ソードアート・オンライン《かさなる手、つながる想い》 作:ほしな まつり
ふっ、と浅めの眠りから覚めたキリトは天井の木目模様を見てここが我が家とも言うべき二十二層のログハウスの寝室だと認識する。
一般的なゲームプレイヤーはVRの世界においてログアウト時以外でベッドにはいり「眠る」という行為はしない……と言うより「する」「しない」の選択肢すら持たない。《仮想空間》を楽しむ為にログインしているのだ、眠りたいのなら《現実世界》でそのまま寝ればいい。
ただしプレイヤーの中には《ゲーム世界》で在っても「眠る」事を当たり前に行う者がいる……そのほとんどが旧SAOプレイヤーだとわかれば納得もするだろう、なぜなら彼、彼女らは約二年間を《仮想世界》の中で《現実世界》のように日々を暮らしていたのだから……ちなみにキリトは、時にはアスナもだが、揺り椅子でもうたた寝をする。当然寝室のベッドだってこのログハウスを購入した日から二人で過ごす時の大事なアイテムとなっていた。
『おはよう、キリトくん。よく眠れた?』
『あ、キリトくん……ふふっ…えっ!?、そんなにずっとは見てないよっ』
『キリトくんてば、寝ぼけてるの?。ほら、起きてっ、コーヒーいれるから』
寝室のベッドで目覚めた後、いつもならすぐ近くから聞こえる声が今日に限ってはいつまで経っても耳に届かず、キリトは無意識に、むぅっ、と口をヘの字にしてサワサワと自分の脇スペースを手の平で探る。
《現実世界》だったら彼女の存在がそこになくても、その温かなぬくもりや甘い香りがシーツに残っているのに、《仮想世界》では未だそこまでの再現性には届いていない。
そう言えばリズが来るとか言ってたな……
数刻前の会話を思い出し、多分親友が訪ねて来る時間になっても目覚める気配のないキリトを気遣ってアスナがそっ、とリビングに移動したのだろうと推測する。
とは言え二度寝をする気にもなれずベッドから立ち上がったキリトは自分も合流しようとドアノブを動かした時、ほんの隙間から漏れ聞こえた会話にビクッ、とその手を止めた。
予想通りリビングではリズとアスナの二人が対面でお喋りをしているのだが、リズの言葉にキリトの頭の中は真っ白になる。
「えっ!、アスナの初めての相手ってキリトなの?!」
随分と踏み込んだ内容っぽい話に驚きと戸惑いを感じるが、これがいわゆる『女子トーク』というやつなのか、と、男子であるキリトは禁断の場所を覗き見ているような妙な気分になる……わけもなく、心底驚いた声を発しているリズにキリトの思考は混乱で渦巻いた。
いや、普通に考えてオレだろ?!、ソレのどこが意外なんだ?、それともオレの知らない間に……いやいや、アスナだって《倫理コード解除設定》はギルメンに聞いただけで……その、経験はないって言ってたし
お互い様ではあるがあの時の自分達は本当に初めてで色々な意味で翻弄されまくった濃厚な時間だった、とキリトがセルムブルグでの一夜を思い出しているとアスナの方は相手が親友であるリズだからか、特に照れや恥じらいもなく「うん、そうなの」と優しく肯定している。対して当事者であるキリトに寝室の扉の向こうから聞かれているとは思ってもいなさそうな、あっけらかんとした声が響いた。
「へぇぇっ。聞いてみないとわからないものね」
だから、なんでなんだっ、とこちらはドアノブを握る手に力がこもる。
「でも、そっか。キリトだったら、うん、まぁ、安心と言うか……初めてなんだからちゃんと手加減してくれたんでしょ?」
その、さも当然といった風の口調に、別の意味でキリトが顔面を硬直させた。
て、手加減……なんて…………できるわけない……し、……そもそも加減の仕方が…………
繰り返すがキリトだってアスナが初めての相手だ、文字通り手探り状態で、いろいろ、くまなく、手を這わせた記憶はあるし、なんなら今だって毎回余すところなく彼女に触れている。それを加減しろとは無理な話だ。
リズはアスナの素肌にさわった事がないからそんな無茶が言えるんだっ、と微妙に的の外れた言い分を密かにぶつけていると、アスナもまた同意しかねるように「うぅ、えぇっと…」と言葉をつまらせた後、ぽそぽそと小さな声でリズの問いに答えていてキリトの耳には途切れ途切れにしか聞こえてこない。
「あの時は…私から…だったの。それでもね………だからキリトくんは…………」
確かにそういう意味で「一緒にいたい」と願ったつもりはなかったから最初は驚いたけど、アスナに誘われたからって棚ぼた気分で頷いたわけじゃない。
だからと言って自分から同じような行動が取れるか?、と自問すれば情けない事に即答でノーだ。相手はアイドル級の人気でモデル並みのスタイルでエリート集団と言われる『血盟騎士団』の副団長……無我夢中だったとは言え「一緒にいたい」と告げられただけでも通常の自分からすれば拍手喝采胴上げに値する。
しかし、きっかけはアスナからだったがこうなってみると驚くほど彼女との関係はしっくりくるのである。低層で暫定的にコンビを組んでいた頃から時折感じていたパズルのピースがピタリとはまるような一体感。元々はひとつだったものが二つに割れてしまい、それが再び元の形に戻ったのだと言われても納得できる、まさに己の半身的存在。
この感覚を知ってしまった今では失う事なんて想像もしたくない唯一無二の相手。
だからアノ時の事はアスナが勝手に勘違いをしてとか、ひとりで先走ってなんて思って欲しくなくて、それを伝えようともう一度ドアノブを握ったままの手に力を入れた時、再びリズの明るい声がランベントライトから繰り出される高速剣技のごとくキリトの耳に突き刺さった。
「キリトって経験豊富そうだものねー」
「あ、リズもやっぱりそう思う?」
どうしてそうなるっ!!??
