同じ講義を受ける事すら視野に入れていると思われる発言に和人は膝の上の自分の手をきつく握り込んだ。どこを見ていいのかわからず、ただその握り拳にぼんやりと焦点を当てる。思考に力が入らないのに左右の手だけはなぜか爪が痛くなるほど圧迫されていて、まるで自分の手ではないみたいだ。
「それも楽しそうだね」
耳に入れたくない、受け入れたくない、明日奈の肯定の言葉に呼吸が止まる。
「だったら、楽しそう、って言いながらなんでそっちに座るの?」
ウィルの放った声に不可解さと少しの怒りが含まれていたのは気付いたが、その意味が全く理解出来ずにもう一度脳内で咀嚼しようとした和人の手がやわらかくあたたかく包まれた。
「それはね、ウィル。ここが私のいたい場所だから」
明日奈の声がすぐ傍から聞こえている事にようやく気づいて、その意味を確かめる為にそぅっ、と顔を上げると同時に、離れて行ってしまわぬよう自分の手に被さっていた彼女の指を縋るように絡め取る。そうすれば真っ直ぐ前を向いていた明日奈がちょっとだけ和人を見て微笑んだ。
化粧室から戻ってきてそのまま空いている和人の隣に座ったのに二人の会話を拾うのに精一杯で全く見えていなかった。
ふて腐れた顔のままウィルが身を乗り出す。
「オレ、本当にアスナのこと好きだよ。アスナはさ、年下の男と恋愛しないの?」
困り笑顔で「そんなことはないけど」と言われれば幾分ウィルの機嫌は上昇したが「でも」と少し間を置いて明日奈がしっかりと声に出した。
「いっこ下までかな」
絡み合っている手を、きゅっ、と明日奈から握られたので、和人もすぐに同じ加減で握り返した。
流石に年齢差はスキップできないと悔しげに顔をしかめているウィルの元へ女性スタッフが足早に近づいてくる。どうやらウィルの父親が会議から開放されたらしい。それでもまだ完全に身体が空いたわけではないようで、こちらに挨拶に来られない旨を詫びるメッセージを明日奈に届けるとウィルを父親の元へ案内するため彼が立ち上がるのを待っている。
明日奈も立ち上がり「ほら、ウィル」と促した。
遅れて腰を上げた和人も無言で退場を催促する。
三人分の視線を上から落とされて唸りそうな口元のウィルが観念したように勢いよくラウンジチェアから起立して去り際、念を押すように明日奈を見た。
「連絡するからっ。オレ、たくさんするっ」
続いて和人を睨み捨て台詞のように吐く。
「それにまだ諦めないからっ」
「またね、ウィル」とにこやかに手を振る明日奈にちょっとイラついた顔をしたものの「はぁっ」と息を吐いて手を振りながらラウンジを出て行くその後ろ姿に「そんなに海外留学させたいのかなぁ」と呟く声を聞いて、諦めないってそっちじゃないんだろうけど、と思いつつ訂正は入れずに和人は再び明日奈の手を握ったのだった。
お読みいただき、有り難うございました。
同時投稿で「血の誓約」も「おまけ」をあげておきましたので
よかったら覗いてみてください。