ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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久々に(?)【いつもの二人】シリーズ
今回はごくごく普通の一般会社員、持武(モブ)さん視点のお話です。


【いつもの二人】詐欺?

賑やかな大通りから一本入った場所にある隠れ家的カフェバー『ダイシー・カフェ』。

店内は広すぎず狭すぎず、落ち着いた内装に少し照度の低い明かり、それにカウンター内にいる店主のバリトンボイスが居心地のよさを十分に演出していて、俺のお気に入りの店のひとつだ。

今日は学生時代の後輩のお悩み相談を受けるため仕事帰りに待ち合わせてこの店へ案内してきたのだが、一杯目のアルコールを飲み終えないうちに話は予想外の方向へ向かい始めていた。

 

「へぇ、お前の恋人、社長令嬢なのか。すごいな」

「いえ、社長って言っても小さな会社らしいんですけど」

「それでも経営者なんだから、俺みたいな普通の会社員とは違うよ。それで何の会社なんだ?」

「さぁ、そこまでは僕も知らなくて」

「なんだよ。聞いてないのか?」

「聞いても教えてくれないんですよ」

 

困ったように笑う後輩に反して俺の笑顔に僅かなぎこちなさが混じる。

 

「…そ、その恋人って結婚前提で付き合ってるんだろ?」

「もちろんですっ。僕、十代の頃から結婚は早くしたいって思ってて」

「ああ、確か学生の頃もそんな事言ってたよな。でも彼女は学生だっけ?」

「はい。都内の大学四年生です」

「じゃあ来年は社会人か。もう就職は決まったのか?、それとも父親の会社で働くとか?」

「うーん。どうなんでしょうねぇ。なんか忙しいみたいで。まだ就活してるのかなぁ」

「おいおい。自分の彼女の事だろ……大丈夫なのかよ」

「なかなか連絡取れないんです。僕からだと必ず留守電だし。メッセージもすぐには返信来ないし」

 

あんまりデジタル機器が得意な子じゃないんですよ、と素直な笑顔で口にする後輩に俺は少しばかり声のトーンを落として慎重に言葉を選んだ。

 

「間違ってたらごめんな。少し前に他の後輩がお前とその彼女さんと一緒にオンラインゲームで遊んだって聞いた気がするんだが……」

「やりましたっ、やりましたっ…へへっ、実は彼女と出会ったきっかけってオンラインゲームの中なんです」

 

え?、と思うと同時に少し離れたカウンター席に座っているひとり客が「くほっ」と妙な音を生み出したのが耳に入る。視線をやると禿頭のマスターがスマートな仕草で水の入ったグラスを差し出していた。

俺は一瞬逸れた意識を目の前の後輩に戻し改めて彼の様子を観察する。

オーダーした酒を美味そうに飲み干し「先輩もお代わりしますか?、同じものにします?」と気を遣ってくる姿は学生の頃から変わらず可愛い後輩そのままだ。サラリーマンは性に合いそうにない、と学生時代に興味のある資格を取りまくりフリーで色々な職種を転々としているが家庭を持てば少しは落ち着くだろうか?、一人で暮らす分には十分な収入らしいがそれでは相手の親御さんも安心して娘を任せるとは思えない。その辺の事は結婚願望が強いこいつなら色々と考えていそうだが話を聞く限りでは何だか彼女の本心が見えづらくて引っかかる部分がある。

けれどそんな俺を前に後輩は恋人との出会いを嬉々として語り続けていた。

 

「彼女、当時はMMORPGの超初心者で、それで僕がレクチャーすることになって段々と、って感じで……」

 

ごふっ、ごふっ、とまたもやカウンター席から、さっきよりも大きなむせ声が飛んで来る。マスターが小声で「大丈夫か?」と顔を近づけているがまともに声が出せないらしく、コクコクと頭を上下に揺らしていて……あれは返事なのか呼吸困難による発作的な動きなのか……まぁ、マスターに任せておけば問題ないだろう。同じ店内に居合わせただけの見ず知らずの客が駆け寄るほどの大事ではないようだ。

 

「ふーん、なるほどねぇ。でも今はそのゲームだってちゃんと出来るんだろ?」

「そうなんですっ、彼女、すっごくセンス良くてちょっと教えただけでどんどんレベル上がっていくんですよ」

 

