ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
キリトとアスナは当然として、他の仲間達が《新生アインクラッド》で居心地の良さからつい訪れてしまうのが二十二層のログハウスなら、《現実世界》では御徒町のダイシー・カフェがそれと言えるだろう。夜の営業開始時間にはまだ早い夕刻、客がいないはずの店内では四人掛けのテーブル席に帰還者学校の制服姿が三人と、ラフな、と言えば聞こえはいいが幾分くたびれた感じの私服姿の成人男性が一人、卓上中央に置かれた一枚の紙に視線を集中させていた。
営業時間も関係なく店にやって来る連中にすっかり慣れてしまったエギルが仕込み仕事を一段落させてそこに加わる。イスに座ることなく長身を生かして上から覗き込み問題の紙面に書かれている文字を声にした。
「『好、き、で、す』……ね」
妙にカタコトなのは彼がアフリカ系アメリカ人だからではない。紙にある字の一文字一文字が独立しているからだ。
「清々しいほどの直球だな」とクライン
「この文字のどこに清々しさを感じるのよ」とリズ
「情報量が少ないんだか多いんだか……」とキリト
そして最後の一人、アスナは隣にいるキリトの手を握ったままその紙を睨み付けている。
「キリの字の下駄箱に入ってたんだろ?」
「下駄箱って……いつの時代の言葉なの」
「今でも使うだろっ、『下駄箱』!、少なくとも俺は使ってるぜ」
「はいはい。そうよ、キリトの『下駄箱』に入ってたのよ」
若干投げやりなリズの口調に対してクラインの唇に、ぐうっ、と力が入るのがわかるが現役高校生の意見を覆すのは無理と諦めたのか、大人の対応を自らに課したのか、はたまたこの会話が他の三人から見事にスルーされている意味を悟ったのか、強く引き結ばれている口が開くことはなかった。
一拍置いてエギルが言いづらそうに「それで……」と四人の頭上からバリトンを落とす。
「今どき学園ドラマでも観ないようなシチュエーションに推理ドラマでも観ないようなその紙か」
そう、紙の方にも無視できない特徴があった。
まず紙という媒体からして珍しい……もちろん全くない、という事はない。何か伝えたい事柄があって相手に繋がる電子アドレスをひとつも知らないのなら直接声を掛けるとか共通の知人に伝言を頼むなどが妥当だと思うが、何らかの事情があって声が届かないなら紙という手段もなくはない。ただそれだとアドレスは知らないが住所は知ってると言う、若干怖い状況が想定されるわけだが今回はまた違う意味で怖い手段が取られていた。
リズが肯定したように今日、帰還者学校でキリト…桐ヶ谷和人が下校しようと昇降口で靴を履き替える際にこの手紙は発見されたのである。
通学靴の上にちょこん、と置かれた何も書かれていない封筒の中身が今五人の視線を釘付けにしている一枚の紙だ。
手紙、と言うにはあまりにも短い文。
しかも印刷文字を一文字ずつ切り取って糊で貼り付けてある、ある意味かなり手間と時間のかかった一品。
昔の推理ドラマなどで犯罪者がチラシや新聞紙の文字を切り貼りして送ってくる犯行声明文や脅迫状のようなアレだ。その形状が取られている点からも色々と波紋を呼んでおり、つい「『好きです』って他に隠語的な意味あったっけ?」とユイに訪ねてしまったキリトはすげなく「ないです、パパ」と娘の若干呆れた声を聞かされて今に至る。
「とりあえず、これ、ラブレターなわけよね?」
認識を統一したいリズの問いに頷く者はいない。
この四文字を得る為に手紙の制作者はわざわざ新聞だったり雑誌だったりを購入したことになるからだ。そしてこんな切り貼り文にする意味は通常身元を特定されない為である。
徹底的に正体を明かしたくない人間からのラブレター……ちょっと引く。
強制的に受け取らざるを得なかったキリトに嬉しそうな気配など微塵もなく、複雑さを通り越してさっき鞄から取り出した時は親指と人差し指で封筒の角っこをつまみ上げるという劇物扱いだ。
「だいたいよぅ、手紙なら宛名くらいは書く……この場合は貼る、か?、とかすんだろ。あとよ、キリトはこれを受け取ってどうすりゃいいんだ?」
