ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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『癒やしのぬくもり』の約一週間後のお話です。
場所はふたりの留学先であるサンタクララ、共同生活を始める部屋の寝室で。
体調はすっかり回復したキリトです。


癒やしのぬくもり【その後】

ベッドに腰掛けて手元に視線を落としていると、背後から聞こえたかすかな音に集中して

いた意識が途切れた。ゆっくりと振り返ればキィッという音と共に木製のドアが開き、その

隙間から濡れた髪の毛をタオルで巻き上げた夜着姿の明日奈が顔を覗かせる。

 

「キリトくん、こっちにいたんだ」

 

安心したように微笑んで部屋に入ってきた。

リビングダイニングに居なければ、残る部屋はこの寝室しかないのだが。

 

「ん〜、明日、帰国する前に一応書類をチェックしておこうと思ってさ」

 

留学に必要な手続きのほとんどはデジタル化されているので、かさばることはないが、それでも

紙媒体の重要書類はいくつかあった。特にこれから明日奈と共に暮らすこの部屋の契約等に

関するものは、見事に全て紙だ。

再び目線を手元に戻して数部の紙束を一枚一枚めくり、一束見終わると腰掛けているダブル

ベッドの上に無造作に投げ置いていく。

両手をついてベッドに上がった明日奈は、ペタンと座ってから、目の前に散らかっていく書類を

拾い上げては目を通し、キレイに重ねていた。

それを視界の隅で認識しつつ目は書類の文字列を追いながら軽く息を吐き出す。

 

「契約書って結構専門用語が多いよな」

 

デジタルならすぐに意味を引っ張ってこれるが、紙だといちいち感がハンパない。

暗にそう言いたいのを即座に読み取った明日奈が苦笑いを浮かべながら同意を示した。

 

「そうだね〜……でも大家のランディさん、アナログな人だから。お部屋借りる為の関係書類が

全部紙だって言ったら、うちのお父さん『まだそうなのかっ!?』って驚いてたよ」

「って事は、浩一郎さんが借りた時も?」

「きっと紙だったんだろうね」

 

互いに思わず苦笑いで顔を見合わせた。

 