我が子を語る親バカのような顔で彼女自慢をする後輩に憂いなど欠片もなくて、それが逆に俺の不安を膨らませる。

そんなに適応能力の高い人間がデジタル機器が得意じゃないって?……、なんでそのちぐはぐさに気付かないんだコイツは。

所謂『恋は盲目』というやつなのか、俺が深く考えすぎなのか。単にゲームは得意でも携帯端末のやり取りに関してはずぼら、という性格なだけなのかもしれない……いや、そうであって欲しいという俺の願望が通じたのか後輩が酒の酔いのせいだけではないほど顔を赤くして頭を掻いた。

 

「実は……この前プロポーズして……」

「本当かよっ、それでっ?、返事はっ??」

「はい。受けてもらえました」

「やったじゃないかっ、良かったなぁっ」

 

なんだなんだ、へんに勘ぐることなかったのか。ちゃんと彼女もコイツの事が好きで…それならこんなにめでたい話はない。

気持ちが一気に浮上して「今夜は俺の奢りだっ」とこっちまで嬉しくなったところで後輩が「有り難うございます」とニコニコ顔のまま「それで相談なんですが」と切り出してくる。

そうだった、今夜は相談事があると聞いてここに連れて来たんだった……が、未だ独身の俺に結婚を控えた男のお悩みアドバイスなんてできるのか?……と首を傾げると「婚約指輪のことなんです」と打ち明けられる。

婚約指輪……恋人すらいない今の俺には全く縁の無い物だ。

いよいよ後輩の相談相手の人選ミスを指摘せざるを得ない状況に、それは既婚者か若しくは女性に相談した方がいい案件だぞ、と告げようとした時だ、それより一拍早く目の前の口からトンデモ発言が飛び出してくる。

 

「彼女が、婚約指輪はいらないからその分をお金で欲しい、って言ってきて……」

「はぁ!?」

「そうですよねっ、やっぱり指輪は贈った方がいいですよねっ」

 

いや、ちょっと待て、俺が驚いてるのはその部分じゃあない。

別に女性の方から婚約指輪は不要だと主張するのは構わないが、だからと言って指輪購入費分を現金で要求するってアリなのか?……ナシだろ。一体全体どういう了見でそんな事を言い出したのか……。

 

「理由は?、聞いたんだろ?」

「それがどうも父親の会社の経営がうまくいってないとかでお金が必要だって」

「いくら小さい会社ったって婚約指輪の代金程度で経営が立て直せるなんて話あるわけないし、あっちこっちからかき集めてるとしても、それなら普通にお前に借り入れの申し込みをすればいいんじゃ……」

「僕もそう言ったんですよ。そしたら指輪のお金とは別にどれくらい用立てて貰えるのかって、なんだかお金の話ばっかりになっちゃって……彼女って家族思いですよね」

 

デレるところじゃないだろ……と呆れつつも後輩には申し訳ないが、俺の中のその彼女の好感度は駄々下がりで、ついでにお祝い気分も急降下だ。

なんなんだ、金、金って…これじゃまるでコイツが金づるみたいじゃ……とその先の思考にハッとなる。

ふと後輩の背後に目をやればカウンター内でグラスを磨きつつこちらを見ているマスターの眉間にも皺が寄っていて、ああ、これは話を聞いていたんだなと察した。

ここのマスターとはそこそこ長い付き合いで信頼を置いているから今の話を聞かれても問題ないし、逆にそんな顔をしてるって事は俺の悪い想像と同義なんだろう。だが結婚に浮かれているコイツは彼女に対する疑いなんてこれっぽっちもなくて、ここでその結婚話に疑念を持てと忠告しても受け入れそうにない。

それに彼女が本当に家族思いでコイツとの結婚も本気で望んでいる可能性だってゼロじゃないし、と自分の今後の立ち回りを考える。

 

「確かに相手の親父さんがそんな状況なら婚約指輪は省略してその金を二人の結婚指輪の購入に充てるって考えもあるんじゃないか?、彼女だってそれほど預貯金がある年齢じゃないだろ」

「ああ、なるほど」

「だから一旦指輪の購入資金はそのままにしとけ。あと俺もその彼女に会ってみたいんだけど……どうかな?」

「はいっ、是非っ」

 