「どうすれば、って?」
「そもそもこういう手紙は返事が欲しくて出すもんだろ?」
ふむ、と顎に手をあてたエギルも考え込む。
「ま、通常はそうだな。『返事を待ってます』とか場所や時間を指定してくるケースもあるだろうし」
さっきから一言も発しないアスナは思考などはなから停止しているのか、握っている手に力を込めて難しい顔を僅か左右に揺らしながら不安そうにキリトを見た。手紙をテーブルに広げた時から視界の端で恋人の様子を伺っていたキリトが安心させるように握り返し、はしばみ色をしっかりと見つめて軽く微笑み頷く。
そんな二人の様子を正面から観察していたリズは溜め息と共に「返事なんて決まってるのにね」と独語のように落としてから思考に集中した。
目の前にあるラブレターとおぼしき紙は、朝、キリトが登校した時には存在していない……と言う事は日中、昇降口へ自由に来られる学校の生徒の行為で間違いないだろう。そしてここの生徒なら誰でも目撃しているキリトとアスナの加糖すぎる互いへの愛情表現。
アスナにも共通して言えるがこの二人に恋愛感情を打ち明けても「ごめんなさい」の返事しか貰えないのは周知の事実だ。男子生徒に限ってはそれでも「結城明日奈と二人きりで会話が出来る」という点のみで告白する残念思考の者が後を絶たないが、リズが知る範囲で女子生徒は今のところいないはずである。
叶わないと分かっていても伝えたいほどの恋心を抱いている女子……そして無記名の意味が実はキリトもアスナも知っている人物で今の関係性を壊したくないからだったとしたら……リズの頭によく知る年下でツインテールの女の子の顔が浮かぶ……が、即座に消滅した。この条件だけなら当てはまらない事もないが彼女ならこんな事はしない……と言うより印刷文字を切り貼りする発想なんてないだろうし、もし想いを打ち明けるなら事前に相談に来るはずだ。
今日の放課後、一緒に下校する約束になっていたのに、なかなか昇降口から出て来ないキリトをアスナと二人で急かしに行った時、靴も履き替えないままこの事件の原因である手紙を手に呆然としていた姿が思い起こされる。
……事件?、うん、これはもうラブレター事件よね、とリズは一番納得のいくフレーズだと命名した。
立ち尽くしているキリトに『どうしたの?』とアスナが近づくと、さすがに恋人には見せられないと咄嗟に判断したのか、我に返って封筒に戻そうとしたが、さすが『閃光』、それよりも先に素早く覗き込み、その文言に対してか、それとも形式に対してか、どちらにせよショックを受けてカキンッと固まって以来全く声を発する事無く今の今までただひたすら恋人の手を握り続けている。
キリトはキリトでそんなアスナの反応に戸惑いつつも差出人の心当たりさえないのだから勘違いや手違いの可能性を話しかけていたが、リズが「エギルの所に行って、落ち着いて相談しましょ」と発案してからはこちらも黙って、でも片時も手を離さずに寄り添っている。
手紙一枚、それもたった四文字で二人の関係にひびが入るなんて微塵も思っていないが真意を測りきれないのがちょっとだけ不気味だ。
「……ほんと、一体何がしたいのかしらね」
これでは単純に手紙を受け取ったキリトが困惑するだけのような気もする。
全員が口を噤んだところでただ文字を睨んでいてもこれ以上の進展は期待出来ないとふんだクラインが小さくキリトに「いいか?」と了解を得てからその紙に手を伸ばした。
クラインはたまたまダイシー・カフェに立ち寄っただけで、そこでキリト達と遭遇しそのまま同席を求められたわけだが、例の紙を元通りに畳むと入っていた封筒にしまい背後のエギルに渡す。
「家に持って帰っても置き場所に困んだろ。ここで預かってもらえよ……いいだろ?、エギル」
「そりゃ、構わんが……」
「とにかく相手は同じ学校の生徒なんだろうし。しばらく様子を見ちゃどうだ?、もしかしたら本人が名乗り出てくるかもしれねえし、そうすりゃあ直接話をして一件落着だ」
「そうなればいいんだけどなぁ」
