ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
遭遇した戦いの末……
『アスナーッ!!!』
その場にいた全員が聞こえるはずのない叫びを聞いた気がした。
怒りと悔しさと悲しみの籠もった、耳にした者の心に痛みさえ与えるような声。
直接喉を裂き破って放たれたような声を。
けれどその名が示す少女の姿はすでに消え、彼女が存在してた場所には紅蓮の小さな炎が弱々しくゆらめいているだけである。
キリトはそのルビーのような光から一時も視線を外さないまま、自由にならない自身の体に苛立ちをため込み続けていた。
ソードスキルの連撃……その大技を使った代償とも言うべき硬直時間が今は永遠と思えるほど長く感じる。
早くっ、早くしろっと焦燥感で視界がスパークし始め、噛みしめている歯がギリッと音を立てた時、ガクッと金縛りが解けた反動で上体が倒れようとするのを高い筋力値で立て直し、足を踏み出そうとして「くそっ」と盛大な悪態をつく。
ようやくスキルディレイから開放されたものの直前に喰らった氷魔法でキリトの両足は地面に氷漬けにされたままなのだ。
「シノンッ、オレの足ごと射貫け!」
後方で敵に向け長弓を構えていたシノンは飛んで来たキリトの言葉に「えぇっ!?」とケットシー特有の大きな耳を驚きで震動させる。
「本気なのっ?!」
いくらスナイパー級の腕前を持つシノンでも氷だけを砕くことは不可能だ。
「最後の最後、アスナが回復魔法をかけてくれたっ。オレのHPが多少削られても問題ないっ」
だから早くしろっ、と平時のキリトからは想像出来ないような鬼気迫る圧が飛んでくる。
とにかく身動きが取れない今の状態が我慢ならないらしく口元からは低い唸り声が漏れ続けていて、それを見たシノンは観念したように狙いをキリトの凍った足に定めた。
標的となる氷は敵の動きを封じるのに効果的な水属性の魔法だがその範囲と拘束時間はそれ程広くもないし長くもない。数秒待てば効果は切れるし足元から上の半身は自由に動かせるので己の武器を用いて粉砕する手もなくはないのだが、長剣使いは間合いが近すぎて剣を振るえず、同様に弓使いも的が近すぎて射る事ができないという受けた者によっては地味に面倒な魔法である。
シノンの手元から放たれた矢は光の線を引いて一直線に飛んでくると、見事キリトの足元へ突き刺さった。
矢の到達とほぼ同時に氷が砕けるのを待たず足を地面から引き剥がしキリトが全力で駆け出す。
既に小さく消えゆく寸前にまでなっていたアスナの真紅のリメインライトの元へ辿り着くと両膝をつき片方の手の平でそっとすくいあげ、もう一方の手で己のストレージから蘇生アイテムを選びだす……が時既に遅く
「今、これでっ…あっ!、くそっ、アスナ!、まだっ、まだ聞こえてるよなっ。すぐに迎えに行くからっ、待っててくれっ!」
最後にふわり、と微笑むように揺れたリメインライトはキリトの手の中で儚く消えた。
「……で、なんだったの?、アレ」
シノンの指す「アレ」が一瞬どちらを言っているのかわからず、リーファは曖昧に笑った。
場所はスイルベーンの宿屋の一階、リーファお気に入りのスイーツの種類が豊富な食堂だ。
「アレって、アレでしょ?、PKがしたくて《ALO》にログインしてる集団なんでしょ?」
隣からリズベットがフルーツタルトを口に運びながら確認するように問いかけてくる。
そこでようやくリーファは「そうなんです」と、ちょっと深刻そうな顔で頷いた。
「もともと《ALO》はPK推奨のゲームだったんで、それ目当ての人がいるのも分かるんですけど……」
「でもそれはこのゲームの当初の目的が世界樹の上へ辿り着く事で、その為に種族間抗争をするしかなかったからよね?」
「目的と手段をはき違えているっていうか、目的を大義名分にして手段としてのPKを楽しむプレイヤーは当時からいて……でも今の《ALO》だと堂々とPKをするわけにもいかなくなってきてるので」
「さっきみたいにダンジョンからの帰り道に身を潜めてて消耗してるパーティーを狙っていきなり仕掛けてくると……呆れたわね」
リズも別にプレイヤー同士の戦いを否定したいわけではない。ただ「PKをしたいから」という理由にどうしても納得がいかないのは自分が二年もの間その行為が本当の死に繋がる特殊な世界に身を置いていたせいなのかも、と思うとそれ以上は口を噤んだ。
「まぁ、今回はそのクタクタのパーティーのすぐ近くをたまたま私達が通りかかったのに気付かなかった向こうに運が無かったわね。全員返り討ちにされても文句は言えないでしょ」