思わずあんぐりと開いてしまった口からは声すらだせず、リビングにいる二人の自分に対する印象が衝撃的すぎてもはや思考停止寸前まで機能低下している。
アスナはもちろんリズベットも旧SAOからの付き合いだが、オレのどこをどう見たら「経験豊富」なんてイメージに繋がるのか……アスナに限ってはオレとの…その…アレやコレやで…そんな感想を抱いていたなんて……と言う事はつまりアスナはオレが「アスナ以外と」って思ってるって事だよな?、マズイ、そこは絶対に訂正しておかないとっ!
「アスナっ!」と、ようやくリビングに繋がる扉を開けたキリトの焦り顔に対し、呼ばれた彼女はいつものごとく春の陽だまりのような笑みで「キリトくん、リズ来てくれてるよ。一緒に何か飲む?」と通常運転で応えた。
リズの方も「お邪魔してるわ。な−に?、そんなに必死な顔で。変な夢でも見たの?」とにやにや笑っている。
「いや、そうじゃなくてっ、今の会話…」
「あら、聞こえてた?、前からちょっと気になってたのよねぇ。ああいうのって最初はどうすればいいのな、って。でアスナの体験談をね」
「こういうのは人それぞれだから参考になったかどうかわからないけど…」
「なった、なった。ありがと、アスナ。まぁ、キリトの相手はアスナくらいしか務まらないでしょうから…」
その不確定要素を含む言葉にキリトは大股でアスナに歩み寄ると椅子に座っている彼女を背後からガバッ、と抱え込んだ。
「オレはアスナだけだからっ」
「ふぇっ?」
「はぁ?」
威嚇するように睨まれたリズがポカンとした顔でわずかに首を傾げると、その仕草さえ加燃料になったのか、キリトは叫びを続けた。
「だからっ、オレだってアスナが初めてだっ」
「いやいや、何言ってんのよ。アンタが初めてなわけないでしょ」
「そうだよ、キリトくん。初めてキリトくんにお願いした時、私、頑張ったんだけど…途中でやっぱりダメで…」
後ろからでもわかる程、しょんぼりと肩を落としたアスナに、キリトはそのままの体勢で再び記憶を遡る。
お願い?、お願い、されたか?、アレはお願いされたわけじゃないよな?…それに途中でダメって……
とグルグル思考を重ねながら記憶を辿ればキーワードは「頑張るアスナ」と「途中でダメと言うアスナ」に限定され、結果、息を荒げつつ懸命に自分にしがみついてくるアスナの密着した白い肌の吸い付くような感触や、長い夜の果てに自分しか知らない乱れきった表情ではしばみ色の瞳を潤ませながら「もぅ、ダメ」と弱々しく掠れた声が更に劣情を煽ってくるのを思い出し、思わず息が止まった。
そんな背後の様子など知る由のないアスナは懐かしさの中に微量の悔しさを含ませた声で呟くようにポソリと零す。
「低層でコンビ組んでいた時は私が教えてもらうばっかりだったでしょ?」
「へ?……低層?」
それから自身に回されているキリトの腕に添えるように手で触れて顔を上げた。
「でも、今なら勝てる自信、ちょっとあるけどね」
今度は、ふふんっ、と口元をあげて自信ありげに笑うアスナを見て、キリトはようやく自分の勘違いに気付く。
「あ、…初めてって……対人戦のレクチャー、した時……の?」
「そうだよー。初めてのデュエル…って言っても私の覚悟が足りなかったせいで中断になっちゃったけど」
「……それは、まぁ、あのほんの僅かな時間でアスナがデュエルの本質を見抜いたからでもあるし」
「うん。だってあの時のキリトくん、本当に真剣で瞳だってそれまで見た事ないくらい鋭くて冷たかったもん」
「そりゃぁ本気でやらないと、って思ってたしな」
「だから、SAOが正式サービスを開始する前からデュエルの経験あるんだろうな、ってリズと話してたの」
「な、なるほど。そういう話だったのか」
確かにそれならば現時点において決闘というスタイルでキリトと互角にやり合える相手と言えばアスナだろう。
形状は違えど同じ片手剣使い、間合いの取り方や攻防のタイミングも知り尽くしている。逆に熟知しすぎてて短期決戦にならない事は容易に想像がつくし、旧SAO時代、五十六層の攻略会議で言い争った末のデュエルでは奇策を講じたキリトがかろうじて勝ったが同じ手が通用する相手でもない。
だけど、そうか、デュエルね。アスナとデュエルした初めての相手って意味だったのか。だからって特に経験が豊富ってほどでもないけど、生産職のリズからすれば一対一の対人戦なんてする機会もないだろうしな……