疲れたように肩を落とすキリトの手をアスナが「キリトくん」と心配そうにさする。
好意を持ってもらえるのは有り難いが伝達手段に切り貼り文字という手法を選びこっそり潜ませてくるような人物だ、今後が全く読めない。
早く解決するといいな、と慰めにも近い視線を三人が送る一方で、ひとりだけ強い決意を秘めた瞳で「私が頑張らないと」と自らを鼓舞するような声は小さすぎて残念ながら誰の耳にも届くことはなかった。
けれどその言葉通り、翌日からのアスナは「すごかった」の一言につきる。
時間の許す限りキリトの傍に居て周囲を警戒し続けたのだ。同じ授業の時、隣り合わせで座るのはいつもの事だったが、別々の授業でも移動時にわざわざ遠回りをして教室を覗きに行ったり、廊下ですれ違えばキリトの耳元で「大丈夫?」と確認を怠らない。中庭のランチだってキリトの姿が見えれば立ち上がって迎えに行く程の過保護ぶり。
これら全てアスナにしてみれば要人警護のような至極真面目な気持ちからだったが、残念な事に普段のふたりを知っている周囲の目にはそうは映らなかった。
「なんかふたりの親密度増してね?」
「姫の独占欲がスゴいな」
「姫先輩が女子を射貫く鋭い視線がカッコイイのっ」
「ちっちゃな子がお気に入りの毛布を取られまいとする感じ?、かーわいー」
総じて「私のキリトくんだからっ」をアピールしまくっている結城明日奈、な感じにしか見て貰えず、ある者は生温かく見守り、またある者は羨ましさに歯ぎしりをし、下級生女子などは射貫かれたくてわざと視界に飛び出す始末。
結局周囲の人間達は「何かあったんだろうなぁ」とは思ったがイチャ度が上がっただけなので頑張っている明日奈の隣でまんざらでもない顔の和人を見て「けっ」と短い息を吐き出しただけで終わった。
そして、ある生徒がふと気付く……「あ、でもこの学校に入学したての頃って桐ヶ谷くんがあんな感じだったね」と。
デスゲーム内の知名度で言えば一、二位を争うと言っても過言ではない『血盟騎士団』サブリーダーがアバター姿のまま騎士装を制服に替えて登校していたのだから校内がザワつくのも無理はない。しかも当時はまだ明日奈のリハビリが完全に終わっていなかったので常に和人がフォローに入っていた。純粋なものから不純なものまで多種多様な好奇の眼差しの中、特に男子生徒からの度を超えた粘り気のある視線は殺気を込めて威嚇していた和人である。
その甲斐あって今では比較的平穏に学校生活を送っている明日奈だったが、例のラブレター事件のお陰で、まるでフロアボス戦前のような張り詰めた気持ちを五日ほど維持し続けたせいか神経がくたくたに状態になっていた。
手紙を受け取った日から今日まで差出人からは何の接触もなく事態は膠着状態のまま。そして肝心の和人が特に気にしている様子も見せずに交互に絡ませた指を嬉しそうに握り返してくるのだから一瞬自分は何をやっているのかしら?、と疑問符すらわいてくる。
そんな中、親友のリズから「例のラブレター事件、解決したっぽいからダイシー・カフェに集合ね」とメッセに貰った時は、ちょっと半信半疑だったもののある種の緊張感と期待を持ってキリトとふたり顔を見合わせた。いつもより急いた歩調で「準備中」の扉前まで辿り着き、ふたりで入店してみればリズはもちろんクラインも先に到着していて、これで前回と同じメンバーが揃った事になる。
「リズっ、解決したってほんと?」
「まぁ、さしあたってこれ以上何かが起きるって事はないわね。それは保証するわ」
「差出人と会ったのか?」
「本人じゃなくて事情を知ってる子と……だからあの手紙がどうやってキリトの手まで渡ったのかは判明したわよ」
「それはキリの字に惚れた女子生徒が下駄箱に突っ込んだんだろ?」
「事はそう単純じゃなかったの」
疲れたような、呆れたような溜め息を吐いたリズは「そもそもあれはキリトに宛てた手紙じゃなかったのよ」という根本を覆す発言から説明を始めた。