将来結婚する相手の親でも金の貸し借りは慎重にしないと後々相手にも迷惑がかかるとかなんとか、どうにか後輩を思いとどまらせ、それから俺はとにかく彼女の情報を引き出した。後輩はのろけ半分で出会いからをちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しげに話してくれてほんの少し心が痛む。

 

「だー、かー、らー、先輩もぉ、早くいい人見つかるといいですねぇ」

 

すっかり酔い潰れた後輩を前に俺は「はいはい、そうだな」とテーブルに頬杖を突いて応え、ぐらりぐらりと揺れているヤツの頭を腕を伸ばして小突いた。

 

「ちょっとだけ寝てろ。タクシー呼んでやるから」

 

平日だがこの時間だとすぐには来ないだろうな……と携帯端末を取り出してタクシーを手配する。案の定二十分から三十分はかかるという表示だ。俺の酔い覚ましの時間としても丁度いい。

テーブルに突っ伏して完全に落ちた後輩の後頭部を見つめ「ふぅっ」と息を吐いてから、やれやれ、と立ち上がり椅子の背もたれにかけてあった上着を被せてやる。後輩にここまで気遣ってやる優しい俺にも気遣ってくれる女性がそろそろ現れてもいいんじゃないのか?、と脳内でボヤきつつ、コイツを送ったタクシーでそのまま俺も帰宅して、今日こそはたまっている洗濯物をなんとかしないとマズいな、と独り身男性の生活感溢れる急務に深い溜め息を落とすとマスターがやって来て空のグラスを回収し、代わりに水の入ったピッチャーと新しいグラスを静かに提供してくれた。

 

「助かります」

 

俺は正直そこまで酒に強くない。でも今夜は祝い酒と称して呑み、後輩から話を聞くために呑ませては自分も呑みを繰り返したせいで許容範囲はとうに超えていた。

「おぅっ」と小さく返して去って行こうとするマスターに独り言のような声量で「どう思います?」と引き留める。

瞬時に意図を理解して足を止めてくれたマスターは口をへの字に曲げた後「うへへっ」と締まりのない顔で寝ている後輩に視線を落とした。

 

「俺は客の話には首を突っ込まない主義なんだ…………が、この後輩くんの婚約者には早めに会ってみたほうがいいだろうな」

「…ですよねぇ」

 

はっきり黒とは断言できないが、話を聞けば聞くほど限りなく黒に近い気がする。

ゲーム初心者を偽って高額課金した装備を纏っているプレイヤーに声を掛けてくる手口を何かで読んだ覚えもあるし、後輩から聞いた話をまとめると……

 

「若くて美人で頭も良くてスタイル抜群で気立てもよく料理が得意で、いちを社長令嬢…って、そんな女性、いると思います?」

 

惚れた欲目だとしても揃いすぎだ。

 

「疑いだしたら切りがないですが通っている上位大学だって本当に在籍してるか怪しいし、料理なんて今どき冷凍食品詰めた弁当でもそれなりに見えますからね」

 

すると今度はマスターが意味ありげに「ごっ、ごほんっ」と咳払いをする。

そう言えばさっきまで度々咳き込んでいた客は?、と見ればなぜかピキーッンと背筋を伸ばして固まっていた。そして改めて店内を見回すともう客はそのカウンターの一人と俺達だけで、これならちょっとくらい俺の胸の内を吐露してもいいじゃないか、とほろ酔い気分が後押しをする。

 

「だいたいその彼女、コイツがどれだけ頑張って貯めた金なのか、わかってるのかっ、て話ですよ」

「そうだな。ほら、水飲め」

「コイツ、ほんとに仲間思いで。普段はわりとドライなんですけどね、いざって時はすごく頑張るヤツで」

「おお、そうなんだな。もっと水飲め」

 

俺のグラスが空になるとすぐに水を注いでくるマスター。グラスの中で揺れている透明な液体に映る自分の顔が歪んで見えるのは水のせいなのか、それとも本当に俺の表情が歪んでいるのか……。

 

「だって悔しいでしょ。こんないいヤツが、嬉しそうに俺に婚約報告してくるヤツが、幸せになれなかったら……。幸せになって欲しいんですよ。コイツだったら絶対奥さん幸せにするしっ、奥さんもコイツを幸せにして欲しいしっ、て……俺、間違ってます?…結婚ってそういうもんですよね?」