鋼鉄の城に閉じ込められて二ヶ月と少し経った頃、第五層に上がってすぐにアスナからの申し出を受けた対人戦のレクシャー。人気のない広場で距離を取って向かい合い数刻、動かない……実際には動けなかったのだが……アスナに対しキリトが左足を一歩踏み出した時、小さく弱々しい涙声のような「やだ」を絞り出しデュエルを拒んだ姿から随分と成長した彼女に誇らしさすら感じてキリトは屈み込みそのケットシー特有の耳へ唇を寄せた。
「あの時だって手加減なんてする気はなかったけど……オレがアスナに手加減が出来ないのは一番わかってるだろ?」
意味深に彼女を囲っている腕に力を込めればキリトの言葉がデュエルの件だけでないと察している証拠に彼女の耳が美味しそうに色づいて、ついいつもの癖でペロっと味見をすれば、華奢な両肩がプルルッと震える。
「ちょーっと、そこのおふたりさん、私がいること忘れてない?」
「わわっ、リズ!、わ、忘れてないよっ」
慌てて向かいの親友に、背後から羽交い締めに近い拘束のせいで上手く動かせない両手を、それでも精一杯ふるふると振るアスナとは対照的にここまできたらもう一度アスナを寝室に連れて行ってもいいんじゃないか?、と思い始めていたキリトは恨めし気な表情でリズを睨んだ。
「なによ、キリト、その顔は。言っておきますけど今日のアスナとの約束は私の方が先だったんですからねっ」
そうなのだ、面倒な課題も珍しく早めに片付いてこれならゆっくりログインできるっ、とアスナを誘った時点で既に先約を取られていたのだ。別にリズベットと一緒が嫌なわけではない。このログハウスには他にも仲間と呼べる妖精達が頻繁に訪れてくれて、アスナが嬉しそうにもてなす姿を揺り椅子から眺めるのはキリトにとっても至福の時である。
だが、しかしだ、基本ここはキリトとアスナの家なわけで、キリトに言わせれば『自分がアスナと過ごす空間』なのだからここ最近二人きりの時間がとれなかったのを理由にリズとの約束の時間まで、と彼女を思いっきり独占したのだが、キリトの恋人の親友はそのへんの事情もわかった上であえて己の存在を主張し、女同士の友情を育むひとときの邪魔者とばかりにわざとらしい笑みの形を作る。
「さっきなんて言ってたっけ?、『オレはアスナだけ』とか何とか?」
「う゛っ」
「『オレだってアスナが初めて』とも言ってたわよね?」
「あ゛ーーっと、それは、だな、《現実世界》ではひ弱なゲーマーであるオレと、お付き合いをしてくれる異性はアスナさんが初めてって事で……」
「キリト……それ、話の流れ的におかしくない?」
「おっ、おかしくないっ、全然おかしくないぞっ……そうだっ、おかし!、キッチンにあったパウンドケーキ、あれ、すっごく美味かったっ」
「え?!…キリトくん、それって、ドライフルーツが入ったやつ?」
「おうっ」
「……あのね、キリトくん。言っておかなかった私も悪いんだけど、そのケーキ、リズからのリクエストで帰りに渡す予定だったの。ちゃんと箱に入れておいたのに……キリトくんはナッツの方が好きでしょ?、リビングのいつもの場所にお皿にのったナッツ入りのパウンドケーキがあったと思うけど……」
「そっちも食べた」
両方とも全部は食べてないぞ、の弁明もリズには全く聞こえていないし、ついでに言えばしきりに謝ってくれる親友の言葉も耳に入ってきていない。
今日はアスナと二人でお喋りを楽しみ、前々からお願いしていたケーキが貰えると期待していたのに、途中からいきなり話に加わってきたキリトによって話は引っかき回され、自分はほったらかしでイチャつき始めた挙げ句お目当てのケーキを食べられたとあっては、もう発する言葉は何も出てこなかった。
怒りで震える手でどうにかウインドウを呼び出し、ピッ、ピッ、ピッと操作を終えると最後にえいやっ、とばかり力強く一点をタップすれば、ほぼ同時にキリトの視界に半透明のシステムメッセージが浮かぶ。
【リズベット から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?】
そしてそのまま人差し指を真っ直ぐキリトに突き出し……
「決闘よっ、キリト!!」
お読みいただき有り難うございました。
リズ、あのメイスで戦うわけですが……さすがにキリトも
本気にはなれないかな、と。
アスナがキリトにデュエルのレクチャーをお願いしたのは
プログレ4巻『冥き夕闇のスケルツォ』冒頭部分で、映画では
カットされちゃいました(残念)