今日の休み時間、リズの元に下級生の女子が訪ねてきたのだ。その女子曰く、自分の従兄弟が結城先輩に一目惚れをしてしまった、と。それでラブレターを預かったのだが、それがちゃんと先輩に届いたのか確認したいけれど従兄弟は絶対に自分の存在を知られたくないと言っているので直接本人には聞けず、そこで親友である篠崎先輩なら知っているのでは、と思い相談に来た、と。
『もしかしてその手紙ってこの位の真っ白な封筒に入ったやつ?』
下級生は安心したように何度も頷いた。
さすがに中の文面までは知らなかったらしい。従兄弟とは言えプライベートな書面だし、何よりラブレターだ。どんな風に書いたのか気にはなるが中身までは見ないのがマナー……だが、リズとしては確認して欲しかったと切に思った。そうすればあの手紙は彼女のところで止まっていただろうから。
『自分が誰なのかは知られたくないと言っていたので名前は書いてないはずです。あと結城先輩の名前も知らなかったので宛名も書いてなくて……だからちゃんと届いたのか気になって』
『アスナの名前を知らないの?』
『はい、この学校の生徒じゃないから。従兄弟は通学で使ってる沿線でたまたま結城先輩を見かけたって。でもその一回きりだったので制服が私と同じだったのを思い出して手紙を託されたんですけど……』
そこで聞いた沿線名は確かに普段明日奈が利用している線ではなかった。
『あなたの従兄弟が見たウチの制服の女子生徒、本当にアスナだったのかしら』
『それは間違いないと思います。すごく綺麗な栗色のロングヘアで手や足も細くて長くて、それに寝顔がとっても可愛かったって言ってましたから』
『寝顔?!』
『はい。従兄弟が見た時、結城先輩、車内で座ったまま寝てたらしくて』
リズの眉間に皺が寄り、ちょっとだけ首が傾く。いくら電車の揺れが心地よくてもあのアスナが車内で居眠りをするだろうか?
『それで、その寝顔に見とれてたら隣で結城先輩に肩を貸していた同じ制服の男子にもの凄い圧で睨まれたって言ってたので、その男子生徒の特徴を聞いたらやっぱり桐ヶ谷くんでした。それならもうあの二人で間違いないです』
自信満々でそう言われてしまうとリズもその二人だとしか思えなくなって、手紙の行方を気にしている後輩に曖昧な笑みで答える。
『確かにその手紙ならアスナ、読んだわよ。ただ訳あって手元には保持してないけど』
危険物扱いで第三者に保管してもらってるのは言わなくていいだろう。それに初見はキリトの手にあったのを横から盗み読みしたような形だったがその後改めて本人含め数人でじっくり文面を読んでいる。
『あ、よかった。だったらいいんです。ちゃんと読んでもらえたんですね』
『そうね、かなりちゃんと何度も読んでいたわ』
正確には四文字を長時間睨んでいたと言った方が正確だが、従兄弟の女生徒に罪はない。
『でも、アスナからの返事はいらないの?』
『それ、私もいちを従兄弟に聞いてみたんですけど身内の私でもちょっと呆れるくらい気の弱い子で、自分の存在を知ってもらおうなんて思ってないんです。だから手紙を読んで貰えたらそれで満足だって。それに結城先輩の隣にいた男子に怯えてて、もし正体がバレたら消されるかもしないとか訳わかんないこと言ってて。それもあって自分の名前を書かなかったらしいです』
その気持ち、分かるような分からないような複雑な心境だ。
なので私が確認に来た事、結城先輩には秘密にしておいて下さいね、と言われたのでリズは深く頷いて彼女がやって来た意味を尋ねた。
『それならなんでわざわざ私のとこに?』
『実は私、従兄弟から預かった手紙を結城先輩のシューズロッカーに入れておこうと思ってたんです。だから放課後早めに昇降口に行くつもりだったのに、その日に限って担任から呼び出しくらっちゃって。でも手紙をずっと持ってるのも嫌なので友達に結城先輩に渡す手紙だからシューズロッカーに入れておいて、って頼んだんですよ。それで安心してたんですけど、その友達が昇降口に行く途中で委員会の当番だったのを思い出して他の人に預けたって。昨日その人に確認しに行ったらその人も途中で違う人に預けちゃってて……結局、結城先輩に渡す物なら桐ヶ谷くんに渡しとけばいいみたいな感じになったっぽくて…………大丈夫ですか?、篠崎先輩』