「もちろん、俺もそうだと思うぜ。もう少し、水飲むか?」

「ねっ、だったらそんなわけのわかんない女性じゃなくて、もっと、こう…何て言うのかな……」

「わけのわかんない女性……」

「ちゃんと実在する、って言うか……現実味のある?……俺なに言ってんだ?、あれ?……とにかくっ、近くに当たり前に存在してるような普通の女性がいいと思うんですよっ」

 

と興奮気味に言い切ったところで俺の意識はプツリと途切れた。だから向かいの後輩と同じ姿勢でテーブルに頭を乗せた俺にかけられたマスターの声を聞く事は叶わなかったのだ。

 

「お前が言いたい事はわかるけどなぁ。ありえない位揃ってる女性だってこの世には稀に存在するんだぞ……」

 

 

 

 

 

それからどの位経っただろうか、店の扉が勢いよく開いた音と同時に飛び込んで来た男性の声で俺の意識は徐々に覚醒し始めた。

 

「悪いっ、アスナっ、遅くなった!」

「キリトくん」

「キリト、静かにしてくれ。タクシー待ちの客が二人、酔い潰れて寝てるんだ」

「酔い潰れて?……アスナ、大丈夫だったか?、絡まれたりして…」

「おい、うちの常連客に失礼だぞ」

「そうだよキリトくん。それに何だか大変そうなお話してたから周りなんて気にしてなかったと思うよ」

 

嗚呼、やっぱりマスターだけじゃなくてそっちまで俺達の会話聞こえてたんだな、と思った後にカウンター席にいる女性客、すごく綺麗な声だなぁ、とぼんやり思う。

 

「お前達な、もう学生じゃないんだから毎回毎回俺の店で待ち合わせするな」

「そんな事言ってもオレの研修期間は終わってるからもう都内の研修員用マンションには呼べないし、ここならアスナが一人でも安心だろ」

「すみませんエギルさん。アルゲードのお店の頃からお世話になりっぱなしで」

 

そう頼られては嫌と言えないらしくマスターの「あー…」と唸る諦めの声が聞こえてきて、顔に似合わぬお人好し加減につい笑いそうになった時、胸元にある携帯端末から「ピーッ、ピーッ、ピーッ」という鋭い音が鳴った。

呼んでおいたタクシーがあと五分ほどで到着する合図だ。

俺は「ううぅ」と頭を上げて目を擦りながらどうにか画面を確認しているといつの間にかマスターが隣に立っている。

 

「タクシーか?」

「…はい。長居してしまいました。もうすぐ着くみたいなんで会計お願いします」

 

約束通り後輩と俺の二人分を決済している間もカウンター前で向かい合いで立っている二人の男女の会話が自然と耳に入ってきた。

 

「あのね、キリトくん。言いそびれてたんだけど……」

「な、なんです?、アスナさん、改まって…」

 

気安い関係に見えるのになぜか互いに緊張を孕んで丁寧な言葉を交わしている。

 

「この前差し入れしたキッシュ、あれね、実は冷凍のパイシート使ってたのっ」

「…………はぁ、そうなんですか」

 

思い切っての告白に対し拍子抜けしたような声につられて俺まで「はい?」と内心でずっこけた。

よくは知らないが、キッシュッってアレだろ?、ホールケーキみたいな形のボリューム感のある見た目でパイ生地が容器になって中身がホウレン草とか入った卵焼きみたいなヤツ。

 

「ちゃんと言わなくてゴメンね」

「別にいいよ、それくらい。具材はオレの好物ばっかり詰まってたし味付けもベーコンの塩気が効いてて、アレ美味かったなぁ」

「それでね……」

「え、まだあるんです?」

「うん……いちを伝えておこうと思って。今、うちの父って第一線は退いたけどオブバーザー的なポジションでまだ会社に名前は残ってるの」

「ああ、知ってる。今度の創立記念パーティーにはアスナも一緒に出席するんだろ?」

「そうなんだけど……業績は低下してないらしいからっ、大丈夫だからねっ」

「そりゃそうさ。国内の最大手と言ってもいい電気機器メーカーなんだから。レクトが業績不振なんて話、経済界が激震するって」

 

明らかに「なんで今そんな話?」と首を傾げている男性の後ろ姿を視界の端に入れつつ俺は支払いを済ませた端末をカバンにつっこみ上着を羽織って完全に寝落ちしている後輩の両肩を背後から揺さぶった。