まさにニヤリとキリトの専売特許のような笑みを浮かべたシノンがカフェラテを一口啜って満足げに頷く。
「でも最後のキリトのアレはPK行為に腹を立てて、って言うより完全に別の理由だったわね」
鬼神のごとき形相で生き残っていたPK集団のメンバーを次々に一撃で屠り、そのまま何も言わずに飛び去っていったスプリガンの後ろ姿を思い浮かべて今度はこの場にいる全員が揃って「はぁぁっ」と溜め息をついた。
「アスナさんが一番最初にリメインライトになるの、久しぶりでしたからね」
「そうね。基本バックアップに徹してるし、フォアードに出ても必ずキリトとアイコンタクトはとってるようだし。私もフォローしてるから」
仲間内でアスナ以外は全員物理攻撃職だがロングボウを扱うシノンだけは後方に陣取るので全体を見渡せる。
「アスナが私達から離れたのを狙って一斉攻撃なんて、ほんっと気分の悪い戦略よ」
先程の戦闘を思い出したのかリズの眉間に深い皺が寄った。
「そもそもPK集団の標的はあの気の弱そうなケットシーの女の子で、それをアスナさんがいち早く気付いて助けようとしたんですよね」
「私がもっと周囲を警戒していれば……」
「シノンのせいじゃないわ」
集団戦闘の経験値で言えばアスナは抜きん出ている。旧SAOではギルドの副団長を任されフロアボスの攻略戦指揮を何回も執っているのだから視野の広さや判断力の早さは戦闘状況を把握する上で必要不可欠として磨かれたスキルのひとつだ。
「でも、さすがのアスナさんでもケットシーさんを庇いながら一人であの数の攻撃を受けたら……」
それでも消えゆく最後まで防御魔法を展開しつつ、消滅のタイミングを正確に把握してキリトに回復魔法をかけたアスナがリメインライトになったその瞬間のキリトの絶叫を思い出し全員の手が止まる。
「キリトがキレるのも当然よ」
「まさに逆鱗に触れた、って感じだったわね」
「自業自得でしょ」
「私、キリトが《蘇生アイテム》を所持してるのが意外だったわ」
「アスナさんが《ALO》で初めてリメインライトになった時は私が持ってた《蘇生アイテム》を使ったんです。その時、キリトくんは……なんて言うかもう凄い取り乱してて私の声なんて全然聞こえてなくて……」
それはまるで《現実世界》での互いの関係も知らないまま一緒に旅をした時、央都アルンに辿り着くなり突然天空へ急上昇した時のキリトのようだった、とリーファは振り返った。飛行制限の障壁にぶち当たっても何度も何度も拳を叩きつけていたあの時のキリトにはリーファの声など全く届いていなかったから。
ルグルー回廊でサラマンダーの集団と敵対した時に「オレが生きてる間は、パーティーメンバーを殺させやしない。それだけは絶対嫌だ」……そう決意を強く持っていた一番の相手はきっと…とリーファは目を閉じた。
多分それからだろう、キリトのストレージに《蘇生アイテム》が常備されるようになったのは。
途切れた言葉の続きをリズが紡ぐ。
「……そうよね。私達はいつもアスナに蘇生魔法で助けてもらってるけど自分は蘇生できないし。前に迷宮区のボスモンスターと戦った時なんて、あいつ上位スキルの飛行能力まで使って助けたのよ」
その場にいなかった二人は「うわぁぁ」と言いたげに頬をヒクつかせた。
芯は硬くても大きく否を唱えて我を押し通すことは少ない飄々とした態度の黒の剣士だが時には苛烈にその一途さを見せつけるのだった。
二十二層のログハウスに《死に戻り》をしたアスナは最後に聞いたキリトの言葉どおりその場に留まっていたのだが、すぐに飛び込んできた真っ黒な疾風に身体の自由を奪われて今に至っている。
いつもより幾分か力の籠もった抱擁、そして背中で重なっている腕から僅かに伝わってくる震え。
「キリトくん、すっごく早かったね…………ありがとう」
常日頃から風妖精の中でもトップクラスのスピードを誇るリーファと競走ならぬ競飛行をしている成果かもしれないが、それでも影妖精が出せるとは思えない速度でログハウスまで飛んで来たキリトはその勢いのまま扉を開けて目の前にいたアスナの存在を確かめるかのように抱きしめた。
アスナの方も久しぶりの《死に戻り》のせいか、我が家と言うべきログハウスで蘇生したにも関わらずどこか緊張が残っていたようでキリトに強く包まれて、ふっ、と全身の力が抜ける。
もうキミの前から消えたりしないのに、と実感して欲しくてアスナからもキリトの背に腕を回し手でとんとん、とあやすようにリズムを打った。
「ケットシーの女の子は?」
「無事だ」
「他のみんなも?」
「ああ」
「よかった」
