ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》   作:ほしな まつり

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キリトとアスナがアンダーワールドに残った後のお話です。



〈UW〉ふたりで……

慣れた、とは言いきれない《セントラル・カセドラル》内を、それでも最近ようやく塔内の構造を把握し終えたアスナはどこか固い表情のまま、ひとり三十階の廊下をコツ、コツ、コツとヒールの音を響かせていた。

キリトとアスナの私室となっているのは南東向きの、多分居住区内で最も広く快適な部屋で、だが同じ階には他にも住居用の部屋が幾つかあるから当然そこを使っている人達がいる。いつ、どこで、誰と出会うか分からない廊下では副代表剣士という責任ある肩書きに見合う姿を、とアスナは疲れで震えそうな足やふらつきそうになる身体に全神経を集中させ歩速を緩めないまま自分の部屋の前まで辿り着いた。

いつも通り背筋をピシッと伸ばしたまま扉を開閉して中へと身体を滑り込ませる。

エントランスルームまで入ってしまえば取り繕う必要はない。

一旦足を止め、ふぅっ、と息を吐き全身の力を抜くとそのまま背後の扉に背を預けてしまいそうな自分に「もうちょっと頑張ろっ」となけなしの気合いを入れる。

一歩ずつゆっくり足を動かしながら、今日は朝から特別忙しかったな……と軽く一日を振り返って会議に講義に会議に模擬戦にまた講義とまさに連続技だったスケジュールを思い返した。

お陰でキリトとは朝ごはんを一緒に食べただけで全く顔を合わせていない。

何となくアインクラッドで血盟騎士団の副団長を務めていた頃と似た一日で立場も近いものがあるけれど、この世界ではキリトと同じ部屋で暮らしているのでどちらかが遠方の地へ出掛けていない限りは必ず顔は見られるし夜は同じベッドだし……、とアスナはその違いの大きさに疲労の浮かんでいる顔で微笑んだ。

それにしてもこのエントランスルームは四畳ほどの広さのはずなのにリビングルームへと続く扉が遠い。まだこの部屋を自分達の住まいと認識するほどの時間は経っていないが二百年も居続ければあのログハウスのような感覚になるのだろうか、と思いつつようやく目の前まで来た内扉を押し開いた。

 

「お、アスナ、おかえり。お疲れさん」

「あれ?、キリトくんの方が早かったんだ」

「午後はずっと工廠にいたんだけど今日は早めに終わったしな」

 

と言う事は随分と待たせてしまっただろうか?、とアスナの眉が申し訳ない角度に下がりきる前にリビング中央のソファに腰掛けていたキリトが彼女の状態に気付いて立ち上がり、数歩歩み寄ると軽く両腕を広げ受け入れ体勢を整えた。

その優しい笑みを見て一瞬目を瞠ったアスナだったがすぐにゆらり、とおぼつかない足を懸命に動かし倒れ込むようにキリトの腕の中へ、ぽふんっと収まる。実際そうして寄りかかってしまえばもう自力では立っていられないほど疲れ切っている事を自覚して、キリトの背に腕を回してはみるが力はほとんど入らない。けれどその代わりにキリトがしっかりと抱きとめてくれたので安心して身体を預け安堵感から大きく息を吐き出す。

つい無意識にキリトの首元へすりすりと顔をすり寄せるとアスナの身体を拘束している腕が、ぎゅぅ、と締まった。けれど疲労困憊の身では少しキツいくらいの拘束が逆に気持ちよく、僅かに艶めいた「んっ」という吐息だけが漏れるだけである。

本音を言えばずっとこうして一番安全で安心して身を任せられるキリトの内に囚われていたいが、二人はまだ夜の食事を摂っていない。意を決して「ごめんね、すぐ晩ごはんの支度を」と身を起こそうとするが、なぜか抱擁は解かれなかった。

もぞりと顔を動かして「キリトくん?」と真意を尋ねると、キリトはがっちりとアスナを囲い込んだまま栗色の髪へ頬をぴたりと付けて更に密着度を上げる。

 

「大丈夫、夕食はハナが準備してくれたから」

「え?!」

「今日は幾つも予定が入ってるらしい、って言ったら『頑張りすぎです』て……ちょっと怒ってたかもな」

「……ハナったら」

「でも、実際休憩もとらずに動き回ってたんだろ?」

 