 

「ほらっ、起きろっ。タクシーが来た」

「ぐぬぅ」

「置いてくぞっ」

 

本音は置いてけないし、このまま放ってもおけないが……俺もマスターの事笑えないくらいお人好しだよなぁ。

すかさずそのマスターが店の出入り口に向かいながら「帰り支度しとけ。タクシーは店の前まで誘導しておくから」と声を飛ばしてくれる。

すみません、と頭を軽く下げて扉の外へマスターの背中が消えると俺は本腰を入れて後輩を起こしにかかった。

 

「起きろって」

「ういぃぃっす」

 

ようやくゆっくりと上体が起き上がってきたところで頭を片腕でホールドして再び落ちないよう固定し、遠慮無く頬をペシッペシッと叩き覚醒を促す。その間もカウンター近くから男女の会話は流れて来て……

 

「だからねっ、私、ホントーにキリトくんと結婚するからっ」

「はっ?」

 

うっかり振り返ってしまったが、あいにく男性の背中しか見えない。

え?、なに?、修羅場なのか?

それにしても結婚を前に不安になるマリッジブルーは聞くけど、結婚しますって意気込む女性も……何と言うか、逞しい。

さてこの宣言にどう返すのか?、と思ってつい目が釘付けになっていたら男性がいきなり女性をギュッと抱きしめた。

 

「わわっ」

「おわっ」

 

奇しくも抱きしめられた女性と同時に同じような驚きが飛び出る。

 

「…キリトくん?」

「何かあった?、アスナ。オレとの結婚に不安とか……もしかして迷ってる?」

 

すると女性の方も男性の背中に腕を回して力を込めたのがわかった。

 

「キミとの結婚に不安や迷いなんて…そんなの一度もないよ……ただね、今回も私、キリトくんからのプロポーズに『はい』ってお返事しただけだったな、って思って。ちゃんと『私もキリトくんと結婚したいです』って伝えたかったの」

「アスナ……」

 

あーはいはい、なんか俺達完全にお邪魔虫だな。

後輩はやっと目が覚めたのか、それでもまだ眠そうに大きな欠伸をしながらヨロヨロと立ち上がった。

 

「店の前にタクシー付けてもらうから……そこまで歩いてくれ。おいっ、ちゃんと上着着ろって」

「はっあーい」

「カバン持ってっ。忘れ物ないなっ」

 

オレはお母さんかっ、と自らにツッコミつつ肩を貸して後輩の身体を支え出口に近づく。

後ろのカウンター席からはさっきまでの自信なさげな声と同一人物とは思えないほど豹変した低く絡みつくような問いかけが彼女の耳に吹き込まれていた。

 

「それでアスナ、婚約指輪は?」

「ひゅぇ?」

 

小さく悲鳴のような声が聞こえたがその理由を追求するよりも隣でビクリと反応した後輩の早急な対処だ。

今のコイツに「婚約指輪」は禁句だろう。

 

「さっ、帰るぞ、急いで帰るぞ。もう遅いからな。足を動かせっ、無心で足を動かすんだっ」

 

ずりずりと半分引きずるようにして出口に辿り着く頃にはちょっと気まずそうな彼女の「えっと…ここに来るまでの電車が結構混んでて、指輪付けたままだと他の人のバッグとか傷つけちゃいそうだったから……」なんて声は聞こえる距離じゃなかったし、それに対する「仕事中以外は必ずつけるって約束、したよな?」と完全優位に立ったとばかりのあくどそうな顔を見ることもなかった。

だから俺達が店を出た後、左手の薬指に指輪を装着した彼女がしげしげとそれを見つめて……

 

「やっぱり…石、大きすぎたんじゃ……」

「アスナの指が細いんだ。それにそれくらい目立たないと効果ないだろ」

 

効果の意味を問おうと口を開きかけた時、男性から「絶対創立記念パーティーには付けてってくれ」と早口で告げられ、すぐに唇が塞がれたなんて事は当然知るはずも無かった。




お読みいただき有り難うございました。
「先輩」の名字は「持武」です。
投稿準備する時に決めました(だから本文に出てこなかった)
持武先輩……かなり明日奈の近くにいたのに、まったく
意識外だった珍しいモブ。逆に明日奈のほうはグサグサ刺さってましたが(苦笑)
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