ハイレベルパーティーには見えなかったし戦闘を終えたばかりだったらしく、ポーションの持ち合わせも底を尽きていたようだったからそんなバッドコンディションを狙ったPK集団にはアスナも本当に腹を立てていたのだ。彼らが全員無事と言うことは自分がリメインライトになった後キリト達が頑張ってくれたのだろうとアスナはもう一度「ありがとう」と伝えて頬をすり寄せる。
「それは…アスナが回復魔法をかけてくれたから」
「うん。前は全然そんな余裕なかったけど、今は詠唱も早く言えるようになったし」
「…アスナは……大丈夫か?」
ようやくキリトが顔を動かし至近距離からはしばみ色の瞳を覗き込んできた。
「さすがにもう慣れたよ。初めての時はビックリしちゃったけど……」
「そりゃあそうだろ。散々オンラインゲームをやってたオレだってALOで久々に《ゲームにおける死》を体感した時は怖かったさ」
「キリトくんでも?」
ちょっと揶揄うような口調でアスナが笑えば、その笑顔が強張っていないと安心したのか、キリトの口元も自然と緩やかになって今度は包み込むように優しく抱きしめられる。
ALOにログインするようになってHPゲージが初めてゼロになった時、アスナはまず最初に起こった視界異常に思考が追いつかなくなり【You are dead】という文字の意味を遅れて理解した時は一種のパニック状態に陥った。不透明な視野の中、自分の名前を叫び続けているキリトの顔が見え、その隣には冷静に指先を動かしているリーファがいて、再び身体の感覚を取り戻し地面にぺたりと座り込んだままキリトに両腕をつかまれ揺さぶられ、自分の瞳から涙が溢れて続けていると実感できるようになったのは随分時間が経った後だ。
「オレはまだちょっと、慣れない、かな」
ふぅっ、と息を吐いてアスナの肩に甘えるように顎を乗せたキリトが打ち明けると、動けないままアスナが視線だけをやる。
「今まで散々リメインライトになって、その度に私が魔法で回収してるのに?!」
「オレじゃなくて……アスナが、だよ」
それを言われてしまうと申し訳ない気持ちが膨らんでキリトの真っ黒な髪にアクアブルーの髪を押し付ける。
旧SAOでヒースクリフの剣に切られキリトの腕の中で消えた身としては彼の中でトラウマじみた記憶になっているのには良心の呵責を覚えるが、それでも愛している人を守るためなら何度だって同じ行動をとるだろう。
「ダンジョンでモンスター戦に負けてオレ達が全滅、なんていう状況ならまだしもさっきみたいにただ一人アスナだけがリメインライトになるのは……」
「そうね。全員で《死に戻り》は何回かあるけどヒールが追いつかなくて私が皆のリメインライトを回収、離脱がパターンだから、今回みたいに支援職が最初に脱落しちゃうなんてダメだよね」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ…それにアスナが気付かなかったらあのケットシーは確実にやられてたし……オレが間に合わなかったのが悔しいんだ」
考えるより先に勝手に身体が動いてしまったアスナにも非はあると思うのだが、キリトとしてはそこはもう「アスナだから」と受け入れてしまっているのだろう。普段はキリトの無茶・無謀のフォローや制御にまわるのがアスナという認識だが、逆にいざアスナが行動するという時にいち早く対応に動くのはキリトだ。
「みんなにも謝らないと…まだログインしてるかな?」
アスナが《死に戻り》したはずのログハウスへ向かう瞬間、後方から投げつけられた『スイルベーンのいつもの店にいるからっ』というリズの声が小さく脳内再生された気がしたが、キリトはそれを黙殺した。
「それは後でいいだろ」
「でも……」
「ちゃんとアスナが戻ってきてるか、確かめたい」
「え?、戻ってきてるでしょ?」
しっかり抱きしめているくせに何を言い出すんだろう?、と僅かに首を傾げれば、わさわさとキリトの手が不埒な動きを始める。
「感覚信号が神経系にちゃんと届いているか……隅々まで確認しないと」
「え?……それって…………」
以前にもされた事がある、肌に触れられている感覚があるかないかを確認するだけ作業のはずが、なんだかとっても恥ずかしいことになったのだが、今回はそれを……
「隅々まで?」
「そう、全身くまなく」
そう宣言されて拒めるはずもないアスナはその後寝室で余すところなくキリトが言うところの感覚信号のチェックを受けることになるのだった。
お読みいただき有り難うございました。
アスナがリメインライトになるってちょっと
衝撃的だなぁ、と私も思います。