アスナの性分を熟知しているキリトですら呆れ声だから騎士や神聖術師ではないハナなら尚のこと純粋にアスナの身体を気遣っての言葉なのだろう。当のアスナはその事が嬉しくて「ふふっ」と笑い、それならもう後はのんびりできると、「今日はね、さずかにちょっと疲れちゃった」とつい弱音が転がり落ちる。

 

「朝から《セントラル・カセドラル》内をあっちこっち移動してたもんなぁ」

「え?、なんで知ってるの?」

 

日中は全然会わなかったよね?、と種明かしを強請るとキリトはほんの少しだけ不思議そうな表情になった。

 

「なんとなく、だけどアスナの居場所、わかるんだよ」

 

自分でも正確な理由はわからないらしい。

心意感知かと問われれば少し違う。例えば、もしアスナが戦意を凝縮させて剣を抜いていればもっとハッキリと彼女の状況を察知できる自信があるからだ。

あの異界戦争の時は何十人、何百人もの赤い兵士達にアスナが囲まれている光景が目の前の事のように流れ込んできた。それなのにまともな声すら上げられず、彼女の傍に駆けつけることが出来なかった歯がゆい感情を思い出して両手が勝手に震え、続いて背筋が寒くなり、存在を確かめるように抱きしめる腕に力がこもる。まだこの世界にやって来て間もないのに、人界軍と共に戦う事になったアスナは我が身を省みずレイピアを振り続け、気絶しそうな痛みに耐えながら《無制限地形操作》を行使し、加えて左腕切断という大怪我を負ったのだ。

補給隊の馬車内にいたキリトの目の前で腕を再生させてみせ、自分は大丈夫だと抱きしめてくれたが、もっと悲惨な暴状に……例えば無数の剣で貫かれ四肢を斬り落とされていたら……スーパーアカウント・ステイシアの無限に近い天命があるとは言え感情が豊かな彼女はイマジネーションの力も強い。致命傷を何度も受ければ存在は消えずとも心が壊れていた可能性だってゼロではないのだ。

その後に遭遇した赤い軍隊に人界軍の部隊が包囲された時だって……と朧気な記憶を掘り起こしたキリトの眉間に皺が寄る。

その理由は……あの時、さっきのキリトの様にアスナへと両腕を広げたのはスーパーアカウント・ソルスを使ったシノンで……

 

「なんか、二人でものすごくしっかり抱き合ってたよな……」

 

そんな小さな呟きと共に、なんならシノンが抱き寄せていたようにも感じて、アスナの腰にがっちり腕を回し、きゅっ、とこんな風に……を再現するべく更に自分の身へ彼女の折れそうな程に細い腰を引き寄せると、仰け反る姿勢のせいで彼女の小さな紅唇から滴のような息が零れて、咄嗟にそれを塞ぎたい欲求に襲われる。

 

「キ、リトくん?」

 

どうして抱擁が強まったの?、と戸惑いが滲み出ているが少々無理な体勢故か絶妙な掠れ具合で発せられれば誘われているとしか思えず、ぐぬぅっ、とキリトは下唇を噛みしめた。

《創世神》の固有能力など付与されていなくても、無意識、無防備、無自覚で周囲を魅了しまくっている自分の恋人はある意味最強だ。

だからあの戦場で覚醒した時も真っ先に「ただいま」と、自分の帰る場所は彼女の元だと示したし、ヴァサゴと決着を付けた後だって手を伸ばし、抱きしめていいのは自分だけだと、抱き上げていいのも自分だけだと牽制しておいたのに、アンダーワールドに残ると決意してくれてたった数日しか過ごしていないのに、今では朝から晩まで「アスナさま」「副代表殿」と引っ張りだこになってしまい全然「貸し切り」にできない。

この世界では、いちを二年分年上なわけだし、アスナが知らない二年分の知識や経験だってある……とは思いたいが術式関連の基礎力・応用力に関してはすぐに抜かされるのはまず間違いなく、それでもまだまだ彼女が知らない場所へ自分が最初に連れて行きたいと思っているのに……

 

「アスナを最初に抱きしめたかった……」

 