オレと明日奈が一緒にサンタクララで暮らす、この願いを叶える為にオレ達は互いの親が

提示した条件をいくつか受け入れなければならなかった。

特に難航したのは住む場所だ。

予想していたことだが、最初は二人とも別々の場所に部屋を借りる事を要請された。

当然のことながら、明日奈の両親の方が強い口調だったと思う。

それはそうだろう、互いの気持ちはもう随分と前から決まっているが、それはあくまでも

当人同士の事であって、大人の常識から言えば、要は「早すぎる」のだ。

しかし、その条件に猛烈な異議を唱えたのは明日奈だった。

生活をする場所が離れるのはどうしても容認できる事ではなかったらしい。

どうやら彼女にとってこの海外留学は自分の可能性を広げる、と同じくらいの比重で、オレを

支える、という二大柱で成り立っているらしかった。

後に何と言って両親を説得したのかと聞いた時、明日奈はニッコリと微笑んでから教えてくれた。

「離れた場所で生活するなら、私は和人くんの部屋を行き来する際、時には夜の

サンタクララの街中を一人で歩くことになるかもしれないのね、って」……懐かしくも

『閃光様』を彷彿させる物言いで。

これで明日奈の両親は折れたのだそうだ。

どちらかと言えば治安は良いとされているサンタクララだが、娘にそんな風に言われて不安に

ならない親はいないだろう。

それならば、と明日奈の両親は「これだけは譲れない」と前置きをしてから切り出してきた。

知人がアパートメントをやっているから、そこにそれぞれ部屋を借りてくれ、と。

フタを開けてみれば、そこは明日奈の兄・浩一郎さんが留学時代に一時期住んでいたアパート

メントだと言う。多分、オレと一緒に云々がなくても、明日奈の住居候補には挙がっていたの

だろう。当然、結城家は兄が借りていた最上階のワンフロアぶちぬき物件を提示したが、それにも

彼女は否を口にした。

できるだけ両家に負担をかけたくない、というのが明日奈と、もちろんオレの意向だった。

どちらの親も、そんな事は気にしなくていい、と言ってくれたが、オレの事情を言えば

ウチには直葉もいるのだ。

オレにばかり金をかけさせるわけにはいかない。

明日奈は明日奈で、思うところがあったのだろう。

そんなワケで初めて二人でサンタクララのこのアパートを訪れた時、空いている部屋を

尋ねたところ、最上階のワンフロアと、隣に大家が住んでいるこの部屋しかなかったのだ。

知人のアパートメントという条件はクリアしていたし、大家が隣にいれば、という安心感は

明日奈の両親はもちろん、オレにもあった。

慣れない土地の見ず知らずの隣人が居る部屋で明日奈が一人暮らしをするのが心配でないと

言えば嘘になる。

そこでようやく明日奈の両親から渋々だが同居の許可が下りたのだ。

明日奈は一度、浩一郎さんが住んでいた頃にアパートメントを訪れた事があるらしく、大家の

ランディ夫妻との再会を心から喜んでいた。

それから、時には別々に、時には一緒にこの地を訪れ、進学の準備を進め、住まいを調えると

いった作業に追われ、今日に至るのである。

 

「うん、大丈夫だな」

「そうだね」

 

明日奈はまとめた書類をオレに手渡してくれると、頭を覆っていたタオルをパサリと広げて

髪を丁寧に乾かしはじめた。

一気に香りがあふれ出す。

 

「ドライヤーは?」

「今は乾燥してるから、タオルだけで結構乾いちゃうよ」

 

言いながらも手にしたタオルで前後から髪を押さえる度に、いい香りが漂ってくる。

思わず吸い寄せられるように、オレもベッドの上へと這い上がった。

 

「ここだと、風呂ないけど、よかったのか?」

 

今更ではあるが、あれだけ風呂好きな明日奈にシャワーしかない部屋で生活をさせるのは

心苦しいものがある。それこそ確認はしていないが、最上階の部屋なら小さくても

バスタブくらいはありそうなものだ。

 

「うん、だいたい日本の標準的な大きさの浴槽なんてこっちの小ぶりなアパートメントには

ほとんどないし。あっても学生二人が住むような部屋じゃないでしょう?」

 

確かに……そんな手足が伸ばせる程の風呂があるなら、まず間違いなくもっと贅沢な間取りの

集合住宅か一軒家だろう。

へたをすれば浴槽どころかサウナやホームバーまで完備していそうだ。

 

「大丈夫、お風呂に入りたくなったら《あっち》にダイブするから」

 

なるほど。

 

《仮想世界》にあるもうひとつの我が家、《ALO》の浮遊城アインクラッド22層の

森の家だ。虜囚となっていた頃の受動的な皮膚の常在感覚は他の視覚や聴覚と比べると決して

同等と言えるものではなかったが、あれから数年が経った今、その技術は格段に進歩を遂げて

いた。

 

「そうだな、《あっち》なら二人で入れるし……」

 

総檜造りの広い湯船を思い浮かべ、続けてそこに入るアスナの姿も思い浮かべ……

ようとした時、小さな声が耳に届く。

 

「ばか」

 

明日奈の頬がほんのりと桃色なのは、シャワー後だから、というわけではなさそうだ。

それにしても一緒に風呂に入る事がどうして「ばか」発言に繋がるのか、理不尽な気もするが、

それは今までのオレの所行からして、普通にただ風呂に入るだけでは終わらないことを

明日奈さんが十分承知なさっているからだろう。

そうとわかっていても、少々意地悪に言い返してみたくなる。

 

「『ばか』ってなんだよ。明日奈の髪だって洗ってやるオレに。好きだろ、人に洗って

もらうの」

 

前にオレの冗談めいた提案を実行した結果、思いの外好評だったようで、湯船につかったままの

彼女の髪を洗ってやったら、目を閉じてうつらうつらしたくらいだ。

その時の感覚を思い出したのか、あらがえない誘惑と戦っているような表情の明日奈が更に頬を

濃く染めて、こくり、と頷く。

 

「人に、って言うか……《あっち》で髪の毛洗ってもらうのなんて……キリトくんにだけ……

だよ」

 

確信はしていたが、その言葉に「当然」とばかり片頬が上がる。だいたい洗う意味さえない世界

なのだから、オレだって明日奈がいなければ風呂に入る回数など半分以下になっただろう。

そんな会話の間も羞恥に頬を色づかせながら休むことない彼女の手は、その香りを発し続けて

いる。

オレは香りに誘われる虫のように、抗うことも出来ずその香源へと再び間を詰めた。

 

「やっぱりダブルベッドってデカいな」

 