もうリズはその場でしゃがみ込んで頭を抱えたい気分だった。要するにあの手紙はうちの学校に従姉妹のいる男子がアスナに一目惚れをしたけれどキリトの存在に恐怖して名も名乗れず、けれど恋心は伝えたいという想いから身元が特定出来ない方法を斜め上からの発想で作成したラブレターで、それをなぜかキリトが受け取ってしまったという悲劇の産物なのである。
そんなHPをレッドゾーンにまで削られたリズの横で後輩の女生徒は『でも確認出来てホッとしました』と安堵の笑みを浮かべ『これで従兄弟にもちゃんと報告できます』と礼を述べてから元気良く手を振って去って行った。
と、まあ、こんなやりとりがあったわけだが「結城先輩には内緒で」と何度も念を押された手前リズはその辺の経緯を省いて「そういう感じで色々行き違いはあったけど、相手は電車内でうたた寝してたアスナに一目惚れしたらしいわ」と若干投げやりな口調で締めくくった。
なんだかもう、うたた寝顔で見ず知らずの人間を恋に落ちさせるハイレベル容姿の親友が一番いけないような気さえしてくる。
ところがいくらアスナにとって告白やラブレターが日常事でもやっぱり面白く思わない男が約一名いるわけで……。
「ほらな、だからオレが付いてて正解だったろ?」
「違うのっ、私はキリトくんが隣に居てくれるから安心して寝ちゃうのっ」
キリトくんが居なかったら寝たりしないのにっ、と力説しているアスナの膨らんだ薄桃色の頬をキリトが楽しそうに人差し指でつついている。
別にキリトはアスナが居眠りするのを咎めているわけではなく、自分以外の男にアスナの寝顔を見られるのが嫌なのだが、悲しいかなアスナ本人には伝わっていない。それでも恥ずかしそうに拗ねた頬に触れられる特権を満喫できるのは嬉しいらしく真っ黒な瞳が三日月型になっている。
「だったらこれからも一緒に行く。あの検査、脳に負荷がかかるから疲れて眠くなるの当然なんだ」
「それは……そうかもしれないけど」
どこか別の場所でやってくれないかしら、と思った時、この甘ったるい会話に一刀、切り込んだバンダナ頭の猛者がいた。
「一体どういう事なんだ、キリト」
「アスナとオレを電車内で見かけたのって多分アスナの脳神経の定期検診の時なんだ。病院に行く時はその路線使うし」
「お……お前、アスナの検診に付いてってんのか?」
「横浜だから、ちょっと遠いんだよ」
エギルもリズも、質問をしたクラインも内心「そうじゃない」とつっこんだ。場所がどうこう言うよりなぜアスナの検診に親族でもないキリトが同行しているのか、という問いかけなのに当の二人はそれが当たり前と言いたげな顔でアスナは「いつも学校帰りだから終わると外、まっ暗なのよね」と言い、キリトは「だからって絶対に一人で行くなよ。あと検査着に着替える時、ドアの鍵はしっかりかけること」とアスナを窘めている。
「更衣室の前室にはキリトくんしかいないのに?」
「この前は途中で看護師が来ただろ」
「ドアはちゃんと締めてたし、入って来た看護師さん、女性だったでしょ?」
「いつも女の人とは限らないから」
もしも男性看護師が入って来た場合、間違っても更衣室のドアノブは触れさせないし何なら衣擦れの音すら聞かせたくないと言いたい顔で真剣に見つめてくるものだから、アスナも気圧されたように顔を上下させて了承の意を伝えた。
再びふたりの世界に入りそうになっている寸前で今度はエギルが引き留める。
「ならこいつは本来アスナが受け取る物だったんだな」
預かっていた手紙を片手でヒラリ、と持ち上げるがそれを彼女へと差し出す前に「処分しておいてくれ、エギル」とキリトが低い声で指示めいた申し出をした。
「キリトくんっ」
「ちゃんとアスナだって読んだんだし、差出人もそれで満足なんだろ?、だったらわざわざ持ち帰る必要はないさ」
エギルとクラインとリズの目が呆れたように半眼になる。それはキリトが決める事ではないが、確かに目的は達成されているし、加えて強く反対できない理由はあの切り貼り文字だ。やはりちょっとだけあの形式で恋文というのは違和感というか不気味感が拭えない。それはアスナも感じていたのか一言「もうっ」と軽くキリトに唇を尖らせた後「すみません、エギルさん、お願い出来ますか?」と眉尻を下げてそのまま委ねる。