こちらもつい本音がポロリとこぼれ落ちる。

 

「え?、なに?、どういう意味?」

 

突然のカミングアウトにアスナがはしばみ色の瞳をパチパチとさせた。

アインクラッドではゲーム知識の乏しかった彼女に色々とレクチャーしたし、A.L.Oでだって先にアカウントを作っていたキリトはあっちこっちを案内した。G.G.Oではシノンと競うように銃の世界を連れ回して……流石に現実世界では和人が明日奈より知っている事は地元情報以外それ程なかったが、それでも総じて彼女の初めてに立ち会っていた自負のあるキリトとしてはこのアンダーワールドで恋人を抱きしめるという特権を一番に行使できなかった事が悔やまれてならない。

こうやって力を入れると片腕だけで一周できてしまうくらい華奢な腰のくびれとか、だけどそこまで密着するともの凄い弾力で押し付けられる胸の膨らみの心地よさとか、そのほかもろもろいろいろと気持ちよくて離しがたくなるこの感触をシノンが先に堪能したのかと思うと……

 

「こんなに柔らかくて優しくて甘い匂いも……」

 

すうぅっ、と思いっきり吸い込んで表情を緩めたキリトだったが、吐き出す時にはしかめっ面の盛大な溜め息になっている。ただその息が首元に当たってくすぐったかったのか、ぴゃっ、と肩をすくめたアスナがおずおずと顔上げた。

 

「あのね、キリトくん……その、匂いなんだけど……」

「ごめんっ……変なこと言って」

 

自分の匂いを肺いっぱいに嗅がれてうっとりされたら不快に思われても仕方ない事に思い至り、動揺するキリトの背を宥めるようにアスナの手がさする。

 

「…私だってこうやってるとキリトくんの匂い、安心するよ」

 

一旦目を閉じて全てをキリトに預けたアスナの顔は眠っているように穏やかだったが、次に瞼を押し上げた彼女はなぜか瞳を潤ませて何かを言いづらそうに唇を薄く開いたり閉じたりを繰り返していた。そうしているうちに目元が徐々に薄紅色に染まっていく様を見せつけられてキリトは「やっぱり誘ってマス?」と内心で首を傾げる。

 

「…って言うか……匂い、感じるの……キリトくん、だけだし」

 

は?、と言う顔で見返せば振り切ったようにアスナが真っ赤な顔で睨み付けてきた。

 

「だからっ、この世界はイマジネーションによって具現化するでしょっ」

 

意味不明の気迫にキリトはこくこくと頷く事しかできない。

 

「お互いの匂いもキリトくんや私の記憶の中にあって、こんな風に触れ合うと感じるって……経験があるから頭で考えるより先に自分の中で匂いを再生しちゃうって言うか……」

「ナルホド」

 

改めて突きつけられたこの世界のシステムにキリトは生返事を返しながらパタパタと脳内で咀嚼する。

つまり、アスナを抱きしめた時に嗅いでいるいつもの匂いを意識せずとも勝手に嗅覚が再生しているのか……確かにルーリッド村でセルカを抱きしめた時はなにも思わなかったし、次に、抱きしめる、と言うか状況的に《セントラル・カセドラル》の外壁で落下しないよう密着したアリスからも特に匂いを感じた記憶はないし、まぁ、加えてオレがアスナを抱き寄せている回数が多いって事もあるけど決定的なのは……《現実世界》で何度も素肌を合わせてるからオレに蓄積されている明日奈本来の匂いの情報量が濃いんだろうな、と結論づける。

上気した彼女から匂い立つあの香りはどれほど味わっても枯渇感を刺激して酩酊するように切望してしまうので回数なんて覚えていないが、こうやって触れ合うだけでもすぐさま相手の香りがわかるほどには脳に焼き付いているのだ。

表情から察するにアスナの方も単純に服越しで覚えた匂いを指しているわけではないのだろう。

まぁ、それならこの世界での初めての抱擁はシノンに譲ってやってもいいか、あいつもアスナの匂いまでは……と寛容な心が芽生えそうになった時、《ダイシー・カフェ》で見た朝田詩乃の得意気な顔がそこに針を刺す。

 

『アスナの家にお泊まりもしたのよ』

 