寝室として使うこの部屋がさして広くないせいもあって、この存在感はすさまじい物が

あった。すぐ横にサイドテーブルを置いたら、後は動線しか残っていないに等しい。

オレのその言葉に明日奈が反応する。

 

「だってシングルふたつなんて入らないよ」

「まあ、そうなんだけど」

 

初めは別々の場所で生活を、などと言われていた割に、随分と近距離状態の生活と

なったものだ。

そんな感慨にふけっていると、ポンポンと二回タオルで髪をはたくのが終わりの

決め事なのか、明日奈が手早くタオルを小さくまとめて持ち、ベッドから降りようと

シーツの上の足をずらした。

追うようにオレも身体ごと滑らせ、更に片手を伸ばし明日奈の髪の一房を掴む。

 

「きゃっ」

 

こちらを振り向く前に、素早く手の中の髪の香りを堪能した。

 

「やっぱり、この匂い……」

 

満足げなオレの横で、明日奈が再び頬を赤らめつつ、眉間にしわを寄せている。

 

「それ、この前、直葉ちゃんに見られて、すっごく恥ずかしかったんだから……って

覚えてないかも、だけど……」

「この前?」

 

ああ、あの時か。

 

オレが一週間ほど前に川越の自宅で熱を出して倒れた時のことだ。

明日奈が家まで見舞いに来てくれて、直葉も一緒の時にこんな風に彼女の髪の匂いを

思わず嗅いでしまったのだ。

あの時は熱で頭が朦朧としていたし、そんな時は本能に従ってしまうものだし……。

明日奈は何を思い出したのか一層頬を染め、視線を落として聞いてきた。

 

「その時、なんて言ったか……覚えてる?」

「なんか……言った?」

「言った…………覚えてないなら……いい」

 

ホッとしたような、それでいてちょっと拗ねたような口調だ。

これは覚えていた方が良かったのか、いない方が良かったのか……。

そんなオレの葛藤を吹き飛ばす勢いで明日奈が顔を上げた。

 

「とにかくっ、キリトくんは先週、熱を出して病み上がりなんだし、明日の飛行機の時間は

早いし、今日はもう寝ましょ」

「……」

「先に横になってて、私、このタオル、軽く洗って干してから寝るから」

「……」

 

そうオレに告げたものの、オレが髪の毛を一向に手放そうとしないので動くことの出来ない

明日奈が、じっとオレを見つめて疑問符を飛ばしてくる。

 

「聞こえてた?、キリトくんは病み上がりよね?」

「うん、まあ、そうかな」

 

答えてからズズッと髪を掴んだまま身体を寄せ、やっと彼女と自分の足が密着する距離に

たどり着く。

 

「明日の飛行機、早いわよね?」

「うん、そうだな」

 

そのまま顔を近づけ、首筋のあたり、ちょうど髪の毛と首のはざまに鼻を突っ込んだ。

 

「ひゃぁっ」

 

いきなりの突進を受け、とっさにのけぞろうとした明日奈の両肩を素早く掴む。

 

「うん、シャワー後の明日奈の素肌と生乾きの髪の匂い、一緒に嗅ぐとすごく気持ち良い……」

「う〜っ、覚えてたんじゃないっ、もうっ」

 

首筋までも紅潮させ、小刻みに震えているのがわかる。

そのまま彼女の肩に軽く頭をのせたまま、「何が?」と問いかけたが、返事はして

もらえなかった。

代わりにしどろもどろの言葉を投げかけてくる。

 

「キ、キリトくん、病み上がりだし」

「それ、もう聞いた」

 

首筋に甘噛みを一回。

 

「んんっ……明日の飛行機、早いし」

「それも聞いた」

 

そのまま首筋から上にチョンチョンと唇をスキップさせて到達した耳たぶに再び

甘噛みを一回。

 

「あっ、ちょっ、やんっ……もう来週の終わりにはこっちに引っ越してくるんだし」

「……なら、このベッドのスプリングの状態も確認しとかなきゃ、だな」

 

そう言って、オレは明日奈の両肩を掴んでいた手をそのまま背中に回し、軽く体重をかけて

静かに押し倒した。




お読みいただき、有り難うございました。
サンタクララに限らず、海外の住宅事情に関しては全くの無知ですので、アパートに
おける風呂の有無は個人の責任でご確認ください(笑)
さて、今年の投稿はこれが最後となります。
お付き合いいただき、有り難うございました。
来年もまたよろしくお願い致します。
年明け一本目は《現実世界》のお話です。


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