「そりゃあアスナがいいなら構わないけどな。そもそも……」
言いかけて漆黒の視線がまっすぐこちらに伸びているのに気付き口を閉じた。お前が差出人を威嚇した結果じゃないのか?、と言われるのは理解しているようだ。そしてそれを止めるつもりがない事も伝わってくる。
さすがに入学してから数ヶ月が経った今、学校内で結城明日奈の突き出た存在感への過剰反応は落ち着いたらしいが普通の街中ではその限りではないのだろう。彼女の隣にいるという事はそんな周囲への索敵をずっとし続けるという事で、無茶無謀もいいところだがキリトにとってはアスナの手を離す未来の方がよっぽどありえないし、彼女の安全と自らの安心を得られるなら無茶無謀は彼の専売特許だ。
だが、そのお陰で周囲が騒動に巻き込まれるのはもう仕方が無いと諦めるべきなのか?、とエギルは手紙を持っていない方の手で禿頭をカリカリと掻いた。
何とも言えない憐れみに近い空気が漂っている中、キリトが「だから何度も言ったのに」と平然と話し始める。
「オレ宛てのラブレターのはずない、って」
ぱっ、とアスナが顔を上げた。
「そっ……そんな事ないと思うよ。アインクラッドにいた時だって……」
「ラブレターメッセなんて貰ったことないけど」
「そうじゃなくてっ」
同じ『血盟騎士団』の団員の子達も最初はソロプレイヤーのキリトを敬遠していたが、何度か共闘をするとただ強いだけじゃない、ちゃんと周囲の状況分析力も高く協調性もある彼に段々と惹かれていたのを知っているアスナとしては「キリトくんに好意を持っていたギルメンの女の子が何人もいたの」とか「主街区でキリトくんの事をチラチラ見ていた子もいたし」と教えたい所だが、そうなると自分もキリトを目で追っていた事がバレそうで続きが告げられない。
「アスナは歩くだけで注目の的だったけど、オレを気にしてる女性プレイヤーなんていないって」
「……つまり私のアレコレは全く伝わってなかたってことなのねっ」
色々理由を付けて会いに行ったのに……とヘソを曲げてしまったアスナの態度に慌てたキリトが「へっ?」とか「え?」を連発しているが助け船はどこからも来ず、それどころかエギルがニヤニヤと口元を緩めわざとらしく「そう言えば」と切り出した。
「キリト、お前も俺の店にレアアイテムを持ち込む時はよくアスナを見かけたって話してたよな?」
「はっ!?……あっ、あれはっ、別にっ、ただの世間話だろっ」
「そうか?、お前がわざわざ他のプレイヤーの話をするなんて珍しかったじゃないか」
「それはっ、たまたまアスナを見かけた後ってレアアイテムがよく出たからっ」
それ「たまたま」って言わない、とまたもや三人は心の中でつっこんだ。
自覚がないだけでアスナの姿を見て気分を上げ、それに伴って動きや勘も良くなり、結果モンスターを大量に倒した事でレアアイテムを引き当てる確率が上がったのだ。
「アスナを見かけたり、話をした後はなんかラッキーな事は多かったけど……ただの偶然だよ」
「私とお喋りした後って……それ、私と一緒ね」
「アスナも?」
「うんっ、なんかドロップしたアイテムがすごく多かったり、珍しかったり」
「会う度に情報交換や意見交換してたせいかな」と幸せそうに笑い合うふたりを置いてエギルは「酒の在庫でもチェックするかな」と席を離れ、リズは「そろそろ帰らなくっちゃ」とイスから立ち上がる。素早く離脱していく二人を頭を左右に忙しなく振り回して「は?、お、おいっ!」と呼び止める言葉も浮かばないクラインは後れを取ってしまった自分に気付き「なんなんだよぉ……」と独りごちた。
お読みいただき、有り難うございました。
表記についてですが、ダイシー・カフェでは「キリト」「アスナ」
学校では「和人」「明日奈」とぼんやり分けてまして、明確じゃないのは
私がしっくりくるという感覚で選んでるからです。
なので統一されてませんけど誤字というわけではありません。