あの時は告げられた内容にショックのあまり深く考えもしなかったが……キリトは何か重大なミスに気づいたように顔を強張らせて「…アスナ」と自分の腕の中にいる恋人の名を呼んだ。

 

「《ダイシー・カフェ》でシノンと三人で話した時、アスナの家に泊まったって言ってたよな?」

 

なんでいきなりそんな話?、と僅かに混乱したアスナだったが、すぐに笑顔になり「うん。つい夜更かししてお喋りしちゃった」と嬉しそうに綻ぶ。そしてキリトの質問は終わらない。

 

「同じ部屋で寝たんです?」

「もちろんっ」

「じゃあ…もしかして、風呂も?」

「シノのんと一緒に入ったけど?」

 

ガーンッ!、と言う文字が浮かんで見えそうな落胆ぶりにアスナが再び目を瞬かせていると独り言のようなキリトの小さな声を耳が広う。

 

「風呂場に、二人……」

 

ただその後に続いた「オレだって《現実世界》では入ってないのに」までは聞こえなかったようで、アスナの唇はムムッと尖った。

 

「そりゃあここの九十階にあるみたいな大浴場じゃないけど、ウチのお風呂だって私とシノのんくらいなら普通に入れる大きさだもん」

「そこじゃないですアスナさん」

 

むしろ風呂のサイズなんて全く心配していない。結城家のあの外観で風呂が狭いなんてありえないからだ。

問題はアスナとふたりで一緒にやりたかった事を次々にシノンに先を越されてるという点で……しかし「風呂」と言えば鋼鉄の城に閉じ込められた後、第一層のトールバーナでキリトは自分が寝泊まりしていた部屋の風呂を貸した事があったが……あれは単に貸しただけであって間違っても一緒に入ったカウントにはならない。となるとやはり第二十二層のログハウスでの蜜月の時か……と一瞬ニヤけそうになった頬が待ったをかけるようにピクッと跳ね上がった。

記憶がフィルムのようにまき戻る。

確か第五層のシヤーヤでアスナと風呂に入ってたな……アルゴが。

それまでもアスナの入浴中の見張り番とかダークエルフと三人で水着着用入浴、はあったがここでもやはり「二人で」は他者に先を越されていた事に思い至ったキリトの瞳からハイライトがすんっ、と抜け落ちた。

それなら、と暗闇のような黒瞳に劣情の熱が灯る。

 

「アスナ、お腹空いてる?」

「うーん。実は食欲より疲れの方が勝ってて…」

「だったら先に風呂にするか」

「え?、いいの?、キリトくんはお腹減ってるでしょ?」

「大丈夫。大浴場まで行くのも面倒だからこのまま奥の風呂でいいよな」

 

正直お風呂に入りたかったアスナにとってキリトの申し出は大変有り難かったし、ここから再び九十階まで移動する気力もなかったから今日はこの部屋に付いている浴室の湯船につかろうとも思っていたが「よっ」というかけ声と同時にいわゆるお姫様抱っこ状態で持ち上げられれば驚きと疑問で抵抗もできない。

これってもしかして一緒に入るの?!

 

「キっ、キリトくん?!」

「アンダーワールドで二人で入るのは初めてだけど、二十二層のログハウスでは散々入ってたんだし」

 

有無を言わさぬ笑顔に今度はアスナの頬がヒクリと震える。

確かに二人で購入したあの森の家では何度も何度も、そりぁもう何度も一緒にお風呂に入っているが、それだけにこの世界ではそれらの記憶によって様々な感覚が呼び起こされるのは必然で、アスナは単純に身体を温めて疲れを癒やすだけでは終わらない確信めいた予感にボフンッと茹で上がった顔をキリトの胸板に押し付け「えっち」と一言ささやいたのだった。




お読みいただき有り難うございました。
原作未読の方へU.W編冒頭《ダイシー・カフェ》のシーン。
原作ではアスナとシノンの仲の良さに驚いたキリトに向けシノンが自慢げに「お泊まり」の
件を告げるのです。あと、いちを白亜の塔のキリトとアスナの部屋は四畳ほどの
エントランスルームの奥に三十畳ほどのリビングルーム。さらに本格的なキッチンと
バスルーム、十五畳ほどの寝室完備です(笑)
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